●
悲しい程に赤い斜陽が丘を照らす。
地平の向こうへと沈み掛けた太陽は、大地を濡らすかのよう。
全てを赤く染めていく。或いは鮮血の色彩で戦の訪れを知らせる。
何故始まるのか。何故続くのか。平和と平穏は遠く、消え往く夕暮れの光のよう。
誰彼憚りなく、ただ笑う世界――そんな当たり前が、どうして手に入らないのだろう。
そんな感傷――浸っている時間はない。
ならば続けよう。終わらせなどしない。
「私はね。あの姉弟の物語の続きがとても、気になるんだ」
眺めて、夢見るように。不破 怠惰(
jb2507)の元々の人格は傍観者。
だが、世界はそんな優しくない。失わないという理想に近づく為、怠惰は己の手を見つめた。
変化の術で護衛対象であるはぐれ悪魔の姉に変身し、毛布に包まる。完全な囮だ。その危険性、解っている上で。
「この想いの強さで、護れれば良いね」
一気に慌ただしくなる外。戦闘が始まるのだと、一気に加速した護送車が揺れる。
逆に弟へと変化した苑恩院 杏奈(
jb5779)は無言だ。人形めいた顏に、少しの疑問を乗せている。
何を思うのか、薄い感情の瞳からは推し量れない。だが、魔具でわざわざ身に傷を刻んで、負傷も再現している。血の匂いがないと、一瞬で看破される事はないだろう。
そんな杏奈が呟くのは、ある一つの事実。
「目標があるってカッコいいよね」
とても危うい程、真っ直ぐな言葉。
「尊敬もするよ。でも、それが出来なかったら……ねぇ、生きる意味と理由は?」
誰も応えられない。それに応じる事が出来る者は、戦場にいるのだ。
●
外に飛び出した撃退士達が見たのは、崖を走り下りるサーバントの群れ。
その中には、かつて戦った使徒、紫雨の姿もある。以前より敵の数は多い。何より、護りながらの戦いだ。
激戦が予想されるからこそ、張り詰めた夕焼けの中に声が響く。
「来たぞ諸君、配置!」
赤糸 冴子(
jb3809)が声を張り上げる。同時に翼を持つ堕天使、はぐれ悪魔は飛翔して空から迎え撃つべく態勢を整えた。
「ふふ、懐かしいですね……天界の犬共か。魔界にいた頃を思い出します」
妖術にして風を纏い、空から地を駆けるサーバントを見下ろす饗(
jb2588)。
冷たい笑みを浮かべ、続ける。
「昔のように、派手にいきましょうか」
小競り合いでは済まされない。此処までくれば、激突するのみ。
地上では四台の護送車がvの字にバリケードとして配置され、囮の乗る五台目が後方へ。逆に迎え撃つ撃退士はバリケードを越えさせない為に護送車の前へと並ぶ。
この陣形だけを見れば、囮のいる五台目へと敵の目は行くだろう。実際はバリケードとなってい護送車の一つに、本命であるはぐれ悪魔の姉弟はいるのだが、紫雨達にはそれを確認する手段などない。
「まあ……どういうつもりかは知らないし、敢えて聞かないわ」
着崩した巫女装束を纏い、白い扇子を手に持つのは百夜(
jb5409)だ。
「興味も関係もない。けれど、来るなら迎え撃ってあげるわ」
正面より中央突破と駆ける狼と鼬。それを迎え撃つべく遠距離攻撃での先制が始まる。
まずは数を減らし、勢いを削がなければ突破されかねない。バリケードの背後より、Spica=Virgia=Azlight(
ja8786)の射出したアウルの刃が開幕の号砲となった。
「邪魔者は……消えて……。私が、用あるのは……紫雨だけ……。邪魔するなら、狙い撃って……殲滅」
その言葉通り、先頭を走る狼の肩へと突き刺さるアウルの刃。
「うん……消えて、です」
続けてノル・オルタンシア(
ja9638)が同じく羽根の生えた光球を打ち出し、霧谷レイラ(
jb4705)と山科 珠洲(
jb6166)の放つ弾丸が続け様に身を穿つ。走る勢いが失われた所へ、久原 梓(
jb6465)の放つ陰陽珠が一体目の狼が放たれて、衝撃で息絶えた狼を後方へと跳ね飛ばす。
「絶対、護ってみせるからね……っ…」
幼い子供達の集まる孤児院。それを襲った天魔達。
どれだけの恐怖だっただろう。梓はまだ恵まれているのかもしれない。こうして天魔に抗う力があり、受け入れてくれる人達が周囲にいた。
けれど、あの姉弟は違う。あれが普通で、自分は運が良いとは自覚しているものの。
「……っ…」
それよりも感じるのは怒り。力ない者達を襲う者共に負けたくないと、激発しそうな感情を抑えて迎え撃つ。突撃して孤立した所で、護る事は出来ないのだから。
けれど、力を合わせれば出来る筈。その為に集った、仲間。孤児院という家族から、託された祈り。
「護って欲しい……その託された願いに答えなきゃいけないよね」
白く輝くアウルを纏った槍を頭上で旋回させながら、穂先に渾身の武気を込めるのは稲葉 奈津(
jb5860)。
それは次第に黒き光となり、全てを撃ち砕く破壊の力へと変わっていく。
奈津が出来る事をする為に。この戦いが終われば、自分を救ったあの笑みを、今度はあの姉弟へと向ける為に。出来るかは解らない。けれど、繋がった命に意味はあるのだと、信じたいのだ。
「力不足かも知れないけど我が身に替えても護ってみせるわ!」
そして放たれる黒光の斬撃波。大地を切り裂いて奔る黒刃は狼二体と、その後ろにいた鎌鼬一体を捉えて薙ぎ払う。
巻き上がる土煙。そして疾走するサーバントの群れの震動。機先は制した。だが、だからどうしたと衰えないサーバントの突撃。中央突破の一点狙いで、噛み付いて食い破る気なのだ。
「近寄る前に、一体でも多く倒すのです!」
千菊 絢子(
jb1123)が声を張り上げて雪の魔弾を繰り出せば、饗が続けてチャクラムを投擲して痛みで動きを減速させる。
「解っている。止めてみせるとも!」
続けて打ち鳴らされる銃声と魔術の閃光の中、空を飛ぶあんこく(
jb4875)が魔力を練り上げ、頭上から無数の鋭い三日月の刃を降り注がせ、纏めて狼と鎌鼬を切り裂いていく。一発限りの大技だが、乱戦に突入する直前の今しか使う機会はないだろう。
現に、その一撃で更に一体の狼が倒れ、クレール・ボージェ(
jb2756)が明らかに弱った狼へと、魔の三又槍を繰り出してトドメを刺す。
「狩るつもりだっの? うふふ、残念。立場が逆よ。狩るのは、私達」
初手で一気に三体を撃破し、近寄る前に数を減らした。その事に一瞬の高揚を得た次の瞬間、空を飛ぶ者達へと向けて狐火が放たれる。
言わば対空砲火。敵が空を飛ぶ事が解っているのなら、その対応も用意して然るべきだった。
そして狙いは初撃で最大の戦果を上げたもの、つまり、あんこくへと向けられている。連続して放たれた三発に身を焼かれ、一瞬で墜落していくあんこくの姿。
更に空を飛ぶレイラと山科へと一発ずつ放たれた狐火。空を飛ぶ撃退士の中でも、完全にはぐれ悪魔狙いの攻撃だ。火力ある飛行部隊を十全に機能させるつもりは元よりないのだろう。
それだけ脅威という事ではあるが、下手に突出すれば狐火に焼かれて落下する。
そして衝突する前衛の撃退士と狼と鼬のサーバント。爪と牙が肉を抉り、緋打石(
jb5225)達が反撃の刃を放つ。
「前に出る以上、無傷は無理か……」
脚を斬り裂いた鎌鼬の一閃に、忍刀で刺突を返しながら緋打石は噛み締めるように呟く。だが、中央を受け持った者達の被害はそれどころではない。
真正面から立ち塞がり、狼と鼬の突撃を受け止め、弾くクレール。肌に赤い線が刻まれるが、浅い傷だ。
まだ戦える。そう確信し、斧槍へと切り替える即座に鼬を薙ぎ払う。一撃で倒せる相手ではない。が、深く斧刃が食い込んだのを手応えとして知る。
横では奈津が二体の鎌鼬の連携を受けて血を散らす。だが、二人とも後退の意はない。
だが、次の瞬間、ぞくりと悪寒が走る。
「凄い自信ね? ――悪魔の癖に」
次の瞬間、振われたのは斬糸。産まれたのは真空の刃。
使徒である紫雨が突撃の勢いを受け止めて止まった直後を狙い、クレールへと鋭利な飛翔刃を繰り出したのだ。
中衛に位置したのは、波状攻撃の為に。後退や回復の隙を与えず、負傷したものを確実に倒して道を斬り拓くつもりなのだ。
受けようと斧槍を手繰るクレール。だが、間に合わない。冴え冴えとした、冷たい殺意の刃を、肌で、いや首筋に感じる。
耐えられる一撃ではないと直感した瞬間、目の前に投擲された符から放たれるアウルの防網がクレールの身を包む。
「殺させはしませんわ!」
それは千菊の紡いだ守護の呪法。衝撃を緩和して起動を逸らし、首と肩の付け根を切り裂くだけで止まった。
深手ではある。だが、倒れる程ではない。千菊はそれを確認し、治癒膏を乗せた符をクレールの傷に張り付け、癒しながら紫雨に語りかける。
「……わたくし、難しい事は苦手ですの。ですが、守りたい側と、殺したい側というのは解りますわ」
優雅に、上品に。夕暮れの風に真っ白な髪を靡かせ、銀の瞳で紫雨を見据える。
「唯、わたくし達は二人を守りたいと思いましたの。その想いに、人も天魔も境などありませんわ」
それこそ、天と魔と人を分ける溝は一つ。命を護りたいか、殺したいかだけ。戦いと死を恐れるからこそ、それを望む紫雨の前で臆したくない。
「慌てないのよ、貴方の相手もすぐに相手してあげるから」
完全ではなくとも傷の癒えたクレールが風を受けてコートを靡かせ、鼬へと斧槍を振う。
視線は紫雨から逸らさず、決して通さないと、二本の脚で地に立つ。
「……ふふ」
泣くように、そして憤るように笑う紫雨。
どちらも感情の発露であるが、伏せた瞳に何を秘めているかは読み取れない。奈津の放つ最後の黒光刃に狼ごと薙ぎ払われても、顏は上げず。
「……邪魔なの」
呟いた声は、余りにも冷たい。
刃より、氷よりも。殺意の余韻を乗せて、震える大気。
そして、その後方より咆哮を上げる獅子。緊迫した空気が爆ぜ、衝撃で前列を担う撃退士達を薙ぎ払う。
壁としてサーバントに立ち塞がる撃退士の数は僅か四名。バリケードの後ろで突破された時の為にと待機しているものもいるが、奈津が封砲を撃ち切って下がった事でクレール、緋打石、百夜、梓だけだ。
「しつこいわね……そんなに遊んで欲しいの? 悪魔と踊れば――」
身を裂かれ、けれど微笑んでそう口遊む百夜が握り締めるのは目にも鮮やかな朱色の太刀。斜陽を受けてより鮮烈に煌めいたかと思った瞬間、刃が空を裂いて血風が巻き起こる。
空中に飛ぶのは、狼の首。けれど残滓と香るのは、華やかなる花のそれ。
「――代価に魂を取られるのよね」
中衛として少し離れた所に立つ紫雨へと、緋打石は同情と憐憫、そしてそれらを拭い去る程の戦意の眼差しを向ける。
「……こんな戦いが、闘争が幸せに見えるか?」
鎌鼬に太腿を切り裂かれ、よろめいた隙に二体の鼬が脇を抜ける。数の上で不利が消えたように見えるが、紫雨が動き出せば一瞬で壊滅しかねないこの状況。
クレールも温存出来ずに剣魂を発動させ、後方よりSpicaが射出する白き刃が閃き、ノルの紡ぐ黒の魔弾が最後の狼を撃ち抜く。
それを見て、動き出す紫雨。もう猶予はない。が、少しでもその脚を止めなければならないから。
「使徒と化し、復讐の感情にだけ突き動かされ、それで貴殿は幸せなのか? 血に塗れた地平の果てで、笑えるのか?」
「笑うだなんて――私にはもう、上手く出来ない」
故にと、一歩踏み出す。それは俊速の足法。気づけば緋打石の隣を擦り抜け、護送車の上へと降り立つ姿はまるで疾風だ。
そして、その途中で繰り出された孤を描く斬糸。
「泣いているばかりよりは、マシでしょう?」
「……泣いた方が、幸せだ……」
秘打石の肩から血飛沫が舞い上がり、夕焼けに真紅の涙をこぼす。薄れていく意識の中、それでも緋打石は、『認る』人の魂を叫ぶ。
「貴殿は復讐を誓う程に大切な人の墓標に捧げるのが、こんな血で良いというのか……っ…!?」
「……っ…」
「涙で良いだろう。何故、墓前に鮮血と死を捧げる。それで、喜ぶ相手なのか……」
ずるりと崩れ落ちる緋打石。一太刀も与える事は出来ず。だが、その言葉は確かに紫雨の胸を打ち据え、動きを止めた。次の瞬間に何をすべきか、次に踏み出すべき脚さえ忘れてしまい……
●
その紫雨の足の下、本命である幼きはぐれ悪魔の姉弟が上げそうになった悲鳴を、泡沫 合歓(
jb6042)が止めた。
それは暴威の下でも、決して砕けぬ優しき温もり。二人を抱き締めて傍に寄せ、泡沫は体温の暖かさで幼子二人の恐怖を溶かしていく。
「……大丈夫」
この子達は家族を守る為に戦った。そして傷つき、行き場を失い、今も命の危機にある。
だが、そうしなければ失われていた命がある。戦う方法など知らず、それでも果敢に戦えたのは、きっと大切な友達、家族の為だ。
「復讐は否定しない。でも……全力で抗います。認められないから、譲れないから、私達が護る番になる」
その泡沫の囁きに、無言で肯定するのは龍玉蘭(
jb3580)とキイ・ローランド(
jb5908)。同じ護送車に同乗した直衛である。防御に優れた二人が前線へと出ていれば、サーバントとの戦いも楽だっただろう。
だが、斃す為の戦いではない。これは守る為に。
だから、玉蘭もキィも笑顔を忘れない。この姉弟の精神に、更なる恐怖を刻み込みたくないのだ。
斯くし在れ。過去の自分と二人を重ね、玉蘭は瞳に確固たる決意を秘めて姉の弟を握り締める。差し出された手と、向けられた瞳は覚えている。ああなりたいのだ。助ける者でありたいのだ。
天も魔も人も関係ない。
命の尊さを、優しさの大切さを玉欄は知っている。
「大丈夫、僕が守る。僕もまだ子供で、誇りと言える程のモノは持っていないけれど……」
語りかけ、悪魔の弟の頭を撫でるキィ。視線は常に扉へと向け、手は腰に差した曲剣の柄を握るが。
「君達を護る。それだけは、譲れない。これが、僕だから」
殺す為に使徒となった女性へ、キィは自分そのもので応える。
「下がれ。お前が踏み越えて良い線ではない」
言葉と共に轟く雷鳴。
「復讐者で襲撃者。そんな事は知らない、気にする必要はない。関係ない」
動きの止まった紫雨へと雷の矢を放った三間坂 京(
jb6180)。偶然にも姉妹の乗った車両の上に乗られてしまい、この儘では対応出来ない。流れ弾を気にして存分に攻撃出来ないからこそ。
「友達と云うのは簡単。だが守るとなると、実行するのは難しい。それをやってのけた子供に対して、お前はどうだ?」
「…………そうね」
そこで初めて見せた紫雨の瞳。
浮かぶ感情は氷のように凍えて鋭利。けれど反面、その裡は炎のように激しい。
未熟で揺れやすい精神ではあるのだろう。囮には引っかかる。だが、仮にも使徒と選ばれた存在。ナニカがあるのだ。相反する感情に揺れながら、より一層殺意を膨らませる紫雨。
怒れば怒る程に隙が無くなり、けれどより鋭い猛攻を見せる。この場にいる撃退士が未熟と推察した精神構造は半分当りで、半分致命的な間違いを孕んでいた。
「葛藤していれば、祈りが曇る」
瞳に浮かぶそれを例えるなら狂信の使徒。
本人にしか解らぬ複雑怪奇さ。復讐故に天使に下る人間。未熟ではある。が、恐らく時と共に『この使徒』は強くなる。だから、戦いを認められず。
「祈りは見えず、聞こえず。けれど、触れた敵を斬り裂く天の光」
バリケードの後ろに下がっていたSpica、ノルが鼬へと連携を仕掛け、奈津が槍で地面へと貫く。
だが、そこまでだ。バリケードの後ろからの援護射撃を攪乱する為、鼬を残して紫雨は駆ける。不可視の斬糸を手繰り寄せ、囮の籠る護送車へと。
だからこそ、錦織・長郎(
jb6057)は握るリボルバーの照準から目を放し、囮役の不破へと意志疎通を行う。
――そちらへ向かったぞ。注意しろ。
●
撃退士の組んだ飛行部隊は、たった五体の火狐によって蹂躪されていた。
空を飛び、上空からの射撃支援は確かに強い。だが、撃つ為には止まる必要がある。狙い定め、地上の前衛を援護しようとすれば、火狐の魔炎が身を焼くのだ。
「……鬱陶しいですね……っ…」
紫電を纏い、炎を弾き飛ばす山科。だが、空を飛ぶもの達は狐が火を飛ばすせいで自由に動けない。
その為の後衛であり、編成だったのだろう。読み違えは、そのまま劣勢へと転じている。獅子の咆哮も、位置取りをしようとする翼ある者達を狙っていた。複数が有利な頭上を取ろうとして固まった瞬間、弾ける衝撃波。
それは前衛も同じ事。狼と鼬も全滅へと秒針を進めていくだけだが、負傷激しく、そのままでは火狐と轟獅子を相手取る余裕など残らない。
「当るも八卦、当たらぬも八卦。迷うも惑うかは解らぬが」
「こちらが迷っている時間はありませんね」
故にと木花咲耶(
jb6270)は饗に頷くと飛翔する。
火狐の対空攻撃を厭わぬ低空飛翔。相手が迎え撃つより早くと敵陣の中央に光翼で飛び込み、繰り出すのは認識を狂わせ、幻惑を与える奇呪。五体のうち、三体しか掛からなかったがそれで十分。同士討ちどころか、自分達のリーダーである獅子にさえ狐火を飛ばすものもいる。
「では、一掃させて貰いましょう」
その隙を突いて側面から攻勢を仕掛けるのは饗だ。凝縮して圧縮した狐火を群れの中央に召喚し、爆裂させる妖狐の呪術。冥魔の気質を持つ饗の火が吹き荒れて、一気にその生命力を減らす狐達。
「一撃では、流石に……」
倒し切れない。だが、半分以上は削った筈だと、よろめく姿に確信して空へと上昇しようとした瞬間、狐のサーバントの視線が突き刺さる。
攻撃の為に止まったな、と。空飛ぶ冥魔へと、反撃の火が連打として撃ち込まれる。攻撃の為に突貫すれば、防御力の低い饗が耐えられる筈がなく、僅か二発が命中しただけで意識を失い落下。その衝撃で腕と脚の骨が砕け散る。
深手の上に墜落の衝撃で重体だ。更に、悪魔を生かす必要などないと、獅子が前進して巨体を躍らせる。
受ければ死ぬ。どうしようもなく饗は死ぬ。だからこそ。
「させない……!」
踊り出たのは盾を掲げたレイラ。倒れた饗との間に割って入り、獅子の剛撃を受け止め、けれど弾かれて意識を一瞬失う。震える膝は、失った体力の現れ。
だが、意志は微塵も砕けていない。
「先には行かせません……私が、こっちを抑えてみせます」
続く前脚の爪を身で受け、切り裂かれながらレイラが声を張り上げる。
「すまぬ、すぐに戻るからの」
そのレイラの傷口へと咲耶が治癒膏を施すと、意識を失った饗を抱えて離脱する。乱戦の場に昏睡している者がいれば危険なのだ。
「解らぬ。何故、悪魔と一括りにするのか。罪もなき幼子を、如何に殺す気なのじゃ?」
問うべき相手は視線の向こう。囮の護送車へと斬糸を振おうとしている。そちらへ駆けつけ、言葉を叩き付けたいが、それも不可能。全力でサーバントを相手取らなければ勝てない。
そして、そんな呟きを漏らす饗と入れ違いに、高速で振われた朱色の刀身が真空の飛翔刃を閃かせる。
「まずは、あの狐ね……有難う、大分弱っているみたいね」
鋭利な斬撃破は饗の強襲で弱っていた狐を撫で斬り、地へと転がす。そこに向けられるのは山科のアサルトライフル。
「何とかギリギリ、かしら……」
剣魂で再び治癒を発動するクレール。斧槍持ち、コートを靡かせて仁王立つ彼女は後ろへと視線を向けはしない。
「いいわ、後ろは振り返らない主義なの。振られたなら、目当ての子がいるって事でしょうし」
更に、Spicaとノルの後方からの狙撃によって一匹の狐が倒れる。残るは三体。千菊も雪花の符術を飛ばし、火炎弾を飛ばす狐へと対抗する。
「大分弱ってはいますわ。後は、ほぼ無傷の獅子をどうするか」
そして。
「あの使徒は、任せるしかないわね」
傷だらけで忍刀を構える梓。意を決して、前へと突き進む撃退士に、狐火が襲う。
●
護送車の前に立った紫雨。天の使徒が、人の作った装甲を紙切れの如く見つめる。
「……終わりね」
瞬間、五つの刃と化した斬糸が護送車を切り刻む。中に何がいても、その一撃で屠るつもりだっただろう全力。
だが、中は空だった。
中にいると信じ、突き進んだ結果、見事に空振りを受けたのだ。攻撃する瞬間、囮であったふ不破と杏奈へと錦織が意志疎通で脱出を促したのだ。けれど、紫雨にはそれを知る余地などない。
――囮さえいない?
そう紫雨が目を細めた瞬間、崩れ落ちる装甲の下を擦り抜ける影の如く、不破が襲い掛かる。
この瞬間、紫雨はたった一人で突出していた。錦織の狙い、意志を疎通させて狙う対象条件に一致している。
脚部の力を全開放した俊速。同時、アウルで産み出した黒杭を突き出す。
身を捻った紫雨の肩を掠めるに留める一撃。だが、そのまま杭を蹴り飛ばして後方へと飛びのく不破。更に杏奈の手繰る鈍い灰色の鋼糸。
攻め懸る姿は紫雨の狙っていたはぐれ悪魔の姉弟の儘だ。故に成程と、殺意を研ぎ澄ます紫雨。次こそ全力を以て屠るのだと、前方へと意識を集中させる。
だからこそ、背後から迫るそれらに気付けない。
「おー、おまえ、嫌い」
先手となったのは鬼一 凰賢(
jb5988)の火蛇のうねり。紫雨の背に直撃して炎が撒き散らされた。
更に赤糸の散弾、平賀 クロム(
jb6178)の雷撃の刃に、ネームレス(
jb6475)の大剣での強襲が一気に襲い掛かる。個々では実力差の在り過ぎる相手だ。策に嵌めての一撃で、どれだけ削れるかが問題だった。
「……先日の答えは出ましたでしょうか?」
優しい声色で、けれど命の重さを知るソフィア・ジョーカー(
jb6021)の結晶の鞭が、言葉共に紫雨の脚を打つ。誰の命も失いたくない。殺戮と復讐は輪廻の如く繰り返されるのだろうか。
「……また同じ過ちを繰り返すのでしょうか? さあ、貴女の答えをお聞かせ下さい」
その糸、見えざる弦は何の音色を紡ぐ。
瞬間、くすりと笑う気配がした。
「悪いな、使徒のお姉さん。とりあえず俺と遊んでくれよ」
危険だと、ネームレスはそれに鳥肌を覚えながら紫雨の前へと立つ。不意を突いた猛攻で、かなりの痛手を与えている筈ではあった。それでも立っている。血を滴らせ、肉を焼かれ、それでも失笑している。
そしてその眼差しは余りにも鋭かった。危うい程の、まるで切り捨てる事だけを考えている目。
全力で相手取るしかなく、挑発など以ての他だというのに。
「お前、滑稽。今、してる事、お前嫌う悪魔、一緒」
以前と状況を同じと誤認している鬼一の言葉が、引き鉄となった。
殺さない理由は、今はない。殺して良いと、主に言われた使徒の恐ろしさ。ネームレスの大剣に斬り裂かれながら、するりと抜けた紫雨の動きに、鬼一は気付けていない。
「お前、臆病、逃げた。おー、お前、違う。逃げない」
火を恐れる筈もなく、鬼一が紡ぐより早く五連の斬糸が振われて鮮血が舞う。
意識ごと切断され、頽れる鬼一。
トドメを刺させる訳にはいかない。この実力差の中、頼りとなるのは言葉であり、策だ。
「紫雨君、偉いぞ。今回は悪魔を敵に選んだな。だがこれは何の闘いだ? 人を踏み砕いて、首を斬り落とすのが君の戦いか?」
「ええ。悪魔に与するならば」
その声色は綺麗だった。使徒の斬糸、奏でる音色は余りにキレイ。
触れれば切れる。踏み込めば切り裂かれて終る。
「奪われた側から、奪う側になる為の第一歩というわけだな。――気分はどうだ、子供の命を奪うその心境は」
「……っ…」
だからこそ踏み込んだ赤糸。射程などこの使徒にとってはあってなきに等しい。それでもと空車の後ろへと周り込み、ショットガンを構える。
「いい加減気づきたまえ、君の敵は悪魔ではなく、ブルジョワ、奪う側だという事に!」
「……黙れ」
ぽつりと呟く。殺意が先鋭化する。
言葉は通じない。狂信を以て、喪失から復讐に身を投じた者。それに賭ける言葉をソフィアは持たず、再び杖から水晶の鞭を繰り出す。
実力の大きな彼我はその体捌きにある。こちらの攻撃は当らず、相手のそれは悉く当る。そんな状況であれば、間違いなく全滅させられているが。
「使徒? 復讐の為に人間を棄てた君が、奪われた側の誇りをかけて闘う命は惜しいというのか!」
「惜しむ必要なんて、ないわ……ね、なら、貴女も誇りを懸けて闘うのかしら?」
「無論、私も私の世界を裏切ったのだからな! だが、君のように血塗れた手は持っていないぞ!」
激昂した紫雨にはソフィアの、クロムとネームレス、そして不破と杏奈の攻撃を避けきれない。ただ一直線に進み、孤を描く斬糸を振う。軌道はも見えないが、袈裟に切り裂かれた傷口で赤糸達は知る。
以前は全力ではなかったいう証左。見えない、聞こえない。そして気づけば切り裂かれていく。
「……っ…君の敵は、悪魔か。それとも、命を奪い、踏みにじるも者か」
赤糸の零した血溜まりに映る紫雨の姿は、返り血に塗れていて。
悪魔より、きっと醜悪な怪物だからこそ。
「なあ、人類の『裏切り者』。テメェもどうせ、たかが憎いだけだろう。それだけなんだろうが!」
復讐に生きる様は叫ぶクロムに似ている。だが、これは裏切り者だ。産まれた世界に馴染めないからと、抵抗せずに、力に溺れて酔いたい裏切り者。
「テメェみたいな『裏切り者』は、力のない奴ばかりを狙って傷つけるからな!」
過去から来たる憎悪、殺意。それは紫雨と同質のものであっても――クロムは、蹂躪して奪う側になどならない。
「なあ、鏡を覗いてみな。もうそこに、『紫雨』っていう人間の心は映ったりしない」
「黙れ!」
言葉と大剣、鉤爪と斬糸が交差する。
紫雨は防御を捨てて迎え撃ち、肉を斬られ、抉られても赤糸とクロムを斬り伏せて、頑丈である筈のネームレスにさえ膝を付かせる。
だが、その代償は大きかった。ネームレスに利き腕を切り裂かれ、クロムの繰り出した雷刃に感電して動けない。
そして発砲音。意識を亡くしても叫ぶ声の如く、赤糸が昏倒しながらも放ったショットガンが紫雨の脚に突き刺さる。
動けない。退けない。逃げられない。
不破が氷矢を放ち、杏奈が鋼糸を手繰る。遠距離からの攻撃に紛れ、接近するのは奈津だ。孤を描く穂先での薙ぎ払いで、負傷していた脚に更に裂傷が刻まれる。
「それでも……!」
再び振るわれる斬糸。夢想した音を奏でるべく、五つの斬跡が刻まれる。ネームレスに、奈津も倒れた。
視線を向けば、ほぼ相打ちで獅子と対眷属班の戦いも終わっている。肩で息をし、立っているのは後衛のみという状況。それも誰も無傷ではない。千菊と咲耶が治癒を行っているが、獅子と正面から当った上で、使徒との戦いに立てるものはいないだろう。
それでも加勢へと、攻め懸る白と黒の少女。
紫雨の顔面で爆ぜたのはノルの薄紫色の魔力の矢。破壊力はそのまま閃光となって、視界を潰す。
その逆側から、処刑斧を振り翳すのはSpica。
「……退いて、欲しい」
その言葉と共に、具現化される『報復者』の赤い刃。紫雨の肩を叩き割る、重い一撃。
「私は……貴方みたいに、一人じゃない……だから、負けない」
視線だけでノルと息を合わせるSpica。連続攻撃で一気に畳み掛けようと、魔と刃の乱舞が始まる。
白と黒。交差するように走り、鮮血の音を立てる。
「……悲しい……人……さよならです」
「まだ、私を人と呼ぶのは、何故かしら?」
他人と自分の血で濡れ、それでも動く紫雨の指。孤を描く裂傷がSpicaに刻まれた。
「……何故かしら。ええ、とても、とても」
倒れていく少女の姿に、燃えるような激情を瞳に宿す紫雨。
死ねないのだと。
「私は……悪魔に奪われた、彼の魂を救いたかった」
ただの餌とされるなんて嫌だ。
私と彼の絆は断たれて、そして闇に喰われた。
「魂を吸収した事がない? 冥魔は全て、知らずの内に得ている筈よ。……冥魔の世界に堕ちた、彼の魂の欠片を」
だから忘れるなと、刻み込むように告げる斬糸の音。
奏でるのは、死への追想曲。飛翔する真空刃がSpicaを助けようとしたノルを切り裂いて、また一人、地に伏せる。
「繋がっているの。世界と、悪魔は」
だから殺す。皆殺す。その中から、彼の一欠けら、一欠けらを取り戻したくて。
「糸で、繋げたくて。彼と私を、もう一度」
最早意識を薄いのだろう。呟くように流れる言葉に、千菊が応じた。
「でも、貴女が手繰ったのは斬糸……繋げるのではなく、断つのですわ。貴女は、魂同士の繋がりを断ち斬る側にいったのです」
それこそが大きな溝。どうしようもない、思い違い。
「何処で、間違ったのかしら」
奮った斬糸。大地に触れ、跡を刻む。だが、そこには誰もいない。
「もう、目も見えていないのですね」
「ふふ、ふふふ……『彼』は、ようやく、見えたけれど」
「貴女は、その糸で……何を紡ぎたかったのですか?」
問いかけるソフィアは泣いていた。
命の重さを知るのに、どうして分かり合えないのか。狂信、或いは、愛か。
愛するものに正気を求めるなと、何処かの詩人が言った。
だから、こそ。
「貴女の紡ぐ道が間違っている。結局、奪う側に回った貴女が、どうしようもなく間違っている」
刃を嫌うソフィアが三又槍を構えた。涙を零し、優しく囁いた。
トドメは、せめて自分の手で。震える腕を抑え、穂先を、紫雨の心臓へと落とす。
「命は……糸のように繋げ、続け、奏でるものですよ」
斬るものではない。
そう告げて、けれど一方で穿って終わらせる、ソフィア。
差し伸べられる手はなかった。
けれど、救われた幼子の人生がある。
殺意に満ちた天の使徒に声は届かず――地を彷徨った、人を救う為に自分を捧げた姉弟の人生が、始まる。
幸あれ。
光あれ。
天の福音は要らず、ただ人の声が、笑い声が、至上の音となれと。
糸は切れて、命は続く。天使に見放され、悪魔に見つめられる、人の地で。