●死を賭して、なお
一つの存在に世界が悲鳴を上げる。
纏う影は踊り狂って瓦礫を粉砕し、伴う闇は粉塵さえ飲み込んでいく。
これを前に、生命は、魂は、原型を保てるのだろうか?
踏み出す一歩で、地面へと亀裂が走った。
放たれる圧力に大気が軋みを上げ、歪んでいく錯覚を覚える。
未だ鞘から大太刀を抜かれる事もないというのに、放たれる武威は超級。いや、この世の規格外。
それもその筈だ。冥魔として産まれ、将として生き、天使と戦い全てを破壊する悪魔が此処にいる。
――魂さえ断つ者、アラドメネク。
鋼のような冷たく、鋭利な眼差しで周囲を見渡す。
大太刀の柄に、アラドメネクの手が触れた。僅かそれだけで、身が竦み、心が凍える恐怖を憶える。
鞘走りの音すらなく、心を斬り裂かれた気がしている。
「死ぬか生きるかの瀬戸際に立てないか。……所詮、塵か」
嘲りは生物として当然の上からの目線だった。
死を前にして恐怖しない者などいない。それを覚えないものは生物として壊れている。
だが、その上でなお奮い立つからこそ、魂と呼ばれるものがあるのだ。
「ゴミ、だと」
瓦礫の中から一番に反応したのは月詠 神削(
ja5265)だった。
塵と言ったか。ああ、お前と切り結べる程の実力がないのは解っている。けれど、この場にいる全員を表して、告げなければいけない。
「取り消せ。此処に集まった仲間の意志を、そんな言葉で穢すな」
安い気持ちで挑んでいるのではないのだ。
この想いまで塵だと断じられる訳にはいかない。この命が、潰えたとしても。
「真正面から挑ませて貰う――抜け」
神削は言葉を放つと共に、漆黒の大剣が引き抜かれた。その音こそが、全ての始まり。
瓦礫に隠れていた面々がその姿を現す。最早後には引けぬ、いや、退かぬと歯を噛み締め、アラドメネクの前へと姿を現す。
「ああ、大した強さだ。それから見ればわしなど塵芥と断じられても仕方あるまい……が、わしにも武人としての矜持がある。故に、応じて貰うぞ」
そう口上を放ったのはインレ(
jb3056)だ。この先には進ませないと、脳裏に過った尊き輝きを心に落とす。
「はぐれ悪魔風情が。地に落ちて、何か拾ったか?」
「ああ、闇の中では見えぬ輝きを、しかとこの眼に」
侮蔑の眼差しを受け、けれど笑って返すインレ。
ああ、退けぬのだ。その強さ、肌で感じている。それが森羅万象、あらゆるモノを飲み込む闇だとも解るから。
自分の握り締めた左拳をアラドメネクに突き出し、それを口にした。
「汝にも武人の矜持があれば、我が拳に応えてみせよ」
それは開戦の意を告げる声。沈黙を以て返されたが、鞘よりアラドメネクの刀身が鞘走った。
禍々しき長大な刀身。魂を吸いこむような複雑な黒色の刃。
これは殺す為だけのモノだと直感した。
そして同時に跳ね上がる、アラドメネクの武威。身体に纏う闇の濃度が増した気すらする。
「あれがアラドメネク少将……」
震える身体を抑え、跳ね上がる心臓を押さえつけてユウ(
jb5639)は闇の翼を展開して空へと飛ぶ。
だが、これは逃げた訳ではない。眼差しは射抜かんばかりにアラドメネクを凝視していた。一挙一動、逃してはならぬと。
この悪魔は、笑顔を奪い、踏みにじる。そんなものは無意味と、陽だまりを鮮血で染め上げる。
例え同族といえど、今のユウにとっては不倶戴天の敵でしかない。
右腕一本で大太刀を構えたアラドメネクが口にする。
「取り消せというなら、耐えてみろ」
拙いと直感したのは宇田川 千鶴(
ja1613)だった。
頭の中で警鐘が鳴り響く。護るのだと、失わぬのだと誓いを立てた。
だが、違う。そんな祈りに、アラドメネクは心動かされない。
これが胸に抱くのは武と乱のみ。暴虐の塊が、その切っ先を向けた。
「己は誠、兵だと言うのなら、せめて一太刀切り結べ。振れば消えるものなど、塵以外の何者でもない」
隙がない。宇田川と共に僅かな隙を突こうとしていた石田 神楽(
ja4485)も背を滑る冷や汗を感じた。
既にアラドメネクの間合いにいる。あの悪魔が踏み出せば、この首が飛ぶだろう。
十分な間合いを計ったつもりが、自分にとっての最大射程がアラドメネクにとっては普通なのだ。
故に誰かがアレの前に立たねばならない。
自分達は塵ではないのだと知らしめなければ、一蹴されて終る。相手が動く前に、自分達から攻め懸る必要がある。それがどんなに無謀な事かは、未だ隠れる者達も知っている。
「だったら取り消して貰おうか。俺は、剣士だ」
久遠 仁刀(
ja2464)が向けられる圧に屈さず、更に一歩踏み込んで口にする。
「お前が顏を覚えているかは知らない。だが、あのまま退けるか」
敗戦を味合わされた身だからこそ、二度の敗北は認められない。構えた斬馬刀に懸けるのが命だけで足りないなら、この魂ごと一太刀に込める。
志を同じく、一番槍にと挑むのはインレ、神削、久遠。冷徹な瞳でそれを見て、アラドメネクは頷いた。
そして片腕で構えていた大太刀へと、視線を向けて久遠が告げる。
「――片手と云うな、諸手で来い。今更惜しむ命でもないさ」
下手に防御に意識を裂かれていては、奇策など通じない。
全力で攻勢に出てきた瞬間にしか、隙は作れない。
下手な余力があれば、持ち出した神器の閃光さえ避けてしまうだろう。
罠かもしれないという疑惑を、聖槍の可能性を極限まで思考から削り取る為には余裕など残させてはいけない。
だからこそ、神削は黒い大剣を。インレは拳を構えた。言葉を交わす時間すら惜しいのだ。
……ああ、でも、伝えたい言葉はあって。
インレが振り返り、微笑む。その意味が解らず、大炊御門 菫(
ja0436)は眉を顰めた。
それこそ、菫へと意識を裂く余裕などインレにはない筈。だが、燃え往く心を瞳に映し、インレは口にした。
「良い意志の子だ。死なせはしない。そして僕も死なない」
刺された釘。いや、繋がりを胸に。
これがあれば、きっと帰って来られる。
駆ける三人。最も先に冥界の闇を切り裂くのは誰だと競う流星の如く、その魂を煌めかせた。
「断頭の場に上がって来るが良い。真の剣士なら、兵ならば、死しても意味は残る」
●
諸手上段に構えられたアラドメネクの大太刀が、禍々しき闇と化す。
見えない。聞こえない。感じない。
異常なる剣閃だった。速度も冴えも尋常ではなく、闇のように認識する事が出来ない。
故に触れず、避けられず、気付けば首を断たれていただろう刃。
そこにあるのに、感じる事さえ出来ないのは闇の質。いや、死の静けさか。
事実、振われた先にいた久遠はその太刀筋を五感で認識などしていない。直感も働かない。
ただ、事前の誘導が全てを決めた。
薙ぎ払いでも刺突でも届かない程、身を低くして駆け抜け、上段からの降り下ろしのみに太刀筋を限定させる。
それでも受けるも裁くも不可能。割り切った久遠は間合いに踏み込む寸前、アウルを一点に集約させた剛撃を放つ。
受けるのではない。迎撃の剣を繰り出して刀身同士を衝突させる。無謀でしかないが、事実、これをマトモに防御するのは不可能ならば万が一にでも掛けるしかない。
「俺は剣士だ」
故に、この剣に殉じるのみ。積み重ねた修練が、己の命を救うと信じて斬馬刀を跳ね上げる。
剣風にて揺らぐ景色。その向こうで闇の断刃と化した太刀と久遠の斬馬刀が衝突する。
だが、アラドメネクの大太刀は止まらなかった。轟音が響き渡る。余りの斬撃の重さで久遠の手首が砕け、斬馬刀は後方へと吹き飛ばされた。
空間を激震させる程の剛の斬撃をぶつけて、殺せた勢いは僅か。それでも首を断とうとした刃の軌道が鈍り、肩から胸へと切り裂いていく。左肩の骨が折れ、肋骨に罅が入った。
「ぐ……うぅぅぅっ……!」
久遠がその一太刀で命を断たれなかったのは、その執念と己が剣に殉じた志が為だ。莫大な鮮血が飛び散り、激痛と衝撃で膝を付く。だが、意識は手放さない。
何より、アラドメネクが殺す気で放った初太刀を受けた。受けても生き残れたという事実が、続く撃退士の恐怖を打ち払い、士気を跳ね上げる。
「やくやった……!」
アラドメネクの一撃を耐える事を成した久遠だけに賞賛の声が響いたのではない。
彼を守る為、各務 浮舟(
jb2343)が繰り出したアウルによる防護網。斬撃の衝撃を僅かとはいう吸収したお蔭で、その意識は繋がっている。
「弱者とて、抗うのは権利。しかし、強者の搾取もまた、権利」
そして更に踏み込むインレと神削へと浮船は声を届かせる。
一撃を凌いだ。だが、故にこそこれからが本番。
「ですが、奪われていない命と武は、貴方達の手に!」
そして得た好機。見逃しはしない。
諸手の降り下ろしは戻りが遅い。ほぼ同時に間合いに入ったインレが久遠より一歩深く踏み込み、左の掌底を放とうとする。
だが、アラドメネクの鋼の瞳は微塵も揺らがない。流れるような動作で半身を引くと、インレの胴を逆袈裟に斬り上げる。回避は不可能。いや、インレは自分から刃へと向かう。
諸手ではない。咄嗟の反応の為、片腕での迎撃だ。
そして、両腕の闇刃を止めた仲間がいるのに、どうして自分が倒れられようか?
「祈りを、想いを、そして燃えゆく我が心を! 容易く折る事は出来ぬと知れ!」
内臓を斬り裂かれる嫌な感覚。痛覚を閉じた為に解らないが、半ば近くまで両断されたのだろう。
それでも動くならば、燃える心の儘に戦わねばならない。
「現に、わしはまだ動く。断てていないぞ!」
「……ほう」
アラドメネクの感嘆の声は小さい。だが、瞳に熱を帯びていた。
そして更にインレが一歩踏み込み、放つ掌底。捨身だからこそ、その腕はアラドメネクへと届く。
胸部を強かに撃ち抜き、体勢を崩すと共に後方へと吹き飛ばす。
「真正面からだ。塵とはもう言わせないぞ」
その後を追うは神削。三連の撃の最後と、刺突に構えられた黒の大剣。
が、これにもアラドメネクは応じていた。無理な態勢からカウンターで繰り出された刺突の一閃。神削に避ける気などない。無傷で凌ぐなど一撃など無理だ。
だが、久遠が凌ぎ、インレが姿勢を崩した今、アラドメネクの切っ先に冴えはない。僅かな一瞬で三連撃を繰り出すのは脅威だが、足場の悪さで後方に吹き飛ばされながらでは、その威力も速さも減じている。
それでも悪魔の将。その剣、甘く見れない。避ける目などありはしないと解り切っていたからこそ、即座に判断する。。
「左腕は、くれてやる」
言葉通り、首へと向かった切っ先へ左腕を盾として貫かせ、対の先と放たれる痛烈なる神削の刺突。
纏う紫のオーロラを切っ先に集束させ、音さえも置き去りとした威烈の剣閃がアラドメネクの左胸へと奔る。
一瞬の交差。舞う血飛沫。神削は膝を付くもの、アラドメネクは更なる後方へと吹き飛ばされ、瓦礫に脚を取られてよろめいた。
三人が全力で攻め懸り、一瞬で戦闘続行不可能に近い負傷を迎撃で受けている。だが、それでも叩き込んだ猛撃によってアラドメネクの体勢が崩れかけていた。
アラドメネクの負傷は軽微。ダメージと言えるようなものは通っていまい。だが、その身体は自由には動かせない。瓦礫がそうさせない。後ろへと吹き飛ばされ、崩れた姿勢を瞬間で戻せない。
「……此処ですね」
右腕を長大な銃身とした神楽の弾丸が、アラドメネクの後を追うように飛翔する。数は三。武器を持つ右腕と、両の太腿を撃ち抜いて、動きを一瞬だけ止める。
それは僅かな行動の抑制。瞬間的に体勢を整える事を許さない為の神楽の支援射撃。黒い粒子を放ってもアラドメメネクの斬撃の勢いは僅かにも衰えない現状、守りに回った瞬間に薙ぎ払われて終る。
「千鶴さん、いけますね?」
「任せとき、神楽さん」
左斜めへと駆ける宇田川は、唇を笑みの形に歪ませたアラドメネクの顏を見た。
まだアラドメネクには余裕がある。宇田川は即座に判断する。今のは、あえて受けたのだとも。
下手に回避して瓦礫に脚を取られる事より、針の如き銃撃ならば受けた方がマシと判断された。だが、その結果として重なり、動きを抑制する宇田川や神楽の攻撃が通る。
本来ならば掠らせるのも辛い相手。だが、今、こちらの攻撃は届いている。
「たたみかけるんや!」
皆でやるべき事を為した結果が今。それを手放す訳にはいかない。
そして繰り出す閃光の魔弾。籠手で叩き落とされるように防がれるが、後続はまだいる。
「化け物過ぎますね……ザインエルと、どちらが強いのか」
星屑のような金色のアウルを纏わせ、稲妻の剣を撃ち込むのはファティナ・V・アイゼンブルク(
ja0454)。狙いは右腕。再び籠手で弾かれた事に驚愕を隠せない。体勢が殆ど崩れて、まだ受けるのか。
いや……これは。
「敬意を表したつもりか……!」
閃くかのような歩法で間合いを詰め、紅蓮の焔を纏う槍を繰り出す菫。
手の捻りと空気抵抗で乱れる刺突の軌跡は予測不可能。武を持った天魔を貫く為の技であり、悪魔であるアラドメネクには効果は絶大な筈。
「ああ、その三人に敬意を表し、お前達を兵だと認めている。塵とは無礼だったな」
大太刀を握る右腕に突き刺さる真紅の穂先。巻き上がる炎が肌を焼くが、余りにも浅い。
それこそ、悔しさに自分の胸が焼かれそうな程だった。だからこそ、アラドメネクの声に、心は奮い立つ。
「故に、受けてやろう。壊れない者の武、だが、この程度とこの身で止めてみせよう」
負けられないのだ。敬意と言いつつ、受けるなどと言う悪魔などに。
アラドメネクの鋼の瞳は確かに熱を帯び、戦の歓喜を取り戻しつつある。
その上でこの対応。驚異とは捉えられていないのだ。更に苛烈に、熾烈に、己ごと燃やすようにして戦う道しかない。
元より、不退転。自分達は倒れても、成し遂げる必要があるのだ。
「息をする暇も与えるな。体勢を整えさせずに押し切れ!」
「あら。勿論よ。避けない、受ける。アハハハ……だった、血で真っ赤に染めてあげるわ!」
これ程の強敵にどれだけの愛を捧げれば良いのか。狂騒の純愛を殺意の刃と化して、雨野 挫斬(
ja0919)はアラドメネクの背後から首筋へと偃月刀を薙ぎ払う。
首を落せばどんなものでも死ぬ。解体と殺戮は同義。これ程の強さを誇るならば、その身を切り刻みたい。
「――だから、簡単に殺せない」
雨野の言葉の通り、大太刀の柄頭で弾かれた一閃。
「でも、殺せない、手が届かない。だから愛って燃えるのよね。アハハ、アハハハ……!」
「けれど、手が届かない訳じゃなさそうですね」
黒き拳銃を手に、空より弾丸を繰り出しながらユウは呟く。
脅威は肌で感じる通り。恐れは未だ胸の中に塊として残っている。最初の隙を作る為に特攻を仕掛けた久遠、インレ、神削は意識を繋いでいるのがやっとの有様で、それでも決定打を作れない。
だが、積み重なった負傷は消えない。右腕に集中した攻撃は、確かにその数を増やしている。
そして、足場の悪い瓦礫の上で受け続けて、アラドメネクの姿勢が少しずつ崩れていく。
●猛攻、そして、断魂
アラドメネクの全力を凌ぎ、僅かな隙を貫いて連続する追撃。僅かな隙で逆転されるのは解っているが、今、明らかに撃退士が一点に集わせた武と勢いはアラドメネクを凌駕している。
が、届かないのも事実。その身に刻み続けているのは、掠り傷に等しく、これでは終わらない。倒せない。
「どうした? 兵の矜持を見せてみろ。この程度なら、すぐさま覆すぞ」
「……戦場に於いて、問答は無用。武を以って語るのみ」
空を裂くユズリハ・C・ライプニッツ(
jb5068)の持つ雷桜。背に劫火のような赤い光芒の紋を宿し、アラドメネクの正面に立って刺突を繰り出す。
ユズリハのその姿はまさしく清冽。騎士は正面より相手をする故にこそ、背面や側面に回らない。
結果としてアラドネメクの次に斬るべき敵手と認識されども、正面から牽制の連刺を繰り出し続ける。
「Fiat eu stita et piriat mundus.」
焦っては、いない。
だが、己の意識を収束させる為、呟いてしまったその文句。
――この悪魔は、世界が滅んでも正義を知る事などない。
そう感じたのは、大太刀の禍々しさ故か。
魂と血を欲し、飽くなき飢餓を感じさせる、その黒い刀身のせいだろうか。
戦いの中で熱を帯びて行く、アラドメネクの瞳のせいかもしれない。
「……面倒、だわ」
Erie Schwagerin(
ja9642)が繰り出した束縛の魔術。蛇髪の危険性は感じたらしく、アラドメネクはそれのみを回避とする。
決して撃退士を舐めている訳ではないのだ。驚異を感じれば避ける。翠色の瞳で、アラドメネクの動きを見た。
逆に言えば、当れば利く可能性があるという証拠でもあるのだが、当てなければ話にならない。
先ほど正義をと呟いたモノがいたが、それに苛立つ余裕もなく、次の術の為に魔力を練り上げる。
赤いドレスをはためかせ、魔女は紡ぐ。一瞬の隙を広げる為に。
「敬意を表するのではなかったかしらぁ?」
「悪魔なりの敬意だ。俺は人ではない」
そう口にしながら、迫る刃と魔と弾丸を捌いていくアラドメネク。
この魔の武人に一瞬の隙は果たして作れるのか。
そんな迷いなど、振り切る。作るのだと吼え猛る。
「――この間の借り…返させてもらうッ!」
「ならば、もっと猛ってみせろ」
志堂 龍実(
ja9408)の白き双剣を片方は籠手で、もう片方は大太刀で弾くアラドメネク。怒涛の攻勢で押し込んではいるが、個々の実力の差は天と地ほどの開きがある。
だが、止まれない。倒れる事も絶対に。
助けられなかった人々の事を思えば、胸が軋む。痛みで裂けそうになる。が、それを戦意へと変えて、志堂は白き騎士双剣を振り翳す。
「私だけで戦っているんじゃない。私だけで立っているんじゃない!」
その悉く、禍々しき黒太刀の前に防がれたとしても、この心だけは届いている。
薄い蒼色の風を纏い、閃光と化して刃を送る。
「そんなもの、雑兵の戯言だ。己の武のみで立つからこそ将であり、兵……いや。犠牲にても勝ち得ねばならないものがあるというのを、お前達は理解していない」
闇が踊った。波打ち、瓦礫を踏み砕いてアラドメネクが大太刀を構える。
それは闇剣。触れる事も、感じる事も、知る事も出来ず、気付けばそこにあるもの。
まるで触れるは死の指先のように、音も気配もなく。いや、死神の刃が此処にある。
「まずは、後衛を潰すのが定石だな。俺の前に立ったのだ。死は等しく覚悟しているのだろう?」
告げられた言葉と向けられた視線に、宇田川と神楽がその意味を知る。
禍々しい闇を吐き出す大太刀。その量は膨大であり、まるで津波の如く波打ち、そして収束していく。
剣気というには巨大過ぎる波濤。触れればその一切を砕く破砕の闇。
これを受けては駄目だ。だが、同時にこれだけの力を繰り出せば、隙が産まれる。
全力の一閃の後にこそ、隙が作られるのであれば。
「今や!」
「犠牲ゼロでの勝利なんて、ありえませんからね。おっと、ユウさんは右に飛んで逃げて下さいね?」
白と黒、最大の信頼を捧げる戦友であり、最高の愛を誓う宇田川と神楽が、自分達には気にせずに、やれと告げる。
互いに信じている。この程度で終ったりはしない。
自分の愛する彼は、彼女は、死になどしない。その為の全力を尽している。
アラドネメクの大太刀から放たれようとしている禍々しい斬気。
魂を断つ程の脅威と闇。だが、自分達の魂は、こんなものに砕かれない。
――一人でしたら、ええ。砕かれて終るでしょうが。
信じた白い女性となら、耐えられる。神楽は激痛にも慣れているから、笑って応えられるだろう。
――ま、神楽さん一人やったら本当に危ういもんな。
重ならない魂はこの刃にて切り裂かれるだろう。でも、二人で共にいれば、どのような冥魔の剣でも断てぬ絆となれる。
声にせずとも通じる。息遣いで感じる。命を護り、聖槍を奪わせない為の最善の選択肢はこれだと。
そう信じるから、目眩ましに頭部へと放たれた二人の弾丸と閃光。
黒の三連射撃し閃光の魔弾は視界を一瞬眩ませる。
が、これ攻撃が逸れる事はない。だが、次に繋がる筈だ。攻撃の直前に頭部を狙った事で、足元は疎かになる。
自分達は大丈夫だからと、その印に残して。この斬撃の直後に、作戦は始まる。そこに残れない事を無念に思うし、無茶するだろう前衛を助けたい、支援したいとは思うが、誰かは倒れるのだ。
そして。
「――が、誰も死なせはしない!」
その正面に躍り出た菫。二人から死を遠ざける為に、闇剣の勢いを少しでも止めようと身を挺し、構える。
そして、巨大過ぎる闇の飛翔斬が世界を切り裂いた。
●破砕の空隙
瞼を開ければ、そこにあるのは赤黒い瞳。
闇を吸い、相手の斬気を蝕み、己の護りへと変じる力。
菫の防御の神髄といって過言ではない。それを以てして、相対したのはアラドメネクの秘剣。
飛翔する斬撃の幅は大型トラックを飲み込む程のものだ。そして、その質は身を以てしか知れぬ程に深い。
あるのは肉を、血管を、骨を、神経を八つ裂きにして破砕されていくような激痛。
事実、霞のような守護のアウルに守られていた菫の全身から血が霧の如く噴き出て、地を転がる。
意識は手放さなかった。だが、故にこそ見た。
大半の威力を菫が身を盾にしたお蔭で減じた筈だが、菫の後方にいたErieを捉えて切り刻み、空蝉で逃げるだけの隙間のない巨大な斬撃は宇田川を飲み込んで、最後には神楽を後方へと吹き飛ばした闇の波濤。
宇田川は範囲攻撃を、神楽は射程を気にして戦っていたが、それら児戯と断ずる脅威の斬撃衝。一度振われれば、逃れる事も避ける事が出来ない。
立ち上がれないのは菫も同じ。だが、三人は戦闘続行が可能であるかどうかという次元ではない。
「……っ……」
安否を気遣う暇はなかった。
久遠、インレ、神削。彼ら三名も次の一撃で生命の危機であり、余裕などない。
浮船がインレへと治癒を施していたが、それは死を防ぐ為。回復が間に合わない。だからこそ、此処なのだ。
「よくも……貴様……っ…!」
志堂が激昂したのは虚偽などない。だが、すべき事を忘れていない。
全員が目にしたのは巨大に過ぎた闇の剣閃の後、足場が崩れかけたアラドメネク。自らの放った飛翔斬の衝撃と、Erieが捨身で放った『串刺し』の魔術によって産み出され杭によって足場の瓦礫が半壊したのだ。
Erieがその様を言葉にするのであれば、魔女の意地か。残酷で狡猾な性格は、何も出来ずに終わる事を良しとしない。悪意を残すが如く、杭にて足場を砕いて策の始まりを告げる。
元より、彼らの目的は一瞬の隙を作る事。ならばと、白き双剣をアラドメネクの足場へと突き立て、更に瓦礫を崩す。倒れた儘、菫が槍の穂先より斬線を作りだし、拒絶するかのような衝撃波で瓦礫を砕いた。
そして一気に空から降下し、ワイヤーを走らせるのはユウ。
「翼を何故出さなかったかは解りませんが……人の歩んで来た、私達の歩んで来た地がどれ程厳しいものかと」
ユウの言葉とともに、ワイヤーが瓦礫に巻き付く。
「それを知らない貴方の、負けです」
「ほう……」
そして薙ぎ払われる瓦礫の山。完全に足場が崩れ、アラドネメクが物理的に立った儘ではいられなくなる。
透過能力と翼をもつか故に、己の脚で立つ厳しさを知らぬ。
今までの足場の悪さとて、気にする程ではないと思っていたのだろう。だが、それが途端に立てない程となり、膝まで付く。
「……っ…!?」
猛将と名高きアラドメネク。それが撃退士相手に膝をついたという事実。
驚愕は一瞬。再び、神削、インレ、久遠が接近してその武を振おうとしている。膝をついた状態で吹き飛ばされれば、倒れるのは確実だ。
けれど、それが決定打になる訳ではない。此処まで奮戦した撃退士が、この程度で終る訳がない。
故に。
「成程……」
アラドメネクは空を仰ぎ見る。
「罠とは思っていたが、此処で奇襲か。見事なものだな」
突き出された黒い大剣の切っ先、空間を歪ませる程の激烈なる一閃、右の袖で拳を隠しての水月への掌底。それら全ての直撃を受けて、地を転がり瓦礫に弾かれる。
そんなアラドメネクが見据えていたのは、高架線からの奇襲だった。
●希薄
だが、驚愕したのはアラドメネクではない。
むしろ奇襲部隊である草薙 胡桃(
ja2617)や、影野 恭弥(
ja0018)達。
「このタイミングで反応するのか……?」
狙撃のタイミングを計っていた影野だから解る。こちらの奇襲が始まるその寸前、空を仰ぎ見たアラドメネクはこちらの出る瞬間を計っていた。
故に正面から突撃した久遠、神削、インレの攻撃をまともに受けて吹き飛ばされる事となっている。
あの三人の攻撃を膝を付いて避けられたかどうかは解らない。だが、大太刀を片手に、地を転がりながらも高架線上からの奇襲を睨むアラドメネク。
だからこそ、焼き付けろと草薙は告げる。
「この間はどうも?」
凝らす銃口。向ける敵意。
「『小娘ごとき』が、貴方を撃ち抜きに来たよ。アラドメネク」
その言葉を皮切りに、強襲が敢行される。
「ええ、前回の雪辱。果たさせて頂ききます」
アサルトライフルから放たれる斉凛(
ja6571)の鋭いアウルの弾丸。
柔らかい物腰と、おっとりした口調は変わらない。だが、瞳に宿した意志は何処までも鋭利に。ただ一点を狙っている。
「私一人では無理ですが、これではどうでしょうか?」
「一矢報いるには丁度良いってな」
弾丸と共に高架線から飛び降り、ストラスクローで斬撃を放つのは同胞(
jb1801)。
それより早くアラドメネクへと辿り着いた弾丸は肩口へと当り、赤い爪刃がアラドメネクの胸板を削る。
だが、それまでだった。
続く筈の奇襲は僅か二手。影野も草薙も、そして瓦礫の下に潜む秋桜(
jb4208)も行動を起こさない。
奇襲部隊六名中、行動したのは二名。故に、潰える。
「ああ、一矢は報いたな。喜べ。愚策に過ぎたがな」
同胞が腕を振り被るより早く繰り出された唐竹割りの一閃。反応する暇もなく切り捨てられた同胞が地に転がる。
タイミングを合わせない、あえてズラす。或いは様子見。それもありだが、その結果、攻め手が二人となれば迎撃されて一瞬で落ちるのみ。
――どうして己が無事でいられると確信したのか。いや、何故、タイミングをずらした?
倒れた同胞に怪訝な視線を送るアラドメネク。付いていた膝を起こし、立ち上がろうとする。
――今のが本命か? この為の罠?
稚拙過ぎる。余りにも。
陽動とした戦った者達が余りにも苛烈で真摯で、故にこの温度差は何だと、疑惑が渦巻く。
その疑惑は付け入る一瞬の隙を産んでいた。
「少将、戦場では奇を突く事こそ、でしょう?」
頭上から上がった声はナナシ(
jb3008)のものだ。
そして、視界を覆ったのはナナシの作った分身の影、二つ。厚さはないと言えど、一瞬の隙を作るには十分な虚の突きだった。
目的不明。本命というにはまだ決定打が足りない。アラドメネク大太刀を薙ぎ払って分身二体を斬り裂いたと思えば、ナナシが顏に組み付いていた。
「上と思えば下で、下と思えば上……かっ……!?」
「虚を実と思わせる事こそ戦の基本ですね。実か虚か、戸惑えば大きな隙が出来る。そこに新しく虚か実かと判断を迫れば、揺れる」
が、この悪魔の将は鋼鉄。理解不能でも視界を確保し、状況を認識する為にナナシを力付くで振り払うと、その細い首を握り締める。
ぎしっ、
という、脛骨の軋む音がした。
それは戦場が凍える瞬間。命の危機が、そこにある。
誰かを、仲間を守りたいとユズリハが駆け付ける余裕はない。斉凛が飛び降りようとしても間に合わない。
ただ握力を強めるだけで、ナナシの命を潰える。大太刀を振うまでもなく、また、同胞の背に脚を乗せ、肋骨と肺ごと心臓を潰す用意もしている。
動けば殺す。
無言の圧力は戦場の動きを止め、アラドメネクが状況を認識する為の時間を用意しようとしていた。
だからこそ。
「少将、もしかしたら記憶に無い昔、貴方を尊敬していたかもしれない」
記憶のないナナシ。でも、もしかしたら。命を使い潰し、殺す為、生き残る為の策を講じる冷徹な将。そして鋼の武人。
ああ、コンナモノを殺す為には、誰かが命を懸けないと駄目だろう。
死ぬと解っている行動を取る必要があった。
「ほう。部下の名を覚えている訳ではないか、少なくとも貴様のような小娘を配下に付けた覚えはない」
ぎしりと首の骨が、断末魔を上げようとしている。
気管は潰れて、声は擦れた。
それでも、ナナシは最後まで喋る。アラドメネクの瞳を真正面から迎え撃ち、臆す事なく言葉を作る。
「……ええ、それで結構。力では絶対に叶わない。壊れるものだからといって、敵も味方も部下も、そこに差別はないんですね? そんなものに、力で負けても、結構」
でもと、猛るのだ。
胸が、鼓動が、死を前にして、それでもと叫ぶ。
アラドメネクに友と呼べるものはいるのか?
欲望の儘に魂を奪う輩に。同盟は組めど、ザハークに対して信すらないだろう。
「その胸はからっぽ……友の為に死線に踏み出す勇気が沸き上がる事もない。そんな貴方に、負けたくはない……!」
それは獅子吼。
死を瞳に映し、けれど吼えずにはいられない魂の叫び。
「綺麗事を抜かす」
故にアラドメネクでさえ、一瞬止まった。
首を絞める指の力が一瞬抜けて、続けろと促す。武人故にか、最後の言葉ならば吐けと言っているのだ。
それを受け止め、その上で粉砕する。己の敗北など微塵も思わぬからこその行動。
現に、アラドメネクへと重ねられた負傷は軽微なもの。人では、撃退士では、そして自分達の産まれた世界から背いたものは自分に勝てないと確信している。
だから同胞の背から脚を退けた。
続けろと、促した。
そんな有様は、確かに将として誇るべきだろう。
死を受け入れる。殺戮の地平の果てにでも、己が理想を求めて歩く。部下として、旗下として、揺るがぬ将への精神は崇拝へと繋がり絶対の信へと鳴る。
でも、認められないのだ。
死を受け入れる。その事、自体が。
「けど、今の私の信じた未来のために、貴方を倒す!」
何もナナシは諦めた訳ではない。
命の輝きを手放した訳ではない。
懸命と必死は当然。でも、死を是とはしない。言葉の積み重ねで、生き残る為の術を。
その、瞬間を。
「少将、この世界の夜明けの光ってご存知ですか……?」
その問いかけを、今、見せる。
「希望って言うらしいですよ」
閃光が瞬く。
視界を焼く程の膨大なる神気が、光の奔流となった。
●神器、希望の名を受け
天界にて作られた、神の名を冠する器。
聖槍、アドヴェンティ。強力な冥魔に対する為の神器だが、人が扱うには余りにも強大な力だ。
これを以てしか、恐らく倒し得ない天魔はいる。
しかし、これを以てしても倒しきれない天魔もいるのだ。
今、目の前でナナシの首を掴むアラドメネクのように。
ただ撃つだけは外れるかもしれない。どんなに強力な武器でも、撃退士とアラドメネクの地力の差は強すぎる。
故に足場を崩してからの奇襲――それさえも囮にしたのだ。
足りなかった時間稼ぎと、意識を向けさせる事はナナシが成功させていた。あれが渾身の奇襲で奇策だと、命を懸けた言葉でアラドメネクに印象付けた。
だからこそ、命を賭したその行動に報いなければならない。
「だからって、失って良いとは思わない」
聖槍に全ての生命力を奪われながら、龍崎海(
ja0565)は呟いた。
理不尽な事はなど認めない。
ああ、アラドメネクは罠と気づくだろう。
馬鹿ではない。愚鈍ではない。むしろ隙がない。
けれど、同時に当然のように撃退士を侮り、見下している。それを覆せないだけの力量がないのが悔しく、聖槍の一撃をただ撃っても避けられる可能性がある。
化け物だ。
だが、どんな存在でも殺せない筈がない。同時に、隙のない存在はない。
囮の罠であった高架線上からの奇襲を見破って力技で跳ね退け、うち一人を捕えた。
アラドメネクにとっては完全な勝利のカタチではある。加え、単独での突進と遺言じみたナナシの言葉でそれは確信へと変わっている。
時間も、機も、十分だった。
勝利を確信した瞬間。それが最も隙の出来る、付け入る瞬間だ。
未だナナシの言葉に耳を傾けているのならば、もはや是非もなし。
「希望となる聖槍で挑ませて貰う!」
龍崎の叫びは、奇しくもナナシと同じく希望という単語を含んでいた。
轟く神気。光の瞬きは一瞬。全ての不浄を払うが如き、純白の閃光。
世界すら焼き尽くすかのような白光が長大な穂先となり、アラドメネクへと延びる。
アラドメネクが気付いた時にはもう遅い。
全てを懸けた、この一撃。
「――天に仇成す魔の身で、受け切れるか!」
龍崎とてこれで倒れる相手ではない理解している。
だが、必要なのは士気の向上だ。満身創痍が既に何名も居て、戦闘続行不可能も倒れている。
これからが本番だというのに、既に半壊しているに等しい。それでも、戦うのだと。
「アラドメネク。お前達、冥魔にこの地は渡さない。悪魔に、これ以上一人たりとも、人間の魂を渡さないとこの聖槍に誓う!」
魂さえ吸い尽くされたかのような錯覚に陥るこの聖槍の使用。即座にバックハンドで次の使い手であるイシュタル(
jb2619)へと渡す。
結果など確認するまでもない。あれが外れる筈はなく、また、アラドメネクが倒れない以上。
「そうか。ならば、その誓いごと闇に呑まれろ」
巻き上がる粉塵の向こうから迸るのは闇の斬気。
断魂の闇剣。アラドメネクは健在に、その武威を振っていた。
瓦礫も粉塵も、大気でさえ飲み込んでいく漆黒の津波。だが、龍崎に届こうとする寸前、アウルの翼が龍崎を覆い、護る楯となる。
恐ろしい剣気だと、龍崎の背筋が震えた。生命力の枯渇した今でなくとも、命の危機に晒される一閃だ。
だが、眦を決し、闇が張れるのを待たずに叫ぶ。
「予想通りだな。聖槍を使われれば全力で応じる……そんなに怖いか。驚異か。五位の悪魔、少将、アラドメネクともあるものが!」
龍崎の叫びはアラドメネクが追いつめられると意識させるには十分なものだった。
あれだけ攻め懸って焦り一つ抱かなかったアラドメネクが、反射で全力の剣を奮った。それは、この事態を脅威と感じているからに他ならない。
それを知らしめ、全体の士気を上げるに足りる、聖槍の使い手。龍崎。
故に粉塵が散る中、アラドメネクは疾走していた。
ナナシは放り投げて、無視している。
初手で勢いを取られたのは失敗か。
聖槍の一撃で状態は一気に状態が五分に近く、いや、アラドメネクの不利へと傾いている。
「敬意を払うべきか」
全ての犠牲を是とし、けれど、命を決して散らさなかった撃退士へと。
最早、誰一人とて軽視出来ない。敬意故に、これからは全力だ。この戦場に立つものを皆、兵と認めこの武を振おう。
粉塵を突き破った姿。聖槍の一撃で右肩が吹き飛ばされ、肉の間から骨が覗いている。
決して軽い負傷ではない。だが、それを意に介さずに疾走する。
「いや、それこそ……俺が求めていたものか?」
死がある。死に触れている。
破壊し、破壊されようとしている。
赤い瞳は熱した鉄のような色をして、聖槍の行方を追う。
「な、なんと……」
ハッド(
jb3000)がイシュタルや他の仲間を影を集約したアウルを纏わせ、存在感を希薄にしていたのだが、殆ど意味がない。
あくまで気配を殺し、狙われにくくなるだけ。一瞬、聖槍を持ったイシュタルの姿を探したが、見つけるや否や大太刀を構えた。
「マジでチートすぐる相手……でも、もう聖槍は不要」
その迷っている間に瓦礫の中に潜んでいた秋桜(
jb4208)が飛び出し、悪魔の囁きでアラドメネクの意識を逸らそうとする。
「それだけ負傷していれば、私で十分。えっと……ガチムチ」
「――貴様のようなものに問答は不要。刃も要らぬ」
右の大太刀は残す為、アラドメネクの左の拳が唸る。腹部を撃ち抜かれた秋桜は後方へと吹き飛ばされ、更に一歩先へと進む。
邪念を払い、水鏡の思念で狙いを定めようとするイシュタルだが、アラドメネクの動きが早すぎる。
故にと、壁となる聖女。柊 朔哉(
ja2302)がアラドメネクへと躍り出て、その斧刃を振り翳す。
「武人、アラドメネクですか」
柊の瞳は冴え冴えとした決意を湛えてアラドメネクを見据えていた。
魔の武人。禍々しくも雄々しく、毅然と立つ姿。聖槍の一撃を受けて、怯みもしない。
強い。それだけの力があれば、逡巡などなく理想へと、夢へと駆けられるのだろう。
だが、そうあってはならないと柊は感じている。
「戦いましょう。それ相応の礼儀を以て」
星輝を刃に宿し、迎え撃つように振われる柊の斧。
避けても受けても良い。弾いても動きは止まるし、回避は聖槍の穂先に狙われる可能性を産む。では、どうする?
「私なら、傷を負っても身で受けますね」
その通り。アラドメネクの肌を裂いて肉に食い込んだ斧刃。これも掠り傷だが、一瞬動きが止まる。
――その迷いのなさ、葛藤の無さには憧れますが。
「どうした、女。その程度か?」
「……私の道を邪魔する者とは、戦うのみです」
天魔との共存。殺意を振りまくこのような悪魔に説いても意味はなく、夢物語だと否定されたかのように胸に冷たい痛みが走った。
目指すべきものは、ナニ?
――血で染まった悪魔が現実なら、平穏は理想でしかない?
問いかけるべき相手は今はいない。振り飾れる刃は、死の色を帯びていた。
見えず聞こえず、触れた時には絶命を齎す切っ先。だが、そこに飛び込むユズリハ。
「全身に、全霊を以て……!」
柊と縦に並び、共に武器を盾とした上で防壁陣の二重展開。力の作用する地点を柊とユズリハの二点に分け、斬撃の重さを分散する。
受けた斬撃の威力は二人で共に分けて、半減させている筈。なのに結果として武器が欠けて、ユズリハも柊も衝撃だけで意識が揺れて消えかけた。
恐ろしい剛剣。だが、それでもユズリハは怯まない。
事実、聖槍の使い手を強襲しようとした動きは止まっている。護衛としては成功であり、ならば続けるのみだ。
「……そこ!」
奔るユズリハの穂先はアラドメネクの右腕を狙う。此処まで複数の撃退士が狙い続け、加えて聖槍の一撃を受けた部位。
与えられたのは掠り傷だろうが、僅かに構えが揺らいだ。
その瞬間をファティナは見逃さない。
高速で詠唱したが為に、自分の意識が焼ける。眩暈さえもする。それでも、絶対に止めるのだ。
「イルちゃんは、大事な義妹ですからね……絶対に守ります!」
虚空から産まれた何本もの腕が、アラドネメクの右腕に絡みつく。本来ならば強引に力技で破るのかもしれないが、重なった負傷がそれを許してはくれない。全力を振り絞ろうとして、出せる力は八割未満。
エリーゼ・エインフェリア(
jb3364)が見逃さず、魔力によって紡いだ焔剣を飛翔させ、右腕を焼く。最早此処まで来れば狙いは一点だ。
「アハハ! 少将って大した事ないんだね? この程度じゃ全然平気だよ! さぁ、続きをやろうよ! それとも逃げるの? キャハハ!」
狂騒と狂乱に笑う雨野も直感で理解し、遠心力を乗せた偃月刀で右腕を薙ぎ払う。
空を切る刃。だが、それは外した訳ではない。
「避ける位には、危険なんだ? キャハハ!」
「ちっ……」
動きを止められ、負傷した右腕一点狙い。部位を絞られた分、アラドネメクとしても避けやすいが、そう長く続く訳がない。
「さて、そろそろチェックメイトですわね?」
高架線より飛び降り様、精密かつ強烈な殺技を繰り出す斉凛。狙いは右肩口。骨が露出する程に負傷した場所。
聖槍とは正反対の方向に降りた斉凛。聖槍を追うならば絶対として彼女に背を向ける事となる。その代償として、激痛に身体が止まった。
「少将、人間を舐めすぎだ」
聖槍が脅威なのは解る。だが、それを手にして振うのは撃退士。
忘れて貰っては困る。一瞬の代価に、途方もない被害を出したとはいえ、アラドネメクを劣勢に立たせた現実を。
アウルを収束させ、魔を払う白銀の弾丸を錬成する影野。
「繰り返そう。……人間を舐めるな」
撃退士を塵ではなく、兵と言ったのはダレだった?
問いかけるように煌めく白銀の銃弾。一条の光となって身に突き刺さるが、深手にはならない。
だが、効果がない訳ではない。確実に身を削っている。
「『忌まわしい射手』の娘が、代わりに叩き込みに来たよ……!」
故に草薙も此処で全力を出し切る。
己は闇を落す剣。その暗示の元に、髪を銀に、瞳を薄緑へと変じさせ、纏うアウルの気質も天のそれへと。
そして放たれる弾丸は稲妻の如く鋭い。聖槍を最優先すべきか、それとも纏わりつく撃退士達を壊すのが先か。判断する時間を与えない為の連続攻撃。
「これが限界です……気を付けて」
浮船に治癒を施された久遠、神削、インレ。次の一撃が死に直結するような負傷だが、倒れていない以上、立っておくなどありえない。
いや、この三人の気質からして、倒れている事など許さないし、身体が動く限りは闘い続ける。
故に振われる剣と拳の武。受け止める余裕などなくアラドメネクは迫る白き剣閃を避け、刺突を撃ち落とし、肘で拳を捌く。
四方、八方より攻め懸る撃退士。一秒たりとも攻める時間を与えぬと、獅子奮迅の武を奮うアラドメネクへと攻め懸るが、刃と穂先は空を切り、魔撃と弾丸は逸れて遥か彼方へと消えていく。
闇のように捉えられない。黒き迅雷が動き、攻撃の全てを避ける。悪魔に反撃の暇を与えず、聖槍へと向かわせないのは成功させているが、それ以上は無理だ。
隙を作れない。聖槍に巻き込まれない為に後退も不可能。そんな事をしていれば、首が胴から切り離される。
そして迷う聖槍の穂先。イシュタルも狙いをつけられずにいた。速すぎて、確実に当てる自信がないのだ。外せば、その瞬間に死ぬのだと向けられる殺意の鋭さに身が竦む。
「…………アラド、メネク」
「相当の化け物、いや、何じゃ、あれは」
動ける撃退士が総手で攻め懸り、けれど、その二割も攻撃が届かない。
切っ先が届いた所でそれは掠り傷。どれだけ積もろうとも、優勢に影響を与えない。
隙すら作られない異様さ。ようやく部位を集中させ、右腕狙いとして斬撃の威力を低下させているのだが。
「あれで小将ならば、その上はどのようなものかの」
ハッドは思わず呟いた。聖槍の一撃でなければの意味が解る。撃退庁の撃退士合わせて三十名懸りで、それでも聖槍がなければ勝ち目が見えないなどと。
ディバインナイトは倒れ、残っているアストラルヴァンガードが単体も範囲も残っている治癒を振り絞ってアラドメネクと戦う者達に治癒を施す。
それでも負けが見えていた。一瞬の隙が命取りになる聖槍の威を示していなければ、全力での攻撃が放たれて、この中の半数が死んでいて可笑しくない。
「あれと同等クラスの天魔……ザハークは、一体」
同盟を結ぶザハークの脅威に、ユウも身が震える。が、止まる訳にはいかないと、空中から拳銃を放って牽制を続けた。翼を産み出され、包囲網から逃げられる訳にはいかないのだ。
けれど、その上を行くが故に、猛将アラドメネク。
禍々しい闇が大太刀から噴き出したかと思えば、周囲にいた撃退士を纏めて弾き飛ばす影の爆裂を生じさせる。
弾け、砕けて行く影の一つ一つが影の刃。無数の硝子片に突き刺され、切り裂かれたように倒れて行った。
元より意識が途切れ懸っていた久遠、神削、インレ。聖槍への突撃を止めた柊、ユバリハ。そして果敢に首の骨にダメージ受けながらも戦ったナナシの意識が途切れる。いや、そういう次元ではなく、身体が最早動かない。
それでも、燃え上がり、猛る闘志は闇に呑まれていない。
「まだだ……まだ終わって無い」
双の白騎士剣を杖のように、立ち上がる志堂。
「諦める訳には……いかないんだ!」
それが皆の代弁。倒れたものも、未だ立つものも。等しく思うからこそ、吹き飛ばしたアラドメネクも警戒して即座には動けない。
血飛沫を上げ、負傷の痛みに喉を鳴らす。けれど、それでみ壊れない戦意を四方から受けて、アラドメネクは動きが止まる。次にどれを相手取るべきか、判断が遅れたのだ。誰一人とて、この撃退士達は無視出来ない。
刃で切り裂くか。闇で飲み込むか。兵たる彼らをどうすべきか、ほんの僅かに逡巡してしまったのだ。無意識の内に隙を晒さぬ為、足を止めて守りの構えを取ってしまう程に。
だからこそ、聖槍の穂先が、アラドメネクのみをついに捉える。
「捉えました」
イシュタルの言葉と共に、神気の閃光がアラドメネクへと奔る。
二度目の聖なる穂先。これ以上の策はない。
届と、祈りを束ねた光刃一閃。耐えられるなら耐えてみせろ。
いや、どのような闇であろうと悪魔であろうと、貫くと吼え猛る光輝。
「ならば、その希望の光とやら、切り裂かせて貰おうか」
故に、その行動は誰しもの予想外だった。
●アラドメネク
己の虚を知っている。
故にくつくつと響く笑みが止まらない。
己の空隙の響いて、止まらない。
闘争がない。壊れないものとの戦いがない。
掴み取るからこそ意味がある。勝ち取り、奪い去るからこそ輝きだ。悪魔の魂はそのように出来ている。
「故に、感謝さえする」
戦と血と狂乱と、そして死。触れても壊れぬもの、アラドメネクを満たすものを全て携えて来た撃退士へ、感謝を述べる。
これが敬意。これが尊敬。悪魔の流儀として、故に殺す。アラドメネクは全身全霊、渾身の闇刃を振り翳した。
狙いは自らへと迫る神気の奔流。穿ち、崩し、浄化する光は冥魔たるアラドメネクの天敵だと理解し、なお全力を振り絞って大太刀へと闇を纏わせた。
「希望とやら、断たせて貰う!」
轟音。閃光は白と黒に点滅して絡み合う。光と闇、人知を超えた二つの武の衝突で暴風が吹き荒れる。
アラドメネクの振う闇刃が軋みを上げて火花を散らし、聖槍の神気が悲鳴を上げながらも悪魔の力を掻き消していた。
何が起きているか理解不能。膨大過ぎる力の流れが衝突して、周囲の地形さえ変わっていく。
神話の伝承がそこにある。魔剣を以て、聖槍と相対する悪魔が此処にいる。不屈の精神を光に焼かれながら、闇を迸って断刃と化すアラドメネク。
それは一瞬の攻防であり、刹那の交差。だが、余りにも長く感じられる瞬間だった。
広がった衝撃波で瓦礫の山が崩れ、ごろごろと岩が転がる。立っていた筈の撃退士も、衝撃で地へと膝を付かされた。
そして、その先に漂うのは白煙と、影。
大太刀を両手で降り下ろし、神気の閃光を断ったアラドメネクがそこにいる。
「……耐えた、ぞ……っ…!」
息は絶え絶えだ。体中から白煙が上がり、裂傷は数えきれない程。交差した衝撃で肉が千切れ、見えない場所でも筋肉が断たれているだろう。
禍々しい大太刀にも刻まれた亀裂。右腕は白煙ばかりを吹いて、どうなっているのか解らない。
だが、それでも神器の光を斬り裂いて凌いだアラドメネク。
自分達であれば触れただけで蒸発しかねないものを真っ向から受けて、切り裂いたという事実が撃退士達の身体を静止させる。
そして共に満身創痍。聖槍を使う予定のものが他におらず、イシュタルより佐藤 七佳(
ja0030)が聖槍を受けると、全力で撤退していく。
淡い純白の光輪を四肢に纏い、背からは光翼を展開するように光輝を噴き出してこの場を去る佐藤。
後一発という欲はある。だが、共に限界が近い。聖槍の次の使用者を決めていない上に、その隙を作る策もなければ、余力もない。故に、全力で逃走するというのは間違いではなかった。
「簡単に追いつけるなんて思わないで下さいッ!」
その一言を残し、人だから出来る高速移動を展開する佐藤。アラドメネクにそれを追うだけの力は残っていない。
「だが……お前達を殺すだけの力はあるな。最早、俺を貫く聖槍はないぞ?」
両手で握り締められ、中段に構えられた大太刀。それに真正面から挑めるのは、今は。
「残念だが、アラドメネク。お前の負けだ」
生命力を全回復まで戻した龍崎を含めて僅かしかいない。一発耐えられるかどうかというのが実情だが、体力も気力も満ちている状態の味方の参戦は頼もしい。
十字槍を頭上で旋回させ、アラドメネクの正面に立つ。
「その傷で、ザハークに合流できるのか? 出来たとして、戦力として戦えるか? 猛将たるアラドメネクが負傷して参戦など士気の低下だ。足手纏いであれば、軍さえ瓦解するだろう」
「まあ、このまま撤退しても冥魔軍の士気は下がるでしょうけれど」
そしてファティナは義妹であるイシュタルを庇うようにその後方へ。
だが、義理とはいえ姉妹を想う心に優劣はない。ファティナの背に庇われつつ、癒しを受けてイシュタルが言葉を紡ぐ。
「もしも、それだけの負傷をしても聖槍を持って参戦すれば、撃退士達を破り希望を奪ったと、アラドメネク。貴方の望む殺戮の場が出来上がるでしょうね。……れれど、もう貴方の手は聖槍に届かない」
が、このまま戦っても、何人死ぬ。少なくとも半分は死ぬと龍崎もファティナも理解している。
だからこそ、下がるようにアラドメネクへと呼びかけていた。これ以上の戦いは無意味だと。
「何時までもやられっぱなしの俺達じゃない。……その傷は油断とでも言うか? 武人の癖に、油断したから受けた傷だと」
影野の言葉に乗るように、草薙も言葉を続ける。
「それこそ、自分の誇りに、自分の手で泥を塗るような事でしょう。受けた負傷を見なさい。人に受けた傷を。これ以上進むというのなら、どうなるか。『小娘ごとき』でも『背いた天魔ごとき』でも、『軟弱な人間ども』でもなかったね?」
挑発に近いが、真実を捕えた言葉たち。連ねられたそれらは、アラドメネク程のものが僅か三十名の撃退士に深手を負わされてたという現実のみを射している。聖槍があったからなど、良い訳であり恥の上塗りでしかない。
「まあ、私は解体したいんだけれど、この刃でその首を落したいんだけれど」
最早笑う事さえ出来ず、血液が溢れて止まらない傷口を押える雨野は、熱い吐息と共に吐き出した。
「――続ける? 続けよう。聖槍がなくても、お互いに死ぬよ。死ぬし殺せるよ。ハ、ハハハ……!」
武器を杖に立ちあがる姿は壊人のそれにさえ見える。だが、その狂気を以てしてアラドメネクへとまだ戦う意志はあり、心は折れていないと示す。
その後方、斉凛はアサルトライフルを構えてアラドメネクへと、告げる。
「私達を全滅させて先に進んでどうします? 傷だらけ、血だらけの将を見て、部下達が動揺する……だけなど、思っていない筈ですよね?」
ふんわりと、窘めるように口にされた言葉の意味を、志堂が繋ぐ。
「それだけの負傷をして更に連戦として戦場に出るのなら、その場でこそお前を倒す」
傷を癒せないアラドメネクへ殺到し、首級を上げようとするだろう撃退士。大太刀に罅が入り、右腕もボロボロの姿で満足に戦えないのなら、自分達が倒れても仲間がお前を倒す。
それは確かなる現実。此処で更に戦おうとも、最早意味はない。
「王の首が取られれば、戦は終る。アラドメネクとやら、将と王の違いはあれど、此度の戦においてその方程の猛者が倒れる意味を知るがよい」
ザッハの口にするその意味は、ただの戦の優劣ではなく。
「四国に続いて戦果を上げようと逸り、敗北した過激思想家。ああ、ならば時期尚早、慎重にならねばならぬと悪魔の動きは鈍るかもしれぬな。仲間の脚を死した身で引き摺るじゃろう」
それが本望とでもいうのか。
仮にも少将。全体を見る目とてあろう。
そして、突き付けるように口にするハッド。
「痛打は通った。それでもお互い倒れてはおらぬ。……が、これより先はどうなる?」
まだ互いに倒れていない。そして自分達の後方には仲間がいる。それだけ傷を負って、無事で済む筈がない。
故にこの時点でザハーク達への合流などあり得ない。自ら死に行く事も、満足に武を奮えぬ事もアラドメネクの本望ではないのだ。
この場の者達を全て殺す。しかし、その代償にどれだけ支払う必要が出るだろうか。
二度と治らぬ傷を刻まれるかもしれない。それだけの意志と闘志を込め、血で染まった身で立ち続ける撃退士。
アラドメネクが願った兵達は眼前に。けれど、彼の脚を止める存在として立ち塞がっている。これを壊す事まの出来なかった、現実。
けれど、アラドメネクはその本性を顕にし始めていた。
「……鮮血と屍の地平」
ぼそりと、呟かれたその言葉。
「壊れなかった。ならば、壊して屍としよう。その強さ、俺がこの手で殺すに値する」
そこに込められたのは悪魔の渇望。足りない、足りない、足りない。もっと死を寄越せ、魂を奪え。
飢餓と寂寥感と、何より暴力と殺戮を求める眼差しが全員を射抜いた。
負傷などアラドメネクは意に介さない。この身に後どれだけの傷が増えようとも、この場にいる全員を殺さない理由にはならない。戦意には、戦意と死を以て応じるのみ。
「俺が進んだ後に、生きている者は要らん、残さん」
故にと一歩踏み出す。
「兵たる者達よ。天使に並ぶ悪魔の敵よ」
黒き大太刀に走った亀裂など気にせずに、アラドメネクは更なる闘争を求めた。
「故にこそ、俺の退屈を消せ。その熱を消すな。ようやく出会えた、怨敵よ」
瞳の熱は、負傷に応じて激しさを増している。
「触れても壊れぬモノ。ならば、もっと触れさせろ。壊れ果てるまで。容易に断てぬからこそ、切り裂いた時に悦びがある」
過激思想家。その事を忘れていた訳ではない。ただ、その規模が予想外過ぎて、言葉が出来ない。身体が動かない。
「さあ」
さあ、さあ、さあ。
「更なる地平の先を、俺に見せろ。お前達の屍の転がる、未来を」
アラドメネクが欲するもの。闇色の世界の為に。
死を以て、始まりを告げろと闇色の刃が鳴く。
●悪魔の夢
「させる……か……」
そう呟いた声を、菫は自覚していただろうか。
「その手を取るのは……私だ!」
俊足の踏み込みは無我の境地にて。ただ、背に投げかけせれた祈りの視線が、菫を動かす。
紅蓮を纏い、真紅の閃光と化した菫が飛翔するかの如くアラドメネクへと踏み込む。一瞬で突き出された槍は、何処までも愚直な右腕の一点狙い。解っていても、今のアラドメネクには避けられない。
無駄など一つもない。積み重ねた全ての挙動に意味がある。
「与えた傷が軽微であっても――もう、その腕は動くまい!」
故に放たれた神速の穂先にアラドメネクは対応出来ず、右腕を貫かれる。衝撃を殺す事も逃す事ももう出来なかった。
ひゅん、と風切りの音がした。
漆黒の大太刀が空を舞い、地へ堕ちる。足りぬ、足りぬと哭くように刀身が震えている。
貫いて払い、アラドメネクの掌から大太刀を奪った菫は、そこで意識を失う。言葉もなし。全てを遣り遂げたと、意識の糸が切れる。
「……ぐっ…!」
倒れる菫の身体へと伸ばされた左腕。それは地に伏していたインレのものだ。血を吐きながらも、アラドメネクから庇うように菫を抱く。
「貴様のような輩に、渡す命などないと知れ!」
それがインレの最後の叫びとなっても可笑しくはなかった。
現に鞘走る音が聞こえた。予備に持っていた小太刀を引き抜き、アラドメネクはその切っ先を菫へと向けていたのだから。
だから龍崎はアラドメネクへと十字槍の穂先で小太刀を弾こうと薙ぎ払い、ファティナに至っては右肩へと己の身を厭わず禁呪を発動している。
そして、それらを避ける事はなかった。小太刀は払われて切っ先が逸れ、聖槍で射抜かれた右肩口へとファティナの全ての魔力が肉体へと注ぎ込まれ、骨まで砕く。
魔力の閃光は金色の朝日の如く。或いは、斜陽の刹那の輝きか。
文字通り最後の一撃。これを繰り出した後、立っていられるかなど知らない。
反動、反撃など気にしていられない。
ようやく立てる二人が己の身を厭うていれば、誰も助からないのだから。
「……っ…」
反動で倒れるファティナを見て、ユウが夜糸の斬糸を手繰り寄せる。背後から薙ぎ払う鋭利な糸は、けれど肉に浅く食い込むだけだ。
「誰が、貴方のようなモノに……!」
ユウの指先の方が、斬糸に込める力が強すぎて切り裂かれて血を噴き出す。それでも、動きを一瞬でも止めようとしている。
「魂を、人を、笑顔でいられる場所を渡すものですか! 例え此処で倒れても、何度でも、何度でも……!」
笑顔でいる事を誓った。他人に優しくしたいと願った。
それがユウの贖罪の道。自己陶酔と云われても結構だ。ユウが信じるものが、渡せないものがそれだというだけ。
「……アラドメネク、貴方の前に立ちふさがる!」
「お姉さま……を……殺させはしない!」
白銀の槍を持って攻め懸る、憐れな程にか弱いイシュタル。その中身となる力が聖槍に吸い尽くされているというのに。
「世界に背いた天魔、だというのに」
嘲っていた。蔑みながら、なんと無力なのだと笑っていた。
「……何を、見た。貴様ら」
力を大半を失い、虚無に駆られぬのか。戦いの場で武勇を奮えぬ事、屈辱ではないのか。
だが、こうしてアラドメネクへと立ち向かう。それは何故。いや、その動機は。
「……くっ…くくくく」
――寝返った天魔だからではない。
「そうか、そうか。成程」
強引な力技でユウの斬糸による束縛を解き、彼女を地面に叩き付ける。
アラドメネクの顏は余りにも鋭かった。
曇りがなくなった鋼。或いは、研ぎ澄まされた刀剣のそれ。
成程と。この戦いの熱で鍛え直された鋼の瞳が見据える。
「お前達を生かしておけば、このような戦いが何度でも味わえるか」
此処で殺し尽くしては足りぬ。
早々に飽きてしまう。ならば、策略を講じるのは不本意であり、得意でもない。
武人の矜持として終わらせない戦いは悔しいが、目的の達成だけを勝敗と見れば彼らの勝ちだ。敗者が負け惜しみにと、弱り切った者達を皆殺しにするのは恥かもしれぬ。
「引いてやろう。ただし、俺の地平に何度でも来い」
その名を戦場と呼ぶ。殺戮のみが残る場所が、アラドメネクの望み。
亀裂の入った大太刀へと手を伸ばし、掴んで引き抜くアラドメネク。
雄々しさも禍々しさも、戦う時より増している。
目指すものを見つけたが為に、重症を負った身でも覇気が満ち足りていた。
「お前達は天使を殺せ。悪魔を殺せ。俺が存分に戦える場を作れ」
それは悪魔からの呪詛。
まるで契約を迫るかの如く、けれど身を翻して去り往くアラドメネク。
「貴様らが俺達『天魔』と戦う限り――俺の望む場所は在り続ける」
容易く壊れぬモノ達よ。
どうか何時までも壊れないでいてくれ。
この闇刃にて断つその刹那まで、輝いていてくれ。
「さあ、それを伝えろ。お前達の仲間に。アラドメネクを止めぬ限り、殺さぬ限り、何度でも殺戮の地平は起きるとな」
「……言われず、とも」
戦は終ったと直感し、斉凛は同胞へと癒しを施しながらアラドメネクの背へと告げる。
「人間の底力を思い知りなさい」
アラドメネクの壊せなかった者達がいる。勝利出来なかった戦場はまさに此処。
「期待している」
それは何処まで端的に、けれど、決別を意味する言葉。
後一歩足りず、此処で討つ事叶わなかったアラドメネク。それがこれから何をするのか、誰も解らない。
そして、聖槍をも投入して自分達を倒しに来た久遠ヶ原を、冥魔がどう認識するのか。
天の眼も、闇の耳も持たない者達に知る術はない。
瓦礫が荒々しい戦の余波を受けて、瓦解していった。
この地には何も残さないと告げるアラドメネクの残した言葉のようだった。
だが、それでも勝ったのは撃退士達だ。
あの傷ではザハーク達と合流は出来ない。武器には亀裂。負傷と武器の手入れの為、下がる筈だ。
事実、来た道を戻ろうしているのだから。
「生きて、帰れる、のか……?」
誰も死んでいない。応急手当を、或いは残っている癒しの力を振り絞って危険域にある者達の傷を塞いでいく。
「此処に立つのは、全て私自身の為」
そう呟き、祈るように瞼を伏せた浮船。
「大丈夫、誰も死んでいない」
死を撒き散らす悪魔と対峙して、誰も死んでいないこの現実。
倒せなかった。討てなかった。その現実よりも、誰も死なずに帰還したこの事実を、何より誇る為に。
次へと、明日へと繋ぐ為、人は生きる。
そして繋がった希望は、何処へと向かう?