●獣の気配
件の高速道路上を、月が煌々と照らしている。
撃退士の出動に合わせ、高速道路は下の交差点共々一時的に交通規制が敷かれることとなった。
騒がしい周囲の夜景から、そこだけが光を抜かれたかのように沈黙している。
その事実を知らず、月の光も届かぬ高架裏で“それら”はじっと獲物を待っていた。
爪を突き立て、蜘蛛のように四肢を這わせて、息を潜めいた。
やがて、餌の気配が近づいてきた――。
●高速道路
交通規制を示すコーンとポールを跨ぎ、六人の撃退士が現場に到着した。
その一人、稲葉 奈津(
jb5860)はペンライトの明かりを頼りに、念入りにメイクを行っている。
(女の嗜みだからねぇ♪)
最後に香水をかけて、準備完了。手鏡でつけまつげなどが乱れてないかを入念にチェックしていると……
「おーい、阻霊符使うぞー?」
静かな夜のムードに合わない、溌剌とした声が飛んできた。何故か上半身が裸の、彪姫 千代(
jb0742)だ。
「はいはい。どーぞ使って使って」
「わかったー!」
「……」
千代は頷くと、光を身にまとった。「破」の字と共に、右手に黒、左手に黄色の炎が発生する。同時に彼の持っていた阻霊符が、力を発揮した。
これで周囲一体の物質には、透過能力が行使できなくなる。
「来ましたよ、皆さん」
白い髪に赤い瞳のジョシュア・レオハルト(
jb5747)が、機甲弓を構えた。マフラーが敵の来訪を告げるかのように、風に靡く。
彼らの進行方向の先から、幾つもの足音が聞こえてくる――足腰の発達したディアボロ達だ。撃退士達を餌と認識しているのか、生え揃った牙の隙間から涎が滴っている。
数にして、八匹。
「俺を喰うつもりか?」
それまではクールで物静かだった御神島 夜羽(
jb5977)が、一歩前に出た。その足の脛で、漆黒の影のようなレガースが鈍く光っている。
奈津や千代も、それぞれ鉤爪とスピアを構えた。
「奇遇だな……俺もそのつもりだぜェ!」
夜羽の叫びと同時に、ディアボロと撃退士は一斉に駆け出した。
「君達は、もう人を喰い殺した」
レオハルトだけが、戦場から距離を置いたところで止まる。先行した味方達に合わせて、ディアボロの逃げ道を塞ぐような位置に陣取る。
手甲に装着されたリボルバーが回転し、鉄の鏃を装填――同時に彼の体を、白い光纏が包み込んだ。
光纏は炎のように揺らめき、機甲弓が引き絞る鏃へと伝っていく。
その間に、一匹のディアボロがレオハルトとの距離を貪る。
「……僕の炎は、君達を消し去りたいみたいだよ」
レオハルトが己のアウルを注ぎ込むと同時に、鏃が射出された。
鏃は、顎を開いて彼に迫ってきていたディアボロの口から尾の付け根に至るまでを貫通する。
勢いを失ったディアボロは道路上を滑り、レオハルトの足元で止まると、二度と動かなかった。
一撃で仲間が葬られ、高速道路上にいた他のディアボロ達は一瞬動きを止めた。体勢を立て直そうと透過能力を使おうとしたのだ。だが、阻霊符の効力範囲内では無駄なことだ。
その内の一匹の背後――闇夜だったはずの空間に、突然千代の姿が浮かび上がった。千代の持つ影のアウルから生まれた、無色の虎の輪郭が露になる。
「見つけたんだぞ! 逃がさないんだぞー!」
千代の持つ、蛇の咢を模した鉤爪が閃いたかと思えば、ディアボロの背がバッサリと切り裂かれた。
背後からの奇襲に倒れかけるディアボロに、今度は正面から奈津が迫る。
「串刺しにして、あ げ る♪」
白く輝くルーメンスピアの穂先が、ディアボロを貫いた。絶命を確認すると、奈津は即座に周囲に注意を払った。逃走を企てようとしているものは、今のところいない。
動揺こそしたものの、ディアボロ達も防戦一方というわけではない。
しかし夜羽に対して、は自慢の爪や牙、脚力を生かした突進が悉く回避される――まるで動きを予測されているかのように。
突進するディアボロとのすれ違いざまに、夜羽の脚が踊る。黒き雷と風を纏った蹴撃が描いた軌跡は、全部で八つ。
一瞬にして八度の斬撃が、ディアボロを襲った。
「どうやらテメェらの脚より、俺の蹴りのが強ェみたいだぜ」
瀕死状態のディアボロを、レオハルトが放った二本目の鏃が止めを刺した。
残るディアボロは、あと五匹――。
●同時刻:交差点
「……飢えた【獣】をこれ以上放置しておくわけにはいきません。一刻も早く退治しましょう!」
楊 礼信(
jb3855)が、小柄なその身に大きな決意を込めて宣言した。現場にやって来た時点で、高架の裏に巣食うディアボロ達の視線を感じていた。
その数、全部で四匹。
「今日の俺は機嫌が悪い、一匹たりとも逃すつもりはない」
アカーシャ・ネメセイア(
jb6043)は、事故の現場に花を手向けた。交差点の一角にはまだ、被害者の血痕が禍々しい印のように残っている。
「この埋葬の華に誓ってな……!」
ネメセイアは、決意を新たに己が翼を顕現させた。漆黒に輝く左翼と、純白に煌く右翼を羽ばたかせ、宙に舞う。
それが戦闘開始の合図となり、ディアボロ達も一斉に動き出した。高架裏から、その身を弾丸のように飛ばす。
ディアボロ達は高架裏や地面の他に、周囲のビルなどを利用し、ピンボールのように高速且つ不規則に跳ね回る。
「ちっ……」
宙に浮くネメセイアは、いわば格好の的だった――彼に攻撃する手立てがなければの話だが。
ネメセイアの両腕に、細長い炎が生まれる。まるで槍のような形をしたそれを、彼を狙ってきたディアボロ目掛けて放つ。
「飛んで火に入る夏の虫とは、このことだな」
一度突進すれば、ぶつかるまでは方向転換できないディアボロに対し、ネメセイアは確実に炎の槍を見舞っていく。
一方で礼信は、敵との戦力差を鑑みて盾を構えた。天使と悪魔の羽を象ったモチーフを持つこの盾は、ディアボロの爪や牙程度ならなんとか受け止められる。
「いきますよ!」
かといって、防戦に徹するわけではない。ネメセイアが放った炎の槍を受けたディアボロ目掛けて、針のような雷を飛ばして追い討ちをかける。
炎の槍と雷の針を受けたディアボロが、それでもネメセイアに向けて突っ込んでくる。
「好き勝手やれると思うな!」
ネメセイアの持つヒヒイロノカネから、二〇〇センチはあろうかというほどの大剣が出現した。
黒鉄色の魔剣、ルシフェリオン。巨大な刀身を、沸騰した血のようなアウルが覆っている。使用者であるネメセイアの髪と、よく似ている。
身に余る巨大な剣を、ネメセイアは軽々と振るった。魔鉱を用いた武器は、特異体質の彼にとっては手足のようなものだ。
鋭い一閃が、ディアボロを両断する。ネメセイアは素早くその場を離れ、敵の出方を窺った。
まだ一匹、炎の槍を受けてないディアボロが残っている。
●高速道路:中盤
只者ではない餌たちの逆襲に、五匹のディアボロはじりじりと追い詰められていった。
四人の撃退士が、ディアボロ達をまとめて取り囲む。
「よっしゃー! 任せるんだぞー!」
千代が統制の取れていないディアボロ達の中心に飛び込む。千代の着地した地点を中心に、高速道路の表面に薄氷が広がっていく。
影とアウルが、屈んだ姿勢の千代から青き虎を生み出した。道路上だけでなく、空中にも小さな氷の欠片が舞い始める。
青き虎は凍てつく痛みを伴うだけでなく、眠りへと誘う魔性をも秘めていた。
その誘惑に負け、二匹のディアボロが餌を前にして眠気に倒れる。
眠ったディアボロに、すかさずレオハルトが狙いを定める。
「性能の低い個体だけど、これぐらいなら……」
鏃が、ディアボロに突き刺さる。
その拍子に目を覚ますも、既に目の前にた夜羽に対応できるはずもない。
夜羽の脚が、八つの斬撃を繰り出した。文字通り八つ裂きにされたディアボロの破片が、ボロボロと零れ落ちる。
「オイオイまだ喰い足りねェぞオイ!!」
感情を昂ぶらせた夜羽の雄叫びにディアボロのうちの一匹が、高く跳躍し、近くのビルへと逃走を図る。
「逃がさないわよ!」
同じく跳躍した奈津が、逃げようとしていたディアボロに槍を突き刺した。そのまま、ディアボロを下敷きにして高架下へと落下していく。高速道路への損害は、少しでも避けたかった。
「こっちもそろそろ行くかァ……」
夜羽はわざと隙を見せながら、残る二匹のディアボロの注意を惹きつけた。所詮飢えた獣だ。狙いやすそうな獲物に飛びつくのは必然だった。
そのままディアボロに自分を追わせ、夜羽は高速道路の縁から高架下へと飛び降りる。彼の思惑通り、二匹が後を追いかけてきた。
レオハルトは、脇にあった非常階段を駆け下り、踊り場に陣取った。千代が事前に配っておいた通信機を用いて、既に交差点にいる二人へ連絡しておく。
高速道路には、眠っているディアボロと千代だけが残った。姿を消すまでもない。
「お前は悪いやつなんだぞ! 俺がガオー! ってやっつけるんだぞー!!」
わざわざ高らかに宣言してから、ディアボロ目掛けて鉤爪を振り下ろした。ディアボロが息絶えた後、取り残しがいないかを確認してから、千代も高速道路から飛び降りた。
●交差点:終盤
礼信に連絡が入ってきたのと、視界に夜羽の姿が見えたのはほぼ同時だった。
ネメセイアと礼信が交戦中の交差点上空に、夜羽と二匹のディアボロが乱入する。
「っ――まずい!」
ネメセイアが叫ぶ。
既に交差点にいた四匹のうち一匹は倒し、二匹はダメージを与えている。だが、残る一匹はほぼ無傷だ。
翼を持たないまま落下する夜羽は、自身を追いかけてくるディアボロに気を取られていた――故に、真横からの突進に気づけなかった。ほぼ無傷の一匹が、奇襲をかけたのだ。
「何!?」
夜羽はなんとか身をよじってかわそうとするも、ディアボロの爪は彼の腹部を抉り取った。
「御神島さん!」
体勢を崩して落下した夜羽の元に、礼信が駆けつける。
「大丈夫ですか?」
礼信が、夜羽の負った傷口に向けて光のアウルを注ぐ。傷口付近の細胞が活発化し、治癒を早めたのだ。
隙だらけの二人を守るようにして、レオハルトは機甲弓で矢を放った。ディアボロ達を威嚇しつつ、逃走する隙も与えない。
飢えているディアボロ達は、手負いの夜羽を狙っていた。無傷の一匹が、再び彼目掛けて突進する。
「させるか!」
ネメセイアの手から、結晶化したアウルが放たれた。蛇腹状のそれは鞭のようにしなりながら、夜羽に向かっていたディアボロを斬りつける。絶対零度の蛇が、ディアボロを交差点へと叩き落した。
同時に、上空から別のディアボロごと奈津が降ってくる。落下の衝撃で、槍は更に深く突き刺さった。腹部にぽっかりと風穴を穿たれたディアボロは、ぴくぴくと痙攣した後、動かなくなった。
「散々人食ってきたのに腹空かしてんじゃないわよ、まったく」
しかし、まだ五匹のディアボロが残っている。レオハルトの弓だけでは、対処しきれない。
そこに――
「ドカンドカンやるぞー!」
近所迷惑必至の大声を上げながら、千代が交差点へと降り立った。既に彼は、アウルによって鋼の虎を生み出している。
うち一匹のディアボロの頭上から、漆黒の十字架が降ってくる。まるで、その体を縫い付ける楔の如く。
十字架が消滅した後、ディアボロは目に見えて動きが鈍くなった。
「でかしたぜ、半裸ァ♪」
むくりと半身を起こした夜羽が、極度の重力に苦しむディアボロに向けて手をかざした。五指には、鎖で繋がれた焔のようなデザインの指輪が嵌められている。
「五つの弾丸……自慢の脚で避けてみろよ」
夜羽の言葉通り、かざした手の先に五つの火玉が生まれた。
火玉は一番近い位置にいたディアボロに向けて、真っ直ぐに飛んでいく。
同じディアボロに対し、レオハルトも狙いを定めていた。
「……僕の炎もね」
夜羽の火玉と、レオハルトの矢が同時に炸裂し、ディアボロは一瞬で炭と化した。
残るは、四匹。
既にディアボロ達はそれぞれ逃走を目論んでいたが、上空も含めて撃退士達が囲んでいた。もはや獣達を支配するのは本能的な恐怖だった。
一匹が、やけくそのように叫びながら、一点突破を試みる。
「よーし! もっかい行くんだぞー!」
一番近くにいた千代が再び、青き虎を顕現させた。影のアウルから氷の世界が広がり、ディアボロを襲う。本能が眠気に負け、ディアボロはその場に倒れて眠りに落ちた。
非常階段を降りきったレオハルトと、槍を構えた奈津がその一匹を狙う。左右からそれぞれ槍と鏃を受け、ディアボロはまどろみと痛みの中で息絶えた。
その隙にと、一匹が高く跳んだ。だが――
「俺を忘れたか?」
上空で待ち構えていたネメセイアの手には、悪魔の紋章が握られていた。
黄金の狐をモチーフにしたシンボル――強欲の悪魔マモンの名を冠する魔界の武具だ。
紋章が輝いたかと思うと、次の瞬間には金色の矢が空を裂いていた。紋章から放たれた黄金の炎が、高架裏へと向かっていたディアボロを撃ち落とす。
更にそこへ、畳み掛けるようにして礼信の雷の針が突き刺さった。空中で不気味なダンスを強いられるディアボロに、とどめ言わんばかりの五つの火玉――夜羽の焔のリングが炸裂する。
「やるじゃないか」
「さすがです」
「当然だろォ?」
残るディアボロは二匹だが、両方とも完全に戦意を喪失していた。撃退士達に囲まれた絶望的な状況下では、もはやなす術などない。
場所は交差点。いくら暴れても、これ以上高速道路が傷つく心配もないだろう。
「――言っておくけど、僕は怒らないわけじゃないからね? 君達みたいな獣を、そのままにはしておけない。だから、全力で狩る」
レオハルトの機甲弓を川切りに、撃退士達は一斉に動き始めた。
飢えに任せて人間を食い殺したディアボロに対する末路は、自身らの所業をそっくり返されたかのような悪夢だった。
●手向けの花
戦いは終わった。最後の二匹は、もはや誰がとどめを刺したのかすらわからない。
ディアボロの全滅を確認し、一息ついている撃退士達を尻目に、奈津はこっそりと高速道路へ続く非常階段を上っていった。
高速道路上の片隅に、そっと花を手向けて合掌する。犠牲になった者達が、せめて安らかに眠れることを祈って。
あまりこういう姿は人に見せたくないのだが――
「あれー、何やってんだー?」
「なっ……!」
いつの間にか彼女の隣には、千代が立っていた。月明かりに照らされる上半身が眩しい。
「が、柄じゃない事するもんじゃないねっ」
奈津は強引にその場を誤魔化した。
その様子を、少し離れたところからネメセイアが眺めていたのを、二人は知らない。
彼もまた、高速道路の方に花を手向けようとしていたのだ。
戦いは終わった。だが、それ以前に亡くなった者達への弔いは、決して終わらない。
天魔との決着が、つかぬ限り。