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――間に合えと。
破られた扉から溢れ出す炎へと身を躍らせるブリギッタ・アルブランシェ(
jb1393)。
――一人で残るなんて無茶を。
故に祈るように前へと歩を進める。同じ撃退士であった神父を救う為に。
事前に被っていた水の冷たさなどなく、立ち込める煙は瞳を刺し続けていた。
息をすれば喉が焼ける。前を見ようとする瞳が痛い。
だが、それでもと祈る心は炎では焼けず、焦げず、止まらない。
ただ、その願いも炎に飲み込まれるが定め。後、一歩、その命には届かなかった。
祈りを捧げる場であるこの礼拝堂こそ、既に焼け落ちようとしているのだから。
跳ね飛ばされた長剣が、墓標の十字架のように地面へと突き刺さった。
火柱として吹き上がっていた炎が掻き消えれば、そこに転がるのは死体が一つ。
胸には黒焦げのロザリオ。
その傍らには、炎の翼を持つエインフェリアが剣を携えている。
「(間に合わなかった……)
ごうごうと燃え盛る炎の中、歯を食い縛る若杉 英斗(
ja4230)。
剣も盾も十字架も、全てを灰にしようと燃え盛る天界の炎。全て塵芥だと。
そして突きつけられる、エインフェリアの切っ先。次はお前達だと。
「……ふざけるな!」
これ以上はやらせない。血と胸の奥を焼く熱は、こんな炎程度では足りないのだ。
ああ、間に合わなかった。だが、それが全てか。違うだろう。
神父は命を賭して、敵を此処に食い止めた。ならばそれを引き継ぎ、倒すのだ。
「全身全霊、全力で当らせて貰う」
願いを、想いを、この程度の炎で灰に出来るというのならば、してみせろと、アサルトライフルを構えて闘気を解き放つ桐生 直哉(
ja3043)。
これ以上、その炎に。
「殺させない。燃やさせない」
十字槍を構える黒井明斗(
jb0525)は呟いた。
誰も、殺さない。これ以上は。
白熱する思考と戦意。その火蓋を切ったのは、神凪 宗(
ja0435)。
引き絞れた矢の如く、一直線にエインフェリアへと向かう。火の壁を打ち破り、疾走する姿。
「目標を捕捉した。まずは奴を殺す」
止めねばならない。ただ早く、一秒でも速く。
炎の熱で軋む教会の音。猶予は僅かもないが為に。
「その炎の翼を消して散れ。そして、消えろ」
振るわれる刃は非実体の気刃だ。駆け抜ける勢いを其の儘に乗せ、放たれる刺突。神凪のアウルを受けて輝く刀身は弾こうとしたエインフェリアの剣を擦り抜け、その肩口へと突き刺さる。
飛び散る血飛沫。
「いきますよ!」
この戦場は時間との勝負だ。吼え猛る炎の貪欲さに負けてこの場が焼け落ちるより早くと、掌の中へと小さな符を作り出す三善 千種(
jb0872)。
「よーく狙って…しっかり当てるわよっ☆」
こんな場でも笑みを、明るさを忘れずに放たれる千種の炸裂符。
頭部を狙った炸裂は首を振って避けられ、虚空で爆発する。
けれど、注意がそれに向いた。それだけで十分。
地を陥没させるような脚力と勢いで踏み込み、一気に真後ろまで回り込もうとしていた雫(
ja1894)から注意が逸れた。
それだけで十分な支援攻撃。鉄塊の如き巨剣を、旋回させた身体の勢いを乗せて叩き付ける雫の横薙ぎの一閃。
エインフェリアの鎧を破砕し、肉を断ち切る剛の斬撃だ。重さも勢いも恐ろしい領域に達しているそれを放ちながらも、雫の声は何処までも平坦だった。
「弔い合戦では無く救出戦であれば良かったのに……」
間に合わなかったのだ。どのような力を持てど、零れたものは救い上げられない。守れなかったものは、失われる。雫はそれをよく理解しているから。
「急ぎましょう、本当の意味で、手遅れになる前に……」
全てが炎に飲み込まれる前に。彼の信じた人の心は、決して燃え尽きたりはしない。
それを証明する為、桐生の放つライフルの弾丸の支援を受け、前へと飛び出す水葉さくら(
ja9860)。氷のように煌めく鞭を振るい、炎を纏う剣を弾き飛ばし、翻った煌めく筋がエインフェリアの二の腕を撃つ。
そして若杉の拳銃が弾丸を放つ。けれど鎧に弾き返される程度の威力しかなく。
『…………』
無言にて、正面へ。
刺突を放って無防備を晒す神凪へと、炎を纏う刃にて返礼を放つ。交差するアウルと炎の刀身。
だが、貫いたのはただのロングコート。神凪の空蝉だ。誘われたというのに気づき、怒りのせいか長剣に纏わせる炎を強くするエインフェリア。
「天使が教会で無法を働くとは滑稽だな。……何れにせよ、早々に倒れて貰う」
時間がない。煙は満ちてき、石造りのレンガも材木も少しずつ崩れていく。桐生や若杉達が阻霊符を発動させているが、巻き込まれれば終わりで。
「お前は祈る場所を自分で燃やしたんだ。何かを願い、祈る時間が与えられると思うな」
後方より接近した若杉と入れ替わり、側面へと走り抜ける神凪は、棒手裏剣を投擲しながら口にする。
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吼え猛る炎の轟音に負けじと詠われていたのは、千種の即興の歌だった。
死者を、この礼拝堂を、悲しき終わりを、けれど否と、また新たらしく始めるからと詠われる声。
弔いにして再誕を祈る、決して曇らぬ千種の心。人の顔に、笑顔という灯りをともす為。
歌声と共に次々と放たれる炸裂符。彼女の全力であり、最速で倒す為に。小さな爆発を起こす魔の一撃は、けれどエインフェリアへと僅かに削る程度しかダメージを与えられていない。
同様に若杉の後ろ斜めから十字槍を手繰る黒井の穂先も、深い一撃とはならない。単純にして明快。鎧を貫けないのだ。
全てにおいて秀で、これといった長所は持たない分、短所もない。
強敵において付け入る隙が相手にないというのは、単純な実力差だけを見せつける。
「けれど……!」
だが、確実に負傷させている。八人掛かりで攻め続けているのだ。相手の負傷も重なり続けている。
そして黒井の一撃は細かく素早く。隙を作る為のもので、それは仲間を信じる故にこそだ。
「信じる、信仰……炎を司る天使なのに、何も解ってないんですね」
それがどれだけ強力な力となるのか。重ね合わせたそれらの輝きと熱を。
その想いと共に、水葉が長剣と手首に巻き付けたダイアモンドダスト。氷のような煌めきと炎がせめぎ合い、手首に痣を作った。炎を封じる事は出来ず、逆に噴き上がる炎の勢いで巻き付いた筈の鞭が解かれたが。
「守りは任せた、だから俺はコイツを撃ち抜く」
背を見せる戦友である若杉へと声を掛け、ライフルのトリガーを引き絞る桐生。連続で轟く銃声は、決して終わりではないと叫ぶかのよう。
そう終わりじゃない。間に合わなかったし、救えなかった。
「何も無駄な事なんかない。この人が耐えてくれたから……」
一瞬だけ、炎で焼かれた神父の遺体へと視線を移し、けれど即座に敵へと照準を直す。
「……お前を、此処で討てる。これ以上の犠牲は出させない」
闘気を放った桐生の身体で練り上げられ、銃口から放たれるアウルの弾丸はエインフェリアの鎧へと次々と穴を穿っていく。
「そう、まずはアンタを倒す。全てはそれからよ」
エインフェリアの斜め後方へと移動したブリギッタが言い放ち、再びパルチザンを滑らせる。狙いは鎧の隙間である脇腹だ。
深い一撃でなくて良い。
自分の斜め前に立つ、最大の火力である雫や、桐生の攻撃が完全に通る為の隙を作る。鎧を貫ける攻撃を、確実に。
そしてその攻勢に専念させるべく、若杉も竜牙と名付けた白銀の手甲を装着し、炎に負けぬ程の熱を孕んだ闘志をオーラとして纏い、エインフェリアの攻撃を引きうけるべく真正面へと立つ。
「俺が盾になる! 皆は剣となってコイツを仕留めてくれ!」
意識をこちらへと向けさせるべく纏うオーラ。
一瞬、エインフェリアの視線が若杉へと向き、ぞくりと若杉と背が凍えた。
攻撃や戦意に晒されているのは慣れている。この身は盾。仲間を護るべくと立ち塞がるものなればと。
けれど。
――無視されている。
攻撃しない盾なら、無視して良いのだと。タウントが効いていない。
そしてエインフェリアの動きに僅かに遅れ、桐生が叫ぶ。だが、遅いのだ。
「雫、水葉、ブリギッタ、固まっているぞ。気をつけろ!」
「な……っ…」
ばさりと炎の翼をはためかせ、若杉と雫の挟撃を抜いたエインフェリアは、雫、水葉、そしてブリギッタの三名へと接敵している。
後方へと回り込んだブリギッタは槍の射程ギリギリを確保する為、雫の後ろに。そして水葉は雫を庇う為に、その横へ。
攻撃し続ければ挟撃を抜く事を許さなかっただろうが、若杉はタウントを、そして雫は闘気解放を使用していた為、牽制攻撃の手すらなくなり、エインフェリアは易々と抜けてしまったのだ。
そして、炎の翼のはためきの射程に、三人が収まっていた。
荒れ狂う炎。翼を形取るそれが膨れ上がり、三人を飲み込もうとはためく。それは焔の波。触れたもの全てを灰にする、無慈悲な業火。
それに。
「どんな強力な炎であろうと……」
水葉が反応する。己の身ではなく、雫の身を護るべくアウルの翼を広げ、包み込む。同時に宙を舞う、魔氷の鞭。氷欠が盾のように集まるものの、それは決して炎翼を防ぎ切る防御力を持たない。それでもだ。
「その心に炎が灯っていないのなら……あなたには、何も成す事は出来ません。」
故に、心宿るこの身と、儚き氷の煌めきさえ焼き尽くせぬと宣言し、炎を迎え討つ水葉。
そして、翼の炎が乱舞した。
ブリギッタもまた天秤の描かれた盾で受け、施設へのダメージを軽減しようとするが、全ては防げない。衝撃で施設が軋みを上げ、飛び散った炎は更に燃焼を加速させる。
その後に残った三人。雫は無傷だが、彼女の分も庇った水葉の消耗は激しい。
「水葉さんっ、神凪さんの反対側へ!」
このままでは危険と、エインフェリアの側面、神凪とで挟む形の位置へと水葉を誘導する黒井。
水葉の持つダイアンモドダストの射程ギリギリであり、孤立してしまうがそこにいけば前方二人、後方二人、側面に一人ずつ。更に後衛に二人という理想的な陣形となり。
「まるで十字架のような、包囲ですね」
それは偶然か。まるで十字架のように底辺が長いエインフェリアへの包囲網となる。初手で後方を取った三人の位置取りが悪くとも、即座に立て直せる。受けた負傷は、呟いた黒井がライトヒールで回復させる。高い火力を誇る桐生、雫の両名が無傷なのも攻勢に専念できる要因の一つ、
そして。
「常に仕掛けるぞ」
側面から放たれる神凪の棒手裏剣。鎧を通して突き刺さり、動きが鈍った所へと更にブリギッタがパルチザンを突きだして隙を広げる。
前後左右から繰り出さる攻撃は止まらず、また後方からは千種と桐生の魔の爆裂と気の弾丸が次々に襲い掛かっている。炎を裂いて飛び交う攻撃は、迅速なこのサーバントの撃破を狙っており。
「今よ」
完全に脚が止まった瞬間に、ブリギッタが雫へと声を掛ける。
「…………」
撓めたられていた雫の全身と、溜められていた武気。
一瞬の隙、そこに全力の一撃を。巨大な剣に宿っていた紫焔が爆発的に収束して燃え上がり、鬼神の速度と威力を持った一閃へと変生させる。
勢いのみで炎翼を散らして断ち切る、鬼斬天破の剣。
ああ、確かに美しいだろう。この炎で織られた翼は。純白の鎧は。でも、中身はがらんどうだ。
「人の心の強さを信じた聖者の言葉、心を持たない貴方には理解出来ないでしょうね」
胸の奥に詰まっているべきものが一切ない。そんなものに止められる剣ではないと、大気を断ち切って迫る巨大な刃。
受けようと掲げられた長剣も意味をなさない。衝突。押切、そのまま肩へ、胸部へと斬り裂いていく刃。噴き出る鮮血が、炎の翼で蒸発していく。
「彼の死を悼み、彼の魂は私が導きます……そして、受け継ぐと、彼の強さと想いを」
目を伏せる雫。死した神父の亡骸を、と。
けれど、炎は尽きていない。
まるで相打つのを狙うかのように、雫の喉元へと迫る炎刃剣。横薙ぎでの首狩りだ。気質を冥魔に寄らせている彼女では危険な一撃を。
「させるか……!」
強引に間に割り込んだ若杉が、その手甲で受け止める。燃え上がる炎と輝く黄金のオーラ。共に喰らい合うようにぶつかり合い、若杉の腕に刃が食い込んで炎が肉を焼く。
だが、守るのだ。守り切るのだ。
「これ以上……させるか!」
骨まで焼くような炎刃を全身の力で弾き飛ばし、その腹部へと竜牙を叩き込む若杉。
絶対に死なせない。救えなかったし、これを勝利とは誇れない。守れなかったのなら、敗北で。
「でも、これ以上はさせるか!」
断末魔じみたエインフェリアの血飛沫と、教会の天井の欠片の堕ちる音。
その音を止めるように。
悼み、弔う声と共に爆裂の符が投げられ。
「その神父は、連れて帰らせて貰う」
膝をついたエインフェリアの頭部を、桐生が撃ち抜く。
この炎の中、終わってよいものなど、一つもないのだから。
石の欠片や燃える木材が崩れ落ちる中、鞭を振るって退路を確保する葉桜。そして桐生と若杉、ブリギッタが上着を被せた神父の遺体を運んで外へと駆け抜け。
「助けが遅れて、ごめんなさい」
墓標の如く、床に突き刺さっていた長剣を引き抜く黒井。
もっと強ければ。そう呟き、遺品となったそれを抱える。
まるで、十字架を背負うが如く。
死したものの重さは、心を軋ませる。
●
崩れ落ちる教会は、炎に呑まれ、そして消えていく。
雫が手配した消防隊の活動により飛び火はない。そして、彼女の手には神父の十字架があった。
「貴方の信仰は子供達に受け継がれます。私の中にも。決して無ではなかったと、そう誓わせて下さい。微力でも、私も守り続けますから」
それは祈りだった。礼拝堂を失い、けれど、何処でも人は祈れる。
己の心の中で。
その横、十字を切るのは黒井。死者は神父一人で、彼一人の犠牲で多くの命が助かったのだろう。献身、自己犠牲。いいや、違う。
「貴方の残した事は、悲しみもありますが……きっと世界を変える何かに、なってくれます」
その為に強くなりたいと、そう願う心に偽りはない。
ミリサに連絡を行う神凪。通話の向こうでは、少し悲しげな教師の声が漏れ、けれど、何処か受け止めていたかのようだった。こうなると解っていたかのように。
「申し訳ないって……謝れるのも、生きているからか」
どうだろう。解らない。若杉は傷口を抑えながら、呟く。
「どんな哀しみでも……次はあるって、思いたいですね」
千種の弔いの歌が、消えた炎の向こうへと響いていく。
鎮魂の歌は知らない。
魂は何処にいくのかもわからない。
天は人に剣と炎を向けた。けれど。
その善き心は、子に友に、愛するものへと受け継がれる筈だった。
回収した長剣には、一つの単語が刻まれていた。
――the caritas
何時しか、雨雲が出ていた。
恵みの雨が降る。悲しさと煤を、洗い流す慈悲の涙が。