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料理研究会の部室に集った一行を出迎えたのは、依頼主である誠。それから真っ黒な作業着に着替えた部員たちだった。
「万が一の際は、我々が清掃に当たる。君たちは回収に集中してくれ」
そう言って、簡易地図を渡す誠。
担当の場所へと向かって、散会する一行。
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「食べ物を悪戯に使うなんて…」
要所を一目で確認できる見晴の良い場所を目指しながらに、東城 夜刀彦(
ja6047)は思わず心の内を吐露した。
食べる物に苦労したことがある人間にしか分からない感情、小さな怒り。
捕まえたらタダじゃおかないぞ、と決意を胸にする。
「盗んだ上に‥‥二重の理由で許せないですね。捕まえてお説教です!」
夜刀彦の横に並ぶ或瀬院 由真(
ja1687)もまた、彼と同じ気持ちだった。普段は愛らしい笑みを浮かべる彼女の口も、この時ばかりはきゅっと一の字に結ばれていた。
誠から預かった犯人たちの姿写真を手にしっかりと掴み、
「行きましょう、東城さん」
と歩みを強める。
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高等部音楽室の前に立つ、二階堂 かざね(
ja0536)と、水葉さくら(
ja9860)。
一行の誰よりも先に、魔境へ一番乗り、である。
「高等部たる私はもちろん入ったことはある」
と自信満々にかざねが白銀のツインテールを揺らし、ちょっぴりおどおどのさくらを引率するようにして、音楽室へと乗り込んだ。
「静かな音楽室って、なんだか新鮮な感じがします‥‥」
さくらの言葉通り、休日のその場所は、静寂に包まれていた。
「そう言えば、さくらちゃん。どうして、ブルマなの?」
「‥‥? 動きやすい、ですよ?」
かざねのツッコミにも、さくらは何も気にしていない風に、首を傾げるだけである。
さらに「汚れても良い服装で、とのことでしたので」と言葉を続ければ、かざねは「そ、そう?」と半ば無理やり、自分を納得させる。
「お、音楽室で、それとなく人目に触れるような場所ってどこでしょうか・・・肖像画、とか?」
さくらが見上げると、正面の壁にはベートベンの肖像画。荒々しいタッチで描かれたその画の中の彼は、険しい顔つきで、こちらを睨んでいるようにも見える。
他の肖像画にも目を向けるが、特に不審な点は見当たらない。
「うーん。意外と判りやすいところには、ないのかも。とりあえず」
机の中を一つ一つ確認してはみたものの、目的の物を発見するには至らず。
かざねはスタスタと歩き、楽器置き場へと、向かっていく。
「ここが一番、怪しいと見た」
ツインテセンサーがビンビンなのです、とかざねは自分のツインテールを掴み、小さく振り回す。
「鍵かかってないと、いいんだけど‥」
だがかざねのその心配は、杞憂に終わる。
誰かが閉め忘れたのか、はたまた犯人たちが開けっ放しにしていったのか。それは分からないが、扉は難なく開いた。
楽器置き場へと進む、2人。
ギターにドラム、シンバルに。普段はあまりお目にかかれない楽器類が、それから壁に備えつけの棚には資料の類が、綺麗に整頓され置かれている。
そこでさくらがはて、と首を傾げた。
クリーム色のドラムの上に、金属質の缶がひとつ、くっついている。いや、乗っかっている。
「ドラム‥‥て。こんなのでした‥‥か?」
さくらのそのひと言に、かざねも事実に気づき、思わずプーッと吹き出した。
「‥‥い、色々と突っ込みたいところだけど、とりあえず一個目、かな」
缶詰を拾う。
だが以降が、中々見つからない。
持ち込んだお菓子をさくらと分け合いながら、鳴らない携帯を手に、かざねはこれがお菓子の類だったら簡単に見つけられるのに、と一人心の中で舌を打つ。
「ここにはもうない‥みたい、ですね。表のピアノを、当たってみましょうか」
だが楽器置き場を出たところで、再びさくらが首を傾げる。
確か、音楽室の扉は閉め切ったはずだ。
いや決して誘い受けとかそういうことではなく、暴発に備えて、のことだったのだが。
「あれ、おかし‥‥」
かざねもその事実に気が付き、声をあげた。その時だった。
ピアノの陰に身を隠していた春之助が、すっくと立ち上がり、二人の前に姿を現した。顔にはガスマスク。右手には金属バット。左手にはそこに隠してあった缶詰。その異様な出で立ち、そして突然のことに、二人は成すすべなく。
同時刻、要所を一望できる場所に移動を完了した夜刀彦が、手に持っていた双眼鏡を覗きこむ。
この位置からだと大学部の屋上が犠牲になってしまうが、他の三か所をカバーできるのは大きなメリットだった。
由真が廊下で、通行人を片っ端から引き留めては、聞き込みを行っている。
懐の携帯が鳴って、画面を確認すると、かざねからだった。
通話ボタンを押して耳に受話孔を押し当てると
「くっさぁああああああいっ!」
その割れんばかりの、天にも届きそうな叫び声が、夜刀彦の耳を劈く。
キンキンと病む頭を振り振り、事態を察した夜刀彦が、慌てて双眼鏡の先を音楽室へと向ける。
黒のガスマスクをつけた男が、音楽室を飛び出し、廊下を走り去って行く。犯人の少なくとも一人は高等部に潜んでいる、という夜刀彦の読みは、どうやら的中したようだ。
「だ、大丈夫ですか。今‥‥」
清掃班送ります、と言おうとしたところで、かざねが「さくらちゃん脱いじゃだめぇっ」と叫び、通話はそこで途切れた。
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時間は少しだけ、遡る。ところも変わってここは、高等部倉庫前。
「‥‥よりにもよって、あの危険物を放置するとは、これはすでに愉快犯では済まされない。これはテロだ。犯人発見もだが、一刻も早く危険物を回収しなくてはならないな」
と榊 十朗太(
ja0984)が、勇み倉庫の扉を開く。
その後ろで「危険物ってつまり、あれでしょ‥‥」と遠くを見つめていた氏家 鞘継(
ja9094)も、何とか気を取り直し、十朗太の後に続く。
倉庫内には、廃材が積み込まれたダンボールの山。それと用務員のオジサンが一人。
彼は当初、2人の出で立ちに度肝を抜かれた様子だったが、鞘継が素性を明かし
「怪しい人物とか、変なものとか。心当たりありませんかねぃ」
と尋ねれば「知らないなあ」と首を横に振った。
ということはつまり、犯人たちは缶詰をダンボールの中に忍ばせた後、善意の第三者に持ち込ませた、と考えるのが妥当である。
十朗太が「ここは危険だ」と退避を促すと、用務員は素直にそれに従い、倉庫外へと姿を消した。
誰もいなくなった倉庫で、捜索を始める2人。
十朗多がダンボールをひとつひとつ確かめ、それが終わると、鞘継が整理。その流れで2人は順調に、缶詰を発見していく。
十朗太の携帯電話が鳴ったのは、それらをクーラーボックスに詰め終え、ここらで他の班にも連絡を、と思った矢先の事だった。
「犯人の一人がこちらに向かってるようだ。或瀬院さんがその後を追ってる」
「そんじゃここはひとつ、待ち伏せと行きましょうかねぃ」
力強く頷く十朗太。2人は扉の両脇へ移動すると、そこで息を潜ませ、犯人の到着を待った。
廊下を走る音がどこか遠くで聞こえ、その後、対象が足音を殺してこちらに近づいてくるのが分かる。
きぃ、と僅かに開かれた扉、鞘継がその隙間に飛び込み、対象に痛打をさく裂させる。
「げへっ」
良いのを貰って後ろに吹っ飛ぶ、春之助。しかし麻痺を与えるまでには、至らなかったようだ。春之助は2人の姿を視認すると、すぐさま立ち上がり、背を向ける。だがそこには既に、小天使の翼を用いてすっ飛んで来た、由真の姿があった。
「これをっ!」
十朗太が投げた廃材入りのダンボールを、由真が中空でキャッチし
「上から来るぞー、気をつけろー」
と棒読めば、それを春之助の頭目がけて叩き落とす。
鈍い音が響き渡り、廊下に突っ伏す春之助。ガスマスクが外れて、白目を剥いた彼の素顔が、晒される。
「一人目ゲット、ですねぃ」
鞘継が束になったロープを、ぱらりと床に垂らす。
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同時刻、大学部屋上。
校内の一角でへんちくりんな騒ぎが起きてることなど、そして自分たちもその危険に晒されていることなど、露知らず。
屋上に集まっていた何名かのブラスバンド部員たちは、のんびりと練習に励んでいた。
そこへやってきたのが二上 春彦(
ja1805)、そして 露草 浮雲助(
ja5229)の2人である。
「全く、せっかくのアレを悪戯目的で使うだなんて…」
お仕置きですね、と浮雲助の一歩後ろを歩く晴彦が、ゴーグルの下で仄黒く笑う。
「しっかし『久遠ヶ原料理研究会』さんはあの缶詰をどう調理するつもりなんでしょうね〜!」
一方の浮雲助は、どこまでも明るく。さらに「無事回収できたら、調理を見学、試食させてもらえないものでしょうか〜?」と言葉を続ける。
「それはいいですね。是非とも」
晴彦がにこやかな笑みを見せ、そんな2人がブラスバンド部員たちの元へと歩み寄ると、ワシントンなんとかの演奏が中断される。
彼らもまた、二人の出で立ちに若干引き気味の様子を見せていたが、
「怪しい人を見ませんでしたか」
の浮雲助の問いに、
「ゴミ箱んとこ、知らねぇ顔の奴がうろちょろしてたぜ」
と素直な回答を寄越す。
常温放置も良い所だ。事は急ぐ、と晴彦は浮雲助とともに、言われた場所へと駆け寄る。
「これが、そうなんですかね〜?」
ゴミ箱を丁寧に漁ると、中には缶詰が数個、当たり前のようにして捨てられていた。
「少し膨らんでるみたいですけど、大丈夫なのかな‥」
缶詰を恐る恐る、回収していく浮雲助。
「ああ、大丈夫ですよ。この缶の状態なら発酵も六、七割程度でしょう」
一目見ただけで? と浮雲助は驚きの表情を浮かべるが、予備知識のある晴彦にとってそれは、容易なことだった。
「ですが、念のため」
浮雲助から缶詰を受け取り、それを用意していたクーラーボックスの中へ、さらに次の缶詰も、と晴彦が手を伸ばす。
屋上の出入り口の上のコンクリ床に、身体を張り付けていた宗一郎。その目がライフルのファインダー越しに対象を捉え、その指が引き金を引いたのは、ちょうどその時。そのタイミングで、だった。
射出された弾丸が、ピンポイントで捉えた缶詰を、木端微塵に粉砕する。
中身の具とともに、飛び散る臭い液。いくら駄目にしても良い服とは言え、そしてゴム手袋越しとは言え。それをまともに浴びてしまった浮雲助は、直立したままブルブルと我が身を震わせる。
臭撃はさらに、彼らより風下に立っていたブラスバンド部員たちにも、及んだ。
サックスは素っ頓狂な音を放ち、マーチは乱れ、リズムは狂いゆく。
「うおえ、くっさ!」
「あに、このにおいっ!!?」
慌てふためく彼らの後ろに降り立つも、宗一郎はガスマスクのお蔭で至って涼しい顔。
2本の指を額にくっつけて、片目をウィンク。チャ〜オ、と走り去る。
そんな宗一郎の後を、浮雲助が縮地を用いて「待てこのーっ」と追いかけて行く。
一人その場に残った晴彦は、あくまでも冷静に淡々と、適切な処置を施していく。
飛び散った汁はペーパーに吸い取らせ、全て焼却。中身はもうどうにもならないので、仕方なし、と缶の破片とともに密封袋に収納する。
残された缶詰も忘れずボックス内に収めたところで、携帯電話を取り出す。
晴彦から連絡を受けた夜刀彦は、既に走り出していた。双眼鏡の奥に発見した犯人は、自分の読みが正しければ小等部に向かっている。
由真はかざねとさくらの救出に、十朗太と鞘継は確保した春之助を部室まで運んでいる最中。
手漉きは自分。浮雲助と共に、残る宗一郎を、追いつめるのだ。
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小等部美術室。残された最後の魔境、である。
そこへ入室を果たした、cicero・catfield(
ja6953)とハートファシア(
ja7617)の2人。
「生徒たちの作品は、何としても守り抜かなければ、ですね」
室内の展示品に目を通しつつ、ハートファシア。続けてシセロが
「全く、悪戯が過ぎますね」
と呟いたその時、彼の携帯電話が鳴り響いた。
「ふむ。犯人がこちらに向かってるようです。急ぎましょう」
こくり、とハートファシアが、奥の個室の扉を開く。
立ち込める油の匂い。画材関係の道具が収められた室内を一通り見渡して、やはり収納ボックスが怪しい、とハートファシアがそこに歩み寄る。
その背後ではシセロが、周囲の警戒を担う。
万が一何かあった場合は、自分がハートファシアを守らなければならない。責任重大、シセロはそう考えていた。
「ありました」
石膏を固めるための空き缶が収められた収納ボックスの中で、明らかに違う色の光を放つ缶詰が数個、パッと見でも確認できる。
「?」
それにしても何か、異様にテカテカしている気がするのだが。
だが考えている時間はない。
回収を、と手を伸ばすハートファシア。
だが油に塗れたそれはまるで生き物のように、つるり、と手の中から逃げた。
缶詰は床に落ち、その衝撃で淵が歪む。さらに歪んだところに小さな亀裂が生じ、ぶじゅーっと嫌な音とともに汁が吹き出したかと思うと、狭い室内一杯にあの強烈な臭いが充満する。
「わぉ、ハーちゃんびっくり」
そうは言っても、あくまでも無表情なハートファシア。だが犯人の陰湿とまで言えるその小細工、嫌がらせに、胸の内では怒りを募らせる。
シセロがマスク越しに、口元を抑えて窓に手をかけるが、開かない。鍵は開いているはずなのに、どういうわけか、開かない。
まさか、とよくよく見れば、窓の淵が接着剤のようなもので、塗り固められている。
そこまでするか。
「駄目ですね、一旦外に‥‥」
シセロが呼びかけるも、微動だにしないハートファシア。マスクをしているとは言え、この臭いだ。無理もない。思考回路など、吹っ飛んでしまう。
自分もこのままではマズイ、とシセロはハートファシアの身体を抱え、2人は室外へと勢いよく飛び出した。
そこで鉢合わせたが、宗一郎。彼は2人の様子にご満悦、と言わんばかりのいやらしい笑みを浮かべたが、後ろから追ってきた浮雲助、さらに外壁を駆け上がってきた夜刀彦に取り押さえられ。そこであえなく御用、となったのである。
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「よくやってくれた!」
駄目にした分は予備の範疇だ、気にするな、と誠がカカと笑う。だが一行は一部を除いて皆、意気消沈、顔面蒼白。
「試食用のを、酒で洗って美味しく料理した。報酬のおまけとして、受け取ってくれ」
‥‥受け取ってくれ、と言われても。
ただ晴彦だけが「あれ、皆さん食べないんですか」と涼しい顔で、ナプキンをつける。
追いつめられ、感情のやり場を求める一行。その矛先が、柱に括り付けられていた宗一郎と春之助に向かうのは、必然なことだった。
あ、何するのヤメテ、ヤメ―――
轟く絶叫、それは休日の久遠ヶ原はその一角に、いつまでも響き渡っていたとか、いないとか。