●
夏の日差し。蝉の鳴き声。ここはともにキャンプ部が第三キャンプ場―――跡。
とは少々行き過ぎた表現だが、しかしここはたった5分前までは確かに、大自然の一部、雑草と言う名の絨毯が広々と敷かれていた場所であったのだ。それが必要な設備こそ傷一つつけずに健在しているという一点を除き、文字通り草木一本根絶やしにされた土地のその所々からうっすらと白い煙が上がる光景はまさに戦場跡地。辺りには何かが焼けた匂いが充満し、鎮火しきれなかった小さな火があちこちでちろちろと揺れている。
『みてみて〜、100久遠げぇっとぉ〜☆』
焦土のど真ん中で、ピンク色のワンピについたフリルをふわふわさせている、御手洗 紘人(
ja2549)が別人格チェリー。彼女の言葉通りその手の指先には、確かに100久遠硬貨が煌めいていた。
その数メートル先手前に、雑然と並ぶ他の草刈り参加者の面々。男も女も関係なく皆一仕事やり終えた、という漢の顔で遠くを見つめている。
空中で渦巻いていた風がその胸に草の束を抱いたまま、空の彼方へと消えていった。
どうして、こうなった。
●草刈り狂騒曲
それは今からきっかり、5分前のこと。キャンプ場にたどり着いたところで雑草の無法地帯を目の当たりにした一行は、今まで相当な距離を歩かされたことも重なってちょっぴり心が折れかけていたのだった。だが
「キャンプねえ、あんまりした事無いが、夏の思い出には良いかもな?」
まあ気楽に行こうよ、と神楽坂 紫苑(
ja0526)が真っ白な軍手をはめた手で良く切れそうな鎌の柄を掴むと、それに励まされるようにして他の面々も行動に移り始めた。
「草は手で抜けるけど、小さな木はこれでやっちゃいますね」
健康的な小麦色の肌に軍手の白が映える、高峰 彩香(
ja5000)。
活性化させたのは夜の闇がそのまま溶けたような大鎌だ。もちろん対天魔仕様のれっきとしたV兵器である。試しに、と足元に生えていた小木の根元に軽く切っ先を当てると、当然のごとく手ごたえなんてまるで皆無呆気なく刈り取れてしまった。
その横で「草抜き頑張るのだ!」と膝を折り曲げるレナ(
ja5022)。自分も彩香と同じに鎌で切っているつもり、で足元に生えた草を地道に手で引っこ抜いていく。
「こうして足腰を鍛えるのもニンジャの訓練なのだ!」
と小さな体に有り余るほどの豊かなバストを、たゆんと揺らす。
そこからちょっと離れた場所に立っていた浪風 威鈴(
ja8371)は、おどおどとした印象が特徴的な少女だ。人見知りが激しいためこういう時でも無意識的に、皆とは距離を取ってしまう。その様子はどこか所在なさげで、自分が草刈りをして良いのか迷ってる風にも見えた。
「ま、適当にやっていこうよ」
そんな威鈴を後ろからそっと支えるようにして、優しい言葉を投げかける鳴上悠(
ja3452)。彼が威鈴のフォローに動けるのは、その性格を良く知っているためだろう。そして威鈴にとっても悠は特別な存在なのか、その距離まで近づくことを許しているように見えた。
直後「きゃーっ」と上がった女の悲鳴。
と思ったら実はそれは木ノ宮 幸穂(
ja4004)に飛びつかれた鳳 優希(
ja3762)が、思わず叫んでしまった喜びの声だった。優希が乱れたフードを整えるのも忘れて、お返しと言わんばかりに幸穂をぎゅううと抱きしめる。すると幸穂はにー、と悪戯っぽい笑みを浮かべて雨宮 祈羅(
ja7600)にRehni Nam(
ja5283)を巻き込んでのハグ無双。
にゃー、とちょっぴり困ったようなでも嬉しいような声を上げるレフニー。「やる気補充完了ー。やるぞー」と満足げに腕を伸ばす幸穂。
優希にとってもそうだが、祈羅にとって幸穂は可愛い妹的存在だ。普段からそういうものに目がない節があるのだ。祈羅は幸穂を見ると、ついついにたけてしまう。
「愉しそうだねぇ、二人とも。見てるボクも愉しくなってくるよぉ」
そしてそんな2人を傍で見守る、雨宮 歩(
ja3810)。
祈羅が幸穂とこんな風に楽しんでいる光景を目にすると、なんだか自分まで幸せな気分になる。その表情は普段気取っている皮肉屋の顔とはまた違い、とても穏やかなものだった。
「私も手伝います」
己の半身を預ける車椅子を真面目に草刈りをする島津・陸刀(
ja0031)の脇につける、御幸浜 霧(
ja0751)。光纏すれば足の自由は利くようになるのですから、と霧は言葉を続ける。
「ん、そうか?」
よっと身体を起こす陸刀。普段はギラついた獣のような瞳を持つ彼も、霧に向けられたそれからはどこか暖かな優しさを感じさせる。
「人数は今でも十分足りてると思うが、だが霧がやりたいなら‥‥」
そこで陸刀の言葉が、不自然な途切れ方をする。
「どうかされましたか?」
「あ、あー‥‥あぶねぇからちょい退避だ」
首を傾げる霧。その車椅子を引き、陸刀は言葉の通り立ち位置を少し後退させる。
そう。ここまではとりあえず普通の草刈り、だった。
●
たかが草刈りされど草刈り、ということか。またはジョーシキ何それ美味しいの、とか。
「爆ぜろぉおおおおおおおおおおお!」
その口火を切ったのが、赤の洋髪に白肌際立つ白夜 雪月(
ja7754)だった。銀の焔を纏った戦槍パルチザン。その柄を握りぶん回し、目の前の雑草を薙いで焼き払う。それは燃え尽きたというよりは蒸発に近い形で、雪月は次々と目の前の雑草を消し去っていく。
それに続けと言わんばかりに、ルーネ(
ja3012)が「毟るのはムダ毛だけじゃないのだぜ!」と半ばやけくそ気味に鎖鎌はその刃を振るった。稲妻が度を越えて近くに落ちると、目の前が黒くなったような錯覚を起こすという。例えるならばそんな一閃が、軌道上に存在する全ての草を薙ぎ払っていく。彼女もまた、紫に近い赤髪を揺らしながら前へ前へと進んでいく。
だが断神 朔樂(
ja5116)が体得済みである、断神流闘技は壱式が可能にする超高速移動も、それに負けてはいない。気づいたときには草は根こそぎ刈り取られ、軌跡に陽炎が立ち上る。今回の依頼参加の目的は、先の戦いで傷つき鈍った身体のリハビリだ。無茶をするつもりはないのだが、ついうっかり。二手目に放った弐式、銀華によって巨大化した黒漆太刀が地面を抉らんとする。ギリギリのところでクレーターは回避できたが、朔樂は「ごめんで御座る〜」と少しバツが悪そうに腕を頭の後ろに回す。
「断神さん、やりますね」
それに触発されたのか。普段の冷静さの裏に押し込めていた本性がむずっと、赤毛の青年マキナ(
ja7016)は活性化させた斧槍ワイルドハルバードの柄を握る。
「よっし、俺も行くぜ」
がらりと口調を変えたマキナのその言葉に、鳳 静矢(
ja3856)が「皆で一気に終わらせよう」と相槌を打つ。その手には霧を纏い紫に輝く、柳一文字。
「こんな所に生えてんじゃねぇ」
マキナが地面スレスレ高速の一撃でもって草を払うと、静矢が振りぬいた武器から鳥の形に具現化したアウルを解き放つ。そこにレフニーと優希も参戦したところで、草地の奥で柳一文字を構えたルーネが渾身の大回転切りをぶっ放したものだから、いよいよ場が混沌としてきた。
「明日・・・お前もこうやって育ったのかな?」
その混沌に、ではないだろうが、昔の想い人が幼少の頃こうして草刈りひとつにでも夢中になってたのかもしれないことを思うと、その胸に感情の一つや二つこみ上げてくるものがある。赤毛の元軍人ファング・クラウド(
ja7828)は、活性化させたスペツナヅナイフで草を刈っていく。それに驚きぴょん、と飛び出したカエルごとナイフで串刺して、そりゃもう夢中で刈って刈って刈りまくる。いや、狩りまくる。その瞳が輝き表情が生き生きとして見えるのは、気のせいだろうか。
そろそろ何だか嫌な予感がしてきた。
「風に揺れる草を切る、と。これは剣速が重要ですね――面白い」
レイル=ティアリー(
ja9968)はそもそも、草刈りを鍛錬の一環としか見ていない。だがその理由は決して生半可でもなければ、まして冗談でもない。幼い頃に、いつか見た物語。その中に存在する憧れの存在、騎士。その理想たる彼に近づくためならば、自分は愚直と言われようとも構わない。脇目を振らず、心も乱さず。周りの状況は意識の外、目の前の草刈りにのみ集中する。では黒髪のお姉さん幽樂 來鬼(
ja7445)はどうか。來鬼は始め「楽しみだなぁ♪」とにこにこ笑いながら一人端っこの草を刈っていたのだが、この状況に何か思うことがあったのだろう。流石に手を止めちょっと困ったような顔になる。
「うーん、これ終わるかなぁ」
駄目でした。
だがそこに救世主降臨。親友である來鬼の傍に控えていた祈羅が
「ファングちゃんもゆーちゃんも荒すぎだよ?」
ファングと雪月に向かって、ツッコミを入れる。よしよしこれで―――などと言う甘い幻想は瞬時に打ち砕かれた。
『真打ち登場だよー☆』
サクッとねー、とチェリーが作り出した巨大な火の玉が、そこに人がいようといまいとそんなことお構いなしに、草地目がけて突っ込んでいく。
●
といったところで、話の初めに戻る。
レフニーが無茶しやがって、という顔でチェリーの爆撃に巻き込まれた静矢とマキナに癒力でもって治療を施す。
『チェリー間違えちゃった☆』
テヘペロ☆と片目を閉じるチェリー。
だが敢えてこう言わせて貰おう。グッジョブ、と。
他の面々もそのことを気にしてる風でもないので、予定調和、平常運転、ということなのだろう。―――強固な絆、という名の深淵を垣間見た気がする。
しかし何はともあれ、これで草刈りは無事終了。となればお次はテント設営である。これを済ませないことには、キャンプが始まらない。
テント用具一式を、逞しい右腕一本で楽々持ち運んで見せる陸刀。からからと車椅子を押す霧。
「私にも何かお手伝いをさせてください、島津様」
「これくらい俺一人ですぐ終わる、大丈夫だ」
「そうです、か?」
ちょっとしょんぼりとした霧の様子に、陸刀は口の端を緩ませる。
「それじゃあ、霧には水汲みを頼んでもいいか?」
その言葉を受けてパッと表情明るくした霧は「はい」と嬉しい声を上げて、タンクを手に森の奥へと消えていく。その後にも何人かが森へと向かって行くのを見て安心したのか、陸刀は視線を戻すと地面に下ろした荷を解いていく。
そこから少し離れた場所で「しっかりと張らねばな」と静矢が借りてきた特大サイズのテント、それが収納された荷を解いていく。朔樂とマキナも作業に加わり、3人は着々と組み上げていく。
一足先にテントを張り終えた彩香が「ちょっと森の中を歩いてこようっと」と水汲み用のタンクを手に森へと向かう。だがふと思うことがあり、その途中で足を止め辺りを見渡した。レナの姿がない。彼女のものと思しきテントもない。
はて、と彩香は首を傾げながらもとりあえず、止めていた歩みを再開する。
その後、やはり誰とも距離を取ったままの威鈴が森の中へと消えて行く。すぐさま後を追いかけようとする悠。だが幸穂と優希のダブルタックルに歩調を狂わされ「おまえらな〜っ」と怒り半分笑い半分で声を上げる。
●
森。
夏の熱い日差しが草木をあぶり、濃い緑の匂いを一層際立たせる。背の高い木々はその重なり合った葉の隙間から差し込む陽光が、きらきらと輝いていた。
彩香は道なき道を一人歩きながら、迷わぬようにと木の幹に目の高さで目印をつけていく。森には羽虫の類がせわしなく飛び回っていたが、虫除けスプレーの匂いを嫌って寄り付かない。準備万端、と彩香はのんびり森の様子を眺めながら、小川のある方へと向かって進んで行く。
そこからかなり離れた場所に、小川の上流を目指し森の中を一人歩き続ける唐沢 完子(
ja8347)の姿があった。実は彼女も草刈りに参加していたのだが、ひっそりと陰に隠れるようにしていたため誰の目にも止まることはなかったのである。何より背の低い彼女よりも長く伸びた草丈がその要因だったのだが、完子は特に気にした様子もなくむしろありがたいという風な様子だった。
「ふぅ」
ため息を吐く完子。息抜きのつもりで参加したは良いものの、やはり休日の姿はアリスとしてでなければ自分ははっちゃけるのに向いてない、と逆に思い知らされる結果となってしまった。
「‥‥‥」
自分はもっと強くならなければいけない。自然と足が止まり踵を返した、その時だった。目の前に突如現れた、大型カマキリの番。それらを視界に捉えた完子の身体が、びくりと震える。彼女は一瞬何かを躊躇うような様子を見せたのち、ぼそりと何か詩のようなものを呟いてみせる。
―――ウェルカムトゥザワンダフルワールド。
『いらっしゃいませお客さん。不思議の国への切符を一枚?』
まるで太陽を真っ直ぐに仰ぎ見るヒマワリのような、弾ける笑顔。先ほどと態度を一変させた完子は「あハはハ!血と闘争に濡れ光る戦場へヨウこソ!!」とリボルバーM88を構え敵を圧倒する。ばら撒かれた弾丸があっという間もなく、雌カマキリの肢体をハチの巣にしていく。飛び散る血潮に高揚を覚える自分を一切隠そうとはせず、むしろ見せびらかすかのような勢いで、完子は雄カマキリに標準を合わせる。
「言葉を話セなイのデハ会話ニなりマせんネ? イらナイ頭ハ体とバイバイ☆」と再び引き金に指をかけるのだった。
そこから小川の下流に近い場所の森の中では、來鬼と雪月が肩を並べて歩き森林浴を楽しんでいた。雪月が「ここらは空気が綺麗でおいしいな…」と口を開けば、來鬼がいつもの笑顔で「そうだねぇ」と相槌を打つ。続けてキャンプは初めてという雪月に來鬼は「うんと楽しもうね」と二人は仲良く、小川への道を行く。
そこから離れた先にいた威鈴が後から追いかけてきた悠と合流を果たし、一息ついたところで歩きながらに悠が
「ところで前から気になってたんだけど、威鈴の家の狩りって‥‥」
その狩り、と言う言葉に威鈴が反応を示す。詳しい内容までは聞き取れなかったが、二人もまた肩を並べたまま小川を目指して進んで行く。
そんな彼らが来た道を横に突っ切るようにして、飛び出す無数の影。巨大蚊のサーバントたちだ。マキナを筆頭にファング、歩がそれらを追いかけて行く。
途中引き換えして来た何体かを前にして歩が足を止め「さぁ、邪魔者掃除と行こうかぁ」とバヨネット・ハンドガンを構える。
その先で逃げた残りの大半をマキナが仕留めたが、撃ち漏らした連中をとファングがさらに後を追う。
追い立てられた巨大蚊が、向かった先。そこは水を汲み終わった霧のいる小川だった。
「やっ、きゃあぁっ」
悲鳴が上がる。突然のことに霧は車椅子を後退させる、がそこに地面はない。バランスを崩しそのまま川に半身が沈む。泳げない、その事実に霧は思わず唇を噛む。そこにあの巨大蚊が迫り、後を追ってきたファングがその光景に目を見張る。が到底間に合わない、そう思われた直後のことだった。
「人のツレに手ェ出してンなよザコが・・・!」
バチッと火花を散らし真っ赤に燃えた陸刀の炎の拳、それが巨大蚊を木端微塵に粉砕した。
自分が濡れることなどお構いなしに、陸刀は水の中から霧を助け起こすと、彼女の身体を姫抱きにする。
陸刀の暖かな体温が、冷えた身体に心地よく沁みていく。
「あ、あの‥‥」
少し戸惑ったような表情を浮かべる霧に「俺が頼んだせいもある、遠慮するな」と口の端を緩ませる陸刀。そんな彼に霧はほっこりとした気持ちで、己の身体を預ける。
その場にファングの姿はなかった。頬をぽり、と一掻き一足先に森の中へと戻り、他の攻撃対象の撲滅に向かっていた。だが行けども行けども、敵が見つからない。それもそのはず、だ。彼が行く先で出会うはずだった天魔の類は皆、何かに腹を立てた様子の幸穂が鋼糸で細切れに一掃してしまっていたのだから。
●
ところ変わってここは小川の中流。そこに釣り糸垂らしてどしりと構えるは一頭のパンダ―――ではなく下妻笹緒(
ja0544)である。
「ふむ、絶好のキャンプ日和のようで何より」
暑くないのだろうか。だがしかし彼はそんなことお構いなし、こう考えていた。
こんなに自然に囲まれた場所で、ただ持ち寄った肉を焼くだけなど耐えられない。可能な限り現地調達で、究極のシーフードカレーを作るのだ、と。横に置いたバケツの中には既に釣り上げた川魚が何匹かと、それとザリガニが一匹。え、ザリガニ!?
とりあえず突っ込んでみたのだが。
「釣れますか」
そんな笹緒に後ろから声をかける、天野 声(
ja7513)。軽い息抜きのつもりで今回のキャンプに参加した彼もまた、今しがた森で一汗かいてきたところだ。
笹緒と一言二言交わした後、用意していた餌を取りつけた釣り糸を川に垂らす。
そこから少し上ったところで、來鬼と雪月が、そして彩香が小川の水を汲み始める。
「あ、レナさん」
彩香の言葉通り、レナは居た。「ニンジャダーッシュ!」と声を高らかに、川の上を駆け抜け一同の前を通り過ぎて行く。飽きたところで今度は勢いよく入水、鯉の滝登りにも負けない勢いで上流目指して足をばたつかせる。
敵と交戦中の悠とそれの援護の為にショートボウを構える威鈴の傍を通り過ぎた頃には、レナが口に魚を咥えていたというシュールな絵面が展開されていた。
●
薪をキャンプ場に届け終えた幸穂は、二度目の薪拾いの途中で道に迷ってしまっていた。辿り着いた場所が岬だということを理解するのに時間はかからなかったが、何せ帰り道が分からない。どうしようかと考えていたところで、よくよく見ればちょっと離れた岬の先に誰か立っているのが見える。ほっと安堵のため息。しばらくここで景色を眺めていよう、と幸穂は腰を降ろす。
熱くもなく、また冷たくもない。一人岬に立つ黒葛 琉(
ja3453)、その男の周りにはそんな心地よい風が吹いていた。
どこまでも続く澄み切った青空、そしてその青が溶けだしたかのような茫洋と広がる海。二つの青の狭間に立つと、普段青空の下にいる時よりも身が浄められて行く、そんな気がする。些細なこと一つで思い悩む人間が急にちっぽけな存在になっていくような、不思議な感覚。手を伸ばせばきっと自分は、あの水平線の彼方に吸い込まれてしまうだろう。この風景のために来た、と言っても過言ではない。
いや、そうではない。どこかでそれを望んでいる自分がいることに、琉は気が付いていた。二つの青に溶けてしまうことが出来たなら、本当にそんなことが出来るのだとしたら―――。
それが叶わないと知る者は、どんな気持ちであるのだろう。そしてそれが人間の苦しみ、というものなのだろうか。
耳を澄ませば、聞こえてくるのは潮騒の音。琉はその口から、彼の過去が語られることはない。
●
昼もすっかり下って場所は戻り、キャンプ場。散策を済ませたレイルが何やら賑やかな共同調理場を覗けば、そこには料理に励むレフニー、優希、チェリーの姿。
包丁一閃、レフニーがまな板の野菜たちを華麗に秒殺していく。塩コショウを振った鶏肉の焼ける良い匂い! どうやら献立はカレーらしい。これぞキャンプ。
邪魔をしてはいけないな、とレイルが頭を引っ込めると別の場所では紫苑がバーベキューの準備を、そして釣りから帰ってきた笹緒が「美味いカレーを作るコツはただひとつ‥‥それは勢いだ」と自前のコンロは煮えるお鍋の中に、ゲッツしてきた野草をソイヤッと突っ込んでいる最中だった。その様子に並々ならぬ意気込みを感じたレイルが、紫苑の手伝いに走る。
それから小一時間程も経てばもう、時刻は立派に夕飯時である。森から帰ってきた一行を出迎えたのは二種類のカレーライス、バーベキュー。そして声が釣って来た巨大魚の丸焼き、である。
「レナちゃんも大きな魚獲りたかったのだ!」
ぶう、と頬を膨らませるレナ。だがその口に、森で採ってきたサクランボを笹緒が放り込むとけろり、と機嫌を直す。
「これ、食べられるんですか?」
行水から帰ってきた完子が開口一番、火にあぶられた巨大魚指さし首を傾げる。だが声から帰ってきた答えは「ま、大丈夫だろ」のひと言のみ。不安‥‥‥。
「料理は愛情、愛情、愛情」
カレーの入ったお鍋をかき混ぜながらレフ二ーが、森から帰ってきた琉を見つけ手を振る。
その呼びかけに足を止め、皆でわいわいと食卓を囲むその光景を目にし、琉はふっと明るい笑みを零すのだった。
●それぞれの夜想曲
一日と言うのは、あっという間に過ぎて行くものだ。天を仰げば夜を迎え入れた空に、無数の星が瞬いている。
皆とは離れた場所で食事を楽しんでいた悠と威鈴を最後に、夕食の時間は終わりを告げた。
そうとくればお次は待ちに待った花火だ。それらが収められた倉庫へと向かって行く面々、そして優希。その手をルーネが掴む。
「断神さんも、居るわね。ちょっといい?」
何時になく険しい顔つきのルーネが、静矢、優希、そして朔樂を人気のない所へと誘い出す。
そこで振り向きざま
「頑張るのはいいけど、もうあんな想いは嫌なんだからね」
一瞬の間。
「……生きて帰ってきて、本当によかった」
そして、瞳を揺らす。優希がその身体を優しく抱きしめる。
「ほう、これが花火ですか。で、コレをどうすれば良いのでしょう?」
一方の中央では花火を倉庫から引っ張り出してきたは良いものの、その遊び方を知らないレイルが近くを通りかかった笹緒に声をかける。丁寧な説明を受けて
「成程、それは楽しそうです。ではお礼に灯火を」
手の平に炎を作り出し、それを火種として差し出す。
「これ、いっちゃいましょう」
見るからにヤバそうな巨大な大筒、その導火線に躊躇いなく火を点ける彩香。天を焦がさんという勢いで打ちあがった花火は、星空に龍の形を描いて火花を散らす。それが景気付けの一杯、他の面々もそれぞれの花火に火を点け始める。煙と火薬の匂い。何より色とりどりに咲く夏の夜の花に誘われて、静矢と優希、ルーネがその輪に加わる。
その後ろ姿を見つめる、朔樂。日常、笑顔。感謝してる、だけど―――。それでも自分が征くのは、復讐の道。
男子に向けて当たり前にロケット花火を打ち込んで行くチェリーが、そんな朔樂を見つけて手を振る。
●
皆からばれないように花火を眺めていた威鈴。花火が終わってふと気づけば、その傍には悠の姿。
満天の夜空の下、岬を歩く恋人たち。
「夜の海も綺麗なものだな…」
と雪月。その肩と來鬼の肩が触れ合う。
「こんなにゆっくり出来たの久しぶりだなぁ」
ほほ笑む來鬼。だがその笑顔はどこか悲しげで。
しばらく歩いた後「うちも強くなれたらなぁ」とうっかりと呟いてしまった独り言に、雪月がそっと手を重ねる。
そこから離れた場所で静矢とのデートを楽しむ優希。
「綺麗なのー☆ なのー☆」
その瞳は星空よりも輝いているように見える。
歩と祈羅もまた、二人だけの時間を満喫できたようだ。歩きながらに祈羅は、こう想う。ただ一緒に居られればそれでいい、と。
祈羅がちょっと眠たげに目を擦ると、その身体がふわりと宙に浮く。
「お姫様を連れて行くのは恋人であるボクの仕事だよ、祈羅」
姫抱きにされたのだと気付き、流石に顔を赤らめる祈羅。だがその視界の端に、地べたに寝転がる幸穂の姿を捉える。
驚き声をかけるがむにゃむにゃとしか答えの返ってこない幸穂に、二人は思わず笑いだしそうになる。
「こういうのも兄の役割、だろぉ?」
と歩が幸穂を背負い、二人は岬を後にした。
●
入浴を済ませた霧の身体を同じく風呂上りの陸刀が抱きかかえ、月の光が差しこむテントへと運ぶ。彼女の身体を寝かせたところで石鹸の香りに気づきドキリ、と慌てて顔を引き戻す。
「お、俺は外で寝るから。霧はゆっくり休んでくれ」
晴れてるし星も綺麗だし、と思いついた理由を付け加えていく陸刀。
霧は霧で、先ほどまで傍にあった体温の余韻に胸を高鳴らせながら
「ありがとうございます、でも。遠慮なんてなさらずに」
私の横で寝てください、とほほ笑みかける。ちょっと返答に戸惑った様子の陸刀へ向けて「島津様のこと、信じておりますので」と言葉を続ける。その信用がどこかこそばゆく、だが悪くない―――と陸刀は霧の傍で、目を閉じる。
何やら外が賑やかだ。特大テントの一つ屋根の下で、色恋の話に沸き立つ女子の面々。その中で
「にゃー、恋愛話なんて」
と顔を赤らめるレフニー。だが内心ではちょっと気になる誰かさんへの思い、その正体を探るのに忙しかったり。なんとも女子会らしい雰囲気が場に漂う。
一方の男子会は、どうだろう。
「敵も強いのばかりですからもっと力を付けていかないと」
とマキナ。その目は戦闘に陶酔しきっていたが、宵闇の中でそれに気づく者はない。静矢が頷き「私は護る力を培う事が目標だが…皆はどうかな?」と、そこまでは普通の男子会。だがそこにチェリーが乱入、テントの真ん中に寝転がり『襲っちゃ駄目だぞ☆』とウィンク。どこから引っ張ってきたものやら野生のクマまで飛び込んできてあっという間に、しっちゃかめっちゃか。
見張りで外を歩いていた紫苑が声からその事態を察し、くっと笑みを零す。離れた場所にて日課の素振りに励むレイルの姿があれば近くの木の上で眠るレナの姿があったりと、そんなこんなで楽しい夏の夜は、更けていく。
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焼きそばパンを口に咥えたままの声が、あれ、と目を開く。こっそり夜釣りに出かけたつもりが、どうやら寝てしまっていたらしい。茫洋とした海に昇った朝日が、もうすっかりと青ざめた空を照らしている。
「今何時‥‥」
とそこで垂らしっぱなしにしていた竿が、引いていることに気が付く。慌ててリードを巻き戻す声。
目線の高さまで引き揚げられたレナと、視線がかち合う。
「起きたら皆いなくなってて、神隠しかと思ったのだ!」
全身ずぶ濡れのようだがまあ、とりあえず無事で良かった、ということで。