静けさの中に、止めどない熱が流れている。
刃が敵を斬れよ、血で染めよと鳴いている。
銃の砲身が焼き付くあの感触を再びと、鉄火を求めている。
弓の弦はけれど敵を射ぬかんと凛と張り詰め、魔を秘めた武器は周囲に満ちた霊気と戦意に触れて、ぞわりと内側から力を滲み出させていた。
ひしめく気配。臨戦態勢であり、号令一つで始まる、睨み合いの戦場。
両者一歩も引く気のない、橋の上。
戦が始まろうとしているのだ。日は沈みかけ、橙に染まりつつある海の傍、橋の上で。
「……三体の増援か」
リョウ(
ja0563)は双眼鏡で戦場全体を見渡しながら呟いた。
増援阻止部隊は失敗し、三体の増援が送られた。たった三体、と言い切れない。
少なくとも五体でこちらの仲間を打ち破って到着したのだ。その力量、舐めてはいれない。
「都合、二十五対四十。……劣勢だな」
苦々しく、噛み締めるように久遠 仁刀(
ja2464)。
可能性がない訳ではなかった。だが、事実として互角だった筈の天秤は、前田の軍勢へと傾いている。
数が劣り、前田という使徒がいる。その差をどう埋めるか。防衛側という利点があるからこそ未だ成立しているだけ。この橋の上でなければ、いっそ絶望的だったかもしない。
「……はっ。だからどうした」
だが、不敵に不遜に、赤坂白秋(
ja7030)は笑い飛ばす。
不利な状況など元からで何時もの事。何度も経験しただろう。
絶望的な戦いを叩きつけられ、砕けそうになった心と身体。
けれど、その度に立ちあがったのだ。
「『不屈』こそが、俺達の武器だ。腕も折れてないのに、武器は手放さねぇよ」
戦うと決めた心は折れていない。シニカルな笑みを浮かべ、次の瞬間、後列から怒号を上げる。
「――京都を忘れたかッ!」
いいや、忘れていない。二度に渡り前田の守る枝門へと攻勢を仕掛けた鳳 静矢(
ja3856)は覚えている。
手に握った刃が、届かなかった事も。
そして、救う事の出来なかった命を。
あんなものは繰り返せない。今度こそ、絶対に止めるのだ。
「撃退士でありながら、天魔の侵略を認め、何万もの人々を置き去りにした! あの京都と屈辱を忘れた奴はいないだろう!」
守れなかった。打ち倒せなかった。
多くの人々を、守ると決めた命を。そして倒すべき侵略者たる天使の使徒たちを。
一度は刃に捉え、けれど実力の差を噛み締めた雫(
ja1894)は鉄塊の如く、巨大で分厚くい大剣を握り締めた。
けれど、あの時の自分ではない。力を磨き続けた今ならば、対峙する事も不可能ではないのだ。
止める。京都で告げた通りに、前田走矢という剣鬼を、人を捨てた化け者を、人である雫の手で、止めて終わらせる。
「負けたままで終るのか。このまま引き下がる俺達なのか。負けたまま終れはしないだろう。なら……!」
ああ、そうだ。赤坂が言うまでもない。
意を決した相手程恐ろしいものはないだろう。だが、覚悟を決めたのはこちらも同じだ。
ならば護りの盾として、一人でも多く助ける。神城 朔耶(
ja5843)も眦を決して、前を見据えた。
共に守りたい人がいる。その為に、邪魔なのだ。
人斬の、人非ず。心も既に人のそれを失い、剣の鬼と成ったものは、戦の果てるのみ。
満身創痍とはいかずとも、前田は負傷した身だ。ならば此処でこそと、カーディス=キャットフィールド(
ja7927)は狙いを定める。
「天の戦刃? 斬り裂けるものなら斬り裂いてみろ。此処で迎え撃ち、砕いてみるぜぇぇぇ!」
止めるのではない。砕いて倒すのだと、咆哮を上げる赤坂。
波打ちぶつかる闘志と戦意。その意志、確かに受け止めたと場が動き始めた。
弱く脆弱なもの達よ。その決意は受け取った、ならば戦場の仇花と散れ。
それは意志の伝播。燃え上がるような闘気を周囲に放ち、姿を見せずともその存在を知らせる、隻腕の使徒。
そして打ち上げる蒼き鬼火の矢。
高らかな音を立てて飛翔するそれは、開戦を知らせる嚆矢に他ならない。
もう一刻の猶予もない。灰色狼を先頭に敵は動きだし、矢を番えた獣人達が後に続く。
ただ、一瞬だけ思わせて欲しい。
大切な人を。帰りたい場所を。
数人がそっと、瞼の裏にその人の顔を浮かべていた。
どんな修羅場でも、彼、彼女の為なら変えられると、堅く信じて。
「たとえ側にいなくても……」
君の為に死なない。口の中だけで呟き、桐生 直哉(
ja3043)は瞼を開ける。
直後、飛来する三本の鬼火の矢。その狙う先は。
●
長射程を誇るシュラキの鬼火の矢。
蒼く燃え盛る鏃は、全て一人の対象を狙い、穿つ為、重ねるように飛ぶ。
撃退士達が反撃出来ない距離からの射撃。何も出来ず、地に沈めと、冷たく輝く三つの鬼火――狙いは左端を担当していたイアン・J・アルビス(
ja0084)。
それは偶然であったが、僥倖でもあった。
「……くっ……!」
唐突の射撃に、カイトシールドに銀光を宿らせて受け止めるイアン。二十五人の中でもっとも頑丈な彼が左端に位置し、それを狙って来たのは幸運に他ならない。
「一人でも多く帰す事が目的ですからね」
防御と守りこそがイアンの戦いだ。一人でも倒れる人が少なくなるように。命を零さず、帰す為に。
煌めく盾を構え、迫りくる矢を迎え撃つ。
一射、二射、そして三射。立て続きに離れたる矢を受け止め、けれどイアンが受けたのは掠り傷程度。これがもし逆の右端を担当する神凪 宗(
ja0435)であれば、倒れる事はなくともいきなり後退しなければならなかっただろう。
だが、これでわかった事は二つ。
「第一波に含まれるシュラキは三体で、相手の狙いは左翼崩し……」
イアンの横に並ぶ新井司(
ja6034)が呟いた。
中央突破は戦の華だ。成功すれば一気に相手の陣系は崩壊し、立て直しもほぼ不可能。一気呵成に打ち破る兵の誇りだろう。
だが、現実での的確な戦術は違う。相手が横長の長方型の陣形を取るなら、左右どちらかに戦力を集中させ、片方を崩してから正面と側面の二面攻めをするのが定石。
ましてや数に勝る前田達がそれを実行しない訳がない。
「つまり、狙われるのは俺達か」
新井の横、アサルトライフルを構える柊 夜鈴(
ja1014)。だが手に持つ銃撃の射程に、サーバント達はまだ入っていない。
後一撃、イアンに集中させた上で接近戦。
耐えるしか、ない。
更に接近してくる敵の歩が遅く感じる。引き絞られた獣人達の矢は、こちらの攻撃と当時に放たれるだろう。
「……っ…」
再び飛来したシュラキの矢。銀の盾は使い切っており、イアンへと三本全て突き刺さった。
「平気、です……」
それでも持前の頑丈さで耐え切るイアン。けれど、長くは続かない。
踏みしめ、砕く軍勢の足音。
左翼崩しの陣は、すぐそこに。
●
「さぁーて団体さんの到着だ」
平山 尚幸(
ja8488)の言葉に応じ、迎え撃つ。
先の返礼だと、進み続けるサーバントへと射撃攻撃を放つ撃退士達。
弾丸と矢が雨のように降り注ぎ、紡がれた魔力にして放たれる炎と雷撃、烈風に光と影。
多重にして連続する無数の乱撃だった。誰が何を放ったのか認識できない程の連続射撃。爆音と閃光が大気を揺るがし、空間を斬り裂いて穿っていく。
止まれではない、倒れて消え失せろと繰り返される射撃攻撃は、衝撃の余波で周囲の物さえも破壊していく。
過激なる猛撃。そうとしか形容出来ない。半端なモノでは近づく前に四散して倒れるだろう。
事実、飛翔するアウルと魔力の乱舞で過半数の灰色狼が原型も残らず吹き飛び、優先目標とされた虎の獣人も二体が沈む。
惜しむのなら、シュラキがしたように一点への集中攻撃ではなく面の制圧射撃だという事。そのせいで倒しきれないものが出ている。
「虎を近づけさせてはなりません……!」
光の弾を産み出しながら、戦場に冷たく響き渡る声を張り上げた氷雨 静(
ja4221)。
虎の獣人は接近されると厄介に過ぎる能力を持っている。近づかれる前に可能な限り討たねば、意識を刈り取られる。
「残りの虎は六体だ。何とか集中して倒していこう!」
闇を纏わせ、天界の祝福を受けたモノへの威力を増大させた矢を放つ久遠 栄(
ja2400)。狙い定めた一矢は虎の額を貫き、橋から浅瀬へと落下させる。残りは五体。耳を劈くような攻撃の重なる音に意識を飲まれないよう、前方を睨み付ける。
戦意はぶつかり合い、互いに怯む事なく高め合う。接近も攻撃も出来ずに倒れたサーバントも少なくない。だが、その血の匂いに狂ったように吠え猛る獣人達。
殺戮の為に生み出され、戦場に放たれた獣は止まらない。同胞の死体を踏み潰し、踏み砕き、己の負傷も気にせず前進する。
そして、番えられていた矢が放たれた。応射された矢の数は、十五本を超えている。雨の如き弾幕であり、視界を覆うような制圧射撃。シュラキの鬼火に先導されるように、その全てが左側の三人へと降り注ぐ。
盾に、鎧に、肉に地に突き刺さる膨大な数の矢。一瞬で剣山のような有様となった左の一角。
どんなに頑丈でも、これだけの数を受けては無事ではいられない。イアンも新井も、そして夜鈴も幾本もの矢を浴びて膝を付きかける。
これが戦場だ。
余裕と慈悲など何処になく、ただ数と力の暴力で押し流して行く濁流の渦。
いや、だからこそ。
「第二列、交代して」
元より消耗の避けられない戦い。新井の声と共に三人は後退し、代わりに控えていた第二陣が前へと出る。
後退する三人を追いかける獣人の前へと躍り出たのは唐沢 完子(
ja8347)、橋場 アトリアーナ(
ja1403)、そして大澤 秀虎(
ja0206)の三名。
「行かせない、絶対に突破させない!」
解放した闘気を陽炎のように纏い、小柄な身体で疾走するのは唐沢だ。
狼の獣人が、迎撃の一太刀を振るう。だが、刃の鋭さを恐れず、滑るように懐に入り込んだ。
肩口を斬り裂かれたが、その程度で唐沢の意志は止まらない。気と力、そしてアウルの流れを収束させた掌底の一撃を獣人の左胸部へ。内部で炸裂する衝撃は心臓の血流を乱して動きを強制的に止める。
「ええ、いかせてはなりませんから……!」
伸びるように放たれた刺突を首を振って避け、交差するようにアトリアーナが無骨な戦槌を振り下ろす。
返って来た手応えは十分。打の衝撃で虎の肩が砕けたのを感じる。互いに一撃で仕留めるのに失敗し、弾かれるように離れる両者。刃の掠めたアトリアーナの額から、血の雫が滴り落ちる。
けれど、そう。例えばこの戦場で、帰ってきて欲しい人がいるから。
そういう想いがあるから、恐怖が付け入る隙など微塵もない。アトリアーナが武器を手放す筈など、ないのだ。
「参る!」
地を這うように接近した大澤もまた、跳ね上がり様に蛍丸を下段から跳ね上げた。
鋭刃の一閃は脚部を斬り裂き、獣人の機動力を奪うものの、返しの一太刀が上段から振り下ろされる。
交差する大澤と虎の刀。鍔競りへと流れ込み、互いが互いの動きを止める。
「戦場は単純だ」
軋みを上げる刃を相手へと押し込む大澤。
「目の前の敵を倒し続ける、それだけだ」
剣の本懐とは斬る事だ。戦場とは殺し合う場所を指す。
敵は全て斬り捨てるべし。それを体現するかのように、最も過激な攻撃の応酬が繰り広げられている左側。
偶然、防御力が低い阿修羅だけになってしまったが、その分、火力は高い。
血飛沫が上がり、金属の悲鳴と肉と骨の潰れる音が響く。
それは、まるで前田が求めていたものに引き込まれるかのようだったが……。
「まだまだ、こっからだ。気合を入れていこう!」
大澤へとアウルの鎧を纏わせる紫ノ宮莉音(
ja6473)。
正面に立つ紫ノ宮へと人狼が攻撃を仕掛けてくるが、薙刀で牽制して回復の機を失わないように左右へと目を光らせる。
●
後方では、神楽坂 紫苑(
ja0526)と神城が二重に癒しの風を巻きあがらせて、後退した三人を回復させていく。
「激戦とは思っていたが、此処までか」
ほんの僅かな攻防で三人が倒れそうになった。
二列態勢を整え、前に立つものを交代出来るようにしているからこそ回復する余裕がある。
けれど、第一波でこれだ。誰も倒れないような簡単な戦場ではないと理解していたが、凄まじい攻勢。まだ主戦力を温存して、だ。
「相手も雑魚で、数は減っているだろうが……」
そう、減っている。こちらの体力やスキルの数と同様に、削られている。
「新井さん……」
「いや、問題ない」
神城が声を掛けたのは、矢の刺さっていた新井の腕を見た時だ。肌が紫に変色している。毒の矢だ。
「元々覚悟の上だ。刀の間合いで戦えないのは辛いが、前衛を支えないと」
そう告げ、解き放った黒焔を全身に纏ってアサルトライフルのトリガーを引く夜鈴。放たれるアウルの弾丸は、左側面へと回り込もうとした虎人の腹部に吸い込まれていく。
更に後衛からは平山の狙撃銃を始めとした弾丸と矢が疾走し、桜木 真里(
ja5827)を達、ダアトが魔術を絶え間なく繰り出し続ける。
着弾し、削り、動きを止めて、打ち倒して行く。前線を支える支援射撃であり、敵を止める砲火だ。弾幕のような射撃攻撃は、敵だけが出来る訳ではない。
個体として弱い灰色狼は既に残っておらず、獣人達も後衛に徹する蛇人以外はその身に負傷を追っている。
けれど。
●
左側へとサーバントが集中している分、右側は幾分か楽ではあった。
だが、それも僅かであり、他を気にしている余裕はない。
狼人の太刀が薙ぎ払われた。避けきれなかった神凪の脇腹を抉り、血が零れていく。
剥き出しにされる鋭く長い犬牙。笑ったのか。
ただ殺すしか能のない、獣未満の存在が。争う事しか出来ないサーバントが、流血を見て。
「獣が、調子に乗るな」
冷たい呟きと共に、振るわれる気刃の剣。神凪の不可視の刃は狼人の右腕を斬り飛ばし、軌跡に血の跡を噴出させる。
倒れる姿へは一瞥もくれない。変わりに正面へと迫ってくる次の相手を睨み続ける。
何かを思えば、次に倒れるのは自分なのだろうから。
「シュラキは、後方か」
「何時も通りだな。長距離射撃で削り切るつもりなのだろう」
神凪の声に応えたのは鳳だ。右側には抑え程度の少数の戦力しか送ってきていない。完全に左陣崩しに掛かっている。
飛来していく鬼火の蒼。続いて放たれる矢。そして獣人達の振う剣に、鮮血が霧のように散り広がって、苦鳴が聞こえる。
鳳の柳一文字の刀身に浮かぶ緩やかな波紋から、紫のアウルが滲み出る。まるで怒りがその形を取るように。
「だが、させるか。こちらを無視できないように、打ち破ってみせる!」
自分達が無視出来ない相手だと知らしめるのだ。そして、鳳が倒せば、その分、左側の負担も減る。
「前田どころか、キュマイラさえ出ていないんだ。こんな所で止まれるか!」
同様に久遠 仁刀(
ja2464)も怒りを滲ませ、斬馬刀を振り上げる。纏うのは月のように白いアウル。
自分で望んだ戦場。自分の命を落とす事となるのなら覚悟の上だ。
だが、仲間の命は違う。戦い、倒し、そして皆で帰るのだ。その為に守り。
「打ち砕く!」
放たれる紫の翼と、爆発的に伸びた月光の刀身。
直線上にあるもの全てを飲み込む二重のアウルの飛翔刃。前衛の狼人と後衛の蛇人を纏めて斬り裂き、薙ぎ払う。
一撃では致命打には届かない。だが、何度も耐えられまいと再び構え直す久遠と鳳。
二人へと突き出され、切り払われる刃。だが、お前達には倒されないと肉を切られ、血の滴を散らしながらも二人は耐える。
そして二閃目。白と紫が荒れ狂い、獣達を薙ぎ払う。生き残った一匹へは神凪がその喉へと苦無を投擲し、息の根を止めた。
けれど。
「下がるよ、左側が結構危ない!」
右側は戦力を集中されていないからどうにかなっているだけ。
矢と弾丸と魔が降り注ぎ、獣人達を撃ち払っているが、左側は既に三度も第一列と二列の交代が行われている。
元より徐々に後退し、相手を引き込みながら戦っていた。だが、此処が限界で、仕掛ける時だと紫ノ宮は叫ぶのだ。
「なら、下がる隙を作る」
神凪がアウルを練り上げ、空中に作り出したのは大量の土砂。
石が、岩が、砂塵が、無差別に降り注いで右側の視界を潰し、遮蔽となる。
その隙にと一気に後方へと下がる四人。対して、左は。
●
後退の命を受け、左側も撤退を開始しようとしていた。
「吹き飛べ!」
再び懐に入り、掌底を繰り出す唐沢。後方へと吹き飛ばして、後退する隙を作ろうとする。
が、そんな時に喰らい付くからこその獣である。正面から迫る虎人の野太刀。剛の剣撃であり、意識を刈り取るだけの重さを持ったものだ。
肩に落ちた刃。肉を裂かれて鮮血が飛び散り、骨が軋む。罅が入ったかと思うような一撃。
何とか耐えたと後ろへと下がる唐沢。けれど。
「横だ、唐沢!」
夜鈴の叫びと同時に、唐沢の側面へと迫るもう一匹の虎人。虚を突かれ、側面を取られ、振り翳された剛撃に対応出来ない。
脇腹を深く斬り裂かれ、悲鳴と共に転がる唐沢。命はあるが、意識を失っている。動けない。このままでは置き去りにされる。
「く……っ…」
だからと飛び出すイアン。盾を構え、転がる唐沢を拾おうと前へと出た。
「ハッ、だから撃退士は『不屈』なんだよ、恐れたりしねぇ!」
その姿こそ、正しいのだと赤坂がアサルトライフルを連続して放ち続け、援護射撃とする。
動けない唐沢へと突き出される幾つもの刃。数えている余裕はなく、イアンも全ては受け止められない。肉にめり込む鉄の冷たさと、激痛の熱さを感じながら、それでもと唐沢を庇って後退していく。息はある。助けられるのだと。
しかし、追撃をとシュラキの矢が引き絞られる。前に突出した形となったイアンと、意識のない唐沢へと向けて。
そしてその意を受け取り、群がろうとする獣人達。
「させないよっ!」
六道 鈴音(
ja4192)が見出したのは一瞬の好機であり、撤退の隙と敵の掃討を同時に可能にする瞬間。
つまり、獣人達がトドメを刺そうと密集するその刹那。第一列近くまで一気に走り抜けつつ、紡がれる霊力。
どのようなものでも、首級を上げようとする瞬間こそが無防備なのだから。
「消し炭にしてあげるわ! 六道赤龍覇!」
天へと突きだされた腕。引き起こされたのは、空へと駆け上がる真紅の龍の如き火柱。群がる敵を一掃する灼熱の炎渦が獣人達を包み、その身を焼き尽くして行く。
文字通り、全身全霊で引き起こす大火焔。何度も前進と後退を繰り返した事で仲間が負傷させていた獣人達が炎の中へと消えていく。
更には周囲に残った炎はそのまま敵の全身を拒む障壁となった。遅れて迫る熱波に、巻き込まれなかったものも後退る。
「そして……!」
霊力を咄嗟に白い障壁へと練り上げ、展開する六道。紋様の浮かぶ白の盾へと、鬼火の矢が衝突し、破砕する。
「六道封魔陣!」
一枚だけではない。二枚、三枚と連続して作り上げた盾は、三連射全てを受け止めた。鬼火と霊力の衝突の余波でダメージを受けたが、そんなものは軽微だ。
「助かります……!」
六道が追撃を断ち、そしふ防いだ隙に下がり、第一列へと戻るイアン。
一人、いや二人が助かったのだ。
けれど、戦場は常に無情だった。
「仲間は見捨てないよ、それはイアンもなか……っ…」
最後まで言う事も出来ない。火炎の渦に生き残ったものが、或いは前進が出来なかった獣人が、イアンと六道へと矢を放ったのだ。咄嗟に盾で受けたイアンと違い、回避力はなく、物理的な防御手段もない六道は四本の矢に貫かれ、その勢いの侭に地面へと倒れる。
大火力と広い範囲攻撃を誇る技。だが、射程が犠牲にされており、打てば二撃目を撃たせまいと反撃が来るのは当然だった。
けれど、それで助かった命が二つ。
「止まるな。こちらも後少しだ!」
「これ以上は引きません、ええ、後ろにあるものを守る為に」
故に押し切れと神楽坂がヒールでイアンを癒し、神城もまた夜鈴の傷を塞ぐ。
「ああ、待っているんだ。勝つ瞬間を、な」
リョウが練り上げ、アウルを炎へと、そして炎を槍へ形を成していく。
己のもっとも得意とする武器である、槍。それを投擲するようにして射出する。
飛翔する三つの炎槍は無理に追いすがろうとしていた最後の虎人と、もう二体の蛇人を貫いて焼いていく。
虎人は倒れた。こちらもかなり削れてしまった。けれど。
「頼む」
投槍を成したリョウの横に並び、夜鈴が祈るように言葉にする。
「信じてるよ」
こちらが後退し、相手が追撃したせいで縦長に広がった陣形。負傷はした。けれど、この為に全ては賭けたのだ。
信じる仲間を思い、迫る敵へと薙刀を向け、変わらず中央に立ち続ける紫ノ宮。
アウルの鎧は尽きて、癒しの風もない。ヒールの数も減っている。
此処で有利に立たなければ、ならないのだ。
そして、それは成功すると、自分よりも仲間を信じる二人は。
●
「ああ、役目は果たさんとなぁ!」
信じられている。何故だかそう思うし確信して叫ぶ宇田川 千鶴(
ja1613)。
声が聞こえた訳ではない。だが、思いは伝わっていた。
悲鳴が、金属の激突音が。倒れる音が、苦しげな息が。橋の裏に潜んでいた時から聞こえ続け、歯痒さを感じていた。
まだか。まだなのか。
そう焦り、願い、そして駆け抜けた時に感じた何か。
錯覚だとは誰にも言わせない。戦場でそんなものは無意味だとも言わせない。
「信じてくれているんやろう。応えるで、私の全力で」
仲間と共に勝つ為、乾坤一擲の一打を放つのだ。壁走りを使い、奇襲を仕掛けるべく走る鬼道忍軍。
相手は気づいていない。激戦に応じ、それに耐えた仲間がシュラキの感知能力を失わせている。だからこそ。
「十分に、存分に楽しませて貰うわぁ……これ程の戦場だものねぇ?」
愉悦の滲む声と共に橋の裏から現れた黒百合(
ja0422)達に対応できない。汚泥と血液の混じった巨大な左腕が、黒百合の登場と共に振り下ろされて瘴気と毒を撒き散らす。触れただけで心をも侵蝕する、魔の腕。
肉体的な負傷に加え、精神的な衝撃で動きが止まる獣人。シュラキも一体巻き込んでいる。
「さあ、舞台で出番ですよ。此処で戦い、戦果を挙げさせて貰います!」
奇襲不意打ちは卑怯ではない。むしろ、策を成功させるその手腕こそ称えるべきだ。戦の華だ。
が、カーディスが言葉と共に放ったのは影の花びら。いや、影を凝縮して作られた無数の漆黒の棒手裏剣。広範囲に撒き散らされる、単独で生んだ闇色の雨粒の刃達。
「浄土へいきや、葬送の炎は手向けたる!」
さらに宇田川の火遁の術が縦に走る。火走りの蛇は弱った獣たちを焼き払い、連撃で陣形を乱す。 指揮を執っていたシュラキも唐突の事に対応できず、混乱する場。
そこに回復し、立て直した前衛の仲間が攻め掛かる。両側面からの奇襲で浮き足だった所へ、押し返そう突撃を開始したのだ。
でも、例えば。
そう、これは意味のない例えだが。
これが五人だったら、結果は違っただろう。
奇襲が可能な五人でならばまだしも、たった三人で相手をするには、数が多すぎた。
そう、いるのは三人だけ。
「な……っ…!」
もっとも早く動き出したのはシュラキ。側面へと現れたカーディスへと間合いを詰める。走る一閃はカオスレートを変動させたカーディスには致命的だった。
そして、彼は挟撃する為、一人孤立していた。
吹きあがる血潮。胸部を刺され、そのまま横へと刃が滑るようにして切り裂いて抜ける。一撃では倒れないと踏み留まるが、左右から突き出される蛇人達の刀。
「…かっ……」
多勢に無勢とはこの事だった。穴だけになった身体が力を失い、橋の手摺へと寄りかかる。
「カーディス!」
宇田川の声は、遅く、そして遠かった。助けにいける距離でも、そんな時間もない。
放たれる鬼火の矢。二匹目のシュラキの一撃を受け、後ろへと倒れるようにして浅瀬へと落ちていく。
流れた血と、裂かれた衣服を残し、海に落ちるカーディス。
「……あら」
そして同様に、黒百合へと間合いを詰めていたシュラキが一体。残る三対目の剣閃は冴え冴えと、命を奪うために黒百合の首筋へ流れる。
反射で空蝉の術を使用し、制服を身代わりに後退する黒百合。
「余裕、なさそうねぇ……お互いに」
そして叩きつける汚泥の左腕。瘴気と毒と、そして動きを止める一撃。
それは、シュラキだけに向けたのではない。こちらの前衛と戦う獣達にも向けたのだ。
八体の獣人が前衛と交戦している。今の奇襲で虚を突かれ、三面戦に突入した為、もうそれだけしか残っていない。後は後衛だったのだろう蛇人が二体。それもカーディスを仕留めるため、射撃戦を捨てた。
シュラキが出てきたのが良い証拠だ。正確には、出ざるをえなくなった。
「問題は、私達が帰られるかやね……」
即座に下がる準備をしている宇田川に対して、黒百合は未だ交戦するつもりだ。
いや、此処で下がれないのだ。奇襲は成功した。けれど、その成果は最小限しかない。たった三人で出来る事は少なく、むしろ落下したカーディスを見て、味方の前衛が動揺している。
だから、戦果を挙げなくては。そう思った黒百合。なのに。
「……嘘」
蒼き炎を宿した矢が飛来する。回避を得意とする黒百合、宇田川の二名をして避けられない。
それは攻撃に特化した上位サーバントの攻撃。単純な話として、鬼道忍軍はシュラキと正面からぶつかり合えば、その性質上苦戦するのだ。
そしてそのシュラキの矢は、四本。
後方に待機していたシュラキが、ついに戦場に投入されたのだ。
長弓を持つ武者の姿。そして、蹄を高らかに鳴らす白のケンタウロスと、地響きを立てるキュマイラも。
立て続けに空蝉を発動させて避けた黒百合だが、宇田川はそのうちの一本を受けてしまう。
射抜かれ、魔と影を滅する火が身体の中で弾けて燃える苦痛。そして見えた増援、敵主力。
「下がるで!」
目の前に来ていたシュラキの腕でに忍刀を突き立て、迅雷を発動させて下がろうとする宇田川。
「これは流石に無理、ねぇ……」
同じく最後にと影手裏剣・烈を放ち、蛇人二体にトドメを刺してから橋の壁を走りぬけようとする黒百合。その二人の少女の背に、きりきりと、きりきりと弦が鳴り。
ひゅんと、風を切る矢。
奇襲は見事。それで獣人は事実上壊滅した。
けれど、三人で敵陣に攻めて帰れる筈がないと、冷たい宣告のように七本の矢が走り、二人の背を貫く。
口から漏れるのは痛みと、血液。壁に触れていた足が衝撃でもつれて離れ、二人とも浅瀬へと落下していく。
浅瀬の、岩礁へと。
●
「ちづねぇ……?」
呆然とする夜鈴。
落ちた。射抜かれた。海へと。岩礁へと。
姿は海に飲まれ、奇襲を成功させた三人の姿は、大切だった人の姿は見えない。
生きているだろうか。だったら助けないと。なら、どうやって。
悲しみ、激痛。燃え上がるようで凍えるような恐怖と激情。
「……お前ら…っ…!」
一瞬の溜め。そして全身の力を爆発させて振るわれる夜鈴の鬼切。黒焔を纏い、禍々しき気を放つ刃は黒の烈閃と成って眼前に立っていた獣人の首を両断する。
大量の返り血を浴び、黒の炎を纏って怒号を放つ。
「退け、下がれ! 助けに行くんだ、邪魔をするな!」
浴びた血潮より身体が熱い。けれど胸の奥で、絶望という氷がぴきりとその領域を広げていく。
「許さない……!」
紫ノ宮も彼、彼女たちは生きていると信じている。
だが、それとは別に振るわれる薙刀。遠心力を乗せて一閃し、眼前に立ち、阻む獣人を断ち切る。
もう残りは僅か。
だからと言うように、敵の主力が駆け抜けた。
疾走するのは白の半人馬。三騎が横へ連なり、突撃を慣行する。
「止めるんだ! 前列に穴が開く!」
栄の叫びに応じて、後衛が一斉に射撃を放つ。
此処は通してはならないと赤坂のダークショットが打ち出され、平山の狙撃銃が閃光を。神城の弓は限界まで絞られて放たれ、桜木の雷撃も、氷雨の紫色の雷撃も、栄自身の精密射撃も、何もかも。
迎え撃つべく連射され、けれど盾に阻まれて後一歩届かない。一体に集中していない攻撃では、騎兵の盾を砕けない。
響き渡った蹄の音。突撃槍が前衛へと迫り、破砕槌の如く打ち出される。
此処まで執拗に狙ってきた、左側へと。
「がっ……!」
大澤が、夜鈴が、イアンが貫かれて後方へと弾き飛ばされる。
そして大澤とイアンが起き上がる気配はない。また二人、倒れた。
その穴を埋めるべく、再び二列目が立ち塞がった。けれど、もう回復しての交替は望めない。
ヒールは使い果たし、受けたのは微量の回復。それだけだ。恐らく、自分たちが最後の左前衛になると、確信して。
「もうすぐそこまでだ。此処で引く訳にはいかない」
雷撃を体内に流し込み、急激に加速した新井が前へと踏み込む。
迅雷の踏み込みと共に放たれる最後の絶氷。
蓄えたアウルを衝撃として伝達させ、痛みと衝撃で神経が氷結したかのように身動きを絶つ一撃。当然、続く攻撃は必殺となる。それを考慮しての、怜悧な殺意の鉄拳だった。
「前田に一太刀を与えられずに、引く私ではない!」
雫は鉄塊のような大剣を下段の地刷りに構え、地面を抉りながら降り抜いた。
破砕の衝撃は三日月に似て、横直線に並ぶ二体のケンタウロスを切り裂く。新井によって動きを止められていたモノは、その衝撃で倒れこむ。
後少しなのだ。だから、残る力を振り絞って。
もう回復の後押しはない。攻められれば、そこから崩れるような有様ではあるけれど。
「人を止めたものを倒すのは、人の役割だ……だから!」
雫の絶叫に応えるように飛び出す桐生。そうだ、奴に逢いに来たのだ。こんな所で。
「お前たちに倒される訳にはいかないんだ!」
跳躍して放たれる胴廻し蹴り。ケンタウロスの頚骨を粉砕し、あり得ない方向へとその顔を向ける剛撃。でも、まだ足りない。
ああ、そうだ。自分一人では何時も足りなかった。あの京都でも。
駆け抜けて、アウロラを振りかざすリョウ。秘められた魔の一撃で姿勢が崩れ、重なるようにしてアトリアーナの戦槌が振り下ろされる。
砕け散る頭部。増援が来た。だから何だ。
「最後の最後まで、諦められないから……!」
陣形は乱れ、消耗も激しい。
これから七体のシュラキと二体のキュマイラ。そして前田走矢を相手にするなど、自殺行為に等しい。
それでも。
「前田!」
血を浴びたかのように、赤く染め上がった鉄橋の上で雫は獅子吼を上げた。
「あの時、あの京都で告げたように、お前を終わらせる!」
故に出て来い、私は此処だ。戦と流血で赤く染め上がった空と地など認めないと、空間を揺るがすような万の想いを乗せた声に。
「よく言った」
剣鬼が応える。
その姿を、現すのだ。
この斜陽の戦場に。
●
戦場を駆け抜けた月光の刃と、紫の大鳥翼。
けれど、その飛刃閃も限界だった。鳳のそれは使い切り、久遠の持つものも残るは一つ。
「行け」
増援の分だけこちらが不利。後で行くから、それまで生きていろと、前田に向かう鳳へと久遠は背で告げて、振りかざす白月。
長大に過ぎる弧を描く閃光は、シュラキを二体とキュマイラを一刀の元に切り裂いた。
そして、奇襲した三人の攻撃で弱っていたシュラキ二匹はそこで倒れる。決死の攻撃が、確かに削り弱らせていたのだ。
「だが、此処からか」
「どっちがマシだと思うか?」
「戦場でマシとかないだろう。……何処にでも鬼が出る」
違いないと、平和を求める神凪が笑い、久遠が苦笑する。
迫るキュマイラとシュラキ。それを担当する前衛は、この二人に、リョウ、新井、紫ノ宮の五人だけ。後は前田を止めに向かっている。
後衛こそ、キュイマラを撃破する鍵ではある。けれど、反面気づいてしまう。
五体のシュラキを止めなければ、後衛が一人ずつ切り殺されていくのだと。
「行くか。今までとは違って、一人一匹倒せば良いだけだ」
リョウが笑う。絶望の中で。
そしてふと、思い出したように新井も告げた。
「こういう状況、絶望で地に叩きつけられた後、飛翔して覆す事が『英雄』のひとつらしいわね」
前田がどう思うか、聞く事は出来ないだろうけれど。
少なくとも、この血に塗れた戦場に、『英雄』なんていない。
同時に。
「前田、負けたままでいいのか?」
使えるものは全て使うのだと、龍崎海(
ja0565)が口にする。
赤い世界の中、右側ではキュマイラとシュラキに対応し、左側では前田一人に何名もの撃退士が向かい合う。
「お互い、勝負を付けよう。今度こそ邪魔なしの、戦いだ。決着だ」
状況は五分とは言えない。それでも、前衛が消耗している中、後衛を守る為、前田をこの橋にいさせてはいけない。
「だから、決着はあの浅瀬で……」
それは正しいのかもしれない。
けれど、この場では致命的だった。前田から目を離し、浅瀬を視線で示した龍崎の行動は。
そして、認識は。
「お前は、此処を何処だと思っている?」
既に前田の間合いへと、龍崎は踏み込まれていた。
上段に振り上げられた刀に集まるのは、燃え上がるような真紅の光。刃へと凝縮し、鋭利さと速度を限界まで高めた閃光。
神速の一太刀。視認不可にして、全てを断ち斬ると自負する前田の一閃が、龍崎の肩から胸までを、縦に切り裂いていた。
飛び散る血飛沫。喘ぐ様に呼吸し、肺から逆流した血が龍崎の喉から溢れ出す。
「此処は戦場だ。既に戦場に立っておいて、何を言う? 何処で戦おうと、どのような邪魔が入ろうと、自分の力で斬り進み、突き進むものだろう。敵を目の前にして、一時休戦?」
笑わせるなと、けれど何処か称えるように笑う前田。
「お前たちの策を、連携を、力を知恵を、評価している。その執念も見事だ。だから残念だな……これほどの執念があるなら、どのような場でも正面から、或いは奇襲でも仕掛ければよかったものを」
龍崎が右手に握っていた十字槍が、交差方で前田へと突き出されていたのだ。
それは咄嗟の反応。身を守るより、一撃をという勝利への渇望。その反撃は、脇腹を掠めるに留めるものの。
「今は眠れ。俺の太刀を受けたお前だ。次はもっと楽しませてくれるだろう」
倒れる龍崎。血に沈む仲間を前に。
「前田!」
そう。この使徒となる前の、在りし日の前田走矢という『人』を見たかったと、桐生は思い。
「止めさせて貰うぞ。そして、以前より深く、強い一撃を!」
正面から挑み、闘気を開放する雫を背に隠す鳳。
「助ける為に邪魔なんだ、俺の刀の間合いなら、好きにはさせないから……いや、守れるから!」
救えると信じ、一瞬でも早くと大太刀を振りかざす夜鈴。
「今度こそ消えろ、前田!」
吹き上がる火柱のような戦意を受け止め、愉快そうに、喉の奥でくつくつと笑って前田は応じる。
「ああ、来い。俺を楽しませろ。お前たちは敵手だ。天の刃となった俺が、斬るだけの価値のあるものだ!」
無構えを取り、笑って迎える前田走矢。隻腕である事も、負傷している身である事も意にしていない。それならお前たちも消耗しているだろう。互角だ。これこそが戦場だと、嬉々として。
「……これが、前田走矢」
アトリアーナは寒気を覚えて呟く。
触れるもの、迎えるもの、皆、刃を持ったトーテンタンツに興じる。
命は全て刃の上に絶たれるのならば皆同じ。剣鬼の舞に、飛び込んでいく。
●
シュラキの切り上げる一閃。
久遠が斬馬刀で受けたが、それがどうしたというのだろう。
二匹のキュマイラが連続して放つ水塊に、久遠以外の前衛は全員倒れていた。
その久遠もまた、根性で立っているような状態。四体のシユラキに囲まれ、もうどうしようもない。
「まるで、固定砲台ですね……」
回復手段を使い果たした神楽坂と神城も弓を放つが、強靭な筋肉に阻まれて鏃が深く食い込まない。
それでもと重ねられる後衛の射撃。
「負け続ける訳にはいかねぇんだ!」
鼓舞するように張り上げた赤坂の声と共に、アサルトライフルから吐き出される冥魔の弾丸。血飛沫が上がる。なのに、まだ倒れてくれない。
「やるしか、ないですか」
それは桜木の覚悟の呟きだった。前へと前進すると、練り上げられる猛火。
六道が一度放ち、それで倒れた。キュマイラ二体とシュラキを巻き込む以上、自分も反撃されるだろうが。
「負ける訳にはいかないんだよ。此処を渡す訳にはいかないからね」
迷いなく放たれる、大紅蓮の爆裂。炎はシュラキ三体とキュマイラ二体を包み込み、一匹のキュマライを燃え上がらせて地に伏せる。
そして、それが限界でもあった。
咆哮と共に吐き出される水塊。今度は桜木と久遠を飲み込み、二人を昏倒させる。
前衛はもういない。
四体のシュラキと、一体のキュマイラが残ってしまった。前衛が前田を倒そうと流れすぎたのだろうか。
そのため、キャマイラの射撃範囲攻撃の連打を許してしまい、崩壊してしまった。
撤退させるか、撃破させるか。まず目標を定めるべきだったか。いや、これはもしもの話で、どうしようもない話。
だから、此処で出られるのは博打の一打。
次は自分がやるしかないと、決意を固める氷雨。
●
悲痛な祈りは、けれど剣鬼の前には無意味だった。
人外の武力を保有しているというのは理解している。だが、この舞は触れる事すら出来ない刃の乱舞。
衝突する刀身は悲鳴を上げ、血のように火花を散らす。
放った筈の刃は届かないどころか、逆に前田の斬撃で弾き返され、武器の寿命が削られているという不条理。
前田は負傷している。癒えていない傷は身体能力を下げているだろう。
だが、前田は暴風と化して撃退士たちを迎え撃つ。
鋼の慟哭、肉体の限界。空切る刀身。
燃えるような身体の熱。いや、燃え盛っていいのだ。
この前田走矢という使徒を倒すためなら。
意を読まれぬ為、呼吸をどれだけ止めているだろう。
この使徒を倒せば、あとは終わるのだから、もう少しだけ持ってくれ。
限界を超えろと、死を感じた脳は身体の隅々から力を集めている。
全ては己を信じ、仲間を信じ、その上で何かに祈り、戦う。
そして身を流れる血は何処までも熱を帯びて加速している筈なのに、あと一歩届かない。
その一歩、踏み込もうとする者がいた。
「おのれっ!」
意を決し、渾身の刺突を繰り出すのは鳳。
凍えるように伸びる一閃。殺人技であり、躊躇いなど一切な曇りなき怜悧さを宿している。
狙いは腕を失った左から、その首へ。好機と一瞬の隙を付いた。だというのに風切る音に反応し、前田が首を振って避ける。
頬を切り裂く鳳の刀。だが、隙さえ作れない。
「やはり、まずはお前からか」
赤い瞳が、鳳を射抜く。前田の刀に纏われ、圧縮される光。
視認出来ない剣刃は鳳の左胸を貫いて抉り、そのまま上へと刃を切り上げて抜けさせる。
心臓に刺さらなかったのは、牽制と言うには激しすぎて、自らの限界以上の動きと反射で身を削り散らすように戦う夜鈴と桐生の猛攻があってこそ。
そして、死んでないのだからこそ。
「い……ま……」
今だ。そう背後に隠し続けていた雫へと声を投げる。
崩れ落ちる鳳の背後、いるのは雫。諸手で最上段に掲げた大剣で、幕を下ろそうと。
告げたのだ。宣言したのだ。終わらせると。身を挺して仲間が作った隙へと。
だったらと。
「食い散らかせ、『喰』」
前田への猛攻に、平山の放った弾丸が重なる。
赤黒いアウルの弾丸は威力を高めた一発。後ろへ半身を引いて前田に避けられるものの、雫への一撃をこれ以上移動して避けられない状態を作る。
「戦いに喜びを抱くお前の様な化け物を倒すのは、倒す事を義務とする私達人間だ」
血に濡れて嬉しいのか。死体の山に立てて満足か。
廃墟となった街を、死んでしまった人の記憶を。喪失を、略奪を、ただ心を荒らしていく戦場の怪物。
倒すのだ。決して認められないから。
どうしても、どうしてもこの存在を認められない。
雫の武威が、気が、胸の奥の感情に触れて燃え上がり、全身全霊の剣閃を放った。
振り下ろされる剛撃はその巨大さに似合わぬ迅速さも併せ持つ。雫の放った過去、最高の一刀だった。
吹き出るのは血潮。剣鬼の血。肩口に食い込んだ、大剣。
「まるであの時だな。それより強くなっているし、追い込まれているが」
間に差し込まれた刀によって、致命傷にはなってない。心臓を狙ったのに、そこに届かない。
命に届かない剣に、意味などない。
「まだまだだ。それが人の限界か?」
そして刀が翻り、弾き飛ばされる雫。
力を振り絞った一撃の後の為、姿勢を崩してしまっている。前田にとっては、またとないチャンスで。
「させるか!」
「これ以上は!」
左右から迫る桐生と夜鈴。桐生の蹴撃が前田の腹部に叩き込まれ、夜鈴の黒焔が鬼切へと移り、瞬間、全身の力を一点、一撃に収束させた、居合いの如く研ぎ澄まされた一閃を繰り出す。
黒の二連閃。
「いや、違う。進歩がないな」
夜鈴の刃は斬首を狙い、けれど左肩に食い込んだだけだ。前田が腕がないなら盾にと無造作に上げた方に阻まれて、動きが止まる。
「俺に単純な接近戦を挑んでも、勝ち目はないと、そろそろ知れ」
そして光を宿した刀が乱舞する。
幾重にも網目のように複雑に描かれた剣閃は膨大な血を撒き散らし、四方に八重椿のような血痕を残す。
「…………嘘」
今の一瞬でまた桐生と夜鈴が倒れた。雫は不屈の気を見せて立ち上がるが、次は耐えられるか。
「まだ、だ。まだ……」
大剣を杖のように突きたて、立ち上がる雫。
だが、勝負は目に見えている。一度に多数で攻めかかっても、前田は倒せない。元は枝門を預かる程の使徒。遠距離攻撃を一切持たない身ではあるが、故にこそ接近戦では恐ろしい領域に到達している。
いわば一点特化させた剣士の完成系か。一度、自分の得意な状況に入れば、まず負けない。前田を攻略するならば、彼の本領を出させない事が必須。
例えば足止めのときのように、一度に接近するものを限定し、一人ずつ倒されても連続で挑み続けるような。
ただ闇雲に接近戦を挑むのでは、数人の命を掛けてようやく成立する特攻でしか勝ち目がない。
「一応聞くが、このままでいいのか?」
斜陽の落ちかける戦場で、雫に、そして後方で待機していたアトリアーナに問いかける前田。
「仲間が、死ぬぞ?」
そうして視線を向けば、そこは。
●
何が足りなかったのだろうか。
最早それは無意味な問いだった。目の前にいるのはシュラキ三体。氷雨が自分の身と引き換えに放った炎熱の雨で二体目のキュマイラを倒したものの、シュラキが三体も残っている。
そして前衛で残る者は、いない。
氷雨が前進し、灼熱の緋色の雨を降らせ、更に集中砲火で二体目のキュイマラを倒した。
けれど、その間に氷雨と二列目として残っていた神城も倒れている。
だが、三体も残ったシュラキ。
もう、守ってくれる前衛はいない。
かちゃりと、鍔が鳴る。シュラキが後衛を切り捨てに掛かる。
動けない。
戦場の敗北とは死ぬという事を深く認識してしまう。後退して、それで?
何処までも追ってくるだろう。確定した死。天に逆らったものは皆滅べと、天の戦刃が。
だから、これは奇跡なのかもしれない。
犠牲の上に成り立つ、奇跡。
三人の撃退士が橋の前へ、シュラキの前へと踊り出る。最終防衛線の撃退士達だ。
表情は決死。
彼の命を犠牲に、皆が助かる。
アトリアーナが駆け出し、久遠を拾う。更に後衛のみなも倒れた前衛を担ぎ、撤退を始めていた。
「……若い連中を無駄に殺せない」
失敗すればデータや施設を破壊するようにと頼んでいた部隊長。
彼が前田に、武器を持たずに近づいていく。
「なあ、前田。俺の命ひとつで、倒れた全員を見逃してくれないか。海に落ちた連中を拾う時間も」
「なっ……」
雫も驚くが、今はそれどころではない。鳳を掴み、後方へと下げていく。もう一人の部隊員の青年も、蒼白の顔で桐生と夜鈴を引っ張っていた。
「ああ、いいぞ」
つまらなそうに、応える前田。
「お前達が俺と斬り結べている間は無視してやろう」
ただし、倒れればそこで死ねと告げる前田。シュラキ達が下がり、五人の撃退士が前田に向かう。
「一人ずつでも、五人一気にでもかまわないぞ……だから」
なあ、とアトリアーナへと視線を向ける前田。
何処までも逃げてみせろ。
この剣から、光から、逃げられるのであれば。
必ず斬ると、猛る武威が鳴り。
敗走する。背を向け、勝てなかったのだと逃げ出していた。
ただ、生き残る為に。
久遠ヶ原の学生を生き残らせる代償に、五人が、剣鬼の刃にへと挑み、散っていく。