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降り続く灰は誰が為か。
燃え尽きた街並は炎風に薙ぎ払われて、原型さえも留めない瓦礫と化している。
色は黒く焦げて、自分達が身を潜めていたものが壁か、それとも家の屋根かも解らない。
まるで空襲か大火災。たった一晩でこんな有様に変わるだなんて、信じられない程だ。
それでも、火はまだ残っている。
「機先を制します!」
暴威と奮う天火の眷属。その残りが、未だ目の前に。
何故、どうして。そんな問いは無意味だ。既にこれは手遅れであると久遠 冴弥(
jb0754)はは解っている。何も生きていない。全てが終わった……としても。
「これだけの被害を出したモノを、放ってなど……!」
時は戻らない。死んだ人は生き返らない。
灰の舞う中に久遠の意志によって呼び出されるのは黒銀の竜。
二体の火狐と一体の火狼、混成の群れを発見するや否やの速攻。
瓦礫を踏み砕き、高速で駆け抜ける姿はまるで一つの刃だった。滾る血潮を顕すように全身に紅を帯びた竜は、鮮血を求めて爪牙を奮い、三体のサーバントを薙ぎ払った。
抑え切れない。抑える必要などない。
ただ全力を以て挑む――火より熱き意志の嚆矢。
「あの時と、同じだ」
どくんと、灰里(
jb0825)の胸の中で鼓動が跳ねる。痛い程に。苦しい程に。
声はどんなに冷たくとも、その元である憎悪の炎は未だに憶えている。目の前で起きた地獄の様。
決して忘れる事も、消える事もある筈がない。
「火を吹く天魔共め……全て狩り尽してやる」
決して逃さないと、灰里の殺意が無数の黒き刃と化した。そしてサーバントの後方へと突き抜けた天羽々斬に怖れ、逆に前進して来た三体を切り刻む暗き嵐と乱れる。
切り刻む魔刃の群れ。灰里の憎悪と嫌悪に感染したかのように、業火の跡である瓦礫も天魔も等しく切り刻んでいく。
黒刃の乱舞。その終わりと同時に狼は倒れ伏せ、二人の少女が前へと駆ける。
柄を握り込む二人。己が真価を見せる瞬間には全て終わらせるのだと、鞘滑りが冷たい余韻を響かせる。
「消えなさい。この地も全て取り戻させて貰う。……その邪魔だから、斬る」
天斬の意を宿す鬼無里 鴉鳥(
ja7179)が奔らせた大太刀は黒焔を纏った一閃で狐の首を跳ね飛ばしている。
けれど、鴉鳥の表情はあくまで涼やかに。
同時、飛翔した斬刃。
リーゼロッテ 御剣(
jb6732)が居合刀を滑らせ、残る一体の額をアウルの刃で斬り裂いたのだ。
電光石火の早業。増援を呼ぶような間は与えない。既に深く切り込んだ街の中、陽動しての務めを果たし始める撃退士達。
だが、御剣の手は震え、納刀の音は鈍かった。
「……ひどい……どうして、こんな……!」
今の今まで耐えていたのはあるだろう。無残に焼け落ちた人の街は真っ直ぐに見据えるには辛すぎる。
そして目の前に転がるのは、瓦礫の下にあったから原型を留めていた、人の形をした真っ黒な二つの何か。
攻撃の際の衝撃で瓦礫の一部が崩れ、その姿を現したのだ。
大きさはどちらも子供程。
お互いを抱き締め、庇い合う死体。
「……どうして!」
絞り出すように言葉にして、瞼を落す御剣。天真爛漫さなどない。
此処に来るまで遺体の一つも見つけられなかったのだ。人だったと認識出来る程、カタチを残したものはなかった。
「……ここで少しでもたくさんの天魔を倒せば、この街みたいな悲しい出来事は減らせるはずなの」
悲しい?
悔しい?
周 愛奈(
ja9363)には解らない。
決して繰り返してはならないと、胸が疼くのだけは解る。握り締めた掌が、痛い。
でも、悲痛な意志だけでは、駄目だから。
「だから、愛ちゃん、頑張って少しでもたくさんの天魔を倒すの! 絶対、こんな事はもうさせないの!」
沈み掛けていた士気を引き上げる為の明るい声。無理をしていると解っていても、歩き出した仲間がいるなら続かなければならない。
「ええ。こんな惨状、決して」
どうやってやったのかは深森 木葉(
jb1711)にも解らない。こんな規模の大火災はまるで戦争の跡のようだ。
だが、護りたいとは思う。失いたくないと思う。心を突き刺す痛みは、決して消えないのだから。
「雑談は終わりだ……」
動きだそうとした一同の頭上から、黒い翼をはためかせて降下してくるのはケイオス・フィーニクス(
jb2664)。
空を動き回った身は既に灰に塗れている。振り続ける雪のような灰のせいで、視界も悪い。
「天の傀儡共が多数接近しているようだ……理解しているとは思うが汝等は再び生きて人の住まう地に戻らねばならぬ」
先ほどの戦闘音を聞き付けられたのだろう。少しでも一か所に留まれば、即座に包囲されて退路を断たれる可能性がある。加えて、このメンバーは乱戦に持ち込まれれば酷く不利だ。
敵と味方を識別出来る技を持っている者が少ない上に、防御を得意するものがいない。数で押し潰される事に対しては酷く脆い。
ならば取られた作戦は成程、理に適っている。範囲攻撃と大火力での一撃突破。
「問題は、それが尽きた時、か」
後衛にて周囲の気配を感じ取ろうとするアスハ・ロットハール(
ja8432)。阻霊符を発動した今、サーバントが瓦礫を踏みしめ、砕く音が接近を知らせてくれる。
「久しぶりの四国、敵陣での陽動作戦……どれだけ長く楽しめる、かな」
言い切り、共に激戦を潜り抜けて来た愛用のパイルバンカーの具合を確かめるアスハ。
だが、これ程の規模を起こせるものがいる気配はない。残っているのは後を任されたものだけだろう。
「……なら、俺達が、その後を始末してやろう」
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戦場を駆け抜ける八人の撃退士は止まる事を知らない。
走り抜ける姿は烈火の勢い。眼前にサーバントがいるとみるや否や、一気呵成、怒涛の猛攻で撃ち砕いていく。
「決して立ち止まるな。この程度、穿ち、斬り捨てて進むのみだ」
言うや否や、顕然される鴉鳥の大太刀。刀身が漆黒に染まる程の高密度の斬気を込め、降り下ろす一刀の元に黒の閃光として解き放つ。
それこそが斬天の極意であり、武威。長大なる黒の斬撃は直線状にいた二体の火狐と、火蜥蜴を纏めて斬り裂いた。
「潰れて、消えろ」
火を纏う狐へと暗く、冷酷なまでの眼差しを向ける灰里。
降り下ろす手の動きに合わせ、頭上より落下するのは巨大な闇色の逆十字。火狐を打ち据えて砕ける欠片が傷口から染みこんで身体に過重を与えて自由を奪う。
「トドメ……」
瑠璃色の蝶のような光を周囲に躍らせ、深森が呪法を唱える。
それは闘神への祈祷。奉じる者の願いを叶えるべく、天魔を滅す戦神の剣が顕然する。
招聘に応じ、奏でられるのは斬撃の舞踏。演武というには美麗過ぎる刃の閃きの元、火狐が切り刻まれて息絶える。
瓦礫が崩れ、灰が舞う。血飛沫は吸い取られて、赤い色を残さない。
残るは突撃してくる火蜥蜴一体。ならばと空からケイオスが黒いカード状の刃を打ち出し、御剣が抜刀からの飛翔刃を繰り出す。
迎撃の二つに切り刻まれ、深手を負いながらも勢いを減じない火蜥蜴。そのまま御剣へと突進し、後方へと吹き飛ばす。元より無傷の勝利など無理というものだ。吹き飛ばされた勢いをそのままに転がり、手を付いて立ち上がる御剣。その瞳は何時の間にか赤く染まり、刃のような鋭さで敵を見据える。
「潰れろ」
視剣が呟いた言葉が意味するのは、跳躍した天之羽斬の落下。
強靭な四肢で飛び、そして落下と共に剛撃を繰り出す暴竜の一撃。受けた腹部から完全に潰されて、動きを止める。
「気を付けろ、今度は側面からだ。天の傀儡如きに不意を突かれるな」
十全ではない視界。それでも空中からの目となっているケイオスが叫び、新手の到着を知らせる。
次々と波のように押し寄せるサーバント。どれもが火を纏い、ともすれば身体を焼かれて身体能力を奪われているものもいる。
雑魚と言えば雑魚。既に目標の二十体近くを撃破している。このまま後退しながら戦っても目標は達成できるだろうが。
「そう、は行かない。……戦っている仲間がいるのに、僕達だけ危険はしないと、でも?」
リスクは承知。それでも戦い続ける価値と意味があると、無数の黒い羽根を孕んだ霧を纏うアスハは口にして、真紅のパイルバンカーを構えた。
敵は火鼠。明らかな雑魚だが、その数は六体。側面を付こうと突撃する群れに咄嗟に対応出来るのはアスハと、もう一人。
「いけるだけ行く。やれるだけやる。……悲しい出来事を、これから起きる悲劇を削る為なの!」
瓦礫に身を隠し、遮蔽物としていた愛奈が眠りへと誘う魔の霧を産み出す。
それは一種の煙幕でもある。現れたそれは即座に消える事なく、危険性を理解出来ない火鼠達はその中へと突撃していく。結果として意識を蝕まれ、深い眠りへと落ちて行く鼠達。
だが、それでも二体の鼠が突破する。目の前にいたアスハへと、火を纏った身体で襲いかかる。
「……甘い、な」
何より早く反応したのは黒き羽根。主へ向けられた敵意に、意志を持った刃の如く火鼠へと向かう。直接的なダメージにはならない。だが、動きが一瞬鈍ったのは確か。
そして、その一瞬で十分だった。
「……貫け!」
交差して撃ちこまれるアスハのパイルバンカー。爆裂音と共に真紅の杭が打ち出され、火鼠の体内深くへと撃ちこまれる。
僅か一撃。だが、爆砕する程の衝撃を受けて命を貫かれた火鼠。残る一匹へも灰里の手繰る紺碧の鎖鞭が打ち据え、御剣の放つアウルの刃が斬り裂いてトドメとなった。
一見すれば破竹の勢いで進軍する撃退士と見えるだろう。
だが、瓦礫の向こう。こちらの射程外から遠吠えをする火狼の姿がある。それも一体だけではなく、周囲を囲むように。驚異的な撃退士の火力を警戒してか、後方から増援を呼び続ける声。下手に狙いに突撃すれば、逆に孤立するか陣形が崩れる可能性があった為、その遠吠えを止められない。
押し寄せる数はどんどんと増えていく。それも一種類のみでの構成ではなく、途中で合流しての混戦部隊。
「…かなりの数だな…だが…!」
真紅の瞳で睨みつける御剣。その先では更に四体の火狐と、火蜥蜴と火狼。
もっとも数の少ない方角へと移動しても、あの数を相手取る必要がある。
「眠っている。かといって、無視するには多すぎる数か」
空を飛ぶケイオスが呟き、反転する。空で躍るような動きに合わせて空間が歪み、魔力にて形を持つに至る狂刃が次々と出現する。狙いは火鼠達。放置するには危険な相手。
「無残に散れ……自分達のした惨さ、身で味わえ」
そして無慈悲な鋭利さを宿す、三日月の刃が降り注ぐ。
火の子と灰と鮮血が飛び散っていった。手足、首、胴体。魔の狂刃が両断していく姿に、後続のサーバントが怯む。
「今だ、突き切れ!」
その声を聞き、久遠の天之羽斬を筆頭に鴉鳥と御剣が前進する。
「行きましょう、出来得る全てをする為に」
主の真摯な祈りを受け、火狐の迎撃射撃を受けながら突進する黒銀の竜。再び体内で血が滾るかのように次々と赤い筋が走る。
溜めは一瞬、体内に溜めこんだ破壊の武威が周囲に撒き散らされ、爪と牙が、そして四肢と尻尾で四体の火狐を撃ち据え、骨を砕いていく。
よろく火狐が固まったのは、それ程に負傷した為かもしれない。寄り添い合い、背を預けるようにする二対で動くサーバント達。
「が、それさえも断たせて貰う」
抜けば万象残らず断つが鴉鳥の意志であたり、刃だ。
手繰るのが抜刀術ならばなおのこと。一度抜けば、何者であっても断ち斬るべく目にも止まらぬ剣閃が奔る。
止まる筈がない。大太刀が振るわれた跡には、喉、胸、そして頭部を斬り裂かれた火狐の遺体があるのみ。
既に十体。だが、それで止まる訳にはいかない。
突進して来た火蜥蜴の前に立ち、強烈な一撃を受けて吹き飛ぶアスハ。咄嗟に深森が展開したアウルの防護網と魔法陣からの黒槍で衝撃を緩和したが、それでも内臓が悲鳴を上げる。
「……キツ、いか」
それでも骨が軋むよりはマシだ、まだ戦えると己を鼓舞する。朦朧とした意識も一瞬で呼び覚まし、反撃と杭を打ち込むアスハ。
「止まりなさい……っ…」
深森が咄嗟に木の葉の刃を産み出して追撃を繰り出すが、それでも倒れない。頑丈に過ぎる。
更には固定砲台となるつもりなのか、口を開く火蜥蜴。灯る炎。そして。
「――来たぞ、イフリートだ!」
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もしも個々の質という意味で言及すれば撃退士達が勝っている。
だが、数に押されて包囲され初め、更にはイフリートという強敵が出現すればもう対応仕切れない。
正確にはイフリートに対応するものが少なすぎたとも言えるのか。
「……お前のような天魔が一番嫌いだ」
自分を中心に全てを凍て付かせる灰里。蝕氷は火蜥蜴をも眠らせ、周囲に集っていたサーバントへ一気に負傷させていく。
それでも後退するしかない。積み重なった負傷とてある。誰かが倒れた時点で、戦線は一気に崩壊する。
布都御魂を召喚して退路を斬り拓かせる久遠。銀色の円盤が射出され、通り道を作り出す。そこを鬼神の魂魄にて傷を癒した鴉鳥が続き、再び道を閉ざそうとする火鼠を愛奈が掌に集めた魔力を一直線に放って薙ぎ払う。
そして殿を務めるアスハと御剣は、猛撃に晒されていた。
爆ぜる爆炎。身を焼かれながら突撃するアスハ。
挑む正面から。討ち抜くのだと、裂帛の気合を込めて繰り出す一撃。
「……バンカー!」
轟音一閃。纏う炎を打ち払い、砕いた筈の一撃は、けれどイフリートを貫き切れない。
薙ぎ払われる炎を纏った腕。深森の防護のアウルを受けた筈のアスハの視界が揺らいで点滅する。
「貴様……!」
だが、正面から挑んだものがいるが為に側面へと周り込めた御剣。全身の力を緩ませ、ただ一撃の為の居合を放つ。
吹き上がる血飛沫。深く斬り裂いた確信するもの、未だ倒れる気配はない。
深森が与えた蠱毒の毒は体力を蝕んでいる筈だが、決定打が足りない。
加え、アスハの体力も限界だった。彼は物・魔共に攻撃も防御も対応出来るが、耐久力という面で不安が強い。
「撤退です。下がってください、アスハさん」
深森の言葉に反応して後ろへと飛びのくアスハ。直後に深森が前へと飛び出し、身体の自由を奪い去る呪詛の結界を展開する。渦巻く瑠璃の風がイフリートの動きを封じ、脚を完全に止めた。
同様に氷と霧による睡眠で左右の動きが止められ、退路を斬り拓いていった者達に続いて後退する隙を作る。
「……此処まで、か」
勝ちたい。倒したい。
だが、今の状態では不可能。アスハ以外に耐える事を意識した前衛がいれば話は違ったかもしれないが、これが限界だった。
天界の残り火。
だが、それは果たしてどうなのだろう。
これが残滓だというのなら、どれ程の猛火が待ち受けている?
撤退の為に駆け抜ける身は傷だらけ。それでも、自分達の役目は果たした筈だと信じて。