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未だにその色褪せぬ、冬の名残。
木々の携える緑さえも塗り潰してしまいそうな、雪化粧の世界がそこにあった。
触れる風が、肌を震えさせる。身を止めてしまいそうな、冷たさ。寒さ。
けれど。
「この先にいるのですね。助けを求めている人が」
学園の生徒だからではない。助けを求めている人がいるのだ。
その差に久遠 冴弥(
jb0754)の中では一切の関係はない。救いを求める人を見捨てる事などあり得ない。
雪を乗せて向かい来る寒風。この先に敵がいる。怯えてばかりではいられない。
そうやって、雪に足跡を付ける久遠。一歩、一歩、確かな少女の歩みの跡を。
声と歩み往く音に応じるよう、大炊御門 菫(
ja0436)も言葉にする。
「ああ。人が死なない為、護る為、私はこの学園に来た。その信念の為に成すべき事があって、必要とされている。……私が行かない道理がない」
救い、守る事こそ菫の求道。その胸に想いの焔を灯し、眦を決して雪の続く森を見つめる。
消すのではない。活かして繋ぎ、次へと続ける。
終わりではなく、始まりを齎す為の菫の心の熱は、名残雪程度では止まらない。
久遠と菫が頷き合い、召喚される布都御魂。
脚部に生えた剣状の装甲に、菫の武気がオーラとなって纏い、蒼焔の如く揺らめいた。嘶きを一つ上げると、空を飛ぶ馬龍は戦意を引き寄せる先駆けとなる。
「注意を引く為、頼みましたよ」
蒼焔と蒼煙を引き、エインフェリアへの囮となる布都御魂。非常に効果的な囮だが、召喚獣は久遠と生命力を共有している。傷つけば主も傷つく。
「ですが、彼女達を救える可能性があるなら、可能性があるなら、それを見捨てる訳にはいきません」
飛翔して先行する馬龍を見つめ、エリス・K・マクミラン(
ja0016)は僅かに苦笑した。
「……無論、正義とやらではありませんよ。人として、当然の事です」
そう、人として当然の事。仁も義も愛も祈りも全ては後。先に浮かぶのはただ救えるなら救いたいという心と衝動だ。それこそが人の道。それを踏み外してしまえば、後は外道に落ちるだけ。
正義でもなく悪人でもないエリス。ただ、人であると。
「それこそが尊いモノだ」
命の輝き、諦めぬ意志、他者を想う心。
インレ(
jb3056)の前にあるそれらに、思わず目を細めてしまう。ただ尊きモノを失わせてはならないと、インレは知らず呟いていた。
何処か達観と信仰に似た響きを乗せたインレに、志堂 龍実(
ja9408)は頷き、橋場 アトリアーナ(
ja1403)は淡々と、けれど想いを一つに固めた言葉を紡いだ。
「……皆で、学園に帰るの」
全ては、アトリアーナの言ったその結末の為にと動き出しているのだから。
「違いないわね。この雪を溶かす、太陽の魔術で見せてあげましょう。雪が解けたら、花が咲くものよ。そして、笑顔も」
ソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)も雪をかき分けるように進みながら、陽花の少女として笑いかける。
冷たい終わりなんて、絶対に認めない。
「――――ったく。ヤリ辛ぇ相手だぜ」
重傷を受けた二人保護しつつの戦闘だ。足場は雪で動き辛いというのに、相手は空を飛ぶせいで不利は自分達だけ。二重の重荷を背負っているような状態。
積雪に脚を取られ、思うように進めない中、小田切ルビィ(
ja0841)は笑っていた。
辛い時こそ、苦しい時こそ、笑っていろ。笑い続けて、決して。
「二人とも、俺達が辿り着くまで、諦めるな……!」
諦めない。動きを止めない。助けてみせると誓うからこそ、二人にも言葉を送るルビィ。
声は届かない筈だし、距離の問題がある?
そんなものは些細な事。例え見えなくとも、思いは通じるのだと、信じている。
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張り上げられたソフィアの声を、少女は確かに聞いた。
――救援に来た。だが、まだ近づくなと。
ただ呼びかけられていただけでは、即座に反応してそちらに駆け寄っていただろう。
見ればインレが視認し易いようにと赤いマフラーを巻きながら、周囲の木々に布を釘で打ち付けている。
アトリアーナも、こちらの準備が出来るまでは返答しないでと。
何故、と思った。
疲弊し、血だらけの少女。一刻も早く救助を求めて駆け寄りたくて。
けれど、稲妻を纏った翼がはためく。
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それは迅雷の一閃。
紫電を纏って繰り出された不意打ちの槍撃だ。木々の枝葉を透過能力で滑り、雷撃を操るエインフェリアの穂先が走る。
狙われたのは布都御魂。空を駆け抜ける馬龍の肩口を深く貫く穂先。
「……っ…!?」
連動してダメージを受ける久遠の肩口から噴き出る血。決して浅いものではない。
加えて痺れて落下する布都御魂。地面が雪に覆われていた為、クッションとなって更なるダメージは起きないが、墜落してしまう。そのまま、エイフェリアの虚ろな目が、空から布都御魂を射抜く。
移動して離脱したくとも、麻痺した身では不可能。
「仕方あるまい」
不定形の闇の翼をはためかせ、空へと飛ぶインレ。
「此処で帰る、という訳にはいかないのでな」
一瞬、炎のように紅い斬糸をしゅるりと揺らめくように滑らせて、エインフエリアと同じ高さに並び立つ。
「…天使? いや、あれは――エインフェリアか」
ルビィも鬼切を抜き放ち、白と黒の交じり合う防護の光を纏いながら紅の瞳で敵を見据える。
エインフェリアはそう珍しくないサーバントだ。だが、この個体の翼は雷撃を産み出し、纏っている。明らかに特殊な個体だろう。
「ハッ――だが、だからなんだ?」
精緻な鍔飾りを施された赤黒い刀身。鬼を切ったという逸話を持つ刃を向け、次は天の従属を斬るとルビィは戦意を宿した笑みを浮かべる。
逆に、何処までも淡々と冷たく奔るアトリアーナの高速の一閃。
放たれた衝撃波は白く輝きながら、まるで狼の牙の如くエインフェリアの腹部へと突き刺さる。
「……先ずは、ダメージを重ねて鈍らせるの」
手応えあり。攻撃力に特化しているアトリアーナの一撃は、エインフェリアの防御を貫くに十分過ぎる程の重さがある。
続けて放たれたのはソフィアの放つ、花びらの螺旋。魔によって引き起こされた花びらが飛び往き、着弾。霧散していくかと思いきや、それらを雷撃が焼き尽くして消滅させていく。
「よく狙って、確実に撃ち落とす……と言いたいんだけれど」
ダメージは与えたと確信している。ソフィアの魔力も並ではない。が、召喚を解除した久遠の負傷を見て、自分達の相手にするサーバントの強さを知る。
一撃で久遠の生命力は、その半分以上削られている。流血は止まらず、後退しながら傷口を手で押さえている。
「けれど、このような強敵はよくいる筈。……怯え続ける訳にはいきません」
じりじりと後退し、誘導していく戦闘を担当するメンバー。その数、五人。
エインフェリアは消えた布都御魂に思う所はないのか、一定の形を持たない闇翼をはためかせるインレへとその穂先を向ける。
撃破を狙うには数が足りないと、そう思ってももう遅い。
インレへと放たれた雷刃がその身を焼き焦がしながら切り裂く。
二撃は耐えられない圧倒的な火力だ。悪魔であるインレにはよりその威力は増している。
だが、ならばそれは同じ事。避ける事が出来ずとも、己の斬撃にして断つのだと斬糸を走らせる。
乗せたのは祈り。込めたのは願い。
真紅の斬糸は刹那に疾走し、翼を斬り裂く。此処で討ちとらねば、再びこの雷撃は人を殺めるのだから。
「尊きモノを、焼かせんよ」
故に振われた連閃は翼を絡め取り、削るように切り刻みながら地へと通す。
「指先は器用でね──頭が高い、堕ちろ」
「ハッ、追撃だ。足元がお留守になっているぜ……!」
ルビィの携える赤黒い刀身が鳴いて、黒き破壊光を産み出していく。
狙うのは翼。空中から落下しているその状態ならば避けられまいと、ただ一点を狙う渾身の一閃。
風が断たれ、雪が舞い上がる。後に残ったのは爆ぜる血飛沫。翼を失いはせずとも、機動力は確かに奪った筈。
だが。
「……なっ……」
久遠の雷撃とソフィアの光り輝く火球が空を切る。波状攻撃と左右から放ったそれを視認せずに回避したのは、天魔なら誰しも持っている能力故だった。
透過能力――先の不意打ちも使われたそれにて、地面へ激突させず、逆に潜りこんで攻撃を避けたのだ。
初歩の初歩だが、時として封じない事で不利となる。地に落としたのは良いが、誰も阻霊符を使用していない現状、エインフェリアは雪などに動きを止められない。
だが、だから何だと、再び地から浮き上がったエンイフェリアへとアトリアーナが迫る。空へと飛び、急降下しながらの痛烈な蹴撃。
「……おまえの相手はボク達なの」
空を爆ぜさせる強烈な一打――ただし、それは当ればだ。横へとステップを踏み、避けられたアトリアーナの蹴り。インレの一撃も意識を刈り取るには至っていなかった。
保護に向かった二人へは注意が向いていない。だが、この五人で勝てるか。不安が過る。
そして敗北を突き付けるように、エインフェリアの穂先がインレを向いた。
放たれる雷刃。此処で終れない。諦め、尊いモノから遠のくを否とし、真正面から迎え撃つインナ。
斬糸が雷撃に触れ、拮抗と共に互いを切り裂いて行く。天の稲妻、此処に断つのだと、猛りを吼えとして。
「おおぉぉぉぉ! ──我が斬撃!!」
そして我が祈り。決して朽ちず果てぬと、願いを込めて。
交差する二つの斬。そして血煙をあげながら落下する、インナ。
まずは、一人。
戦力の分散故に、雷翼の槍を止められない。
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だが、劣勢を強いられた戦闘班の代わり、保護の方は上手くいっている。
二人を見つけたエリスは白い布で二人をカモフラージュするように包み、カイロを渡す。
「もう少しです。耐えて下さいね」
酷い怪我。後少し救助が遅ければ、或いは一撃を受けていればどうなっていたかは解らない。
目印にと戦闘が始まってすぐに菫が色のついた布を腕に巻いたのも、この雪の降る森では効果的だっただろう。
「こちらへ。まずは安全な所へ向かいましょう」
手当をしたくとも、近くで戦闘が行われていてはそう上手くはいかない。
少年を背負い、全力で駆け抜けた菫。少女には栄養ドリンクを渡し、少年にはエリスと共に手当を施す。撃退士の生命力を思えば、これで後遺症などはない筈だ。
だが、後方で響く雷撃の音。破壊音。他者を護る事が出来る菫がこちらに来たのは当然の選択だろうが、逆に言えば抑えの筈の戦闘班で防御を得意とするものがいないという状態には不安が残る。
だからと、少女の手を握ると菫は誓うように言葉にする。
「……此処で待っていてくれ。一度君達を助けに来たように、今度は仲間を助けてくる。そして、全員で帰ろう。その為に、私は、あの学園があるのだと信じている」
冷え切った少女の手に直接触れて、菫が持つ熱を渡しながら。
「行きましょう。誰かを、この雪の森に隠されてしまう前に」
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響き合う鋼の音。それは悲鳴以外の何物でもない。
「……っぐ…」
ルビィが盾を持って受け止めた筈の紫電の槍。穂先は刺さらなかったが、纏う稲妻に感電して、動きが止まる。
だが、他の者が受ける訳にはいかない。既に負傷している久遠であれば倒れていた。アトリアーナは端的に防御が脆く、万が一、ソフィアに届けばそれだけで危険。
「適材適所――それだけてじゃねぇけどなっ!」
残る力を振り絞り、盾でエインフェリアの槍を弾き返すルビィ。
撤退する訳にはいかない。通す訳にはいかない。
自分達の後方には救助を求める者がいる。その学園の仲間を救う為に、決して退けないのだ。
「――救ってみせるぜ。仲間すら助けられずに、何が撃退士だ…ッッ!!」
返しの刃は赤き刺突。己が負傷、麻痺を厭わずに放ち、肩を射抜く刀身。そのまま翻して、傷口を抉る。
この剣、この力。何の為にある。此処で負けられないと、紅珠のような瞳が闘志に燃える。
「……最後まで、諦めない」
血潮の熱さを知っている。失う冷たさを知っている。
だからと背後から痛烈な蹴撃を放つアトリアーナ。己に注目を集めるのは危険だとしても、一人に負担と危険を背負わせなど出来ない。
討伐が理想。それが出来なくても。
「助け出す為にも、負けられないね」
負けるとは失う事だから。輝く火球を紡ぎ出し、放つソフィア。衝突共に爆ぜて、エインフェリアの肌を焼く魔炎。
劣勢と知りつつも下がれない。雷撃の一矢を意趣返しと放つ久遠。直線に走らせた稲妻は、倒れたインレに決して近付かせぬ為に。彼が地上へと落とさなければ、更に苦戦していたのは確実なのだから。
翼は戻らず、けれど透過能力で雪上の不利を消して舞うエインフェリア。更なる紫電纏う一閃が、今度はアトリアーナを襲う。
出血と肉の焼ける匂い。脇腹を刺され、雷撃に体内を焼かれながらも、アトリアーナはエインフェリアを睨み付ける。
負けない。負けたくない。助けたい。救いたい。
なのに、後一手、足りない。
故にと白雪を否定するような、黒炎が疾走する。
「……個人的には複雑ですが」
仲間の苦戦を見て、口元を引き締めるエリス。
五人で抑えるには強すぎた相手。ならばと。
「杖を用いるのが必ずしも術者と言う訳ではありません」
黒炎の気を操り、エインフェリアの側面から強襲。疾走の勢いを殺さずにそのまま叩き付け、小規模な爆発を起こさせるエリス。
「拳で、という術者もいるという事です。常道ではない事もあると。……ただ、アナタに常道が解るのなら、これが不利と解る筈ですが」
そしてその背後から続くのは菫。露と雷気纏う白銀の槍が、持ち主である菫の肉体をも強化し、超高速の一閃を放つ。
「遅くなってすまない。……だが、二人の救助は成功だ」
槍を頭上で旋回させ、エインフェリアを見据える菫。
「これ以上、挑むというのなら相手しよう。だが、お前に私達は決して負けない」
救助に向かっていた二人の合流。これで劣勢は覆る筈だ。ただし、これから先は厳しい所ではすまないのは解っている。何名もが倒れていただろう。
故に、エインフェリアがその翼をはためかせ、よろよろと空へと逃げたのは幸いだったかもしれない。
「倒したい、所でしたが」
いや、倒すのではなく救う事を優先して選択したからこその結果。確実な二人の保護へと走ったが為のこの結果。
戦力配分が違っていれば或いは撃破も可能だっただろうが、その分、二人の撃退士の安全な保護の可能性は低くなっただろう。
「二兎を追う者は一兎をも得ず……それを避けられただけでも、よしとしましょう」
自分達が何を求め、何を願ったのかを忘れた訳ではない。
皆で学園に帰ると言った。誰も失わないといった。尊きものを護るのだと。
名残雪の森の中、静けさが撃退士達を迎える。戦いは、終りだと。