●籠城戦
「これは……」
病院内部。突入した若き撃退士達は見下ろす光景に、思わず絶句した。
現在、彼らがいる場所はロビー二階。吹き抜け越しに見下ろしているのは異様な光景だった。
「ひでぇだろ? ……まるでゾンビ映画だよ」
そんな彼らをそこまで案内したルインズブレイドの撃退士――手に鞘に収まった日本刀を携えた筋骨隆々とした男性が呻く様に零した。
そこにあるのは異形にとり憑かれ、自我を奪われた人々の姿だ。
ノロノロと動く姿はさながらゾンビその物の様で、がたがたと嫌な音を立てて封鎖された通路を何とかしようとしている様もそれに似ている。
「まぁ、さっきからあんな感じでな。幸いあまり頭の方が良く出来てないみたいで何とか四人で耐えるだけ耐えてきたが、正直、入院患者の搬送とかが意外と時間がかかってる。
それに……時折、妙に統率が取れた行動をする様な事もあって、何というかまるで遊ばれている様な気分にさせられる。あまり良くない状況なのは間違いない。
俺らは金でこの病院に雇われている都合上、そっちを優先しなきゃなんらんでな。今、目の前にいる様な奴らの対処は全部、お前らにやって貰う事になる訳だが……。情けないが、連中だって助けを待ってるんだ……。なんとかしてやってくれ。頼んだ」
ルインズの男はそう言って、一つこちらに向かって頭を下げた。
「……まぁ、そんな訳だ。まだまだ時間は掛かる。気張ってくれ」
その男の言葉を最後に、彼らは自分達の持ち場へとついた。
「……意外と、できる事は少ない物だな」
思わず礼野智美(
ja3600)はそう口の中で零した。
彼女がいるのは無人状態の小児病棟だった。ロビーに続く扉は現在、待合室のベンチシートやら病室から引っ張り出してきたストレッチャーやらで雑多だが堅牢なバリケードで防御体制が取られ、その奥の扉では今もなおバンバンと耳障りな音を立て、扉が連打される音が響いている。
その手前で、彼女はそのバリケードが突破されない様に見守っていた。
現在、ここの防衛を担当していた企業撃退士二名は休憩をとっている。彼らは既に三時間は今の緊張感の中で活動していたのだ。精神的にも大分来ていても仕方の無いことだった。
まだ彼女達が病院内に侵入してから一時間前後。
この奥の病棟では、病院の関係者達が必死に移送作業を行なっているが、いかんせんロビーのエレベータが使えない事もあってその作業は難航している。
更にいえば奇襲で出る他のメンバーの配置や、敵の指揮官型が未だに全く動きを見せないなど、どうしても事が動き出すまでは待ちの姿勢になってしまうのだ。
ただこうやって見守る事しかできない現状は、苛立ちと無力感を募らせる。
それは彼女の隣で同じ様にバリケードを見守る桐村灯子(
ja8321)も同じ様だった。
何処か表情の読めない彼女だが、なんとなくもどかし気に、自身の得物である拳銃やナイフのチェックを行なっている。
「……他の場所の人達はどうしてるでしょうか?」
「多分、今頃、自分達の持ち場に着いてるだろうけど……。もどかしいわね」
彼女がぽつりと零した。それに智美は応え、そっと手元の携帯電話に目を落とした。
「なんか凄い事になってるな……」
向坂玲治(
ja6214)がバリケードを築きながらボヤく様に言った。
そこはさながら戦場の様だった。
さっきから次々と医師が看護師たちに指示を飛ばす怒号の様な声が響き渡り、作業を行う人々が行き交っている。その多くに医学の専門用語が混じっており、とてもではないが中に割って入れる雰囲気ではない。
「さっきからずっとあんな感じですね……。ここは重篤患者さんばかりで、動かすにも細心の注意が必要ですから、皆さん殺気立ってます」
そう言ったのは彼にバリケードの補修を任せ、休憩していた企業所属のインフィルトレイターの女性だった。手にはロシア製の有名なアサルトライフルを抱いており、端正な顔には少なからず疲労の色が浮かんでいる。
ちなみにここにいたもう一人の企業所属の鬼道忍者の方は現在、奇襲班にダクトの簡単な構造等の解説のためここにはいない為、現在ここは三人での待機状態だ。
「かなり患者がいる様だけど、受け入れ先とかは決まっているの? この人数だと難しいのではなくて?」
そう問うたのはインニェラ=F=エヌムクライル(
ja7000)だった。
それにインフィルの女性は困った様に笑う。
「そうですね。緊急性の高い患者さんの受け入れ先は決まって、ほとんど移送完了してるのだけど、比較的回復している患者さんの受け入れ先はほとんど決まってないみたい。……正直、誰もこんな事態をそもそも想定してないから、病院間の連絡とかも難航してるみたいで……」
説明する彼女の表情は明るくない。状況が宜しくないのは最初からわかっていたが、実態はもっと酷い物だった。
「ふぅ、このくらい置いておけばいいな」
そう言って玲治が補修の終わったバリケードを軽く叩いた。
先ほどより大分ましになった様で、そこそこ力を込めたにも関わらずびくともしない。手応えを感じ、一つ頷く。
「すまんな。ほとんどここを任せてしまった様だ」
「うぉっ」
唐突に後ろから声をかけられ、玲治が驚きの声を上げた。その様にインニェラとインフィルの女性が苦笑をこぼす。
声をかけたのは鬼道忍者の男性だった。その格好は忍者というよりはビジネスマンの様なスーツ姿の男である。
「奇襲班から言伝だ。準備は出来た、奇襲作戦を開始する。各々、自分の持ち場についてくれとの事だ。――後の事は引き受けたから、早く行くといい」
「では、お言葉に甘えて私たちの仕事をしましょうか。行きましょう」
「おぅ」
玲治とインニェラはそう言って、自分達の持ち場へと移動を始めた。
●奇襲作戦
その瞬間、窓ガラスが破砕する快音が響き渡った。
音に気づき、ノロノロと寄生された人々が音の方へと身を捩り、振り返る。
そこにあったのはただ砕けたガラスが散乱するだけの廊下。そちらへと移動を移動を開始する人々の中、もう一度、窓ガラスの破砕音が響き、ほぼ同時にダンッと何かが飛び込む音が響く。
鈍い動きで天魔が振り返ろうとする中、ブシュッ、と瑞々しい果実を潰す様な音がし、寄生虫が爆ぜた。
唐突の事態。
決して知能の高くない虫風情でもそれを理解する。
そんな中でも虫が潰れる音が連続し、気が付いた時にはその場にいる寄生虫の全てが消滅していた。
「――よし。思った以上にスムーズに終わったな」
「そうだね。予想以上にもろい相手で助かったよ」
響いた声は若い男性と女性の物。
御影蓮也(
ja0709)と高峰彩香(
ja5000)だ。
二人の担当は協議と鬼道忍者の勧めで救命救急棟となっていた。防衛面という観点から、ロビーへの突入前にこの場所を始末できれば、後はロビーに閉じ込められている大多数を包囲できる。
幸い、ここに流れ込んでいる数はそんなに多くなかった為、二人もいれば殲滅は容易だった。
「――あぁ、どうやら殆どの人に異常はないみたいだな」
蓮也が昏倒する人の顔に手のひらを近づけ、呼吸を確認する。どうやら眠っているだけの様子で、その呼吸は穏やかな物だった。一息吐いて立ち上がろうとした時
「!? 危ない!」
彩香が声を上げ、オートマチックを発砲した。
彼の頭上でバシュッと嫌な音を立てて、寄生虫のみが爆ぜ散った。
――失敗シた。
その時、何処かから小さくそう声が微かに響いた。蓮也が慌てて立ち上がり、彩香と背中合わせになる。それと同時、隠れていた天魔が姿を現した。
数は二。挟み撃ちの状態である。対処できない状況ではないが、様子がおかしい。
「さっきより動きがいい?」
彩香が呟く。それを証明する様にノロノロとだが、宿主を正面にし腕状のアギトを駆使し、こちらを攻める。
「やりづらいなっ」
蓮也の呻き。流石に人の体そのものを狙う事のできない状況は、相手の能力が低かったとしてもやりにくい。それに鈍いのはあくまで体だけで、その顎のついた腕の動きは尋常じゃなく早く、それの速度のギャップが意外な強敵となっていた。
だが――それも所詮、それだけである。
次の瞬間、二人は相手の攻撃が放たれた瞬間、大きく横に飛んだ。
そのまま向かい合った二体の後ろに回る。動きが鈍い以上、盾が役にたたないのならやりようはいくらでもある。
「すぐ助ける、ちょっと我慢してくれ」
「体は本人に返してもらうよ」
二人の声が響いた瞬間、ブチュッ、と虫の潰れる音が木霊した。
同じ頃、奇襲の行われたロビー。
「なんなんですか! 急に動きが良くなった気がします!」
イェシェリ・セルバンデス(
ja7892)が悲鳴じみた声を上げながら、その手にある大鎌をまた縦に振り抜いた。
その刃が器用に背中の虫だけを潰し、また人が昏倒する。柄で肩を強打したがある程度は仕方ないだろう。
「関係ないわァ!」
少女の無垢な狂気を孕んだ哄笑が響き、新しい虫がまた一匹一匹と潰れてゆく。
黒百合(
ja0422)の面にある笑みは凄惨で、だが同時に酷く楽しそうでもあった。
「糞蟲はその場で惨めに潰れているのがお似合いねェ、あははははァ♪」
彼女の振りかぶったナイフが、自分の背中にとりつこうとした寄生虫を薙ぎ払った。
「関係ないと言ってもこれは――」
一人戯れるように虫を殺し続ける黒百合を尻目に、一匹一匹確実に虫を刈るイェシェリは怪訝そうに眉根を潜めた。
――劣勢、レッセい! ニゲル? 逃げ、ル!
不意にまた不気味に声が響いた。
それに合わせるように、寄生された人々の統率が再び乱れ始める。
「やっぱりあれが指揮型の声!? 何処から」
統率が乱れれば、後は簡単だ。こちらには少し離れた場所で戦う玲治とインニェラがいる。もう既に勝敗は決した様な物だ。
「あァあ……楽しかったけどォ……。結局、指揮みたいなのはいなかったようねェ」
そう言って、黒百合が死屍累々(気絶しているだけなのだが)倒れ伏す人々の中を見渡す。
玲治とインニェラの方にも視線を向けるが、二人とも首を横に振った。
「なんか、ソレっぽいのはいなかったぜ」
「見落としたかしら……。だとしたら何処に? 逃げるとか言っていたけど」
「何か――嫌な予感がします」
イェシェリがぽつりと零した。
●招きし者
ロビーの殲滅がほぼ終わった頃、智美と灯子は搬送を行う医師と看護師達に混じって救急車の傍にいた。
といっても搬送作業は専門家が行なっている状況なので、二人の仕事は雑用と万が一に備えての警戒だ。
「こっちは殆ど終わったみたい……。うん。受け入れ先が決まってよかった」
「そうだな。私は知り合いにこういった職に関わりがある人がいるが、お互い色々と知らない事も多い物だな」
コクリ、智美の声に灯子が頷く。
「……向こうも終わったみたい」
「あぁ、音がやんだな。後は一応、院内を軽く見て回って討ち漏らしがないかの確認くらいだろうか……ん?」
「どうしたの?」
「いや。あれは……」
そう言って智美の視線の先を灯子が見る。と、一人の医師と思われる男性が、フラフラと病院の敷地から出ていこうとする所だった。
「あれ? あの先生……たしか体調崩してさっきから宿直室で休んでいたはずじゃ?」
同じ様にその姿に気づいた看護師がポツリと零す。
その時、また声が聞こえ始める。
――逃ゲる! 逃げル! ニゲル!
まるで追い立てられる様な焦燥の声。それがその医師の方から響いていた。
「っ!? まさかあの医師が!?」
「!」
二人がその事に気づくと同時、駆け出した。
その二人に気づいた医師が駆け出そうとするが、やはり基本的にその動きは緩慢だ。その場で転んで倒れ伏す。
「お前が――指揮型か」
智美が言う。その直後、医師の体が爆ぜた。
背中から直接、触腕が伸びている。どうやらそもそも脊髄その物に寄生できる上位個体なのだろう。その姿からその医師の生存は絶望的である。
二人に天魔が襲いかかる。だが所詮、上位個体とはいえ弱卒。
灯子の放つ銃弾に翻弄され、指揮型もあっさりと智美の忍刀に切り裂かれ、絶命した。
「まさか医者の一人に指揮型が混じっていたとはね……」
企業のルインズブレイドの男性が呻く様に零した。
「でもまぁ、助かったよ。恩に着る。もし将来、その気があったらウチの会社に連絡してくれよ」
その気がなんの事なのか、結局詳細を告げず、企業から派遣された撃退士達が引き上げていく。
そんな中で、学園から派遣された調査団といつも教室で任務の解説をする生徒が姿を現した。
「お疲れさまです。今回もご苦労様でした。今回の件の調査はこちらで引き継ぎますので、後は任せていただいで結構です。
授業は免除許可が出ているので、皆さんは早く帰ってゆっくりと休む事をおすすめします。それではお疲れさまでした」