紅に染まる枝葉の下、さらさらと静かな流れが続く。河原には大小様々な岩が転がっており、戦闘の足場としては悪い方だろう。踏みつける石の丸みに足をとられないよう、撃退士たちは渓流を辿っていた。
道中、渓流の分岐点から支流を選んで進んでいた御門 彰(
jb7305)のポケットが震えた。マナーモードにしてある携帯電話を取り出すと、別ルートを探索しているシャロン・リデル(
jb7420)の声が届いた。
『敵を発見しましたわ。数は二体。ですが、女の子の姿は見えません』
「そうか……ということは、こちらにいる可能性が出てきたね」
『ええ……くれぐれも用心してください』
「了解。ありがとうシャロンさん、心配してくれて」
彰がにっこり笑って言うと、何やら喚き声が聞こえて通話はブツリと切れてしまった。
何か変なことを言ったかな? と小首をかしげながらも、彰は同行する二人にその報告をする。
「A班、敵と接触したそうだよ。女の子はいないみたいだけど」
「……ってこたァこっちか……グズグズしてらんねェな」
彰と共に捜索を続ける赤槻 空也(
ja0813)が舌打ち交じりに答える。その顔には、苛立ちとも焦りとも受け取れる感情が滲み出ていた。
「女の子がどういう状態なのか分からないけど、下手に敵を刺激する前に一刻も早く助け出さなきゃね!」
二人は渓流を見渡せる坂の上にいた。そこから双眼鏡で辺りを見渡しているが、天魔の影も形も見えない。
「そっちはどうですか?」
彰が尋ねた先は坂の下。渓流の河岸だ。そこには、二人とは距離を取って捜索するユーリヤ(
jb7384)がいた。
「んーん」
彼女はぼんやりと首を横に振る。
「ちっ……」
どことなく面倒くさそうなユーリヤの態度に、空也は小さく舌打ちをする。同じ依頼を受けた仲間とはいえ、空也はこの堕天使の少女に少々憤りを募らせていた。町に来るまでの車内では携帯ゲームをしていたし、捜索に出る時もノロノロと一番遅かった。
「これじゃあ埒が明かねェ。ちっと走るぜ!」
「あ、赤槻君!」
呼び止める彰の声を無視し、空也はそのまま山道を走っていく。
数日前まで続いていた雨の所為で、地面は未だぬかるんでいる。
「足場が悪いから……! 転ばないように気をつけアッ――!?」
渓谷に彰の悲鳴が木霊した。
●本流〜巨獣討伐〜
本流を選んだフラッペ・ブルーハワイ(
ja0022)は、高い移動力を活かして後方の二人よりも先を行く。携帯は常に通話状態にして、逐次、周辺の情報を仲間たちと共有し合う。
とある地点に差し掛かった時、彼女はその足を止めた。近くにあった大岩の陰に身を潜め、携帯を耳に当てる。岩陰からそっと様子を窺う際に、カウボーイハットに左手を添えるその仕草はまるでガンマンのそれであった。
「発見、なのだ」
囁くようにマイクに吹き込むフラッペ。
岩の向こう。距離にして十メートルはあろうか。そこに黒い大きな塊が蠢いている。まだ彼女には気づいていない。敵はゆっくりとした動きで、下流へと移動していた。
そう時間もかからず、フラッペの元にはアイリス・L・橋場(
ja1078)が合流する。普段は赤い彼女の瞳は、今はさらに濃い紅に輝いていた。
「……敵は……二体……女の子の姿は……見えませんね……」
「ハズレなのだー」
「当たり外れの話ではありませんわ……。とりあえず、あちらに報告を入れておきますわね」
アイリスとほぼ同時に合流したシャロンは彰の携帯に連絡を入れる。
「敵を発見しましたわ。数は二体。ですが、女の子の姿は見えません。ええ……くれぐれも用心してください。……え? し、心配なんかしてませんわっ、もう切りますわよっ」
ブツリと通話を切るシャロン。あまりにもそれっぽい彼女の物言いに、フラッペが「わお」と目を丸くしていた。
「……保護対象が……いないのなら……」
ゆらり。アイリスは静かに動き出した。
「……問答無用で……殺してあげます……」
紅瞳の輝きをさらに強くして、彼女は大岩の陰から躍り出る。
巨熊の姿をしたディアボロ二体は、殺意を剥き出しにするアイリスの気配を敏感に感じ取って振り返った。
同時にフラッペが駆け出す。蒼い光の奔流が風の如くその体に纏わりついている。敵と距離を取りつつ円を描くように旋回する彼女の背後には、光纏の軌跡が蒼く尾を引いていた。
「Sorry……ちょっとキミ、遅すぎるね!」
狙う一体の動きは鈍く、完全に対処に出遅れている。腰のリボルバーCL3に手をかけたフラッペは、間合いの外から抜き撃つ。
響く発砲音、獣の呻き。
銃弾が肉を深く抉っていた。
フラッペに気を取られた熊の眼前に、いつの間にかアイリスが肉迫していた。蒼く輝くフラッペの光纏とは対照的に、こちらは暗い赤色の輝きである。煙か蒸気のようなオーラを纏うアイリスの手には一対の直剣、干将莫耶が握られており、
「……Regina a moartea((レギィナ・ァ・マーティア)……」
開放されたアウル力が変じた血色の焔を、その刀身に燃え上がらせる。
そして、一撃――!
振り下ろされた刃が死の香りを纏わせながら、巨獣の体躯にクロスを刻んだ。
静かに崩れ落ちた巨体は、その身から溢れる鮮血により、流れを紅に染め上げていく。
「ウウウオオオオオオオオオオ!」
相方を失ったディアボロの残る一体は、その怒りか、それとも生存本能によるものか、怒号のような咆哮を上げながら鋭い爪をアイリスに向かって振り下ろす。
「っ……!」
寸でのところで回避したアイリスだが、敵の丸太のように太い腕と、その先端に備わった鋭く大きい爪が河原の岩に深い傷をつけるのを見て、その破壊力を思い知る。
これにだけは当たるわけにはいかない。
「それはちょっとDangerなのだ!」
距離を取っていたフラッペが持ち前の足で前に前に進み出て、熊へと接近。
「Hey! こっち向くのだ熊! I’(イグニッション)!」
フラッペの魔具が分解、収束して球体へと変化する。彼女はその球を蹴球の如く、軽くトスして蹴り撃ち出す!
風を伴って迫る球体を熊は両手で受け止めるが、その衝撃までは受け切れず河の中ほどまで弾き飛ばされた。大きな水飛沫が上がる。
「今ですわ!」
フラッペとアイリスが敵の目を引き付けている間に闇の翼を広げて上空へと飛翔していたシャロンは『異界の呼び手』を発動。
川底から無数の腕が飛び出し、熊へと絡みつく。
振りほどこうともがいてもその束縛が解けることはなく、何者かの腕たちは、巨体をその場に縫い止めて離さない。
一頻り抗ってから何かを察知したらしい熊が、暴れるのを止めて少女達へと視線を戻した。
紅葉よりも鮮血よりもなお紅い瞳が、静かに冷ややかに見つめている。
アサルトライフルWD3を構えたアイリスが、無言でその引き金に指をかけた。
澄み切った空気の中、銃声が走る。
人のものではない、新たな血飛沫が舞った。
●支流〜奪還戦〜
ゆるやかな浅瀬をざぶりざぶり、巨大な熊達が悠々と歩いていた。
数は三。
その内の一体、一番奥にいる個体が細い体を咥え込んでいた。保護すべき少女の肢体である。
衣服には血の痕があった。少女の手足からもぽたりぽたりと血の雫が落ちて、河の水に溶け込んでいく。少女はピクリとも動かない。声すら聞こえない。気を失っているのか、それとも手遅れだったのか――。
手に入れた獲物を山川草木に見せ付けるように、巨獣は渓流を練り歩いていた。
と――その足が、ふいに止まった。
視線は正面に。
黒い鼻をスンスンと鳴らし、俄かに警戒色を強めていた。
「……相変らずよォ、やる事がカスだなコラ」
獣達の視線の先には、一人の少年が佇んでいた。
空也である。
彼はゆっくりと歩を進めた。今すぐにでも飛び出したい気持ちを、必至に抑えつけて。
「ハッ! 獣クセぇバケモン共がよ……テメェらロリコンかよ、あぁ? 女の子浚ってあるー日……森のなーかってか?」
怒気を飲み込み、憎悪を堪え、されど握り締めた拳は固く、強く、熱く。
ここで怒りに任せて爆発してしまえば、仲間達と整えた手筈が無駄になってしまう。
彼の役目は引き付け役。
敵を包囲し、一斉蜂起する為の囮。
彼は己の中の激しい炎に抗って、静かにその時を待っていた。
そして、空から天使が舞い降りる。
空也と熊達の間に飛来したのは、光の翼を背負うユーリヤであった。
「おいで、ストレイシオン」
同時に彼女は高速召喚によってストレイシオンを顕現させる。一対の翼を大きく広げた竜は、出現するや否や手近な一体に体当たりを見舞った。
この奇襲に熊達は大きく怯み、恐慌状態に陥ってしまう。
「ユーリヤさんやり過ぎだよ!」
茂みから飛び出し、叫んだのは彰である。事前に「合図は任せて」と何やら自信ありげに言っていたユーリヤを信じたのを悔やむより先に、彼は手にした大鎌マンティスサイスを振り上げる。
「はっ!」
狙うは少女を咥えた一体。
牽制の刃は空振りこそしたものの、敵の体勢を崩すのには成功していた。
「オラァ!」
すかさず突進した空也の一撃を腹部に受けて、熊の口から少女が投げ出される。
「よっと」
事も無げに、空中ダッシュしてキャッチするユーリヤ。幸い反動で落下することもなく、Vサインを少年達に向ける。
「テメコラぁ! 合図デカ過ぎんじゃねーか!」
Vサインに怒鳴り声で返す空也。
彰と空也から非難轟々いただきながら、しかしユーリヤは涼しい顔をしていた。
「結果オーライだよ」
「博打過ぎるだろ!」
「賭けだとしたら、私達は勝ったよ空也」
「あぁ?」
ふ、とユーリヤは薄く笑みを浮かべた。
「大丈夫。もう怖くない」
彼女が優しげな声をかけたのは、空也でも彰でもない。その胸に抱きしめる、幼い少女へ、であった。
「まさか……」
「うん、生きてる。気を失ってるだけだよ」
「っ……!」
ユーリヤのその言葉に、彰も空也も、その場に座り込みそうになってしまった。
「私はこの子を警察に引き渡してくるから、少しの間頑張っててよ男の子達。ストレイシオンもよろしくね」
二人の返事を聞く前に、ユーリヤは翼を羽ばたかせて戦域を離脱した。
「警察って……そんな段取りしていたっけ?」
小首を傾げる彰と、
「まさかあいつ……」
ポツリと呟く空也。
捜索に出る前、ユーリヤは渓流への案内係であった役場の職員を介して警察との連携を整えていた。そのことを二人が知るのはこれより後のことであったが、今は。
「僕らのすべきことはあと一つだね」
「ハッ! 残るクソ共の頭を叩き割りゃいいいんだろ? 分かり易くて良いじゃねーか!」
少年達が振り返る。
そこには、臨戦態勢に入っている三体の巨熊。
この場に残ったストレイシオンが睨みを利かせていたので、今の三人のやりとりの間でも襲われることはなかったが。
撃退士達は迎撃態勢を取る。
最初に動いたのはストレイシオンであった。魔力を練った渾身のブレスが口から放射される。正面にいた一体に命中するも、敵はこの一撃を耐え抜いた。
ブレスを受けなかった二体がストレイシオンに迫る。
振り下ろされた爪をかわすストレイシオンの脇から彰が前に躍り出た。
「まずは一体! もらうよ!」
蹴りによる牽制から大鎌の斬撃に繋げる。狙うのは先ほど少女を咥えていた熊だ。既に空也の拳を貰っていた上では詰めの一手となり、喉に深く入った裂傷から鮮血が吹き上がる。そのまま仰向けに倒れ、痙攣しながら絶命した。
残るは二体。そのうちの一体はブレス攻撃のダメージにより、まだ動けないでいる。
「この隙は見逃せねェなぁ!」
倒れた熊の体を蹴って飛び上がる空也。未だ無傷の一体にスマッシュを放つも、
「見た目通りのパワー馬鹿だな! かてェ!」
さすがに一撃というわけにはいかず、反撃を許してしまう。
「赤槻君!」
彰の悲鳴が響く。
あの太い腕と鋭い爪を受けて、しかし空也は倒れなかった。
「ドタマ……かち割ろうってかア!?」
顔から胸にかけて広がる黒班から、炎にも似た赤い気が迸った。彼の光纏の特徴である。
「割れんのぁ……テメェだァアアッッ!!」
空也は攻撃を受けてなお怯むことなく、逆に敵の顔面を掴み上げ、そのまま地面に叩きつけた。
硬いモノが鈍く砕ける音が辺りに響き渡った。それは獣の死を意味していた。
「ハァッ! ハァッ……! ラスト……一匹……!」
眼前に広がる同胞の骸に何を思ったのか。最後の一体はきびすを返し、この場から去ろうとしていた。
「あっテメッ!」
追いかけようとする空也だが、がくりと膝を着いてしまう。
代わりに彰が駆け出すが、意外にも逃げ足が速い。
「くっ……ま、待て!」
追いつけない! 彰がそう諦めかけた時だった。
熊の足元から無数の腕が現れ、蜘蛛の巣のようにその巨体を絡め取ったのだ。
何が起こったのか分からない彰の眼前に舞い降りたのは、
「シャロンさん!?」
「携帯を鳴らしても出ないんですもの。まだ戦闘中なのかと、急いで来て正解でしたわね」
熊を縛り付けたのはシャロンの異界の呼び手であった。思わぬ援護に彰は苦笑いを浮かべるしかない。このタイミングの良さ。実はこの人は忍者なのではないかと唐突に疑いの視線を向けていると、
「何してますの!」
「あっ、はいはい!」
最後の一体は、あっけなく切り裂かれた。
●結末
「終わった終わった。早く帰って寝たい……久しぶりに思い切り動いたから疲れたよ……」
などと言いながらユーリヤは携帯ゲーム機の電源を入れていた。激しい戦闘の後だというのに元気だなと空也は思ったが、考えてみれば直接戦ったのは召喚獣だったかと思い直す。それでも彼女の労力には違いないのだろうが。
「……なあ、あんた」
「ん、なに?」
声をかけた空也に、ユーリヤはゲーム機から顔を上げずに応えた。
「……いや、なんでもねぇ」
その態度に言葉にする気が失せた。
けれども空也はもう分かっている。彼女は彼女なりに真面目に事件と向き合い、そして少女を救ったのだ。天使だろうが悪魔だろうが、その事実に変わりは無い。
悪かったなと、空也は自分にしか聞こえないところで呟いた。
「何はともあれ良かったのだ。女の子も命に別状はないっていうし」
少女が搬送された病院からは、すぐにそんな報せが届いた。それを聞いたフラッペはほっと胸を撫で下ろしていた。
「可愛らしい女の子って聞きました。私、気になるのです」
瞳の色が落ち着き、普段の赤眼に戻ったアイリス。今回はずっと気を張っていた為か、美少女好きという性癖の反動は大きい。
そして他方では。
「シャロンさん」
「はい?」
「もしかして、君は……いや、なんでもない……忘れてくれ……」
「はぁ……?」
あらぬ疑いをかける忍者とかけられる悪魔少女の姿があったとかなかったとか。
(了)