●遊園地前
マイクロバスから降りると、行楽地特有の喧騒が耳を突いた。
「おぉ! 流石にオープン直後なだけあって賑やかだね!」
そう声を上げたのは今川曜子(NPC)だった。快活な印象の容姿に違わぬ明るい声だ。
「そうですね。こういう雰囲気はこういう場所独特ですね」
その声に同調したのは神咲夕霞(
ja8581)だった。まさに黒山の人集りという表現が正しい周囲を興味深げに見回している。
「こういう雰囲気は私も好きです。なんか、こういう場所は雰囲気だけで楽しくなってきます」
続いてバスから降りてきた天音みらい(
ja6376)がそう言って顔を綻ばせた。普段はどちらかといえばおどおどとした印象の強い彼女だけに、彼女なりにはしゃいでいるのが見て取れる。
「さて、これで全員かな? まだ朝早いけど、早くしないと入場に時間が掛かりそうだよ」
バスから皆が降りるのを確認し、名芝晴太郎(
ja6469)が周囲を見渡し、声を上げる。
「そうですね。それにどうやら人数限定のメニュー等もあるようですし、急ぎたいですね」
望月紫苑(
ja0652)が少しだけ頬を上気させ、そう言った。その手には事前に入手していた園内案内図の乗ったパンフがあり、小さなその紙面にはいくつもの書き込みが既になされている。
「そうだな。それでは、また後で迎えお願いできますか?」
各々、自分なりの目的にはやる中、影野恭弥(
ja0018)がマイクロバスの運転手に目を向けた。
「わかりました。それではまた後ほど」
学園からチャーターしたマイクロバスの運転席に座った運転手がにこやかにそう言って走り出す。
「それにしても、学園じゃバスの手配までやってくれるんだな。至れり尽くせりって奴だ」
天城空牙(
ja5961)が言う。それに曜子は苦笑し、
「まぁ、命懸けの仕事だからね。その辺のケアって大切なんだと思うよ。良識の範囲ならだいたいの事がOKな自由な校風も学園の売りの一つだろうし」
「へぇ」
気のない返事を返し、空牙は何となく興味深げに去っていくマイクロバスを見送る。
「ところで……。あの人は良いのか? あれで」
「ん? 祐介の事?」
不意にそう問うたのはcicero・catfield(
ja6953)だった。彼は困った様に眉根を潜め、皆から少し外れた所で身を屈めている小宮祐介(NPC)を示す。
「まぁ、仕方ないよ。彼、車酔いするタイプだからね」
苦笑気味に曜子が言う。
そんな彼を見かねて、日守さくら(
ja7609)が背中をさすっている。
「あの……大丈夫、ですか?」
「あぁ、うん。大丈夫……吐き気は随分と収まったよ」
さくらが問う。と、そう言って祐介が顔を上げた。だがその顔色は決して良くない。
「まぁ、いつもの事だよね。それじゃ、早く行こうか! そろそろ行かないと入場に時間が掛かっちゃうからね!」
そういって曜子が皆を先導して歩き出す。
なんというか、その対照的な二人の姿に、その場にいる全員が不安な物を感じずにはいられなかった。
●それぞれの気持ち
園内の賑わいは駐車場のそれと比較にならない物だった。流石に集団で固まって行動していれば会話に困るほどではないが、少し距離が開くと途端に声が喧騒にかき消されてしまうレベルだ。
「じゃ、皆、楽しんで来てね」
そう言って未だに青い顔をした祐介が皆を送り出した。
今、彼らがいるのは丁度、園内中心部に位置する小洒落たカフェテラスだ。園内中心部という事もあり、ここからならほぼどの場所にも当距離で移動できる。
そんな事情もあり、まだ朝早い時間だが、カフェテラスは好評を博していた。
「あの……。良いんですか? 祐介さん置いて来ちゃって」
「まぁ、仕方ないでしょ。ああなったら暫く放っておくしかないよ。流石にお昼には復活するでしょうし、三人もついていれば大丈夫でしょ」
夕霞が曜子に問うと、彼女は特に気にした素振りもみせず、歩き出した。
残った四人以外は皆、曜子を追って歩き出す。
その姿を見送りつつ、祐介は手元のアイスティーを飲み干した。
「大丈夫か? 先輩」
「あ、うん。ありがとう。まだ少し気持ち悪いけど、大丈夫だよ。こっちこそごめん。僕に付き合わせて」
小さく微笑む祐介に恭弥は、いや、と軽く返した。
そんな彼らと同じテーブルでは紫苑が早朝限定の生クリームを贅沢に盛ったホットケーキを食している。
「……ところで、先輩は今川先輩の事、どう思ってるんですか?」
「え?!」
そんな中、にこやかに晴太郎が問う。と、素っ頓狂というのはこう言う物かという見本とばかりに祐介が飛び上がった。
そんなに驚かなくてとも思うが、晴太郎も恭弥も口にはしない。
「えと、やっぱりわかる物?」
むしろ解らないとでも思っているのだろうか。バス車内での二人の様子を見ていれば、自ずとわかりそうな物だ。紫苑でさえフォークを動かす手を止めて祐介の顔を見た。
それに同席している男性二人は適当に応え、少し情けない印象の年上に席に着くよう促す。
困った様に微笑み、祐介は腰を下ろした。
「まぁ……その通りだよ。正直にいえばもう少し個人的には複雑な感情だけど……。でも結局はそういう事かな」
「なら……もっと素直になればいいのに」
恭弥が言う。と、少しだけ祐介はそっと目を伏せた。
「そうだね。そんな風に単純であれれば、ずっと楽だったのかも知れない」
「……どういう事ですか?」
既に何枚目かわからないホットケーキを始末しつつ、紫苑が顔を上げた。
「詳しい話は知ってるかも知れないけど、今川とは昔、色々とあったんだ」
その言葉に三人は事前に聴いていた話を思い出す。既に故人となった祐介の親友で曜子の恋人であった青年の話だ。
大学部ではそこそこ有名な話だった。ヴァニタスとの戦闘時の死亡事案という事もあり、一種のタブーの様な扱いとなってこそいたが、少し話を聴くだけで色々と教えてくれる上級生は少なくなかった。
「……あいつが生きていた頃から、僕はずっと自分の本心とか色々な物から目を逸らして生きてきたんだ。常に目の前にある事から目を背け、ずっと知らぬ存ぜぬで此処まで来てしまった。
だからかな。今更、目の前にある物をしっかり見ようとするのは、勇気がいる事になってしまってるのかもね」
何となく、場の空気が重くなった。
「……私は、正直、恋愛の事とかはわかりません。いつも周りになんか残念だと言われます」
紫苑が唐突に口を開いた。
「でも、自分から動く事は大切だと思います。美味しい物を食べようと思ったら、それを求める努力をすべきです」
「そうですね。彼女の言う通りです」
晴太郎が言う。
「それに、俺が言うのも、お門違いかもしれませんけど、亡くなった人は生きている人に幸せになって欲しいと思っている筈です」
「……そう、だね」
祐介が少し困った様にでも何かを考えるように、うつむく中、ガタッ、と音を立てて紫苑が立ち上がった。
「今、先輩たちのいる辺りのポップコーンはその場所だけの限定フレーバーで人気だそうです。早く行かないとなくってしまいます」
そう言って彼女が歩き出す。あ、と声を上げて祐介が伝票を手に立ち上がるが、それを恭弥がスッと奪った。
「支払いは済ませておく」
「こういうのは年下の仕事です。でも後でしっかりと払ってくださいね」
「……ごめん。それじゃ、先に行くよ。……ありがとう」
そう言って、祐介は紫苑の背中を追い掛けた。
「よし! それじゃ次はあれ行こうあれ!」
「あっ、また絶叫系かよ?! もう何箇所目だよ?!」
「絶叫系は遊園地の花だよ! ほら早く!」
はしゃぐ声が響く中、それを少し離れた位置から曜子は見つめていた。
声は、みらい、空牙、さくらの順だ。この辺は絶叫系の乗り物が密集しており、いくつもの複雑に入り組んだレールが目に映る。
そんな中、はしゃぐ三人の姿に曜子が見るのは在りし日の自分達の姿だった。三人が仲良く笑っている姿は不思議と過去の自分達に重なった。
「先輩、どうかした?」
「え?」
不意に声をかけられ、曜子が顔を上げるとそこにいるのはcicero――シセロだった。
「いや、なんか様子がおかしかったってだけなんだけど、ね」
シセロが苦笑する。
「そうですね。さっきから少し暗い気がします。何かありましたか?」
「あ、ごめん。大丈夫だよ」
心配げな夕霞にそう言って曜子は笑うが、その笑みは何処か精彩を欠いている。
「……ごめんね。変な事に巻き込んで」
「え? どう言う意味ですか?」
「……今回の、小依頼の事。あれ、私が依頼人なの」
思わず二人が絶句する。それに苦笑し、曜子は話を続けた。
「本当はね、ずっと分かってたんだ、祐介が私の事どう思ってるか……それこそ、彼が生きている時から。あ、私たちの昔の話は聞いた事ある?」
シセロと夕霞が顔を見合わせ頷いた。そっか、と曜子は言葉を続ける。
「出会った最初の時はね、三人でいるのが当たり前だったんだぁ。
でも少しずつ気持ちが変わって、気がついたら私は彼と祐介、二人の事を好きになってた。
正直にいえば、どっちに恋をしたのかも、はっきり分からない程、二人の事好きになって……。そんな時に彼に告白されて……。だから彼を選んだんだ」
何と言っていいか分からず、二人は曜子の顔を見つめる。
「一番、不誠実だったのは間違いなく私だったんだ。何年かそんな関係を彼と続けたけど、結局、キス以上の関係にはならなかったのは、彼がそんな私の不誠実を知っていたからだろうね。
だからあの日、私の所為で彼が死んだあの日。
あの日、私がいなくなれば良かったって今でも思うよ。
それなのに私は今も祐介にすがって甘えて。あまつさえ、自分の不誠実を棚上げにして、彼を求めている。浅ましい女だよね」
生の感情に触れて、二人は何も言えずに沈黙する。
そんな風に語る彼女の横顔は、微笑んでいるのに何処か泣いている様にも見えた。
「ごめんね。変な話して」
「……いいえ。とても参考になりました」
役者を志す夕霞にとって、この状態は予想外の物だったが、生の感情に触れる機会は刺激になった様だ。
「あの、すみません。私たちも話、聴いちゃいました」
そう言ってそっと後ろから声がし、振り返るとそこには申し訳なさそうなさくら、空牙、みらいの姿があった。
「あの! やっぱり自分の気持ちって大切だと思うんです!」
そう声を上げたのはみらいだった。
「お、おい、そういうのは……」
「空牙は黙ってて」
気が進まなそうな空牙に一喝する。バツの悪そうな空牙をさくらがそっとなだめる。
「不誠実とか、私にはよく分からないですけど、でもきっとここで何もしないでいると、後悔すると思うんです! だから、だから……!」
「うん……。ありがとう」
一瞬、驚いたような曜子の表情が柔らかくなった。今日一日の中で一番晴れやかに笑っている、そんな風にその笑顔は映った。
「そうだね。……うん、少し、頑張ってみる」
「それがいいと思いますよ。それに、主役もこっちに来たみたいだし」
そう言ってシセロが視線を向けると、そこにはポップコーンの入った大きな容器を腕に抱いた紫苑と、周囲を見渡す祐介の姿。
「行って大丈夫ですよ。頑張ってください」
「あー、なんだ……正直、アレだと思うけどその……とりあえず、頑張れ」
さくらと不器用な空牙の言葉。それに頷き、曜子は駆け出した。
●涙を拭う手のひら
夕暮れ時。紫苑やみらいなど女性陣の強いプッシュもあって二人が観覧車に乗っているだろう頃、夕霞を除く全員が観覧車前に自然と集まっていた。
そしてその最悪の状況に、絶句せずにはいられなかった。
丁度、観覧車を降りたばかりであろう二人を囲むのは、いかにもな悪目立ちする服装の男性四人組――事前に聴いていたヤンキーだ。
「貴方達、なんなんですか」
威圧的な態度で下から舐め回すように睨みつける四人組。そんな彼らに曜子が低く声を上げた。
下卑た笑みを浮かべ、それをからかう様に男達が笑う。そんなヤンキーの内、一人が曜子の手を取ろうとするが、彼女がその手を振り払うと、そのヤンキーはついに声を荒げ、拳を振り翳した。
それを祐介は反射的に間に入り、顔面にもろに拳を受け、倒れ込んだ。
「祐介!?」
声を上げ、曜子が頬骨の辺りを赤くした彼の元に屈もうとするが、ヤンキーの一人が彼女の腕を強引にとり、それを遮る。
「おまちなさい!」
「え?」
と不意に女性の声がその場に木霊した。全員がそちらを振り向くと、そこには良くある微妙なデザインのマスコットキャラのお面を付けた女性――随分前から単独行動をしていた夕霞が立っていた。
ヤンキーが呆気にとられ、直後、声を荒げて彼女に詰め寄ろうとする中、その間に割って入る空牙の姿。
「やろってのか?」
実戦を踏んだ戦士にしかできない強い眼。そしてドスの効いた声音。それに思わずヤンキーがたじろぐ。
「――そこまでだ。やり過ぎだよ」
その後ろに回った恭弥のその耳打ちが決定打となった。ただいきがってだけのヤンキーに本気で何かと戦った事のある彼らの凄みに耐えられるはずもない。
結局、ヤンキー達は怪我をする事もなく、その場から尻尾を巻いて逃げ出す羽目となった。
「なんだよ。張り合いのない」
空牙が詰まらそうに鼻を鳴らす中、曜子が祐介の傍に屈んだ。
「ごめんなさい……! 私なんかの為に……」
「いや。大丈夫だよ」
祐介が彼女のその言葉に立ち上がる。状況を何となく見守っていた聴衆は、夕霞の格好もあって一種のアトラクションのだと思ったのか、すぐに散り散りとなり、傍には他のメンバーが集まっていた。
「……今川は自分の事、不誠実だって言ったよね」
「え」
唐突な祐介に言葉に、曜子は声を零した。
「僕もずっと自分が不誠実だと思ってたよ。結局、色々な事を保留にしてズルズルと今日まで来てしまったのは間違いなく僕の不誠実だって。
正直、まだまだ僕たちは不誠実だと思うし、曜子も自分の不誠実に納得できてないと思う。
でも、それはきっと二人であいつの分も解決していける事だと思うんだ。
今まで話さなかったことを、少しずつ話して、お互いの不誠実に折り合いをつけて行けると思う。
だから、少しずつで良いから二人で誠実になってゆきたい、そう思うんだ。
だから今日から初めて行こう。少しずつお互いの不誠実を正して……。その為に、僕は君に傍にいて欲しい。いつか二人で笑いながらあいつの墓に参れるように」
祐介が手をそっと彼女に向かって伸ばす。
そして彼女はそれに応えるように、その手に自分の手を重ね、そっと二年ぶりの嗚咽を漏らした。
少し離れ、そんな彼らを見守っていたメンバー全員が、次の瞬間、声を出さず、でも確かに手応えを得た様に、手を叩き合った。