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暗闇の中で瞬く、淡い光達。
ふわふわと無数に舞う姿は、夏の夜が見せる幻想なのだろう。
美しくて、儚くて、そして少しだけ寂しい気がした。
この蛍達が魂ならば、何を求めているのだろう?
「……ホントに見ているだけ、なのね」
何をしたいのだろう。何を感じているのだろう。
遠方で蛍ら囲まれている藍色の狐へと視線を送る荻乃 杏(
ja8936)。少し苛立ったようなむすっとした顏は、釈然としない思いの現れでもあった。
天魔、サーバント。蛍の灯かりと共に、静かに川辺にあるだけの存在を、どうして討たなければいけないのだろう。
何かを求めて、探しているのなら、それを与えて終わらせる事は出来ないのだろうか。
「変なサーバント」
そして奇妙な組み合わせ。そうぽつりと漏らすのはリースヒェン・ミュラー(
jb6168)。
戦う事、斃す事に嫌はない。ただ、仕掛けるタイミングを計っている内に、夜空を踊る蛍の群れに魅入ってしまったのだ。
天の眷属と、儚き光達。
不思議で、奇妙で、そしてだからこそ幻想なのだ。
現実感が薄い。天魔が絶対の敵であると、頭で理解しても心では割り切れない。
久遠寺 渚(
jb0685)はそんな一人。退治するのは忍びない。けれど仕方ない。僅かな浮遊感を憶えてしまう。
「何時まで大人しくしているか解らない以上、仕方ない、ですよね」
何もせず、隣りに座って蛍を眺められればどれだけ良いのだろう。
美しい夢のような場所。戦いで穢す必要なんて、出来ればなければ良いのに。
「それこそ、どうして蛍を見るのかさえ、解れば……」
いや、それでもサーバントとは共存出来ないと渚は首を振る。
「……誰かが傷ついてからでは、遅いんです」
その渚の呟きに、星杜 焔(
ja5378)も思わず応じてしまった。
「護りたいもの、大切なもの……かな」
何時も浮かべている笑顔。だが、蛍の光を受けた焔の瞳には、少しの憂いと翳り。
――君にはいたのかな
狐には届かない距離だと知ってなお、呟いて銀のイヤーカフを指先で触れる。何だか、大切な存在を探しているように見えたのだ。
夏が過ぎれば消えてしまう、蛍の群れの中から、たった一つの光を。
「喪ったのかな、それとも……」
焔は笑顔の儘、瞼を伏せる。言葉は続かない。
少なくとも、今はまだ。
変わりに風が吹いて木の葉が揺れ、ざあざあと流れる川の音。
清い環境だ。繊細な蛍が住める程に。もはや、それは貴重な場所となっている。
人の世の自然を、景観を、建物を。つまり、この世界を愛するウィズレー・ブルー(
jb2685)は静かに息を吸った。
「次に見る為に、出来るだけ気をつけましょう」
今と共に戦う、腐れ縁の友にも見せてあげたいと思うのだ。
「まるで、落ちて来た星、だね」
空から、この地まで流れてついた星屑のよう。フェイリュア(
jb6126)は初めて見る蛍に、そんな感覚を抱いた。
そういえば、星も人の魂が空に昇った姿だと、誰かが言っていた気がする。
とても綺麗で、そして一緒にはいられない。
「空と地程の隔たりがあるんだろうね」
本当に星のようだと、七ツ狩 ヨル(
jb2630)も思う。初めてみる光の舞踏。優しい灯り。
本当の宇宙とは違うとヨルも解っている。ほんの少しの苦さを飲み込んだ。自分達はこういう美しさを奪って生きていたのかもしれないと。
「……だから、一緒にはいられない」
「何故?」
天魔だからという理由ではフェイリュアは納得できない。
「どうして? どうするの?」
この夏が終われば、この狐はどうするのだろう。探して、探して歩き回るのだろうか。
孤独な旅路――同時にそれは、何をするか解らない天魔が人里に下りるという意味で。
「さて、時間だ。配置に付こう」
酷く負傷した身だというのに、瞳には刃のような鋭い意志を秘めた久遠 仁刀(
ja2464)が全員に告げる。
「……蛍か」
血の匂いなど嫌うだろう。少し自嘲的に笑って、薄れて消えていく蛍の光を眺める。
ざわりと、風が吹き抜けていく。
静けさの広がっていた夜に、戦いの緊張が張り詰めていった。
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接近を藍色狐は即座に気付いた。
森の中へと戻ろうとしている最中、翼の羽ばたく音と川辺の石を蹴る音がしたのだ。
身構えて耳を立て、降り返る。
「此処からは戦闘」
「さあ、ここにおいで。待つだけじゃなくて、ずっとずっと傍にいたいなら」
対岸より飛行して接近する三人。
そして左右からも走る姿はある。三方向からの接近から、包囲して一気に仕留める。
が、誰も彼もが遠距離攻撃を封じている。流れ弾だけではく、攻撃の余波で環境が壊れ、或いは蛍が散るのを警戒しているのだ。
その為に、先手は当然のように藍色狐の尻尾が産み出す三つの水刃。
飛翔する天魔の力に、けれどフェイリアは無邪気に笑った。
「フェイが、狐を蛍にしてあげる」
向かい来る水刃を受けようとした久遠の前に立ちはだかったのは荻乃だ。
重体を押して戦う身。そんな姿、見たくないから。
「無茶は禁止!」
遁甲の術で気配を消し、けれどあえて庇う。頑丈とは言えない小柄な身を魔力の刃が撫で斬るが、痛みを無視して走る。
「私が庇ってあげるんだから、それ以上怪我はしないでよね」
一歩後方に立つ久遠へと投げかける荻乃。
「……すまん」
「接近しきったら、任せるから」
奥歯を噛み締める久遠に、荻乃は言う。そして止まらない。
残る二つの水刃も焔とウィズレーが回避を捨てて受けている。流れ弾が危険なのはサーバントの攻撃も同じだ。
「けど、強く、ない?」
焔が身体を巡るアウルに強く働きかけ、身体能力を上げている事を差し引いても傷が浅すぎる。渚の放ったアウルの網に触れて四散するような有様だ。
「……なんて」
弱い。余りにも。
湖水のような淡い青に変色した焔の瞳が見つめる先では、それでも後退しない藍色狐。
蛍と同じく、これは淡く、か弱い存在だった。
「ですが、だからといって……見過ごせません」
接近すれば攻撃を放つような存在、見過ごす訳にはいかない。ウィズレーが書物より雷の剣を産み出し、至近距離から刺突の如く繰り出す。
無慈悲なのではない。戦うばかりの存在が、悲しいのだ。
「いずれ消えるなら、誰かを傷つけてしまう前に、だね」
そしてウィズレーの後方から隠密苦無を滑らせ、狐の背を切り裂くミュラー。
鳴く事もなく、ただ静かな瞳を向ける藍色狐。その姿へ、言葉を送る。
「大丈夫。大好きな蛍達に、斬られる姿は見せないから」
包み込むように、光の翼で狐を覆うフェイリュア。視界を奪うのではなく、ただまだ川辺にいる蛍達に見られたくないだろうと。
「痛みも感じない儘にと、願いたいですね」
「そう、だね。願いも蛍も、汚れない内に」
横手へと接近した渚が神楽鈴に毒の呪詛を纏わせた魔撃で狐を撃ち、指先で鋼糸を手繰る焔がその前脚へと絡みつかせて、切り裂くと同時に動きを封じる。
毒に侵され、脚を傷つけられて転倒しかける藍色狐。そこへ白き陽炎を立ち上らせる優美な大太刀を振うのは久遠だ。身を旋回させながら放つ斬撃は狐の腹部を裂き、そのまま流れるように背後を取る。
「この程度の動きしか出来ない、か」
苦笑するが、それで何かが変わる訳ではない。ならば自分に出来る事をと、振り返って森へと逃走される事を阻止しようと身を壁にする久遠。
「だーかーらっ。無茶禁止!」
その動きを支援するように、荻乃から蹴撃が繰り出される。一撃に乗せられたのは夜よりもなお暗い影を纏い、狐の影と姿を縛り上げる術。
脚を負傷し、束縛された身。しかも、ウィズレー、久遠、焔、渚に四方を囲まれて逃げ道はない。
「……静かだけれど、それでも戦うんだね」
闇に紛れ、気配を消した身でヨルが側面から不可視の闇の矢を放つ。避けるだけの力も残っていないのか、身に受けて震える狐の身体。だが、瞳は酷く静謐。戦意、敵意、害意はない。それでも三本の尻尾が振われ、三つの水刃が作られる。
「ああ……」
そうなのかと、渚は久遠へとアウルの護網を施しながら、呟いた。
「……サーバントとして産まれてしまったから、戦わずにはいられない」
――ただ、そう産まれたという悲劇。
ウィズレー、焔、久遠がそれぞれ武器で水刃を弾いて受ける。
酷い負傷をして、逃げるような姿勢はない。けれど攻撃は続ける身。そういう本能と命令。
「……寂しいね」
ヨルはそう思ったのだ。悲しいのでも虚しいのではなく、寂しいのだと。
此の儘では絶対に救われない。もしも魂というものがあるなら、この藍色の狐にはこういう人生を送って欲しくないのだ。
生き返れれば良いと思う。蛍を愛した魂に、血と戦いには似合わない。平穏と安らぎの中で生きて欲しい。
「……その身体から、抜け出せるように」
天界の作った眷属という呪縛。そこから逃れられない憐れな狐。
「有難う」
ヨルの闇の矢が藍色狐の腹部を撃ち、無理に動こうとする狐の脚を焔が鋼糸で縛って止める。
「もうやめよう」
言葉が届く筈はない。だが。
「この場を血で、汚したくないよね?」
痛みか、それとも何かあったのか。最初から不思議な存在だったサーバントは、その身を止めた。
そして、そこへと突き出されるフェイリュアの直刀。切っ先の狙いは心臓。そこにある魂を救い、抜け出す為の道を作るのだと、音もなく滑った。
「もう、大丈夫」
耳が消えて、尻尾が取れて、首がなくなって。もう形さえ残らなくて、憶えている。
突き刺さった刃。溢れる血。
狐の呼吸が止まって、フェイリュアは刀の柄から手を離し、変わりに藍色の狐を抱き締めた。
血で服が汚れた。金色の髪も、白い肌も。
「――淡い光、蛍になって、もう自由に飛んでいこう」
何処までも、何処までも。
この広い世界を、愛して欲しい。
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もしも天魔、サーバントに魂があるのなら、次はどんな人生を送れるのだろう?
「なんでこんなに、心に残るんだろうね……」
戦いで、変化で、時の流れで全てはなくなっていく。
いや、だからこそミュラーの胸には強く残ったのかもしれない。
カメラは蛍を怖がらせると聞き、二度目の瞬きを始めた蛍を、その光を頼りに書き記すミュラー。
同時に、戦ったその現場をも眺める。周囲への戦闘の影響を気にし、更には飛行しつつ戦った為に川辺の石たちもさほど荒れていない。
まるで何事もなかったかのようだ。
「でも、憶えていよう」
蛍は綺麗で、けれど何だか切ない。感傷に満ちた心は、言葉を紡ぐ。
「あの珍しいサーバントの事も、この場所も」
「この景色も人が大切に守ってきたからでしょうね。だから蛍がいれる。……ええ、私達も忘れてはいけません。とてもこれが愛おしいものだと」
すぐに壊れてしまう、繊細な美しさ。
張り詰めたか細い弦の如く、些細な事でぷつんと切れてしまう。
瞼を閉じて、ウィズレーは囁いた。
「次の世があるなら、人を怖がらせずに平和に蛍を見れると良いですね。こんな風に」
そしてその為に、戦いで世界を荒させない。
そんな誓いを胸の中だけで立てる、セカイを愛する堕天使。
「産まれ変わっても、この美しさは続いて欲しいね」
瞬き、踊る光の群れ。
意志疎通で語りかけるヨルの周りに、蛍が集まる。
『こっち、来て。君の光をもっと近くで見たい。怖い事はしないから』
ああ、そうか。
あの狐も、こんな事をしていたのかもしれない。
『ありがと』
あのサーバントと違って、良き片割れと共にあれるようにと祈るヨル。
「でも、何考えたのか……」
夜闇に舞う蛍。その幻想の一枚を写真に取ろうとして、そんなものは無粋だと荻乃はデジカメをポケットにおさめた。
魅入り、魅入られ。
気付けば、静かに眺める荻乃の周囲にも蛍が来ていた。
「……本人の狐にしか解らない、か」
問うには直接本人に聞くしかないのだ。
そして、この風景は独りで見るものではない。
誰かが独占するような形ではなく、誰かと共にあるべきもの。
天と魔と人と。それこそ、今回集まったメンバーのように。今はたった小さな輪でも、いずれ広がって欲しい。
種族も世界も越えて、美しいものをただ、共に心に映せる為に。
それが、当たり前になった世界は、もっと美しくなる。
「いつか、また来よう。今度は一緒に、アイツとさ」
行方知れずの家族を想い、目に、心に、焼き付けるように蛍を眺める荻乃。
「……蛍、見なくて良い?」
「それより、少しこの狐と話したくて……」
森の片隅。蛍の光が僅かに見える場所に、渚とフェイリュアは狐のサーバントを埋めていた。
救われただろうか。そもそも、魂や輪廻の話など夢物語。
生き返ったらも、死んだ後も解らない。でも、天使や悪魔がいるのだから。
「……今度、ここに来るときには一緒に蛍を見ましょうね……」
優しい、夜の風に頬を撫でられて、渚は微笑んだ。
フェイリュアは夜空を見上げた。藍色の天に、蛍が舞い昇る姿を探して。
「ばいばい」
そして、また、と。
一人、川辺に座る焔は微笑みを消せない儘に、ゆったりと眺めていた。
あのサーバントに自我は残っていたのだろうか。
もしかして、あそこにいたのはこの蛍を守りたかったからではないのだろうか。
――魂だけでも、守りたい。触れたい。
自我が微かにも残ってなくとも、ただそれだけの為に動いていたら、少しは救いがある気がする。
特別な想いだけは失わなかったのならば。
守りたいという気持ちだけは。誰かと居たいという願いだけは。
藤の花の刻まれたイヤーカフーが、揺れる。
これだけは残したいのだと。或いは、繋がっているのだと。
「……俺が二人を目前にしても今があるのは、ただの幸運だけじゃなかったと、信じて良いのかな」
ぽつりと漏れた声。それを支えるよう、蛍がふわりと一匹、焔の頬に止まる。
けれどすぐに離れた。まるで、君のいる場所は此処ではないと、告げるように。
運命は、強い想いで変わるという。
魂の輝きは、淡くて切ない。ともすれば、掻き消えてしまう程に。
だから――焔は瞼を閉じた。
「血の匂い、か」
すぐさま山を下りようとした久遠だが、重い傷を負った身ではすぐに息切れを起こした。
自嘲して、噛み締めて。
他の仲間に負担を掛けたから、蛍狩りだなんて浸ってられないと自罰的だったというのに。
「なあ、それでもどうして寄ってくるんだ?」
まるで孤独な存在を救いたいと願うように、蛍達が久遠の周りを泳いでいる。
一人で帰るのではないのだと。
一人では寂しすぎるのだと。
「……ああ」
判ったと、苦笑して呟いた。
「次は、心配かけないようにして、あいつと……」
たった一匹で蛍に寄り添った狐のサーバント。
或いは、たったひとつというのを憐れむように、狐の傍にいた蛍達。
その物語は、此処にて一幕を閉じる。
続く世界の美しさは、誰かが語る。語り続ける。
鳴り響く、風の音のように。