●
凍てついた空間に響くのは、静かな鞘走り。
青年へは森野菖蒲から冷たい敵意と視線を向けられている。
だというのに、彼の赤い瞳は穏やかに凪いでいた。
「ウリエル様に従う四国の天使、そして使徒を代表して問う」
声に応じ、居合の構えを取る菖蒲。
間合いに踏み込めば斬るという意志に、むしろ赤い瞳は喜びに揺れた。
「菖蒲、お前の行為はミカエル様に承認されたものだ。だが、全員が容認出来た訳ではない。むしろ、離反し堕天したモノ達のそれに近い。ましてや、俺達が戦っている撃退士と手を組む? 理想は結構。だが、それでは何時裏切るか解らない。現にお前の行動で、我が主の脚が引かれている」
ゆらりと、片手で握られた切っ先が向けられる。
光を帯びる刀身。色は熾火のような赤。
「情報を流す事もありえる。背後から刺されるかもしれない。……ああ、戦いの邪魔だ。だからこそ、俺が代表として派遣された。お前の真意を測る為に」
「……それで?」
長々と続く言葉を切ったのは、菖蒲だった。
この手の事は何時か有り得ると予想はしていた。
冷たさも敵意も其の儘。己の道は正しいのだと、菖蒲は言葉を投げかける。
「貴方のような人種は語る事は好きではないと思うのだけれど」
「ああ。信じるのは、戦いの中の熱だけだ。それだけは嘘など付かない」
頷き、踏み出す青年。
刃に集い輝く光は斜陽の紅蓮に似ていた。
その刀を隻腕で携え、菖蒲へと歩み寄る。
「禍津の氷刃。お前の事は好いていたさ。天の威を武にて示した事も。故にこれから先は剣にて問い、語ろう……お前が天界の光に背いたのではないのだと、嘘や虚飾の入り込まない剣戟の中で、示せ」
「示すも何も、私が信じるのは、天の道よ……隻腕の使徒、前田走矢」
「そう願いたい。そうでなければ、斬って捨てる」
そして交差する間合い。
神速を誇る二人の使徒の一閃が、共に放たれる。
剣士ならば刀に魂を掛けて誓えと、余りにも静謐な二つの剣閃が煌めいた。
●
そして、一方では激震と共に戦端が開かれる。
状況を飲み込む時間など与えられない。倒れた銀狼を、騎士鎧の巨人がその脚で踏み潰す。
潰されて、弾ける狼。
骨が砕ける音と共に、血飛沫が舞う。
共に天界のサーバント。だが、此処で起きているのは一方的な殺戮だった。
靴先にちりんと当って鳴る鈴の音に、はっと若菜 白兎(
ja2109)は意識を現実に向ける。
共に歩み寄り、手を取り合える。それは困難で、自分のような子供では足りないかもしれない。
それでもと願って、この場に来たのだ。争いのない、平和な世界を信じて。
でも、眼前に広がるのは。
「サーバント同士の争い? ……正直、この目で見られるとは思っていなかったわ」
殺戮の場。血の匂い。暮居 凪(
ja0503)の言葉の通り、サーバント同士が戦っている。唐突に戦場へと放り込まれて、白兎は震える身体を抱きしめた。
いや、まだ。自分の目で確かめたくて、白兎はこの依頼へと手を挙げたのだから。
そして、白兎は一人ではない。既に戦闘への準備を整え、視線を向けあう。
「つまりは――ふむ。もしそうなら。彼女は本物の理想主義なのね……」
「如何なる理想が対立しているかは知らないが、天魔も一枚岩と如何ようだな。まぁ此方としては着け込む隙があって有難いが、利害の一致はあれど警戒はあって然るべきか」
残る銀狼へとトドメを刺していく姿に獅童 絃也 (
ja0694)は息を吸い込む。
そして獅童と暮居が振りえる。獅堂は力強くい視線と共に、暮居は穏やかに。
「行けるか?」
「大丈夫、守ってみせるわ。そして、先へいきましょう。此処まで帰るなんて、有り得ないわ」
二人は白兎へと言葉を掛け、逆に前方に立ち塞がる巨兵へと神凪 宗(
ja0435)と柊 朔哉(
ja2302)は呟く。
「歓迎している、と言うわけではなさそうだな。森野の所へは向かわせないつもりか?」
「……面倒な事になったモノですね。サーバントを倒している所を見ると、森野様を孤立させようとも見えますし」
溜息を付く柊。だが、これを突破せねば菖蒲には逢えない。
語りたい事はある。望みたいものがある。その為にこれを倒さなければならないならば。
あちらにも『客』が来ているかもしれない。焦る気持ちは抑えて。けれど、一刻も早くと。
戦斧を握り締める。アウルを刃へと。
平穏への道が閉ざされぬ為に。
「抱える矛盾は天も人も変わらず、と」
一歩踏み出すのは姫宮 うらら(
ja4932)。叩きつけられる戦意と暴力に、穏やかな姿勢を崩さない。
指で手繰るは純白の斬糸。己の爪牙、武威を静かに突き付け、問いかける。
進みゆく天の戦火。
共に歩まんとする天の道。
孕んだ矛盾。この地の道行か如何なるものとなろうとも、姫宮は己の道を譲る気などない。
何を信じ、何を思い、何を求める?
菖蒲と、この場の撃退士が望み、掲げる理想は、かくして現実という槍を突き付けられた。
それでも求めるユメ、その輝き求めるのを辞めはしない。夢へと走れば、広がる茨に脚を傷つけられて、血を流す。
だが、何もしないなんて出来ない。ミモザ・エクサラタ(
jb2690)は正面から語りかける姫宮に巨兵の意識が向いた瞬間に己の気配を薄める。
戦いは好まない。
「退いては頂けませんか?」
だが、避けられないのならば、ミモザは全力を持って終わらせるのみ。
故に、姫宮の問いかけに応じた咆哮に、誰も恐れはしない。
左右へと解れて挑み、駆ける八人。
●
固まる事は危険だ。
判断は一瞬。斧槍が振るわれるより早く、全力で巨兵の側面へと回り込む暮居。
囲めば薙ぎ払われる。ならばと暮居は己の最大射程距離まで駆け抜け、竜を模った杖を振う。
「起動。ドラコニア――高く詠い上げなさい」
アウルに反応して震える宝玉。震動は音となって周囲に響き、巨兵にとって耳障りな歌を奏でる。
見せた隙は一瞬だが、知能の低い巨兵の注意を引くには十分。
問題は、暮居に攻撃が集中するという事だが。
「理想主義者は嫌いじゃないの。……自分の身よりも、誇りを大事に出来る人はね」
一瞬見るのは白兎。暮居へとアウルの鎧を発動させ、薄い青色のヴェールのように広がり、優しく包み込む。
この場の最年少の彼女は守り抜きたい。
そして、同様に平和への理想を掲げる使徒の姿。まだ見た事はないけれど、嫌いとは思えない。
ならばこそ、この目で見て確かめたいとも、思うから。
押し潰すような巨兵の刺突。盾で受けようとするものの、全力移動した後では間に合わず、身を貫かれる。更に閃光の爆裂。
痛みの苦鳴は、押し殺して。
「今よ!」
目の前にいるサーバントではなく、一瞬、浮かんだのは隻腕の使徒。
罠ではないだろう。ならば此処に乱入した第三者がいる筈で、予感がするのだ。あの剣鬼がいるのだと。
ただの予感。錯覚。目の前の敵に集中していないと言われればそれまでだが。
「失せろよ。お前達如きに止められている剣では、届きようのない敵がいるんだ」
吐き出すように口にし、久遠 仁刀(
ja2464)は巨兵の懐へと滑るように入り込む。
この剣。この刃。必ず届けさせ、斬り捨てるのだ。敗北は重ねない。
何度斬られ、倒れても、砕けない久遠の心。天の戦刃を断つのだと、戦意に応じて蝕む闇が刀身を包んで覆い尽くす。
「ご立派な鎧だが……力で押し切るぞ」
漆黒の一閃。
触れた光を次々と飲み込む闇の斬撃は、腰の装甲に激突し、盛大な火花と甲高い金属の悲鳴を上げる。
刀身を受けたものの、削れ、砕ける鎧の装甲。降り注ぐ鮮血の飛沫。
堅牢な鎧ごと斬り裂いた剛剣だ。
「この程度で止められると思うな!」
気迫を込めて叫ぶ。逆側に回ったメンバーが背後へとなるように、巨兵の意識を引き付けようと。久遠、暮居、白兎、そして神凪を正面へと捉えるように。
「招待を受けていないものが邪魔しないで貰おう」
神凪の手にした気刃から繰り出されるのは影で形作られた棒手裏剣。
「戦いに来たのではないが、こうなれば否応もないな」
直線に飛翔し、右膝への関節へと装甲を擦り抜けて突き刺さる影刃。
だが、巨体にとっては掠り傷か。身体は揺れもせず、ゆっくりと神凪達を正面へと捉える。
特に兜から覗く単眼は暮居を睨み付けている。完全に意識が彼女へと向いていた。
故に背後へと擦り抜ける形となった四人に気付かない。
「動きは早くない上に、知能は高くないようだな。鎧こそ分厚くとも、隙間は十分に狙える」
闘気を解放し、呼吸を練り上げる獅堂。
気の流れを操り、息と共に集束。握り締める拳は、初撃にこそ懸ける剛打の為に。
その横、リボンを解き、白き長髪を靡かせるは姫宮だ。
往く道、阻む者へは容赦せず。荒ぶる武威を胸に秘め、白き烈火の如く、揺れる姿。
「姫宮うらら、獅子となりて参ります……!」
踊るように振るわれる腕。直後、巨兵の右膝裏が斬り裂かれる。
それはまるで不可視の獅子の爪が薙ぎ払ったかのような光景。予期せぬ激痛と斬撃に、巨兵の右膝が落ちる。
「……っ…まだですっ! 今のだけでは浅いですわ!」
か細い純白の斬糸を手繰り寄せて引き戻す姫宮が叫ぶ通り、通常の敵には十分でも巨躯にとって浅い。一瞬、右膝を落した程度だろう。
だが、腰が落ちたその状態では避けるものも避けらない。
「此処です!」
巨大な戦斧に星の煌めきを宿し、その重さを乗せて叩きつける柊。狙うは続け様の右膝関節。
動けないのならば鎧の隙間を狙うのも容易い。遠心力と重量を乗せて、斧刃が右膝へと食い込む。
「何としても倒します……!」
今は菖蒲との約束の途中だ。目的の為、そして、何があっているのか彼女の口から聞き出す為にも。
「それにしても、大きいですね」
感情の乏しい、ミモザの冷たい青の瞳が膝を付いた儘の巨兵を見上げる。
垣間見えた耐久力はその身体の大きさに見合っている。連続での攻撃で、僅かに身動ぎしただけ。
更には銀に輝く鎧は確かに頑丈。久遠の斬撃も、実質の所、深く捉えたとは言い難いだろう。
「ですが、こちらはどうです?」
ミモザの手にした符から産み出されたのは稲妻の投剣。
まさに迅雷の速度で飛びゆく閃光は、装甲などないかのように右腕の籠手を貫く魔の刃となる。
物理に寄れば魔力に弱いが基本だ。どちらかに尖れば、どちらかが脆くなる。
ましてや、ミモザは冥魔にその気は近い為、ただの魔の雷撃でもサーバントへの効果が高い。それは逆に、一撃でも受ければ危険であるという事であるが、背後を取って気配を隠し、更に距離も確保している。
後は。
「この騎士の鎧を、砕くだけ……」
開いた魔導書の頁の上で軽やかに指を躍らせ、光を浮かび上がらせる白兎。
此処に来た理由を白兎は忘れていない。
「信じたいし」
願うのだ。
「……誰かを、みんなを守りたい」
争いのない世界に辿り着くまで。
白兎の宣言は、直後、激しさを増す戦場に呑まれたけれども。
「それまで、助けて護るんです!」
小さな身体を震わせて、叫ぶのだ。
戦場の、真っ只中で、なお。
●
続けて暮居の召喚した炎球は巨兵の腕を焼くが、まだ足りない。
それ所か、痛みで身体の自由を取り戻したのか、巨兵が手にする斧槍に光が集まる。
血走った一つだけの眼は暮居を捉えたまま。
が、視界の隅で再び斬馬刀を構える久遠を捉えると、横手へと踏み出す。
巨人のサイドステップに地が揺れる。のみならず、振上げられた斧槍の直線状には、久遠、暮居の二人が並んでいる。
中衛である神凪、白兎が捉えられなかったのがせめてもの救い。
暮居は盾で受け止めたものの、久遠の捌きは間に合わない。
直撃。閃光と衝撃で地が爆ぜ、肩口から盛大に鮮血が飛び散る。
巨兵の斧槍はその重さと遠心力に物を言わせて叩き斬る。尋常な威力ではない。
加え、久遠の気は冥魔に寄り過ぎていた。一撃でその生命力を一気に危険域まで落とす。
だが、耐えた。
激痛は灼熱となって身を流れ、意識を苛む。だが、手放していない。
相手とて天界の加護を得たのだ。ならば、この瞬間こそ好機。
「いくぞ、神凪!」
負傷を無視し、鮮血を散らしながら再び発動される蝕みの闇剣。天に属するものにこそ、仇成す魔の剣閃。
魂さえも斬り裂けと漆黒に包まれた刃が鎧の隙間を斬り裂けば、噴き出す流血も盛大に。
命を削るような狙いだったが、退けないし止まらない。
葛藤、焦燥、そして予感と敵意。全てを燃え上がらせ、奮う久遠の大剣。
愚直なまでの攻勢は、己の身を削った分だけの成果は確かに挙げている。
のみならず。
「捉えたぞ……!」
その剣撃で揺らいだ身体を、神凪は見逃さない。
無数の針のような影刃が、巨兵の影を縫い付けて実体の動きさえ封じている。
巨兵は怪力でその束縛を解こうとしているが、押さえつけるだけの数を神凪は放っている。味方の攻撃と重ね、加え、カオスレートの上昇を待っていた故に、確実となった影縛り。
そう容易く抜けられるものではない。
「これで勝利宣言が出来る程、甘くはないが」
攻撃も回避も移動も縛り上げる業。続く連撃への繋ぎには十分だ。
「俺達も友の為、時間は掛けていられないのでな……頼むぞ」
信じ、背後へと回った仲間へと声を掛ける。
返答は、大地を震わす踏み込みと、大気を裂く斬撃の二重奏。
「無論」
「言われずとも、ですわ!」
獅堂、姫宮、両者共にここぞと繰り出す猛撃。
震脚で地を揺るがし、獅堂の拳撃が鎧の隙間へと叩き込まれる。
続く肘、肩の連撃は全て打撃としての重さを突き詰めたもの。大気の壁を撃ち抜き、轟音を響かせる剛の拳。破砕の体術。
逆に姫宮の斬は烈閃のそれ。
直前に踊る白糸が紫焔に包まれ、その威力と速度を極限まで上昇させる。
戦うか。守るか。
想いを定め、進む為に。決して後であの選択をすればと、後悔しない為に。
「私が私だと誇る為に」
胸の焔、獅子の魂。その未来を切り開くのだ。
そして、全身のアウルの燃焼と共に放たれる破壊の爪牙。
切り刻む音さえ置き去りにする超高速の斬糸。視認はほぼ不可能。だが、緑の瞳が見据えた急所を確実に斬り裂いていく見えざる鬼の刃だ。
骨が砕かれ、筋肉の裂かれた右脚関節。
物理的な意味で立ち上がる事が不可能となった巨兵。
だが、一方、撃退士は。
「主よ、貴方の加護が私に在りますように」
久遠へとその癒しの御手を伸ばし、治癒のアウルを飛ばす柊。
福音を捧げられたかのように、瀕死といっていい傷を負っていた久遠の身体が急速に治癒される。
その業を誇るではなく、ロザリオに触れ、短く彼女の信じる主へ祈る柊。
戦場にて在る聖女、此処にあり。
ならばと闇夜と魔を操るミモザも、練り上げる魔力にて。
「うん、戦いは避けたいんだけれどね……」
言葉と共に虚空から召喚されるのは無数の赤と青の短剣達。
切っ先が狙うのは、天の加護を受けたモノ。斬り裂くべくは、天界の白く輝く命。
「争いを仕掛けたのは、そちらだよね?」
落下し強襲する赤と青の刃。
驟雨の如く降り注ぎ、巨兵を貫いていく非実体の魔剣の群れ。
何処までも無慈悲な鋭さで抉り、斬り裂いていく。
「だから、終わらせよう。その命が消える事で」
モザミの声をも掻き消すような、剣の雨。
その弾幕の如き攻撃の間に、白兎が暮居へと治癒を施す。柊程ではないが、一撃を耐えるには十分な回復。
送られた治癒のアウルに、暮居も僅かに視線を流して呟く。
「有難う……けど、もうそろそろ倒れて欲しいものだけれど。タフね、嫌になるほど」
徹底的な攻勢に出られるのは白兎と柊の回復と支援あってこそ。そして、正面を担当する四人の布陣と防御力があるからこそ、背後に回った者達は十分にその火力を奮えている。
治癒の手段がない以上、いずれこの巨大な騎士は削り殺される。
だが、此処で血走っていた目が、暮居から周囲を見渡す。
右脚を破壊された事で逆に冷静さを取り戻したのだろう。片膝をついた儘、頭上で旋回される斧槍。首が回り、単眼が背後にいる三人を纏めて捉えた。
奮われたのは周囲の大地ごと、全て薙ぎ掃ってしまうかのような巨大にして豪快なる一閃。
最も避けたかった一撃。この巨体で広範囲を薙ぎ払われては、簡単には対応出来ない。
正面の久遠は寸前に刀身を滑らせて受け止め、背後では斧槍を恐れず、盾を持って立ちはだかる柊がいた。
背後には獅堂と姫宮。共に巨兵の、サーバントの攻撃を受けるも避けるも不得手な二人。
だから、こそ。
「この方々には触れさせません……!」
祝福の壁を展開し、二重の防御を巡らせる柊。
激突する盾と斧刃。守り切るのだという意志は、柊自身は薙ぎ払われても僅か一瞬だが地を掃う一撃の動きを鈍らせる。
それを見逃す二人ではない。その僅かな間に攻撃の流れを見切り、巨大な斧槍を屈んで避ける。
「此処で止まってはなりません」
直後、姫宮が朦朧としていた柊に平手の一撃を与え、意識を取り戻させる。
「しかし、鈍ったな」
巨兵の動きが、である。
右脚を破壊した事もあるだろう。そして此処まで前のめりな程の攻勢に出たのもたるだろう。
防御に優れたサーバントは、けれど、その生命力を削られている。
後どれ程か。いや、決めるのだ。
後退して気を練り上げる獅堂を援護するように、振われる姫宮の純白の斬糸。
意識を刈り取るべく薙ぎ払う不可視の斬撃は、今度は左脚を捉え、激痛の爪で意識を抉り、動きを止める。
「後、少しで……!」
再び星の煌めきを宿して、柊が最上段から無骨な戦斧を振り下ろす。骨ごと叩き斬れと、白い輝きを軌跡として残し、深く食い込む柊の刃。
更に再び降り注ぐミモザの赤と青の魔剣群。
降り注いだ直後。
高く跳躍する獅堂。
狙い、放つのは一撃必殺。
迎撃にと斧槍が突き上げられるが、恐怖などない。己が力への矜持に懸けて。
すれ違う穂先に腹部を裂かれる。が、止まる事なく空中で反転し、兜の上へと踵を落す。
後の事は知らぬと、全身に全霊を注ぎ込む。これで仕留めるのだ。
「我が武の真髄その身に刻め……っ…!」
吼え猛り、その武威を込めた乾坤一擲。
着地と共に、全力を出し切った獅堂がよろめくが、膝は付かず。
逆に崩れて倒れていく、巨大な身体。銀の鎧を着込んだ巨兵が、ついにその動きを止める。
けれど。
「急ぐぞ、森野の場所へ」
神凪の言葉に言われるまでもない。まだ、終ってはいない。
「無事、ですよね。森野様」
神凪と柊は最も多く菖蒲に会った人物。刃交え、そして斬られた事あれど、過去は過去。
友だと想う。信じ、受け入れたいと願う。
「……理想を掲げると、どうしても傷つくものよ」
駆け抜けながら、呟く暮居。菖蒲に対して、好ましいと思うのは。
「傷ついても、また傷つくとしても、その理想を捨てないのは、強いという事よ」
己の身を顧みぬ所なのかもしれない。理想主義者で、その裡は夢見がちな少女なのかもしれない。
「理解して、力を合わせて、争いのない世界を作る……夢って、切り捨てたくないです」
白兎も駆ける。
これから見るのだ。
これから聞くのだ。
揺れるこの四国の地にて。
●
そこは人外同士の武の交差した場だった。
振われた武と技はどれ程のものか。
まるで嵐と嵐のぶつかり合いの果て。
凍てつくような空気。
血の匂い。静寂。だが、此処にあるのは闘争だ。
その中心にいるのは、黒い着物を来た少女、森野菖蒲と、隻腕の使徒。
共に刀傷を負った姿。互いに切り結んでいる光景。いや、菖蒲の方が負傷は激しく、劣勢としか言い様がない。
それでも時が止まったかのように静かに、対峙して構える。居合と、無構え。
燃え上がる赤い瞳と、静かに凍える黒の瞳。
それを見て跳ね上がる、久遠の鼓動。
予感は的中だった。剣向ける絶対の敵がそこにいた。
己の負傷?
ああ、それはある。だが、それは向こうも同じ事。一撃、一刀、一閃。せめて僅かでも切っ先を届けさせる。
――敗北した儘では終れない。
「前田!」
久遠の絶叫に、緊迫の間合いと拍子の取り合いを乱される前田走矢。
疾走の勢いを乗せ、闇の斬撃が放たれる。久遠の残していた最後の蝕。
余力など知らぬ。吼え猛る一閃の裡に、万の言葉と想い込めて。熱は怒りか、戦意か。
ただ、剣敵を斬る為、灼熱と化す久遠の心。大剣は、それに応えて剣鬼を捉えて血飛沫を宙に踊らせる。
斬り裂いたのは腹部。深くはないが、浅いなどとは断じて言わせない。
致命傷には届かなくとも、この剣、届かぬ訳ではない。
「……ちっ」
前田の刀が奔る。紅の光を帯びた刀は変わらずの神速。
大気を断つ音すら立てぬ静寂の刃。それが久遠を斬り裂くが、踏み耐える。
――首を狙っただろう。だが、この首は繋がっているぞ。
言葉にはならない。だから視線で告げる。
共に鮮血を散らし、二の太刀を構える一人と剣鬼。
剣鬼が果てるまで、何度でもこの応酬を繰り返すと、鳴り止まぬ久遠の鼓動が叫んでいる。
そして。
「菖蒲! ……っ…森野様!」
「森野!」
駆け付けるのは一人ではない。前田との間に割って入る神凪と、柊。
そして静かに、何処までも静かに向けられる戦意と武威。
「貴方は……如何して此方へ?」
赤い瞳を真っ直ぐに見据える柊。
闘志は裡でこそ燃えているが、前田は本気ではない。
戦の熱が冷めた訳ではないだろう。ならば、どうしてと。
「そこの使徒に聞きたかっただけだ。この四国は揺れている。故に、今のうちにその使徒の真意を、な」
後退する前田。
追撃に駆けようとする久遠を制したのは、菖蒲の手。
戦は、終りだと。
無用な戦いと流血は、望まないし起こさせないと。
「それで、これだけ切り結んだのだから、解ったかしら?」
「ああ、ある程度はな。これだけ戦い、命と魂を晒した。嘘や虚飾があれば、既にボロが出ている……裏切る者はよく言う。此処では死にたくないと。その為に信念さえ曲げる。お前にはそれがない。その上で問おう」
菖蒲に逢いに来た八人の撃退士。
侮辱するような、憐れむような。前田走矢という存在にしては複雑な感情を帯びた眼で見渡す。
「お前は天界に背かず、害を成さないか?」
それはミモザも問いたかった事。人と、使徒と、天使と。その道は交わるのかと。
どんな考えで、どんな道を?
「武を持って人界を制するのが天の主流。それを、お前の求める先にて天界を裏切りはしないと。 撃退士と手を組む? お前の主が平穏の為にとゲートを開いた途端それを潰され、同胞の使徒を失い、主の地位を落した撃退士と?」
その前田の問いに、久遠さえ止まってしまう。それは問いたかった事だから。
武断派とどうしようもなく衝突した時――現に今、切り結んでいたように、本当に平穏を求め続けられるのか。
いや、そもそも。菖蒲が殺戮を始めていたその前に、全ては始まっていたのではないかと。
その時は対話がなかった為に知らなかっただけ。それで、済むのだろうか。
――失った同胞の使徒とは、誰?
先に平穏の呼びかけを蹴ったのは、撃退士?
「理解出来ない。仇だと言っていた相手と手を結ぶなど。本当に怒りも憎悪も、敵意も悪意もないと言えるか? 撃退士こそが人類の盾と掲げ、戦いを挑むせいで争いはなくならない火種――人は殺し合いをせずにはいられないと、そう言っていたお前自身が。潰されたユメの跡地で、何を言う。何が言える」
此処は、彼女のユメが幻想へと。形崩れた場所。人に潰され、対話すれば、今度は同胞に剣向けられて。
現実という棘の地平。故にと氷刃と化して雌伏し、天の威として撃退士を斬り捨てに。
それが、菖蒲という少女。
でも。
「重ねて言うわ」
それは、本当に何度も重ねた言葉で、行動なのだろう。
行動は、重ねた数だけ、違う結果へと成るのだ。
菖蒲の凍えるような眼差しは変わらず、冷たい言葉の儘で。
「私と死んだ彼女が望み、歩む道は天道よ。天が光以て照らし、人と共に歩む道」
ちりんと鈴が鳴る。
誰かに約束したかのように。
「苦悩なく、憎悪なく、怒りと悲しみと争いない世界。天界の光を以て人の道を照らす。……ね、前田。貴方もカタチは違えど、天の光が救いだと思ったのでしょう?」
「…………」
「人は人だけでは変われない。だから、天使の力と理が必要。そう思ったから、使徒になったのでしょう? 天界の光あれば、成せるユメがあるから。けれど、そこに人の心なければ、地である道もないのよ。天と空だけでは、この世界は空虚よ」
何処までも真摯な、菖蒲の氷の言葉。
突き付けるように。
己の願いを、何処までも純粋に。
「そうね。前田の言う通り、私は人が天界に刃を向けた場合、禍津の氷刃として人を斬るに嫌はないわ。けれど、分かり合えると思う事すら許されない? それとも、許せない? 戦いこそが至上の輝きで、平穏を求めるのは可笑しな事かしら?」
そして一拍の静寂の後に。
「こうして共に並び、肩を並べて剣を同じ敵に向ける事さえ出来る。駆け付け、友と呼んでくれる。ね、どうしてそれが絶対に斬るべき相手だと言えるのかしら?」
最初は切り結ぶ出逢いでも、今は違う。絶対の敵はなく、故に争いは止められる。
すらりと、鞘と刀の擦れる音がした。
それは前田の納刀。やはりあの複雑な視線を八人へと投げる。
「……それで人が納得するのならな。お前に反逆の意がないのは理解した。あれも天への忠誠の一つだと、俺からも主に進言しよう。ただし――形が違えば、後は競争だ」
跳躍する前田。建物の上へと飛び降りると、別れの言葉を投げかける。
「そして撃退士。お前達と再び戦場で逢える事を楽しみにさせて貰うぞ。そして菖蒲、『阿修羅』との言葉、肝に銘じておこう」
去りゆく隻腕の使徒。此処は己の戦場では非ずと、名残の欠片を見せずに。
●
柊と白兎の治癒を断った菖蒲だが、負傷が激しいのは目に見えている。
けれど毅然とする姿。凍えたような黒の瞳は未だ変わらずとも。
「諦めるつもりは――無いようね。杞憂で何よりよ」
そう呟く暮居。
「この戦い、貴女への協力の一環と成れたのなら幸いよ。貴女の信念が折れない、という為にもね」
けれど、と、何故前田程の者が来たのか。
それに対して菖蒲は簡潔に答えていく。
四国の天界陣営は人を導く穏健派であるミカエルと、武を持って人を制するウリエルの双頭。
地位としてはミカエルが上。菖蒲の後ろ盾でもあるが、多数派はウリエルを筆頭とした過激派。
前田もそれに漏れず。
いや、武力派からすれば人と手を組むなど誇りを捨て、地に堕ちるかと。
一定の成果を上げてこそいるが、菖蒲の行動に、武力派は危険視すらしているのだ。
加えて、前田、菖蒲。この数か月で別々の方針で確かな功績を上げ、互いの動きのどちらが正しいのかと牽制している――脚引く気とは、それの事。
平穏か戦火か。姫宮の思った通り、この四国は揺れている。
もしも菖蒲に裏切る意があれば即時殺害するだけの個の武力として前田を派遣した。そして、穏健派である菖蒲を殺害したのは撃退士として天界同士の衝突を避ける気だったのだろう。
それに、と。
「身内の敵を確実に斬るのなら、前田程、有能な者もそうはいないでしょうね。戦を至高とする者。敵と見做せば皆同じね、あの手の者には」
学園で剣鬼と言われた所以がそこでしょう、とも。
「過激派と穏健派、ですか……」
「相手は解っている……か。であれば、今度、何かあれば、連絡して欲しい。いや、何かある前でも、直接に」
共存を、そして共に平和を求める友として、柊と神凪が口にする。
「菖蒲……ではあません、すみません、森野様。前田達、過激派が森野様たちの行動が気に入らないというの、何故……?」
「構わないわ、菖蒲で。応えると、私のやっている手法は、穏健派どころか旧来的で、その手法を好んでいた者達の多くは今や堕天したからよ。有名なのだと、アルドラ、だったかしら」
だから、今あるミカエルの後ろ盾だけではなく。
「これからも成果を上げないといけない。過激派と穏健派、どちらが正しいのではなく、どちらがより良いのか。功の争いね。それが避けられないならば……」
「己の求める道は譲らない、ですわね?」
菖蒲の言葉の先を取る姫宮に、ええ、応える菖蒲。
続けて。
「ただ、今日は申し訳ないけれど、帰って頂けるかしら? こんな状態では、流石に案内も出来ないわ」
断れた上で、それでもと治癒の術を発動させる白兎。それで癒えたのが僅かな事から、確かに深い傷を負っているのだろう。
こんな時、何と言えばいいのだろう。
何と問い、声を掛けるべきなのだろう。
ただ、白兎とて行く末だけはこの眼で見たいと思うのだ。
「なら、せめて聞かせて下さい。菖蒲さん、貴女はどんな考えで、何をしようしているのか」
ミモザの問い。
それは、聞いておかねばならない事だから。
「私はね」
呟く菖蒲。
「居合よ。禍津の氷刃として、鞘から放たれない刃である事を望むわ。抜けば斬れるでしょう。斬るでしょう。けれど、居合は抜いた時点で負けよ。武は、振わずに制する事こそ本懐」
抜打たずつとも制するだけの武を鞘に納める。それが天界と撃退士の力だと。
「決して振わず、共に歩む。どちらかが、ではなく、互いが互いの鞘であればいいわね……そして、天が忘れた人の心の温もりは、消さずに。戦の血と火だけを、掻き消すように」
――私は、人でない時が長すぎたかしら?
呟く言葉は、余りにも切実で。
己の信念と矜持。平穏を望む先、何処まで広がるのかと。
禍津――神罰の災い司る使徒は、その鞘から放たれる事を望まずにいた。
人の想いを支える天の道を願い。
その道の名を、何といったか。