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真っ暗闇な中で、靴音が小さく響いていた。
緊急時の隠し通路。脱出を目的としたそれは僅かなカーブを描き、地下から地上、建物の中へと繋がっている。
光一筋さえないのは、完全な奇襲を狙うが為。
脱出用のそこから、元はといえ自分達の施設へ攻撃を仕掛けるとは僅かな皮肉を感じてしまうのだけれども。
――僅かなとはいえ、スリルに伴う楽しさを感じるのは不謹慎でしょうか?
言葉にはせず、ただ口元に笑みを浮かべて胸の奥で呟くファティナ・V・アイゼンブルク(
ja0454)。
雫(
ja1894)より借り受けたナイトヴィジョンで先を探りつつ、足元をライトで照らして慎重に進む。物音は最小限に。夜に乗じ、そして速やかに崩すべく。
夜目といって暗闇での視界確保能スキルを持つものもいたし、照明を作り出せるものもいる。けれど、それは危険だっただろう。
(冷静に考えてみれば、そうだねー……)
先行するファティナから離れないように、かつ急がないように。迷路のようで、子供のじみた高揚感を憶えながらエリアス・K・フェンツル(
ja8792)も言葉にせず思考する。
(トワイライトは魔力によって証明を作るんだから、霊質的な視界を確保している敵はその術の発動に気づくのかな?)
平たく言えば、スキルは意の発露。
距離やその規模にもよるが、魔力や気配を察知できるものであれば、発動は発砲音に近い。何かしら現象を起こす程の気や魔力の集中なのだから。
故に何も発動しないという選択は正しい。
常に漏れているアウルやオーラはあれど、それはゆったりとした穏やかなものだ。
極論、霊的視界、念話を持つものにとって、スキルの発動は怒号を上げるに等しいのだろう。
そこまで思索し、さて、ではどうなのだろうエリアスも笑った。何を急いでいるのか解らないけれど、それに対応するこちらも急がなければならない。
そうでなければ、この論が正しいのかどうか研究する余地もあっただろうにと。
ただ、急いでいるという事は早いという意味で。
――早いという事は、過激な攻撃に出るという事ですよねー。
今回はそれが好機となったが、常にそうなる訳ではないと櫟 諏訪(
ja1215)は思う。以前の戦闘で港を失い、更に次は何処を攻められるのだろうか。
――報いなければなりませんねー。
失った命。けれど繋がった命と未来。
笑顔でいられる場所が良い。日常でも笑える為に、敗戦は重ねられないと櫟は後ろを見た。
ファティナも気遣う、重体を押して進む少年がそこにはいる。
久遠 仁刀(
ja2464)。負傷と激痛を気迫で押し込み、最後尾を歩く決して敗北を認められない彼。
生きているから負けではない。借りは何時か返す。そういうには負け過ぎて、大人しくなど出来ないのだ。
無茶はしているだろう。友人であるフィティナには軽蔑されるかもしれない。他にも後輩の顔が過れど。
負けた儘では、終れないのだ。
維持がある。誇りがあって矜持があって、磨きあげてきた力がある。
故にこそこの勝利こそを、己の在り方の一歩とすべく。弱さを超える為に。
そして雫も因縁ある敵手を思い描く。決して屈しない、抗い続けよう。人の刃、決して天のそれに届かぬ訳ではないのだと。
そう逸る気持ちを抑え、僅かに見えた隠し扉の存在をファティナへと肩へと指で伝える雫。
全員の戦闘態勢が始まる。即座に戦いの火蓋は斬って落とされる。
だから、ふとElsa・Dixfeuille(
jb1765)思うのだ。
自分の胸に言い聞かせるように。
この扉が開き、火が灯れば敵がいる。戦が始まる。
闘争の恐怖。喪失の痛み。略奪されるという悪夢。
それらを越え、Elsaが祓い、二度と見ぬ為に。その、一歩を。
踏み出さねば、始まらないのだから。
嘆きの夜に、夜明けの鐘を鳴らす灯の塔となれと。
戦の為の、塔など要らない。
広がる戦火を制すべく、撃退士達は己が武器を手にし。
「あの男の命に、この剣を」
開け放たれる、戦場への扉。
●
開け離れた扉。
暗がりの向こうで、驚愕の気配がする。
奇襲は成功だった。相手の反応か遅い。迎撃は来ない。
ならばと瞬間、動いたのは三名。
いずれもほぼ同時に、自分達の役目を果たそうと暗闇に光を灯す。
そう、何も見えないのであれば、自分達の力で。
故にと初手で淡い光の球を打ち上げ、周囲を照らす下妻笹緒(
ja0544)。
天も魔も獅子に猛禽、龍に虎にと強そうな外見の眷属を作り上げる。が、この世界の最強はジャイアントパンダ。前田という使徒も、それは理解しているだろうと思い。
「ふむ、興味はあったのですが」
照らされた下妻の表情は着ぐるみで隠れて見えないが、声は落胆の色が滲んでいる。
「何故、誰もパンダが最強という現実を知らない……!」
無知であり愚行だ。多少はやれど、パンダでなければ勝てる。
覚悟していた死闘が外れ、ならば押し切るのみと語意を強めた下妻。彼にとって度し難い現実だった。
直後、その声をかき消すように爆炎が轟く。
下妻が灯した灯りを頼りに、半ば反射で爆裂の魔術を放ったファティナ。
瞬間では視界は完璧ではなく、故に狙いも完全ではない。だが、放たれた魔の炎は巨大で強烈な焔華を咲かせる。多少のズレなど、巻き込み飲み込む炎の波の前では無意味。
爆ぜて残った火はそのまま周囲の照明となった。更に直線状に走る光。Elsaの放った光の魔弾が豹の獣人を撃ち抜き、その閃光で敵の姿を見せる。
それを辿るように。
「宜しくお願いします!」
弓を片手に走る花菱 彪臥(
ja4610)。狙いは豹ではなく、その横にいたシュラキ。奇襲による爆裂と閃光で一瞬混乱した瞬間を逃さない為、駆け抜けながら矢を絞り、目にも止まらぬ高速の射撃を放つ。
至近距離から放たれ、突き刺さる矢。が、花菱の行動の主は攻めではなく守り。
「守るから、攻めは!」
応じる音は、大気を突き破る轟音だった。
言葉の応酬は不要。挟む余地もなく一瞬で屠るのだと、花菱と共に間合いを詰めた雫が無骨な巨剣を振り翳す。
刀身に纏うのは紫焔。凝縮して圧縮された武威は刃鳴りを起こさせ、天を斬り裂けと破壊の力を宿す。一瞬、一撃、一閃。ただその為の力を秘め。
「失せろ」
宣言としての呟きと共に、視認不可能な速度で鬼神の剣が振り抜かれた。
飛び散る鮮血。肉が裂けて骨の砕ける音。それらは置き去にする剛撃。が、それのみで倒れる訳がないと解っている為に。
「もう止まれないんだ、負けられない」
斬馬刀を構える久遠。
小柄な身体。負傷しきった身。一撃を振り絞る事に精神と意識が断裂しそうになっても。
「迷惑ばかり、かけられるか……!」
吐き出す気炎と気勢は何処までも凄烈に。そして朧な白い気を刀身に纏わせ、長大な斬撃を縦に放つ。月に似た残光は朧の如く頼りなく、けれど、絶対に立ち止まらないと意志を込め、弧を描く一閃がシュラキの肩口を捉える。
己の在り方は未だ見えず。
けれど、仲間に無様は晒せない。仲間を見捨てられはしない。
ふと――ああ、失望だけはされたくないなと思って、苦笑する久遠。軽蔑されるかもしれない、なら、この刃にて己を示すのみと思う自分がいる。
鍛え上げ続け、常に上を目指すのが久遠の精神の根本なのだから。
「増援が来る前に、一気に攻めさせてもらいますよー!」
櫟は言葉と共にトリガーを絞る。
そう。増援など許さず、一気に攻め落とす。此処にて阻霊符を発動させ、光を吸い込む闇を纏った弾丸を放つ。漆黒の射撃は、シュラキの腹部を撃ち抜いていた。
夜目を使用せずとも問題ない灯り。そして残って散っている火。
此処まで猛撃を続けて倒れないのは流石と言うべきか。が、エリアスはその耐久力に目を輝かせながらするりと横へと動く。そして掌から産み出される光源。
その灯りが照らしたのは、未だ迎撃の体勢を整えきれていない虎と蛇の獣人。その気配だけを頼りに、視界を確保する。
「あはは、時間があったら君達の事、調べたいんだけれどね」
戦場で調べるというのなら、その血と肉と断末魔が調査物。命を掛けた場で、どれだけの輝きを見せてくれるだろうか。その生き残ろうとする力は、死ぬ間際に何をするのか。
幼心の儘に殺して解体して、全て知る。そんなエリアスの冷たい狂気は、緑の瞳の裡で底冷えしていた。
「まずは、死んでよ」
●
「度し難い。貴様らの敗因は、パンダがいない事と知れ」
下妻の宣言と共に産み出されるのは金属製の燈籠。開かれた内部から、下妻の指運にして従い、火球を放つ。
全てが魔性のものだ。産み出し、作り出し、対象へと影響を与える魔術。
炎上するシュラキの身体は、そういったものに対する耐性が低い。
右腕を炎に焼かれ、左腕は半ばまで斬り裂かれている。そこへElsaの閃光の魔弾。
怖れを踏破するべく、自分の踏み出す道を照らす光に。そして忌むべき天界の者を排除する弾丸たれと。
強がりは、もう本物の強さに。シュラキの生命力は限界だった。
それでもと大太刀を構え、放たれる刺突。狙いは魔の気を帯びた雫。
けれど、それはアウルと盾の二重の防壁を構えた花菱に受け止められる。飛び散る火花。
更に豹の獣人が鞘から抜き放つ居合も雫を狙っていたが、間に割って入る。急激な加速を見せた刃を盾では受け止めきれず、肉を裂かれるが、それがシュラキと獣人達の限界でもあった。
防御に回った花菱の背後から飛び出す雫。下段に構えた巨大な剣は、地面を削りながら虚空を斬り裂き、地を這う三日月のようなアウルの飛翔刃を放つ。
二体を纏めて貫く集中したアウルの刃。即座に飛びのく雫と、再び高速で矢を番え、側面から放つ花菱。
突き刺さった矢は、豹の意識を一瞬だけ奪う。その間隙に久遠の霧虹のような長大な刀身が振り抜かれた。
「……くっ…」
が、トドメにはならない。十全な時ならば違っただろうが、今の久遠の限界が此処である。
そして。
「っと、流石に怖いかな」
口ではそう言いながら、斜め後ろへとバックステップを踏みながら魔力の刃を形成。風に乗せて飛ばすエリアス。狙いは弓の弦だったが上手くいかず、蛇の腕を掠めるに留めるが、それで十分。
追い縋ろうとする虎と、矢を番える蛇の獣人。久遠に攻撃が流れないようにするのが、何より大切なのだから。風を巻き上げ、敵の矢の狙いを逸らそうとするのも怠らない。
それでも恐怖と映るのは、魔術師の生命力の低さ故に。そして。
「……っ…」
蛇の毒矢が放たれる。自分を狙ったエリアスを狙った一矢。胸の中央に向かったものが、風で逸れて肩口へと。
追いつけないと判断した虎も弓を持ち、矢を放つ。狙いは雫。この巨剣構える少女が驚異と判断したのか、それとも指揮官であるシュラキが消えて混乱したのかは定かではないが、雫の左腕を鏃が捉える。
「けど、これであちらは終わりね」
エリアスと歩調を合わせ、引き撃ちへと変化させるElsaの呟き通り、シュラキは倒れ、豹も終わろうとしている。
高まる魔力と熱を、その場の全員が感じていて。
「これで終わりです!」
距離を詰め、火球を召喚するファティナ。燃え盛る魔炎は先の一撃より劣るものの、豹を飲み込んで焼き尽くすには不足なし。
炎に包まれ、崩れ落ちる豹の獣から視線を後ろの久遠へと向ける。無茶をして。今もなお剣を奮っているが、限界を超えている。一撃でも受ければ危険なのは見て解ってしまう。
「大人しくしていなさい」
それは敵に言ったのか、それとも味方にいったのか。
どうすれば護れるのだろう。ふと、そんな想いを抱いて。けれど、迷う暇はない。
迷っている間に、大切な人達が危険になるなんて嫌だから。母として、姉として、友として、そして仲間へ。慈愛と心配を胸に、銀髪を翻す。
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――極論すれば、自己愛だ。
笑っている日常が好きなのは、そこにいる自分が好きだから。
献身、自己犠牲。自分はどうなっても良いからという思考など、どんな美麗な言葉で飾っても、自分を捨てているだけに過ぎない。己が消えて悲しむ者に感情が剥かないならば、自己愛より酷いただの虚無。人形だ。
まずは己在りき。
自分と大切な人。両方が幸せな未来以外、認められない。
故に。
「パンダは慢心などしない」
下妻の決して揺れぬ心は、何よりも強いと言えた。
焔球は己を定義する力より放たれ、蛇の胸部に着弾。延焼させ、灯りともなる。
「そう、ジャイアントパンダが蛇や虎如きに負けはしない」
それがどんなに他人に理解されないものでも、己在りしとあるものの強さは、決して砕けない。
「援護は任してくださいなー?」
そして櫟の酸を帯びた弾丸。蛇の鱗を溶かしていくアウルの銃撃。
今は闇にあれど、戻る場所があると知っている。笑顔が曇らない為に、まずは自分が笑顔でいる事を。
櫟とて、そう思い、感じるのだ。
どんなに緩やかな口調でも、笑顔を願う決意は本物だ。
それを捨てたら、きっと鬼になる。
笑えず、泣けず、ただ戦うだけの鬼に。
そんなのは、嫌だと思う。人の心がない、ただの剣鬼を知っているから。
「抗い続ける人の心は、決して斬れないと知れ」
此処にはいない隻腕の使徒の影を断ち切るよう、最上段から振り抜かれた雫の剛剣が虎を斬り裂く。
無様でも構わない。表情の出し方を、感情を思い出して来た雫だから。
「鬼に、人は負けない」
常在戦場。そんな在り方が理想などとは言わせない。
そこで笑うような存在に。
「探究の道に聖邪の別なし、だけれどね」
求める為に足掻き、走り抜ける道に楽なものはない。故にこそ、求めてやまないのだと、再び離れたる魔の刃。飛翔し、蛇の頸部を斬り裂く。
未だ到達できぬ創造。魔道の果て。消えゆく命の積み重ねにて、辿り着くのだろうか。
「勝つのよ」
残る虎の獣人を見据え、閃光を紡ぐ。迷いや恐怖はあれど。
耐えるだけではなく。
「……何とかするのではなく、勝つの」
言葉と共に放たれる光弾。闇を払う一閃は虎の頭部に当り、右目を潰す。そこへ花菱の矢が突き刺さり。
「全く」
苦笑が漏れ、手にした符から炎が立ち上がる。
迷いに迷い、横並ぶ友が、そして追い求めるユメが大切。
なんて人間らしくて、そして我儘だろう。自分はどんなに傷ついても良いから、では決して満たされた未来はない。
「戦上の火は、嫌いですね」
星屑のような金の粒子を纏い、放つ炎球。
奇しくも嫌いといったものを象徴する火は、虎を飲み込んでその頭部を燃やし尽くす。
原型も止めない。
それが戦火。
何も後には残らない。過ぎ去ってあるのは焼け野原。
それを止めたいと思う。
戦場の薪木として与えられない。
この想いは。
この心は。
自分達は。
この戦、立ちあがる血煙と炎を、止めるのだ。
一瞬浮かんだ過去の幻影に、Elsaが嗚咽を僅かに漏らした。
愛と戦の果てに、何が残るのだろう。