●
弔いの鐘は大気を震わせる。
重く沈殿したような気配。礼拝堂前の広場に集まった誰しもが祈りを捧げ、けれど言葉は一欠けらも口にしない。
歌うのは鐘だ。黄昏時に響き渡る、願いで編まれた悲しみの鎮魂歌。死者に言葉は通じないからこそ、全て託して鳴り続けさせている。
だからといって……参列者達が静かに祈るばかりではない。
鐘の音に隠される嗚咽。閉じた瞼より零れ落ちる涙。悲痛な雰囲気は、その場にいるだけで、無関係の筈の人の心さえをも掻き毟る。
誰だっただろう。無言の泣き声の方が辛いと、口にしたのは。
「誰かを、悼む為の涙……」
それらをまた増やしたくないのだと、寿 誉(
jb2184)はそっと瞼を閉じる。
寿の胸に自問自答の嵐と吹き荒れるのは、果たして自分にそれだけの力があるのだろうかという不安。
人並み以下しか出来ないという自信の欠如。だが、式の前に幾つか言葉を交わした参列者の、泣くような、笑うような、安堵するようで叫ぶような顔を忘れられない。
「辛いだけの涙は……ダメなの……この涙の鐘が終わったら……」
笑顔で。自分達は大丈夫、アナタを、キミを、大切な人達を想って生きるからと口にしていた。
ただ辛い、悲しい、苦しいと口にしていたら、彼岸に旅立った彼ら、彼女らを苦しめるだけだから。
「だからこそ、これ以上悲しませたりするもんか……!」
他人とは思えないからこそ、九鬼 龍磨(
jb8028)は式場の端で口にする。
一般人と天魔は戦いにすらないならい。被害者は増える一方。九鬼もその被害者を知る一人だからこそ、守りたいと強く願いを立てていた。
「そう。何があっても、守り抜きましょう。この身を以てしても」
続けるイーファ(
jb8014)が脳裏に描いたのはとあるはぐれ悪魔。助けてくれたあの方ならば、きっとこの場の人々も守る筈なのだ。
憧憬を持って、追いつきたいとイーファは思う。あの方がそうするならば、私もそうしたいと心が疼くのだ。
夢に追い縋る乙女のようと云われるかもしれない。それでも、イーファの想いはその一色のみ。
「警戒……警備。この追悼の邪魔は、させない……」
光の翼を展開し、頭上より周囲を見渡すのは夢屋 一二三(
jb7847)。平坦な声から汲み取れる感情の波は小さくとも、鐘の音に耳を澄ます姿からは、まるで愛する歌を聞く少女のような印象を受ける。ある意味で鎮魂歌。弔い、祈り、癒しを請う。そんな純粋な歌に、愛も魂も捧げた天使である一二三は心惹かれていた。
「こんな歌の邪魔をするなんて、無粋だわ」
そして始まる輪唱の鎮魂歌。しずしずと流れる想いの揺れ。
聴けばそれだけで胸を満たして軋む程の感情が込められているが、そればかりに耳を傾けてはいられない。
教会周辺の森には鳴子やワイヤーと鈴を用いた警戒用のトラップが設置されている。通常の状態であれば透過能力を持つ天魔にこれらのアウルを伴わない物質的な罠は効果を発揮しないが、阻霊符を展開しているならば話は別だ。
そして、高い知能を持たない眷属たちならば、十分に効果を表す筈で……。
からからかん、と、何処かで魔が忍び寄る事を知らせる音が鳴る。
ちりん、ちりんと、魔を祓えと鈴が詠う。
●
黄昏と弔いの鐘の音を背に、人形のように儚げな少女が佇んでいる。
だが、手にした槍も、青瞳色の瞳も何処までも澄み切り、一つの決意を宿していた。
アルエット・プリムカージュ(
jb7787)。戦の気配を感じとり、肌がぴりぴりと震える中、静かに口遊む白の少女。
「黄昏時は逢魔ヶ刻。全てが朱く染まる刻に、世界は交わり――死者が来る。それがこの国の生死観」
構えた穂先は、森を示す。光纏は無数の白い羽となってアルエットを包むように散り、開戦の準備となる。。
「異国の空で響くアンジェランス。そこに不思議さを憶えても、何処の国も、祈る気持ちは同じなのですね」
祈る。祈りたい。
それは万国共通、人の共有した想いのカタチだからこそ。
「だから、この神聖な場に、オニなどという無粋なものを立ち入らせてはなりませんわっ!」
その言葉に反応したのは、少女と並び立つ撃退士と、そして森の奥で腐臭を漂わせていたディアボロの群れたち。
問答は無用。開戦の合図などという誇りなどない。
だからこそと、先手を取るのは撃退士。迎撃せよ、アルエットの云う通り、一歩も踏み込ませるなと斉藤伊織(
jb6837)の長剣が空へと掲げられる。
「悲惨さを斬り払いましょう、人の地の為に。悲劇を斬り裂きましょう――願う命の為に!」
護りたい。守りたい。
これが初陣であるからと、臆す必要などないのだ。
故に、一歩踏み出す撃退士達。攻勢を司る者達が森へと一気に駆け抜ける。
同時、森から溢れ出して来たのは狗の鬼。無理矢理、異形を繋ぎ合わせて狗の形を取った腐肉の塊が一気に十数体の群れとなって襲い掛かった。
だが、先んじたのは撃退士。元より、待ち受けて迎撃する為の準備は万全なのだ。木々の間に隠れていた木島 苺子(
jb5990)が手繰りよせる白き鋼糸が疾走する狗鬼を待ち受け、絡みとって切り刻む。
「流石に、V兵器は手放せば消滅してしまうので罠には使えませんが……」
ずるり、と腐肉を斬り裂いて奥へと進む事を感じる糸の気配。だが、突進しかけていた身を不意打ちで絡め取った為に、一気に重傷を負わせる事に成功している。
「鬼さんこちら〜……いらっしゃいませ!」
そして後退しつつ振るわれる木島が奮う鋼糸の乱舞。絡め取った上で切り刻み、態勢を崩した所へと魔の不可視の弾丸が突き刺さる。
まずは一体。その事に喜びの表情を見せないDarkness(
jb0661)。フードを被っているから表情が見えないだけではない。油断などする訳にはいかないと、両手に浮かび上がった白翼の紋章の輝きを更に強める。
「…………」
命を奪うものは許さない。
打たれ弱い身でありながらも疾走し、前衛へと加わるDarkness。
フードの奥から見えた赤い髪が、その想いの鮮烈さを語るかのようだった。
そして、激突する魔と撃退士。
共に戦意を向け、己が武器と爪牙を翳して胃血飛沫を撒き散らす。
数ではディアボロ達が勝っているが、だからどうしたというのだろう。
斬り拓けとの想い。昂る感情。がらんどうな死体のディアボロにはない気迫が撃退士達の強さであり、輝きなのだ。
故に、疾走と共に繰り出された鋼糸。鋭利さに速度の乗ったそれは、刃とさえ言える。
「なめないでいただきたい!」
雨月 夜穹(
ja9061)の胸にあるのはただ一つ。誰にも触れさせない。誰にも怪我などさせない。
その為に斬糸を手繰り、近寄る狗鬼を斬り払う。反撃にと牙が二の腕に食い込むが、僅かたりとも気にしない。
身体を張ってでも止めるのだ。それこそが雨月の生きる道。進むべき命の方向性。
悪魔の狗如きに止められるものではないと、知らしめる為に
「この程度で俺が止まるものか……!」
燃焼したアウルが高速の一閃を産み、また一匹の狗鬼の首が宙に飛ぶ。
そして、負傷を気にしない者は一人ではない。天城 神空(
ja9682)が手にした刃を奮って、吼え猛る。
「今は只、ここにいる……!」
手にしている刃はカッターナイフ。そんな頼りないものが、けれど石火の迅を得てディアボロを切り刻む剣となっている。
近づくものを斬り裂き、打ち祓う姿に余裕などない。既に幾度もの攻撃を受けて、傷口から血を流しながら、それでも止まらない。
ただ、近づくものを斬り払う斬撃の舞。後の事など考えていない。
「神に祈る人だからこそ、救いがあったってええええええええええええ!!!!」
己が魂、此処で奮えよ。
ここで武威を示さず、何が救いか。祈り、救いを齎す為にと、血濡れの身体と刃が奔る。
そして、空より飛翔する影。 ネイキッド・煌(
jb2238)の召喚したヒリュウが、その牙を剥いて襲い掛かっている。
喰らえ、と主より命じられた故に肉を噛み切る。当然のように反撃で負傷こそすれど、主の意志が伝わり、退けないと宙を飛翔する。
「さて、一応頑張ろうか。僕も仕事だからね」
そう口にする、神ではなく科学に魂を売ったネイキッド。
祈る人間の気持ちなど解らない。存ざぬし、理解など到底不可能。だが、その為に、何かが犠牲になる事だけは決して許せないのだ。
犠牲――失われるということ。
「もう一度言おう。全て喰らえ」
主の命を受け、ヒリュウがその牙を剥く。
一見バラバラに見える戦況だが、その中でも連携を密に取る撃退士もいた。
「避難経路と誘導役がいない以上、言ってしまえば籠城戦か……」
ヒリュウにて空から避難路を探していた那芝 綴(
jb0707)だが、それを先導するものがいない。となれば、ただ目の前の敵を倒し、決して後方にいかせないのみだ。
綴のヒリュウから放たれるブレスに身を焼かれた狗鬼。僅かな動きの鈍りを川澄澪子(
jb1821)は見逃さない。
「合わせて下さい。三方向からなら、避けにくいはずですわ!」
声を高々と上げる共に踏み込み、横薙ぎに払う川澄の猫の鉤爪。
そして、それに合わせるように、左右から振るわれる斧槍と苦無。
「祈りへの冒涜……その身をもって贖いなさい」
最上段から斬り下ろされたラナ・イーサ(
jb6320)の斧槍は胴の半分までを斬り裂いて、三角 鈴之丞(
jb8045)の振った苦無は首を深く斬り裂いている。一人、一人の攻撃では致命傷には届かずとも、連携していけば確実に速攻で倒せる相手だ。
行ける。そう強く確信して、ラナは頭上で斧槍を旋回させて前へと歩む。
「祈ってあげるわ。貴方達の魂をも解放して、こんなに成り果ててしまったあなた達もね!」
癒し手であると同時に、堕天使であるラナの攻撃はディアボロに対して高い効果を誇る。が、反面、その気質の差は自分への負傷も深くもするが、僅かな怯えもない。
突出した仲間はいないか。傷の深い者はいないか。絶えず視線は戦場を探っている。
そんなラナへと一撃を加えようと狗鬼が襲い掛かったが、その直前で白い護符が飛翔し、閃光となって弾ける。視界を塞がれた事で空を切る爪。
「ご、ごめんなさい……死んでください……!」
魔術を放ったのは寿。チームメンバーである仲間を庇い合い、フォローし合う戦い方は実に効率が良い。そんな事さえ出来ないディアボロに、決して打ち崩せるものではない。
そして。
「久々の、いや、此処では初仕事か」
火炎の如き赤き大剣を中段に構える篠原天(
jb8007)が駆ける。動けない一瞬、避けられない僅かな瞬間を狙って放つ斬撃は頭部狙い。剛剣の一閃に狗鬼の頭部が両断され、そのまま地に伏せる。
起き上がれる筈もない。そして誰も突出しないようにと、再び六人で纏まる。
「へぇ。しかし、いい趣味してんじゃねぇか……お前らの御主人様はよぉ」
ダークスーツのネクタイを緩めながら、棒付き飴を口に咥える篠原。この戦場は苦いとでもいうかのように、飴で味覚を誤魔化す。
数では不利。気迫と勢いではこちらが上。だが、愉しめる程の余裕がないのも現実。出来る限り後方へと抜けさせたくはないが、全てを迎撃で止める事は不可能なのだ。
その横では心 水無月(
jb8036)が狗鬼に肩を噛まれつつも、離れた瞬間を狙って杖で横殴りにする心 水無月(
jb8036)の姿があった。
「こいつらが天魔かっ、色々いるな!」
見れば後方。幽鬼もいる。消耗しているのを待っているのか、ゆっくりとしか前進してこないが、更なる増援が来ればかなりキツイのは言うまでもない。
そんな中、水無月の口調が一転する。それはまるで、独り芝居のよう。
「興奮してる場合じゃないのですぅ〜、やっつけないと〜」
そして再び変わる。人格がまるで二つあるような、分離したような口調でもその戦意は変わらない。
まるで、自分に言い聞かせているように。
「僕でもそれくらいわかるよ! 一匹たりとも、教会には近寄らせない!」
その事を、たった一人で確認しているように。
「しかし、の。嫌じゃ嫌じゃ。無粋な輩のみよのぅ。利益のない事に興ずる趣も解らんか」
手の中で苦無を回転させる三角が呟く。
「暴力での蹂躪など、餓鬼にでも出来る事、面白くもなんともないが……」
そして三角の視線の先、篠原も警戒していた敵の姿が現れる。新手。それも、今までのとは少し実力が違う。
「これは手段じゃ、おんしらのように力を目的とはせぬよ。無意味な建前、粋であろう?」
それでもと、挑発するように三角は口元を歪めて笑う。
●
そして、森の上を飛ぶ白と黒の翼。
これだけの数がいれば、群れの長たるものがいて当然と偵察に出たサリオ(
jb7968)と一二三。
木々の隙間から索敵しつつ、余裕があるメンバーとは連絡を取っているのだが。
「未だに優勢……ただし、援軍が動き始めているのか」
相手も本腰を入れて攻勢を仕掛けて来ているのだろうとサリオは胸の中で呟く。
出来るだけ発見した敵は倒してきたつもりだが、サリオと一二三の狙いは別の場所。司令官の居場所の特定と、上空からの戦場全体の偵察。
「……とはいっても、防衛班の所にまでは辿り着くか」
ぽつりと漏らしたサリオ。数が多いのだから、僅かでも相手が教会側へと抜けるのは避けられない。戦術や戦法の間違いではなく、これは単に数の問題。だからこその防衛班の存在なのだが。
「……見つけた……」
数に任せた敵は恐らく斥候であり、序の戦力。主力は別にいると、一二三も見ていた。そしてその通り、森の平ら開けた場所にいるのは紅の鬼に、影で形作られた二体の鬼。
高く空を飛ぶと同時にギターを掻き鳴らし、一二三は戦場の奥で交戦が始まった事、つまり敵司令の位置を伝える。響き渡る音色が主戦力の位置を伝え続け、空からの魔歌の衝撃は戦鬼にもダメージを与える。
「そう。これが人を殺すモノ……困るんですよね。人間は観察と研究の対象、殺されて数を減らされては、この世界に来た意味も解らなくなる」
あくまで挑発、誘導。サリオの放った紫の魔矢は影鬼に衝突し、その身を揺らす。同時に敵司令官の発見を伝えようと通信機に手をとった瞬間、それは起きた。
「……っ……!?」
空高く飛んでいた一二三に対して、戦鬼が取ったのは仲間と木の枝を踏み台にした二段跳躍。一瞬とはいえ空に飛ぶ一二三との間合いが詰められ、奮われる刃。産み出された真空の太刀。
斬り裂かれた傷口から鮮血が飛び出る。決して浅い傷ではなく、連続で受ければ危険。二人で相手取れるものではない。
「……藪、蛇……?」
撤退しかないが、すれば確実に戦鬼は追ってくる。ではどうすればよかったのか。もっと人数を揃えて確実な強襲にすべきだったのか。それとも時期尚早だったのかと、疑惑を胸にサリオ達は後退していく。
●
影鬼へと拳を振り上げる松任谷 栄二(
jb6551)。
剛腕が唸り、一撃を叩き込んだ筈だが確かな手ごたえはない。骨や筋肉の芯となるものがないのだ。影のみで形作られたもの。そして、他のディアボロとは格が違う。
反撃は腕から映えた影刃の爪撃。胸を斬り裂かれ、そのまま後方へと抜けられる。
追撃と思えど、肉体は自由に動かない。激しい負傷に意識は立たれずとも、肉体が持たないのだ。
「今、癒すわ。大丈夫、後ろは防衛班に任せられる筈よ」
「……うす」
栄二は後ろに下りつつラナから治癒を受けるが、そのラナ本人の負傷とて軽くない。
いや、負傷していない者がいないのだ。迎撃、攻勢へと出たものは真正面から激突し、乱戦へと突入している。後方の幽鬼を狙うものが少ない為、遠距離からの魔法で更に削られていく。
そしてついに迎撃班を突破した一体の影鬼と、五体の狗鬼。撃退士の第一ラインともいえるそこを突破されたのは、数が多すぎるの一言に尽きる。合計30体近く。それを一陣のみで受け止める事など不可能なのだから。
だからこそ、防御に徹する第二陣が、その武を奮う。
護れ、救え。祈るように、銃を握り締めて。
「初陣だな、人間界に来てからの――だからこそ」
己が正しいと奉じる想いを込め、コリトス=ポリマ(
jb8030)が先頭を走る影鬼へと強烈なアウルの弾丸を放つ。
堕天した身では人の祈りを聞きどけなど出来はしない。力の大半は失われてしまっている。それでも、正しいと思う心に曇りはない。
「貫かせて貰う、この命の限り」
そして直線に進む一条の光。影の身さえも撃ち抜き、衝撃でその動きを止める。のみならず、自分達の上位にいる存在が止められた事で、一瞬の迷いを見せる狗鬼たち。
畳み掛けるならば、此処だ。
護楯として、防壁として。槍を携えアルエットと九鬼が影鬼へと攻め懸る。
穂先が貫くのは、暴虐の怨念。決して人々にそれを触れさせないと、柄を握る手首を捻り刺突の軌道を強引に曲げたアルエットが叫ぶ。
風切る音に思い出すのは弔いの鐘。せめて、せめてと残ったカケラの祈りたち。
もうそれしかないのだ。たったそれだけしか、生きているものが死んだものに出来る事は残されていないから。
「その祈りまでも、朱色に染めさせるわけにはいきませんのよっ!」
破邪を叫び、鳥籠の中から外を見続けた少女は影鬼を貫いた穂先で抉り、払う。
空の色は赤。見上げるそれは血の色とは、違う。願いを聞き届け、溶かして一つに結びつける優しい色彩だと、信じている。
更に左側よりランスを掲げ、胸部を貫く九鬼。振りかえる余裕などないと、貫いたランスを逆に握り返され、恐怖と共に知る。鳥肌が立つ。それでも、恐れを撃ち払うように声を上げる。
「頼りないかもしれないけど、僕たちを信じて!」
直後、影刃に斬り裂かれる九鬼。敵を目の前にして言葉を紡ぐという暴挙。だが、それにて安堵したものがいる。天魔と戦えない一般人は教会の中から様子を伺い、天魔の刃を受けても倒れない撃退士に希望を見た。
身を挺して、心さえも守る。そう九鬼は決めているのだから。
そして空より飛翔する符術。
数撃では沈まないというのならと、更に畳み掛けたのは十九百(
jb7914)の炸裂符だ。爆裂の起こす烈風をもって影鬼とアルエット、そして九鬼を一度引き放す。
「ひひひ、来よったでぇ……♪ ハジメテの撃退士の仕事や。いっちょ、ドーンと決めてやったるわ」
闇の翼を広げ、空中から教会に向かってきている敵を数える十九百。迎撃班が大半を押しとどめたお蔭で、こちらまで突破して来た数は少ない。数的にはこちらが有利。それを確信して、にやりと意地悪そうな笑みを浮かべた。
対して、教会の屋根から飛び降りた茅野 朔(
jb7946)の表情も声も淡々としている。
同じく数の把握はしているが、思う意味と方向性が違うのだ。
「…誰も死なせない……」
そう、これは防衛線。決して後ろには通せないと、朔もまた炸裂符を影鬼へと放つ。少なくとも強力な個体であるこれを放置していれば、何時か隙を突かれて狗鬼に突破されてしまうだろう。
避難場所と誘導人員を避けなかった為、教会に立てこもって貰う形となったのは痛いだろうか。いや、ある意味では護りやすくもなっている筈だ。恐慌した人々の誘導はそう容易くはなく、ならば一か所で防衛に徹するのも間違いではない。
結果として決して通さないとの決意をもった防衛線。畳み掛けられる連撃に、影鬼の身体がよろめいた。
では、倒すのみか。いいや違うと、モネ・フェンリル(
jb7424)は小柄な体で疾走する。手にしたクロスボウの射程内に影鬼を納め、踵を地面に押し付け急ブレーキ。そのままアウルを鏃へと凝らす。
「鬼退治? 冗談じゃないわね」
眼にした好機を穿とうと白銀の髪を揺らす姿はまるで銀狼。荒々しくも、強く美麗に流れる色彩。そして、放たれるアウルの矢は狼牙の如く鋭い。
「沈みなさいっ! 鬼ならば、神の家に近づくだけ消えるものよ!」
飛翔したモネの一矢。影鬼の喉を貫いて、そのまま地へと伏せさせ、形が霧散していく。急所というべきものは存在しないのだろうが、積み重なった傷は存在そのものを削っていったのだろう。
「教会に鬼、ね。確かに場違いが酷い」
動揺が走った狗鬼の前脚へと矢を放つ高鷹あきら(
jb5379)が口にする。
治癒は今の所必要なく、動きの鈍ったこの瞬間を狙って掃討するのみだ。戦闘中である以上、応急手当や休息をする暇も余裕もないが、持ちこたえられる自信はある。
「えらい面倒なことになってもうたけど、これは一つやるしかあらへんなぁ。まるでゾンビ映画のようやれど、な!」
延々と湧き出す異形の鬼ども。榊原 基子(
jb7680)の云う通り、ゾンビによるパニック映画のような有様だが、戦場とはそういうものなのだろう。
「煙幕を張るタイミングがないのは仕方ないやね」
弾薬が掛からない分、報酬が減らないのがマシかと口元を歪ませて榊原は距離を取りつつ連射する。
前面へと出たのはアルエットと九鬼の二人だけだが、元より堅牢なディバインナイト。そう易々と狗鬼に倒される訳がなく、傷つきながらも狗鬼たちを一体、また一体と穂先で貫いていく。
その様を見つめるのは、ただの一般人。扉の奥から、少しだけ間をあけて覗きこんだその存在に、イーファは微笑みかける。
「大丈夫ですよ。私達が護ります」
足元にしがみつくのはまだ幼い子供、恐らく父親。
この人の子らを背に庇う。それが軽い訳がない。必要なら絶対に庇うのだと心に刻み、イーファは拳銃を狗鬼へと向ける。
「私は、貴方達を守る為に此処にいる。心安らかな想いを、一瞬でも続ける為に、一秒でも守る為に」
そしてトリガー。発砲。躊躇いなどないのだと、銃撃の音を以て告げる。
「鐘よ、魔を祓い下さい……守る為に、その音を響かせて下さい。また、祈る為に」
その言葉と共に、天から下りる影。
「すまない、治療を頼む……!」
そう口にしたのはサリオ。肩に背負っているのは一二三だ。戦闘不能という程ではないが、深手を負っている。
駆け寄ってあきらが治癒のスクロールを使用するが、一つだけでは完治には至らない程だ。二つ目を消費しようやく戦闘可能なまでに。失いかけていた意識が戻るが、残るは一つ。
「流石に、無理があったか……」
「……でも、あの、ノイズ……少しは、削れた……」
肌に刻まれていたのは鋭利な刃の跡。今までのモノとは比較にはならないものだ。
二対一では叶う筈がない。本物の、鬼が来る。
「こっちに追い縋っている最中に、一体の影鬼は倒せたんだけれど……敵の司令官は、正直、別格だよ」
優勢だった戦場に、鬼が来る。鬼が地平を紅に染めに来る。
何時の間にか、鐘の音は止まっていた。
●
感じたのは熱。炎のような戦意。
今まで相手をしていたディアボロの放っていた暴虐性からではない。戦を知り、闘争を知るものが現れようとしている。深い森から、ちりちりと火の粉を上げるように強烈な気配を伴って。
隠す気などない。戦いに来たのだから。
「……ちっ、こんな時に厄介な」
狗鬼の一匹を斬り捨てた赤い大剣を振い、篠原が呟き、棒つきの飴を噛み砕く。
影鬼の現れた方向を常に警戒しつつ戦っていたが、ようやく狗鬼の大半を討ち取り、幽鬼も残るは半分を切ったという所。勝利は目前に見えたこの瞬間、戦鬼は遅すぎたと、そういう事が出来ない。
手にした剣が赤いのは元の色か、夕焼けを映しているのか、それとも返り血のせいか解らない。
全身は傷だらけで、疲弊も酷い。十全な状態で挑めない。
「……豆を投げたら、帰ってくれないなかなぁ」
綴は疲労に満ちた溜息の後、小さく呟いたが、そんな訳がある筈はないと感じている。
面倒は嫌い――だが、逃げ出せない。
「此処まで来たんです、行きますよ」
森から姿を現した、紅の鬼。太刀を奮う戦鬼が、ゆっくりとその姿を現す。
携えた太刀は流血の紅。誘い、刻む鋭利で無慈悲な刃がぬらりと光る。
その前で。
「祈りは私が最も愛する行為ですわ」
喉は乾いて、声がまともに出せているかは川澄自身も疑問。だが、笑みを浮かべて続ける。
「美しいのです。救いを信じる事は、皆を信じ、救えると思う――この想いは、きっと」
恥ずべき事はなく、信の輝き故に負けぬと一歩踏み出す。同行者である綴、三角、篠原、寿、ラナも続く。
あれさえ倒せば終わる。ラナの治癒のスクロールは使い切っており、彼女自身の負傷も激しい。だが、斧槍を構える姿には微塵の揺らぎもなく――後方より仄かに煌めいた癒しの光が、彼女達を支える。
「総力戦、ですね」
防衛隊も戦鬼の出現を感じ、最小限の戦力を置いて前へと出てきたのだ。あきらの最後の癒しがラナを癒す。
文字通り、最後。拳銃を、槍を、剣を、弓を。構えてその瞬間を待つ。
鼓動が溶けていくかのような、余りにも長い時間。息さえ、出来ないその時に。
「恐怖を鎮めてはいけません! 怖いからこそ、乗り越えるんです!」
残る影鬼の一体と、僅かばかりの狗鬼と幽鬼を残し――紅の戦鬼へと木島の放つ水晶の鞭が伸びる。
●
その様は烈火にして怒涛。
放たれる攻撃の軌跡は煌びやかに互いの命を狙う。烈しく、そして何よりも休みのない攻勢。
木島のアイスウィップは避けられるが、その瞬間こそを狙って綴のヒリュウが放つ光球。更に右、左と別れて弓矢と弾丸が仕掛けられている。避けようとしても、必ずどれかは受ける密集した包囲攻撃。
故に鬼は避けない。それぞれの向かう先が急所に刺さらないようにと身を捻り、あえて受ける。でなければ、接近しようとしている者達に対応出来ないのだ。
上段に構えられた太刀。奮い産み出される紅の真空刃は最も早く間合いに踏み込んだ三角へと。吹き上がる血飛沫は直撃を受けた現実を告げている。
けれど。
「デカブツの大振りなど……っ……!」
三角は止まらない。手にした苦無を戦鬼の目元へと投擲するその動きを、一瞬も止めはしない。
「この命、断つには足りぬわ! 無粋な鬼よの、魂の篭っていない刃で断てると思うな。斬られど止まらぬが、粋というものよっ!」
瞬間、産み出されたのは影による某手裏剣。苦無の投擲に意識を裂いていた戦鬼の目に突き刺さり、動きが止まる。降り切った太刀の上に、アルエットの槍の穂先が重ねられ、二度目の振り直しを許さない。
「茜色に溶けなさい。貴方は、彼岸にさえいけない亡者でしょうけれど」
「アナタのウタは、きっと悲しい」
その瞬間を狙い、戦線へと復帰していた一二三の奏でる魔響が鬼の左手腕を撃ち据える。揺らぐ手。それでも強引に放たれる二連閃。
自分へと肉薄し、剣戟を交える篠原、アルエット、三角、ラナ、水無月、そして九鬼の猛攻を弾きながら、二人を連続して捉える鮮血を呼ぶ紅の剣光。
意識が途切れ掛かる。激痛の余り、折れそうになる膝。だが、それでも、此処で止まる訳にはいかないのだ。
「大した剣速だが……悪いな、俺の方が上だ」
瞬間、傷口から血を吹きだしながら篠原の大剣に武気が纏わり付く。高速の斬撃を齎す術。そして、何よりそれを振るい続けた剣技の経験。
「仕留めさせて貰うぜ? その太刀、手放しな!」
もう次の剣は振わせないと、俊速の刃閃が奔る。赤、そして血。紅の鬼を袈裟に深く斬り裂いた一撃。
それでも仕留めるには足りないというのなら、続けるのみ。あの剣撃でさえ態勢が揺らがないのならば、狙いは一点だ。
「そこ!」
怯懦は不要。もしも失敗したらなど考える必要もない。銀の火を纏った穂先が、紅鬼の太ももを貫き、初めて戦鬼に完全な隙が産まれる。
「あなた邪魔よ」
故にそこを確実に、完全なものにする為にラナは突貫するのだ。防御が硬いのは解っている。故に、残る激烈の一閃を放つ。身体ごと旋回し、戦鬼の腹部へと薙ぎ払う斧槍の一撃。
既に生命力はギリギリ。放った後にラナ自身も転倒してしまう程、全身全霊を絞った刃は、文字通りの意地なのだ。
「退けない戦いってのはあるのよ! いつだってね! 背後に背負っているものがないのに、私に勝てると思わないで」
勝利宣言。共に完全に姿勢を崩し、続く挙動は何も出来ない。此処を穿てば、必勝必殺――この瞬間を逃さず、空を飛ぶ烈弾の使い手。
光の翼にて跳躍し、宙で反転しつつ戦鬼の背後を取る。手にした銃口は、ゼロ距離で戦鬼の頭部へ。
この距離では外さない。この状態では致命傷は避けられない。
故に、この光にて全てを終わらせる。
「悪いが死んでもらうぞ」
アウルを圧縮し、放たれる弾丸。戦鬼の後頭部を撃ち抜き、額から突き出た閃光たる銃撃。
崩れ落ちる戦鬼を前に、荒い息をつく撃退士達。無傷なものは殆どおらず、頭たる戦鬼が討たれた事で残るディアボロ達は潰走し始めている。
終わったというには、余りにも荒涼としてた場所。
血と屍の転がる、教会の麓。
「ああ……だから」
こんな地平ではない別の場所を、祈るのだろう。
きっと、何時か。救いの地と時を求めて、足掻くように、嗚咽と痛みを堪えて。
鐘が鳴る。
堕天使である一二三は外から鎮魂の歌を。人として育ったイーファは、礼拝堂の中で。
戦いの終わった、その後に。天魔が祈る事は可笑しいのだろうか。こんな惨劇を起こしたのは確かに天魔。
でも、心は人のそれと変わらない筈だから。
鐘は鳴る。
僅かな安らぎと、救いを齎す為に、鐘は鳴る。