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森を駆け抜けて、風が木の葉を鳴らす。
音は予感を孕んでいた。天界と人間との境となったこの場所で、何も起きない筈はないと。
穏健派によって抑えられた武断派。だが、その全てが是と従う訳がない。言い訳、言い分。そうものが少しでもあれば、己も戦場へと向かうのだろう。
「愚かで、見苦しいですわね」
白銀の前髪を指先で払い、ユーノ(
jb3004)が呟いた。
今がどういう状況か解っているのだろうか。認識している上でこれならば救い様がない。
同時多発したゲート。剣を向けるべきは、人ではなく冥魔だろうに。
この地を奪わせないというのなら、成程、穏健派の言う事も尤もだろう。
その穏健派との交渉が上手くいけば、さてどうなっていた事か。
「けれど、自らの威を示さんとするのならば、その矜持を折って無駄と示しませんと」
「ったく、面倒な事しやがって。ユーノの言う通り、返り討ちにやらねぇとな」
口にする獅堂 武(
jb0906)が見渡す周囲は木々と草むらばかり。
決して戦い易いフィールドとは言えない。視界が狭いという事は、相手とて警戒しているだろう。
この先に出るのは何か。蛇どころの騒ぎではないだろう。
「見敵必殺か……だから、だね」
何を見ようと、敵であれば必ず殺せ。
言葉にするのは容易いけれどと、柔和な顏を一瞬だけ曇らせた各務 与一(
jb2342)。
実行するのは至難。だが、それが出来なければずるずると事態は悪化していく。
この弓と、この与一という名に賭けて。成す事は何かと、確認するように弦に触れる。
その向こうでは、テイ(
ja3138)がカモフラージュの為、ギリスーツの上にフェイスペイントを施して身を隠す。
逆に木の上で狙撃銃のスコープを覗くのはイーリス・ドラグニール(
jb2487)だ。
「久しぶりのゲリラ戦、腕が鳴るのう」
「お楽しみを楽しむ為にも、まずは待たないとよね」
悪魔として長い年月を戦ってきた彼女達は笑みを浮かべ、同様に身を隠していく仲間達を見つめる。
九人中四人が悪魔、というのは久遠ヶ原としても少々奇妙な構成かもしれない。天魔を快く思わないものがいないかと、チョコーレ・イトゥ(
jb2736)の心配も無用に終った。
手を取り、連携して戦う。それが出来るのなら。或いは天界との交渉が成功していれば……。
「なんてね。やっぱり、万事恙なくとは行かないよね」
そう口にしながらも明るい笑みを崩さないのが神喰 朔桜(
ja2099)。
とある使徒の少女と、その言葉を思い出しながら。
が、言った通り、世界が順風満帆なんて退屈だ。波乱と待ち受ける困難を自らの腕で壊して超越するからこそ、瞬間こそ愛おしい。
「さて、ボク達は行こうか」
犬乃 さんぽ(
ja1272)は伏兵班が準備を整えたのを確認して、偵察班の面々へと頷きかける。
この森を動くのは明確な敵。天界の先遣隊。
ただでさえ冥魔の動きに苦戦している際に、これ以上介入させてはならないのだと。
――いや、じゃが、介入するのなら、向ける切っ先はこちらではないじゃろう?
僅かな予感。だが、言葉にするだけの確証はなく、イーリスの胸の中で露と消えて行く。
●
ざわざわと鳴り続ける森の中。
神経がぴんと張り詰めて、僅かな音や物の動きも見逃さないようにと。
周囲への察知が僅かに長ける与一が弓の弦を引き絞りながら歩き、イトゥは足音を消して木々に半身を隠しながら慎重に周囲を探る。
風が吹き抜ける度に、そちらを向いてしまう。
視界は悪く、声は出せない。音が頼りで、自分の鼓動と呼吸を煩いと感じてしまう。
とはいっても、敵のサーバントは透過能力を持つ。気配や動きは見えても、音を一切立てずに移動しているだろう。正直、探索という意味ではほぼ後手に回っている。
とはいっても、透過能力を使えるのは相手だけではない。
「…………」
半ば土に潜りって音を立てずに移動し、腰ほどまでしかない草むらに全身を隠すユーノ。
静まり返った水面のような精神状態。感じさせる気配さえも静かに、ユーノは更に前へと。
相手の進攻ルートは敵陣と撃退署を結ぶ直線上とアタリをつけている。知能のないサーバントなら特にそうだろう。
が、問題はその『直線』の横幅が広すぎる点と、森の中では自分達の正確な位置も掴めないという点。サーチ&デストロイ。探し出して倒せという依頼は、つまる所、隠れるだけではなく探す事も重要なのだ。
ただ衝突するだろう、というだけでは互いに隠れながらの移動のせいで気付かずに擦れ違う可能性とてあった。
隠れる事は出来ても、見つける事は出来なかった。
故に、これはギリギリの結果。
「……っ…!?」
木々へと走り上がった犬乃が俯瞰する視点で見たのは、都合四体のサーバント。
黒い巨狐が、するりと樹木を擦り抜けて行く。彼が目撃したのは、そんな敵の姿。
視界が悪い中、なんとか捉えた動く物体。
ただし。
「右、10Mくらい。もう近くにいるよっ!」
共に隠れ、擦れ違いかけた故に、叫ばねば間に合わない。
そして、奇襲はならず。ただ、咄嗟にと攻撃の応酬が飛ぶ。
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烈風と影の刃が飛び、返しにと黒の衝撃波が放たれる。
共にこれは遭遇戦。標的を絞り切れず、けれど白の雨粒が与一を打ち据える。
「思ったようにはいきませんか」
阻霊符を使わなかった事が不利になった訳ではない。
この結果は索敵の手段が足りなかったから。現に不意打ちは避けられたのだから、此処は五分。
ただ、これで終る訳がない。
ユーノの掌に雷撃が集束し、小さな輝く針となる。
主の意に従って飛翔した針は白狐を貫き、その魔力で体内を灼いて生命を蝕んでいく。
「下がりましょう。この状態で戦っても勝ち目はありません」
そして繰り出す与一の矢。鋭い軌跡を描いて、白の狐の前脚を射抜く。
だが、疾走する天羅は止まらない。手にした二刀に白い靄を帯びさせ、十字を斬るように振われる。
狙いはイトゥ。与一が咄嗟に放った弓が刀身を掠めたが、魔を断つ刃はイトゥの肉を斬って骨まで削る。
「……っ…天使の人形が」
間合いを十分に取りたくとも、遭遇戦では好きな距離を取れない。
深々と切り裂かれた傷から溢れる大量の血は、次の一撃を耐えられないと示している。
故に退く。全力で後退する。元より釣るのが目的で、此処で倒れてはいられない。
木行の印を結び、追撃を放とうとする天羅へと牽制を入れる犬乃。
「シュリケーン……お前らの相手は、ボク達だ!」
そう言いながら一気に後ろへと身を翻して撤退する。
最初の一撃の交差で想定以上の負傷をしつつも、下がりゆく四人。同時に発動した阻霊符。
追撃しようとした黒狐が透過能力を失い、木々に衝突して転倒する。僅かな逡巡の間に、一気に走り抜けて行った。
後ろを気にしている余裕は、ない。
見敵必殺――それは相手も同じだと、天羅の刃から滴る血が告げていた。
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走り抜ける四人を追う、四体のサーバント。
簡単に下がる事など出来ない。四人とも黒の衝撃波と白の雨に撃ち抜かれて、軽くない負傷をしている。
釣るというのはそういう事。陽動が無傷で成功するなんてありえない。
だが、釣り伏せはその負傷以上の効果を産み出すから戦術として使われるのだ。
全力で駆け抜けて追い縋るサーバントを、左右から身を隠していた撃退士が一斉に向かえ撃つ。
正面の敵へ追い縋り、殲滅しようとする意志は不意打ちの可能性など忘れている。
「追撃の時ほど、己が守りを忘れるものだからの」
故に焦るな。罠の奥に掛かる瞬間をと、スコープを覗いて距離を確かめる。
狙撃手にとってもっとも大切な待ち時間と、攻めの瞬間。
それを見抜いたイーリスの声が一斉砲火の合図となる。
「さあ、皆のもの。狐狩りじゃ!」
魔力で産み出された氷の刃が白狐を切り裂き、イーリスの弾丸が胸を貫き、ティの闇を纏った弾丸が腹部を撃ち貫く。
白狐が怯んだ瞬間、疾風の如く一気に踏み込み、銀光を煌めかせて刺突の一閃を放つはナヴィア。
「さあ、楽しませてもらうわよ」
流水のような滑らかに、そして鋭く奔る刃。喉を貫き通して翻り、その首を斬り落す。
散る鮮血の飛沫。これを以て本当の開戦の合図にするのだと。
「あぁ、でもみんな、可愛いな。狐ってさ。――どんな声で鳴くのか、抱きしめて確かめたい程にね」
故にと神喰から放たれる黒き雷槍。
轟いて穿つ魔力には破壊の情愛が乗せている。壊れて砕けるまで触れさせて、抱きしめよう。
結果として死しても、それが神喰の愛で、砕け散った身体と魂の欠片が彼女を飛翔させる翼となるから。
破壊の愛を詠う、愛すべからざる光。
閃光として照らしたものを壊す、黒き輝き。
が、それに戸惑うばかりの敵ではない。
唐突の両側面攻撃に黒狐二体は逡巡したが、天羅は違った。
ナヴィアへ向け、螺旋を描きながら放たれる底冷えする二刀。それに二人の射手の瞳が向けられる。
「やらせはしないよ。この矢が届く限り、君たちの思い通りにはさせない。二度は、その刃に血を吸わせない」
「直情的なのは天使の気質かの。ま、やり易いからわしとしては良いが」
右の刀身を打ったのは与一の矢。左の刀身を弾いたのはイーリスの狙撃の弾丸。二重の回避射撃は共に攻撃を逸らし、態勢を崩させる。空を切る刃は追撃を放てず、ナヴィアは余裕を持って後ろへと飛ぶ。
「挟撃での奇襲は成功、のようですわね」
足を止め、自身の周囲に魔力による電磁を発生させ、二体の黒狐の意識を蝕むユーノ。僅かな電光を纏う姿は可憐ではあるが、幻惑させて狂わせる術だ。
横に並んでいた互いに尾による一閃を繰り出し、同士討ちとなる黒狐。
「憐れですわね」
魂無きサーバントへ、言葉通り憐憫を滲ませて言葉を送るユーノ。
だが、だからといって攻勢を緩める筈もない。やっと出番だと、切り裂かれたセーラー服を翻して、犬乃が八岐大蛇を鞘から抜き放つ。
切っ先に現れたのはアウルで作られたヨーヨー。刀身を翻す事で空へと打ち上げると、無数に分裂して降り注ぎ、二体の黒狐と天羅を纏めて打ち据える。
「降り注げヨーヨー達…鋼鉄流星ヨーヨー★シャワー!」
「犬乃殿のサポートをうまくできればいいのだが……」
その横、既に深手を負っているイトゥが荒い息をつきながら間合いを計る。元々遠距離を想定した装備だったのもある。次の一撃を受けない為、慎重に相手の動きを見捨て、影を放つ。
魔に抵抗の低い黒狐は切り裂かれ、更に姿を隠した儘のテイの放つ闇の弾丸で額を撃ち抜かれて一体目が力尽きる。
未だ隠れた儘のテイの姿を捉えられず、また頭上のイーリスも視認できず、狙撃の弾丸が残る一匹へと浴びせられる。
「さて、行かせて貰うぜ!」
そして接近し、金剛夜叉を翳す獅堂。振われる直刀を避けようとするが、一瞬早くナヴィアの銀光が煌めき、狐の腹部を撫で斬る痛みで動きを止める。追撃として入った肩を割る獅堂の刃。
が、スキルの活性化を変えた結果、獅堂の生命力は低下している。攻撃を受けるのは危険だった。
けれど。
「俺は言ったよ、思い通りにはさせないと」
そう与一が言い放ち、弦を振わせて放たれる鋭い一矢。黒狐の喉を貫き、絶命させる。
後は天羅一体。そう思い、視線を向かわれば、手にした二降りに再び光を纏わせ、天の祝福を得ていた天羅。
繰り出される刃が向かった先はナヴィア。与一の回避射撃が飛ぶが、間に合わない。
魔を断つ羅刹の斬撃。生命力を一気に持って行かれるのは、元々冥界に産まれたナヴィアでは避けられない。
木々の中に隠れようとも、戦いながらでは難しい。誰かが攻撃を抑えつつならば可能だろうが、天羅の攻撃を正面から引き付けるだけの防御力を持ったものがいない。
「けど、それで限界、よね」
身を切り裂いた刃の冷たさと激痛を堪えながら、後ろへと下がるナヴィア。
そう。もうこの天羅一体しかいない。他の仲間は討ち倒され、もうこの一体しかいないのだ。
それでも果敢に――或いは愚ろかに、二つの刀を構えて立つサーバント。退きはしないと。
「カッコいいね。だから余計に気になる。ねぇ、キミはどんな声で鳴くの? 聞かせてよ、知りたいな」
からかうように、そして、僅かな高揚を覗かせる神喰の声。
誘われるように、天羅の周辺の空間が揺らめく。黒い焔が灯ったかと思うと、周囲を埋め尽くすように放たれたのは縛鎖の群れ。
「――捕まえた」
ぎりぎりと、軋みを上げる黒焔の鎖たち。縛すというよりは、神喰の言った通りに抱きしめて鳴くのかと問うように。
少しずつ、少しずつ、壊れるまで抱き締めようと鳴く鎖達。
簡単に壊れないで。触れ得る瞬間はあまりにも短い。――ふと、誰かの事を思い、その声はどうなるのだろうと瞼の裏に夢想して。
「いやさ、壊れ果てるまで、その最後の瞬間まで抱き締めたいだけどね?」
神喰が求めるのはたったそれだけ。至高の天に至る道に、そうやって辿り着くのだ。そう笑って告げて。
「動けない相手に近づく必要などない、な」
イトゥの言葉通り、距離を取って捕縛された天羅へと攻撃を重ねていく撃退士。
卑怯とは言わせない。これは戦いであり、撃退士側の消耗も激しいのだから。魔を弾丸を、符と雷針を矢を重ねて打ち込み、天羅の生命力を奪っていく。
が、その上で突き進む犬乃。天の祝福を受けた状態を狙って、闇を纏い、視覚から高速の連斬を放つ。
「この瞬間を待ってた……これで止めだっ!」
相手の五感を眩ますような闇纏う太刀筋。一閃で浅くとも、連なればと放たれる。
が、追撃の筈が届かない。与えた一撃も単純に浅い。
未だ動くと、螺旋を描く太刀。スクールジャケットを変わり身として残して避けるが、犬乃の額には汗。
今のを受けていたら、危険だったと。遠距離攻撃手段がない代わり、攻防、共にシュラキを越えている。
だが、縛鎖による束縛の間に重ねられた遠距離攻撃で沈んでいく。
「全く、タフじゃの」
血で濡れ、それでも倒れないその身をスコープで覗いてイーリスが呟いた。
「じゃが、わしらを相手にしたのが運の尽きじゃ」
そして引かれる引き金。額を討ち抜き、絶命させる冷徹な狙撃の弾丸。
一つの銃声が終わりを告げ、森は静けさを取り戻した。
そして、森での先遣隊が帰らなかった天界の防衛陣はジリジリと後退していく。
元々穏健派から戦闘行為は控えるようにとあったのだ。敗北した以上、重ねて命じられれば下がる他ない。
武を持って制する者達ならば、なおさらに。
ただ、奇妙な事に……この防衛陣を任されていたアルリエルの姿は、何処にもなかった。
この森の小競り合いが、目を逸らす為の囮だったかのように。