●
誘うように、雨音が続いている。
揺れる花びらは美しく、しとしと濡れていた。
一面の花畑がそこにあった。血を洗い流す冷たい雨の中で、戦風に散らされるその場が。
長剣が構えられた。斧槍が旋回する。
天界の眷属たるエインフェリアと、斬糸を手繰る使徒が走り寄る一団を見据えた。
「……さあ、来なさい」
敗北を微塵も覚えず、凍えた激情を秘めた使徒が呟いた。
手繰り寄せるは糸だけはなく、勝利の為に。
だが。
「戦の華、初陣を勝利にて飾らせて貰おう。ホホ」
視認されたと知るや否や、袖で口元を隠しつつ崇徳 橙(
jb6139)はヒリュウを召喚して笑う。
この戦いが初の実戦となる者も多い。だが、緊張よりも自分達を動かす使命感の方が強かった。
或いは自身や自負か。それとも、戦場に立てば勝利を信じて疑わぬ精神か。
「ま、初依頼だというのに随分な敵を相手にしてしまったわね」
長剣を構えるエインフェリアが五体横に並び、その後ろに斧槍を構えた三体が並ぶ。
思わず苦笑した毒島 勇輝(
jb6176)。何だこれは。戦い慣れているではないか。少なくとも、同数で戦えば負ける。
けれど、勝敗を決するのは常に最後まで立っていたものではない。
「ね、その召喚獣、少し気になるから後で見せてくれるかしら?」
アウルによって召喚された存在。毒島は橙へと興味を持ち、言葉を掛けた。
「その為には、まず勝たねば。……初陣が一番危険性が高い。それが、戦場」
雨に打たれながら、眼鏡を押し上げて紅い光輝を纏うソフィア・ジョーカー(
jb6021)。場を引き締める為の言葉は、十全にその効果を発揮する。
まずは正面で迎撃の姿勢を取るエインフェリアを相手取る。
その為、激突するような勢いで走る倉敷 織枝(
jb3583)が呟いた。
「雨、か……これが私達にとって吉なのか凶なのか、分からないわね」
降りしきり、止む気配のない雨。視界が悪い中、けれど、お互いの敵を見据え、武器を構えた。
「ゾクゾクしますわね……何でしょう、この強敵と戦う刺激的な感覚は」
百瀬 莉凛(
jb6004)が感じるのは恐怖でも、高揚でもない。どれもが混じり、判別のつかなくなってしまった感情。
ああ、いっそ事、雨に全て流されてしまえばいいのに。
「激しい触れあいは、痛いものですよ? ……それが快楽に変わると良いのですが」
激突はその直後。金属の悲鳴と、鮮血の赤を以て開幕となる。
●
機先を制したのは撃退士。
闇の翼を展開し、空へ飛翔して弓を射るのはあんこく(
jb4875)だ。
空を飛ぶ以上、地への距離は開き、その射程は失われている。だが、まずは開始となり、目印となる一矢。
「ふははは、悪魔の力を思い知るが良い!」
哄笑と共に放たれた矢は、けれど長剣にはて切り払われてエインフェリアに届かない。
だが、その一体へと意識が集まる。攻め立てるならば一点集中で穿つのが定石。
「まずは、一体。なぜ、それで終わると思ったの?」
純粋無垢に問うのはフェイリュア(
jb6126)。上空で白い翼がはためき、結晶の鞭が撓って伸びる。空中からのみならず、地を走っていた毒島か握るカレンデュラの先端からも鞭が走り、百瀬の拳銃から弾丸が放たれた。
あんこくのそれを皮切りにした四連撃。百瀬の銃弾は刀身を盾に防がれたが、残る二発は直撃する。
「所詮、全部は捌けないだろう? はははっ、では、まず貴様から死ね!」
あんこくが笑い、先制からの優勢を告げた。
半分は受けられたが、二発は直撃している。そしてその痛みで姿勢が揺らいだエインフェリアへ、雨の帳を突き破って走る二人。
「確実に、仕留めるぞ」
「抜いたからには、切り裂くのが剣であろう?」
倉敷とナーシェリル・デア(
jb5654)が手にした剣と同様の鋭さを瞳に宿して敵を見据えた。
そして繰り出される剣閃。先行した倉敷がエインフェリアの懐に入り、逆手に握る忍刀で腹部を横一文字に切り裂いて、横へと流れるように抜ける。
続いて迫るのはナーシェリルの切っ先だ。一撃離脱で抜けた倉敷の作った隙を逃さぬと、エインフェリアの喉へと向けて放たれる刺突。
受けようとするが間に合わず、喉を串刺しにした刃。其の儘、翻して頸動脈を断って仕留める。
だが、そこで動揺する敵ではなかった。頽れるエインフェリアの後方から、即座に薙ぎ払われる斧槍。仲間の安否より、敵手の撃滅を優先した攻勢だ。
長剣を抜く暇もなく、意識ごと薙ぎ払われるナーシェリル。無防備を晒した姿へ、側面に回り込んだ三体が長剣による強襲の斬撃を放つ。
雨よりも多く噴き出る血液。苦鳴は剣風に掻き消された。
膝を付く。が、それで止まらないと、二降り目の斧槍が薙ぎ払われる。
その直前。
「腕を狙うのじゃ。続けさせてはならぬ!」
空中から放たれる橙の操るヒリュウの閃光が斧槍を振おうとしたエインフェリアの腕を撃ち抜き、攻撃の軌道を逸らす。
「いきなり一人目……なんて、やらせないわよ?」
雨をロングコートで打ち払い、符を飛翔させるのは有栖川 紅子(
jb0733)だ。
全身に纏う赤い霧のようなアウルをより、強く濃く。言葉の宣言通り、トドメへと走るエインフェリアの腹部へと触れた符が炸裂し、その衝撃で追撃を止める。
「全員を助ける。その為に全力を尽すわよ――私達の誰も、欠けては駄目」
その隙にと前衛が足りないと見たフェイリュアが空から舞い降り、倉敷が膝をついたナーシェルの首元を掴み、後ろへと引き摺って戦線を立て直す。
一瞬の交差で一体が倒れ、一人が戦闘不能ギリギリに追い詰められた苛烈なる戦場の先端。
決して弱いと相手ではない。むしろ、個々の力量ではエインフェリアが僅かに上だろう。討って、討たれる戦場しか見えない。
更なるエインフェリアの長剣と斧槍が振われる。
これより、更に戦いの勢いを増すのだと宣言するように。
●
そして降りしきる土砂降りの雨の中、花畑に埋もれるように隠れるのはSpica=Virgia=Azlight(
ja8786)だ。
橙の用意した迷彩布の効果もあって、気付かれていない狙撃手。人形のようなSpicaの瞳はスコープを覗き、敵手である使徒を見据えていた。
「標的、ロック……援護、及び……殲滅、開始……」
使徒の女性へと迫る仲間に先駆け、トリガーを絞るSpica。気付かぬ使徒への、一撃目。
響き渡る銃声。肩口を撃ち抜かれ、使徒の女性が顏を歪ませる。
「……っ…」
油断はあった。が、何処からと視線を巡らせる。
だが狙撃手であるSpicaを見つける暇はない。エインフェリアへの対応を任せ、自分へと向かってくる撃退士達がいるのだ。
「狙撃手……でも、私の相手には足りないわね」
雨粒を斬り裂いて舞う斬糸。
声も底冷えする刃のよう。
「身の程を知りなさい。いえ、刻んであげましょうか?」
「はっ。よっぽど冷えて、目も曇っているみたいだな。温めて、目を覚ませてやろうか!?」
叫びと共に加速したのは御神島 夜羽(
jb5977)だ。その声に応じて振われた使徒の糸が、斬撃波を産む。
が、夜羽が見るのはそれだけではない。手や腕の動き、散らされる周囲の雨粒。完全に見切る事は出来ないが、攻撃の軌道は予測できる。
故に横へと飛ぶ。真空の刃が首筋を掠め、血が滲んだが気にしない。
初撃を避けた事実は変わらない。より加速し、間合いへと踏み込む。返しと夜羽が放った蹴撃は容易く避けられるが、続く仲間がいる。
鬼一 凰賢(
jb5988)とソフィアが後方より放つ魔術。黒いカード状の刃と紫電の矢。続け様の攻撃を避けるのは流石、使徒という事だろう。一筋縄ではいかない。
「ですが、各々が役割を果たせば、相手にならない訳ではないでしょう」
流麗なる動きで大剣を一閃させたのは秋月 奏美(
jb5657)だ。連続攻撃を回避し、動きが鈍りバランスが崩れた瞬間を狙った剣撃だ。
燃え上がるような赤い軌跡の後を追い、使徒の鮮血が舞う。使徒が反撃を送ろうとしても、秋月はしなやかに横手と流れて間合いを引き離している。
「…………」
自分を取り囲むように布陣する撃退士へと視線を向ける使徒。
雨を斬り裂いて飛翔する斬糸。この間合いに入るのは避けようという魂胆かと。馬鹿らしい。ならば一人ずつ屠るまでと、細められる目と研ぎ澄まされる敵意。
が、その間に割って入るのは声。
「使徒よ、名を聞こう!」
赤糸 冴子(
jb3809)だ。悪魔の囁きを使用した事で、己の招待を晒して殺意が向けられるのも構わず、続ける。
「何故、君は戦う。何と君は闘っている! 労働者として闘う姿勢は尊敬する。だが、方法が違うだろう! 支配者層にとって便利な駒に成り下がるもりか! それでは悪魔のヴァニタス、死体人形と変わらない!」
その赤糸の宣言に、思わず使徒が反応した。
「――紫雨よ」
凄まじい速度で走る斬糸。下らぬ事を言えば、一瞬で切り刻んで終わらせると放つ武威で示し。
「何故、何と? 感情よ、そんなの。語る間でもなく、復讐の為」
隙を伺い、流れて行く時間の中で告げる。
「悪魔に殺されたヒトの為。……ええ、なるほど」
「そうだ、悪魔なら私達がそうだ! が、支配者に迎合して動くな、それでは駒だ!」
何を言っているのだと、使徒である、紫雨は苦笑した。
喉を震わせ、何処か剣呑さを滲ませる気配。が、時間稼ぎが目的である以上、赤糸がこの会話で稼げる時間は貴重に過ぎた。
加え、冷静ならば先のように攻撃を当てる事が困難。ならば、激情に沸騰させれば、どうだ。
「紫雨君、君の敵は何だ? 自らの目的で動くが良い! 私達を倒し、見事手柄を立てて見せよ。己が地位を上げ、自由を得よ!」
「そう」
悪魔に諭された。その事実。
故に、激発した紫雨。怒気と共に、俊足の歩方が地に刻まれた。
「テメェ!?」
「逃げて!」
正面に立っていた夜羽は無視された事に怒号を上げ、使徒が自ら動いた事にソフィアは悲鳴を上げる。
声で語りかけたせいで迷彩の意味を失った赤糸、そしてその近くにいた秋月と、更にギリギリで射程に収まっていた背後に目があるかのように夜羽へとするりと滑る斬糸。
振われた回数は五回。そして、刻まれた斬撃も都合五だ。一瞬で三度も撫で斬られた赤糸は意識を保つギリギリの負傷。一度ずつ斬られた夜羽と秋月も決して浅くない負傷を負っている。
攻勢に回れた時、このメンバーでは耐久力が低い。少なくとも、戦って時間稼ぎが出来るような数でも、守りに長けた能力を持つものもいない。メンバー構成の段階で方向性が食い違っている。
反面可能なのは、猛攻によって意識を自分達に集める事だが。
「でも、使徒、おー、負けない」
鬼一が投擲したのは氷の水晶玉。拳ほどの大きさのそれを避ける間でもないと、一本の糸で斬り払う紫雨。だが、違和感を覚えて斬糸を見れば、氷が付着して煌めいている。
元々付着していた水が凍ったのだろう。僅かに動きが鈍り、音を立てる。更には。
「……成程」
斬糸を巡らせる紫雨が目にしたのは、花畑の下から照らされる光。秋月が周囲に放ったペンライトが空走る斬糸を照らし、その軌道を見せている。
どちらも僅かな効果だが、ないよりはマシだ。だが。
「おー、の策、そうやって、避ける?」
斬糸の数は一つではなかった。故に、氷の付着した一本の操作を諦めた紫雨。同時連続攻撃の回数は減っただろうが、狙った動揺は見受けられない。
「はっ。流石、使徒様ってか」
負傷を受けた身を押してでも、その一本の操作が失われた瞬間を狙って走る夜羽。片手に雷状のアウルを収束させ、
貫手で腹部を貫こうと繰り出す。
風切り、弾ける雷撃。
「カミナリ様だぜ! ヘソは隠したかァオイ!!」
腕で受け止められるが、雷撃は流し込んだ筈と夜羽は確信する。浅手ではあるが、身体が痺れたのは確かで。
「自由を奪うっていうのは――これよ」
けれど意識を奪うのと麻痺は違う。
麻痺で脚の止まった紫雨。身体も自由には動かないだろう。だが、逆の腕が弧を描くと同時、苛烈なる斬撃が夜羽を捉えた。
意識を奪うどころではない。逆袈裟に斬り裂かれ、その儘、地に伏せる。
この短時間で一人倒された。その上で残る前衛は、秋月のみ。
「けどね、退けないのよ」
再び、しなやかな動きで横手へと流れながら赤い大剣を走らせる秋月。麻痺した身体では十分な回避力は発揮できない。
加えて、脚がまともに動かない今、追撃はない筈。連続攻撃の脅威はなくなっている。
「……その姿勢は、評価できる、が」
赤糸も途切れ途切れの意識の儘にショットガンのトリガーを絞り、紫雨へと散弾による一撃を与え、ソフィアは再び紫電の矢を放つ。
だが、そこが限界だった。鋭く振われ、真空の刃が産み出され、秋月を捉えた時点で、優勢は決した。
牽制と攪乱にとSpicaが狙撃を続けるが、その支援がなければ一気に瓦解している。撃ち抜かれた紫雨の麻痺が抜け、動き出せば、一人、一人と倒れて行くのが解ってしまう。
夜羽は倒れ、赤糸と秋月は限界。鬼一もソフィアも耐えられて一撃。
「勝敗は決したわね」
使徒である紫雨の言葉に、けれど、真正面に立つソフィア。
後方では倒せないと判断したSpicaがエインフェリア班への狙撃へと以降している。それでいい。
後は時間を稼ぐだけだ。何しろ、この使徒はまだ気づいていない。雨音か、それとも自分達が攻め懸けたせいか。或いは勝利を確実に得る為か、後方に意識が向いていない。
「あなたも生きるための『命』を分けあっているのですね……」
故に続ける言葉は、足止めと時間稼ぎのもの。だが、その全てが偽りではない。
少なくともソフィアに命を奪う事は出来ないし、奪わせたくない。なら、どうするのだろう。
「それで、紫雨さん。あなたは、これからどうするのです?」
「……?」
問いかけに応じる言葉はなく、怪訝な視線を送られる。
「あなたが憎む悪魔のように、私達を殺すのですか?」
「…………」
雨の中、心が揺れに揺れて、斬糸の動きが止まった。
刺激しないようにと、静かに語りかたけるソフィア。
故に、否と言いたく、武ではなく言葉で返す必要があるのだ。少なくとも、紫雨はそう思う。
「あなたの主は、悪魔のように、魂を奪うのですか?」
違うと、否定する為に言葉を選ぼうとする紫雨。そして、故に、全てに気付かない。
●
剣戟の音は高く響き渡る。
フェイリュアの握る片刃の直刀が長剣を握るエインフェリアを切り裂き、続けて放たれた毒島のワンドの魔撃が眷属の命を打ち崩す。
これで三体目のエインフェリアが。だが、安堵など出来ない。
「生きて、返るわよ……!」
忍刀を突き刺し、前線の穴を埋めに来た斧槍のエインフェリアの腕を抉る倉敷。同時に横手へ飛び、追撃を阻止するべく有栖川の炸裂符が爆発を起こす。
「おまけよ、吹き飛んでしまいなさい!」
が、炸裂した向こう側から突き出される斧槍。狙いが甘い為、倉敷の髪を散らすに留まるが、前衛の負傷は目に見えて激しい。
壊滅寸前。撤退を選べるなら、選びたい。
ナーシェルは倒れ、毒島、倉敷、フェイリュアはもうその生命力が半分を切っている。癒し手が必要だと解っても、誰も仲間を治癒出来ない。或いは、もっと数を増やすべきだったか。
「ねぇ、このままで、勝てる?」
皆が荒い息を付く中、空へと逃げようとしたフェイリュアが小首を傾げた。
勝てない。よくて時間稼ぎだ。スキルは付き掛けている今、それはどうしようもない。
それを叩付けるように、フェイリュアへと上段から降り下ろされる斧槍。意識が霞み、地へと落下した所へ残る長剣が強烈な一撃を見舞った。
――ねぇ、殺さないの?
途切れて薄れていく意識の中、浮かんだ疑問。
だが、どうしてだろう。死にたくないし、倒れた儘でいたくない。直刀を地面に突き刺し、杖代わりに立ちあがると空へと飛翔する。
最後まで戦いたい。
その想いから動いた鼓動。だが、何故か追撃はない。
いや、追撃を送るだけの余裕を、エインフェリア達も失っていた。
「耐えるのじゃ! 後、少しじゃよ!」
「ちっ、仕方ねぇ」
二人目の戦闘不能に合わせて大鎌に持ち変えたあんこくが斧槍のエインフェリアの背後から刃閃を放つ。噴き出る血液はそれが浅手ではない事を知らせるが、撃退士側の前衛が壊滅すれば撤退をする事すら容易ではない。
戦力の配分で危険を犯す程に裂いている。
だが、そもそも……これは殲滅の戦いではないのだ。
「始まるぜ! もう少し耐えな!」
自分の腹部を切り裂いた斧槍の一撃。その痛みに堪えながら、けれど本命の作戦が始まるのだと、空から戦況を見ていたあんこくは告げる。
●
二面の戦いにおいて劣勢だった。
だからこそ、必勝を期して此処にある。
雨に隠れ、花に埋もれ、気配を殺して臨むのだ。
殺す為ではない。戦うのではない。全ては、救う為に。
降りしきる雨に紛れて、救いの手が伸びる。
エインフェリアはギリギリの戦いに臨み、主である使徒の紫雨は敵手へと意識が向いている。
激しく巻き起こる戦乱の中、巨狼は主の命を忠実に守っていた。
が、思考する頭などない。次の命令が待つだけである。呻り声で人々を恐れさせるだけ。
風下が近づいてきていた藤村 将(
jb5690)達に気付かない。文字通りの眷属であり、主あっての存在だ。
いや、それだけで十分な威圧感だろう。恐怖に震える人々がいた。動けず、身を竦ませるもの。立てずに膝をつくもの。
ああ、だからこそ――戦える自分達が怯えている訳にはいかないのだ。
「行くぞ!」
全て必ず救う為に。激戦を耐え凌ぐ仲間に応える為。何より、目の前の人々の為に、小夜戸 銀鼠(
jb0730)は前へと駆け抜ける。
用意されたカモフラージュの布は脱ぎ捨てる。そしてそれに続く仲間達。
実際、多すぎる戦力でさえあるだろう。もう少し、使徒やエインフェリアに戦力を裂いていれば倒れる仲間はいなかったかもしれない。
ただ、言える事実は一つ。そこまでしたからこそ、救える。絶対に。
小夜戸の鞭の先端から放たれのは目に不可視のアウルによる弾丸。主の戦いを見つめていた巨狼にとっては不意打ちであり、鼻頭へと直撃する。衝撃と激痛で、何が起きたか解らず混乱して甲高い声を漏らす。
「……犬科なら弱点は鼻面ってのが定番だよね。お前はどうかな?」
そして、それに続く反応は求めていないし、許さない。
疾走し、拳を握り締める藤村。
「獣に打撃は利き辛いが、此処は違うな?」
そして放たれた撃は前脚の関節を撃ち砕く。打撃の弱点が何処であろうと、間接を砕かれば動きは止まる。投げ技、絞め技という手もあるが、後に続くものを考えれば自然だった。
機動力を奪われ、続く攻撃は全て必中となる。
「雨の中で濡れて汚れ続けるのも、流石にもういやばい」
桃香 椿(
jb6036)がその刀身に稲妻を落として横薙ぎに切り裂き、花の群れの中に隠れていたヘリオドール(
jb6006)が氷結晶の鞭で右から打ち据えれば、左側面に回り込んだロドルフォ・リウッツィ(
jb5648)のハイランダーが唐竹割りに降り下ろされる。
そして真正面より突き進むのはエイネ アクライア (
jb6014)だ。手にした脇差に雷撃を纏わせ、巨狼の胸元へと刺突を繰り出す。噴き出る鮮血と、肉を焼く雷撃。
「拙者、人に興味津々で御座る。故に助けたいと想い……」
そして捻って抉り、抜いて刀身に付着した血潮を払う。
「死なせるなど、とんでもない。真っ向勝負、逃げも殺させもせぬ」
人の輝きを知る悪魔の宣言。が、瀕死の重傷で咆哮を上げる巨狼。六人の一斉攻撃で、まだ足りなかったのかとその生命力の高さに驚いた次の瞬間、二つの閃光が巨狼を仕留める矢となって額に突き刺さる。
「見なで助けよう。誰一人、死なせはしない」
機械化された弓から放ったジョシュア・レオハルト(
jb5747)は、地面へと倒れいく巨狼を確認すると人質へと走り出す。そう、誰一人とて、此処で失って良い命などない。
この炎は癒しの為に。身に纏うアウルで、花を揺らし、体温を奪う雨を拒絶するかのように降り切って走るジョシュア。
対して後方に位置し続けたのは藤白 あやめ(
jb5948)だ。
「そうだね。みんな、無事で帰れるといいね」
緊張は胸の奥に隠し、赤炎の矢を放つ弓を構える。何かあればすぐ動けるように。巨狼に隙が出来ればすぐに助け、そして暴れ始めれば壁となれるように。
初の依頼。だというのに掛かっているのは、人の命。重みを感じない筈はない。それでも、だ。
「……無事に、帰ろう」
藤白の声に押されるように、残りの救助メンバーが巨狼と人質の間に割って入る。
「さあ、早く逃げて下さい!」
「こっちだ。急げよ、誘導してくれる奴はいるからよ。背中は俺達に任せなって。怪我一つ、させねぇよ」
ヴィオレット・N・アーリス(
jb1985)とロヴァランド・アレクサンダー(
jb2568)が文字通り、人々との間の壁となり、逃げるようにと告げる。巨狼が動けば、対処するのは自分達だと善意を意味する鎌を構えるヴィオレットと、翼をはためかせて低空飛行するロヴァランド。
「まあ、そぉ簡単に落とされるワケにゃあいかんのよ」
そうして睨む先では残る二体の巨狼が咆哮を上げる。咄嗟の自体にどう対処すればよいのか解らず、主の指示を求めたのだ。
が、その主である紫雨とて咄嗟に命令を出せない。
予想外の事態。加えて目の前の撃退士に集中していたせいで、瞬間的な反応が遅れる。それを見抜いた秋月や赤糸、鬼一が攻撃を仕掛けて更に行動を遅延させる。反撃にと奔る斬糸も、咄嗟の行動のせいで氷ったものを使い、軌道が逸れた。
故に、人質が逃げる時間は十分。巨狼が対応するより早く、一気に流れて行く。
「急いで、今のうちだ!」
乱撃への警戒の為、白く輝く槍を向けて殿を務める赫赫。
知識も経験もない、素人の撃退士。赫赫は自分はそうだと自覚している。だからといって何もしない訳にはいかない。見捨てられる訳がなく、何も出来ない自分自身など許せない。
変わるのだと、覚悟と意地を込めて動き出した巨狼へと槍を突き出す赫赫。
そして残る二体の巨狼へと桃香とヘリオドール、ロドルフとエイネ、小夜戸と藤村がそれぞれ分けて抑えに入る。
「全く、はよ終わらせてシャワー浴びたかばい。帰って欲しかっばてん」
帯電した日本刀で鋭く切り込み、感電させて動きを止める桃香。これで一般人への追撃は出来ず、逆サイドでは同様にエイネが残る一体を麻痺させていた。
「ヘリオドール。さっさと終わらせれへん?」
「ちょっと、これは……すぐには無理ですよ。出来るだけやりますけれど」
結晶化された鞭で巨狼を打ち据えながらヘリオドールが困ったように笑う。
「抑えて、皆が逃げる時間を稼ぐのが優先です、ね」
倒せない事はないだろう。が、無理をする必要はない。
藤白に連れられて一般人は退却しており、負傷していた者もジョシュアの傷を癒す焔のアウルにて癒され、肩を担がれて退却している。
「俺ももーちょい上官に恵まれてたら、あんなんになってたかもな……いや…っ……」
巨狼の強烈な突撃を刀身で受け止め、衝撃で息を詰まらせながらロドルフォは光の翼を展開し、横手を擦り抜けるように飛翔しながら大剣を切り払う。
抜けた先は人質とは逆方向。目立つ動きをするロドルフォへと視線を向ける巨狼は、人質を取り戻すのを忘れている。
「本当の俺の初陣はこれだよ。あんな過去、あんなもの見せられて、平然としていられる程大人でもないしな……!」
かつて、天にいた頃の初陣の敗北。だが、それは過去の幻影。
守る為に力を取って騎士として、楽しいと思える日々を守る為、失わぬ為、ロドルフォは剣を構える。
「来いよ、お前達に渡すものなんて、一つもない」
そうして、花を揺らす雨が烈しさを増す。
●
使徒たる紫雨が手繰る斬糸に、元の切れ味はない。
雨、氷、そして動揺。苦渋に満ちた顏で奮う武は、それでも確かに脅威だった。
赤糸が意識を手放し、秋月が大剣を地に刺して寄りかかる。
鬼一とて糸を凍らせた相手と認識されて攻撃が向き、深く裂傷を負った。無傷なのはソフィアと何度も位置を変える狙撃手のSpicaだけだ。
もはや壊滅状態といって良い。
そしてそれを言うならばエインフェリア対応も同じだ。長剣使いは全て討ち取っているが、半数が倒れ、斧槍使いは三体とも残っている。
継続して戦闘をするならば、勝ち目は見えていた。
だが、それはまた別の話。
「……此処で紫雨さん、あなたを討つ事は出来ませんが」
ソフィアが告げる。
「この戦い、勝利したのは私達です」
それは紛れもない事実。
此処で撃退士全員を倒したとしよう。だが、それでどうなる?
武功となるのか。そんな事はない。しかも、その場合、紫雨とて命の危機に晒される。
この場の勝敗はあくまで人質たちをどうするか。撃退士が奪還した時点で、紫雨が戦い続ける意味はない。
「……退くしか、ないわね」
苦々しく口にすると同時、斬糸が煌めいて真空の刃を送り出す。ソフィアの足が斬られ、膝をついた瞬間に紫雨は反転して逃げ出した。
「逃げる?」
戦いたいのに。仇を討ちたいのに。
力が足りない。足りないのだ。この身を殉じて、それでも足りないというのなら、どうすれば良い?
「私、は……」
撃退士を幾ら屠っても、そんなの無意味だ。
それは解っている事実。人を殺しても天界の誉れにはならない。
そして、出来れば殺したくないと、思っている紫雨は。
「……っ……!?」
背後から放たれた、Spicaの狙撃に腹部を撃ち抜かれつつも、その場を後にする。
再度現れるかは解らない。だが、確かに紫雨は敗北した。
力では叶わない相手。けれど、策においてはそうではなく、見事に嵌められて。
手にする筈だった、人の精神エネルギー。力を、取り戻されて。
●
傷だらけの身で、けれど橙が激しい雨音を掻き消すように叫ぶ。
「見よ! まろ達の策により人質は解放されたのじゃ! 元凶は逃げるのみじゃ! 繰り返すぞ、まろ達の、勝ちじゃ!」
恐らく紫雨が見れば憎たらしいと一閃を放たずにはいられないような笑みを浮かべ、去り行く背中へと告げる。
「今は討てぬが、ホホ、お主の負けじゃよ」
相手が強かった訳ではない。圧倒していたにも関わらず、お前達は負けたのだと。
エインフェリアも主の逃亡に合わせて、後退していく。巨狼に至っては、討たれるまで時間の問題だ。
「実戦は始めてだった訳だけど……まあ、やれた、ほう、かしら」
戦いの中、散ってしまった花びらに目を向け、毒島が呟いた。身は血と泥と雨で汚れている。
けれど、花まで荒されてはと、ふと思うのだ。ただ、今は。
「ま、出来れば皆のアウルを後で研究させて欲しいのだけれど」
片膝をつき、動けない儘に、力なく笑う。
初めてだったのだ。それで、使徒に勝ったのだ。
誇らずにはいられない。賞賛されて然るべき。
「まあ、報酬で学園の温泉でも貸し切ってくれないかしら……いえ、銭湯で良いから、すぐに洗い流したいのだけれど」
有栖川の呟きに、なんとか意識を保っているものが苦笑して応じる。
「ふふ、温泉ですか。ゾクゾクしますね、人界のお湯というのは堪能してみたいものです。人界に来て、色々な刺激を受けられますね」
地に伏せながら、何を思うのか百瀬が笑う。倒れた儘、起き上がる事は出来ないのだが、温泉というものに思う事があるらしい。
「まあ、ただ、ね」
言葉を締めるように、戦の終わりを告げるように倉敷が呟いた。
「命を、これからも無駄にするな。死ぬな、生きよう、生きろ」
初めて闘うものも多いからこそ。
「散る花に意味なんかない」
いずれ死に、枯れ果てる身でも。
「死合う必要なんて、ない」
この命、誰かの為に。そう思う事、間違いだろうか?
倉敷の思う、人の為に生き続ける事は、どうなのだろうか?
ただ花が揺れる。雨は終りを見せない。
死ぬ為に生きる訳ではない。生きる為に戦うのだ。
花とてそうなのだから。心のある人ならば、戦いの為に生きる必要なんてない。
全てを流してしまえと、日常に帰れと、血の色という戦いの痕を、天からの雨が洗い流していく。