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過去を振り帰る余裕などない筈だった。
駆け抜ける勢いは一陣の風のように。
海を渡り来たサーバント達。その刃が仲間達の背に突き刺さらない為に。
今こうして走っている最中でも、天界の勢力と戦い、その背を突かれようとしている仲間がいる。
必要なのは暗い感傷ではなく、握る武器と戦いに臨む強い意志。そして敵の姿を見つける目と、息遣いを聞く耳だけだ。
後悔の暇など、ない筈なのだ。
けれど。
「ケジメは、つけるさ。だからこの道を選んだんだ」
そうでなければ、剣を持つ意味も解らなくなる。
敗戦を重ね、けれどと胸の炎を震い立たせて呟くのは久遠 仁刀(
ja2464)。
失った命、奪われた土地。負けたのだろう。だが、この手は剣を握っている。その意志、その理由までは、失いたくないのだ。
葛藤は、未だ振り切れずとも。
「……自分の失敗のケジメは、つける」
それだけだ。挽回出来るチャンスがある。
自分に出来る事はと、自問し、勝つ事だと橋場 アトリアーナ(
ja1403)は呟いた。
あの時は守れなかった。勝てなかった。
でも、まだ終わってはない。この命は消えていない。それで天界が勝ったと奢るのであれば、その足元から手にした戦槌で討ち崩すのみ。
「天魔が船で移動してくるなんてな。なんて厄介な」
情報によれば、この付近に船は到着しているという。
海岸に沿って植えられた林を走り抜けつつ、虎落 九朗(
jb0008)もまた言葉にする。
「相手はあの使徒とその配下。けれど、だからといって負けっぱなしは、嫌だ」
前田走矢の実力と、その好戦性は知っていた。だからといって、レグルス・グラウシード(
ja8064)も臆したりはしない。
自分の持つ光と癒しの力。それが敵を砕く一条の光明となれると信じているのだ。
それが頼りなくとも、か細くとも、きっと仲間を助け導く、光の一矢となれると。
「あらちも色々やるわね。けど、それがどうしたのかしら」
海岸が近い。磯の香りが強くなる。同時に戦の気配を感じながら、高虎 寧(
ja0416)は肩をすくめた。
右手に握る槍に力を込め、言い放つ。
「……だからって利用されっぱなしはないわよ。私達人間を利用できるというのなら、してみなさい。そんなに安い存在じゃないの」
そんな軽い生き方をして来た訳じゃない。そんなに易々と動かされる命ではない。
人を甘く見るなと軽く笑い、高虎は前を見据える。
その横で、やれやれと首を振るのは機嶋 結(
ja0725)。彼女は基本として天界、天使に興味はない。
これだけの動きを見せる前田を倒せばどれだけの報酬が頂けるやら。呟きは小さく、仕事として倒すべき相手と認識している。
それは甘く見ているのではない。
彼女の胸にあるのは一途で純粋な、冥魔への暴虐と衝動。故に。
「何であれ倒す。それだけでしょう」
過去の敗戦など意味はない。目の前の相手を倒すのみ。
それこそが任務であり、仲間を救い、そして勝利となるのだから。
走り抜ける一団は林を抜け、岩場へと躍り出る。
広く、足場の悪い岩場だ。隠れる場所もない代わりに視界も広い。
だから、同じように岩場を走り抜けようとする五体のサーバントと、その後方にある船を見つけて。
「長い船旅でお疲れでしょうが、お相手願いますよ」
間に合ったのだと安堵の息を付く暇もなく、阻霊符を発動させた楯清十郎(
ja2990)が、最前線を走る赤駆へと石を投げる。
衝突する石の礫。ダメージはない。だが、気を引き付ける事には成功し。
「少なくとも、僕達を無視していけるとは思わないで下さいね」
共に遭遇戦。敵と遭遇したのだと、戦闘態勢を整える撃退士とサーバント。
機先を制したのは。
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赤い影が伸びる。
赤駆の疾走だ。撃退士の面々が武器を構えた、と思った時には既に間合いへと踏み込まれている。
足場の悪い筈の岩場でなお、一気に距離を詰めてくる四体のサーバント。
臨戦態勢を整え切る前にと、間合いを詰めて投擲される赤い棒手裏剣は四連。風を裂いて、最前線に立とうとする楯へと投げられていた。
魔力によって紡がれた飛刃。けれど、楯とてただ身で受ける訳がない。バックラーを活性化させ、飛来する三本を弾き、一本が肩に突き刺さるものの、持前の耐久力で耐えきっている。
「そう簡単にはいきませんよ」
囮役として引き付け、耐える事。それに成功している楯。
故に反撃は苛烈なるものとして赤駆達を襲う。
「攻め抑えるが我が信条なれば」
そう口ずさむように、軽やかに腕を躍らせるのは姫宮 うらら(
ja4932)。
一瞬、彼女の腕の先にて、か細く煌めく何か。
そして舞い踊る、白き長髪。緩やかな動きは、次の宣言と共に一気に加速する。
「此処より先には通さぬと己に不退の誓い立て――姫宮うらら、獅子の如く参ります……!」
疾風のように身を翻し、腕を振るう姫宮。その指が手繰るのは極細の斬糸だ。
ただでさえ視認の難しい速度で振るわれた鋼の糸は、不可視の斬撃が連続で放たれたかのように赤駆を切り刻む。鋭利なる飛翔刃の連閃を放ったかのような、姫宮の腕。
何をされたのだと、それに気を取られた瞬間。
「お前達の相手は一人ではないぞ?」
意識が逸れた瞬間を逃さず、高虎の左手が影縛りの術として手裏剣を放つ。ただでさえ足場の悪い状態で避ける事は出来ず、影を手裏剣で縫い止められて動きを縛られた赤駆。
先んじて放ちたかっただろう事を、高虎にされている。
そしてその個体は最も突出しており、負傷し、更に束縛も掛かっていた。弱ったものから狙われるのが戦場の掟ならば、この赤駆が狙われるのは道理だ。
「まずは、確実に一匹」
淡々とした声は、何処まで冷たく怜悧。
命を断つ刃として、結が緑光を帯びたクレイモアを一閃させる。
空間ごと薙ぎ払うような巨剣の一閃。それも奔ったのは物理ではなく魔の刃。
赤駆の脇腹を吹き飛ばすように振るわれた太刀筋は冷たい暴虐のそれだ。天に敵意なくとも、敵対するならただ破壊するのみ。純粋にして、一点に極まった刃のような結の意志。
それでも踏みとどまった赤駆は確かに雑魚とは言い難い。増してやその身軽さを活かされれば不利になるのは明らか。故に。
「まずは片づけさせて貰おうか」
久遠の声と共に振るわれる斬馬刀。巨大で無骨にも見えるそれが描く軌跡は、その姿に反して余りにも静かだった。
剣閃は一つ。だが、噴き上がる血飛沫は二つ。水面に映った月の如く、僅かに揺れ動いただけにしか見えぬ神速の刃。早さと正確さを求めて辿り着いた太刀筋は、一体を逃がすものの二体を纏めて斬り裂いていた。
だが、トドメには一手足りない。代わりに虎落が楯にアウルの鎧を、レグルスが姫宮、アトリアーナ、高虎の三名にアウルの衣を纏わせる。
「あの敗北を、覆しましょう」
その間にとアトリアーナが瞳にアウルを集中させ、紅い輝きを灯す。
相手の挙動を精密に察知し、初動を早める為の技だ。早さはそのまま力となり、紅色に輝く光の残滓が舞う。
脳裏に浮かぶのは、斜陽の中の敗北。二度と、あれは起こさせないと戦槌を握る腕に力が宿る。
それを待っていたかのように放たれる、蒼き鬼火の矢。
けれど。
「させませんよ」
アウルの力で防壁を作り、大剣を盾とした結が間に立ち塞がっていた。狙うのはカオスレートとして冥魔に寄るもの。ならば庇い守るまで。
見切り切れず、肩に突き刺さった矢を冷たい目で一瞥しただけで、赤駆の正面へと躍り出る結。
相手が優先的に狙う者の攻撃は、逆に相手への強烈な一打にもなる。狙いを外させ、思惑を逸らしただけで効果は十分なのだから。
そして囁く言葉も、やはり氷のように冷たい。
「貴方に私が倒せますか?」
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「さて、来ますか……!」
光纏を集め、血のように赤い結晶へと錬成して自らの治癒と再生の促進を行っていた楯が再び構える。生き残った四体のうち一体は結に正面に立たれて機を逃したが、残る三体の赤駆が、姫宮へと一斉に炎を纏った忍刀で斬りかかる。
赤い刀。それを迎え撃つのは、楯の庇護の翼。地を滑るように這い、飛び上がり様の一閃を白銀の杖で受け、袈裟斬りには左腕を犠牲にして庇いきる。
が、三つ目には間に合わないが。
「負けない!…絶対に、あきらめて、たまるもんかッ!」
その身を盾として姫宮と敵の間に滑らせ、祝福を受けた盾で受けようとするレグルス。精密な刺突に腹部を貫かれるが、この程度で彼は倒れない。壊れる盾ではない。
自分の力が、誰かを護る盾になりたい。その為ならば傷ついた痛みなど構わない。
同時、結を狙った捕縛の影。最も警戒していた一撃に身を捌いて避けようとするが、足場が悪く、また彼女の機動力は高くない。
けれど、その程度で止まる彼女ではなくて。
「この程度で、私の怨嗟を」
己の身を縛る炎を掻き消して行く結の光纏と声が、底冷えして流れる。
「暴虐と破壊を、縛って止められるとでも?」
その言葉通りに掻き消された縛炎。静かでありながら、虫程の興味も持たない結の視線。この程度で止める気だったのかと、冷笑さえ浮かばぬ平坦な顔だった。
それに怯んだのか、後ろへと飛びのこうとする赤駆。けれど。
「……逃がさない」
走るアリトアーナの弓矢。後ろへと跳躍しようと力を溜めた瞬間を狙われ、消耗していた一体目は喉を貫かれて絶命する。
「……攻撃は集中。差をつけるのは、基本」
淡々とした口調は、次の敵の狙いを告げる。つまり、久遠が水月にて纏めて斬り裂いた一体。
「つまり、あなたという事ね?」
足場の悪さに加え、高虎の繰り出す影縛りによる束縛。二重の拘束は高機動力を持つ赤駆の長所を完全に封じ切る。
それへと再び斬糸を指で手繰る姫宮。回避力を下げた上で、高い攻撃力を持つ反面脆いアトリアーナと姫宮が無傷の現状は有利以外の何物でもない。相手にとっての誤算であり、失策であり、穴だった。
「此処より先へは往かせません」
そして白の獅子として姫宮は短いステップと共に腕を踊らせる。不可視の斬撃として放たれる鋭い刃は、まるで獅子の爪の如く。
大量の出血。かしぐ身体。
更に側面から再び結の緑光の斬撃が二体目の赤駆の腕を斬り飛ばし、久遠の放つ高速にして精密な一閃が纏めて三体を斬り付け、二体目も地に這わせる。
だが、喜ぶにはまだ早い。長射程の鬼火の矢が姫宮へと飛翔し、それを結が大剣の側面で弾いて受け止める。長距離砲台となっている修羅鬼は、未だ健在。
だが、初見の位置から相手も僅かに後退しているだけだ。場合によっては自分が斬り込む事を考えていたのかもしれない。
「僕の力が、あなたを癒す光になりますように…!」
レグルスのライトヒールが結を癒し、虎落が姫宮へとアウルの鎧を付与する。
赤駆は残り二体。修羅鬼の抑えへと、久遠と姫宮がそちらへと構える。
「……無茶をしないで下さいね」
「ああ。だが、迷ってばかりでも、倒れるばかりも嫌だから」
背に掛けられたアトリアーナの声に、僅かな迷いを滲ませて応える久遠。
この戦いで立ち続けていられたのなら、何かが変わるのだろうか。残る赤駆を任せ、修羅鬼の背後へと全力跳躍で向かう。
一瞬で背面を取られた形となり、即座に迎撃にと大太刀を抜き放って久遠へと刃を滑らせる修羅鬼。弧を描く刃がそれを受けようとするが、脇腹を捕えられた。
「確かに強いですわね。けれど」
リボンを解き、長い髪を振り乱す姫宮。
確かに怖い。確かに強い。だが、その動きに想いなどない。信念のない剣であり、ただの下僕の刃。
どのような力量差があろうと、想いと心で凌駕すべく。
「姫宮うらら、獅子となりて参ります……!」
純白の獅子が、死を活として疾走する。
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放たれる大太刀は流麗にして鋭利。
受けようと試みるが、二度に一度は失敗して切り刻まれる久遠。頑丈さはある。攻撃力もある。だが、全てにおいて上をいかれている。
赤駆を相手にする仲間も未だ来ず。
だが、だから何だ。
「生憎、この程度の痛みは慣れているんでね」
剣魂を発動させ、治癒を図る久遠。そして、そんな彼の後ろで、だた苛烈に、猛烈な一撃を見舞うべく姫宮が斬糸を手繰る。目に見えない程にか細い糸に宿るのは、紫焔。
背後から挟撃していても解る。未だ斬撃を受けてなくても、この修羅鬼は。決して二人では対応しきれない相手だという事も。けれど、譲れないものがあるのだ。
あるのは想い。願い。倒せずとも、心も魂も決して折れぬと、咆哮の如く斬糸が高速で空間を斬り裂いてシュラキへと襲い掛かる。
「挫けぬ人の心、舐めないでくださいませ!」
白獅子の放つ、激情を秘めた渾身の爪牙だった。爆発的な加速を得た破壊の一撃は、大気の甲高い大気の断末魔を響かせながら、修羅鬼の身へと深い爪痕を残す。
それでも、倒れない。逆に反撃の一刀で切れ捨てられつつも、死に体にて活を入れた姫宮は自らの血で白い髪を染めながらも、想うもの在るが為に膝も付かず。
「よく耐えたね」
姫宮と久遠の作った間隙に高虎が迫り、高速の刺突を放つ。
赤駆を倒し切ったメンバーが追いついたのだ。
更にアトリアーナの矢が腹部を射抜き、接近する結の大剣が大振りで袈裟斬りに繰り出される。瞬間、後退して避けたかのように見えた修羅鬼。だが、一閃の直後に横合いから光の波動が放たれ、衝撃と共に吹き飛ばされる。
刀身ではない魔故の奇を衒った虚実織り交ぜの一手。防御姿勢も儘ならず、加え、修羅鬼は魔力への耐性が低い。左腕が折れていた。
「今回は、勝たせて貰う」
横薙ぎに斬馬刀を構えた久遠が、一歩踏み込み、その刀身に天と光を蝕む闇の武威を纏わせる。
「いや、今回も、次も、勝たせて貰う。……もう、負けはしない」
そう宣言するかのように放たれた一閃が、修羅鬼の胴を両断して走り抜ける。
「勝てたか……」
どさりと腰を下ろしたいというのが虎落の本音。
防御、攻撃、更に妨害と回復。足場を考慮した射撃。役割が完全に分担され、目標の為の行動が一致し、更に個々としても十分以上の戦いを見せ付けた彼らは見事の一言。
虎落は周辺を見渡すと、レグルスは重症一歩手前の姫宮の治癒に当っている。
が、姫宮本人は己の負傷を意に介さず、依頼の完遂を報告し、味方の背後を護れた事に安堵している。
「と、楯は何処にいくのかしら?」
「サーバントの来た船を調査して、少しでも情報がないかと調べたくて、ですね」
そういう楯もボロボロの身である。けれど、まだだ。
まだ、始まったばかりの筈で。
「さて、よくその天界への敵意と対抗心は解りませんが」
冥魔、悪魔にのみにその純粋な殺意と暴虐の剣を向ける結は淡々と口にし。
勝てたのだと。それは否定しない。
その事実は覆らない。
敗北の上に、小さくとも勝利の花はあった。
これから、幾つ咲くか解らぬ、鮮やかな花が、海風に揺れる。