●煌びやかな紅蓮
三瀬 無銘(
ja1969)が見下ろすのは、炎に包まれつつある夜の街。
悲鳴に炎の爆ぜる音、消防車のサイレン。騒音が絶え間なく鳴り響く中、黙して見つめるのはこの騒動の発端である、たった一体のディアボロ。
火に包まれた、いや、火で編まれた虎か。悠々と歩き、それだけで周囲のものを燃焼させていく姿は、お伽噺か、或いは悪夢の世界から飛び出してきたかのようだ。
炎の王者。
様々な色の火の群れを引き連れ、天下に敵なしと人の作った街を闊歩する。
光の加減で赤とも橙とも、そして黄金とも取れる、燃え盛る獣。
その行進。
怖い位に、綺麗。
逢染 シズク(
ja1624)が遠目から見て、そう呟いたのも解る。それは異界と言われる天国や、地獄、つまりあの世への畏怖に近い。この世のものならざる幻想を直視し、恐怖と美しさを覚えるのだ。
「下らないですね。ただのディアボロ、作られた従者でしょうに」
故に石田 神楽(
ja4485)は嫌悪を含めて言葉にする。自らが嫌う夢や幻想‥‥それもとびきりの悪夢の顕然に対して、敵意しか抱けない。双眼鏡で動きを確認しているが、時折腰のリボルバーへと指が向いていた。
「狙撃地点は此処で良いんだな?」
「俺はここが丁度いいと思うぜ。作戦に適していて、戦闘に支障がない広さや障害物。加えて、相手の通るルートの上にあるわけだから」
用意した地図を片手に問いかけた久瀬 千景(
ja4715)に、セイジュ・レヴィン(
ja3922)は鋭い視線で周囲を見渡し、返す。十字路、消火栓、二階以上ある建物と狙撃地点が複数。隠れる事の出来そうな物陰も多い。
「そうなれば、さっと位置につこーぜ。荒事はキャラじゃねぇけど、だからこそ、危ないっていうのは解るしさ。敵が来る前に、準備を整えねぇと」
軽い調子で百々 清世(
ja3082)が狙撃地点や隠れる場所へ移動する事を促す。ある意味危険な場に慣れているからの嗅覚なのかもしれない。事実、火の波は次第に近づいて来ている。皆、それを見て思い思いの場所へと隠れ始めた。
『報告‥‥危険因子‥接近‥‥』
三瀬がスマートフォンで告げる。ごうごうという炎の勢いが耳の奥へと響き、気温が上昇して、冬の夜だというのに肌に汗が浮かぶ。
焼き払う。その意思と本能だけを持ったディアボロが、確かに近づいてきている。
そうして。
●暴威晒す焔
真正面から炎虎に対峙したのは、楯清十郎(
ja2990)だ。
柔和な表情を崩す事なく、強いて言えば水を染み込ませた毛布を羽織っている以外は、何処にでもいそうな少年。
だから炎虎は最初、意に留めない。悠々と、己の速度で歩く。近づけば燃えるのだ。逃げようが、その場に立ち止ろうが、構いはしない。結果は同じだ。
ところが炎虎の予想を裏切り、楯はその手に持っていた丸い何かを、炎虎へと投擲した。
「単純な手段だけど、効果的なはずです」
言葉と共に飛来したのは、水風船。透過能力を常時発動しているディアボロの身を通過し、ぱしゃんと地面へと落ちて水を散らす。地面に届く前に、炎虎の放つ熱で大半が水蒸気と化した。
無意味な行為?
違う。
自分を攻撃したのだと、炎虎は認識したのだ。身から放つ熱量が跳ね上がり、牙の間から白煙を放つ。威嚇攻撃であろうが何であろうが、攻撃を仕掛けて来たものは許さぬ、と猛り咆哮を上げる。
そして疾走。
「二人とも、いきますよ!」
迎え撃つよう駆ける筋は三本。十字路の中心を目指して、楯だけではなく、物陰に隠れていた逢染、鈴代 征治(
ja1305)が全力で走り抜ける。
怖くない。震えているのは武者震いだと、その炎虎の暴力的な熱を感じてなお、己を奮い立たせる。目の前にある炎虎は、一つの大きな篝火だ。それに自ら飛び込む形になろうとも、恐れる訳にはいかない。
――負けたくない。
「負ける訳にはかないんだッ!」
打刀を八双に構えて踏み込み、振り下ろす直前。
狙撃班である石田、清世の弾丸が炎虎へと着弾し、三瀬の苦無がその背へと突き刺さる。唐突に撃たれた衝撃でその動きが鈍った。
「此処です」
袈裟に振われた鈴代の打刀に続いて、逢染の両手剣が奔る。攻撃を受けて硬直した瞬間を狙った刺突は、前足の関節に向けて。全力で移動した為の雑さは、援護射撃で相殺されている。
二つの刃が炎虎の身を捉え、楯の放つ魔法が掠めた。
だからこその驚愕。
穿たれた筈の前足を突き出し、炎虎は楯を押し倒す。痛みなど感じていないのか、或いは、部分的な欠損など火の身には意味なしと、勢いを減ぜず牙で噛み砕かんと襲い掛かる。
楯の肩へと喰い込む牙。熱で身は焼かれ、顎の力でみしりと骨が軋む。いや、それだけではすまない。骨が、砕かれる。
「一撃必中、外しはしない。そして、それ以上はやらせん」
窮地を救ったのはセイジュの射た矢だ。炎虎の腹部へと突き刺さり、衝撃で口が開いた瞬間、楯は横転して追撃から逃れようとする。
が、追撃は物質の形を伴ってはいなかった。接近したが故に、三人の衣服や肌が発火し、身を焼く。楯と鈴代は羽織っていた毛布を脱いで放棄して火から逃れるが、逢染は防具ごとを外そうとして失敗している。
逃れた所で、一度限りの事。接近している以上、これからは火も敵だ。加えて。
「楯、いけるか?」
「ええ、この程度ならまだまだ。どちらが先に燃え尽きるか、勝負です」
先の一撃で、肩の骨に罅が入ったと楯は自覚している。だが、此処で引いてはいけない。久瀬の問いに応え、逆手に持ったショートソードで牽制を入れつつ、再び正面へと立つ。
炎を含めて、後二発は耐えられるだろう。耐えられる以上、一撃が重くても耐えるものが必要だ。負傷も火炎も恐れず、炎虎に対峙する。
発動されたセイジュの阻霊陣も、包囲し終わり逃亡する可能性がなくなった為、停止させていた。
「ったく、無茶しやがって‥援護するこっちの気にもなれっての」
火で編まれた身故に急所は解らない。が、動きの出を止めようと、清世のリボルバーが足の甲を狙って弾丸を撃ち出し、貫く。流石に姿勢を支える場所を攻撃されては挙動が鈍り、そこを狙って再び逢染と鈴代の刃が翻った。
隙を縫って、一刀一刀、丁寧に当ていく。それは確実に相手を削るという事だ。急所、弱点、そのようなものがなくても。
「その炎が消えるまで、刃を振うだけです」
「まるで山火事が相手だけれど、消えない火はないからね」
刃の後を追い、鮮血の代わりにと噴き出るのは火の粉。身を焼く熱を受けながら、二人はそれでも止まらない。
正面にいる楯は同じ班の二人だけではなく、射撃班が攻撃する隙を作ろうと牽制と魔法攻撃を繰り出す。物理にはその身体の特性故か強い耐性を見せたのだが、比較的魔法には弱いらしく、炎虎が怯む。
その隙を見て、炎虎の背へと、再び飛ぶ三瀬の苦無。三瀬もまた、確実に当て削っていく算段だ。冷たい閃光を宙に引いて、刃は炎虎に吸い込まれた。
「しかし、監視も動きを推察するも、あったものじゃないですね」
振るわれるのは烈火の暴威。十字路は火に炙られ包まれ、戦場というよりも地獄の一部のようだ。建物やアスファルトを舐める炎。ただ炎虎がいるだけでこの有様であり、殺意を向けられた楯は、果たして‥‥。
「ま、緊張せず、リラックスして参りましょう」
リボルバーで狙いを捉え、トリガーを絞りながら神楽。周囲の火に負けないマズルフラッシュ、続いて着弾。
そして、攻撃を晒され続ける炎虎は、ただ只管に楯を狙う。まずはこいつからだと、攻撃されるたびに勢いを増す戦意で、目の前にいる邪魔ものを砕こうとする。
防御は、再び間に合わない。
脇腹を抉り取るように噛みつかれる。内臓まで届いてはいないが、これ以上は危険だ。同時、燃え上がった毛皮が、楯、鈴代、逢染を包み込む。
「セイジュ、頼む!」
叫びは久瀬からだ。傍らにある消火栓に刀を振りかざしている。それで理解したのか、セイジュが標的を変えた。
セイジュの矢が、凛と弦を震わせて放たれ、鈴代の用意した消火器に突き刺さる。真っ白な粉が煙幕となり吹き出して双方の視界を塞ぎ、久瀬が亀裂を刻んだ消火栓からは水が噴きあがる。
炎は魔性を帯びているせいか、勢いを減じるだけで消えはしない。だが、消火器の粉とぶちまけられた水で視界は完全に潰れている。
楯が下がる機会は此処しかなかった。
目先の敵しか見えず、その敵を倒す事に集中する。その特性は良くも悪くも、一人へと被害、攻撃が及ぶ事なのだから。何処かで退避する隙を作らなくては、下がれない。
証拠に、炎虎は煙幕の中で暴れ、楯がいた所へと爪を振い、喰らい付こうと突進する。水滴は触れた瞬間から水蒸気となり、自分の視界をより隠してしまう。だが、たから何だ。あれは燃やし尽すのだと、乱れる。
「全く、大した化け物を初依頼から引いたものだ」
声は、煙幕の向こうより。
白い煙を斬り裂いて炎虎を迎え撃ったのは、久瀬の刺突。周囲に満ちている激しく暴れる熱気とは真逆に、静かで底冷えするような一閃。
炎虎が、ここで初めて回避を選んだ。首を振り、喉へと向かっていた刃を避ける。首筋を削って通過していく打刀。大きく跳ねて、炎虎は追撃を避けた。
その動き、見逃す筈はなく。神楽は二階の窓からその様子を見るや否や、全体へと叫ぶ。
「狙うのは首です。幾らなんでも、首を斬り飛ばされ生き残るようなものはない!」
事実、今、首という部位を庇うように避けたのだ。
今まで見えなかった急所を見つけ、撃退士達が狙いを定める。が、同時、張り上げた神楽の声を頼りにしてか、火の吐息が放たれた。回避は不可能で火に包まれながら、狙い撃ちにされぬように用意していた次のポイントへと移動する神楽。
「首‥‥成程ですね」
緩く捧げ持った打刀。間合いを計りながら、鈴代は斬首の機を図る。清世は穿つべきポイントを得たりとリボルバーを回転させ、セイジュは眼光鋭く矢を番える。放たれた二つは首を貫き通し、確実な負傷を与えている。
「全てが燃え尽きる前に、失ってしまう前に!」
狙うは斬首。逢染は両手で柄を握りしめ、踏み込みながら斜めへと刃を落とす。当てる事を重視したコンパクトな振りの為、深くは届かない。が、反対側から鈴代が打刀を振り上げ、逆側を裂く。
「弱ってきましたか」
「だな。けど、気を抜くなよ」
弱ってきたが、相手には鬼札がある。それも飛び切り性質の悪いもの。身を焼かれ焦がされても、絶対に出させてはいけない。場合によっては、場を一手で覆される可能性もあるのだ。
炎虎の咆哮。
決して距離を放さないと、肌を焼く炎の群れへ久瀬は身を飛ばす。
●炎乱を乗り越えよ
三人ないし、離脱する際は四人での接近攻撃。
それによって最悪の手である爆炎の発動は抑えられた。だが、二撃で楯が退くしかなくなった猛攻に、今度は鈴代が晒される。
「‥‥っ‥」
牙が腹へと突き刺さる。炎虎にとって、ほぼ会心の一撃といって良いそれを凌いだ鈴代は、返し刃をその首へと薙ぐ。火の粉は散り、気付けば火勢の勢いは減じている。炎虎の存在が薄らいでいるのだろう。
「下がれ、鈴代!」
弓から斧へと持ちかえたセイジュが突撃し、首を庇った肩へと刃を突きつける。
「ふふふ‥狙いは、外しません」
神楽もまた、精密な射撃で炎虎を削っていく。が、下がろうとした鈴代を追おうと、強引に炎虎はその身を動かした。
おまえ一人だけでも、絶対に焼き尽くす。憎悪にも似た執念。熱量より、その念が荒れ狂い瞳に浮かんだ。
「させねぇっての」
銃声。ここに来て清世が首ではなく、その脚を狙って撃った。最初の一合で愛染に穿たれた前足の関節。そこを再度貫かれて、身を転ばす火虎。
「先輩として、後輩には五体満足で帰ってもらわねぇとねぇ」
紫煙を上げる清世のリボルバー。苦鳴と共に炎虎が身を起こそうとした時、頭上より降る一つの刀。三瀬だ。
「‥‥‥‥」
無言そのままに、転んだこの機を逃がさぬと喉の中心へ刀を落下の勢いを乗せて突き刺す。身体が火に包まれたが、地面へと炎虎を縫い付ける。
これで倒れないのは、流石は街を一体で焼き尽くそうとしたディアボロ。その生命力もまた恐ろしい領域なのだろう。が、詰みだ。
「俺は、手の届く範囲を守り抜く」
火で肌と肉を炙られながら、久瀬が横薙ぎに一閃。首を庇おうとした前脚を斬り飛ばし。
「ええ、大切なものは燃えさせません」
長い黒髪を翻して、斬首の刃を振った逢染。一途な想いは、確かな一刀となって首を跳ね飛ばした。
それでもぎろりと睨む炎虎。おのれ、貴様ら。燃え尽きるべきだろうに。私に焼かれるべき程度のもので。そんな憎悪を滾らせ、首だけになってでも喰らい付こうという怨念を見せた。けれども。
「悪いが、俺たちの勝ちだ」
静かに告げて、宙を舞う炎虎の顔を断ち斬ったセイジュの斧刃。烈火を消すに相応しい、物静かな声と蒼の瞳が、敵の消滅を見ていた。
●消え失せた火
「さ、流石に‥‥」
どさ、と楯が膝を付く。二連撃に合わせ、炎での負傷。恐れぬ勇気は見事だが、その負傷は酷い。
「肩を介しましょうか。学園にいけば、治療はされるでしょうし」
直接的な攻撃を受けてはいない逢染が進言するが、なんとかするからと楯。代わりに、有無を言わさず、セイジュが楯を引き上げた。
「流石に、俺は放置はできないからな。学園に戻る時は、皆で、だ」
「あははは‥‥」
「まあ、初めての依頼で、戦闘不能になる程の被害が出なくて何より、か」
久瀬が呟いて、全体の負傷を見る。牙での一撃であれなのだ。全体を薙ぎ払う爆炎の火力がどれだけだったか。使われていたら、負けていたかは不明だが、何名もが倒れていただろう。
全ては、習性を活かして鬼札を封じ切った撃退士達の作戦と勇気の為。炎を恐れず、傷を厭わぬ心こそを称賛すべきだろう。
「ああー‥…怪我がなければ、飯食いにいってお疲れ会やりたかったんだけれどなぁ」
清世の呟きに、腹部を抑えつつ、苦笑して鈴代が応じる。
「じゃあ、今度、百々先輩の奢りで夕食でも」
「え、ちょっと待ってくれ。俺が、七人も?」
狼狽える清世。が、そこでふと気づいたように、神楽が口にした。
「って、あれ。三瀬さんは、何処に?」
言われてみれば、何時の間にかその武器も含めて消えている。まるで物語の中の忍者だ。そして見渡してみれば、火虎というサーバントとの消滅に伴い、火の勢いは減じ始めている。
「守りきれたのですね」
「ああ、守り抜いたんだ」
この世に魔の炎はいらない。人が生き、温もりを得る為だけの篝火だけで良いのだ。
ここは、人の世界なのだから。だから、守りたいと思うものがいるのだ。
沢山の思い出と共に。これも、もしかするとそのヒトカケラとして、夜に浮かぶのかもしれない。