●猫の闇
日も暮れ、藍色の空が広がっている。
地は薄暗く、踏みしめる木の葉の音が静寂の中に、嫌という程はっきりと響いていた。
吹き抜けるのは、涼しさを通り越して、もはや冷たいとさえ感じる風。揺れたのは暗がりの中、うっすらと見えた青の長髪。
靡くその髪を手でそっと抑えて、ウィズレー・ブルー(
jb2685)は呟いた。
「しかし、どうして……」
まるで問いかけのような声色だが、問いかけるべき相手はいない。
意図も理由も目的も解らない失踪事件。だからこその神隠しと呼ばれた事件。
困惑に揺れるウィズレーの青の瞳は、けれど再び翳すライトの光の先を見据えた。
解らない事を考えても、応えは出ない。ならば先ず自分達が出来る事を。背景に、活発となってきた天魔の動きを感じるカルマ・V・ハインリッヒ(
jb3046)も、その思考となる。
可能な限り、この手で。
「応えが欲しければ、探し出すしかありませんね」
「ですね。助け出して、聞かなければなりません」
種を超えた旧知であり、信頼を寄せあうウィズレーとカルマが頷き合う。
終われば、またゆったりとお茶を飲めるように。それが、苦い後悔の味を覚えなくて済むように。そう心の隅で思って、二人はライトの照らす林の中を見つめた。
「――そちらも、変化なしか。判った」
携帯で焼却炉に向かった班や、この街の周辺を探索する他のメンバーに連絡を入れているのは詠代 涼介(
jb5343)。
相互連絡は重要だが、今の所、目立った成果は出せずにいる。定期連絡をするにも相手の数が多すぎた為、何かあれば連絡をという事で通話を切る詠代。
「頼んだぞ」
そして淡々と、召喚したヒリュウへと命令を出す。
言葉にされずとも主の意志を汲み、空へと舞いあがる小さな影。
視覚共有すれば、木々の広がりが見えた。林の続く先には山もある。広域を探索しようとしている。
そんな三人の元、周囲を注意深く歩き回っていた神崎・倭子(
ja0063)が戻ってくる。
上空偵察や生命を探知する技を持たない分、脚を使った探索を担当した神崎。精密探査は不可能だ が、少しの意変ならば気付けるだろうと、先行する形で動き続けている。
その結果を、荒い息を付きながら神崎は告げた。
「向こうの草むらに、引き摺ったような跡があったよ」
それはほんの些細な異変だった。ともすれば見逃すだろう程度のもの。
「けど、枝も折れている。多分、間違いないと思う。獣だったら、届かない筈の高さの枝が折れているから」
草むらに跡があっても、それは獣道であるかもしれない。
だが、枝まで折れていればどうだろう。四人は視線を交わし、神崎を先頭に歩き始める。
動き回ったせいで、神崎の喉は乾いていた。けれど、腰に差してあるペットボトルには手を付けない。
「この水は、助けられた人の為にあるという運命なんだよ」
それは神崎の独自の理論。でも、その為にある水が無駄になる筈はないと、信じている。
一方、焼却施設での探索は酷く精神を削っていた。
スマホで林を担当する四人から、コテージを見つけたという連絡を聞いた木花咲耶(
jb6270)が全員に通達する。
が、怪しい所は中々見つからない。いや、放棄された焼却施設という場所自体が怪しいのだ。木を隠すならば森の中。探すべき場所があり過ぎて、解らない。
木花が危惧していた敵の気配こそないものの、物陰からの不意打ちの可能性とてない訳ではないのだ。
「少し、外から眺めてみます」
そう許可を取り、縮地で一旦外へと駆け抜けたのはユウ(
jb5639)だ。
命図 泣留男(
jb4611)が生命探知で探っている最中にと飛び出したのだが、やはりこれといったものは見えない。精々、大きな施設ほどボロボロになっているというのが伺える程度。しん、と静まり返った廃墟特有の空気が満ちている。
何も見つけられない儘にユウが戻れば、メンナクがやれやれと首を振っていた。
「こりゃキツイぜ。クレイジーな事に、施設が広すぎて俺のガイアの囁きを聞きとった耳でさえ、何も感じねぇ」
サングラスを押し上げるメンナク。生命探知を無闇に使っても、実の所範囲がそう広い訳でもない為に無駄使いとなるのだ。ある程度、場所を特定しなければならないのだが。
「だが、待ってな。この伊達ワルには、ケイオスに囚われた人々の助ける声だけは聞こえているぜ。このソウルに直接、響いている」
言い回しは難解だが、その熱意は確かなものなのだろう。
気を引き締め、解決の糸口をつかむ為にリンド=エル・ベルンフォーヘン(
jb4728)は口にする。
「確実に探して行くしかないだろう。……廃棄されているのなら、それなりに床や壁に埃や蜘蛛の巣が付いているはず……」
そういってリンドが靴先で床を擦ると、それだけで積もった埃が舞い上がった。
逆に言えば、人の踏み入った形跡のある場所は廃墟そのものが教えてくれるのだ。
「後は、そうじゃな。警察が探索した場所は埃がなくなっている可能性はあるが、探索していないのに埃が消えている場所が怪しいじゃろうな」
警察の探索した場所をマーキングした地図を取り出す木花。本来ならば様々な場所を探す筈なのだが、ユウは所持品の見つかった場所を、木花は警察が探索した際の平面図を持っている。
そして、遠目で見たユウが気づいた。
「すみません、遠くから見たら、この施設の、この焼却塔。どうも地下があるみたいなんですが」
「……ほう?」
外部から確認した際には、地下への搬入口と階段があった。
だが、この地図にはそれがない。そんなユウの指摘に、全員が地図を見つめる。
古い、廃棄された焼却場。地図の一部が無くなっていても、可笑しくはない。
「では、そちらへと向かうかの」
木花の言葉に従わない理由はなかった。
●鳥籠の罠
発見したコテージの前で周囲の生命を探る、ウィズレー。
感じるのは無数の気配。自分を包む淡い水色のオーラが優しく揺れる中、騒がしい程の、林独特の気配を感じていた。
場合によっては虫さえ生命探知に掛かっているのだろう。けれど、せわしくなく動き続けるそれらとは別に、全く動かない気配がある。
そして、感じる気配は、明らかに地面の下からだった。その事実に、眉を顰める。
「モグラ、ではないですよね」
それにしては一か所に集中し過ぎている。
「しかし、コテージの中に踏み入るには、少し危険ですか」
ライトで中を照らせば、時の流れに晒された無残な姿が広がっている。
人が踏み入った形跡はない。扉を押せば、それだけで倒れてしまいそうなコテージだ。
「いや、ちょっと待て」
そして、コテージを中心として周囲を空のヒリュウで探索していた詠代が口にする。
「裏手に、階段みたいなものがある。多分、そこから地下にいける筈だ」
「…………」
その言葉を聞いた時、神崎が感じた嫌な予感。それが錯覚ではない気がして、仕方がない。
だが、確証はない、それは見つければいけない。そのまま裏手に回り込んで、階段を見つけて下りて行く。
先頭はカルマだ。地下倉庫らしき入口の前に立ち、透過能力を発動させる。
「屋上や上からは、無理ですよね」
呟くウィズレー。
「流石に、呼吸をどれだけ止められるかという問題がありますからね」
下手をすれば、壁や土の中で窒息しかねない。この地下倉庫が、実は既にコンクリートで固められている可能性とてある。正確な場所が掴めなければ、少々上空からの潜入は危険過ぎた。
物質透過。それでも便利である事には変わりはないだろう。詠代は素直に、この時だけは羨ましいと思わざるを得ない。人の命を助ける為の、力として。
そして差し出されるカルマの左手。扉にとぷり、と沈むように入っていく。
そして一度引き抜く。何も付着していない事を確かめ、次は手袋を水で濡らそうとして……。
鳴り響く、携帯の音。
●猫を焼き殺す
それは一種の焦りだった。
見つけられなかった地下施設。その中でも灰を密封する為だったであろう部屋の中で、木花とユウが捕らわれていた人々を落ち着かせている。
正直、危険ギリギリだった。メンナクが上から顏を覗かせ、木花が即座に駆け寄るのを止めた。更に、ユウは首を縦か横に振るかという意志表現だけで確認したお蔭。
「此処までやるのか……」
僅かな戦慄を覚えて、重しとなっていた石に水をかけるリンド。表面にはマッチの材料となっている燐が塗られており、下手をすれば動いただけで焼き死ぬ。
そして、地面にはまかれていたガソリン。匂いだけで、危険だと解る。
「猫が動けば、それだけで焼ける……ここ鳥籠、猫を生かす為の場所じゃない、とでも」
救助者の背を摩るユウが、ぽつりと呟く。
「が、もう大丈夫じゃぞ。安心するのじゃ。もう少しだけ、辛抱しておくれ」
周囲に水を撒きながら口にする木花。
その視線の先では、メンナクが早口で携帯に向かって叫んでいる。
「言いか、絶対、壁には触るなよ。クレイジーな事に……」
ライトを当てた先、檻となった正体をメンナクは見た。燐による発火装置は、あくまで中のものの為。外部の侵入を阻む、檻がある。
「この檻は、発火装置の織だぜ。エレキを運ぶ、ケーブルに触れたらバーニングさ……もう、マリシャスとしか言い様がねぇ」
ぞろぞろと、壁の一面を這うのは電気ケーブルの網。
壁の一面に張り巡らされ、更に一部は周りを覆うゴムが削り落とされている。
下手に壁に触れれば、電気の火花。弾けて、ガソリンに引火する。
ぞろぞろと、悪意が這っている。
ぞろぞろと、猫を逃がさないと、無邪気な子供がロープで閉じ込めた箱を縛り上げるように。
●
さぁっ、と血の気が引いたのは僅かな間。
逆にそのトラップの危険性を理解した神崎が叫んだ。
「ウィズレーさん、カルマさん。急げっ! その罠、何時発動しても可笑しくないよ!」
それは無邪気な悪意。背筋が震えた。
仕掛けた本人は、どうという事のないつもりだろう。完全なトラップとでも思っているのだろうか。
だとしたらそれは子供だ。
「マッチのような状態の石があるなら、寝返りを打つだけで着火する可能性がある! ケーブルだって、しっかりと固定されているとは限らない!」
「……っ…!?」
それはそうだ。衰弱した人間が意識を失い、少し動いたらどうなるだろう。ほんの少し、重しと成る石に触れれば、それだけで。意識していない動きで、火がついて爆発する。
水とてアウト。壁に手をついても駄目。
ならば、後は考える必要などない。透過能力を発動させたカルマとウィズレーが飛び込む。
中にはやはり、人がいた。ロープで縛られ、口元をテープで塞がれている。手足には重しとなる石。
まだ、火はない。
「助けに参りました」
安堵の溜息をついて、ウィズレーが口にする。そしてカルマは振り返り、後方の扉を確認する。
やはりケーブルが巻き付いている。人が一人だけ出入りする分だけの『遊び』はある。だが、全開させた瞬間にケーブル同士が接触して、火花が散る仕組みだ。濡らしてもアウトだろう。雨が降っている日に人が訪れていれば、それだけで危険。
更に言えば、誰かが肩を貸して外に出ようとしても駄目。ふらつく腕や脚では、やはりギリギリの隙間から出る事は出来ない。
助けを期待しても、この罠を知っていれば恐怖にしかならないのだ。
シンデレラの義姉は靴を履く為に爪先や踵を斬った。だが、連れていかれる際中にバレて、最後は死んでしまった。
――身を切るように願っても、それは絶望と死に繋がる。
その悪意。寓話という恐怖。
「怖いのは分かります。貴方からその恐怖を祓う為にも、力を貸して頂けませんか?」
感じとったカルマにも鳥肌が立ったが、それでもと口にする。
攫われた、一人の少女の視線が、テーブルの上にある、ケーブルの大本にいった。
ウィズレーがゆっくりと、限界を超えないように扉を開ける。その限界、鳥籠の入り口の大きさを知っているのも、本来は仕掛けた本人だけだろう。
囁きに応じて、用心した上で神崎と詠代が入る。
そして、詠代はその罠のあまりの単純さに、絶句してしまった。
「……電池と、ケーブル?」
ガソリンの匂いは確かにある。気持ち悪い程に。
だが、それを発火させる為の装置は、懐中電灯を利用して作っただけの、子供の作ったような罠だった。
それだけで、人は死ぬ。どうしようもなく、簡単に死ぬ。
ただ、ケーブルに注意しながら、カルマと共に電池を取り除く。それだけで、鳥籠の罠は消えた。そのあっけなさが、仕掛けた犯人の悪意の本質であり、恐らく、殺意など欠片もなかった事の証拠に感じて仕方がない。
無邪気に、純粋に。ただ、猫を出さない為に――。
「大丈夫」
ロープを解いていった中、小学生程の幼い少女を抱き締める神崎。
余りにも悪質な、本物の悪意などよりタチの悪いそれを忘れさせる為に、強く抱き締める。悪夢は去ったのだと、温もりで伝える。
少女は、震えている。
「ボクがこうして見つけた以上、助けて抱き締められた以上、もう大丈夫だ。諦めないで。怖がらないで」
未だに震え続ける少女へと、重ねていく。
「絶対に諦めないで。ボク達も諦めなかった、見つけた。だから……」
恐ろしい悪意に晒された、少女の人生。心に受けた傷を、癒す為に。
「その代わり、キミも、キミの運命を諦めないで。……助かる事を、幸せを、諦めないで」
抱きしめて、囁く神崎。
探さなくても解る。悪魔より酷いモノに、決して負けないでと、繋げていく。
●猫の行方
詠代の手配した車で、焼却施設の班と合流した林探索班。
水や栄養ゼリー、医薬品を与えていく。衰弱と恐怖で詳細な話は聞けていない。
唯一聞けたのは、攫ったのは人間の少女で……時折、天使を連れてきたという事だけ。
ユウが学園に応急班の手配をしている中、メンナクと木花がスキルでの治癒と体力の回復を図った。
「俺の放つ輝きで、身も心もとろけちまいな! 黒いガイアの光だぜ」
「まあ、なんじゃ。悪気はないのじゃ。気にするでない」
救い出したのは十人近く。死亡者は、いない。
しかし。
「……可笑しい。四国で起きている事件に関連性がない。いや」
呟いたリンド。そこまで言葉にして、詰まってしまう。
「どの事件も、目的や理由、動機が見えない」
「四国は今、きな臭いですしね……」
一体どれが何に絡んでいるか、解らない。
神隠しと名付けられたこの事件。
どう転ぶか。そしてどう流れるか、何も見えない。
この先、何が起きるのだろうか。
遠くから聞こえる、サイレンの音に、意識を傾けた。
今は助けられた命がある事を、喜ぶべきなのだと、解っていても。
人と天と魔の織り成す、四国の揺れが始まっている。そんな予感がするのだ。
まるで、火のように、予感がちらちらと揺れる。