此処は、人の街だったのだろうか。
もう形あるものは残っていない。只管に蹂躪され、壊れ、焼く尽された残骸の群れ。
見えるのは空襷から舞い散る灰と、崩れ落ちた瓦礫の地平線。
どれだけの命が、炎の中に消えていったのだろう。
吼え猛る戦火が只管に突き進んだ終わり。抵抗する事も出来ず、逃げる事さえきっと出来ずに終わった。
そして今、劫火の果てに、ただ無慈悲な静寂が広がっている。
降り落ちる灰の雪は、まるで涙のようだった。
「懐かしい、光景だ……」
絞り出すインレ(
jb3056)の声は、擦れて震えている。
怒りか、悲しみか、憎悪か。自分でも判別できない混濁した感情を胸に、瞼を閉じた。
何もない。壊れた跡のみが、ただ広がっている光景。
戦場跡と言えば分りやすいだろう。静けさの中に死の気配が潜み、満ちている。
助けを呼ぶ声はなかった。インレが差し延ばした救いの手は、瓦礫に埋もれた何かを掴んだ。
「……懐かしく、嫌な光景だ」
開いた瞼が捉えたのは、初めて原型を留めていた、黒焦げのぬいぐるみだった。
半分は炭と化し、それでも何とかクマだったと解る。子供の、持ち物。
持ち主の身体は、ない。
逃げられたのだろうか。助かったのだろうか。
――こんなにも死の匂いが満ちた場所で?
本当に救いの手を刺し延ばしたい相手は炎に攫われたのだと、インレはぬいぐるみを握る。
せめて残った、たった一つの為に。希望を失いたくはなかった。
「これが、天の武というのですが……!」
示された続ける光景に、姫宮 うらら(
ja4932)はついに言葉を紡ぐ。
抑え続けた精神も、耐えがたい怒りで激発したのだ。
「天焔がただ焼き尽くし、灰燼と化すのみ。子供もいたでしょう、戦えない者もいた筈……だというのに、これはただの虐殺ですわ……誇りあるのであれば、どうして!」
力無き者も問答無用で殺す。
戦えない者も等しく蹂躪した。そこに彼らが謳う誇りも栄光もない。
抗う人さえ出来なかっただろう。
あるのは、徹底した平等。天に坐す者の、地に住まう者を踏み潰す無関心さ。
そんな破壊の爪跡に、姫宮の胸は掻き毟られる。溢れるのは血よりも熱い熱。真の誇りと想いからなる焔を胸に、灰の降る向こうを見た。
「この白き爪牙、届けてみせます」
何者であろうと許さない。天使がどんな炎で迎え討とうとも、心の中の炎は不滅だ。決して燃え尽きない。
「……言葉は、そこまでにしておけ」
立ち止まり、惨状に想いを馳せた二人へと影野 恭弥(
ja0018)が呟いた。
何も感じない訳ではない。感情の起伏は少ないが、無感動ではないのだ。
それでも、今出来る事は何かと考えれば、それはたった一つ。
「陽動を担当してくれている仲間達が上手くやってくれてはいる。隠れながら急ぐぞ。絶対に、無駄にはするな」
絶対に火龍を仕留める事。
何が起きたのか、この破壊尽された街から調べる事は不可能だろうが、それでも調査を始める為にも、そして復興の為にも敗北は出来ない。
隣りで水の流れ落ちる音がした。
一口、ミネラルウォーターを飲んだ郷田 英雄(
ja0378)が、残りを首筋から被ったのだ。肌も服も濡れ、けれど厚くなっていた思考は僅かだが下がる。
「……気休めだが冷やさずにはやってられんな」
先導する二人の合図を待ちながら、ペットボトルを握り潰す郷田。
「だが、下手な会話をしてサーバントに感づかれたら拙いからな。慎重に行くぞ」
一夜で終ってしまった街。そこな居た者を考える事もない、壊す事だけが能の天使。
これをそう、郷田は捉えていた。
四国には友の墓があるという。それを取り戻す為に、ただ意味もなく殺し続ける者達は、邪魔なのだ。
だが、本当にそうなのだろうか。意味も目的もなく、これだけの虐殺をするのだろうか?
妙に派手過ぎると、リンド=エル・ベルンフォーヘン(
jb4728)に疑問が過った。何の意味もなく、ただ街を焼き払う事にどんな価値があったのか。
特別天魔対策室の四国分室もあった街だ。戦力とて、揃っていた筈である。
「……何かを覆い隠す為に全てを焼き払ったのか?」
文字通り、灼熱の嵐の過ぎ去った後の街を見つめるリンド。
残っている模造品たるサーバントにこれだの事は出来ない。いや、そもそも、どんな上位の天魔ならば、一夜でこれだけの事が出来るというのだ?
耳に染み渡るような静寂。
そんな中、遠くで響く、陽動班の激しい戦闘音。
残っているのは、がらがらと自重で崩れていく廃墟のみ。
命は火にくべられ、残っていない。まるで、一つ残らず全てを焼き払う事こそが目的だったかのように、徹底している。
「……………」
遁甲の術で気配を隠し、瓦礫に身を隠しながら進む神凪 宗(
ja0435)とエルレーン・バルハザード(
ja0889)。
エルレーンが敵がいないかと確認し、神凪が手で合図を出して後続の先導をしている。
阻霊符を使用しない以上、敵は透過能力を使用しての不意打ちの可能性がある。
だが、使用すれば違和感となって自分達が街の奥へと進んでいる事がバレただろう。どちらが安全という訳ではない。ただ、その危険性をほんの少しの注意と警戒で逸らす事は出来る。
周囲を見渡すエルレーンの黒い瞳に、二対の火狐が映った。
幸い、こちらには気づいていない。瓦礫の上に昇ったかと思うと、遠くから響いてきた遠吠えに反応して何処かへと立ち去ってしまう。
陽動班はその任務を果たしているのだと、神凪も頷いて、後続を誘導させた。
そして前方へと視線を向ける。
瓦礫の山と化した場所に手足を付き、とぐろを巻く火龍の姿がそこにある。
敵などいないと慢心しているのか、それとも灰が視界を覆っているのか、こちらに気付く事はない。
「デカいな……」
巨大なサーバント。その形や大きさで実力は計れるものではないが、並み大抵のモノではないだろう。
それでも。
「龍を倒す…がんばるよ、私」
エルレーンの言う通り、倒すしかないのだ。
例え、あれがこの惨状の元凶ではなくとも、黙っている訳にはいかない。
後続もある程度の距離まで近づき、意を瞳に構えた瞬間。
ぬらりと、そしてゆらりと目の前に現れた火。
瓦礫の間から出て来たのは火を纏う狼の姿。透過能力を使用しているが為に、擦り抜けて遭遇したのだ。
即座に遠吠えをしようとした火狐。だが、電光石火の早業で奔るのは神凪の禍々しき双剣。左右の前足を斬り裂かれ、倒れ伏そうとするその喉を、見えざる獅子の爪牙が奮われたかのような傷跡が刻まれた。血飛沫の中、白き斬糸を操る姫宮が喉を斬り裂いたのだ。
何の音も立てさせはしない。即見即殺。脚と喉を潰し、最早絶命寸前のそれに、残るメンバーの刃が閃く。
――絶対、認めない。許さない。
勝つのだと、烈火の勢いを顕わしにした撃退士達が火龍を包囲すべく動き出す。
見れば倒す。触れれば殺す。
始めたのはそちら。復讐だとか、そんものではない。
ただ、許せなくて、二度と繰り返させたくないから。
「人を、舐めるな」
平和な世界を求めて、胸に秘め、戦い続ける人の矜持を此処に。
神凪は灰を散らして駆け抜ける。この地に平穏が訪れる、その時まで。
●
火龍の反応は一瞬遅れていた。
それはやはり慢心。絶対的な力を持つ為か、自分が包囲されている事に気付かず、一気に討って出て撃退士達の動きに戸惑いを見せた。
それは致命的な遅れ。四方を包囲された奇襲。どう対処すれば良いのか、咄嗟に判断出来ない。
変わりに己の周囲に炎を展開させて纏い、更に低空へと飛翔する火龍。近づき攻めれば、自ら燃え尽きるだろう炎渦のサーバント。
だが、誰一人として臆していない。
一番槍は白き獅子たる乙女だ。
姫宮の前に在るのは全てを灰燼と化す炎禍。絶対に倒すと不撓の意志、奮い立ち燃える戦意を瞳に秘めて、真っ直ぐに駆け抜ける。
想い亡き火龍に、姫宮を止める事は叶わず。
繰る指先に応じ、リボンが解かれる。
「姫宮うらら、獅子となりて参ります……!」
靡く長髪は獅子の鬣のように、けれど何処までも白く美麗に広がる。
迎え撃つ炎の赤さと熱。だが、地を往く獅子の想い込めた爪牙は、焔を斬り裂いて龍へと届く。
「この程度の炎で、止まる武ではありません!」
その言葉通り、薙ぎ払われた純白の斬糸。一度の腕の振りで無数の爪跡を火龍の身に刻む。
触れれば斬る。標的を逃さぬ、何処までも鋭利な武威。
僅か一瞬、意識をも斬り裂かれた火龍。そして、何も姫宮のみが臆さなかった訳ではない。誰も恐怖など抱いていない。
「おい、もう我慢なんてしねぇそ。消えな!」
闘気を解放した剛田の大太刀が滑る。鱗の抵抗など在って無いかのように深く斬り裂く白き刃。返り血の代わりに火が身を包む。激痛と熱。息が止まる。
それでも怯まない。止まらない。右目一つで、火龍を睨みつける郷田。
同時、反対側より攻めるのはエルレーン。身を旋回させ、勢いを乗せた大巻が、金色のアウルを纏って袈裟に斬撃を繰り出す。
「人間をころす悪い天魔なんて、私がころすころすころすッ!」
豹変した意志と表情。近づき、攻撃する事で身を焼く炎が何だというかのうように、苛烈な攻めは止めどなく続く。リンドが横薙ぎに払った大剣に斬り裂かれ、揺らぐ火龍の身体。
姫宮の一撃で意識を手放し、落下しかけている間に火龍へと叩き込まれたこれだけの攻撃。
だが、これでも止まらない。
「ああ、気に入らない」
闇の翼を展開し、頭上より迫る鏖殺の暴威。
インレの右腕みり軋みを上げて突き出したのは幾つもの巨大な刃。爪牙であると同時、異形でもあるその腕は天界に仇成す者の、闇の力の結晶。
「人の地を未だ我が物顔で闊歩しているのが、気に入らん。だから、ああ」
蹂躪すべく、刹那に形を取り戻した諸手に握られた無骨な大剣。
空中で螺旋を描き、剛の気を纏わせたインレ身体から放たれるのは断撃の刃だ。
「邪魔だ、消えろ。龍風情が」
後頭部に叩き込まれる剛の剣閃。焔の禍を断つのだと、闇色の斬光が奔り、血飛沫と焔が同等に散る。
そして、遠方より飛翔する対天の狙撃。
翼持つものを倒し、地へと落とす為の一撃が放たれ、火龍の頭部を貫いている。落下させるには狙撃手である影野の力量が足りていないが、十分過ぎる威力。
「今回の敵はよく目立つ……狙いやすくてありがたい」
呟く影野だが、彼が何処にいるか火龍には解らない。瓦礫の中に身を伏せて隠れているだけだが、周囲一体が破壊尽されたこの場所では狙撃の為の隠れるポイントは無数にある。
あり過ぎて解らない。自分へと攻撃を繰り出した者の数も、方向も完全には把握し切れていないだろう。
「完全な奇襲……成功、ですね」
地面へと墜落し、轟音を響かせる火龍。透過能力さえ使えれば違っただろうが、郷田を初めて複数の者が攻勢に出ると同時に阻霊符を使用している。
影野の護衛にと後方に控えている山里赤薔薇(
jb4090)にも解る。高い命中力を持つものが絶対に当てる状況を作りだし、圧倒的な火力を誇るものが連撃で出来た隙に一撃を加えている。
奇襲としては最大の成果であり、方法。ならば、本来ならば誰よりも早い筈の此処で神凪があえて遅れて飛び出したのも意味がある。
「貴様が陣を敷く前に、一気に削らせて貰うぞ」
そう何度もある機会ではない。地に堕ちて身動きの取れなくなった火龍へと、神凪の疾風をも裂く神速の双刃が煌めいた。
何よりも早く。己の俊敏性、脚力、速度。全てを乗せた刃は火龍の頭部を斬り裂いて、盛大な血飛沫を上げる。
纏う炎でも蒸発しきれず、周囲に飛び散る龍の血。だが、攻め立てた者が赤く染まるのはそれだけではない。
姫宮、インレ、郷田、エルレーンにリンド。そして神凪。全員の身に炎が燃え移り、身を焼いている。
火を纏う、火炎渦そのもの。触れようとすれば燃えてしまうのが道理だ。
そして、何が起きたか理解出来ない為に。数も方向も解らないが為に、意識を取り戻した火龍は切札を斬る
咆哮。それはまるで戦を告げる鐘の如く。
鼓膜を壊すかのような衝撃じみた音。それに呼び覚まされて、地面より噴き上がる炎の群れ。
このサーバントの最大の脅威である不動不滅の火炎陣だ。
故に、これをどう対応するかが全ての分かれ目だった。
●
「……っ…」
身を焼く炎と熱風。既に疾風で回復すると決めていた領域以上のダメージ受け、それでもエルレーンは自分の役割を果たそうとする。
名乗りは高らかに。忍ぶ事も捨て、己に喰らい付けと。
「このっ!ぷりてぃーかわいいえるれーんちゃんがあいてだあッ!」
堂々不敵。お前など相手ではない。否と言うのなら、来いと火龍と視線を交差させ、一気に後退するエルレーン。
だが。
「……え?」
火龍が動かないのなら解る。逆に付いてくればそのまま陣から弾き出す算段だった。
だが、どれでもない。再び低空で身をくねらせて移動したのは、ほんの僅かだけ。そもそも、エルレーンの機動力では全力で走らなければ陣から出る事は出来ず。
「……っ…!?」
開いた口から奔る膨大な火炎流。莫大な熱量を秘めた焔はエルレーンの足元に着弾すると共に炸裂して猛火を撒き散らす。
空蝉で回避など不可能。逃げる隙間など何処にもない。
吹き荒れる炎の中、一撃で焼き落ちて崩れるエルレーンの姿があった。
瓦礫の影に隠れるて回避率を高めたのは事実。だが、脆い防御の上に過剰な装備では耐えられる筈がない。アウルを武具に注ぎ込み過ぎてなければ耐え切れていただろう一撃。
いや、注目を引く役割を間違えていたというべきか。
持前の高い回避力を活かせる相手ではなかった。カオスレートの関係で当てられやすく、また、同様の理由てせ一撃でも当たれば生命力が吹き飛んでいく火力。空蝉を使用するには、全てが広範囲に渡る攻撃相手では無理だ。
ならば、一撃でも耐えうる可能性があるものが注意を引くべきだった。
だが、それは過程の話。そして、そんな悠長な事をしている暇などない。
「エルレーンさん……!」
エルレーンは倒れて意識不明。しかも炎陣の中にいる為、焼かれ続けて重体は必須の状態。いや、死ぬ可能性すらある。
だが、叫ぶ山里には何も出来ない。猛火の陣に入れば、助け出す事も出来ずに共倒れとなる。足引く事を後悔し、迷惑を掛けたくないと思うが、元から重体を負っている山里には何も出来ない。
「……くっ、仕方あるまい」
火龍を囲む前衛達は動けない。誰かが攻撃を続けなければならないのだ。
だからと、翼を畳み全力で滑空するようにインレがエルレーンの元へと辿り着き、擦れ違い様に炎陣の外へと弾き飛ばす。仲間への暴力を是とは出来ないが、この状態ではそれが最善だった。
「いきなり、一人目とはな……」
上空に退避するつもりが、仲間を助ける為に炎に焼かれるインレ。更に、外へと脱出させた為に黒鋼を形成する暇もなかった。
だが、後悔はない。序盤で一人が倒れ、一人がその救援に向かった為、手数の減少で得た優勢を失いかけていても。
いや、そんな事はさせないと、果敢に火炎の化身へと挑む烈しき闘志が、此処で武と魂を燃やしているのだから。
「空を何度も飛べばどうなるか、知らせてやる」
何処にいるか察知不能な為に、完全に意表を付く影野の墜天の狙撃。翼を散らす為のアウルの銃弾は確実に火龍へとダメージを与えている。攻撃は頭部への一点集中。が、巨岩に釘を撃ちこむようなもので、運よく眼球にでも当たらなければ、むしろ頑丈な頭蓋骨が衝撃と弾丸を止め、ダメージは軽減してしまっている。
「貴様、無視出来ると想っているのか?」
そんな事はさせないと、頭上高く飛び上がる神凪。狙うのは再び頭部。兜を両断する程の重さと鋭さを乗せ、叩きつける双の禍刃。
斬撃の衝撃で揺らいで落下する火龍。朦朧とした意識の儘、けれど火は消えない。
だが、だから何だ。燃え上がる身体を厭わす、いや、身体も魂も燃え尽きる程の武を放つ二人が猛攻を仕掛ける。
「獅子の志にて、これ以上はやらせませんわ……!」
「はッ、上等。俺が焦げるか手前が散るか、根競べだ!」
姫宮の周囲にか細い紫焔が走る。それは斬糸に纏われた武気だ。
僅か一点、ただ鋭利さと速度のみを求めて爆発的に燃え上がるアウル。天を裂く白獅子の爪牙が、本物の不可視として振るわれた。
それは斬天の獅子の戦舞。踊るような腕の一振りで無数の斬糸が爪牙と奔り、火龍を切り刻む。
「推して参ります。決して、仲間を、これ以上、この地で燃え尽きる命を無くすが為に」
如何なる焔とて、この想い、魂、燃やし尽くせないと姫宮は己を信じている。そして、共に戦う仲間もそうだと。
「リンド、合わせろ。姫宮だけに良い所、取らせるんじゃねぇ!」
同様、燃焼したアウルを左目の一点に集中させる剛田。
何処までも高濃度に圧縮していく。まるで己の闘志そのもののように。
墓を取り戻す前に、別の墓を作るなど許せない。絶対に、勝つのだ。疾風迅雷の速度で、この身が焼き付く前に。
「吹き飛べ。この地はお前ら天魔に渡すモノじゃねぇんだよ!」
そして左目から放たれる冥魔の威。溜め込んで爆発させた気の発露がそのまま衝撃となり、火龍の心身を共に撃ち据えて後方へと弾き飛ばした。
そして、追撃に天を喰らう影を纏う大剣が突き進む。
「貴様のよう天界の模造品の龍に、負けられるものか」
手にしているのはリンド。誇りを尊ぶ龍人の姿をした悪魔。だからこそ、自分と似た者を認められない。
誇りなく、想いなく、魂もない。そんな虚ろを断ち斬るべく、高速の影刃が走った。高濃度のアウル、そして元割り悪魔であるリンドの斬撃は、天の眷属である火龍へと驚異的な一撃へとなる。
「炎を纏う鱗と言えど、我らの意思を焼き切る事能わぬ……土塊へ還れ、蟒蛇めが!!」
甲高い呻り声を上げる火龍へと、大剣の切っ先を向けるリンド。
増援の気配は未だない。陽動が上手く動いているのだろう。だが、それでも攻撃に参加出来ないものが二人。
猛攻であり、恐ろしい攻めだ。火龍とてそう長くは耐えられまい。故にこそ惜しくなるのだ。後一歩、勢いを決定づける攻め手が足りないという事を。
そして、それが減り続けると、予感で解る。
燃やされる身体が、それを伝える。
●
再び繰り出される影野の対空射撃。確実に削っている筈であり、ダメージもある。
「それでも耐えるとは、龍、か」
ドラゴン。恐らくはサーバントの最上位に近い個体だろう。
それに応じて戦い続ける撃退士達は確かに強い。だが、これはもう削り合いだ。
「だが、相手とてもう限界は近い筈だ……っ…」
そう叫ぶ神凪は、もうこの戦いは気迫の勝負だと解っている。
気合で押し勝つものが勝つ。少しでも戦意を緩めれば負けるし、士気が低下しても同様だ。
だからこそ、言葉だけではなく刃で示す。俊速の剣閃は最大の威力を以て火龍の右前脚を斬り裂いた。力ではなく速度。速さで押し切りる風遁の鋭さ。
だが、疾風の刃でも纏う炎は避けられない。身を焼かれ、自分が限界と知った神凪は後退する。
火龍の眼はそれよりも、リンド達、自分を囲む前衛を優先した。
散開して取り囲む前衛達。だからこそ、二人以上の直撃は避けられる上、誰かが攻めた直後に反対側から攻めれば、背を取る形で挟撃を続けられる。
だかせこそ、排除を優先する。まずは、己へと大剣を斬りつけたリンドをと、龍の眼が見据えた。
直後、龍の身体に纏う炎が勢いを増す。
そして滑り、流れ、回る。
「……っ……!?」
これは無理だ。そう思う間もなく、低空を飛びリンドの後方を位置取る火龍。郷田は一撃離脱の戦術で難を逃れていたが、ともすれば巻き込まれて可笑しくない位置。
そして、火が回る。
業火の車輪。盾など無意味で、受ける事さえ出来ずに直撃を受けるリンド。カオスレートを変動させた直後は、ダメージの増加だけではなく、回避も受けも困難なのだ。
故に炎に包まれ、炎陣を転がるリンド。装備を重視して生命力が下り、低くなった者から、次々と落ちて行く。
その様を唇を噛み絞めて見つめる山里。何が出来ると考えを巡らせるが、何も浮かばない。思いつかない。
だが、諦める者など、誰一人としていない。
●
斬糸が焔と踊る。白と炎。交われば斬る爪牙と、触れれば飲み込む咢。
姫宮は善戦しているといって良い。斬糸で薙ぎ払って、二回に一度は意識を刈り取っている。
そしてそこに続くのは郷田の圧縮して放たれる眼光の一閃。意を烈風の勢いと化し、後方へと吹き飛ばしていくが為に、気付けば不動円陣の端近くまで来ていた。
後一歩、後方へと動かせれば焼き尽くす結界の中から出られる。ともすれば、注目を引かず、移動力を奪った後に全員で一気に外へと押し出せば強引ながら炎陣を攻略出来たかもしれない。
だた、それでもどうしても削り合いになるのは避けられない。いや、この火龍には余程の策がなければ、それ以外の方法は通じないのだろう。
正面から立ち向かうしかない相手――その脅威は、インレとて知っている。
「……拙いの」
インレは上空へと飛び、黒鋼を形成する。次の攻め手は強烈なのは確実であり、火龍の生命力もそう高くはない筈。だが、こちらがどれだけ耐えられるかという天秤の皿は揺れ続けている。
しかも、炎陣の結界は上空にいるインレにも届いている。次に誰が落ちるか、その可能性は酷く高い。
後一手、後一撃が欲しい――剣を奮う者が、足りなくなる。
そして、続いていた影野の狙撃が止まる。ついにイカロスバレットが尽きて、スキルの切り替えとなったのだ。攻撃の手がなくなる。
「だが、此処で止まる訳にはいかないな」
身を焼く炎陣からようやく離脱した神凪。疾風を纏って傷を癒すべき所だが、最悪のタイミングである。此処で攻撃手が一瞬でも減るのは危険過ぎた。
「押し切るぞ、気力を振り絞れ!」
炎で作られた影を、闇を、神凪がその身に纏う。強烈な天火の光に反する、闇を集めての神速連撃。危険は承知、それでも姫宮と郷田へと意識の向いたその間隙に、建て続けに二本の矢を射る。
洋弓より放たれた漆黒の矢は、二本とも額へと突き刺さる。速度と冥魔の気による貫通力の前で、右目の上が爆ぜた。
此処まで頭部を徹底的に狙い続けた影野の狙撃が、ようやく身を結んだのだ。視界の半分を己の血で染め、空中でよろめく火龍。
そして、その様は隙だらけだった。
「最後だ。……引き籠ってばかりじゃねぇで、外にでやがれ!」
郷田による三発目の威烈の風伴う眼光。ギリギリだが、ついに陣の外へと火龍を弾き飛ばす事に成功したのだ。
だが、その為に受けた負傷は激しい。肌は焼け焦げ、筋肉が破裂したかのように全身が痛む。荒い息を付けば、燃え盛る空気の熱で肺が焼き落ちそうな程だ。
それでも、ようやく外に出る。不動の炎陣を突破したと、郷田と姫宮が追撃へと入った。
「いきますわよ!」
最早薙ぎ払う技は突き、指先で白爪と銘を付けた斬糸を手繰る姫宮。
頼るのは己の武器と意志、そして武芸のみ。後は残らないと、連続で鱗を裂く姫宮の斬糸。
だが、それを受けても火龍の暴力は止まらない。迎え撃つのは己を火の車輪と化して回す火龍の一撃。
吹き飛ばされ、けれど途中で動きを止めた姫宮。咄嗟に斬糸を周囲に張り巡らせ、吹き飛ばされる事を防いだのだ。完全には無理でも、弾き飛ばされる距離は縮められる。炎陣に引き戻されるギリギリで、立ち止まる姫宮。
「……っ……乙女の指先は、大事、ですのよ」
ただし、その代償も大きい。指先で操る斬糸が自分の掌に食い込んで鮮血が溢れ出ている。火龍に撃ち据えられた胴は、内臓と骨が悲鳴を上げている。炎陣と火纏の二重苦の後では、もはや意識と視界が霞む程だ。
だが、次で決着が付く。
勝利の光が見え、暴威の焔が消える瞬間が見えた。
けれど――天は絶望の与え方も知っていた。
山里の叫びが、勝利のユメを揺らす。
「敵、接近ですっ。火狐二体に、火蜥蜴一体、そしてイフリート一体!」
四体の増援。陽動部隊が倒し切れなかった、イフリートの登場。
「此処まで、来てか」
だがと、影野は狙撃銃を構えた。山里が索敵に専念してくれたお蔭で、接敵までに先制出来る。狙撃に適した距離で敵を捕捉出来ていた。
「陽動部隊も、傷は与えてくれているな」
無傷ではない火蜥蜴を撃ち抜く、黒き炎を纏う影野の狙撃。負傷していた身に、トドメとなる頭部への一撃。黒炎が蜥蜴の炎を蝕んで喰らい尽し、弾丸の勢いで額から上が弾け飛ぶ。
「最後の一線、引く訳にはいかぬな」
此処で後退と撤退はありえない。火龍とサーバント、両方の追撃を受けて全滅するのが見えている。
故にインレは大剣を握る。止めなければいけない。倒さなければいけない。
どちらかが、どちらかを飲み込む……戦場とは、そういうもので。
「懐かしく、嫌な光景だ……ああ、そうだ」
輝きし、尊きモノよ。
それを救いたいと、願うのだ。
「最早、わし一人で行くしかあるまい」
これ以上、数が減れば話にならないからこそ、向かうのだ。
「救いの手は、今は剣を握ろう。帰る道を、斬り拓こうぞ」
戦場から、戻る為に。
●
神凪とて、二度の闇遁での連続攻撃は成立しない。
インレ、山里、そして拳銃に武器を持ち変えた影野が増援の足止めをする中、一瞬が全てを決めようとしていた。
「下がってくださいませ、郷田さん」
攻撃の為には接近する必要がある。だが、後一撃で火龍が落ちるとは限らない。
その為に、姫宮は己の意志と気を身体に張り巡らせる。痛みはもうない。明度を増した視界。死中に活を得る。いや、もう死に体である事は、姫宮が誰より解っている。自分の事なのだから。
「…………」
郷田が従ったのは、その覚悟の真摯故に。
起死回生へとスキルを変え、不退転の覚悟を決めた二人。
見れば、イフリートの足元を狙って山里が扇子を投擲して足場を崩して、接敵を止めた。が、反撃に放たれた火炎弾に巻き込まれ、吹き飛ばされて地を転がる。
それを無駄にしないと、奮われるインレの大剣は火狐を切り払い、全身を漆黒に染めた影野の黒炎弾が一匹目の火狐を仕留める。
反撃は受けた。狐火に焼かれるインレとて、元より軽傷ではない。
それでも。
「此処は死地、元より覚悟は出来ていますわ」
誰しもそうだ。
「渦巻く炎禍、奪われた命の一つ、一つ。今更数える事出来ぬ事が、悔しく」
四国で散った人の命、天使に、悪魔に奪われた魂と、人の尊厳。
力が全てと、奮う者。誇りはあるのか。願いは何だ。何を求める?
ただ、取り返したいと、願うから――。
「意志もなく、理由もなく、心なく想いなく。そんな手前らに、膝を屈したくねぇんだよ」
言葉は通じない。
だが、獣ではないのだ。人なのだ。ならば、郷田も言葉にしなければいけない。
何も感じていない、空白な心で戦っているのではないのだと。この地に、脚を付けているという事実を。
「――この街で死んでいった奴らの為に、灰になってしまった、この墓標と化してしまった街で。俺達が膝を付く訳にも、負ける訳にもいかねぇ!」
吼える意志は、轟く雷鳴の如く。
流れる血の熱さより、響く剣戟の激しさより、胸を討ち響かせる声。
ああ、だから負けない。負けたくないと。
「元より、私は熱き想いに身を焼き、焦がす獅子なれば、どのような炎とて、裡なる焔を焼き尽くせぬと」
そして炸裂する火炎の大爆風。
姫宮を巻き込んで炸裂する広範囲の火龍の全力。
灼熱吹き荒れるその中。けれど、脈打つ心臓。内なるモノは不滅であると、ボロボロの身体が動く。
なんて無様なのだろう。きっと、インレが最初に見つけたぬいぐるみのようなものかもしれない。それでも、残したものがあった。
心臓が、脈打つから。
高鳴る意志が、あるから。
「不滅なる獅子の魂、燃える焔であると、ご覧にいれますわ!」
だから、全ての先手を打つのは空奔る紫電。
一撃で倒れていた筈のエルレーンが、雷撃の術を走らせたのだ。理由は、解らない。言葉も出せない。思考は濁っている。
でも、そういう胸の奥にある衝動は、知っているから。
「――――」
昂る想い。それを何と口にするのか、言葉の苦手なエルレーンは解らなくて、苦笑いで誤魔化した。
そして、業火を斬り裂く獅子の武威が顕現する。
全てはただ一撃の為に。後先など要らぬ。無からの力を振り絞り、純白の斬糸が奮われる。
それは嵐でもあった。周囲の炎を蹴散らす、見えざる獅子が荒れ狂うように。
「獅子となりて、参ります」
奮われるは不可視の飛翔刃。
神速を謳うが如く、大気も風も灰も炎も斬り裂いて煌めく連閃の白牙。
幾つと数えるのは無粋。火龍の全身を切り刻んだ獅子の爪牙こそが、姫宮の全身全霊なのだから。
振り絞った、無からの一。
音さえない。ただ、捉えた標的の命を斬り裂く白糸の舞踏が、火龍の全身から膨大な血を流させる。
そして、倒れて崩れ落ちる火龍と、再び死活を発動して倒れるのを堪える姫宮。
灰の降り続ける中、烈火と、それを上回る烈士が戦った事。
これが、天の劫火の始まり。
今はまだ、廃墟のみ広がる中、撤退戦を始めたインレ達。姫宮は意識を失い、イフリートを倒した時には郷田も倒れて重体だった。
「……若いものは、無理をする」
と、そう口にしてインレとて倒れる。燃え行く、若き魂と心に、輝きを見たように目を細めて。
これが火だ。
これこそが火の意志だ。
受け継がれる、尊き輝きこそが、胸の中の焔であるべきで。
この街ではなく、きっと人が産まれた時から始まっている、命という戦い。
あまりにも悲しい灰は、何時の間にか止んでいた。
悔しさを叫ぶ怨嗟の涙。それが晴れたかのように。