●樹海入口近辺
鬱蒼とした木々が生い茂っている。
既に人の手が入る事が途絶えて久しく、そこが日本である事を忘れさせる圧倒的な自然が目の前には広がっていた。
「……思った以上広いね」
氷月はくあ(
ja0811)がポツリと零す様に呟いた。
ところ狭しと乱立する樹林の障壁で分り難いが、その面積は相当に広い。実際に内部を移動して見て初めて気づく広さだ。
「確かに……正に秘境といった趣だな。これは骨が折れそうだ……」
秋月玄太郎(
ja3789)がその言葉に同意する。
「そうっすね。けど、急がないともっと大変な事になりそうっす。急ごう!」
同じ様に同意の言葉を上げるのはニオ・ハスラー(
ja9093)。明るい彼女の声、二人は思わず口元を崩し、だが次の瞬間、再び悪路を駆け抜け始めた。
現在、彼らは二つのチームに分かれ行動をしていた。こちらの三名とは別動隊が反対側から進行し、同じ様に地図上に記されている斥候隊が非常用に使用している連絡拠点を目指し移動をしている。
彼らが向かう最初の拠点はもう目と鼻の先。だが、そこにたどり着くまでに掛かった時間は予想よりも掛かっていた。
「着いたっす!」
ニオが声を上げる。それと同時、こちらを睨み付ける様に、木々の合間にいる大振りなトカゲが視線を向けた。
「……大丈夫なんですか? あれ。こっち見てますけど……」
はくあが恐る恐る尋ねる。それに、問題ない、と返したのは玄太郎だった。
「斥候隊の調査の結果、あのトカゲはサーバントでありながらほとんど戦闘能力を持ち合わせていないどころか、感覚器も実際のトカゲの足元にも及ばないそうだ。ただ電磁波に対してのみ、異常な感知能力を持っている為、内部での無線などでの連絡はかなり難しい様だな」
「なるほど……」
「へー。面白いっすね!」
そう言ってニオが手近な位置にいたトカゲ型の鼻先を指で突き始める。確かにその反応は鈍く、さながら置物の様に動かず、じっと一点を見つめている。
「どうやらここにはいない様だな」
どうやら随分と前からある小屋を再利用して設置されたのであろう小屋の木戸を開き、玄太郎が言った。
「はい。周囲にもそれらしい気配はないですね。最近使われた形跡もありません……」
「ハズレっすねー……。向こうはどんな感じなんすかね」
「……向こうが当たりくじを引いてくれればいいんだが」
「……ここにはいない、か」
別働隊が同じ様に拠点にたどり着いたのはほぼ同じ時刻の事だった。ガタの来た木戸を開き、呟くそうにそう言ったのは焔戒(
ja7656)である。
「まぁ、そう簡単に見つかったらわざわざ捜索部隊なんて編成しないよな」
そう言って佐藤としお(
ja2489)が溜息を吐く。
掘っ立て小屋の中は埃臭く、とても最近使われた様な形跡は認められない。
「外を見てきたよ。周囲にもそもそも人が最近使った様な形跡は残ってないね」
そう言ってソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)が木戸から顔を覗かせる。
「そうか。ならここには用はないな。次へ急ごう」
「素早く、でも目立たないように、だね。連絡が取りづらいのには気を付けないと」
戒の言葉に、二人は頷くと、次の拠点への移動を開始する。
「……? なんだよ、あれ」
最初にその異変に気づいたのはとしおだった。インフィルトレイターというのは射撃を主な攻撃の手段とするため、索敵を得意とする者は多い。彼も例に漏れず、その索敵能力が捉えた異変が、次の瞬間、眼前に広がった。
「なに……これ」
ソフィアが呻く様に呟き、足を止める。
そこにあったのはまだ燃え尽きて久しい焼け跡だ。だがその規模が尋常な物ではなく、まるで焼夷弾でも落ちたかの様に広い範囲が黒く燃え落ちている。
「まるで何かが通った後の様だな」
戒がその惨状を見つめ、奥から伸びる延焼の痕を見詰める。
「あぁ……ダメだこれは」
そう言って、としおが頭を抑えた。
「拠点も何もかも全部燃えちまってる」
そんな彼の隣を通り、ソフィアが拠点の焼け跡に屈んだ。
「……普通の炎じゃない。多分、やったのは……」
ソフィアの言葉に二人は何も言わない。報告にあったサーバントの中で、魔術的な炎を扱える存在は一つのみしか確認されていないからだ。
「先を急ごう。とても楽観視はできない」
戒の言葉と共に、彼らは再び駆け出した。
●死神の足音
黒髪の忍者は緊張に身を固くした。
赤髪のルインズと別れ、もう随分と長くなる。白髪の同僚の息は徐々に細くなり、こちらもとても楽観できる状態ではなくなっている。
実質、この場で戦えるのは自分一人だ。そのプレッシャーが彼女の双肩に重くのしかかり、あまりの緊張に手が僅かに震える。
こんな事ならば、ちゃんと言える時に自分の気持ちを言葉にしておけば良かった。
赤髪のルインズとは学生時代からの付き合いだ。共に何処か血生臭くもだが確かな青春を謳歌し、腐れ縁の様に今まで続いてきた関係だった。
学園を卒業し、既に三年。社会人になっても学生の時に自覚した淡く苦くだが優しい感情を伝えられず、意地ばかり張って来た。
きっと心の何処から思っていたのだろう。
こんな日々がいつまでも続くと、そんな確証もない信仰を。
ザッ、という足音が更に近付いて来た。場所は一室しかない小屋とも呼べるか怪しい木造の中。
相手が何者かわからないが、この状況で敵でないと確信できる物は何もない。
ならとれる手段は――。
「っ!」
次の瞬間、木戸を吹き飛ばし、その破片を盾に足音の方へと駆けた。
片手で扱える程度の軽く短い刀を振り下ろす。
次の瞬間、響いたのは高い金属の剣撃音。
――止められた!?
それと同時、大きく後ろに下がり、次の一手をどうするか思考し始めた時――。
「やめてください! 私達は味方です!」
――味方?
その言葉を聴き、視線を声の方向に向ける。
そこにいるのは三人の少年少女。その胸には懐かしい学園の校章があり――。
「あぁ……」
感嘆の感情だけが声として溢れる。
「助かった、のか」
危なかった、と玄太郎は内心で冷や汗をかく。
今、咄嗟に引き抜いた得物を構えなければ、確実に獲られる一撃だった。まさに窮鼠の乾坤一擲と呼べる一閃である。
きっとはくあの叫びがなければ、次の一撃が来たのは間違いないだろう
玄太郎に一撃を与えた黒髪の撃退士は今はその場に膝を着き、肩で息をしている。
「大丈夫っすか! 怪我をしてるっすね……小さき精霊達よ力を貸して……ライトヒール」
ニオが駆け寄るが、それを黒髪の彼女は手で制した。
「私より先に中の仲間を頼む」
「わかったっす!」
それに応え、ニオが奥の小屋へと走っていった。
「済まない。怪我はないか?」
「えぇ、大丈夫です」
そうか、と返し、彼女が崩れ落ちそうになるのを、はくあが支えた。
「大丈夫ですか?」
「あぁ……。まだ動けるよ」
「なら、治療が終わった同僚の方と一緒に早く脱出してください。私たちが殿を引き受けるので」
「いや……そういう訳にはいかない」
はくあの言葉に答えつつ、彼女はまた身体を起こした。
「仲間がはぐれたままだ。彼と合流するまで退く訳にはいかない」
「なんだと……」
予想していなかった事態に、はくあと玄太郎が思わず顔を見合わせた。
「……厄介な事になったな」
としおが言うと、他二人もうなづいた。
「折角、確保できたと思ったら取り残された人がいるなんて……」
「ともかくまだ終わりじゃない。気を引き締めていこう」
ソフィアと戒が言い、三人は駆け出した。
三人がメールを受け取ったのはついさっきの事だった。内容は行方不明者のうち二名の確保と、はぐれた一名がいる事。そして確保した二名は治療終了後、既に離脱している事だった。
だが既に彼らの担当範囲は残り少ない。できればこの少ない範囲の探索で合流できれば、と希望しつつ、悪路を駆け抜ける。
「そろそろ日が暮れるね」
ソフィアがいい、他の二人も空を見上げた。既に空の色は茜に染まり、僅かに夜闇の青が見え始めている。
学園からの移動から直接の突入だ。早朝からの行動開始だが、どうしても時間的には遅くなってしまう。トカゲの排除の為に、連絡に手間取ったのも要因の一つだろう。
日が暮れれば探索は更に困難になる。必然と足は早くなった。足が悪路に慣れてきたのも要因の一つだろう。
彼らが目指す次の拠点が眼前に迫る。と、その時――
――オォォオオォオォオオオォ!
異様な咆哮が木霊し、直後、光が爆発した。
「!」
思わず、三人が足を止める。
そして不意に、その光の衝撃に弾かれて、一つの人影が飛び出してくる。
その人影は肩に担ぐ様に無骨な両手剣があり、紅葉を思わせる鮮やかな赤髪が印象的だった。
「っ……! やってくれるよ、な!」
叫ぶ様に爆源に対して彼が吠える中、彼の視線が不意にこちらに向いた。
「学園生? こんな所で何やってる!」
ルインズブレイドの青年が叫ぶ。
それに呆気に取られていた三人が我を取り戻すと、彼の元へと駆け寄った。
「救助に来ました! 早くここから脱出を!」
ソフィアが言い、彼の元に駆け寄る中、青白い炎が燃え盛る中、それが姿を現した。
巨人と呼べる巨躯に、全身を覆う黒いマント。そして何よりも目を引くのは、片手に下げた自身の身の丈以上もの大鎌。
ペイルライダー。
黙示録の死神は青い炎と共に闇より姿を現した。
●生き残りの代償
「くっ……! 銀朱雀!!」
戒が叫ぶが、それを嘲笑う様に圧倒的な威力の火球が彼の身を焼いた。
回避は間に合い、何とか受けずにすむが、悪い体制に銀色の鎧を纏った戒がその場で膝を折った。美しい銀の鎧の光を汚す様に、青白い炎の残りがまだじりじりと彼を焼く。
「行って!」
ソフィアが叫び、符を放つが赤い炎は青い炎に飲まれ、あまりに呆気なくその輝きを消し去った。
その隙を突く様に、としおもライフルを放つが、纏う炎の鎧にその弾がかき消される。
「これじゃ何もできないぞ!」
としおが思わず荒げて声を上げた。ペイルライダーの操る青白い炎が彼に迫り、避けきれず炎に晒される。
その炎こそが今の状況下で、予想以上の猛威を振るっているのだ。
何せ周囲には可燃物――樹木で溢れている。次から次へと炎は木々に燃え移り、彼らの移動範囲を意志を持った様に塞いでゆく。
更に厄介なのが短距離とは言えテレポートする事が何よりも厄介なのだ。木々があればそれが壁となり、それを防ぐがそれが焼け落ちれば障害物はなくなる。自らが移動する場所を自ら作り、それを足掛かりにこちらを攻めてくるのだ。
「さて、どうやって退いたものかね」
苦笑気味にそう言って赤髪のルインズが肩を竦める。
実質、四名での戦闘だが、相手の縦横無尽の攻撃になす術がない。
「……やるっきゃないかなぁ」
自嘲する様なルインズの呟き。その次の瞬間、立ち上がろうとした戒の前にペイルライダーが出現した。
「!?」
振りかぶられる凶刃。それを受けようと腕を掲げようとするが、間に合わない。
不意に、その戒を横から押す力を感じた。
「何!?」
思わず声を上げる。そこに割り込んできたのは、赤髪のルインズの姿。
彼はその凶刃を――受けず、そのまま行った。
「苦肉の策。――持ってけよ、俺の全身全霊」
刃がルインズを袈裟懸けに入る。吹き上がる鮮血の中で、彼の剣が真正面から、ペイルライダーに極まった。
胸元を抉る様な一刀。それを受け、ペイルライダーが咆哮し痛苦に喘ぐ。
「どうして……!」
「行け。今しかない」
ルインズの声は既に小さい。その姿を認め、戒がその身体を強引に担いだ。
「……置いてけよ。バカタレ」
「アンタには借りができた。――だから絶対に死なせない」
「よっ!」
その反対をとしおが支えた。
「こっちの方が早いだろ」
「急いで! 奴がまた来るよ!」
ソフィアの叫びに三人が駆け出した。
その直後、ペイルライダーが立ち上がる。そしてその背に、一枚の翼を現した。
炎の片翼だ。天使を模す炎でできた不定形の翼。
それがペイルライダーの得た力の形だった。不気味な咆哮が再び、響くと同時、大きくはためかあせた翼から無数の羽が舞い落ちる。
そしてそれが木々に触れた瞬間――一斉に燃え上がった。
「――爆撃!?」
ソフィアが叫ぶ。その様は正に爆撃と呼ぶに相応しく、羽の形の焼夷弾と呼ぶべき異様が、広がってゆく。
その中を駆ける。足取りは遅いが、それでも確かに前に進もうと走り出す。
「やばいよ! 追いつかれる!」
警戒するソフィアの声。その言葉の通り、背後にはすぐそこまで迫るペイルライダーの姿。
やられる、と思った時――。
「こっちです!」
はくあの声が響いた。それと同時、ペイルライダーの視線がそちらに向かう。
「来るって思ってた……喰い破れ、ミストルティン!」
黒い炎が走るが、それは圧倒的な青い炎に阻まれ、打ち返すようにそれが来た。それをはくあは正面から受ける事になったが、それでも、それは明確な隙となった。
「こっちだ! 早く!」
「もうすぐっす! 急ぐっす!」
錫杖を構えた玄太郎が声を上げると同時、白い槍が駆け抜けるが、大鎌の一閃がそれを弾き、同時に飛んだ火球がニオを目指した。
ニオがそれを受けるが、重い一撃に華奢な体が吹き飛ばされるが、すぐに立ち上がる。
「こんなところで負けられないっす!」
そのまま、七人は無我夢中で森を駆け抜けた。
まるで転がり込む様に外に出た時、ペイルライダーの姿は既になく、森の中に煌々と燃える明かりを残すのみだった。
彼らは緊急車両に載せられるルインズと泣きながら彼に寄り添う黒髪の女性の姿を見ていた。
「……なんとか逃げ切れたが」
としおの言葉に他の五人は沈黙した。
結果として救出は出来たものの、払った代償は大きい。
「やぁ、ちょっといいかい?」
掛けられた声に顔を上げると、そこには救出した白髪の撃退士の姿があった。
「もう傷はいいっすか!?」
ニオが声を上げる。
「良いとは言えないが、少なくとも自分で立って歩けるよ」
「そうっすか!」
自身の数少ない成果にニオが笑みを零す。それに彼は頷いた。
「……君たちはよくやったよ」
優しい声音。同僚を載せた車両を見送り、彼は言葉を続ける。
「本当なら死んでいた僕がここにいるし、彼もまだ生き残る可能性は十分にある。君達は確かに自分の役割を果たしたんだ。胸を張れなくても、それを忘れないで欲しい。
今、届かなかったとしても、次を望める。なら次勝てばいい。だから折れちゃダメだよ」
そう言い残し、彼はその場を立ち去った。
六人はその言葉の意味を噛み締める様に、それぞれの結果を思い、夜空を見上げる。
まだ燃える炎――それに届く日を得る為に。