いつかどこかで―――。
弟を助けたければ真実を、姉を助けたければ嘘を言え、と悪魔は笑う。
どうすれば私たちは助かったのだろうか。
それはとても大切なことであった気がするのに、今はもう‥‥
●逢魔
「真実と嘘だけで回るのなら、もっと世の中って簡単なものになると思うんだけれどね」
丑三つ時は月の船浮かぶ寒空の下、寂しげな桜並木の真ん中で周囲の警戒に当たる新井司(
ja6034)。
事前の下調べでこの場所は、つまり被害者たちが襲われた場所ということになるのだが、ちょうど通りの中間地点にあたることが判っている。
包囲のために待ち伏せた仲間たちは後方、だから前から来た場合は後ろまで誘い出し、後ろから来た場合はその場に留まって、という作戦を立てた。
「知恵比べでも殺り合いでも、この私が叩き潰してやるぜ!」
宗方 露姫(
jb3641)が身の丈ほどある大剣を一振りにする。
こんな時でも偉ぶった口調は変わらぬ彼女、ポケットの中のスマートフォンがやけに重たく感じるのは気のせいか。
いや―――今敵はきっと恐らく仲間の協力なくして倒せる相手ではない。
その時がくれば事を彼らにメールで伝える役目が自分にはある。
戦闘状況下でのそれがいかに厳しいものであるか、ということを露姫は心のどこかで案じていた。
一方の待ち伏せ、包囲を担う者たちは
「昔論理パズルで『天使と悪魔』といものがありましたが‥、これは楽しめそうにありませんね」
バス停待合室の陰に潜んでいたソフィー・オルコット(
jb1987)が白い息を吐いた。
悪趣味な殺人ゲームを愉しむような輩は、この世界から排斥されねばならない。
そのためにも作戦は絶対に成功させなければ、とソフィーはフラッシュライトを握る。
「はい。これ以上襲われる人がでないように、きっちり倒しておきませんと」
ソフィーの横に詰めていたクロエ・キャラハン(
jb1839)が言葉を続ける。
その顔は刻一刻と普段の明るさを失いつつあり、瞳の奥にはまだ見ぬ敵への薄暗い感情が見え隠れする。
そんな二人と道を挟んで向かい側、冬囲いがなされた一際大きな樹木の陰には、楯清十郎(
ja2990)が彼女たちと目的同じくしてその身を潜めていた。
「もう二ヶ月程後なら夜桜が楽しめたんですけどね」
その言葉の裏には二ヶ月後には夜桜が楽しめるようになっている、といういわば願掛けのような意味があったのかもしれない。
目には見えない、耳には聞こえない。だが得体の知れない脅威は確実に迫らんとしていて、人気のない通りの空気を凍てつかせていた。
「‥‥‥」
清十郎の傍で犬伏 斑(
jb2313)はただじっとその時を待つ。
未だ胸に刺ささったままの恐怖の一欠けらが、彼の表情を不安気なものに変えている。
反面クロスボウの柄を握る手には迷いなく、とき来らばその一矢は確実に敵を仕留めん、とそんな声まで聞こえてきそうな雰囲気があった。
通りは奥雪道は白の上に、虚空より飛来せし双黒が静かに舞い降りる。
●問答と無用
それは一瞬の出来事だった。
司と露姫がその影を遠くに捉えた次の瞬間には、敵は彼女らの目の前まで来ていた。
およそヒトのそれでは何が起きたのかすら分からぬまま、その生涯を終えていたに違いない。
そう―――。すでに戦いは始まっていたのだ。
女型はその指の間より射出された針は司の頬を霞め、男型はその身の丈超える大鎌は露姫の肩を裂く。
司と露姫が敵の攻撃に即時応対できなかった理由は二つある。
一つは敵はまず謎かけをしてくるだろう、という予測が空振りに終わったこと。
そしてもう一つは
「‥‥子供だったのね」
「んだぁっまだガキじゃねぇかっ」
双黒をしかと捕捉した司と露姫の声が重なる。
ベティと名付けられた女型は見た目ヒトでいうところの小学三年生程度、ウルスと称される男型に至ってはさらに幼い容姿を持っていた。
しかしそれがどうした、と言わんばかりに司は冷静に、己が拳をベティ目がけて叩きつける。だがその研ぎ澄まされた刃のような一閃は即ぐ後ろに跳んだベティに掠りもせず、空しくも風を斬った。
「(この二匹、素早い)」
ウルスもまた露姫の一振りを軽快な身のこなしで難なく躱したのを見て、司はベティとの間合いに気を遣いつつも思案する。
彼女らの後ろに回り込んで追いつめるよりも、自分たちが後方へと下がりつつ戦闘を続け敵を誘い出すという当初の作戦通りに。それがやはり無難な選択だ。
司の目配せはその意を解した露姫がコクリと頷いた。
「さあ、チビ共。この俺が相手してやるからかかってきなっ!」
仲間が身を潜めるそこへと向かって後ろに跳び、大剣を眼前に雄々しく構える。
半歩遅れて司がその横に、だが二匹はその場に留まったままそれより前に進もうとはしない。
よもや待ち伏せに気づかれたのか―――。
「‥‥‥主に問う」
途端、ベティとウルスが射ぬくような視線を露姫に向け彼女との間合いを詰めると、その声を重ねた。
「死にたくなかろう。まだ生きたかろう。答えが真実であったならばそれを許そう」
「だがしかし嘘でなかったときはその首切り落としてくれよう」
露姫の剣の柄を握る手がギリッと唸る。
「洒落たやり口してやがる。俺の答えはなぁ」
ベティに切っ先突き付け
「俺を攻撃してくるのはテメェだよ」
勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
そして目の前の二匹は―――二人の、そして両脇に控えていた仲間の思惑通り、その動きを停止させた。
「(やはり‥‥)」
訪れた勝機、それを見逃すような司ではない。一気に間合い詰めた彼女の鉄拳は行動不能同然の状態に陥ったベティの頭部に見事さく裂し、双魔の片割れは成すすべなく地面に叩き伏せられる。
衝撃でフードはまくれ上がり、その下に隠れていた決して器量よしとは言えぬ素顔が露わになる。
追撃か、未だ硬直状態のウルスへの攻撃か。露姫は寸前まで迷い弾け飛んでいきそうな自分を抑えつけながら、胸ポケットに隠し持っていたスマートフォンに指で触れた。
●包囲と束縛
初動いち早く、ウルスに攻撃を放ったのは班の鋭い一矢だった。
それは数秒の差で我を取り戻したウルスに惜しくも躱されてしまったが、班は素早く次矢を弓に番えて狙いを定める。
それとほぼタイミング同じくしてソフィーの手から離れたフラッシュライトが点灯、扇状に広がった光は一行が敵を完全包囲した戦局を照らし出した。
「そのままじっとしていてくださいね、今すぐいい子に戻して‥」
あげますから、とクロエは手に握った大鎌は魔法刃を展開させ、露出したベティの首元目がけて振り下ろす。もちろん、そのまま切り落とすつもりで。
悪魔の手先は息の根止めればヒトの死体。逆を言えば生きてる限りは永遠に悪魔の手先。だったらその不幸を今即ぐにでも終わらせてやるのが、撃退士に課せられた使命と言うものだろう。
だがしかし
「おねえちゃん」
ウルスの喉から絞り出されたその一声に、ベティもまた我を取戻しクロエの一撃を逃れるに至る。
だが態勢立て直したかに見えた二人を待っていたのは、清十朗が持つセレネの打撃。白銀色の杖先がウルスの利き腕を打ち砕かんとする勢いで打ち下ろされ、そしてその攻撃は見事さく裂した―――が、どうにも清十朗は手応えの悪さを払拭できずにいた。
「(物理よりも魔法力にやや弱い、といったところでしょうか)」
ウルスの返しは大鎌の一撃をシールドで防ぎながらに、清十朗は己が得た分析の結果を仲間にも報せる。
その点留意し改め、一行の戦意が双魔へと向けられた。
「‥‥‥?」
刹那、敵との間合いを一定距離に保つことを心がけつついた班が一行の中でただ一人、その違和感に気付くことができた。
それは撃退士でありながらも普段はカメラマン、という側面が成せる技であったのかも知れない。
だがしかし違和感はその正体が何であるのか、ということまでは分からぬまま戦況は当たり前に有無言わさず流れていく。
二匹は決して守りに入ることはなかったが、とにかく持ち前の素早さで囲いの中を飛び回り、器用に攻撃を躱していく。避けていく。
だと言うのに。
「主に問う」
二匹は愚かと言う他なかった。
先の露姫との問答で真偽の判別不能の回答を与えられ窮地に陥ると分かっていながら、一行の次々にその問答を浴びせていく。
うんざり、と言った表情を見せたソフィーが
「今度は人間の遊びに付き合って頂きましょうか」
放心状態のベティに銃弾撃ち込み、それに弾かれ倒れた彼女に向かって
「貴方の主人の名と目的を答えて下さい」
これがゲームと言うならば、公平こそがルールであるはず。
ヒトの常識が悪魔に通じるという絶対の保証はないが、賭けてみる価値は十分にあった。そして結果としてソフィーは、その賭けに勝った。
ぬらりと身体を起こしたベティが虚ろな目で彼女を下から見据える。
「我らが主の名はイデボラ。情念の悪魔である」
その後にウルスが言葉を続ける。
「我らが主の目的は見せしめである」
途端二匹はまるで息を吹き返した猛獣のように、一行にその牙を剥いた。
だが先の問答を無回答で済ましカウンターを貰ったクロエには、執拗なまでにそれを繰り返し続けてくる。
即席の倫理クイズで二匹の放心タイムを間延びさせておきたかったところだが仕方なし、とクロエはベティとウルスが重なり合う一点を探り出すと闇色の拳光を一直線上に放出した。
●回帰二双
「そのままぶっ潰れな!」
クロエの一発、たて続けに清十朗の白光帯びた一撃を受けとうとう地面に伏したベティに、露姫が情け容赦ない一撃を振り下ろす。
だが雪の上に鮮血をまき散らしながらもなお、ベティは立ち上がり針を構える。
ウルスが姉への攻撃の仕返しと言わんばかりに大鎌の狙いを露姫に定めれば、司がその間合いを壊さんばかりに華麗なステップを見せる。
再び漫然とした戦況が続くのか、と思われたその矢先。
班が放った何本目かとなる矢がベティの右足を貫いたところで二匹はやっと、その兆しを露わにした。
無回答のまま済ませたクロエにやはりカウンターが飛ぶかと思わたとき、二匹はウルスが先に
「今宵はこれにて去ろう」
そう言って踵を返したのだ。
司が前に出たことで生まれた包囲の穴目がけて飛び込まんという勢いで走り出し、班の矢がその後を追うが初動の差で届かない。
ベティもまた一行の攻撃の間を縫ってウルスの後を追う。だが振り向きざまにソフィーが放った一言が、彼女の動きを止めた。
「貴方は虫けらよ」
―――そう。二匹がした最後の問答の相手は、それまで一回も問答のやり取りを行っていないままでいたソフィーだったのだ。二匹は回答権が彼女にある状態で逃亡を図ってしまったため、その答えを聞かされたベティは足を止めるしかない。
なぜならばそれこそが二匹を縛りつけていたものの正体、主から与えられた唯一絶対の命令なのだから。
「私は虫けらではない。それは真実ではない」
痛みを伴わぬ慈悲の針がソフィーの肩に撃ち込まれたと同時に、司の鉄拳はベティの頭部を打ち砕いていた。
全てが終わった寒空の下、ヒトのそれに戻った少女の亡きがらが己の血で赤く染まった白雪の上に横たわっている。
「一匹は撃滅できたわけですからね」
とは言いつつも、清十朗はウルスが逃げた先を思う。主人がいる以上、彼はまた遣われ人の世に仇を為しにやって来るに違えない。
だが戦いの最中ウルスが答えた見せしめ、とはいったい何を意味するものであるのか。
「‥‥‥」
その時ふと、班が足を動かした。
彼もまた戦いのさなかで感じた違和感の正体を突き止めようと、少女の亡骸を恐る恐るとは言え注意深く探っていたのだ。
班は少女のフードの下は胸元で光っていた物をチェーンごと引き抜き、一行の前にそれを差し出した。
「指輪、か?」
「随分小汚ぇ‥‥てかこれ血じゃねぇかっ」
司の後に続いた露姫が思わず声を上げる。薄汚れたシルバーのリングは、確かに血に塗れ黒く変色をしていた。
「この娘のじゃない、どう見てもサイズが違いますもんね。今回亡くなられた、被害者さんのものだったりするんでしょうか」
クロエはいつのまにやら普段通りの明るさを取り戻している。
「分かりません。私はまずは原野井さまに届けるべきかと思います」
ソフィーの言葉に一行は同意を示し、そして指輪は後日原野井真由に届ける、ということで合意した。
指輪を受け取った真由はひとまずは一行にお礼を言い、そして
「この指輪の持ち主については、調査を続けてみるから」
こうして冬の丑三つ時、桜並木に出現した双魔の物語は、これで一旦終わりを告げる。