●
見上げれば硝子の天蓋が夜空を透かしている。
月は真円、星は数多。けれど、頼りない光がほっそりと会場に零れていた。
優しい光。穏やかな空気。ダンスパーティーにはそれだけでは足りないだろうと、星と競うようにアロマキャンドルが小さな火を灯している。
一夜限りの舞踏会。何処か幻想的なその場の始まりに、一人の女性が檀上へと立った。
白いドレスは淡い光を受けて、ともすれば銀にも見えた。
手には鈴蘭の花束を。此処に来るまで、多くの人々の手によって渡された、花嫁への贈り物。
沢山の幸せを届けられた花嫁、瀬川・美鈴は花が揺れるように笑った。
「皆さん、集まって頂いてて有難う御座います」
その笑顔は何処か太陽を思わせる位に明るい。声は高揚の為か少し上擦って、けれど止まらない。
「多くはもう語りません。ただ、こうして私の我儘に、そして約束に、付き合ってくれた事に最大の喜びを」
だから始めよう。
一夜限りの舞踏会。
さあ、相手の手を取ろう。或いは取れなくとも。
「今日を、皆さんとの忘れられない日に。決して色褪せない記憶にする為に」
約束は誰も忘れなかった。
果たされた夢。幸せの道。
だからこそ、みんな笑顔になって欲しくて。
「私の少しばかりの幸せを、受け取ってください。そして、笑って、朝日を……!」
切に、まるで嬉し泣く少女のように高らかと花嫁の声は響き、応じて紡がれる音。
始まりを告げよう。涙は後でいい。今は、ただみんな笑顔でいる為に。
胸を弾ませ、幸福を届ける白兎が跳ねるように、音が鳴り出だす。
●
唯一不変、決して誰にも譲りたくない自己存在意義。
それが亀山 淳紅(
ja2261)にとっての歌だ。なら、そんな彼がこの素敵な夜に響かせる歌声は?
心を満たす美しさ。鈴蘭が連なるように、音を繋げる。自分が感じる美麗で幸せな一瞬を、歌い上げる為に。
――さあ、この素敵な鈴嵐の夜に、歌わせて貰おうか。
怪我なんて関係ない。心が全て。淳紅を突き動かす衝動は止まらない。
待ちきれないのだ。鼓動が弾む。靴の爪先でステップを踏んで、音の始まりを刻んだ。
早く、早く、歌いたいから。
この心、踊って歌う為に。
――仕方がないですね。
笑って、ピアノの演奏を務めるRehni Nam(
ja5283)も微笑んだ。
そしてライトグリーンのドレスの袖と、白銀色の髪を留めるビジューカチューシャを揺らす。
でも確かに、このままだと、きっと雰囲気に呑まれて涙から始まるダンスパーティー。そんなの楽しくない。
故にと、弾かれる音の旋律に、歌が乗る。
――I'll give to you a lily of the valley.
曲はオリジナルジャズ。アップテンポに、軽やかに、刻むように跳ねる。
――Pure white, very good smell small.
英歌詞の歌に、広がった戸惑いは僅か。歌詞を上手く聞き取れない。
だが、そこに籠る想いだけは何処までも強く感じるのだ。故に、手を取り合い、流れる旋律と淳紅の歌に合わせて、踊り出す。止まってなんかいられない。
だって、こんなに素敵な歌。こんなに一途な想いに触れたら、動いてしまうのだ。
――Dong of a little poison, How can you get your charm?
君に花の歌を送ろう。小さくて、白くて、僅かな毒もきっと愛嬌で可愛らしい。
鈴を鳴らす。花を送る。歌として連ねて、花束へ。
喉を枯らしても構わないと淳紅は歌う。跳ねるように指を躍らせ、旋律のダンスを刻んで跳ね回らせるRehni。
透明な音が、幸せの色へと聞くものの心を染めながら。
夜明けまで、終らせない。
●
ラフに着崩したスーツに、少しだけ失敗したかと時雨 八雲(
ja0493)は微笑んだ。
少しだけ悔しくて、恥ずかしい。それこそ、百年の眠りを醒ますような着飾った少女が、目の前にいるのだから。
もう少しだけ、着飾れば良かっただろうか?
でも、何故かそれが嬉しいのだ。高鳴った胸が止まらなくて、一瞬見惚れた後に、どうしても薄く微笑みと視線を向けてしまう。
「あ、えっと。八雲さん、私、変、です?」
そう問うのは橘 一華(
ja6959)だ。
何時ものアウトドア派の元気な少女の姿はそこにはない。
精一杯に着飾り、おめかしした姿。オレンジ色のハイウェストのドレスを、何処か変ではないかと顏を赤らめながら確認しようとする。
動く度に下ろした茶色の髪が揺れて、ドレスと触れあう。頬は、どうしてか赤くて。
「安心しろ、凄く似合っている」
言葉と共に差し出した八雲の腕を取った瞬間、橘の顏が更に赤く染まった。
けれど、月明かりとキャンドルライトだけではよく解らない。それが幸か不幸かも解らない。
ただ、橘と同様、胸の高鳴りが止まらない八雲は、その音が聞こえないように祈りながら。
「何時もと違って髪おろした姿も似合うな」
「だと良いな。なんだか華やかな雰囲気で、当てられたのかな。さっきからドキドキしっぱなしです」
良く解らない自分の気持ち。歌や音楽、周りのステップに合わせて回って揺れる。
「けれど、あの先輩の言葉じゃ、俺達も主役だからな。だからこそ……一曲、踊って頂けますか?」
そうやって絡む橘と八雲の視線。何時もの眠たそうな表情ではなく、真剣な眼差しに、橘の鼓動も五月蠅い程に。
けれど、その音より伝えたい言葉がある。
「ええ、折角ですから踊らないと損ですよね。エスコート、お願いしますね?」
その言葉が最後。何かを振り切り、誤魔化すように踊る二人。
アップテンポなリズムに任せて、心臓の高鳴りを誤魔化す。視線は触れあって、けれどついと横へと流れて、また戻って。
回って踊る八雲と橘。
何時もと違う少女の姿に、八雲の抱いていた感情が少しだけ自覚出来てしまって。
「脚を踏んでも気にするな。止まらず行こう」
「は、はいっ」
この夜の開けた時に、何かが変わる?
星が見る中、日常と違う幻想世界に踊る二人。
そして、踊るもう一組。
淡い水色のドレスを着た華成 希沙良(
ja7204)が無邪気に笑顔を浮かべ、白い礼服に身を包んだサガ=リーヴァレスト(
jb0805)がエスコートして円を描く。
「明るい色は少し苦手だが」
言葉の通りに苦笑すねサガ。だが、この声色は少しだけ楽しげだった。
「仕方あるまい。希沙良殿に合わせたいのだから……そして、陳腐だが、良く似合っているな、綺麗だ」
内心を隠しながら、優雅に踊る二人。サガは、照れながらもどんどんとテンポアップしていく華成を見て、内心の苦さが溶けて行くのを感じる。
「楽しい……です…ね……」
「ああ」
華成はサガと踊る事が楽しいのか、綻ぶような満面の笑みを浮かべている。それを見るだけで、サガは安堵と心地よさを感じてしまっていた。
全て良い。これだけで良い。
今が続けば良いのに――そんな夢を、二人して抱いて。
「……サガ様…は…ダンス…も…上手…ですね…意外…です……」
「希沙良殿も上手いじゃないか…ふふ」
隠し事や、どうして上手いかなんてもう意味がない。
触れているのは手袋をした指だけ。でも、それだけで十分。
心は繋がっている。互いの瞳に、自分だけが映っている。
「……そう…いえば……メッセージカードは…何を……書きました?」
「さて。言葉というのは贈る相手にだけ届けば良い。万人に響く言葉なんてない」
「……?」
「愛していると、そう言う相手はたった一人だけの方が良いようにな」
「……っ……♪」
幾多の想い。届けられた幸せ。それぞれ形が違う。同じである必要はないし、確かめる必要などないだろう。
そして、出来れば今度はこんな幸せの舞踏会を自分達で。
そう願い、疲れ果てるまで踊る華成とサガ。
贈られた花が心をなり、幸せを紡ぐように。祝福を祈るものは、祝福の光の中で。
「あら」
横手から差し出されたシャンパングラスに、暮居 凪(
ja0503)は僅かに驚いた。
橙に近い赤黄色、ローシェンナカラーのシックなドレスを着た暮居は、そのグラスを差し出した相手を見つめる。
「今晩は、お嬢さん。いつぞやはお世話になったね」
そう語るのはロドルフォ・リウッツィ(
jb5648)だ。
少し苦そうな顏をしつつ、顔見知りである暮居へと声を掛けていた。
同じ依頼で鈴蘭を取った二人である。鋼鉄のような不器用な男の事を思い出し、くすりと笑ってしまった。
これは、あの男性からも繋がっている物語。だからこそ。
「あら? 貴方はこの前の――」
グラスを受け取り、周囲を見渡していた暮居も応じる。
僅かな思い出はある。あの道の往く末を見たくて此処にいた暮居。
皆、幸せそうに踊る中、けれどロドルフォは苦笑いを浮かべている。
「まさか、出会う人にも縁があるとは思わなかったわね……お一人?」
「星の巡りあわせが悪かったのかもな。ま、仕事なら仕方ない」
そう言って、一度懐中時計を取り出し、時刻を確認するが、針はもう過ぎた数字を示している。
「ただ、私達の仕事がこうやってダンスパーティーになるのは不思議ね」
「……確かに」
僅かに思い出を、記憶を語る。ほんの少し前の話だ。
だから鮮明に思い出せる。けれど、それだけでは、少し悲しい気がした。
だからロドルフォはニヤリと笑う。悲しくて寂しい。独りだけでの記憶なんて、きっとあの鈴蘭の花束に関わった、そして触れた人達は望まないから。
「一曲お相手願えませんか、Maddonna?」
「そうね。それなら一曲。期待させて貰うわよ? ミスタ」
一人だけ浮いていて、孤立していた暮居を心配そうに見ていた人もいる。
ああ、確かに。誰かが寂しいと、自分も寂しいのだろう。新郎と踊りながら、けれど一人でぽつんと立つ人の事を見つめる花嫁に、大丈夫と笑いかける暮居。
自分のせいで、この幸せの色を色褪せたくない。
自分達とて、曇った星の光よりも、綺麗な輝きを心に映したい。
「代役程度に成れるでしょう」
「いやいや、折角先輩が用意してくれた場。楽しまなきゃ損ってもんだろう?」
手を取り、壁からホールへと。響き渡る声と、ステップと、音楽と歌。
誰もが笑っている。楽しんでいる。
「……本当に踊りてえ相手が、別な者同士ってのも丁度いいじゃねえか」
「さ、どうかしら。でも、その本当に踊りたい相手との本当のチャンスの時、失望させない程度のステップは出来るわよね?」
出掛かりを掴めず、勢いで誤魔化して踊り始めようとしていたロドルフォへ、流し目を送る暮居。
ようやく、ロドルフォが軽快に笑った。そして心が軽くなったように、暮居を誘うに舞踏のリズムを刻む。
挑むように。そして競うように、二人が舞う。
でも、やはり一人で待つ人はいた。
鮮やかな赤いドレスを纏うブリギッタ・アルブランシェ(
jb1393)。
何人かに声を掛けられていた彼女だが、その全てを断っている。
ダンスパーティー。それを聞いた時、面白そうだと知り合いを誘ってみたかった。
出来れば、あのホールの中央で踊りたい。きっと、世界の中心は今、あそこだろうとすら感じる。
焦れる。焦燥。嫌だなと思いつつ、けれど決して動かないブリギッタ。
「……来ない、か」
だって、ブリギッタが待っているのはただ一人。
どんなに送れて来ても――最初に踊る人は決めている。他の人では嫌だ。
「良いわ、待って上げる」
誰かの為にではなく、貴方の為にある真紅の花として、姿勢を正す。
他の人は知らない。踊りたい訳じゃない。貴方だけが良い。
空を見上げれば、彼方に瞬く星。数多のそれは、凄く遠い。星同士の距離も、とても遠い。
でも光は届いて結ばれている。そう信じているし、見えるのだ。錯覚などではない。
「夜明けの光で星が隠れて見えなくなっても、貴方という星を待ち続けてあげる」
まるで棘を持つ薔薇のように、美しく佇むブリギッタ。
この身に触れられるのは、一人だけだと。
●
ダンスも中盤に差し掛かり、一度、演奏の交替へと差し掛かる。
流石に淳紅も歌い疲れて喉を休ませているし、弾む胸の儘に弾き歌うRehniは腕を休めている。
だが、即座の交替にはならない。準備もある。そして何より、第二パートの主役であるヴァイオリストが、ジト目で知り合いを見ていた。
「こんなに人が多いとは思いませんでした……」
「そうですね」
応えるのは随伴者である安瀬地 治翠(
jb5992)。ダークスーツを着込んだ彼はピアノの前に座ると、柳に風と時入 雪人(
jb5998)の視線を受け止めている。
そしてそのジト目が可愛いのか面白いのか、笑いだす治翠。
「……ハル、何笑ってるのさ」
「ん? 幸せのお裾分けというのがとても素晴らしいと思って、そういう場所に雪人さんが出てくれたのが嬉しいんですよ」
「…………」
納得いかないと、雪人がジト目を続ける。が、埒があかないとヴァイオリンの弦の音色を確かめる。
ただ、ふと。弦が震えたその瞬間に、雪人は思ったから。
泡のように浮かんで、けれど消えない危惧。
「これだけ人が多いんだから、ハルも此処で彼女でも見つけてくれば?」
そうすれば、ヴァイオリンを弾く背に向けられる、治翠の心配の眼差しも減るだろう。それが苦ではない。雪人にとっては嬉しい、のかもしれない。
でもこうしてずっと付きっきりでは、まるで雪人が治翠を束縛して締め付けて、自由を奪っている気がするのだ。
縛って奪って。そんなの嫌なのだ。
脚を引く影でありたくない。
唯一敬語を使わない、対等だと思える相手だからこそ。
「……お気遣い有難う御座います。でも、雪人さんはそんな難しい顏をしなくて良いですよ」
雪人は治翠にとってわかりやすい。決して彼に、自分は縛られているのではないと確信を持って応える。
半分だけ嘘を交えて。本音だけを言えば、きっと雪人の重荷になる。そんなのは嫌なのだ。
だから誤魔化しに、よく解らないだろう喩えを混ぜた。
「此処は幸せのお裾分けの場。私と雪人さんが奏でた分だけ、より幸せな人が増えて、私達にもそれが返ってくる――まるで鏡合わせの夜な気がするんです」
そしてぽろん、と零れたピアノの音。始めましょうと。
「演奏が終わったら新郎新婦にお祝いとお礼を良いにいきましょう。そういう、幸せの場ですよ。……ほら、難しい顏をしないで、雪人さん」
「ん、いや」
そこで高く響くヴァイオリン。ソナタと聞き違える程の高い音色の連続に、場が一瞬気圧された。
それは雪人の覚悟の証。
だから、それをやはり比喩混じりに口にするのだ。
「久しぶりの一緒の演奏だね。昔はよく一緒にレッスンしていたけれど」
その言葉と共に、一旦、弦の動きを止める雪人。
「懐かしくて、けれど戻れない。だからね、俺が今度は先導するよ。ついて来て」
「ええ、出来るのなら」
嘘ばかりの会話。でも、それだけで終わりたくない。
擦れ違う感情。けれど、確かに噛み合った想いは、一つのメロディとなる。
それは静かなクラッシク。夜を飾る、静かなる音色は儚い硝子を撫でる指先のように、優しく流れて行く。
決して――傷つけたくない。
●
そんな不器用で、けれど余りにも優しい音色に手を取り合う二人の少女。
周囲に魅せ付けるように、華やかな白と赤の華が舞う。
ドレスを翻し、リズムを合わせ、狂いなく。それこそ互いの呼吸さえ知っているのだと、中央を飾る少女二人。
踊っていた人達も、その動きに思わず見惚れる。
美しいだけではない。共に知り尽くした動きの癖、流れやリズム。それらを完全に合わせた、二つで一つ。
白が旋回すれば、赤か引き寄せる。
赤が舞えば、白が支える。
二人の少女は、身も心も一つであるように、洗練された美を魅せた。
或いは――心の繋がりを、そのまま舞踏へと顕して。
純白のドレスに身を包むのは里条 楓奈(
jb4066)だ。アイコンタクトのみで、次に移動するスペースや動きの流れを伝え、優雅な動きを見せる。
赤いドレスを纏ったのは紅織 史(
jb5575)。何時もは冷静な表情を少しだけ綻ばせて、優しくて静かな音楽に身を任せる。
中学時代からの友達だった。唯一無二の親友なのだ。
これくらい出来て当然。そう信じているし、信じられている事が何よりも嬉しい。
「もっと、一緒に踊って頂けますか?」
曲の途切れる合間に、紅織が囁いた。
既に手は取っている。これは儀式めいたもの。或いは宣言。
視線が触れあって離れない。断る筈はない。脚が砕け、手が折れても放さない。
「勿論」
少しだけ甘えるように。その言葉を待っていたのだと、微笑む楓奈。待つのは少女の特権で、夢でもある。
視線を受ける中、楓奈は呟く。
「皆に私とアヤが深い仲だと知って貰えたら……嬉しいな」
それこそ、二人は絶対だと知って欲しくて。
決して断てない絆が二人にはあるのだと、鼓動が訴えているのだ。
「ん、そうだね。互いに大事に想ってるってこと、皆にも解るように踊ろう」
そう言って再開される舞踏。魂を斬り裂かれても止まりはしない。終わらせはしない。
楓奈と紅織が飽きるまで、いや、飽き足りても決して終わらないだろう、契るような舞。
全ては二人次第。
「そういえば、月が綺麗ですね、という言葉の意味を知っている?」
紅織は、楓奈が甘えるように身を預けた瞬間に、さらりと囁いた。
「ある作家がさ、『I love you』をそう訳したんだよ」
見つめて、微笑んで、囁く紅織。楓奈にだけ届くように。
そういう意味だったのかと、頬を真っ赤に染めて、寄り添うように踊る楓奈。
余りにも嬉しくて、呼吸が乱れる。ステップがずれる。それを合わせて、リードする紅織。
月は銀色。頼りなく、空に浮かぶ。
でも、ある作家は言った。
いや、綴ったのか。毎夜ごとに形を変える不埒モノが月なのだと。
故に誓うならば己の胸に。愛を誓うなら、自分の愛にと。
その真意は解らない。色んな解釈があるだろう。
私が好きな貴方の心を信じていると、裏切らないと解っていると、そう言いたかったのであれば、とても危うくて綺麗。
壊れそうな程に、優しい祈り。
そしてそんな想いに包まれ、伝わって細波のように揺れる会場を眺めるのはミズカ・カゲツ(
jb5543)だ。
はぐれ悪魔である彼女にとっては、こういう舞踏会が珍しいのだろう。
興味深そうに、銀色の耳が揺れている。月と同じ色のそれが、色んな言葉を捉えようと。
光とてそう。月と星と、キャンドルライト。絞った灯りの中、幻想的に揺れて流れる光景。
こういうものが人の知るものだろうか。人の魂が、これらを作ったのだろうか。興味深くて、やはり目を奪われる。
「ふむ。会場は綺麗ですし、皆楽しそうですね。他の人の幸せを願って開いたと伺っていますが、そう言った願いが有ってこそ、なのでしょうね」
そういうミヅカの着飾ったドレスは和風のドレス。白いマーメイドドレスに近いのだが、帯のような飾りと、薄い青の紫陽花紋が刷られている。
何処か和風の色の強いミヅカにと勧められたのだろう。実際、生地は薄手で、ラフなパーティー用のものである。
「儚くて、綺麗です。……そうですね、えぇ、折角の機会です。私も楽しむとしましょう」
そういってミヅカが近づいた先にいたのは姫路 鞠萌(
jb5724)だ。
ミヅカの黒い切れ目の瞳が、一人迷子になっている彼女を見つけて声を掛けた。
そして、連なる。浮いている人は独りもいないようにと、誰かを求める人は、次第に集まっていく。
「どうしたのです、一人で?」
姫路の視線の先にいた地堂 光(
jb4992)。慣れない礼服を着込んだのが何か違和感があるのか、顏を歪ませていた少年へと、ミヅカが語りかける。
「いや、なんか……落ち着かなくて」
場違いではないだろうか。来ては見たけれど、怪我をしている。いや、そうでなくとも賑やかな場所など苦手なのが光だ。
軽食を取りながら外を眺めていた光が、知り合いである姫路へと視線を向ける。
「姫路は、どうだ?」
知り合いである彼女がいなければ、光も対応しなかっただろう。
ぷっきらぼうで喧嘩に明け暮れていた日々。それが学園に来て色々変わった。
仲間が良いと、そう思ったのはあいつのせいだろうか。少しでも声を掛けてみようかと思ったのは、誰のせいだろうか。
少なくとも、流れるこのダンスホールの空気は優しい。
少しだけ努力をしようとした、所に。
「あら、殿方がお一人ですの?」
そう声がかけられる。
振り返ればそこにいたのは、黒いパーティードレスに身を包んだシェリア・ロウ・ド・ロンド(
jb3671)だ。
優雅に、そして何処か気品めいた一礼をするシェリア。殿方、というのには光は若いが、社交界で身に付けた礼儀の一つに、人は歳で判断するものではないとある。
故にとスカートの端を摘まんで、優雅な動作を取る。それは誘いの仕草。
「一人では寂しいものですわ。一曲、如何ですか?」
ダンスパーティーで踊らないというのも失礼だとシェリアは貴族として思う。
だからこそ、凛とした佇まいに、光の方が圧倒された。どうすれば良いのだろうと迷った挙句、手を伸ばそうとした時、再び声が掛けられる。
「あら、光。壁の花から変わったのね」
それは丁度、光を探していたグレイシア・明守華=ピークス(
jb5092)の声。
光がライバルと認識している相手である明守華の登場で、光の目が険しくなる。が、それを微笑ましいように眺めるミヅカとシェリア。
「これはこれは」
「まだお若いですが、しっかりとした殿方候補、という事でしょうか?」
それに対して息を飲む二人。僅かな歳の差だろうが、その差が大きい年頃でもある。
「い、いやね。壁の花と化している光に、男としてのエスコートの練習相手になってあげようと」
「誰が明守華と……」
ぼやくように呟いた光を見逃さず、明守華が光の足を蹴る。
痛みに呻いた瞬間、くすくすと周囲の女性が笑う。光はまだ、集った少女達は怖いという事を知らないのかもしれない。
「ですが、先に申し込んだのは私ですわ。……申し訳ありませんが、こちらの方と一曲は先に踊らせて頂いて良いかしら?」
シェリアはカジュアルなオレンジのワンピースを着込んだ明守華を見る。
きっと、元々踊るつもりで来たのだろう。それは自分も同じ。中々相手が見つからずに心苦しかったのだが、丁度良いかもしれない。
この光という少年に、少しでも恥をかかせない為に、少しのレッスンを。たった一曲で伝えられるものは限られているだろうが、エスコート出来なければ、悔しさや後悔が残るかもしれない。
「別に良い、けれどさ」
反論に何か言い掛けた光を抑えて、明守華が口にした。
「星が輝く下での舞踏会、ジュノームーンの祝福が皆に振舞えたら良いわよね」
「全くですわね」
そうして、気品さに押されて、手を引かれて連れていかれる光。
ある意味、被害者のように見えるが、彼はこれからなのだ。友達を作るなら、色んな人と触れあわないといけなくて。
振り返った先、ライバルである明守華は、けれど無邪気に微笑んでいた。
「まあこれからも宜しくよ」
或いは、新しい太陽かもしれない少女達の、笑顔。
花嫁に憧れる年頃。まだまだ早いと、自分を諌めながら。
けれど、あの作った虹の栞に込めた想いは本物。幼いとか歳とか、関係ない。
ずっと夜天は、月と星で見ていた。
キャンドルライトは交換され、星もだいぶ動いていた。
時は過ぎる。止まらない。美しく、儚いもの。
たった一瞬とて、夢も幻想も現実も、止まってはくれないのだ。
――だからこそ、全てが愛おしい。
●
眺めたスマートフォン。時刻は、もうシンデレラならば帰る時間。
終わりの鐘の響かない舞踏会。疲れたものは帰っていくが、それは少数だ。
場の雰囲気に呑まれ、皆が踊っている。幸せに触れて、笑っている。
「……来れないなら、しょうがないか」
スマホをもう一度確認。苦笑してポーチに仕舞う草薙 胡桃(
ja2617)。
一緒に来る筈だった彼が急遽来れなくなった。それは残念で、けれど、結婚式は女の子の憧れだ。
寂しい顏で濁らせたくないと、『だいじょぶ、だいじょぶ』と繰り返して、微笑みを作る。よし、大丈夫、顏は強張っていないと安堵した。
けれど、そのポーチの中から手鏡を取り出す。どうしても気になってしまうのが一つあるのだ。
それは顏ではなく、着込んだドレスの事。薄桃色のアンティークドレス。似た色彩の少し癖のある髪の毛とあいまって、人形のように見える。可憐だと言って言いだろう。
が、それがどうしても草薙にはある事を刺している気がしたのだ。
「……馬子にも衣装……」
逆に服に着られている。そんな気がするのだ。
そうではないと、笑い飛ばしてくれる彼がいないのが心寂しいのかもしれなくて――
「ね、どうしたの?」
そんな明るい女性の声に、草薙は驚いた。
思わず取り落としそうになった手鏡をポーチに戻して振り返れば、そこにいたのは、鈴蘭の花嫁。
「あ……美鈴さん」
「ごめんね。一人で寂しそうだったから、つい」
そういった笑う顏は確かに太陽のようだった。瞳に明るい感情が浮かんでいる。
作る表情も柔らかで、幸せの真っただ中にいるのだと理解した。いや、もしかしたら元からこういう人だからこそ、かねしれなくて。
そして着飾ったウェディングドレスは本当に夢のよう。レースは繊細。透けるように薄い布。光を受けて、白とも銀とも取れる色合いに輝いている。
美鈴の周囲だけ、少しだけ明度が上がった気さえした。
そんな幸福そうな人だからこそ……渡したかった。
慌てて探り、取り出す折り畳んだメッセージカード。どうしても、どうしても、手渡したかったのだ。
「あの、えと……。沢山の幸せが訪れますように!」
彼と一緒に来る事は出来なかった。
でも、手書きのイラストを添えたこのメッセージカードは、直接渡したい。
幸せのお裾分けなんて考える人が、どう思い、どんな表情を浮かべ、何を言うのだろう。
自分だけではなく、後を歩む後輩達にも幸せになって欲しいと願う女性には。
『ご結婚おめでとうございます♪
これからのお2人に、沢山の幸せが降り積もりますように』
拙いかもしれない。
でも、これが草薙の本音。
そんな子供のような、衣装に着られてしまう気がしている草薙の言葉は。
「――有難う。貴女の道往く先にも、沢山の幸せがありますように」
本当に明るい笑顔で応じられ、優しく髪の毛を撫でられる。
「今宵は一人だったかもしれないわね。でも、夜が明ければ、貴女の待ち人と逢えるかもしれない。その時に、そのドレス姿は見せてあげて。凄く、似合っているから」
開けない夜はない。
醒めない夢はない。
そして、一人きりの暗闇とて晴れて、未来と明日が来る。
それを信じてと。
「ブーケトス、楽しみにして、います」
少しの緊張と共に、草薙は告げる。それこそ、未来を手にしたくて、祈るように。
そして、一人の少年が花婿と離れた美鈴へと寄る。
礼服に身を包んだ姿は礼儀正しさそのもの。そして愚直に、何処までも走り抜けている撃退士の姿だった。
久遠 仁刀(
ja2464)。生傷が絶えない、何処までも一途な少年。
「ご結婚、おめでとうございます」
胸に広がった苦さを押し殺して、祝辞を送る。
花嫁に戦いの痕なんて似合わない。花に剣は不要。笑顔であければ良いのに。
けれど、久遠の胸に広がるのは複雑な想い。どうしても、一つにまとまり切らないのだ。
結婚を機に撃退士を辞めるという美鈴――それは新郎への配慮だろうか。だとすれば、戦いにばかり赴いて危険に挑み続ける久遠は、こうなれないのかもしれないと。
視線を落せば、プレゼントで送られた黒い腕時計。
幸せの、ひとかけら。
何故か胸が熱くなった。
「貴女は、幸せに、なるんですよね?」
「うん、そうだよ。撃退士を辞める必要は本当はないし、彼は反対したけれど……私は普通の人として、彼の傍に、横で一緒に歩きたい」
まるで久遠の悩みを見透かしたような言葉。明るい笑顔の儘、続ける美鈴。
「でもね、君は君の儘で良いよ。無茶をする男の子の背中を見るのは、胸が凄く痛いけど」
ああ、やっぱりかと苦笑を漏らした久遠へ、けれど、美鈴は一輪の鈴蘭を彼の胸ポケットへと刺した。
「それでも、幸せのカタチは一つじゃない。君は戦い続けるんだろうね。でも、君なりの幸せを見つけてね? 私からは先輩風した言葉しか送れないけれど」
そういって言葉を区切る。久遠の真っ直ぐな、自分自身を傷つけてしまうような透き通った眼を見つめた美鈴。
「命を張って良い。戦って良いよ。でも、その戦いの間に、その腕時計の子にこの鈴蘭を渡してあげて? 戦いの中で、彼女の笑った顏だけは忘れないであげて?」
「……忘れる訳、ありません」
「うん。忘れないで。忘れない限り、絶対、君は幸せになれると信じている。だから、戦いの合間に笑う事を忘れないで」
約束を果たしてくれた、青春時代の友達に似ている気もするからこそ美鈴は口にする。
「戦い続けます。辞められないから」
何処までも真っ直ぐに、自分が傷つく事を厭わぬと。
「その変わり、俺達が戦って、守る力になる変わり……それに相応しいといったら可笑しいですけれど、守れてよかった、守り続けたいと思う位に」
ああ、と笑った。成程、もしかしたら。
「……貴女も幸せになって下さい。俺達が護り続ける日々が幸せで大切なものだと、実感できる位に」
他人が幸せだと、自分も幸せ。
巡り巡って、幸せを分ける。溢れる程に送られたら、それを少しでも人に分けたい。
幸せは、周りの人が幸せで、初めて実感できるから。久遠ももしかしたら、他人や大切な人の笑顔を見る為に戦うのかもしれない。
それは優しい夢物語。誰かの幸せが、自分の幸せ。
とても悲しい夢物語。誰かの為に傷ついて、それでも構わない意地っ張り。
ただ、太陽と云われた美鈴は笑った。
それで正しいのだと、告げるように。
「有難う」
ただ、その事に全ては尽きた。
黒いスーツに白いシャツ。
獰猛な獣のような、それでいて敬意を宿した瞳で美鈴を見つめる少年。
赤坂白秋(
ja7030)だ。シャンパングラスを片手に近づき、語りかける言葉を探す。余りにも多くて、胸からどれを取り出せばいいか解らない。
だからまずはシニカルに笑う。そして、冗談のように、そして何処までも真摯に告げた。
自分らしく、赤坂は迷って、自分を見失うような男ではない。解らなくて立ち止まるなら、まずは笑い飛ばして先を作れ。
「世界はまたもや大きな損失を被ったようだな、これほどの美人さんが、誰か一人のものになっちまうんだから――おめでとう」
キザな台詞と共に笑って差し出すグラス。それに、年下に言われるなんてね、と応える美鈴。
「まあ、歳下だから、青春謳歌しているからと思ってくれ。すげえと思うんだ、俺は」
赤坂の声もまた熱を帯びている。
ホールを見れば、飽きる事も疲れる事も知らず、踊り続ける舞踏会。
夜が終わるまで。いや、終ったとしても胸に残したい鮮明な記憶として。
「これだけの奴らが、世界という大海原から、或いは大砂漠の中から一粒の、たった一つの自分の宝石を見つけてのけたんだ」
「あら、あなたは見つけられないの?」
「……ああ。見つける余裕なんてねえよ。だからすげえんだ、皆は」
踊り、舞い、歌って奏でる。
共にある者の笑みを見て幸せを憶え、けれど、明日にはともすれば戦いへと赴く。
「明日死ぬかもしれねえな」
「……………」
「戦う毎日で、日々、命が失われている」
だが、だがと熱が籠る。
赤坂のそれは羨望であり、焦燥であり、けれど尊き理想を見る憧れだった。
憧憬に燃える瞳。尊敬を持って、言葉を形作る。
「愛する奴を見つけて、見続ける、こいつらを俺は尊敬する。そして、それが失われない為に……!」
そこまで言って、一気にグラスを煽る赤坂。きっと何時もの彼なら言わないだろう。想いの溢れた幻想の舞踏会。星の煌めきの中だから、夢と現が解らなくなって、心の本心が曝け出す。
はっと、醒めたように笑う。何時ものようにシニカルに。
何時までも現実は待ってくれないのだから――
「……変な事言って、悪いな。ただ見つかったんだ」
「この幸せの広がって踊る光景を」
「忘れないように噛み締めたい。そして、言ってやりたい」
ああ、きっと届かない。声を大にしても届かないだろう。
失うな。零すな。この日常の雫は、余りにも尊いのだ。
守りたい。差し伸べたい。一人では余りにも辛く、弱いのだから。
「おめでとう、ってな」
空になったグラスをテーブルに置いて、去ろうとする。ただ、一言だけを、やはり残して。
「お幸せに、美鈴先輩。……手にした愛を、放さないでくれ」
そして決して失わせない。壊さなせない。
月を見上げる、狼のような赤坂の笑み。視線の先の天に坐す者達も、闇に住まう魔達も、皆全て打ち抜く。
「此処に、お前らが奪える輝きは一つもねえ」
誓う。約束する。
この魂燃え尽きるまで、大切なダレかを持つ者を、赤坂は喪失に嘆かせない。
そして、まるで昔の美鈴のように、仲のよい学生がそこにいた。
「お?そんなドレスもっていたっけ?」
そう驚きの声を上げたのは如月 敦志(
ja0941)だ。
恋人である栗原 ひなこ(
ja3001)が着込んでいるドレスとハイヒールに、目を奪われていた。
「これ? 千尋ちゃんが貸してくれたんだー」
そう応えつつ、喜ぶように周囲をくるりと回る栗原。ただドレスに身を包んだだけではなく、かなり凝ったメイクでまるでお姫様のような姿だ。
これで胸を高鳴らせない筈がない。僅かに視線を横へと移し、如月は頬を掻く。
「うんうん、本当にお人形さんみたい。ドレスアップを頑張って甲斐があったよ」
栗原の隣、藤咲千尋(
ja8564)もうんうんとドレス姿で頷く。が、慣れないハイヒールだ。バランスを崩して転倒仕掛けた所へ、腕が伸びた。
「大丈夫、ですかー?」
ほのぼのした声は櫟 諏訪(
ja1215)のものだ。が、転びかけた千尋を支える腕は確かな男性のもの。
ホワイトタキシードを着込み、にこにこと穏やかな笑みを浮かべている恋人に、千尋も笑いかける。
「お姫様だとしても、少しお転婆ですねー。そこも可愛いですけれどねー」
「ははっ。嬉しいな。わたしから見たら、すわくんは何だか王子様みたいだけれどね!」
転んでもすぐに助けてくれる。そんな人。
安心できる腕の中でずっといたいけれど、そうもいかない。
けれど、まずはと如月が礼を述べる。ドレスで綺麗に着飾った栗原は、何時でも見れる訳じゃないから。
「なるほど、有難う千尋さん。この綺麗な夜に千尋さんと諏訪君にも沢山の幸せが訪れますように」
そいって、備えられていた花瓶から鈴蘭を抜き取ろうととして、けれど如月は辞めた。
一輪ずつ渡すのも良い。お礼として渡しても大丈夫。自分も関わったものだ。
でも、本当にこの鈴蘭を渡したいのは、今、誰だろう。
「そうだね。幸せな花嫁に逢いにいこう」
幸せを届けられて、そしてそれを皆に分けたくてこの場が用意された。
なら、手渡したいのは、誰?
「沢山の想いと、記憶と、花の集まる場所へ、ですねー」
そうして見た先、美鈴が微笑んでいる。
太陽といった。そして約束された、花嫁へ。
かつての自分達を思わせる如月と、栗原と、千尋と諏訪が向かう。
確かな足取りにを映す美鈴の瞳は、けれど何故か揺れていた。昔を懐かしむように。或いは、とても眩しい気持ちに包まれたように。
「よい夜ですね。こんばんわ」
最初に言葉を発したのは如月だ。何故か僅かな動揺を見せる美鈴へと、語りかける。
「依頼ではありましたが、城介さんと一緒に鈴蘭を探させてい頂きました」
「そう。彼、何時も引き籠ってばっかりだったから、大変だっでしょう? ごめんね、友達が困らせてしまって」
少しだけ、引き攣るように笑みを浮かべる美鈴。
泣きそうなのだと、判った。城介の名が出た瞬間、瞳が大きく揺れたのだ。
――約束だよ、
「幸せのおすそ分けの輪が広がってくのは素敵なことですよねー?」
「ううん。本当に素敵なのは――幸せを祈って、花を送る。そんな約束をずっと守ってくれる、友達よ?」
一瞬の静寂。紡ぐのは美鈴。
「まるで貴方達みたいに。輪は自然と、広がるもの。私はただ、それを見たかっただけ。我儘だもの」
くすりと笑う頬に、小さく涙の雫。
昔を思い出しているのだろう。昔、この学園で歩いてきた、仲間達。
栗原達は似ている。千尋達を見ると思いだす。青春時代、真っ先を走っていった、あの頃を。
若くてどうしようもない、けれどきっと何度でも繰り返す、楽しかった頃。
「ちゃんと鈴蘭、届いたんですね。良かった……」
弾んでだしたつもりの千尋の声が、少しだけ切なさを帯びた。
叶わなかった初恋の相手へ贈る、花に込められた想い。それを思うと、じわりと胸にしみる何があった。
思わず諏訪の手を握る。叶わなかった恋と、今、結ばれている恋人。複雑な、痛み。
「直接逢うのは初めてだけど、関わった大切な人から色々聞いてます。美鈴さん本人から、色々聞きたいです」
そう言う栗原。本音だ。だって、余りにも素敵だから。
幸せは伝染するのだろうか。ううん、その言い方は美しくない。
歌のように響いて人の胸に染み渡り、共鳴していく。受け取ったフレーズが、次の人の心を弾ませる。
或いは染めていく、優しい光のように。
「まるで、人の声そのものなんですよね。形がなくても、次の人へ次の人へと伝わって、消えないんですよね」
栗原は思う。感じた儘に声にする。
「そうね」
涙声で、美鈴は応じた。
「鈴蘭は枯れても、約束を守ってくれた彼らの事は忘れない。想いは消えない。色褪せない。欠片一つだって、消したくない」
幸せだから泣いている。
祝福のあまりに、泣いている太陽。
沢山の人にもっと幸せになって欲しいのだろう。溢れる程の幸福を憶えて、だからこそみんなに分けたい。
「……そんな美鈴さんは、きっと幸せになれるって信じてます!」
「……有難う」
そう応える声はやはり上擦っている。涙は止まった。
でも、やはり嬉しくて、心が震えて、止まらないのだろう。
「少しだけ、昔話をしましょうか?」
ブーケトスまでの短い時間。
この花を届けてくれた人達の少年時代。失敗話や、楽しかった事。
学園で過ごした日々。語れば語る程、美鈴の瞳はきらきらと輝いた。
太陽と云われた花嫁。そうだ。涙で雲るなんて似合わない。この鈴蘭には、きっと笑っていて欲しいという願いが込められているのだと、諏訪は思った。
でも、それは簡単な事ではない。
仲間との大切な思い出を積み重ねて、掛け替えのない絆を。途切れないそれを。
贈り物は形を失っても胸に。もっと幸せになっていくだろう美鈴を見て、一緒にいる恋人である千尋と、ああなれたらいいのにと、諏訪は思うのだ。
その為に、今を大切にしないといけない。
これは用意してくれた夢物語。わざわざ夜のダンスパーティー。月と星が見える理由を、なんとなくわかった。
――今は夜。
「明日が、来るんですねー」
――明日を歩くのは、君達。
「明日、もっと幸せになって欲しいんですねー」
――うん、そこまで解れば……きっと大切な人を幸せに出来るよ?
「凄く先の未来かもですけれど、未来に、幸せのお裾分けが出来たらなーって思いしまたよー」
だから、そう。
「ご結婚、おめでとうございますー」
「ええ。沢山の人に愛される美鈴さんがどのような方かと思っていましたが、会ってよくわかりました。俺も城介さん同様、彼方の幸せを心から祈っています」
明日、朝日と共にこの舞踏会は消えてしまう。
でも、夢幻ではないと、その胸に刻んで欲しい。
わざと硝子の天蓋にしたのは、何も数多の星輝と月の為じゃない。
それは、もう少し後のお楽しみ。
ブーケトスにと、二階へと昇る花嫁。
美鈴は、その白い鈴蘭を抱きかかえる。余りにも沢山の友人が送ってくれたせいで、抱えないと持ち切れない程沢山の鈴蘭があるのだ。
「限度って、あるのにね?」
紙袋に僅かに細工を施して――そしてブーケトスだと、声が上がった瞬間。
まだまだだと、最後の演奏が奏でられる。
淳紅は怪我をした身が激痛を訴えても歌うのを辞めない。
だって、この祝福の歌を送りたい。全身全霊で、彼女を祝い、道としたいのだ。
歌は祈り。祈りは願い。どうか、道を開けと。
だとしたら、共にあるRehniとて同じだ。パートナーの無理を支えるように、弾むピアノの演奏。
盛り上げて。
決して色褪せない、煌びやかな夢を。
星の一つ一つに覚えさせて、月に誓わせる。
――この人『達』を幸せにしてと。
故に、雪人のヴァイオリンは気高く音色を告げる。掻き鳴らされる想いの強さと清冽さに、皆の肌が震えた。
そして、治翠は決してそのヴァイオリンが孤立しないように、寄り添うように弾くのだ。決して一人にはしない。音も支えるし、想いも支える。何時か、一人で立てるまで。
或いは、そう。
誰しも一人では寂しいから。
約束で結び、笑顔で繋がり、声で歌おう。
次に幸せを得るのは誰、ではない。皆なのだと。
「さあ、硝子の天蓋の意味が分かった人は、いるかしら?」
そして投げられるブーケトス。
だが、そのテープは切られていた。
空中で舞い散る大量の鈴蘭。
白い花が空中で揺れる。星の光と、僅かな白光に照らされて、ひらひらと舞う。
数えきれない。それ程の想いと、数と、約束と記憶。贈られた数がこんなに多くなければ、皆が手伝ってくれなければ全員に行き渡る程の数は産まれなかった。
注ぐ月光の変わり、ぱさりと音を立てて落ちる。伸ばす手。伸びる腕。
幸せを求めたのではない。ただ、降って来たから思わず伸ばしてしまったのだ。誰だって、綺麗なものが好きだ。
ブーケトスに興味があったものは、全員分への『鈴蘭という幸福のお裾分け』に笑い、独りで来たものも手にして、好きな人に渡したくなったかもしれない。
誰か一人で良い。
沢山は要らない。
たった一人の為に、愛の花を。
「ね、見て。皆」
だから美鈴は撃退士を辞めるのだ。
たった一人で良い。その一人を、この広い世界で見つけたから。
「空を見て」
そして口にする、太陽と云われた少女が、笑う。
「これは」
「なんつーか、また」
何故気付かなかったのだろう。
久遠が口を開き、赤坂が笑う。全く、どうしてと。
硝子の天蓋、その東から、刺し込む純白の光――朝日の曙光。
夜は明けた。そして、光の道が皆の前に照らし出された。
太陽は昇ったのだ。楽しき夢の舞踏は終りを告げ、代わりに明日への、いや、今日への道が開かれた。
それを背に、花嫁は笑う。
「ね、次に私の後に続いて、朝日に愛を歌うのは、誰かしら?」
夜の星と月は綺麗で幻想的。
でも、優しい朝日の中、共に、傍にいれる温もりを。
星輝より、曙光を。
今より、もっと幸せな明日を。
皆の手の中で、幸せを求めるように鈴蘭が揺れた。
求めれば、きっと誰もが手に入る。そんな日々を、作る為に。