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往かなければならないだろう。
始まりを告げた戦場。剣戟の音は熱を帯びながら此処まで届いている。
激戦だ。今なお数多の撃退士とサーバントが衝突しているだろう。そして、使徒と、大天使までもが。
まともに戦って勝ち目はないからこそ。
「突破せなね」
ぽつりと呟いた宇田川 千鶴(
ja1613)の声がその場の総意。
下水道に伏せていたこの部隊の強襲に戦況は左右されると言って過言ではない。
「天使とやり合うなんていつ以来だ? 最も、今じゃ相手にもならん雑魚な訳だが……無論俺の方がな」
皮肉外に口にしたのははぐれ悪魔であるヴィンセント・ブラッドストーン(
jb3180)。
だが負ける気はないと、その戦意に曇りはない。サングラス越しの視線は、これから出逢うだろう敵を見据えている。
「勝ち目のない戦い。でも、それを潜り抜けていくからこそ英雄なのでしょうね?」
幾多の戦火を潜り抜け、けれど朽ちる事のない身こそが英雄となる。
新井司(
ja6034)の求める英雄像は未だ見えず。ただ、死ねない。そして負けられないのだ。
抗い続けたその姿こそ、後から見れば英雄かもしれない。
「天使の仕掛けた戦に挑み、それを覆すのもまた英雄かしらね」
天使に従うだけ人ではない。そして、覆す為に。
「一瞬でもいいから隙を作るしかありませんね」
浪風 悠人(
ja3452)が呟くのは間隙を貫くという事。何も敵を倒すだけが勝利ではないのだから。
それがどれだけ精緻な動きを求められているか、解ってはいるが。
「さあ、行くぞ。時間だ」
促すのは影野 恭弥(
ja0018)。
やらなければいけない。そして遣り遂げて、勝利を得る。
天の輝きに負けない、その意志を。
●
下水道を抜けると共に発動する阻霊符。
そして確認する敵の陣形。
指揮を飛ばす亡霊の娘と翼を持つ少女を囲むように六体のサーバントが配置された陣へ一気に雪崩れ込む撃退士達。
サーバント達は咄嗟の奇襲に対応出来ない。
狙うは亡霊の娘ただ一体。そこに一点へと凝らした一撃を与える為に。
「行くで。切り開くんや!」
一番槍は宇田川だ。雷撃を纏って駆け抜け、一閃と放つ。
――その直前、場の空気が凛冽さに満ちた。
肌が、身が、精神が切られる。
所詮は錯覚だ。けれど、そう感じてしまう程の烈と化した武威が、八人に向けて放たれている。
認識され、戦意を向けられただけでその脅威が解る。拙い。戦っては全滅する。
これが大天使、アルリエル。絶対的な彼我の差。
「……っ……けど、引けないんや!」
危険なのは自分達だけではないと、放たれる宇田川の稲妻は二体の獣人のサーバントを捉え、その動きを痺れさせる。
「元々、多少の危険は覚悟の上です!」
そして重ねられる悠人の魔の破壊光。手甲の爪先から奔った黒光は先の一撃で麻痺し、弱ったサーバント二体を薙ぎ払う。
まずは防衛線を突き崩し、標的へと攻撃を通さなければならないのだから。
「邪魔よ。私達の道を阻むつもりなら、その命、燃え尽きなさい」
そして駆け抜ける新井の繰り出す撃拳の一打。収束させた武気は爆裂したかのような衝撃を産み、サーバントを斜め後方へと吹き飛ばす。名残として炎のように揺らめく蒼きアウル。
「全く、天使同士で殺し合いして欲しいんですが」
「脆弱なる者に言われるまでもない。狙戦わせて貰う」
天使を嫌悪するジェイニー・サックストン(
ja3784)の言葉に、不動神 武尊(
jb2605)はスレイプニルを召喚しつつ鼻で笑って応える。
そして放たれる二人の射撃。吹き飛ばされなかった方の獣人も倒れる。
これで道を開けた。ヴィンセントは影の中に潜むように気配を薄め、影野も索敵で敵の陣形を確認する。
「頼むぞ」
狙撃銃を構え、口にする。
気を抜けば指先が震えるだろう。道が切り開かれた事で、その姿が見えてしまったのだから。
青い髪を靡かせる、大天使アルリエル。陣を一瞬で突き崩した撃退士の襲撃に、賞賛の声を響かせる。
「やるな。私の使徒が執着する訳だ」
すらりとシンクレアを抜き放つアルリエル。
だがその迎撃を制する為、一気に跳躍してアルリエルに迫る影。
衝突する金属同士の音。突き出された槍の穂先と剣が交差する。
距離を一瞬で詰められた事に、大天使の目が細められる。
「少しお相手願えるかしら? 暇なのでしょう。冥界のゲートを放っておく位なのだから」
一気に間合いを詰め、大天使を抑えに掛かったのは暮居 凪(
ja0503)だ。単騎で大天使へと迫るなど命知らずと云われるかもしれない。だが、アルリエルを捉えたのは暮居の槍ではなく、言葉の刃。
何を言っているのだと、青い瞳が戸惑いに揺れる。
――冥界の、ゲート?
この人間は、何を知っている?
戯言と、一蹴出来ないが為に。
「……正面から来たか。良い勇気だ。所詮は人間だが、その言葉、聞いてやろう」
果敢なる攻めと、知の言葉によってアルリエルの意識と注意が暮居に向く。今、この瞬間、亡霊の娘を守る必要性をアルリエルは意識から外してしまっていた。
「だが、剣を交えながらでも構うまい。弱き者の戯言ならば、聞く必要などないのだからな」
故に真摯に応えよと、空を裂く剣風が放たれる。
最早その斬撃は人の域に非ず。試しの一閃だろうが、盾で受ける事も出来ずに腹部を裂かれて鮮血が散る。
耐えられて後、二撃。だが、何かしらの技で出されれば、果たしてどうなる。
「いや、それとも腕の一、二本失ってみるか? 私の使徒の借りもある事だ」
そして徐々に増していく、アルリエルの戦意と武威。
全力を出されれば、終る。だからこそ、一瞬を逃せない。
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亡霊の娘への守りに入ろうとしたシュラキへ、手甲を構えて悠人が肉薄する。
滑るように間合いに踏み込み、繰り出す魔の爪撃。物理に強いが、魔に弱いシュラキの胸板を削り取る。
「そちらへは行かせませんよ」
自分は無視出来る相手ではないと認識させるに十分な悠人の一撃だった。反撃と繰り出された太刀を受け切れず、肉を裂かれるが退けないのだ。
強敵を一人で足止めする。その危険性は理解している。
「けれど、勝つ為には必要ですからね」
呟く悠人は亡霊の娘とシュラキの間に立つ。
そして、猶予などある筈がないのだから、攻撃は迅速に、必然として連携となった。
「隙ありだ」
呟く影野の姿が漆黒に染まる。スコープ越しに覗いた亡霊の娘は、自分を守らせる為、獣人の混乱を立て直させようとしている。故に自信の防御への意識は薄くなっている。
そこを貫くように放たれる影野の裡より溢れた闇を纏う弾丸。一直線に放たれ、亡霊の娘の腹部を貫通する。
そして悪魔であるヴィンセントも続けて引き金を引く。
「対等な戦いが出来るなんざ思ってないんでな、悪いが狙いは絞らせて貰う」
連射されるアウルの銃撃の中、一点を狙う。元より冥魔、サーバントへは効果的な攻撃だ。
だが、それだけでは倒れない。敵の司令官を任される分だけあって、耐久力も高い。
「けど通ったで。勝ち目がない訳やない」
抑えに走るメンバーの負傷は理解している。だからこそ、更に攻め立てるのだと雷遁を走らせる宇田川。
横へと走る稲妻は再び獣人二人を捕え、動きを止めさせる。シュラキを対応する悠人は気になるが、無傷での勝利などあり得ないのだ。
前へと出てシュラキの援護へ向かおうとしていた獣人へ、新井の拳が迎撃として振われた。蓄えられた気は氷の如く冷徹で鋭い。貫手として水月を撃ち抜き、氷のような衝撃が体内を走って身動きを断つ。
「どうやら、アナタ達に構っている余裕は、ないようね」
動きを制した獣人には最早一瞥もくれず、倒すべき相手である亡霊の娘のみを見つめる。
身を切るような霊気の流れ。それは近くにいるだけ疲弊する程だ。大天使という脅威は、知らず鼓動を早めている。
ただ、傍にいるだけで。では、アルリエルと刃を交えている者達にとっては?
「一気に落とすわよ」
それしかない。それしか、元より道はないのだ。
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繰り出されるアルリエルの剣戟には、明らかな加減があった。
対峙する暮居の言動を見定めるように。そしてその限界ギリギリを攻め立てるように。
目で追えるギリギリの速度でシンクレアの刺突が繰り出される。受ける盾が悲鳴を上げて削られていた。
言葉を発しなければそのまま切り裂くのだと剣の舞踏が踊る。
「起動『ModelImmotality』……そうね、冥界が多数のゲートを四国に開いた、というのは知らないのかしら?」
故にと光纏を数式の形に具現化させ、防御を更に固めながら暮居は告げる。
立ち続ける為のとってきおきである、守りを補助する筈の数式。それさえも削られつつ。
「だから言ったのよ、暇なのかしらって。こんな所を攻めている位なら、冥魔との戦いにいったらどうかしら? 貴女の望み通りの悪魔との戦いがある筈じゃないかしら?」
四国で動く冥魔の動き、悪魔の名を告げて行く暮居。それを受け、アルリエルの動きが止まる。
本陣であるツインバベルから離れていたアルリエルは知りえない情報。不倶戴天の冥魔の動きに意識が向かない訳がない。
「成程……それは確かに」
暮居が突き出したのは武器ではなく、無視出来ない言葉と情報。それにより攻め懸るのでは得られない深さでアルリエルの注意を一身に引き受けていた。亡霊の娘への攻撃に、未だアルリエルは気付けていない程に。
けれど。
「ならばこれは礼だ、人間。全身全霊を持ってお前達を倒そう。天の光と、誇りの前に散るのが慈悲であり、栄光と知れ」
ついに、その全力が発揮される。
場を覆っていた凛冽な気は集束して青光に。アルリエルの身体と剣を覆う、燐光の群れ。
最早時間稼ぎは不可能。それでも。
「そこの天使……何が正義で慈悲だ。平和を与えるといって、心を奪う傲慢さなど誇りではない。劣等と知れ!」
側面から走り込み、流水のようなアウルを纏う大剣を唐竹割りに振り翳すのは不動神。
恐れも躊躇もなく、重さと遠心力で繰り出す豪の斬撃。回避の道を塞ぐように、スレイプニルも急接近している。
だが、響いたのは軽やかな剣戟。切っ先で弾かれ受け流され、地面へと減り込む不動神の大剣。
「堕天使か。天の威光に背いた身で、何を言う?」
アルリエルの瞳に浮かぶのは静かな怒り。この実力差を前に挑発のみで、防御を意識しない戦い方は危険に過ぎた。
「貴様のようなモノに抜いて見せる『剣』はない」
アルリエルの指先から紡がれたのは都合七つの青い光輪。アルリエルが腕を振り下ろすと共に周囲を高速で旋回し、範囲にあるもの全てを斬り裂いていく青嵐の刃。
ジェイニーが回避射撃を試みるが、放った弾丸さえも切り刻まれている。
過ぎ去った後、血染めで地に倒れる不動神と暮居。
何かを言いかけ、けれど身を翻すアルリエル。その姿を追うように、空を切るジェイニーの散弾。
「よろしければ目障りなその翼、剥ぎ取ってしまいたいのですが」
そう言うものも、ジェイニーとて無理だと解ってしまう。暮居が曲がりなりにも耐えられたのは、戦いよりも会話を優先させたから。だが、今からは全力なのだ。
悔しい。嫌悪し憎悪する天使に届くだけの力がない。どんなに敵愾心を燃やしても、届かない。
そして、ついにアルリエルの目が、亡霊の娘を狙う撃退士を捉えてしまう。
「……狙いはそちらだったか。ああ、お前達を賞賛しよう」
けれど、此処でアルリエルが剣を納める筈もない。
「対価は剣にて」
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猶予がないというのは解っていた。
「さようなら、もうおやすみ……」
二発目の狙撃。冥魔の気に染まった影野が放つ狙撃の弾丸。
けれど、頭部狙いは頭を庇った亡霊の娘の腕へと刺さる。
「それでも、もう限界だろう」
負傷の度合いからヴィンセントも後少しで押し切れると確信し、トリガーを絞る。放たれる弾丸は違わず腹部へ。
更に左右から挟撃を仕掛けるのは宇田川と新井だ。
影ごと貫いて縛るべく突き出される忍刀の切っ先と、一点へ収束させた爆ぜる撃拳。刺し貫き、灰燼も残さないと二人はその武を振るう。
地面から飛び出す鉄の杭に身を裂かれながらも。
「早く!」
「早くや!」
アルリエルの巻き起こした烈風の音と光景。
もうリミットだと解っているが為に、負傷など気にしていられない。
後、一押しなのだ。それが必要だと、解っている。
「今必要なのは……」
煌めくシュラキの白刃。それを前に無防備を晒すと理解しても、悠人は身を翻した。
切り裂かれた腹部。だが、この程度では倒れない。今、倒れる訳にはいかない。
「守る為に、倒す事です!」
魔具をゼルグに持ち変え、渾身の気を巡らせる。
纏う光は黒。破壊の為の力を掻き集め、至近距離から放たれる斬気の糸。
目に見えない程のか細さで、刹那に煌めいた斬撃波。
血は一滴も流れない。だが、確かに亡霊の娘を切り刻んだ一撃。
その証拠に、崩れて倒れ、その輪郭を消していく亡霊の娘。淡く消え行くように、うっすらと消えて行く。
「即座に撤退するぞ」
勝利の余韻の暇もなく、影野の声で撤退を始めようとする。
シュラキさえも意識が途絶えたかのように動きが止まっている。だが。
「流石だ。戦場に立つ兵なら、そうではなくては」
アルリエルの動きは止まらないのだ。
振われた剣閃は三度。その全てがそれぞれ青光の飛翔刃を発生させ、ジェイニー、宇田川、新井へと向かう。
咄嗟に空蝉にて避けた宇田川は難を逃れるが、その一撃で新井は深手を負い、ジェイニーに至っては意識さえも断ち切られている。
「もう、当てられて倒れたりはせんっ!」
反射で最後に残していた雷遁を放つ宇田川だが、アルリエルが細剣で払っただけで霧散する。動きを止める事も出来ない。
「化け物、ね」
血の止まらない傷口を抑えながら新井達が全力で撤退を開始する。新井が不動神と暮居を、宇田川がジェイニーを抱え、一気に駆け抜けて行く。留まれば、確実に全滅する。
オマケだとヴィンセントが一体のサーバントにトドメとなる射撃を与えて下水道に逃げ込むが、追撃はあれが最後。
見逃す気というよりは、動けないのだろう。
急遽、指令を出すものがいなくなった現場。そこに、アルリエル自身が念話で場の混乱を治めようとしているのかもしれない。ならば、留まる意味はない。
「引かせて貰いますよ」
最初から全力を出されていればどうなっていただろう。剣魂で傷を癒しながら、悠人も考へ鵜へと下がる。
全く、と大天使が苦笑する気配がする。
「臆さず戦う人の意志というのは面白い。その志、天の為に使ってくれればよいものを」
いや、だからこそ負けるのだと、誰かが呟いた。
恐怖を知り、それを乗り越えるのが人の意志ならば、それを束ねて天さえも穿つ事も出来るだろう。
この戦場がどうなるかは、解らずとも。
天の広げた戦火に呑まれる人ではない。