●空から落ちる昏き影
「どうにも、きな臭いねぇ…」
撃退署で状況を把握し、アサニエル(
jb5431)は腕を組んで唸る。
「手掛かりはカラスと町道に時刻か…ん〜、まぁ出来る限りのことをするしかないかねぇ」
九十九(
ja1149)は困ったように眉をハの字に曲げた。
「ヤタガラスが、人をさらう……」
ラグナ・グラウシード(
ja3538)は、訝しむように窓の外の空を見上げた。
「偵察を主にしていた敵だったように思うが…何を企んでいるのだ」
「天の傀儡共の目撃された話がない辺り慎重に動いているようだな…」
ケイオス・フィーニクス(
jb2664)もまた、顎に手を当てながら思考する。
今回の件で一番不可解なのが、ヤタガラス以外に天使やサーバントの姿が目撃された情報がないこと。
その認識は、その場に集った撃退士の多くが抱いていた。本人も半信半疑だが、ラグナの言う通りヤタガラスがさらっているのか、それとも何か別にトリックがあるのか、それも見極める必要がある。
加えて、だ。
「何にせよ、この地で何らかの準備を進めているのは確実なようだ…時はあまり無いやも知れぬぞ?」
その「何らか」が果たして何であるのかは、今の段階でははっきりとしたことは何も分からない。だが、
「ひょっとすると、ゲート、か?
少なくともゲート絡みかもしれねェ」
ヤナギ・エリューナク(
ja0006)はそう推論を立てる。
ありえなくもない、どころか、十分にあり得る話だった。行方不明になった住民たちが既にそのゲートを介し天界へ、サーバントの素材として送られたという最悪の可能性も含めて、だが。
いずれにせよ、これ以上の被害拡大を防ぐ為には行動を起こさなければ始まらない。
「現場百回とは言ったもんだけど…さてさて」
天魔相手に通じるか、と自問自答し鷹代 由稀(
jb1456)は苦笑するも、まずはより多くの情報を集める必要があった。
●消えた人々
調査の仕事はどうにも苦手なんだがな、と呟きつつ、大澤 秀虎(
ja0206)は町を練り歩く。
こういった仕事の基本はとにかく歩いて聞き込むこと――どうにも好きになれない作業ではある。が、そんなことを言っていても仕方がない。
行方不明者の一人が最後に目撃されたという地点に向かいながらも、道行く住民に簡単に話を聞く。
基本的には小さいコミュニティである。噂が広まるのは早いもので、撃退士たちの許へ依頼が舞い込んだとき以上に多くの住民が事件について知っていた。故にその話を出すと露骨に恐怖心を見せる者もいたが、
「烏はあっちの方で最近よく鳴くなあ」
それでも秀虎の質問には、指差ししつつ答えてくれた。
「山か」
「急に騒がしくなったもんだ。だからといって、ゴミを荒らされたりとかそういったことはないんじゃが」
もういいかいの、と、どうやら帰宅途中だったらしい老人は早く帰りたいといった態度を隠さなかった。これも噂の広がりのせいだろう。
近くの家の中へ姿を消していく老人の背中を見送った後、
(……後で山のこと調べないとな)
考えつつ、秀虎はまた歩きだした。
秀虎同様、アサニエルも烏や行方不明者の目撃情報を調べていた。
撃退署の撃退士や、(やはりやや恐怖の見え隠れする)住民たちから得た目撃情報を用意した地図に書き込んでいく。
「えっと、ここからこう来てこう向かってるんだから……」
むう、と、暫く動かしていた手を止め、そこまで書き込んだ軌跡を見下ろして首を傾げた。
「山、ねぇ……それにしちゃ、ばらけている気がするけど」
藤里町は、北側の大部分を白神山地を組織する山々が占めている。
書き込んだルートは、最終的にそちらへとたどり着くのだが――向かう先にある山は、情報によりばらばらだった。空を自由に動ける烏の情報だけなら兎も角、行方不明者の目撃情報までもがそうとなると何とも判断しにくいところではある。
――と、思案する彼女の耳に、烏の鳴き声が聞こえてきた。
空を見上げる。数羽の烏の群れが、情報通りある山の方向へと飛び立っていく。
ふと思い立ち、その様子を凝視する。
「さて、白か黒か……まぁ、烏だから黒いんだけど」
此処とは異なる世界のモノを認識するその瞳が、群れの中の不自然さを気づかせた。肉眼ではおそらくどんなに目を凝らしても気づかなかったろうが、曇り空の鈍色の中に僅かに黒い輪郭が浮かび上がる。
群れの中でぶつからないように巧妙に動いているのか、他の烏たちが気づいている様子はなく、そのまま情報通りに山の方へと飛び立っていく。
これまで集めた情報からして、今の群れを深追いしても実入りがあるとは限らない。だからアサニエルは追わない代わりに、自分が目にした群れの動きも地図へ書き込んだ。
セレス・ダリエ(
ja0189)も、アサニエルと同じ烏の群れに気づいていた。
異界認識のない彼女には、その中にヤタガラスが含まれていることまでははっきりと分からなかった――暫く見つめていたところ、急に群れが騒ぎ出すまでは。
それは、やはり山の上にきてからだった。
その地点の真下には何かありそうだとは思いつつも、今は気に留めておくだけにしておく。
彼女もまた同じように人々から情報を集めていたけれども、秀虎やアサニエルが掴んでいる以上のものを得ることはなかった。
由稀は三人とは別の方向から検証を始めていた。
「夕方近くで目撃者がいないってのもなぁ…まあ、出来なくはないけど。実行犯が天魔ってんなら尚更ね」
まず最初に考えたのは、ヤタガラス自体が人一人を輸送可能かどうか、といったところからだった。
ただし、すぐに「それはないだろう」という結論に行き着く。過去の報告書に上がったヤタガラスの特徴を考えると、どう考えても『実行犯』向きの性質ではない。
別に実行犯となる天魔がいるのではないか――とも考えたが、引きずったような跡など異形の痕跡も特に見当たらない。
となると、だ。彼女は調べていた現場の近くにある、町唯一の駐在所へ向かった。
「…現場周辺で逃げ込めそうな場所ってある?」
「ふむ?」
駐在所員は彼女の質問の意図を一瞬では掴みかねるようだった。
「ヤタガラスが拉致役じゃなくて、猟犬役だったとしたらありうる」
そう解説を加えたところで理解したらしく、地図を広げた。
那斬 キクカ(
jb8333)もまた、ある意味別の視点から検証していた。
行方不明者が発生した日に現場を通っても、被害に遭っていない人もいるのではないか。
現場から比較的近くにある家をあたってみると、実際にそういう人はいた。
「通っていて、普段と違う感じはしませんでした?」
「違う感じ、ねぇ…」
その住民は、一生懸命思い出すかのように頭を捻る。
「そういえば……何か、匂いがしたような……?」
「どんな匂い?」
「花の匂い、かねぇ。この辺は見ての通り畑になってるから、普段は土とか肥料の匂いが強いんだけど」
なるほど、とキクカはメモを取る。それは違和感としては十分な情報だった。
「あともう一つ。この辺りの山で、烏の住む山ってどこですか?」
「大体どの山にもいるけど……最近多いなって思うのは、駒ヶ岳方面からくる烏かねえ」
ありがとうございます、と一礼して住民の家を出たところで、キクカは顔見知りに出くわした。
その顔見知り――藤村 蓮(
jb2813)は、目撃情報などの聞き込みは他の撃退士がやっているので十分、と考えていた。
だから彼が尋ねたのは、
「休みの日に集まるような…公民館とか、教会ってない?」
というもので、事件に直接関与しているとは考えにくいそれに対する答えは、いとも簡単に返ってきた。
「山の麓の教会、ねえ……」
書いてもらった地図に目を落としながら、町道を歩く。するとちょうど家から出てきたキクカの存在に、彼も気づいた。
「どこへ行くの?」
「ちょっと、教えてもらった教会まで。何か手がかりはあるかな、と思って」
なるほどね、とキクカも一つ肯き――それから、問うた。
「……戦うのは嫌いだったと思うのだけれど?」
「あー、うん……」
蓮はやや躊躇いがちに肯く。
実際、戦うことをこれまでずっと避けてきた。今回この(おそらく戦闘を伴うことになる)依頼に身を投じたのには、ある切っ掛けがある。
尤も、彼を知る人からすればどんな切っ掛けにしろ驚かれることは間違いないだろう。それは彼自身が一番理解していた。
「苦手な事は任せておけば良いと思うよ」
その言葉に、蓮はもう一度肯く。
「戦い方も全然わからないしね……」
そんな身で、積極的に戦闘に加わろうとまでは思っていない。他の撃退士の戦いぶりを見て、少しずつ学んでいくつもりだった。
そう伝えると、「そっか」とキクカは肩を竦め、歩き出す。
蓮の横を通り過ぎようとしたとき、彼女は一度足を止め、
「まあ何があったかは知らないけれど、君らしさ、は忘れないようにだよ」
そんなことを言ってきた。分かってる、と返すと、それじゃまたあとで、とキクカはそのまま歩き去っていった。
暫くその背を見送った後、蓮もまた、目的地へ歩き出し――少し歩いたところで、また別の撃退士と遭遇する。
「お?」
T字路の別のところから歩いてきたのはヤナギである。
お互い、目的地を持たずに歩いているわけではない――というのは、それぞれが目を落としていた地図の存在からしてすぐに分かった。
ついでに、ヤナギの目的地が蓮のそれに一致する、ということも。
「伝承とか聖地…そんな感じのゲート候補地がないかと思って情報を集めてたら、ナ」
「なるほど」
蓮が知っている情報では、教会といっても今はそれ自体の機能はほぼ果たしておらず、実質的な公民館と化している。
だが、それを差し引いても『教会』という名前だけで何か感じるものはある。
二人は一路、教会へと歩み始めた。
「すぐ殺す、とは思えんのだ。特に、感情を奪おうとする天界側の連中なら」
攫われた人間は、どこかに閉じ込められている可能性が高い――ラグナはそう考えていた。
事前のキクカの呼びかけもあり、各々が集めた情報は随時、撃退署の撃退士を通じまとめられて各自の携帯電話に送信されていた。
その為、目撃情報については彼自身が集めたものも含め既に十分集まったとも言える。結論として目撃情報そのものには、烏の鳴き声以外に有益な情報は見出だせなかった。
ヒントとなりそうな情報は、山、花の匂い、そして教会。
ちょうどヤナギと蓮が向かっている教会についても、幽閉場所の1つとしてラグナは目星をつけていた。
『あまり人が集まらない』という彼が想定した条件には当てはまるものではないが、山の麓にあることを考えると引っかかる場所ではあった。
もう1つの想定条件である、『歩いては行きにくい場所』になりそうな幽閉場所もないことを踏まえて、彼は事前に同行を依頼していた撃退士とともに教会へ向かうことにした。
ラグナがT字路へ到着したのは、ヤナギと蓮が同じ地点で合流するより十分ほど前だった。
そこで彼は、思わぬ光景を目撃する。
「ヤタガラス……!」
空を見上げると、騒ぎ立てる烏の群れの姿があった。それもかなり低い位置だ。
烏はただ騒いでいるだけでなく、空中で何かを追い立てるように飛び回っていた。その何かの姿ははっきりとは見えないが、今更考えるべくもなかった。
同行していた撃退士にダアトもいたため、烏の追う先を狙ってエナジーアローを放つ。
――空と同化していた色が、一カ所だけ黒く染まる。同時に、その黒――ヤタガラスがよろめくように高度を更に下げた。
「…最近リア充を滅殺していないな」
ここまでくればラグナでも届く。小天使の翼で空へ浮かぶと、ツヴァイハンダーを高く頭上へ掲げる。
「その分たまった私の鬱憤、喰らうがいいっ!」
リア充に対する妬み憎しみ恨み怒り、に言葉通りの鬱憤を加えた渾身の一撃が、ヤタガラスを深々と切り裂いた。
それを見たせいか、ただの烏の群れはヤタガラスに興味を失ったのか空へ飛び去って行き――ヤタガラス自身もまた、もはや能力を使う余裕もない中ふらふらと空へ飛び上がっていく。
仲間への連絡はヤタガラスを切り裂く前にしてある。ラグナたちはそれ以上追撃はせず、ゆっくりと逃げていくヤタガラスの姿を地上から追った。
途中、その姿を見かける撃退士がいた。九十九である。
目撃現場の1つに赴いていた彼は、その近辺にある木の枝の上に立ってヤタガラスの動きを見張っていたが――引っかかったのは弱っているヤタガラスと、それを追う撃退士たちの姿だった。
(これは……放っておくと逆にまずいかもねぃ)
撃退士の一人にマーキングを撃ちこんでおき、もう少しその場で様子を見ることにした。
ラグナたちが行き着いた先は――案の定、駒ヶ岳の麓にある教会だった。歩いていけなくもない、というか舗装されていない道の先にあるため寧ろ一般人には歩いた方が楽かもしれない。
教会の外へと立ったラグナたちは、辺りを包む異様な気配にも当然気がつく。発生源は教会そのものか、或いは周囲の森か――いずれにせよ、この場所での戦いは避けられそうにない。
「教会の中は……どうする? 見ておく?」
「……」
同行していた麻乃の言葉には、ラグナを含め誰もが即答できなかった。
もしも教会の中に行方不明者がまだ残っているのであれば、戦いをそのまま始めるのは危険かもしれない。外にいるサーバントが教会内に踏み込んで来ないにせよ、中に最初からサーバントがいたなら人質に取られる可能性はある。
また、先に外にいるサーバントを討伐したところで、中に既に行方不明者がいないのであれば時間と手がかりを失いかねない。
判断に迷っていたところ――先に、サーバントが動き出した。
「オイオイ……これもう始まってる感じだナ」
教会へいたる畦道を歩いていたヤナギと蓮は、目指す先にある場所がにわかに騒がしくなったことにすぐに気がついた。
蓮が事前に文面だけ打ち込んでおいたSOSをセレスとキクカに送信し、ヤナギは全員に向かって教会の異変を知らせるよう、撃退署に残っていた撃退士にメールする。
それから二人も、畦道を駈け出した。
●深き森の激闘
ラグナに同行していた撃退士は、麻乃を含め三人。
対し、教会周辺の森から現れた敵は――鬼蜘蛛、燈狼とホーリーシスターが四体ずつ。
圧倒的に多勢に無勢、かつ、能力的に前衛に立てるのはラグナと麻乃のみだった。
最悪なことに、鬼蜘蛛のうち二体はほぼ同時のタイミングで撃退士たちの両側面から現れた。
撃退士たちはそれぞれに迎撃の態勢を整えたが、魔法や銃弾は巨体を捉えることも出来なかった。更にそれよりほんの少しだけ前に姿を見せていた燈狼、これもまた二体が、鬼蜘蛛が現れた瞬間にそれらの周りに蜃気楼を生み出していたからだ。
足の遅い鬼蜘蛛でも、巨体にものを言わせれば距離を詰めるのは早い。
「く……」
前衛二人はインフィルトレイターとダアトの前に立ち、それぞれに向かっていた鬼蜘蛛の脚を防ぐ。とっさにスキルを用い軽減したとは言え、重い攻撃であるのには変わらない。
更に――その時には鬼蜘蛛の残り二体が、教会の裏から姿を見せていた。そのまま両者とも猛烈な勢いで突撃を開始し――結果的に、撃退士は四人全員がその猛進に巻き込まれる。
ラグナ、麻乃以外の撃退士は旧制度の久遠ヶ原の出。それ故、撃退士としてのスペックはどうしても現制度に比べると劣る。耐久性に欠けるジョブであることもあり、その強烈な一撃だけで意識が吹っ飛ばされた。
残る二人にしても、ガードの横から吹っ飛ばされたのだからダメージは大きい。麻乃がライトヒールをラグナに向かって施すが、それだけで塞がり切る傷ではなかった。
続いて行動を開始した燈狼が、二人のうちまだ近い距離にいるラグナに向かって牙を剥こうとする――が、その前に横から颯爽と現れる撃退士の影があった。
「わ……ッ」蓮である。
小太刀の届く射程を意識して移動したところ思いの外近くなってしまったが、敵の反応よりも早く刃を振るう。
認識障害を伴う一撃により、燈狼の身体は傾ぎ、踏みとどまりはしたものの返す牙は蓮にかすりさえしなかった。
「うっわ多いナ!」
続いて飛び出してきたのは、無論蓮と同行していたヤナギである。
最初の攻撃を行った鬼蜘蛛はすぐさま移動していたが、突撃を行った二体は停止したその場から移動できずにいる。
本来ならニンジャヒーローで挑発するところだが、その必要もなかった。それらを標的と見定めたヤナギは側面に回りこむと、雷遁を放つ。
移動できないどころか麻痺状態に陥ったところで、すぐさま二体の鬼蜘蛛に暖色の灯りが降り注ぎ傷を癒していく。
「女か……」チ、と小さく舌打ちをする。見るまでもなくホーリーシスターの仕業だろう。
その頃にはヤナギには別の燈狼が迫っていたが、その牙をどこからか吹き込んだ紫紺の風が包み込み、突然のことに驚いたサーバントの攻撃はヤナギから逸れていく。
次に合流した九十九の放った矢が、その風の正体だった。
援軍のように少しずつ、少しずつ撃退士の数が増えていく。
だが、支援の数は多かれど、前衛の数は不足していたと言わざるを得ない。
それともう1つ、知らせを受けた場所と戦場が極めて離れていたという純粋なる不運だが、もうひとりの回復の使い手であるアサニエルの合流が遅くなったことも傷を増やす原因となった。
「近づいて来ないならこっちから行くぞ」
秀虎はショットガンを放って鬼蜘蛛の狙いをこちらへ惹きつけようとするも、他にもいたるところから足止めの射撃等が行われていた為効果的とは言えなかった。
自分から接近して金剛夜叉の逆手抜刀を放とうとするも、直前に燈狼が施した蜃気楼に惑わされ――攻撃は空を切る。それ以前に秀虎の小太刀で攻撃を受けていた燈狼も勿論無傷ではなかったが、何より攻撃性能の高い鬼蜘蛛の生存を優先していた。
そして生きながらえた鬼蜘蛛が、複数の脚で一度に秀虎に襲いかかる。逆手抜刀故にがら空きだった左の脇腹を貫かれ、秀虎は苦悶の表情を浮かべた。
その背後へ迫る、第二の鬼蜘蛛。
――前衛として護りに出られるラグナと麻乃は、最初のダメージが大きくそれ以前に気絶状態に陥っていた。意識を取り戻すのにもまだ時間がかかりそうで、庇いに入れる者はいない。
背後に迫った鬼蜘蛛が、上空からケイオスが放った獄炎の球によって秀虎から引き剥がされた時には――しかし既に、秀虎も気絶状態に陥っている。
これで前衛を張れるのはヤナギに加え、救援にやってきた撃退署のディバインナイト一人。蓮も近距離戦を挑んではいるが、如何せん誰かの護りに入るというのには、戦う方も探り探りである以上余裕がなかった。
そのヤナギは鬼蜘蛛のうち秀虎を襲った一体と、蓮へ狙いを定めているらしいもう一体の間に入るとニンジャヒーローを発動しそのまま移動する。
二体が直線上に入ったところで、再度
「喰らいナッ!」
雷遁を放つ。また二体ともがダメージとともに麻痺状態に陥り――先程はここでホーリーシスターの回復が入ったが、今度はそれがなかった。
というのも、
「後ろから回復をされるのも厄介だからね」
上空で戦場を駆けたキクカが、ホーリーシスターに狙いを定めたからである。加え、フリーランスの阿修羅も(こちらは地上からだが)同様にホーリーシスターへ向かっていた。
キクカが放った澱んだオーラはシスターの一体を包み込み、それを舞い上がった砂塵が覆っていく。局所的に吹き乱れた風が収まった時には、そのシスターは石化状態に陥っていた。
阿修羅が接近戦を挑んできたことも、シスターにとっては契機になったのだろう。それまで胸の前で掲げていた燭台が急に伸び、シスター自身も姿を変える。
「危ないっ!」キクカは阿修羅に向かって叫んだが、間に合わない。
動けるシスターは三体。うち一体は直前の阿修羅の攻撃で負傷していたものの、地上の標的を囲い込むには十分だった。剣と化した燭台が次々と阿修羅に襲いかかる。
――と、三体目の攻撃は阿修羅ではなく、キクカへと向いた。勢い良く振りぬかれた剣から生み出された真空波が、キクカへと襲いかかる。
寸でのところで直撃は免れたが、何度も食らうのは危険であることは掠めただけで分かった。
(もうひとり、援護が欲しいところだね…)
胸中で呟くものの、後背の戦況に言うほどの余裕はない。
「ふん、幻術の類か…。
ならば一切合切全て我が業炎で焼き尽くせばいいだけだ…我が領域にうかつに踏み込んだことを後悔するといい」
上空で厳かに言い放つケイオスの鎌が振るわれると、その軌跡から無数の炎の球が生み出された。
それは燈狼を、本体だろうと分身だろうと構わずに焼き払っていく炎。
同様に地上からは、セレスが放った強大な火球が燈狼が複数見える範囲を呑み込んでいった。
幻術だろうと、本体ごと巻き込んでしまえばいい――。
その単純かつ豪快な戦略な少なくともこの場に於いては正解であり、燈狼の脅威は薄れつつあった――が、問題は鬼蜘蛛だ。
如何せん、残りすぎていた。最後に合流したアサニエルが真っ先に麻乃を立ち直らせ、二人がかりで周囲の撃退士に回復を施していくも――前衛を回復するとすぐに狙いに来る。
二人揃って回復の手段が尽きる頃合いになっても、その状況に変化はなく。
回復以外の手段をとっても、ケイオスの獄炎の輪舞曲やセレスのファイヤーブレイク、ヤナギの雷遁といった戦局を変えるのに有効だったスキルは、鬼蜘蛛を掃討しきる前に使い切っていた。
燈狼こそ一体を除いて全滅させていたが、ホーリーシスターのうち三体が健在であることを考えると、余力が足りない。
アウルによって形成された無数の妖蝶を解き放ってから、孤立気味だったキクカ自身は上空を舞い戻ってくる。
空を舞う騎士型のホーリーシスターは、蝶の攻撃に巻き込まれた一体を除いてキクカを追ってきたが――見かけ上はほぼ全員が立っている撃退士たちの姿を見て、追撃を止めた。
シスターのうち一体が剣を高く掲げ、そのまま森を指し示すと――サーバントの一団は、一斉にそちらへと退却を開始した。
●
果たして、行方不明者たちは教会の中で昏倒していた。
まだ息はある。どうやら継続的に催眠効果を浴びていただけらしく、少し力を込めて揺り動かしたところ目を覚ましていった。
「結局のところ、どうやってここまで連れて来られたんだろうね?」
アサニエルが首を傾げる。
点となるキーワードはいくつも出てきた。だが、肝心の線となってはいない。あちこちに飛び去って行くヤタガラスと、この場所の因果関係が見当たらない。
「そういえば、行方不明になっていない中に花の匂いを嗅いだって人がいたね」
キクカが思い出したように言うと、「それ」反応を示したのは、行方不明者のうちの一人の青年だった。
「俺も嗅いだ。滅多に嗅いだことのないような強い匂いだったから、どこから匂っているんだろう……と思って空を見たらちょうど烏が騒いでて…。
烏が飛んでく方から匂いがした気がしたから追い掛けてって……あれ、なんか途中から覚えてないな……」
曖昧な男の言葉だったが、行方不明者の殆どに同様の覚えがあるらしくその場がややざわめいた。
「ある程度の時間、嗅ぎ続けると催眠状態に陥らせる匂い…か?」
「その時間を稼ぐために、あえてただの烏の中にヤタガラスを混ぜ、烏に見つけさせることで目立たせる…」
由稀とキクカがそう推測を立てる。
中には、烏の行方を追い始めた時点では教会とは全く違う方向にいた者もいるという。催眠をかけられてからこの場所に集められた、と考えるのが自然だろう。
そして、この場所に集められたことに理由があるとすれば――ヤナギの推測するところの、ゲート、なのだが。
「天使がゲートを作っていたような痕跡は残ってねェな…」
それなりの頻度で使われているらしい施設に、特に変わった様子はない。まだ準備を始める前だったか、それとも――。
いずれにせよ、撃退士たちには追討する余力はなかったし、意識を取り戻した人々をこのままにしておくわけにもいかない。
今回のところはこれで引き上げざるを得なかった。
一方、逃げ帰るサーバントたち。
傷ついていないものはなく、戦場から散り散りになったその足取りは一様に重い。撃退士たちにもう少しだけ余力があったのならば、追討することも可能だったかもしれない。
――しかし、今回に関しては下手に消耗をした状態で追撃をしなかったことは正解かもしれない。
サーバントたちはやがて、山中のとある開けた場所へ集合する。
その中心に、
「やはり、撃退士が来ていましたか」
菫色の修道服を身に纏った天使が立っていた。
艶やかな唇は、慈愛に満ちた微笑を浮かべ。
一方で琥珀の瞳は、全く笑っていなかった。
冷ややかに細められた視線はサーバントのいずれでもなく、遥かその先――撃退士たちが下っていったであろう町へと注がれる。
「仕方がありません――時間を少し稼ぐついでに、弄んであげる必要がありますね」
静かに呟く彼女には、撃退士へ対する殺意はなかった。
否、誰に対してもない。悪魔へ対してさえも、だ。
彼女の精神は、そんなものはとうに超越した領域に行き着いている。故に殺意という感情自体、忘れてしまっていた。
排除する為だけにある邪魔者に対して、殺意など抱く必要すらないのだから。