●白い闘場
「涼しい通り越して寒いよこれ……」
割れた流氷上を渡る一行の中、佐藤としお(
ja2489)がげんなりとした調子で零した。
時間はまだ午前中。どういう理由か定かではないが、定期的に短い時間だけ吹雪の止む瞬間を見計らい突入した一行は思わぬ足場の悪さに時間を取られていた。
割れた大振りとはいえ浮いているだけの氷に、所々に降り積もった雪が海水を浴び、所謂「轍」の様に凍った不安定な足場。まともに移動するのはとても不可能な状態だ。
おそらく彼らに撃退士としての身体能力がなければ、移動にどれほど時間が掛かるか想像に難くない。高い身体能力に物を言わせた強引な移動がなんとか時間の短縮を実現していた。
「そうよね。流石にこれは寒すぎるわ」
としおの言葉に月原アティア(
ja5409)がのんびりとした若干間延びした調子で答えた。
「気温がこの段階で氷点下ですからね……」
楯清十郎(
ja2990)が事前に現地入りしてた教師二人から、「気休め程度に持っておけ」と渡されたデジタルの気温計に目を落とし苦笑する。
「真夏の気温では確実にないよね。あれが原因って先生達は言ってたっけ」
八東儀ほのか(
ja0415)が視線を上げ、空に浮かんだ黒い天井を示した。
それは一種の「雲」の様な物だった。
正確には雲を模した物。流氷表面からおよそ1km程の場所にあり、解析結果では強引に巻き上げた大気中の水分を何らかの力場の様な物で空中に拘束。そこからその水分を凍らせ吹雪の様な状態で振りまいている物だとか何とか。
要は細かな原理はよくわからない雲みたいな何かという事である。
流氷の上に浮かぶ様はさながら黒い天蓋の様で、何となく息の詰まる様な閉塞感を生んでいた。
「おかげでこの辺りは夏にしては乾燥して体感気温は下がっているみたいね。サーバントの生んでいる唯一の成果かしら」
楊玲花(
ja0249)が皆と同じ様に黒い天蓋を見上げ言う。
「ともかく被害が出ている以上、速やかな排除が求められています。 全力を尽くす事にしましょう」
玲花がそう言うのとほぼ同時、彼らは流氷の本体へと足を踏み入れた。
「うわっ。本当に真四角なんだ」
一直線にのびた流氷本体の淵を見つめ、二階堂かざね(
ja0536)が思わずそう零した。
流氷の淵の部分は多少荒削りながら確かに真っ直ぐに伸びており、それが正方形をしている事を暗に物語っている。
「確か丁度、四角錐状に海底に伸びてるんだって。生態系の影響調査で潜った調査潜水艦が確認してるみたい」
猪狩みなと(
ja0595)ががざねの言葉を補足した。へー、と感嘆の声を零し、かざねがそこを離れる。
「それよりィ、早く動いた方がよさそうねェ。……少し時間をかけ過ぎたみたい」
黒百合(
ja0422)がそう言うと、ひらりと小さな白い欠片が落ちてくるのを見た。
「雪……」
誰かが呟く。それは吹雪が起こる予兆として観測されている雪片だ。
「観測報告だと雪が降り始めてから10分前後で吹雪になるらしい。急いだほうがよさそうだ」
としおが言うと同時、全員が駆け出した。
本体の上は僅かに雪が降り積もっているものの真っ平らに近く、スパイクのついたブーツもあって特に問題なく移動が可能な状態である。
所々、思い出した様に突き出ている氷塊を尻目に、駆け抜けると物の数分でその姿を捉える事ができた。
その異様は北欧の騎士を連想させた。
分厚く強靭な毛皮の鎧に、さながら二本の槍の様に伸びた象牙。堂々とその場に佇み、空を見上げる様は何処か神々しくもあった。
巨躯が称える威風が、その長い鼻を持ち上げ僅かに息を吸い込む。
直後、何処かで聴いた事のある物より、図太くそして威力を持った巨象の咆哮が氷雪の中で木霊した。
●吹き荒ぶ氷雪の牙
巨象から50m程離れた場所。彼らは徐々に量を増してゆく雪片の中でその姿を見つめていた。
「なんか……全長3mって言うからそんなでもないと思ってたんだけど……。あれは大きいね」
白い布を被ったB班の中で、誰かがそう零した。
彼女の言う通りその巨象の大きさは予想に反したものだった。全長こそそんなに高くないがその体付きは要塞の様に強靭で、必要以上に盛り上がった筋肉の塊がそこには鎮座している。
その正面には真っ向からそれに挑むA班の姿。距離は比較的近くだろうが、事前情報の索敵能力の低さは予想よりも顕著な物で、大きな氷塊の影に身を隠したA班の姿を確認できる。
B班がいるのは巨象から最も近くにある崖の様な氷塊の上だった。なだらかな坂の様になっており、登るのも難しくなくしかも上を取ることのできる崖の存在は幸いで、奇襲にはもってこいである。
緊張が満る。そんな中で、A班が行動を開始した。
「いっきます!」
そう叫びが響くと同時、かざねが失踪した。阿修羅らしい特攻。
巨象が動き出すが既に遅い。強靭な筋肉の塊である鼻を振り風音に迫るが、彼女はその下を体を後ろに倒し地面ギリギリを滑る事で躱し、その勢いのまま前足の膝に刃を叩きつけた。
「っ!」
僅かに鼻がかすめる。元々が異常な膂力のその一撃の重さに微かに呻き、だが止まらない。
まるで岩でも切りつけたような硬質な感触。だが同時に肉に刃が食い込む感覚もあり、そのまま強引に刃をねじ込み、切り裂いた。
巨象が痛苦に吠えた。そのままかざねが反対側に抜けると同時に、B班も動き出す。
としおだ。その手にあるのはアサルトライフル。かざねが逃げたのは丁度、崖上にいる彼の真下。
「見えた……!」
口の中で含む様に彼がいう。刹那、黒百合が動いた。彼女がいたのは丁度崖下にある小ぶりな氷塊の影。かざねと入れ替わる様に駆け出す。
としおと巨象が目を合わせた瞬間、騒音じみたアサルトライフルの銃声が木霊し、小さくだが確かな破壊の意思を持った銃弾が巨像に降り注ぐ。
同時、腹の下に潜った黒百合が両手を掲げた。
「蹂躙ィ、蹂躙ィ、蹂躙ィィ♪ 内部を素敵にシェイクしてあげるからねェェ!」
喜声にも似た叫びが響き、彼女の武装が腹の下、ほかの皮膚に比べ比較的薄い皮膚を切り裂き、蹂躙する。
唐突な襲撃。だがそれは巨像を怒らせるには十分な材料だった。
黒百合が離脱した刹那、まるで馬の様に巨象が前足を掲げ、それを地面へと叩きつけた。
それと同時、まるで槍を突き上げる様に無数の鋭い氷塊が隆起し、地形が一変する。それと同時、その鋭い象牙が無数に氷柱を纏い、その長い鼻先には斧の様な二枚の刃状の氷が現れた。
それが巨象の新の姿と言うべきだろう。
主から授かった命令を遂行する為、忠実な騎士が手にする槍と斧。
そして彼自身の分身とも言えるだろうこの氷の大地。
更に、それに呼応する様に――吹き始める吹雪。
巨象の持ち得る一切。それが一斉に彼らに牙を剥いた瞬間だった。
「くっ!」
清十郎のシールドが戦斧の一撃を受け止める高音が響き渡った。
十分に踏ん張ったにも関わらず、その一撃は彼の足を地面から離すに十分だった。だが彼とて訓練を受けた戦士の一人。宙に浮かされながらも宙でバランスを崩さず、そのままの姿勢で後ろに着地する。
ノックバックは少ない。それを行けると解釈し清十郎が駆け出す。
彼が振り翳したのは長大な杖だ。それを再び振り上げられようとする戦斧に向かって振り下ろす。
「これで!」
彼は奥歯を噛み締め、戦斧の刃に当たった杖の感触に耐える中、ガラスが爆ぜる様な壊音を聴いた。
それに巨象が怯む。
その様を見ていたアティアがその手にある図鑑を手にし、力を巡らせる。
「みんな、今のうちにフルボッコにしちゃうのよー」
彼女が声を上げる。その時、宙を駆けたのは小動物の群れの姿だった。ずんぐりとした円柱然とした姿の鳥――ペンギンである。
本来、水中を飛翔する筈のそれは鏃の様に飛翔し、吹雪に煽られる事なく巨象を襲った。
身体にとりついたそれらを疎ましげに体を揺さぶるが、小回りの効くそれらに巨象ができる事は少ない。翻弄される様に、攻撃に晒され苛立ちげに吠える。
「……そろそろ、終わりが見え始めたかな?」
誰かが誰ともなしに呟いた。
既に戦闘が始まって相当な時間が経つ。
吹雪の中での戦闘は予想以上に彼らの体力を奪い、だがその中でも善戦する八人もまた着実に巨象を摩耗していった。
防寒具に身を覆っても容赦なく皮膚を切り裂く冷気と、体から自由を奪う様にまとわりつく雪。
それは巨象の憤怒に呼応するように激しさをまし、既にピークに到達している。
「そろそろ決着をつけないと……まずそうですね」
玲花がぽつりと零す。彼女は肺が凍りそうな程冷たい空気を僅かに吸うと、駆け出した。
「これで!」
彼女は登れる程度の角度を持っている逆さの氷柱を掛けた。狙うのは頭上。手にあるのは初撃で失敗し、以降、使う機会に恵まれなかった目隠だ。
扇が舞う中、今度こそはとその霧が巨象の視界を封じる。
「やった!」
彼女が小さくそう言った直後、恐慌し乱雑に振り回された鼻が彼女を捉えた。
華奢な体がだが受身が成功した様で、地面に叩きつけられてもすぐに立ち上がった。そんな彼女の視界で、二つの影が動く。
「やああっ!」
一人はみなとの姿だ。体に似合わない戦槌を振り上げ、大きく振り下ろす。先の玲花の隙を狙った大打撃である。
その隣で同じ様に動くのは、八東儀ほのか。みなとの後ろに続く形での踏み込み。
視界を奪われた巨象はそれを的確に防御する術を持たない。だがランダムなその攻撃は、みなとの大打撃を思わぬ形で防いだ。
「っ! でも!」
不意に横薙ぎに振られた牙と戦鎚が激突し、爆発さながらの轟音を響かせる。
だがそれで終わるつもりはみなとになかった。
弾かれそうになるのを、強引に槌を振り切り、それは氷柱を鎧った象牙の片方をへし折った。
象の牙というのは頭蓋骨に直結している。そこに一撃で牙が折れるほどの勢いがぶつかれば、それは痛烈な振動を生む。
つまりそれが生むのは――脳震盪。
まかり間違っても動物である以上、脳への直接のダメージには無防備となる。気絶物の振動が痛烈に脳を揺らし、巨象の動きが止まる。
「――行くよ!」
ほのかが叫んだ。大技狙いの大きな振り。それが彼女の乾坤一擲である技となり、その結果、それが巨象への致命傷と、なった。
刃の触れる一切を斬り殺す一撃が巨象の脳天を割り、鮮血を迸らせ巨像がその場にゆっくりと崩れ落ちる。
ズゥンッ。と大きな音を立て、巨象の骸が沈んでゆく。
氷塊の闘技場を守る堅牢な騎士は、己の使命に殉じ終りを迎えた。
●氷塊の末路
「何か実験的に作られた印象がありますね。――氷山空母の試作でしょうか?」
清十郎がまだ雪の降る中、小さくごちる様に呟く。
彼らはまだ氷塊の上にいた。吹雪が収まりを見せた事により、通信が出来る状態となり、今は周囲の氷塊が溶け始め、すぐに迎えに行けると連絡のあったばかりだ。
「それにしては守りが少なすぎるような?」
アティアが言う。それに同調するようにとしおが頷く。
「確かに。試作とはいえ、実際に運用するとなったらそれなりに戦力を載せるんじゃないか?」
「そうれも……そうですよね」
清十郎はそう言って、口を噤む。
「……まぁ、ともかくこれでも巻いておきましょう」
そう言って清十郎が取り出したのは黒い粉末だった。木炭の粉末である。かれが漁船に乗せてもらっており、あらかじめ戦闘にかかわらない場所に置いてあったものである。
「これだけ巨大だと自然に溶けるには時間が掛かりますからね」
そう言って、彼は粉末を適度にまき終わると、そっとマッチを擦り、それを放った。
チリチリと炎が燃え上がり始める。それと同時、遠くから漁船の駆動音が聞こえ、彼らはそちらに向かって歩き出す。
彼らが流氷から離れる頃には、予想以上に火の手は燃え上がり、夏の日差しとあいまって、氷を徐々に小さくしゆく。
あまりに巨大だったそれは、あまりに呆気なく海へと帰っていった。