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「変な子ねえ」
一方的に切れた電話に、木屋白の母親である八重は首を傾げた。
義娘のことも心配だったのでかけ直した方が良いのではないか、とも思ったが、時計を見れば夕飯時まであまり時間がない。
携帯電話をテーブルの上に置くとキッチンに戻りやれ支度を、とそこで玄関のチャイムが室内に鳴り響く。
「あら、誰かしら」
来客確認用のモニターはその液晶画面に、玄関前に立つ黒髪の美女の姿が映し出される。
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夕日は沈み切り、空は薄暗い。
久遠ヶ原の教室には木屋白と、集められた一行の姿がある。
「‥‥つまり、撃滅のための説得―――いや、説得は嘘であった、ということか」
アスハ・ロットハール(
ja8432)は、白から聞き出した7年前の事件を要約して述べた。
その内容はこうだ。
対イデボラのメンバーは、事前に得た情報からイデボラが人間に協力するように見せかけて何かを企んでいると確信し、説得に向かう振りをして撃滅に向かった、という。
報告書と白の供述に、相違はないように思えた。
「だが引っ掛かるな。少なくともお前の中で、イデボラは死んだことになってたんだろう。状況一つでその事実を翻し、僕達を集めるに至った理由はなんだ」
「‥‥‥」
アスハが疑惑の眼差しを向けると、白は深くため息をつき首を振る。
「さっきから何だ ‥‥まあ、いい。急に飛び込んできた依頼に参加すればどういう訳か一週間も拘束されて、戻ってきてみれば原野井がこの状況引き連れてやってきた。そしてオフクロの電話だ。そこでこう思っただけさ。もしイデボラが生きてたなら、俺を殺すに最高のシチュエーションだってな」
白はアスハの答えを待たずして、さらに言葉を続ける。
「だが先の事件で、イデボラが正体を明かしたのは理解不能だ。何がしたいのか、何かの罠かもしれない。頼んでおきながら申し訳ないが、怖いならついて来なくていい。俺一人でカタをつける」
「‥‥‥」
白の様子を伺い続けるアスハの横で、鈴代 征治(
ja1305)が
「そんな身体では無理です」
椅子から立ち上がろうとした白を、やんわりと制す。
「僕達も協力しますから、木屋さんもそのための情報を提供してくれませんか」
「そうだ。敵の特徴について、訊かせて欲しいんだけど」
征治の言葉に釣られるようにして、森田良助(
ja9460)が問う。
「イデボラって、どんな奴なの?」
「‥‥7年も前だからな。それに俺が奴と対峙したのは、その一戦だけだ。国立のように何度もと言うわけじゃない。当てにならないと思うが」
クニタチ―――その名にわずかばかりの反応を示したマキナ(
ja7016)が、
「国立って、国立小百合さんですか。ともにキャンプ部の部長の」
「‥‥‥知ってるのか」
「ええ、まあ。いえ、名前と顔を知ってるだけ、ですけど」
「あんな奴どうだっていいけどな」
少し憎しみを込めたような口調で吐き捨てるようにして言うと、白は
「イデボラは見た目だけなら黒髪の美女だ――いや、美女だったと言うべきか。その国立が顔を焼いちまったから今はどうか知らないが。術関係は分からない。‥‥倒そうと考えるな、状況的に不利が過ぎる」
見つけても無茶はするなよ、白はそう付け加えると今度こそ立ち上がり
「行くぞ。俺はそろそろ精神にゆとりがなくなってきてる」
教室の出入り口へと向かう白に、一行が続く。
「なんとも不可解な‥‥ですがまあ、仕事をするだけですね」
出来れば悲劇は避けたいところですが、と戸次 隆道(
ja0550)が、そしてそれに答えるようにして佐藤 としお(
ja2489)が、
「嫌な予感は当たるって言うけど、今回限りは外れて欲しいね‥‥」
と脳裏よぎる不安を吐露する。
「ふむ」
顔色の悪い白の背中に視線を送りつつ、ヴィンセント・ライザス(
jb1496)は
「‥‥親しい者を狙い、精神的な平穏を乱す‥‥実に合理的な戦術だ。 ‥‥見て見たいものだな。これを考えた悪魔を」
撃退欲に勝る好奇心を、その眼鏡の奥にちらつかせる。
対して教室に最後まで残っていた影野 恭弥(
ja0018)は、口に含んでいたガムを膨らませると、窓越しに夜空に浮かぶ欠けた月を眺め(「ふーん」)とただそれだけ呟き、腰かけていた机の上から飛び降りたのだった。
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現場は閑静な住宅地はそこあるマンション、その3階の角部屋―――。
「狙撃に適した場所は‥‥」
隆道が周囲を見渡す脇で、夜目を利かせた恭弥が隣接したマンションへと真っ直ぐに向かって行く。
彼が躊躇いなく階段を上る姿を見て、隆道は手に無線機を握ると一行に顔を向け
「‥‥では、私も」
瞳赤く染め闘気巡らせた肉体で、恭弥と同じマンションへと走り去る。
「住民の安全が第一ですから、まずは大家さんのところへ」
「それなら一階の角部屋だ」
白が指を差したところで、としおが
「罠があるかもしれませんね」
そう言って先行し、1階の走査を始める。
その後に征治、白と続き、最後尾を担うヴィンセントが白の護衛に努める。
マキナはと言うと、近隣の民家に出向き、片っ端から玄関のチャイムを鳴らして歩いていた。
たまに不機嫌そうな住人に当たって水をかけられそうになりながらも、概ねは恙なく、避難は進行していく。
良助もまた通行人を対象にして、彼らに迂回を呼びかけてまわっている。
一区切りついたところで、良助はマンション周辺の警戒に行動を切り替えると、そこ等に不審がないことを確認し、足を止めた先で顔を上げた。
ベランダのない3階の角部屋の窓には、カーテンが閉め切った状態であり、真っ暗な室内を確認することは出来ない。
「‥‥難しいかな」
狙撃する時のことを考え、良助は甲赤く染まった手で愛銃のスコープを覗き見ながら、後ろに下がりの横にずれ、で位置を調整していく。
隣接のマンションは屋上で、銃座の設置を完了させた隆道も
「カーテン、か」
ライフルの射線を合わせながらに、そう小さく呟いた。
全く反対側の場所では恭弥が一人、周辺を見渡し不審の発見に努めている。
夜空に向かってしきりに吠える飼い犬の声が、遠くに聞こえていた。
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大家は征治からの申し出を快諾すると、白に「気をつけてな。佐和ちゃん無事だと良いな」とだけ告げ、各階の住人を引き連れて近くの公民館へと避難した。
近隣の住民も合わせそのほとんどが車で移動したが、中には徒歩で向かった者たちもいる。
マキナはそんな彼らの後ろ姿を見守りつつ、見えなくなったところで急ぎ仲間の待つ3階へと向かう。
結局罠は見つからず、白含め皆無事に、部屋の前まで辿りつくことが出来ていた。
「避難の方は完了したと見ていい」
マキナの報告を受け、征治が
「‥‥‥じゃあ」
白から受け取った部屋の鍵を、鍵穴に差し込み無線機に向けて
「突入します」
その報せを受け、隆道がライフルの引き金に指を、位置を決めた良助もまた銃を構える。恭弥はと言うと、窓に一瞥だけくれて、意識はすぐに周辺の警戒に戻った。
ドアノブを回し玄関の戸を開けば、廊下、突き当りのトイレと思しき個室から、右手のリビング、左手の寝室に至るまで、すべてが闇に閉ざされている。
征治が玄関の電気をつけようと足を一歩踏み出せば、今まで籠り切っていたであろう何かが腐ったような、所謂生ゴミの臭いがまず先に鼻をついた。
玄関と廊下の電気がついても、物音は聞こえず、誰かが居るような気配はない。
「気を付けて」
部屋の前で待機を決めたとしおに見送られて、一番前を征治が、その後ろにアスハ、マキナと続き、白を挟んで最後尾をヴィンセントが務める。
(「まずはリビングから」)
征治は口だけ動かし自分の意思を後ろの仲間に伝えるとリビングの戸に手をかけ、そして一行はなだれ込むようにして一気に室内を占拠した。
誰もいないリビング、そしてすぐ奥のダイニングキッチン。だが雑誌の類が数冊床に散乱してる程度のリビングに対し、キッチンはまな板の上の調理途中だったと思しきキャベツが真っ黒に朽ちており、
「腐ってる、な」
アスハが鍋の蓋を持ち上げれば、茶褐色のカレー表面いっぱいに黴が浮いていた。
サラダボウルの中の野菜も、どれが何だか分からない状態になっている。
「‥‥残念だが、やはり」
アスハの言葉に、白はみなまで言うな、と首を小さく横に振る。
「風呂場はこの奥ですよね」
マキナが白に確認を取り、風呂場に向かう。その傍ら征治が
「僕はトイレを」
再び廊下に出る。
そしてヴィンセントがリビングのカーテンを開けば、向かいのマンションの屋上からこちらを見下ろす隆道に気づき、相互手を上げる。
その振り向きざまに
「‥‥‥木屋氏」
「なんだ」
「やはり、貴方は部屋の外にいた方が‥‥」
今更ではあるが、危険はもちろんやはり精神的に持たない可能性を考慮すれば、とヴィンセントが白に願い出る。
「‥‥‥いや、いい。大丈夫だ」
そうは見えないが、という言葉は飲み込み、ヴィンセントは短いため息を吐いた。
「風呂場にはいない」
「トイレもです。それと寝室も」
マキナと征治の言葉に、一行が顔を見合わせる。
「‥‥いない?」
やはり何かの罠なのか、とアスハが再び疑惑を抱き始めたとき、室内に何か奇妙な音が響いた。
猫が爪で壁を引っ掻くようなそんな音が連続して、リビングを中心に鳴っていた。
「天井! 敵です!」
征治が叫んだ瞬間とほぼ同じタイミングで、天井の板が割れ砕け、落ちてきた者がその下にいた白に手を伸ばす。
佐和だった者と思しきそれが、耳まで裂けた大きな口をぱっくりと開いた。
「‥貫くっ!」
間一髪。
アスハが手前に展開した魔法陣を貫いた先より解き放たれた紅蛇が、佐和の身体に巻きついて彼女の身体を締め上げた。
人外の悲鳴が響き渡り白が彼女の名を呼び顔を歪めるも、シールドを展開させた征治とヴィセントが彼の身を廊下へと押しやる。
だが呪縛より解かれた佐和はなおも執拗に白を求め征治に牙を剥く―――その間に飛び込んだマキナが力こめた拳は一撃を彼女の身に叩き込んだ。
「ゲゲッ!!!」
2人の挟撃によりよろめき、ガチガチと歯をかみ合わせる佐和。続けざまヴィンセントが指を鳴らせば、展開された二つの魔法陣の間に重力の爪が生じ、それが彼女の身体を縦に引き裂さいた。佐和は血を吹き出しながらに、窓際へと追いつめられていく。
「目標は予定地点へ到着した。‥‥強襲の時間である」
そうしてヴィンセントの合図直後、良助の銃弾が佐和の側頭部を、隆道の狙撃がその首に風穴をあけ―――彼女はあっけなく床に崩れ落ちたのである。
室内に飛び込んできたとしおがそれを確認すると、彼は静かに肩を落とした。
「最期は貴方にというつもりで‥‥」
だが白は項垂れたまま、首を振り
「いいんだ。それは佐和じゃない」
それだけ言い、あとはただ茫然と、床を見つめていた。
「‥‥部屋を、調べさせてください」
いたたまれぬ思いを引きずりながらに、征治がリビングへと戻る。
対してマキナは「俺は外の警戒に戻る」とだけ告げ、部屋を後にした。
(「さて、悪魔が出て来なければ良いのだが」)
壊れた板の間から覗く天井裏を見上げながらに、ヴィンセントが胸中でそんなことを呟いた。
●
「森田」
何かに気が付いた恭弥が、無線機に向かってその名を呼んだ。
相手の返答待たずして
「住民が戻ってきてる」
告げれば「確認してきます」と良助が指定された方向へと向かう。
だがどうにも民家の屋根が邪魔をして、住民と良助が鉢合わせた様子が確認できない。
「森田、少し下が‥‥」
だがそこで恭弥の言葉は切れた。
遠くの犬の声が、聞こえなくなっていることに気が付いたからだ。さらに犬は小屋の中で頭の半分だけ出し、何かに怯えるようにして全身を震わせている。
そして再び姿を現した良助は何故かふらふらと、マンションへの道を戻って行く。
だのに住民群の方はと言えば、死角に隠れたまま出て来ないのだ。
「ん?」
隆道が銃座を撤収させふと振り返れば、そこに恭弥の姿はなく―――直後無線機越しにも響き渡った銃声音にて一行はそれの到来を察することとなったのである。
「威勢の良い坊やだこと」
エンゼレイターの一撃を右手で防ぎ、黒髪の美女、悪魔イデボラは屋根上の恭弥を見てにたりと笑う。
「私が避けていたら、ニンゲンに当たっていたぞ?」
イデボラの言葉通りに、彼女の周りには操られていると思しき住民が張り付いている。
それでも構わずと引き金を引こうとする恭弥に、イデボラは腕を振り上げ斬撃を放った。
欠けた月の輪が、高速で回転しながら空気を切り裂き、恭弥に迫る。
後ろに跳んだ恭弥がそれを避けて見せたところで、だがしかし良助の放った光の弾丸が恭弥の肩を打つ。
「‥‥あ、れ?」
そこで正気を取り戻した良助に、イデボラは「おはよう」と厭らしく声をかけた。
その一言で即座に状況を理解した良助は、無線機で仲間に呼びかけると、目の前のイデボラに向かって
「あんた、イデボラだよね? 一体何を企んでるの?」
じりじりと後退しながら、少しづつ間合いを引き伸ばしていく。その横で恭弥が回線を繋げたままの無線機を背に隠し
「お前の目的である木屋は既に退避させた。諦めろ」
.その意図はどうやら正確に伝わったようで、現場に駆けつけてきたのは隆道とアスハ、そしてマキナととしおの4名のみ。ヴィンセントと征治は恐らく、白を部屋に匿っているのだろう。
「ここを戦場にしていいのか」
イデボラの言葉に、ヒトの壁を縫って一気に詰め寄らんとした、隆道の動きが止まる。
「卑怯者め」
そう吐き捨てると
「お褒めの言葉、ありがとう」
そしてイデボラは手に持っていた携帯電話を広げると、それに登録されていた番号を呼び出しコールボタンに指をかける。
「‥‥一体なにを‥」
その不可解な行動を問い詰めるとしおを傍目に、イデボラは相手が出たところで間断なく「死ねるチャンスを生かせなかったようだな、キヤ・シロ。ならば貴様は生き地獄を味わうがいい」
直後マンションから飛び出してきた白の絶叫が、一行の背後より響き渡る。
征治とヴィンセントがそれを押さえつけて何とか事なきを得たが、白の「オフクロを返せェ―――ッ!」その言葉に一行は事と次第を理解し
「イデボラ‥‥なんだってこんな酷い事を。どうしてもっとお互いこうなる前に話し合えないんだッ!」
としおが銃口向けつつ叫べば、イデボラは高らかに笑い
「そんな言葉はあの男にでも言って聞かせろ。泣いて喜ぶぞ?」
「ふざけるな、逃がすか」
半身翻しヒトの壁に背を向けたイデボラに、距離を詰めた隆道の上段蹴りがさく裂する。肩の肉が吹き飛びながらもなおも止まらぬ彼女に、としおが酸弾を放つが、それは虚しくも翼の傍をかすめて天へと消えた。
そうして眼下の一行に火柱を落とし、悪魔イデボラはその場を去ったのである。