糸のように細い月が浮かんでいる。
夜空の方が明るい。地上はただ、闇ばかりが漂っていた。
灯りを失った地上とは此処まで暗いものなのだろうか。周囲に照らすものがない為、ほんの先さえも見えない。
「夜戦は得意、だけれど……」
呟く桐村 灯子(
ja8321)は、続く言葉を飲み込んだ。
それは相手も同じ。相手が用意したのがこの夜、闇の場。
ともすれば、相手のフィールドである以上、不利なのは撃退士に他ならない。
「やれやれ……夜に獣狩りだなんて、今回だけにしたいね」
モノクルの奥、アイスブルーの瞳で闇を見つめるアニエス・ブランネージュ(
ja8264)。
よく解らない敵、よく解らない脅威。
見えないというのは、途方もない恐怖を産むものだ。
だが、だからといって怯んでいる暇はない。アニエスのように、戦える事が出来るものはまだマシなのだから。
アウルにて夜目を強化した二人は視界を完全に確保出来ている。桐村は重ねて索敵を使用し、公園へと入る前に確認するが、敵の姿は捉えられない。
「多分、林の中に隠れているとは思う」
或いは遊具の影か。
相手の姿は見えず、何処から襲いくるかも不明。
天魔のテリトリーとなった場所。だが、これ以上、犠牲者を出す訳にはいかない。
「数が不明で奇襲メイン、対策はしっかりしないとな」
ナイトヴィジョンで視界を確保する御影 蓮也(
ja0709)が、周囲を警戒しながら天魔の領域へと踏み込もうと合図を送り出す。
「月が隠れる時には注意しろ。気配を消して、闇に紛れて来るぞ」
「大丈夫ですねぃ。周囲は真っ暗、敵も真っ暗。ですが、ええ、お先真っ暗で、死という闇に転がり落ちるのはどちらか、教えて差し上げましてよ、ええ」
天魔は全て殺す。黒の瞳に殺意を一瞬湛えて、十八 九十七(
ja4233)はショットガンを構えて向かう。
この程度の闇、どういう事はない。考慮し、対策を持って来たのだから。十八の殺意は、この程度では鈍らない。
「闇に紛れてぱっくりなんて実に卑怯で厄介この上ないねっ。でも、そう何時までも上手くいくと思ったら大間違いだよ!」
そう言い放ち、盾を構えて囮となる三人の先頭に立つのは神崎・倭子(
ja0063)。
「闇は晴れて、夜は明ける。私達が、黎明の運命を背負って此処に来たんだから!」
何処か芝居がかった口調で告げる。信じるのは運命で、その為に重ねてきた自分。
皇 夜空(
ja7624)も囮役の最後の一人として横に並ぶ。
「化け物は、倒されるから化け物だ」
人の手で駆逐されるからこそと。それは一種の信仰。
「長時間は飛べませんけれど、支援はします」
小天使の翼を発動させ、僅かとはいえ上空に舞う若杉 英斗(
ja4230)。空からの視点で周囲を警戒するつもりなのだ。
全員が全員、暗視系、ないし照明の道具とスキルを持ち、或いは用意していた。
闇は絶対的な撃退士の敵ではなくなっている。加えて用意された簡易照明や、蛍光塗料。
全てはこの中に潜むモノを倒すべく。
「夜闇が明けなければ良い、永遠の暗がりが欲しくて、光は消えろ……ね」
明るく、楽しそうに、それこそ微笑ましいものを見たかのように神喰 朔桜(
ja2099)は口にした。
公園の照明を全て破壊している。闇の中でしか姿を現さない。
闇を好き、そこで生き、安息とする者達。ああ、なんて微笑ましいのだろう。
「本当の闇、その深淵と真価を教えてあげるよ」
神喰の語る闇は、全てを飲み込み、捉えれば放さないものなのだから。
魔王たる彼女の闇と愛が、笑う。
――壊れて消えるまで、触れて抱き締めてあげると。
●
十八の投擲したサイリウムは光を放つ。
それらはほんの僅か。闇を払うには全く足りない。
けれど、闇の奥底から響いたのは獣の唸り声。不快感と嫌悪、そして敵意に満ちたものが流れ出す。
「たったこれだけで苛立つとは、本当に心の狭い奴らですねぇ。ぶち殺決定」
「十八さん、九時の方向、林側から二匹来ます」
まず重要なのはどれだけの数がいるか。そして位置。
上空にいる若杉は周囲を警戒するが、相手も気配を殺している。全てを察知は出来ない。
投げられたサイリウムに釣られるようにして現れた二体。
「少し下がって公園の中央で待ち構えようか。林の中や付近では戦いたくないよね」
盾を構えて正面に立ち、唸り声を上げて近づく二体の猟犬を睨み付ける神崎。
前足と、その爪で一つ目のサイリウムが粉砕される。若杉の手によって阻霊符も展開され、スプレーや夜光塗料などを当てる事も可能になっていた。
故に、此処までは作戦通りと――油断していた所へ響く一声。
「……背後に、更に二体です。三人とも、挟撃されています」
闇夜に潜むのであれば気配を殺し、奇襲こそが当然。ならば挟み撃ちを最も警戒すべきと、索敵を発動させていた桐村が声を上げた。
正面の二体が注意を引いている間、背後に回っていた二体が背中へと不意打ちで牙を突き立てる算段だったのだろう。暗闇に対策をしていても、それを活かす術では撃退士よりこの影の猟犬たちの方が上だった。
だからこそと桐村がペンライトを投擲して敵の場所を示し、囮の三人が背を預ける。
先にマーマキングを当ててから戦闘、というのは甘い算段だっただろう。此処は天魔の領域であり、狩場。光なくとも、侵入者があれば殺害へと向かうのも当然の事。
投げられたペンライトを踏みつけて砕き、一匹目の猟犬が駆ける。
●
不意打ちは避けられたと安堵する暇もない。
影で作られた猟犬は闇夜に染まり、夜風と化して走る。
神崎を狙った二匹は盾で受け止めらたが、皇と十八はその牙と爪で肉を裂かれた。反射で十八が放ったビーンバッグ弾と共に、二体は闇の中へと一撃を見舞って帰っていく。
「斃すという事を目的にするのが、人間だと教えよう」
「というより、ブチ殺こそ正義と示させて貰いましょうねぇい」
負傷を意に介さない二人。闇を見据えれば、用意した暗視用ゴーグルのお蔭で後ろへと引いた二匹を捉えている。
「数は四体だよ。落ち着いていこう」
その内、二体は神崎が盾で疾走の一撃を止めた。故に、囮役の三人の前から離脱しきれず、そこにいる。
それを照らすのは、神喰の放つ魔の光。
「さて、まずは君達の嫌いな光を見せてあげようかな」
無手、無詠唱で魔術の光球を産み出し、神崎達の元へと奥って周囲を照らす魔光。破壊の術に照らされた猟犬を構成する影が脈打って、形を失うようにうねる。
何時離脱されるか解らない。仕掛けるタイミングに合わせて出端を挫く事に失敗したものの、照明に照らされた二匹のうち一匹にアニエスが特殊な形と性質を帯びたアウルの弾丸を放つ。
桐村ももう一匹に放ち、罵詈雑言を繰り出しながら自分の太腿を食い千切った猟犬へと十八も同質のものを。着弾した相手の位置を術者に知らせるものだ。これで、二度の不意打ちはほぼない。
「カラーボールは、間に合わなかったか……」
咄嗟に投擲したが、若杉の投げたカラーボールは外れてしまっている。ならばと雷の刃を産み出し、光に照らされた一匹へと魔の攻撃を放つ。
友達である十八を守れなかったのは悔しいが、庇う為のスキルを準備していない以上仕方ない。
雷刃に貫かれて、一瞬動きを止める影の猟犬。
「位置さえわかれば後は狩るのみだ」
疾走する御影。指動で一瞬緩ませたカーマインを猟犬へと走らせ、絞って四方からその身を絡め取る。
まるで無数の刃が、あらゆる方向から一瞬で放たれたかのように錯覚。神速を以て繰り出される斬糸は、闇さえも切り裂く鋭利さを宿している。
御影が振うのは退魔の武技。ならば影の魔、斬れない筈はない。
「好きな闇に帰れ」
そして絡め取るようにして切り裂かれる猟犬。光に照らされた事で攻撃力は跳ね上がっているが、反面防御力は落ちている。鮮血が吹き上がった。
かくあれかし。そう呟く皇の指の間に握られたのは、都合八本の飛刃。両腕を振り上げ、一気に投擲した閃光はばらばらの軌跡を見せたかと思うと、一瞬で反転して集束。猟犬の身体へと突き刺さる。
「暗闇奇襲何するものぞ。隠さねばならぬ脆弱な身でないと言うなら、暗闇より出て名乗るが良い!」
何処までも芝居がかった口調で語る神崎。
知能や言語性のない天魔がそれに応じる筈がないが、大声と共にばら撒かれたサイリウムが猟犬の意識を逸らす。
そして奔る白の騎士双剣。
闇の中でも消えぬ白の刀身が瞬き、連閃と化して影の肉体を斬り裂いてく。
マーキングが終わるまでは防御に徹するつもりだったが。
「此処は攻め時でしょう」
一対の直剣の乱舞が終われば、どうっと倒れる影の猟犬。そして黒い靄となって、その身体も消えて行く。
「まずは一体、ですね」
此処まで来れば上空にいる意味も薄い。予定よりも早い本戦への突入に、上杉も地上へと降り立つ。
「さあ、来い。影の身で、人に被害を与えられると思うな!」
その叫びに対して、闇を纏う牙が若杉へと放たれる。危険な技ならば光盾で受けるつもりだったが、それは身に受けなければ解らない。
結果として受けるか否かの逡巡が産んだ負傷。噴き出た血が頬を撫ぜた。
「けど、この程度で倒れる訳がないないだろう?」
人を護る事を誰より大事に想う若杉は、闇の牙程度に屈しない。
そして逆に、闇を知るものがその技を繰り出す。
じゃらりと、闇の中で錆びた音が鳴る。
「――捕まえた」
神喰の発言させた黒焔の鎖が、ありとあらゆる方向から猟犬を捉え、縛っている。
その効果は文字通りの束縛。そして何より、真の闇の底へと引き摺り下ろしてあげると、抗う動きに軋む鎖が哭いている。
「もっと、深い闇が良いよね? ……光が嫌いならさ」
その深淵を教えてあげると、純粋な微笑みの中に破壊の輝きを灯した神喰。
●
桐村の放つマーキングの一矢が、残る一体を貫く。
攻撃力は恐ろしいものがあり、若杉の防御を貫く程のものがある。
が、反面、耐久力は元から低いのだろう。
「なんて推察できるのは、まだボクも対抗できるからか」
アニエスは呟かざるをえない。
一般人ならばそんな思考も出来ない。文字通り抵抗出来ず、ただ殺されるだけ。
力持たないものは殺されて、死ぬ。戦場の当然と当たり前。だが、戦わない人々は、この闇に、この猟犬にどれだけの恐れを抱くだろう。
力がないという事は、非難される事でも悪でも罪でもないというのに。
「だからこそ、行くんだね」
撃退士としての道。自分達にしか出来ない事を。
光を銃身に集め、一つ一つが星煌を宿す散弾。冥魔を滅ぼす為の力で、動きを神喰の黒鎖に囚われた猟犬を射抜く。
だが、それでも止まらない冥魔、影の猟犬。
疾走する爪牙は二つとも十八を狙っていた。
喉笛を穿とうとする牙を十八のビーンバック弾が頭部ごと弾き飛ばすが、脇腹を削る爪は逸らせない。
「……っ…」
痛みより、天魔への殺意と暴力と、そして狂気として言葉にならない声で叫ぶ十八。
「こっちだ、掛かって来い!」
守ると意志を滾らせ、闇へと吼える。お前の敵は、俺だと意志を込めて。
奮われる影の爪。束縛されたそれを避け、更に二体を引き受けようとする若杉。
「が、まずは一匹ずつ減らすが肝心だな」
再び神速で振われる御影のカーマイン。
燃えるような紅の斬閃が滑った後には、八重の血花が咲いている。
手応えだけで十分とその結末を目視せず、遊具の影などに御影は視線を巡らせるが、何もいない。
「さてさて、では、これでどうだっ!」
そして再び薙ぎ払い、突き出される白騎士の双剣。瀕死まで追い込むも、僅かに足りない。
だが、その瀕死の様に狂騒としか言い様のない声が突き刺さる。理性は降り切れ、理屈ではないナニカで突き動かされる十八。
凝らされた銃口から放たれるは業炎の砲弾。火龍が吐く吐息の如き熱を持って影を焼き尽くす。
後に残るのは十八の狂気と殺意を混ぜた笑い声。
それに釣られたように、再び影の中から二体が飛び出す。
狙いは流血を流し続ける十八だ。この中で脆く、最も負傷している彼女を狙うのは当然かもしれない。
狂乱の様は、確かに隙だらけにも見えて――
「けどな、そう何度もやらせるか!」
――そんな隙だらけ、わざと晒したと気付かないのかと更に笑みが深まる。
三人のマーキングによって位置は把握し、ハンドレスのスマホで共有している。加えて、こちらには仲間を守る意志を宿した騎士がいるのだから。
闇を纏った牙の二連撃。それを受け止めたのは若杉が展開した庇護の翼。牙の鋭さと重さに羽根と血を散らしながら、それでも守り切ったその直後。
「これがディバインナイトの見せ所ってな――逆に受けてみろ!」
弾かれて着地した猟犬へと、竜牙に神性なる輝きを宿して一撃を繰り出す。
「シャイニングフィンガー!」
影を滅し奉ずる光龍の牙と、意志。
それらを宿したものが浅く軽い訳がない。受けた猟犬の肩がごっそりとなくなっている。
そして続く攻撃は、燃え盛るアウルの対剣。
「お前の腹も切り裂いてやる……ッッ!」
超震動と天の属性を帯びた皇の一閃がその腹部を切り裂いて、その威力で吹き飛ばす。横たわったその身に、アニエスの星輝の散弾が放たれ、破砕する。
残る一体の猟犬。引くべきかと、踵を返そうとした所に桐村の矢が突き刺さる。
「夜遅いし、眠いの。追撃で林の中を追いかけさせたりしないで」
頓着なく、無感動に言い放つ宣言。
つまり、此処で果てろと。
御影の紅の斬糸と、神崎の白き双子の騎士剣が無数の烈閃として繰り出される。
影を散らし、闇を裂いて払う。光など要らないと嫌悪する冥魔が吼えて。
応じるように黄金の焔纏う闇が、その力を放つ。
「光は要らない――かな? まぁ、闇が好きなら望み通り、闇に堕として沈めてあげるよ」
神喰のその言葉の意味する所は破壊。その果てにある闇を見せようと、闇より暗い雷撃の槍を紡ぎあげる。
「全ては在って無きが如し。泡沫と虚無の中に、堕ちてみる?」
その意味する所は死。その果てにあるのは無。
闇よりも深き深淵へと導く虚無への誘い。五つの雷撃の槍として、猟犬を捉える。
逃がさない。壊れた骸を積み重ねて、至高の空を得る為に。
「壊れるまで、私の闇と愛を感じたらいいんじゃないかな?」
笑って指を振るう神喰。黄金に揺らめく瞳が、瞬きで隠れる。
そして炸裂する闇の稲妻。影を四散させて十分過ぎる程の魔が迸った。
暗がりの中、静寂が支配する。
光を嫌い、敵視し、闇を安息とした獣はもういない。
それが人にとってどれだけの脅威であるかは、言うまでもない。
影の猟犬によって出る被害は、もうこれで増える事はないだろう。
例えば、この後一時間後、何も知らない少年と少女が天体観測に来たのも、最早意味のない後日談。
知らなくてもよい、守られた存在たち。
こうして、日々は巡り、夜は明ける。