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「どうしてウチの子なの」
校舎前に出来た人だかりから、悲痛な叫び声が上がる。
「急ごう、時間がない」
小柴 春夜(
ja7470)の言葉に末松 龍斗(
ja5652)が頷き、2人はグラウンド脇の用具庫へと向って走り出す。
「大丈夫、いま助けるから!」
安心して、との言葉を残し神埼 晶(
ja8085)が、人だかりを背にする。その後を二ノ宮 慧(
ja9731)が急ぎながらもどこか軽い足取りで
「さってと、作戦上手くいくよいいんだぜ」
と追いかけて行く。その一方
(傷つくのは、私だけで十分)
一人先行く霧原 沙希(
ja3448)はそんな薄暗い気持ちを胸に抱きながら、流砂はまだその手前で思い切り地を蹴った。そんな彼女の心情を察してかしないでか、因幡 良子(
ja8039)が
「甲子園も近いというのに災難だね球児たちも 。ま、バッチリ解決して恙無く青春に励んでもらおうか!」
と努めて明るく振舞いながら、胸の青い宝石の付いたペンダントを揺らす。
●熱砂
流砂はその内側に、勢いよく飛び込んでいく沙希。着地の瞬間足が踝まで沈み込むが、衝撃で砂が舞い飛び事なきを得る。その対角線上にいた良子が同じく砂を踏む。そんな2人の手から、足場用の板がばらまかれていく。用具室から駆け足で戻ってきた春夜と龍斗もまた、借りてきた足場用の用具を流砂内へと放り込む。砂地に浮かんだそれぞれの足場は沈むことなく、すり鉢状に窪んだ中心に向かってゆっくりと引き込まれていく。
「よし、出来た」
その横は流砂の外に腰を据えていた晶が、ロープに施し終えた細工に間違えがないことを確認する。これで輪になった部分は引けば縮まるようになった筈だ。
晶が流砂内で気力を失ったままの部員たちに優しく声をかけるその傍で、掴んだロープの端を少し離れた先の鉄柵に結び付ける慧。
「いいぜ、春夜」
慧が放った言葉を受けて、春夜がロープを拾い上げる。その足がふわり、と地を離れた。だがとにかく時間がない。春夜は一気に、と流砂の上を飛んで行く。眼下には生気を失った部員たちの姿。思わず喉の奥から
「ロープを掴め! 必ず助けるから、声をかけあって仲間を励ませ!」
との言葉が絞り出される。そんな春夜の叫びに部員たちは我に返ったように顔を上げると、傍に垂れ落ちたロープはその輪になった部分に手をかけ、しっかりと握りしめた。死にたくない、その一心で縋り付く。その想いに応えるかのようにして、春夜がその手に力が込められる。
だが大地に足をつけて踏ん張れるのとは、やはり勝手が違う。まして部員たちは皆身体の下半分を砂の下に飲まれた状態だ。そう簡単に引き上げられるものではない。
救助には早くも難航の色が浮かび始めていた。
「ちぃ、どうすりゃいい」
言葉で焦りをあらわにする慧。その横にいた晶が決断を下した。ロープを慧に託し流砂はその内側へと向かって、部員たちの傍を滑るようにして降りて行く。
そうして。
そうしてようやく、気が付いたのだ。その事実、に。
「‥‥‥熱い」
晶の目が空の一点に向けられる。その視線の先では真夏の大きな太陽が、まるで親の仇と言わんばかりに我々を、否、大地を照りつけている。そうだ、そうなのだ。この地形はいわば太陽の熱を集め吸収し、さらにそれを保ち続けることに特化した地形であるのだ。
他の皆に警戒を促さなければ、と晶が口を開きかけたその直後、穴の中心にどっしりと構えた蟻地獄はその口から、大きな砂の塊が吐き出される。それは沙希の腕を直撃し、弾かれた小さな塊が流れ弾となって、慧の居る方向へと飛んでいく。
「なっめんなよ」
慧の手から打ち出された薄紫色の光矢が、向かってきた砂塊を見事に打ち破る。砕け散った砂粒が彼の、それから部員たちの頭上に、まるで小雨のようにして降り注いだ。
だが一方の、沙希の傷は深そうだ。彼女の腕から滴り落ちた赤を、足元の動く砂がゆっくりと飲みこんでいく。晶はそれでも突進していく沙希の様子を見つめながら、早くしなければ、と自身を急かす。
蒸し暑い。空気もそれから地面も、何もかもが熱い。敵に向かう面々の額にはうっすらと汗が滲み始めていた。
「‥‥二度目はないわよ」
続けざまの砂塊。それを難なく躱し、沙希は新たな足場を作り出す。もう少し、もう少しで敵を射程範囲内に捉えることができる。そうすれば。
砂に身を流されながらも、敵に一歩近づくごとに膨らんでいく感情。それは純然たる殺意か、それとも。
一方、砂地に浮かぶ不安定な足場の上をよろめきながらもなんとか渡り、敵を目指す龍斗。その視界の端に、部員たちの姿を捉える。
引き上げこそ手間取ってはいるものの、これ以上敵の近くへと運ばれるような事態は回避できたようだ。実際敵から一番近い部員は一定の距離を保ったまま、その差は縮まっていない。流動する川の中にあっても不動である岩のごとく、身体はその両脇から零れ落ちていく砂がなによりの証拠だ。龍斗は一人心の中で頷くと、敵を目指して一気に突き進む。目前に迫る蟻地獄、悍ましさに満ちた目がギョロリと動く。
「ちがうよー。こっち、こっち」
敵の戦意が龍斗に向かおうとしたところで、良子の手からアウルによって具現化された聖なる鎖が打ち出される。ひゅん、と風を切ったそれは敵の頭部に直撃すると、幾重にも重なって巻きついていく。惜しくもその鎖は敵が頭部の一振りで解かれてしまったが、戦意獲得の役目は十分に果たせたようだ。
「うわ、とっと」
敵の口から吐き出された見た目にも気持ち悪い消化液が、良子のすぐ傍をかすめていく。落ちた砂の上で、嫌な音とともに白煙が上がった。だがそれもまた、動く砂に飲まれて瞬く間に消えていく。
その直後。良子に続いて接敵を果たした沙希の口から、悲鳴にも似た絶叫が上がった。彼女の満身から噴き出した黒い液体は、その足に装着された刃に纏わりつくと歪な形を作り出す。沙希は足を振り上げるとその黒刃でもって、敵の頭部、硬い甲殻に力強い蹴りを打ち込む。周囲に響く金属音。甲殻は大きく罅割れ、蟻地獄は苦痛からか甲高い悲鳴とも取れる声を上げた。
好機、そう確信した龍斗が続けざまに、忍術書の魔力を用いて追い打ちをかける。甲殻はその割れ目目がけて、生じた風の刃が唸りを上げる。その直撃を受け、大きく上体を反らした蟻地獄。その傷口から黄色みがかった体液が迸り、もう一撃、と敵を囲む面々は再び構えを見せた。だが、しかし。
「頭、痛い‥‥」
激闘繰り広げられるその傍らで、流砂の最奥に捕らわれていた部員の一人がぐったりとした様子でその頭を垂れた。ロープを握っていた震える手からも徐々に力が抜けていく。
その様子を霞む視界で何とか捉えたのか。獲物を奪われてたまるか、とでも言わんばかりに態勢を立て直した蟻地獄が、大きく開いた口を部員は少年に向ける。
「私の357アウル弾を喰らえ!」
間断なく。晶が構えたリボルバーが火を噴いた。弾丸が敵の開いた口はその喉奥に、いくつもの風穴を開けていく。敵の悲鳴を背に、晶は走る。少年を肩に担ぎ力の限り、足を取られながらも流砂を駆け上がっていく。
その様子を高いところから望んでいた春夜も負けてはいられない、とロープを握る力を強め、だが部員たちに極力負荷のかからないように細心の注意を払いながら、スパートをかける。
「よっし、もう少しだ。手を掴め」
近いところにいた部員の手と伸ばした慧の手とが、がっちりとかみ合う。引き上げられる一人目の部員、それに続いて2人目、3人目が、流砂からの脱出を果たす。晶と、それからその肩に担がれた少年と時を同じくして、翼を失った春夜が流砂の外に降り立つ。
だが晶の肩から力なく、滑り落ちるようにして地面に転がる部員。その顔は蒼白で、生命に危機が迫っていることは誰の目見ても明らかだった。
「これ使ってくださいっす」
龍斗が放り投げたスポーツ飲料のペットボトルを、慧が見事にキャッチする。さらに龍斗の続けざまの指示により、流砂外にいた3人は部員たちを背負うと、校舎内の医務室を目指して一斉に駆け出していく。
その後ろでは、敵が獲物を奪われた怒りからか、隣接する沙希、良子、龍斗を標的に、一斉に消化液を浴びせる光景が展開されていた。避けきれなかった沙希の衣類が見る間に溶かされていく。肌が露出しかけた部分の液をぬぐいざま、逆上した沙希が再び絶叫を上げると、その様子に臆しながらも龍斗がスタンプハンマーを構え追撃を加える。
一方の良子は冷静に、だが次の一手、その判断に迷っていた。沙希が受けた傷は当人の様子からはそう伺えなくとも、出血量から換算してもう既に危険域に達している。回復か、攻撃か。後者ならばあと一撃で決着をつけねばならない。
「‥‥やって」
その心情を察してか、しないでか。沙希が蟻地獄に刃を叩きつけながら短くそう呟いたのを受けて、意を決した良子は手を振りかざし、そこに渾身の力を込める。2発目の聖なる鎖が、蟻地獄目がけて打ち出されていく。
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医務室はそこに備え付けられたベッドの上に、仰向けに寝かせられた部員たち。顔青くした部員の一人に、慧が龍斗から手渡されたスポーツ飲料を与えていく。他の部員たちにも、と晶と春夜が保険医から受け取った同じくスポーツ飲料はその蓋を開ける。
室内に部員の母親と思しき女性が飛び込んできたのは、その直後の出来事だった。震える手でわが子の身体を抱きしめ、抱きしめ終えると、今度は火が付いたように泣き叫ぶ。
その女性は、グラウンドに降り立った一行が最初に聞いた、悲痛な叫び声の主だった。
「貴方のお子さんは、大丈夫ですよ」
保険医がその女性を優しくなだめながら、窓際のベッドに寝かせられた依然意識を失ったままの部員に目を向ける。
「顔色は、戻ってきたみてぇよ」
慧の言葉に同意を示すかのようにして、保険医が深く頷く。
「ちゃんと自分の力で水分を摂れるようなら、ひとまず安心だ。だが、君たち‥‥」
残してきた仲間は大丈夫かね、との保険医の言葉に、はっと気づいた晶が駆け出しかける。その肩を春夜が掴み、制止を促した。
「心配には、及ばないみたいだよ」
「外、外」
窓際に立っていた慧が、外を差していた指を動かす。窓の鍵を解きガラスをからりと引くと、外からは大勢の人々が上げた喜びの声が次々と舞い込んできた。