●
たった一振りの刀が、全てが斬り崩されていく。
士気、高揚、撃退士の命。そして有り得た勝利さえも。
空奔る紅蓮の剣閃と共に容易く斬り裂かれ、舞う鮮血の赤さが戦慄を呼び起こして、恐慌を引き起こす。
たった一人と一本の刀の奮う武威に、全ては崩れかかっていた。
これが使徒、前田走矢。
天の刃として突き進む剣鬼。
「……させるか」
何人が倒れた。どれだけの血が流れている。
こんな所で死ねない。いや、こんな所で――
「これ以上、貴様に殺させるか!」
故にと、真っ先に飛び出したのは大炊御門 菫(
ja0436)だった。
胸には護る為の意志。己の身が焼き付くも厭わぬと、猛る焔槍。ああ、絶対に殺させない。
疑念も疑惑も、不安も恐怖もない。既に心は燃え上がる真紅の色彩のみ。
「誓うぞ。私が立つ以上、これから先へは一歩も踏み込ませない」
「……ほう」
同じく紅蓮の色彩を纏う穂先が前田を迎え討ち、避けられるものの初めてその歩みを止めた。
「流石は前田。――これだけで勝敗を決してしまうなんて」
呟く巫 聖羅(
ja3916)。その周囲では、未だに混乱から立ち直れない撃退士がいる。
勿論、この斬り込みは賭けでもあっただろう。幾ら前田でも、この数を相手に組織立って迎撃されれば負ける。
だが現実はどうだ。撃退士は撤退する事も儘ならず、前田の赤い瞳は静かに、けれど闘争への喜びで揺れている。
故にこそ。
「目を、覚ましなさい……大人でしょう…!」
戦場を揺るがす裂帛の気迫と共に、大剣を抜き放って頭上で一閃させる機嶋 結(
ja0725)。
それは少女の声は咆哮というよりは嵐だ。振われた剣気と激震に、慌てる気配が消えていく。
結の気質は乱と剛。前田から向けられる鋭い武威に、僅かとて怯えはない。毅然と、告げる。
「私達が殿を、この使徒を抑えます。その間に隊列を整え、撤退を」
それがどれだけの無茶で無謀であるかなど計算にする必要などない。誰かがしなければならないのなら、己の武に自負があるものがすべき。敗北の気配に呑まれたものは、戦場で死ぬのみだ。
「落ち着いて避難してくれ。……前田には、借りもある」
ドッグタグを握り詰めながら口にしたのは桐生 直哉(
ja3043)だ。常に共に。道ゆくその筋は決まっている。
独りではない。傍にいる気配を感じるからこそ。
「……死ねるかよ」
呟くその桐生。
「だが、意志だけで俺に勝てるか?」
静かに、無構えを取って口にする前田。その後方に、護衛であるサーバントが着地する。
「何を刀の切っ先に、この場に懸ける。戦に出て、後方など見る余裕などない。いや、他の事を考える余裕など、与えない」
この場は全てに者にとっての死地と化すのだ。
前田走矢、隻腕の使徒が現れたからには、そうならない筈がない。
だが、だから何だ。そう応じるように、天斬を目指す剣士と、不落の意志秘めた騎士が前へと踏み出す。
「ああ、そうだ。そんなお前が出て来なければ意味がない」
斬馬刀を握り締める久遠 仁刀(
ja2464)。ぎりぎりと、柄が軋む程に強く握り込み、前田を見つめる。
「貴様を越えなければ意味がない、貴様を斬らなければ、先などない……!」
爆発仕掛ける戦意。巫や桐生が自己強化する暇などなかった。そんな素振りを見せれば、即座に天刃は動く。
だが、それよりも早く、白い布が前田の顏目がけて投擲される。
咄嗟に奮われた刃。八つに切り裂かれ、触れる事も出来ずに風に流れて行く。
「…………」
「本来決闘を申し込む時は手袋らしいが……申し訳ないが、あいにく持ち合わせがなくてな!」
天魔断つ為の大剣を大地へと突き刺し、不動不沈を構えと見せるラグナ・グラウシード(
ja3538)。子供でも解る挑発であり、それこそ罠だと警戒する筈だ。
ましてや前田の注意を引きつける行為がどれほど危険か、解っていない訳がない。
――耐える、一分でも一秒でも。
全力と全身全霊を懸け、仲間の命を救うのだ。この先を通す気など、ラグナにはない。
「…………くくっ、中々面白い」
その様を見据えて堪えきれないと、前田が喉の奥で笑う。
愉悦と歓喜の混じった笑み。赤い瞳の奥の闘志が燃え上がり、返り血を浴びた刀身に紅蓮の光が纏われる。
「そうだ。そんな貴様ら相手に、盗み取るような勝利は意味がない。俺と貴様らへの侮辱だ」
身構えた結は、その言葉に思わず呟かずにはいられない。
「……ただ力を求めれば破滅するものですが、既に鬼と果てた後ですか。その意志、私にはよく解りませんね」
平穏に暮らす大切など、人だった頃から持っていなかったのだろう。
嫌悪感を瞳に宿すのはそんな結だけではなく、巫もまた。
「――まさに“紅蓮の鬼”ね。……貴方のその禍々しい紅い瞳を見る度に、私は…っ…!」
続く言葉は胸に飲み込み、秘める。己も赤い瞳。災いばかりを齎す、夭星の光のようだった。
そして、紅蓮の光に呼応して刃鳴りを起こす刃。それはどれだけの数の撃退士の血と命を吸ったのだろう。
或いは奪ったのか。人から見れば妖刀の類でもあり、同時に天界からすれば凶災を切り払う刃。
「はっ」
斜陽の敗北を思い出さずにはいられない赤坂白秋(
ja7030)。だが、感傷など赤坂には似合わない。
――まるで、墓参りだ。ようやく、出来たか。
脈打つ鼓動が早く成る。加速して止まらない。
乱れ波紋の一つ、一つ。それが殺された撃退士の名を形作っている気がするのだ。斬り捨てたものの魂を吸う刃。
「よう、クソ剣士。御託はもう良い、始めようぜ」
シニカルな笑みを作り、赤坂は吼えるように告げた。今の会話の隙に、前田が笑ってみせたその間に巫と桐生も自己の能力の上昇を終えている。
「無尽の光の剣戟を以って。食い千切って見せる。繋ぎ止めて見せる」
それこそ光を喰らう獣の如く、唸るような低い声で。そして牙を向けるように銃口を凝らす赤坂。
対して、後衛に控える水枷ユウ(
ja0591)は、冷たく、淡々と、そして僅かな羨望を滲ませて呟いた。
「……暑いね。そして、少しだけ眩しい」
細めた銀色の瞳の先、魂を散らす剣華が咲こうとしている。
そんな事は出来ないけれど。
その一員して、ユウは自分が果たすべき事を、心に刻み込む。
「それこそが、てめえへの反撃の狼煙だ――前田走矢!」
そして赤坂の叫びを以て、始まる流血の戦。
そこでも前田は一拍の止めを置いた。理由は刃を重ねた相手への、歪つな信頼。
お前なら、お前こそが真の一番槍。受け止めてやろう。どれ程近づいたかと、その瞳で見定めるべく。
「……問うぞ、前田!」
疾走の勢いを乗せ、久遠が前田へと躍りかかる。
●
前田に対しての一騎打ち。
その危険性を理解していない筈はない。会話する事さえ、己の命を危機に晒す。
それでも、真正面よりいくしか久遠に道はない。
「以前、たまには正面以外から挑んだらどうだと言ったな」
それに対する返答を、言葉と刃にして。
身を旋回させ、勢いを乗せた斬撃と見せ掛けて放つ高速の刺突。
久遠の全力。己の剣はこれだと、風を切り裂く刃が告げる。
「……っ…なら、お前は、剣で自分を超える者が出たら剣以外で挑むのか!?」
剣に矜持と魂を掲げたのならば、剣には剣で応えるしかなく。
「ああ、その通りだ。俺もお前も剣士でしかない」
前田の間合いの外から伸びた久遠の刺突。凛冽かつ熾烈な刃に肩口を掠めなられながらも前田は前へと踏み込む。
愚直。だが、それは共に同じ事。
「では、どちらが剣の頂きに近いか――」
「――確かめるなら、貴様の剣を見せてみろ、前田!」
久遠の超えるのだという戦意の発露に、前田は笑った。
瞬間、音速を超えた光刃が斬撃と繰り出される。視認不可能な神速に合わせて、起こりの見えない無構え。だが、誘導と予測は出来る。
「……っ…!」
刺突を避けて前へと踏み込んだ為、刃が届くのは久遠の左側のみ。即座に刃を手繰り寄せ、肩口へと斬馬刀を引き戻す。
次の瞬間、巻き起こったのは鮮血の乱舞と金属の悲鳴。
戦場を揺るがす程の轟音に、全ては動き出す。噴き出る血潮は熱く、二人の頬を濡らした。
ぽつりと、前田が呟いた。
「……受けたか。それで未だ立つか」
「丈夫さが取り柄なんでな……!」
だが、食い込んだ刃が久遠の首へと繋がる重要な血管が断っていた。意識を失う程ではないが、受けて深手。光刃斬での二撃目はない。
「下がれ、久遠!」
「支援はさせて貰うぞ!」
故にと左右からラグナの大剣が袈裟に斬り下ろされ、菫の穂先が前田の太腿を貫いた。
一瞬にして四人の斬と刺が交差し、そして光と血が散る。武器が斬り裂いた大気の断末魔が後になって響く程の猛撃。出し惜しみなど一切ない。戦場となった空間そのものが、衝突する武威で燃え上がるかのよう。
だが、前田の肌が違和感を察知した。その時には既に遅い。
「……ねえ、夏にしてはちょっと涼しい気がしない?」
完成された、ユウの刹那の冬を呼ぶ魔術。振り返る事など、今度は久遠の代わりに正面に立つラグナが許さないが、そこにあるのは透明な正八面体。近くの熱を急速に奪い、周りに飛び散った血を赤い珠へと氷結させていく。
それはほんの僅かな、極寒の訪れ。周囲が天魔の生命でさえを脅かす程の冷気に包まれ、凍て付く。
そのような命と魂を懸けた戦いはユウには出来ない。ただ静かに、己がすべき事を選ぶだけ。
「……マエダソウヤ。冬は好き?」
「……ちっ」
前田の致命的な弱点である、魔術。気づいた時には避ける事も間に合わない。
そして弾ける冬を呼ぶ透明な結晶。広範囲を撃ち吸える魔氷風。
「――以前に戦った時と同様、やはり“魔”への耐性が欠落しているのね。……前田……!」
その寸前、護衛のエイフンフェリアが翼を伸ばして前田を庇ったのを見ていた巫。
だが、だから如何した。庇うというのなら、それは効果的であるという事。前田から見て脅威であるという事に他ならない。
だからこそ、紡ぐ魔力は全力で。氷の世界の後に続けと、焔華の大輪が全てを焼き払うべく炸裂する。
ちらちらと残り散る、炎の花びら。
だが、その奥から覗く前田の赤い瞳と巫の赤い瞳が交差する。感じる禍々しさ、過去の恐怖。いや、だからこそ認められないのだ。
「紅蓮の鬼を焼き尽くすわ。私の真紅を以て」
そしてその氷と炎の二重乱舞に合わせて、桐生と結が疾走する。
●
「いけますね」
結も桐生も一息で踏み込める距離。
エインフェリアの側面に回り込む結。激しい火傷を負った身は、前田の分のダメージを受けている証拠だ。
「狙うは……!」
盾を持つ方向とは逆。剣を持つ腕と肩の付け根。剣を振う為に、間接部分は鎧に覆われている筈がない。
故に強烈な斬撃がエインフェリアに斬り込まれる。手応えは十分。徹底的な暴虐の威を込めた、破壊の斬撃だった。
けれど、相手が怯んだ様子はない。
負傷など気にしないと、振われる浄光の飛翔刃。それは結を狙わず、最も強烈な範囲攻撃を放ったユウへと向けられている。
「させるか……!」
だが、それを受け止めるのは白色に染まりながら広がった霞の防壁。ユウを隠すと共に間に割って入り、浄光の飛刃を身で受け止める。
「続けろ、ユウ、聖羅。お前達の氷で天の光を凍て付かせ、炎で天刃を溶かせ。一撃たりとも、お前達には届かせない!」
その言葉を断つように、ユウへと振われるもう一体の浄光刃。霞を広げて庇い、身に刻まれる斬撃。
「この程度で、私は止まらない。倒れて、溜まるか……!」
菫の覚悟を顕すように、より白さを増す霞。戦場にて似合わぬ、凛と佇む、月の如きその色彩。
守り切る。だから、全力で攻めろと、ユウと巫へ背で告げる菫。
己を厭わず、勝つ為に。成程、そこはお互いに一緒の覚悟であると、大剣を構え直す結。ならば後は単純な話だ。
「どちらが、より早く狙いを達成できるか」
視線を送れば、凍傷を負ったエインフェリアへ桐生が側面から蹴撃を放っている。痛烈な一撃だが、吹き飛ばす為のそれではない。上手く背後を取って、前田へと衝突させる方向性と機を得られないのだ。
「……が、無理ではないな」
「ええ。無視されているのが気に入れませんが、ならば簡単」
桐生と結が言葉にする通り、エインフェリアは範囲攻撃を放つユウと巫を最優先に狙っている。その為、自分達を攻め落としに来た結と桐生に対応しない。
加えて。
「ハッ。てめえ、俺を無視すんじやねえよ!」
獣の咆哮の如き音を響かせ、赤坂の弾丸が黒い霧を纏って放たれる。
描く軌跡は光を喰らう漆黒の闇のよう。たった一発、たった一線。だが、確実にエイフェリアを射抜く、天を滅ぼす銃撃だ。
「桐生、急ぐぞ!」
狙うのは電光石火の早業。護りは最小限に、残る全てを攻撃に注いだ双方。
だが、此処で一つ目の誤算が発生した。背後を取った結の相手取るエインフエリアが前へと前進したのだ。
それも向かった立ち位置は菫のほぼ隣り。低空滑空で、範囲攻撃の中から抜け出している。
相手とて動くのだ。範囲攻撃で薙ぎ払うのであれば、散開して当然。前田を護翼で庇いつつ、範囲攻撃から逃れる立ち位置……射程として、不可能ではない。
そして、二つ目もほぼ同時に起きた。
●
前田の前へと踊り出たラグナ。
対峙するのは初めてだが、一瞬でその危険性を理解した。
無構え――どう攻めれば良い?
何処から攻めても、避けられる気がする。効果的な攻め方が見えない。
いや、それなら良い。もしも、相手が一閃を放つのなら……それが何処から、どのように放たれるか読めない。
端的に言えば、受けて弾く事が困難なのだ。上段に構えれば、上から斬り下ろすなど攻撃の方法を予測できるが、これはそれがない。
「……だが、この私がその程度で引く訳がないだろうが!」
ラグナとて剣の道に己を捧げる騎士だ。正面より攻め、受ける。前田の刀の届く範囲は死の間合いだと直感で知るが故に、踏み込まずに大剣の長さを利用して降り下ろす唐竹割り。
全身全霊。それこそ、腕の筋肉と骨が悲鳴を上げる程の力を振り絞った剣閃だ。速さも重さも、そして鋭さも、何処にも抜けや曇りはない。
風斬る音が、降り抜く刀身の重さがそれを告げる。二の太刀、三の太刀と続く筈の、一閃。
「――穿鉄」
だからこそ、それを僅か一瞬で見切られた事に驚愕する。
こちらが先に降り下ろした大剣より早く、後から放たれた筈の前田の刺突がラグナの大剣の真芯を捉えていた。
「……なっ……」
「アウルの出し惜しみか? 少し、短調だな」
神速を誇る剣士を前に、この穿鉄の対策なしの通常攻撃は危険。それを、罅割れて行く大剣が告げる。
刀身の中程から、硝子のように割れて砕けて行く天魔断つ刃。そのまま砕けて、爆ぜるように壊れた。同時に、魔具で増強された生命力も低下する。
「先ほどの剣士が至高の剣を求めるなら、貴様はどうだ?」
そして踏み込む前田。ラグナを光刃斬の間合いに捉える。愛用とはいえ使い物にならない大剣は捨て、銀光を纏うランタンシールドを緊急活性化させて迎え撃つ。
ラグナの中に驚愕はあった。まさか一太刀目とはと。だが。
「――何を求める、だと?」
知れた事。護る、不落の盾たる事。命を救うのが騎士であるなら、最初からそれは決まっている。
「使徒に堕ちた者如きの剣、天魔の刃から人の命を護り、防ぐ絶対の盾である事だ!」
「そうか。ならば、楽しませてくれ」
紅蓮の光刃。読む事叶わず。
神速を誇る一閃に臆す事はなくとも、絶対の力量差を知る。一騎打ちで止める事自体が不可能でもあった。
それでも、諦めるような魂ではない。
「……まだ……っ…」
「まただ! 諦めるな」
地面を削るように滑る菫の焔槍。前田の足首を払おうとしたそれは避けられるが、回避の為に前田の刀が一瞬止まる。横薙ぎの、胴払い。
神速の斬撃。赤光の跡を追い、鮮血が舞う。ぼたぼたと、傷口から溢れて止まらない。
受けた筈の盾が弾かれ、胴を切り裂いて刀身が抜けていった。だが、ラグナの銀光の防壁が間に合い、斬撃の勢いと鋭さを減少させて一撃で倒れる事は防ぐ。内臓へは達しているだろう。だが、それでもまだ戦える。
剣は砕け、深手の負傷。膝を付きそうになる激痛を精神で乗り越え、言葉を吐き出すラグナ。
「まだ、だ……まだ、私は倒れていないぞ……っ…!」
盾は此処にあり。武器を失った手は、ラグナの胸を示す。
「天刃? 斬るだけの鬼が、何を言う……! 笑わせるな!」
「俺とて、護りたいものはあるが……」
その言葉を遮り、炸裂する氷世界の衝撃と爆炎蓮華。ぞれぞれ、前と後ろのエインフェリアが前田へのダメージを庇い、桐生と赤坂の相手取るエインフェリアが重傷を負う。
「……それか主か仲間かの差だ」
後一押しだと解っている。だが、現実は余りにも無慈悲だった。
久遠はアウルを体内で循環させて治癒しているが、まだ半分も回復していない。ラグナに至っては、連続して受ければ再起不能を避けられない。
「……さて、どちらが死ぬ?」
前田を一対一で抑える。その不可能に挑んだ結果が、これだった。
天使に匹敵するものを、ローテーションを組んで、支援役を入れても、単独で抑えるという無謀。
二人が継続戦闘がほぼ不可能となるこの時点まで、僅か十秒。
「……下がれ、ラグナ!」
「……っ…」
剣魂を使用しつつ、前田へと挑む久遠。此処で作戦を崩す訳にはいかず、一度自己治癒を挟んだ久遠の方が生き残る確立は高い。
が、そこまで読まれていた。前進し、薙ぎ払われる紅蓮の光刃。しかも、菫の支援を受けられないように、久遠を挟んでいる。
そして狙うは首。剣気が先に首筋に触れた。必殺の意を以て、久遠の首を跳ね飛ばすべく、致死の斬撃が放たれる。
受けたとしよう。だが、前田の剣閃の前では刃が押し込まれて頸動脈が断たれるだろう。ならば、後に待つのは死のみ。
「……くっ…」
覚悟した。訪れる死の感触を知る。何度も味わって来た、冷たい絶望。虚無。それが何よりも深い。
それでも、久遠には聞こえた。
錯覚と笑われて良い。かちりと、秒を刻む針の音が。
――此処までだと、諦めたくない。
後ろへと身を逸らす。倒れ込むように、刃から逃れようとする。
赤坂が放った回避射撃が刀身を捉え、久遠の首筋に刃が届くのを刹那、送らせた。
「だが」
肌に、刃が触れた。
「まだ、俺の命は……!」
終わらせたくない。続けたい。
戦い続けるしかない人生。そんな魂。前田を剣鬼と笑えなくても。
生きていたいと、切に願うのだ。胸の中、抱いた想いを泡沫と消したくない。
「光に消されたく、ない……!」
瞬間、疾風の如く放たれた何が、前田を突き飛ばした。
それは桐生の放った、目にも止まらぬ剛の蹴撃。その衝撃を耐えきれずに吹き飛ばされたエインフェリアが、護る筈だった前田に衝突して横手へと共に吹き飛ばしたのだ。
それでも久遠の首筋を掠めた刃は、肌と肉を浅く裂いている。後、一秒遅ければ、少しでも生き残る意志がなければ、死んでいた。
それでも、結果として、仲間の支援があっても避けられた斬首。至るべき道へ、辿り付く為に。
「すまない、ギリギリ……か」
「……いや……」
そう告げる桐生に、久遠は応える。まだだ。まだ終わっていない。
「ふん、少しは風向きが向いて来た、か」
ラグナもランタンシールドに武器を変換しつつ、肉体を活性化させて傷を癒す。
そんなもの、既にアテにならない負傷。だが、中々起き上がり切れずにいたエインフェリアのとうぶへと、赤坂の闇の弾丸が放たれる。
「ハッ。まずは一体サーバント撃破っ。手応えねぇぜっ!」
そんなものは虚勢だと、叫ぶ赤坂が自分で解っている。
だが、それでも縋るものが必要だ。士気がいる。倒れない為、絶望に打ち勝つ為に。
「楽しみにしとけよ、クソ剣士。始まるぜ、俺達の、人間の、撃退士の」
そこで息を吸う。最高の一言を、告げる為に。
「――俺達の反撃がな!!」
勝てる。誰も死なない。
空を撃ち震わす、恐怖を砕く声に、止まらぬ血を抱いて立ち上がる。
●
背後を向けたエインフェリアへ、強烈な光を帯びた一撃を叩き込む結。
すぐさま、その冷たく暗い瞳を前田と、戦う二人へと向ける。何度も機を見て前田の挙動を伺っていたのだが。
「……どうやら、一分」
瞬間、見えたのは、立ち上がると同時に正眼に構えられた前田の刀。が、即座に無構えへと戻される。戦場への強襲開始時から無構えを取ったと見るに、それだけの時間が限界だろう。
自己治癒を連続使用したラグナと久遠にとっては救い以外の何者でもない。
「しかし、破滅と隣り合わせの闘争がお好きなようで」
淀んだ瞳が捉えていたのはもう一つ。久遠、ラグナが一騎打ちじみた行動で時間を稼いでいる最中、何度も後衛のダアト二人へと前田は視線が向いていた。そして、無理に突破してあの二人を斬り伏せに行く事も可能だっただろう。
それをしなかったのが、剣士の矜持というなら。
それを利用した二人の挑発を褒めるべきかもしれないが。
「……時間がありません」
再び、光刃を振う前田の姿に、僅かな焦りさえ感じる。
「『紅蓮の鬼』――」
火の禍津星が如く、戦を齎す前田へと呟く巫。
自分もそう怖れられた。その過去は拭い去れない。鏡を見る度にある、赤い瞳。
そして、今も対峙する前田の瞳は、戦の火として燃え盛っている。
「でも大丈夫。今は、見据えられる……!」
竦みそうになる身体に気合を入れ、魔の烈風をエインフェリアへと繰り出す巫。切り裂く風の刃は、確かにエインフェリアの生命力を削っている。
庇護の翼は使い切られ、射線へと身を挺して庇う菫。もう少しだと、耐えるのは解っている。
「だが……っ…!」
それでも、足りない。前田の光刃が奔り、久遠が倒れた。
越えなければいけない相手を前に、膝を屈して意識を失う。至高の剣を切り裂けない。人である以上、単独では無理なのか。
そして。
「貴様……!」
背後よりランタンシールドで刺突を繰り出すラグナ。脇腹を浅く切り裂き、久遠への確実なトドメから意識を逸らさせる。
が、次の瞬間にはラグナが再び光刃斬で切り裂かれていた。防御などあってないに等しい。二度の受けは成立しない。
「ぐ……っ…だ…が……っ」
それでも胸の意志、盾は壊れていないと、前田の服を掴むラグナ。
一秒でも、時間を稼ぐ為に。紡ぐべき言葉は、喉から競り上がる血で潰されても。
「……勝つのは、私達だ。私は、仲間を護る楯として……!」
「ああ、俺を前に三十秒近く立っていたのは、見事だ。不落ではないが、堅牢な盾だと誇れ」
そして蹴撃で首を打たれ、意識を失うラグナ。守護者の力など、最早及ばない負傷で、昏倒した筈だというのに前田の服を掴んで離さない。
だからこそ。
「……無駄には、しないよ」
渦巻く風は螺旋の槍と化して、前田へと放たれるユウの呪いの迅風。
浸食し、凍て付かせる程の冷気を纏う魔風。エインフェリアに再び庇わせるが、意識を混濁させたエインフェリアへと結の神輝掌と、桐生の黒き疾風のような胴回蹴りが叩き込まれる。
「ハッ。ついに、テメエ独りだけだぜ、クソ剣士!」
再びは放たれる赤坂の闇の弾丸。前田を護る為に負傷し続けたエインフェリアの心臓を穿ち、貫く。
「どうするよ、前田さん。こちらは、お前が思っていたより早く撤退準備が完了しているぜ」
赤坂の言う通り、結や桐生、菫の言葉で恐慌が鎮静した為、既に撤退準備は半ば以上整っている。通常より早い。これ以上の戦いは無駄――と説いて、聞く耳を持つ前田ではない。
疾走。それも恐ろしい速度で向かうのはユウ。
「……ん」
だろうとユウとて読んでいる。一度光幕破りをした身だ。
警戒されている。何より、前田への最大火力が自分なのだから。
「……絶対に、倒れてはだめ」
右へとサイドステップを踏む。ただそれだけで避けられる筈はない。逃げられない。
けれど、その間に入り込むように、烈風と化して走る少女。焔の槍を旋回させ、前田の前へと立ち塞がる。
「退け」
「……そう言われて、退くような脆弱な輩との戦いが好みか?」
「――――」
共に笑う二人。武を極めるべくして、殺すか護るかに別れた二人でもある。
だが纏うは同じく紅蓮。威烈の斬光として奔る刃に、静寂の精神を以て成る朧霞が受けるべく広がる。
「なあ、お前の道は――何が残る?」
交差した二人の紅蓮光。菫の手から焔槍が零れ落ちる。
頽れる菫と、壊れていく意識。やはり、不落の意志など無意味な程の深手。
それでも、吼えろ。
もっと早く、早く、早く――私ではなく、仲間よ。
「私の進む道は、誇れる仲間がいるぞっ! 誰もやらせはしない!」
その叫びが最後。
だが、胴を斬り上げられた前田の動きが止まっていた。菫の手にする槍は魔力によって形作られた焔だ。避けられない。そして、前田の苦手とするもの。まるで対極のような菫に、何を前田は思ったのか。
「――だが」
「止まりましたね。その首、貰います」
前田本人がよく知る事。戦場では脚を止めたものから死ぬ。
故に左から結の大剣が横薙ぎに振われ、右から黒き烈風の蹴りが放たれる。
同時に二つは対応出来ず、結に切り裂かれた左脇腹。元より左側は失った腕の為、対応出来ないのだ。
だが、刀の間合いに踏み込んだ桐生へは違う。
奔る太刀筋に銘はない。ただ早く、早く、相手が動き出すより早く放たれた一閃。太腿を切り裂かれ、桐生の攻撃が止まる。
そして、ダアトであるユウと巫の魔力が練り上げられる。意識を凍て付つかせる呪辻風と、全てを焼き尽くす焔の同時攻撃。天刃を砕く、魔の一撃。
「ぐ……っ……」
「ホラ、追加だ。受け取りやがれ!」
更に魔の炎氷を隠れ蓑に、防具を腐敗させる浸食の弾丸が赤坂から放たれた。長く戦い続ければ、続ける程前田は不利になる。これ以上の魔力への耐性が下れば、最早危険だ。
だが、光幕は使わない。何故なら、赤い瞳が見据える先に、知る姿があった。
紅蓮の天刃、刃鳴りを起こす刀を前にして、それでも屈しない桐生。
「そう何度も、倒れてたまるかよ……って、前にも言ったよな……」
脚から血を流し、それでも前田を睨む桐生。前田の唇に笑みが浮かぶのを見た。言葉はなく、けれど懐かしむかのように。昔の戦場を、そして、戦って散らせた命の輝きを見るように。
「……そうかよ」
故に練り上げられる桐生のアウル。此処で、全てを懸ける。
死んでしまった撃退士。あの港で、京都で。
「俺は……あの人達が指し示してくれた道を、怨嗟で繋ぐ道にはしたくない」
だが、この前田がいれば、怨嗟の、呪詛と憎悪の輪廻が続く。修羅道に堕ちた剣鬼は、それを作らなければ生きていけない。
「崩れていく日常を、繋ぎ止めたい。元に戻す道を進みたい。ああ、譲れないんだ。退けないんだ」
その一方、前田の左側面に立つ結は冷たく、重い溜息を付いた。
「全く、これだから男は……」
ダアトの魔力の練り上がりが終わらない。いや、もう斬光を帯びて、前田の神速の一閃が放たれる。桐生がアウルを練り上げるも、間に合わなかった。
「なら、倒れるな。耐えて、一撃を与えてみせろ」
守りたいのだろう。
ならば、その意志を武威に変えてみせろ。
そう告げて奔る剣閃。苛烈なる刃は耳でも目でも捉えられず、半ばまで練り上げていた黒い靄から成る狼ごと斬り裂きかけた。
だが、それを護る翼。菫は倒れた。だが、未だに庇護の翼をもつものは此処に。
「時に、強さを求めるのは害をもたらしますが……」
桐生への斬撃を庇ったのは結。一撃で膝を付き、ぼたぼたと逆袈裟に斬り上げられた傷口から赤黒い血が滴る。
だが、それよりなお黒く、禍々しいナニカを声色に乗せて、結は呟いた。
「――破壊してしまいましょう。報酬は、庇った傷の分だけ貰いますよ」
遠のいていく意識から絞り出された声に、桐生の背が押される。
練り上げられたアウルを解放し、全力を以て強襲へと掛かる。
風と音の壁を突き破る、黒狼の牙。前田の右肩の肉を吹き飛ばす程の猛威。
苦鳴と共に舌打つ前田。
「頃合い、か……」
身を翻す直前、展開した光幕に衝突して巫の炎弾が掻き消される。
だが、それを待っていたと。
「……そんな薄いカーテンじゃ、冬の寒さは凌げないよ」
長大なる氷の剣を構えるユウ。魔具で直接切り裂く魔氷刃。前田はこれに対応出来ない。
振われる剣閃は、冴え冴えとしていた。透き通る氷の刃が、血に染まった。
そして――前田が全力で後ろへと跳躍し、後退した。
その途中にいた桐生に置き土産と斬撃を放つ事もない。
笑みはそのまま。余力も感じる。最後に斬り裂いたユウ自身、浅いと感じたのだ。
ならばと見渡せば、撤退準備が整った撃退士達。いや、それどころかこちらへと駆け付ける者達もいる。
「……時間、だね」
声を掛け、活を入れ、統率を整えた分だけ早く終わった。
でなければ。
「なあ」
赤坂は、今だから言える事を言う。
「俺達」
ようやくよろよろと動き出す桐生。対して、結は一撃で意識を失っている。
前衛が一人だけ。今の攻防で、もしもユウか桐生を通常の斬撃で斬られていたら?
桐生ならば護る前衛を失い、後は各個撃破されていた。ユウか巫なら、有効打撃を与えらずにジリ貧で負けていた。
「……勝ったのか?」
壊滅した前衛陣。時間制限のない戦場なら、誰かが死んでいる。
大量の血が流れ、天刃の斬り込んだ跡だけが残っている。
これは、前田の勝利。続いていれば、どうなっていた。
「くそ……!」
声を上げる赤坂の身に傷一つないのが、むしろ虚しかった。
空は何も知らぬと、青い。
次の戦場へ、招くかのように。