●Walkin' in the dark
月明かりだけが光源となっている夜の下。
廃工場の周囲を包んでいた静寂を、幾つもの足が砂利を踏み鳴らす音が鈍く破る。
「また妙なディアボロが居たモノね…。良いわ、駆逐してあげる」
続いて響くは、女の声。ケイ・リヒャルト(
ja0004)はそう言って妖艶に微笑んだ。
「石化の能力に擬態の能力、ね。
ディアボロにしては随分想像力が高いわね」
小夜華・クレメンティア(
jb6045)の言葉に、牧野 穂鳥(
ja2029)が小さく首肯する。
「雰囲気的に古い映画を思い出します…」
あちらで並んでいたのは石像ではなくマネキンでしたけれど、と映画のワンシーンを思い出しつつ呟く。
「石にされた人達、元に戻す事は出来るのかな?
それなら、石像傷つけないように気を付けて事に当たらないと…ギア、注意点を上げただけで、別に心配してるわけじゃないんだからなっ」
一方、そんなツンな台詞を宣う中性的な美少年――蒸姫 ギア(
jb4049)の姿もある。
彼から数メートルほど離れた所では、早くもナイトビジョンを装着したソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)が「んー」首を捻って難しい顔をしていた。
「どうした?」その様子を見かねた真柴 榊(
jb2847)が話しかけると、「いやね」ソフィアは仲間たちの方へ向き直る。
「作成してくれてるマップもあるけど、やっぱり直に確認もしておきたいからね。マップと位置が違ってたりすると怪しいって判断もできるし」
つまり彼女は、工場の窓等から中の光景が見えやしないか、ひいてはマップとの違いを見いだせないか試みたのである。が、
「こっち側、窓ないみたいなんだよね。回り込めばあるかもしれないけど……」
下手な迂回はしない方がよさそうだ、とソフィア自身判断していた。
月を光源として使える向きは今自分たちがいる側だけな上に、敷地を隔てる外壁は、回りこむと相当工場の壁と近い。
そこで何かしら――例えば、窓に張り付いたディアボロの襲撃などがあった時の対処は難しそうだったからだ。
「……虎穴に入らずんば、か」
報告を聴いて、アスハ・ロットハール(
ja8432)はそう漏らす。
「難しい。よくわからない。
とりあえずなぐっとく」
淡々としたルーファ・ファーレンハイト(
jb5888)の言葉に、アスハは短く思考した。
そうだ。殴るだけではないにせよ、取るべき手段は、初めから絞られている。それがいま、候補から一つの確信へと変わっただけだ。
「…さて、仕事だ。やるか」
思考を打ち切ったのは、自ら下した号令だった。
――まるで待ち構えていたかのように開いていた扉を、撃退士たちはゆっくりとくぐる。
ルーファがひとり、入口すぐ横のスイッチ前で待機。他の撃退士たちは、ナイトビジョンがある者はそれを装着し慎重に歩を進め、持たぬ者はその後に続いた。
間もなく、先頭に立っていたアスハが足を止める。その視界の先には、足をもつれさせながらも何かから逃げようとしている恰好の石像が建っていた。
「小夜華」
端的に名を告げられただけで、当の小夜華はその意図を察した。
掌を広げアウルの力を集約させるよう意識すると、一瞬の煌きの後にその掌の上に拳大の氷の結晶が生み出される。
「それじゃあ、この氷は貴方に任せるわよ?」
「ん」アスハはそれを受け取るや否や、数メートル離れた石像に向かって投擲した。
氷は石像に当たると涼やかな音とともに砕け散り、一方で石像には何の変化もなかった。石化された一般人であるらしい。
結晶を生み出す回数に限度がある以上石像一つ一つに対して同じ方法で確かめることは出来ない。
ある程度は予想で切り抜けるしかないが、その意味では最初の部屋での予測は容易だ。
先に侵入した篠井と船崎が明かりをつけた時、すぐさま反応したディアボロは、今も奥で堆積物に擬態している一体だけ。
三体ある石像のうち少なくとも一体は何の反応もなく、また刺激に連動して別の石像或いは堆積物が反応しなかったことを鑑みると、
「この部屋にいるディアボロは、あそこにいるのだけみたいだね」
ソフィアの推論に、撃退士の多くが同意を示した。
視界を保つ者たちの視線が、部屋の隅に積まれた堆積物に集中する。
「あっちの壁に背を向けて」同時に、ギアが暗闇の中で視界を保てない穂鳥や小夜華、榊に指示を出した。
あっち、とは外壁のことで、他の撃退士たちはアスハを始めとして言われるまでもなく外壁に背を向けている。
全員の姿勢が整った所で、
「よし……ルー、ここの明かりを、つけてくれ」
アスハがスマホ越しにそう指示を出し、数秒後、最初の部屋の明かりが煌々と照らされた。
そして。
「――ッ!」
明かりを灯す直前から梓弓の弦を引き絞り、神経を研ぎ澄ませていたケイの初撃。
風を切る短くも高い音を立てた後、鏃は床に衝突、アウルの力を失って霧散する。
一方その矢の速度に劣らぬ勢いながらも蛇行することでそれをかわし、撃退士の許へと迫る姿があった。
「させません」
穂鳥が人差し指と中指の間に挟んだ楓の葉を放り、そこに風が生まれる。
一瞬の変化を経て大量の紅葉を内包する暴風と化し、いよいよ至近まで迫りつつあった低い姿勢の影、堆積物の姿を保ったまま移動していたディアボロへ激突した。
朦朧とさせることは出来なかったようだが、少し離れた所で動きは止めた。
次の瞬間、堆積物から矢のような物体が放たれる。常人であれば目で追いきれるかどうかといた速度のそれを、黒い霧にうっすらと包まれたアスハがいなす。彼はそのまま接近すると、アウルの力を流し込んだ鋼鉄の杭を叩きこんだ。
深い砂に何かを突き立てた時のような音を立て、ディアボロの形が崩れる――が、
「まだだよ!」
ソフィアはそう叫んだ頃には既に魔法書を開いていた。
雷の剣はアスハの目の前を横切り、照明がついたことを機に隣の部屋から移動してきたであろう堆積物形状のディアボロの横に着弾する。
やはり蛇行しながら移動してきた為当たりはせず、今度は動作を停止させるにも至らなかったが、それでも鈍らせるには十分だった。
蒸気を伴うギアの符から放たれた雷撃が、今度こそディアボロに直撃し、
「こっちむく」
狙いであったろうアスハとは距離がある故かまた槍状の攻撃を行うとしていたディアボロの横から、ルーファがアウルを込めた金属バットを叩きつける。
再度砂を咬む音、それから今度はコンクリに金属が叩き付けられる音が響いた瞬間には既に、ルーファとは反対側の側面にラディウスサイスを振りかぶった小夜華が立っていた。
「これでまず二体、ね」
鎌が振りぬかれた痕には、ディアボロだった粒子が力も何もなく散らばっている。
「……あとどれくらいいるのかしら」
「回ってみないとわからないわね」止めを刺した小夜華の疑問に、ケイが答える。
この様子だと結構な数がいそうである。誰からともなく小さな溜息が漏れた。
●Suspicious darkness
石にされた一般人は、まだ戻らない。
これ以上最初の部屋には何もないと判断し、ルーファが再びスイッチの許へ向かった。
アスハの指示があった後、再び工場中が暗闇に包まれる。先ほどの様子だと、これ以上つけておくのはまた敵を引き寄せることになる故だ。
二体目のディアボロが現れた方向が、丁度撃退士たちが次に回ろうとしていた右隣の部屋だったのは、ある意味救いと言っていいことだろう。
とはいえ、
「待ち伏せ等もあるかもしれません、部屋を移る際には特に警戒して進みましょう」
と穂鳥が呼びかけるように、撃退士たちの間に油断はない。
「扉自体に擬態、あるいは天井から…ギア、こういう奴は嫌いだ」
ナイトビジョン越しに天井を見上げ、ギアはそう呟いた。
幸い特に何事も無く、撃退士たちは2つ目の部屋に突入した。
部屋に在るのは堆積物がひとつと、石像が二体。
まず例によって、ただの物体かディアボロかの判別を優先する。
アスハが、再度小夜華に渡された氷結晶を向かって左隅にぽつんと建った石像に投擲する。反応は、ない。
続いて一行は、近い距離に佇む堆積物と石像の付近へ向かう。石像は堆積物を背後にし、やはり逃げるようなポーズを取っていた。
しかしギアが符から放たれる蒸気を近づけてみても、堆積物は何の反応も示さない。
「……この部屋にいたのは、さっきのだけなのかな?」
「いえ、」耳を済ませていた穂鳥が異変に気づいて声を上げたと同時。
ソフィアの魔法書から螺旋状に放たれた櫻色の花びらたちが、『身体を反転させた』石像に襲いかかった。次いで、岩石が何かに擦れるかのような低く鈍い音が立て続けに響く。
「ルーファ、右下の明かりを」アスハが隣の部屋のルーファにそう通信を送った。暗闇の中の戦闘に勝算がないわけではないが、穂鳥や小夜華など、視界を保てない者にはどうしてもハンデとなる。
一瞬の間を置いて明かりが灯り、腰を落として蒸気を堆積物に向けていたギアの背中の上を、人型ディアボロの拳が通り抜けている構図が誰の目にも露わになった。拳の狙いがずれたのはソフィアの攻撃のおかげだろう。
穂鳥、小夜華、それからルーファを除いた全員がディアボロに近い位置に居た。ケイも近かったのは、もし蒸気で反応がないならアウルではどうか、と堆積物に向ける弓の準備をしていたからである。
ディアボロはその得物から標的を定めたのか、身体をねじ曲げてケイに向かって拳を振ってきた。
「甘いわ」明かりが灯された時点で既に準備は始めていたのだ。青紅倚天に持ち替えるのが間一髪間に合ったケイは、横殴りの拳を腰を落としてかわすと、そのまま直剣を横薙ぎに振るった。
移動能力を持たないながらもディアボロがその場でのけぞり、それが最大の隙となる。
「石縛の粒子を孕み、かの者を石と成せ、万能の蒸気よ!」
やり返すとばかりにギアの符から巻き上がった砂塵が、ディアボロを本当に石に変え。
砕かれて天魔としての生を終えるまで、終ぞ復活することはなかった。
ルーファに再び部屋の電気を消してもらい、撃退士たちは次の部屋へと移動する。どうやら生み出した天魔の趣味には『扉に擬態させる』というのは合わなかったらしい。
「ここが問題ね」
「擬態しているのは果たしてどれなのか、だね」
ケイの懸念に、ソフィアが同意を示す。一番広いこの部屋には、それだけ石像と堆積物の数も多い。
先ほどのような暗闇の中での奇襲を警戒していたが、今度は多くの物体が、刺激を加えても反応を返してくることはなかった。明らかに怪しいポジションに立っていた、最奥の石像でさえも、だ。
「まさか全部ただの灰だったり堆積物だったり、っていうことは」
「ないだろう、な」
榊の疑念に、アスハが首を横に振る。
「この部屋でこの状況は、少し厄介ですね…部屋の中の敵の数も分からなければ、まだ隣の部屋もありますし」
穂鳥の懸念も尤もだ。
アウルを伴った攻撃で直接刺激をすれば、ディアボロであれば簡単に反応するだろう。
ただし石像相手にそれを行った場合、一般人に対してであれば相手の危険を伴う。そのリスクに、少し慎重になりすぎているのかもしれない。あからさまに怪しいもの程度であれば、いきなり攻撃してもよかったかもしれない。
そうこう考えているうちに、撃退士たちは部屋に点在する物体の中では最後のひとつ――左の部屋とを繋ぐ扉近くに建っている石像の許へとやってきた。
それでもまず疑ってかからざるを得ない。今日何度目かの氷結晶が、石像に当たって砕け散る。
と――。
「まさか、最後の一体でとは、な」
反撃とばかりに放たれた灰の槍を、アスハは横に小さく跳んで避けようとする。ただしまだ直撃を防ぐ効果のある黒い霧は発動させていなかった為か、槍はわずかに彼の胸元を抉った。
次の瞬間、周囲が『目を醒ました』のを、撃退士たちは気配で察する。アスハはルーファへ、まだ行っていない部屋以外全て電気をつけるよう端的に通信を行った。どのみちこれまでの部屋に敵は残っていない。
広い部屋の明かりがついた時には、既に石像・堆積物とディアボロの区別ははっきりとついていた。
蠢く堆積物の数、三。最奥の石像も、やはりディアボロだった。いまやその姿はなく、堆積物となって撃退士たちに迫ってきている。
更に質の悪いことに、隣の部屋にいたであろうディアボロも、勿論堆積物の形状ながら二体、部屋へと乱入してきた。
「うわ、そんなのあり――って、あるよね、ディアボロだし!」
壁を透過してきたその様子を見、ソフィアが自棄になったように声を荒げる。
「タバコの灰のように掃除機で吸い取れたら楽でしょうね…」
言いながら穂鳥は地面に手を当てる。次の瞬間、近づきつつあったディアボロの一体の真下から蔦バラの刺が天を衝くように串刺しにした。
別の堆積物ディアボロに対してはケイが梓弓を引き絞り、光の矢で動きが止まった所で小夜華が斜め横からラディウスサイスで切り裂く。
遠距離攻撃組を狙おうと、側面に回りこんできたディアボロもいた。ただしこの動きには、ディアボロにしてみれば思わぬところから邪魔が入った。
「よいしょ」
合流したルーファが、突入するや否やその動きに気づいて、堆積物の槍をシールドで防いだのである。
ギアが気づき、先ほど同様砂塵で石にしたところをルーファが金属バットで叩き割った。
残るディアボロは三体。
最初から人型だったディアボロが時間をかけ堆積物になろうとする。
十分に隙はあるのだが、逆に即座に堆積物から人型へ変化したディアボロが、両脇からアスハへ殴りかかった。
彼はこれらをいなすと、
「攻撃に身を固めた瞬間ならば、崩すことも出来まい…!」
うち一体が固めていた拳へと杭を叩き込んだ。もう一体は穂鳥の生み出した蔦バラの刺が貫き、更に次の瞬間にはアスハのカウンターで動けなくなったディアボロを、ソフィアの放った炎の塊が焼いた。
そこまでやったところで、ようやく最後のディアボロは形状変化を終えたようだったが――もう、全ては遅かった。
●Mystery to get dark
最後のディアボロが息絶えた所で、工場内にピアノ線を指で弾いた時のような音が響いた。
撃退士たちは一瞬思わず耳を塞いだが、余韻の残る中で手を下ろしてから気づく。
部屋の隅に、人が倒れている。
気を失っているようだが、確かに息はあった。最後のディアボロを倒したことで石化も解けたらしい。
他の部屋を回っていって同じように人を見つけ、合計六人。聞いていた行方不明者の数と一致している。
一般人を運びながら、撃退士たちは廃工場を出る。まだ夜は明けていない。
そういえば、と、アスハは後方の工場玄関を振り返って呟いた。
「…扉を開いたのは、誰なのだろう、な」
いまは解けるわけもない、謎を。