●
――これは義務だ。
何の為に己は在る。この槍を手繰る武を磨き続けた理由は。
愚問だ。言葉にするまでもない。天魔によって脅かされる者を護り、狂った刃を打ち払う為に大炊御門 菫(
ja0436)は此処にいる。
この世界は、人のものだ。菫が握り締めた管槍の穂先に、曇りなどない。
「――まるでギリギリの綱渡りだね」
緊張感を覚え、けれど臆す訳にはいかないと桐原 雅(
ja1822)は一歩踏み絞める。
氷った大地。荒い布を巻いて滑り止めにしている為、足場で苦しむことはないだろう。ただ、桐原達の肩に掛かった命は、簡単に転んで死という暗闇に吸い込まれるだろう。
此処は死の大地。全て凍結した、美麗にして無慈悲なる天界の現れ。
人の命など容易く果てる。意に介さない。
不浄なるもの、全て消え去れと夏の日差しに輝く氷花が謳っていた。
「美しい、時よ、止まれ……」
息を飲む程美しいのは確か。天の眷属が作り出した、永遠たる調和の取れた凍結世界。
そう感じるエリアス・ロプコヴィッツ(
ja8792)は、故に目を細めた。人の手に届かぬ領域が此処にある。
が、所詮はこの世に非ざる世界。いずれ汚され、砕け散る。ならば、そう、いっそ。
「僕の手で壊して砕いて、白き氷花を散らそう。散り際にこそ美しく、時が止まって欲しいと願うのだから」
この手に欲しい美がある。故に求めて破壊するのだとエリアスは呟いた。
「氷の刀に、氷花の夏椿ね〜。中々趣味が良いじゃない、風流で……けどね」
すらりと直刀を引き抜き、八相に構えたのは雀原 麦子(
ja1553)だ。
「楽しんでいられないから、さっと片づけてちゃおうか♪」
余裕と笑みは忘れず、けれど瞳の奥に白刃の鋭さを宿す剣士。その先で佇む氷刀のエインフェリア、その実力へと期待を寄せるように。
「確認した限りでは、隠れられそうな場所は八か所程……全部は回れないわね。全く、厄介な」
闘志を高める二人に対して、柔らかな髪の毛を払って不満を漏らしたのは巫 聖羅(
ja3916)だ。
先に庭園の見取り図を申請し、隠れる事の出来そうな場所を探したのだが、多すぎる。猫のような大きな瞳を不満げに揺らし、けれど、と呟いた。
「全員、助けてあげるわ」
「……ああ、速く全員を助けてやりたいものだな」
同意したのは強羅 龍仁(
ja8161)だ。最も抵抗力の低い時入 雪人(
jb5998)に聖なる刻印で呪詛などへの抵抗力を上げさせる。
全員を無事で。子供が中にいると聞いてから、強羅の表情は厳しい。
助けたい。護りたい。幼子が何の罪を犯したというのだ?
「凍った華、綺麗だね」
そう呟いたのは時入だった。が、その言葉と反面に、氷結した夏椿の枝を掴むと、そのまま砕いて圧し折る。
流れる視線。
「でも、場違いだよ。此処は君の居て良い世界じゃない。君にあげられる場所なんて、ない」
夏に氷など不要。
少女と見紛うような貌に、僅かな翳りを宿して時入の視線。
「……さあ、行こう」
闇の翼を展開したケイオス・フィーニクス(
jb2664)の準備も整い、桐原が口にした。
氷翼の作った、閉じて凍えた楽園へと脚を踏み入れる。
一歩目は確かに踏みしめた。
二歩、三歩と仲間と速度を合わせて加速していく。
そして疾走――氷翼のエインフェリアがふと、その視線を向けた。
静かな、まるで氷のような瞳の奥に湧き上ったのは、余りにも透明で冷たい殺意。
●
「……っ…!」
身を貫く殺意の視線を向けられた菫。
霞の如く、薄く放出して広がらせた戦気に引き寄せられ、氷翼はその身を動かす。
構えられた氷の太刀。翼がはためいて高速で飛翔する。異常な速度で間合いを詰められた事より、冴え冴えとした殺意の塊にこそ脅威を憶えた。
迷いなどない。見たから殺す。そんな透明たる刺突が風を切り裂く。
「舐めるな……っ…!」
氷刃を前に靄が防壁となって菫を守護する。まるでそれは氷を解かすべく産まれた炎の如く赤く発光し、互いに光を弾いて煌めいた。
が、受けきれずに肩へと突き刺さる氷刃。その勢いで菫が後方へと弾き飛ばされた。
直後、氷刀が閃いて剣戟の音を奏でる。余りにも澄んだ音はまるで風鈴のようで。
「……凄い、じゃない。やるぅ♪」
牽制とはいえ、側面から放った刃を弾かれた事に笑みを浮かべる雀原。
攻撃の直後。それも隙の多い刺突だった。だというのに、このエインフェリアは対応したのだ。
強敵と触れあった雀原の刀身が震え、刃鳴りを起こす。静かに、けれど高揚していく精神。解放していた闘気は鎬を削る相手を見つけて、より燃え上がる。
それは側面へと回り込んだ桐原も同様。
「余所見なんて、させないよ」
淡々とした声と裏腹に、何処までも鋭き閃光として放たれる桐原の蹴撃。
が、白銀の足刀は突如現れた氷壁に阻まれる。粉砕してエインフェリアの胴を打ち据えるが、威力の殆どを減じていた。
けれど、それで十分だと飛翔する二つの火炎。衝撃で姿勢が揺らいだ所へと、巫が紡いだ魔炎と時入が再現した炎槍が共に翼へと着弾する。
燃え盛る炎が、氷翼と拮抗して激しく揺らぐ。
「氷と炎が激突した場合はどうなるのかしらね? ――私の炎、受けてみなさい…!」
「天界の氷だというなら、人界の炎にて溶けなさい。此処は、人の世界の摂理が支配する場」
共に氷世界の存在を許さぬと猛った炎。だが、それが一気に鎮静する。消えはしないが、あくまで小規模なものへと減少している。
巫が放った炎は純粋な魔力の抵抗によって掻き消され、時入の自然の火は氷の翼を溶かせない。天魔の摂理を変える程の力などないのだ。自然界の摂理が通用しないからこそ天魔。
「ほう……中々に美しいものだなゆっくりと愛でたいところだが、そうもいかぬか」
翼で飛翔しつつ、腕を翳すケイオス。空中から降り注ぐのは深き闇の塊。
「まずは、闇に呑まれて目を失え」
「いや、それだけでは足りんだろう」
続けたのは大鎌の柄で強く地面を叩いた強羅だ。展開されたのは封術の結界。上からは闇が降り注ぎ、下からは術を封じる為の結界が伸びる。
上下の黒と白に捉えられたエインフェリア。これで氷翼嵐は封じられ、正しく認識も出来なくなる。
事実、前衛へと復帰した菫と両サイドについた雀原、桐原を認識出来ていない。
「……認識!?」
故に、危険だと最も速く理解したのはエリアスだ。
魔術師としての感覚が危険を告げている。
「強羅さん、連続で封術を続けて下さい……こいつ、もしかして」
言いながら発動するのは時空へと干渉し、小規模な束縛結界を形成する術。氷への渇望、感動を束縛というカタチで具現化した術式だが、そこには怖れが混じっている。
身動きを制限されたエインフェリア。術の発動も儘ならない。それだけ見ればあまりにも有利過ぎる。
故に気付く。やってはいけない事をしてしまったのだと、巫も。
「……こいつ、三人で囲まれていると『認識』出来ていない?」
正しき認識力を奪われたエインフェリア。視界は闇に包まれているのだから、自分に隣接しているのが一人か二人か、三人か解らない。
故にと動く氷翼。封印の縛鎖がなくなれば、嵐が起きる。
強羅の判断は咄嗟だった。再び結界を張り直すより、敵が速く動く。そう感じたからこそ、マイクでその場に隠れる全員の一般人へ叫ぶ。
『全員、俺達から離れろ! 危険だ!』
安全を確保するつもりが、逆に危機を作った瞬間。
闇が氷欠と共に散り、封印も解ける。そして渦巻く冷気の波濤。
「止まれ……!」
「させない……っ…!」
再び巫と時入の炎球と炎槍が翼へと命中する。
僅か一瞬、燃え上がる炎は氷翼の動きを止め、魔炎は氷嵐を紡ぐ魔力を低下させる。
放たれれば冗談ではない火力だと肌で感じる。故に突き出される菫の槍、雀原の剣閃、そして桐原の高速の蹴撃。
その三つ、氷壁の楯に防がれ――翼が放つ、氷嵐世界。
●
半壊。
一撃の齎した効果を言えば、端的にそれに尽きる。
吹き荒れた極寒と氷刃の嵐はそこにいるもの全てを切り裂き、凍て付かせ、血飛沫さえ赤珠と化す。
咄嗟の呼びかけと、行動を遅延させるための攻撃の成果として、一般人はバラバラに逃げきった。
ただし、その代償は大きい。巫、時入、エリアス、ケイオスの意識が途切れかけている。
前衛である桐原、雀原、菫とて半分近くの生命力を奪われていた。魔力に耐性のある強羅は呻きながら、後衛へと癒しの光を持って傷を癒す。
多大なる効果の癒しだ。嵐によって受けた傷の大半を癒す。
だが、身体が凍えている。そして前衛のスイッチをする筈だが、耐えられる保障はない。
そして持前の生命力の高さで耐えている前衛の三人だが、この三人には範囲回復は使えない。エインフェリアを囲んでいる為、識別不可能な癒しの術を使えば相手まで回復する。下がる必要があるが、そうすれば各個撃破される可能性が出てくる。
――最もやってはいけない事をやってしまったのだ。
認識を奪うという事は正しいかもしれない。だが、誘導するのなら相手の意識や選択をあえて残すしかないのだ。それを奪った結果、強引に発動された氷翼嵐。
自分の周囲に三人以上いると認識した時のみ使う技。攻略の糸口が、逆に絶望への入り口となっている。
凍える身体で、何処までいけるか。荒い息を吐いて桐原が構え直した瞬間、煌めく刃が飛翔する。
認識と術を取り戻したエインフェリアが、翼で舞いながら送る剣閃。同時に三人を斬り捨てる非情なる刃。
「下がれ……!」
管槍で弾いて受け、引き戻される氷刀とは逆に突き出す菫の穂先。鏡面のような刃に、後退の文字は映らない。耐久力に優れる彼女が下れば、即座に戦線は壊滅する。
桐原と雀原は耐え切れないのだ。誰かが残る必要がある。
犠牲の可能性は必要だった。
桐原の変わりに前へと躍り出たエリアスは光斧を振う。
魔の刃が肩を割る。だが、その程度では止まらない。
「全く、ギリギリの戦い過ぎますよ」
此処で必要なのは狂気だった。正気ならば撤退すべき状況。それでも戦うしかない。
「ったた……手強いわね〜」
そう言って後退した雀原の背後から、杖を持った時入がエインフェリアの間合いへと踏み込む。
「俺は『虚空の観察者』……ただ、アカーシャを観測し、理解し、武器とする。故に、欠片の一片を振うものとして負けられない」
双蛇の飾りのついた杖に魔力刃を乗せ、横薙ぎに奮ってエインフリアの腹部を切り裂く時入。この世界の再現者として、異界のものには負けられないのだ。
「でも、一撃でやられていない以上、私の炎も利いているって訳ね。少し感謝して欲しいわ」
強がりを半分、元の気性を半分。忍術所から雷撃を放つ巫。
事実として符がその能力全般を減少させているからこそ、倒れるものがでなかった。そして、倒れていない以上、強羅の治癒の光が癒す。
そして動きを縛るエリアスの閉鎖空間。それに囚われてなければ、確固撃破を狙われたかもしれない。
「助けにいく、余裕はないか」
苦しげに呟く強羅の横で、最大火力を叩き込むべく術の切り替えを行っているケイオス。救助にいきたいが、此処で戦力を裂いたら全滅する。
それを示すように、再び繰り出される飛翔の氷刃。
軌道を予測して回避した時入だが、エリアスはその一撃で深く傷つき、菫に突き飛ばされて後退する。
「せめて、一撃……!」
此処まで有効打がない。歯ぎしりと共に乱れていた呼吸を整え、武気を循環させて傷を癒す菫。
途中で氷翼嵐がなければ、この攻撃だけを誘発させて余裕をもって勝てただろう。だが、過去は覆らない。
「いや、強いねー。でも、ね」
再び前に出る雀原。強羅によって最後の治癒を受けている。
次の手で回復はない。故に、此処で決まると理解していた。剣士の直感が勝負の別れ時と感じ、捨身の攻勢を選ばせた。
構えた刃は何処までも涼やかで、声は明るい。
だが。
「……負けられないのよ。年下の女の子たちが頑張っているのにね」
これ以上、傷つけさせない。
故にと刀身へと紫焔が灯る。義憤と意志を込め、苛烈なる武を顕現させるのだ。
奮うは鬼神の太刀。氷壁を先んじて産み出されたが、構わない。元より、脚技だけではなく、甲冑ごと両断する袈裟斬りこそ雀原の流派の原型。
共に剣士ならばいざ尋常に。それこそ、敵手の気さえ飲み込む程の裂帛の気迫を込めた刃が閃いた。
戦場にて、断てぬものなし。剛の斬撃が氷を砕く轟音を立てて突き抜け、天を裂く一閃がエインフェリアを袈裟に切り裂く。
「もっと剣技で競い合いたかったけれど、ね」
それは自分達の不覚でもある。何より、これ以上後輩達が傷つくのを、雀原自身が許せない。
舞い上がる大量の血液。
「どうやら、過剰な攻撃力と裏腹に、実は脆い、のかな?」
瞬間に瞬いたのは十字を描く白光。それは桐原の中段蹴りをフェイントとした、下段からの蹴り上げの目にも止まらぬ二連撃。巫と時入に連続して攻撃を加えられていた翼に、ぴきりと音を立てて罅が刻まれた。
「ああ――アンタの舞うような太刀筋、アタシはみた事があったわね」
再び雷撃を紡ぐ巫がぼそりと呟く。
覚えている。あの脅威を。光刃を奮う剣鬼の冴えを。
「――隻腕の使徒。アイツの配下、ね。どうりで強い訳だ」
故にその剣を耐えた皆は賞賛されて然るべきなのかもしれない。
――必勝こそ願う。今の状態は悔しくて、自己嫌悪に陥りそうだったから。
この場所で、神聖さに癒された人がどれだけいただろう。
氷に侵されたこの場所が、戻る事は?
疑問の変わり、宣言と稲妻を奔らせる巫。
「……アンタ達との悪縁も、そろそろ終わりにしましょう?」
その雷撃が、ついに片翼を破砕する。砕け散る翼は氷の破片。まるで鏡が砕け散ったような音と共に、煌びやかな光が舞う。
地に堕ちた翼へ、続くのは否定の言葉。
「ここはキミの居るべき場所ではない。だから、抹消します」
時入はそう告げるや否や、最後の炎槍を繰り出す。自然現象故に天氷を解かす事は出来ないが、三か所も同時に燃え続けば意識の集中が途切れる。
故に、此処にと必勝を期してケイオスが手を翳す。
そこに産まれたのは巨大なる劫火。そこより無数の炎球が空へと飛翔し、エインフェリアへと降り注ぐ。
「天の傀儡よ、何者の命令でこの場に現れたかは知らぬが貴様の役目は終わりだ」
では、ケイオス達は役目と義務を果たせたのか?
押し寄せる後悔を顕すように、空から連続して降り注ぐ火球。
「……大人しく灰燼と化せ」
全て跡形もなく消え失せろと、焔が躍る。
氷の世界に火の華が咲いた。
……氷嵐に巻き込まれた少女がいた。
その子の傷は軽微で、後遺症もないという。
だが、たった一つ意識を抜いただけで、命は失われる。
季節違いの、世界違いの仇花よりも儚く、人は死ぬ。
何時まで守れるだろう。護り失わぬ為に、どうすれば良い?