敵意はまるで凍て付く風のように。
痛みさえ感じる冷たい感情の波。或いは磨かれた鋼の刃の怜悧さ。
当然、どちらも比喩である事に変わりはない。だが、どらちも日常には触れられないものだ。
戦いの場でのみ感じる筈のそれを前に、アスハ・ロットハール(
ja8432)は即座に振り向く。
「そういえば、この依頼は……護衛、だったな」
突き刺すようなアスハの視線の先、列車の扉が開く。
現れたのは四人の男女だ。二人の少女と一人の少年はそれぞれ武器を携えている。
明らかに戦いに来ている姿だ。乗客が刀を抜いて歩いたりなどしない。
その中、銀髪の女性は寸鉄も帯びていないが、何故だか最も意識を引き付けられる。武器を持っていない違和感のみではない。その雰囲気に、奇妙な美しさがあった。
が、襲撃者である事に変わりはない。思考を捨て去り、天野 那智(
jb6221)は前へと出た。
「貴方たちはしっかり守るわ、後ろに隠れてなさい」
背に庇った幼い四人の子供達が怖れ、震えている気配。
だからこそ、襲撃者の視界にさえ入れないと天野は己が身を盾のように前へと出る。
手にした拳銃を構え、凝らす天野の横、龍玉蘭(
jb3580)もランスを構えて不動の壁へ。守るべき命がある以上、言葉の問答は不要。まずは守りを固めるべきだ。
だが、それに対して銀髪の女性はくすりと笑う。
穏やかで優しく、戦いとは余りにもかけ離れた声と視線。
「今晩は。少しご相談なのですが、そちらのハーフの子供達を渡して頂けませんか?」
だが、それは完全な敵対を意味するものだ。
続くの剣戟の花火となるのを決定づけている。誰も一人とて渡す気はない。
いや、既に剣を抜いてその言葉を言うのであれば。
「……遅いですよ」
狙いを付け、引金を絞るには十分過ぎる。遠方の敵を撃ち抜く為の、銃撃を間下 慈(
jb2391)が放つ。
軌道もアウルの質も凡庸そのもの。だが、奇術のように間合いが伸びた銃弾は、十分に間合いを取っていた筈の少女の腕へと着弾し、先制の一打となる。
腕力を少しでも削げれば。機先を制した一撃に込めて狙ったのはそれ。何か言う前に、何か行動される前に少しでも力を奪い去りたかった。
更に展開される天宮 佳槻(
jb1989)の四神の守護結界。限定的な空間だが仲間の守りを高める加護を残し、子供達を後ろへと下げていく姿に、銀の女性は困ったように首を傾げた。
「あら、これはいきなり交渉決裂でしょうか?」
痛みを噛み殺す少女の横、微笑む銀の女性。その前でアスハが自分の周囲へと無数の闇色の羽根を孕んだ霧を纏わせ、龍玉蘭は少女と少年の武装から予測した攻撃への防御の指示を飛ばす。
「子供達は後ろへと下がらせて下さい。此処は私達が……通さない事が最優先、良いですね?」
「色々聞きたいですけれど、戦いながら、になりますか」
龍玉蘭に応じる天野。
その後方で僅かな困惑を抱いたのは巫 聖羅(
ja3916)だ。
赤い瞳が迷いで揺れながらも、見定めるべく視線を凝らす。
銀の女性が連れる少年少女たちが手にしているのはV兵器。加えて、光纏した姿は撃退士のそれに近い。
「――あの三人は、一体……?」
その言葉に応じるように、少年の背に透けるような陽の翼が生じて中へと飛ぶ。光の翼に似ているがはぐれ天使ではない。まして天使である筈もない。
強まった困惑。だが、それでもと阿手 嵐澄(
jb8176)が問いかける。
「飛べるってことは……お前ら天使か悪魔か、どっちよ?」
射線は完全に防いだ筈。巫も阿手も、身体を張ってでも流れ弾や、ハーフの子供を狙った攻撃を防ぐつもりだ。
だが、それに対するのは、少年の鋭い声。
「どちらでもないよ。――そちらの子供達と同じでね」
つまる所、最近、その力の使い方が解ったというハーフで。
「さて、始めましょう」
銀の女性が微笑みを崩さず、一歩踏み出す。
その様を神喰 朔桜(
ja2099)も違和感を覚える。印象は氷に近いのだが、熱の気配がない。冷気を感じれば熱気を想像させるものだ。火を見れば水、光にて影。相反する印象も同時に抱かせるものだが、全く違う。
「でも、ずっと笑顔の姿はステキだね。望む儘、望むように。私と同じかも」
そして、共に切っ先と拳、銃弾、駆ける身体が疾走する。
●
初手から最大効率を求めて、少女の振う刀から放たれる黒光の飛翔刃。
紛れもない封砲、撃退士の技。そして、その威力もよく知るものだ。強烈な破壊の力がアスハとその後方にいた天宮を襲う。
だが、初手にて負傷した腕で振るわれた一撃だ。精密さを欠いた黒の斬撃波はアスハの周囲に浮かぶ黒い羽根に触れた途端に勢いが減じて避けられ、直撃を受けた天宮も乾坤網にて防御を高めて凌ぎ切っている。
「……手加減はなし、だが、子供に手を出す気はないか」
その気になれば子供ごと巻き込む事も出来ただろう。だが、あえてそれをしない少女。
恐らくは子供達と、そして空へと飛んだ少年と同じハーフ。
人種より言動だと思う天宮はどうと思う程の事ではないが、世間の目はそうではなかったのだろう。奇異なるものには厳しい世界。
「しかし、ハーフが多い」
妙な程に密集している。嫌な予感がぞわりと天宮の首筋を張った。
が、思考の暇はなく、前方では戦闘が続行されている。手甲で薙ぎ払うもう一人の少女の攻撃を、再び闇色の羽根が迎撃し、アスハが紙一重で薙ぎ払う拳を避ける。
「殺意が鈍い……遊びに来たの、か?」
何処か完全に力の入り切っていない二人の少女。
「なら、まずは、手本だ」
微笑む使徒は無視。日和見に徹して笑っているのなら、それで構わない。
踏み込み、刀を握る少女の腹部へと杭を打ち込むアスハ。身を捻って脇腹を削がれるに留めるものも、龍玉蘭(
jb3580)の放つ刺突に肩口を捉えられて後退し、天野と阿手の放つ銃弾を受けて更に後退する。
「……何か、噛み合わないね。ステキだけれど、凄く、ナニカがチガウ」
そう囁く神喰の言葉に従い、黒い稲妻で紡がれた槍が飛翔し、刀持つ少女の肩を射抜く。
「本気では戦いたくないのかい? おにーさん、流石にちょっとびっくりだ」
二人の弾丸が狙ったのは四肢。手足を負傷させて動きを止める気だったのだが、その狙いが余りにも的確に当り過ぎている。
即座に少年のヒールを受けて傷を癒すが、劣勢である事に変わりはない。
阿修羅であろう手甲の少女の脚にも巫が放った氷柱が突き刺さり、その動きを制限している。機敏な動きは不可能。治癒が間に合っていない。
だというのに、女性は変わらず笑みを浮かべ、言葉を吟ずる。
「では、交渉相手を変えましょう。ね、そこの子供達。久遠ヶ原ではなく、私達天界の元に来ませんか? 久遠ヶ原より、とても住み心地が良いですよ? ――人のように生きるには、貴方達の尊い血は耐えられない筈」
「何を言うんです?」
下手に刺激すれば獅子が目覚める。
龍玉蘭とてそんな予感はしているが、この言葉には反論するしかない。
この光景が悲しいのだ。一瞬だけ視線を伏せ、思い出した過去を振り切るように言葉を紡ぐ。
「貴方達を見ていると過去を思い出します、人でも天使でもなかった為に、誰にも頼れず居場所がなかった頃を」
「そうですよ。天使との混血に、人の街は余りにも辛い」
「――ですが」
静かながらに凛とした声と共に、龍玉蘭の突撃槍より放たれる光の衝撃波。直撃した刀を持った少女を後方へと吹き飛ばし、一瞬の間を作る。
それは距離を開けただけではない。言葉を紡ぐ時間をも用意したのだ。
弾かれたのは、空間そのもの。時間さえ戦いという束縛の鎖さえも弾け飛んだかの失ったかのように。
「私はとある方に生きる術を教わり、久遠ヶ原の門戸を叩きました。ええ、幸運だったでしょう。そう思うべきなのでしょう……生きる場を追われる身は、見ているだけで悲しい」
追われて戦い、血を流すアナタ達の姿は悲し過ぎる。
だから悲しさが顏に溢れる。緩やかな笑みはそのままに、けれど龍玉蘭の声は切実だった。
「この子達も、久遠ヶ原という居場所を見つけました。貴方達が選んだ居場所が其方だというのなら止めはしませんが、考え直せるのは今のうちですよ? ……同じ境遇の同胞を、誰も傷つけたくはないのですから」
「……っ……」
鈍る戦意。静まる敵意。
重ねる言葉は天野のものだ。
「同族殺しをしたい訳ではないでしょう? 居場所がなければ作ればいいんです。天や冥へ行ったら所詮はただの駒としてしか扱われませんよ。けれど、人の世界には可能性がある。既に、ハーフがいる久遠ヶ原が、その象徴です」
それでも振るわれる手甲。嘘を付くなと紫焔を滾らせ、鬼神の拳撃となって天野を打ち据える。
ある意味、言葉にならない激情の発露。そんな筈はないと、希望を信じられない嘆きのような、重い一撃だった。
「俺ァ嘘はつかねェさ…このとおり、何も隠しちゃいねェぜ」
そういってカツラを取る阿手。一本の毛もない、つらりと光る頭皮。
「――恥じたり、隠したりするようなものなんて、ランスにーさんにはねぇのさ」
それでも、銀は笑う。銀嶺に穢れ要らずと。
「ああ、でも――人は可能性を求めますよね? 無理に血を織り交ぜて、新しい血を作ろうとか。それで力を欲するとか」
それこそが忌避すべきもの。血という神秘のヴェールを暴くものを、許さないと。
「人体実験――久遠ヶ原で起きているかは解りませんが、貴方達とて体験した筈。人の、とても穢れた手際を」
やんわりと笑うその声に、怒りと苦しみが揺れる。
「そして、そちらの子供達が、そのような目に合わないと絶対に言い切れますか? 四人を纏めて集めるだなんて、雑でまるでモルモットを運ぶようですね」
その言葉に、一瞬沈黙して、銀の女性が目を細めた。
「――もしや、守る撃退士側も、何の為に四人を纏めて運ぶのか知らないのですか?」
●
それでもと、巫は氷柱を繰り出しながら続けるのだ。
「でも、貴方達は撃退士よ」
今とて全力で救おうとしている。
「救う事が撃退士。義務と責務を背負って生きるの。自由や生きる居場所を与えて貰う代わりに、手を取り合って安住の値を作ろうとしている。天も魔も人も混血も関係ないわ」
きっ、と言葉を弄する銀の女性を睨みつける巫。
「貴方達は何故、天魔に従っているの? 人、天魔、ハーフが手を取り合って生きているのが私達。貴方達が求める物が私達と同じなら安住の地なら――私達の手を取って……!」
伸ばす巫の手。届いて欲しい。
戦いの中の鉄火混じりの粉塵ではなく、緩やかな春風を求めている。
「そこにいたら、あなた達は戦いに駆り出されるから」
そして、使い捨てられる。
「なあ、天に属するとやら、聞きな。神(髪)は死んだのさ、俺の毛根ごと……」
一瞬迷い、照準を戦意を無くしかけた少年少女ではなく、使徒へと向ける阿手。
故に、トドメとなるのはこの言葉だと。
「だからなァ、誰かを救うのは……天使でも悪魔でもねェ! やっぱり、撃退士様よォ! お前達もこの子供を掬って、撃退士になってやんな!」
そして、そんな眩しい姿になりたいから。
「天界にも…あなたの居場所はないですよ、彼らは『高潔』ですから。どちらでもない貴方達は、斬り捨てられる」
間下の言葉の通り。斬り捨てられるのが見えている。高潔さ故に、使い捨ても厭わない丁度良い駒だと。
そして小さく、そして銀の女性にはない暖かな笑みを零した。
「……学費無料ですよ?」
そんな、なんでもない一言が嬉しくて、からんと刀が滑って落ちる。
そんな日常が欲しかった。
そういう日々を求めていた。
例えば、アナタ達のように絆で結ばれているのであれば――
「僕は」
「私は」
後ろの子供達も、言葉を漏らす。
『天使でも人でなくても良い、撃退士になりたい』
異口同音。誰が唱えたか解らない、その声。願い、祈り、信じて歌う。
「つまり」
故に、銀嶺は此処にて剣を抜く。
「天の血を穢すというのですね」
指先には銀光。何も持たないのだから、次に何をされるか解らない。アスハが踏み込むが、一歩遅い。
ただし、天宮の言葉は何よりも鋭く、早かった。
常に抱いていた疑問だからこそ。
「なあ、お前も混血だから自分の『穢れ』を消してしまいたいのか?」
●
指先から無の空間より紡ぎ、創造した銀の長剣に斬り捨てられ、アスハがよろめく。
異常な鋭どさ。銀色の死剣。
そしてそれは飛んでいる。双剣として作られたもう一本は投擲され、子供の胸へと突き刺さる寸前、庇った巫の腹部に突き刺さり、膝を折る。
それでも守った。使徒の俊速の抜き撃ち。寸鉄を帯びないのは、銀の物質を作り出す能力故に。
穏やかさはそのままに、けれど銀や雪、氷のような印象を別のモノへと変じている。
印象は喩えるなら使徒は宝石だ。交じり合った故に美しい異物の塊。
「私は、ステキだと思うんだけれどな。異なるものがアイシアエタ証でしょう?」
いや、それをとやかく言わない。神喰の論で言えば、戦うなら愛する。
そして剣を抜いたのであれば――その先は言うまでもない。
アスハの穿つ杭を弾き、手を翳す銀の使徒。微笑みは変わらず、けれど機械のような不自然さをそこに残して。
「使えないものですね。やはり、ちゃんと駒は選ばないと」
「要らないなら、此方に頂戴」
いや、奪うのだと猛る黒雷が銀の使徒に殺到するが、掌を翳した瞬間に産まれた銀色の障壁に防がれる。いや、これは単純に銀水晶の壁。使徒を敵と見做したハーフの少年と少女が壁へと攻撃を仕掛けても、僅かな軋みしか見せない。
「貴方ですかこの子達を惑わす根源は……」
貫くのだと龍玉蘭(
jb3580)が銀壁へと勢いを乗せてランスを突き出すが、罅が入るだけ。
「襲撃の手際に比べ、駒の質といい数といい……本気の誘いには見えん、な、レディ?」
これだけの力を持っていて、このような形になるのか。まるでこれでは実験ではないかと、銀水晶越しに使徒へと笑いかけるアスハ。
「まあ、また、お会いしましょう? 貴方達、撃退士は数々の同胞を散らせた。眷属では足りない。何かの集団でなければ、貴方達には勝てないのですから」
微笑み、銀剣を一閃すれば斬り裂かれる列車の壁。
そして躊躇いなく身を投じた銀の女性。
「……混血児、か」
天や冥ではなく、恐らくは人の。天宮が見た顏は銀髪に、黒い瞳だった。
異邦人の血をどう混ぜれば、効率よく良い人間が出来るかとい牧場と実験場。昔から、あるもの。
「だが、今は、久遠ヶ原は違いますよ」
負傷して倒れた巫を癒しながら間下が告げる。
少なくとも、久遠ヶ原を動かしているのは自分達なのだ。
その未来、これからを決めるのは自分達、学生撃退士。
血など関係なく、産まれも意味なく、手を取り合った者達で。
辿り着く先は見えずとも、揺れる列車は久遠ヶ原を目指し続けている。