何かが、動く気配。
廃墟となったこのエリアで、自分達の以外の何かが動いていた。
ぺたぺたと四本足の何かが歩いている。獣の荒い呼吸が聞こえてくる。
予想通りの、先行して送られたサーバントの偵察部隊。
灰色狼が周囲へと警戒し、獣人がそれに続く。後方に位置するシュラキは声こそ出していないが、思念波で指示を出しているのだろう。灰色狼は無音の指示に従い、四方八方を警戒していた。
若杉 英斗(
ja4230)は建物の二階からその様子を確認すると、再び伏せる。
嗅覚に聴覚。感知能力は全て相手の方が上。進行ルートを予測し、危険を冒しながらも烏丸 あやめ(
ja1000)が高所から敵部隊の発見と進行先を観察したが為。
その斥候は一歩間違えて灰色狼に『敵がいる』と発見されれば、即座に連動する全ての作戦を失敗させる可能性のあった危険な行為だったが。
無言。呼吸の音さえ押さえて、耐えるように待つのは御堂・玲獅(
ja0388)。被ったシートに塗した瓦礫の砂塵が喉に痛い。だが、僅かでも音は立てられない。
送られて来た『敵接近』、という短いメール。それは挟撃班が発見されずに済んだという事でもある。此処までは順調なのだ。
「(感知能力が高い敵、か)」
最後の最後まで注意しなければならないと、ソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)はタイミングを合わせる為のメールを送信する。消臭スプレーと砂による誤魔化しと二重で嗅覚に対策を取っているのだが、音だけはどうしようもない。細心の注意を払ってソフィアをその瞬間を待つ。
狙うは一瞬。そしてその為に息を潜める。強く早く、脈打ち続ける鼓動の音。震える指。
上手く隠れていられるだろうか。自分の失敗で、傷つく人が出るかもしれない。
それでもと、震える自分の指を望月 忍(
ja3942)は強く握り締めた。皆と力を合わせて、人々の生活を護るのだと。伏せた瞼、胸の中では倒れる人が出るかもしれない不安が渦巻いている。
だが、それを捻じ伏せて堪える。自分がやるべき事をするのだと。
守りたい人々の姿を、その脳裏に描き、それを力として。
同じように失敗は出来ないと、頭上を通り過ぎていったサーバントの気配に安堵の息もつかず、じっとマンホールの下で待機している月詠 神削(
ja5265)。他の場所で隠れていた鳳 静矢(
ja3856)もやり過ごせたのだろう。後は自分の役目を果たすだけ。
少しでも被害を抑えたい。他の部隊に対しても開戦を告げる事となるこの戦場。落とす訳にはいかないのだから。
此処が崩れれば、全てが雪崩れるように壊れていく。
派手さはなくともその重要性を理解しているからこそ、あやめも大鎌を構えたまま微動だにしないし、出来ない。
開戦の号砲を、合図をただ待つのだ。
そしてついに、バリケードを設置しておいた場所へと敵部隊が到着したのを双眼鏡で確認するフレイヤ(
ja0715)。彼女の顔に浮かぶのは強く、そして不敵な笑み。
数は相手が上。不安を感じない訳がにない。
それでも黄昏の魔女はこんな所で怯みはしないのだと、セルフエンチャットで魔力を高めて、
――それが致命的だった。
「……っ…!?」
フレイヤの隠れている建物へと弓を番え、正確にフレイヤのいる場所へと鏃を向けるシュラキ。唐突に研ぎ澄まされ高められた魔力の流を感じ、そこに敵がいるのだと確信を持たせたのだ。
何もいないのなら、魔力や武威が増加する事はない。『ない』ものが増える事はなく、けれど、増加させればそれは流れとなった周囲に伝わる。
それが唐突に増した瞬間を見逃す程、このシュラキの知性は低くなかったのだ。
膨れ上がった魔力へ、先んじるように放たれる蒼き鬼火の矢。
そして重なる、狼の咆哮。
●
建物のブロックごとフレイヤを打ち抜いた鬼火の矢と、眼下で一斉に放れた狼の咆哮。それは不意打ちを狙っていた若杉の狙いを打ち砕き、咆哮を止めようとした御堂を青ざめさせる。
「フレイヤさん~……っ!?」
立ち上る粉塵に声を掛ける忍。だが応えはない。そして、それを待つ時間もない。
「……ちっ!」
故に敵の先頭へと二階から飛び降りる若杉。己は盾、仲間を護るのだと誓っていたのだ。
これ以上はさせない。傷つけさせないと身を焦がす想いに猛る。
だから止まれない。そのまま咆哮の姿勢を取っていた灰色狼をスネークバイトで横薙ぎに振い、切り裂く。
十体ものの灰色狼に単身突っ込んだという事実の前でも、後悔はなかった。若杉を飲み込むように動く、灰色の波。数の暴力。
「私も続きます」
それを助けるべく、同じく盾たる御堂がランタンシールドを構えて駆け付け、若杉が切り裂いた一体へと切っ先を突き刺すと横へと並ぶ。
そして続くのは、灰色の波を飲み込んで咲く紅蓮の華だ。
爆ぜて炸裂する真紅の炎。
波打ち荒れるその様は、まるで八重の椿。
「お二人とも……援護します〜っ!」
吼え猛り爆炎と爆音を躍らせる忍の魔炎。大輪の紅蓮華は、ともすれば忍が人生で初めて全力で放った攻撃だったかもしれない。それも命を奪う為だけの、魔術。
毛皮が焼ける。肉が焦げ付く匂いがする。爆炎は六体もの灰色狼を飲み込み、若杉と御堂への一斉攻撃を阻止していた。そうしなければ、瞬く間に二人へと数えきれない牙が向けられて血肉を裂いていたのだと、そしてフレイヤが持ち直すまでの時間を稼げないのだと忍にもわかったのだから。
余裕なんてない。緊張や不安に囚われれば、誰かが倒れる。
そんなのは嫌だから。拒絶し帰る為に、忍は敵を見つめる。
それを示すように若杉と御堂へと飛ぶ獣人の矢。炎の壁を裂いて飛来したそれを盾で受け止め、或いは白銀のアウルで弾き返した所へ、九体ものの狼が前から、横から、下から、頭上から飛び掛かる。
盾を持ち、頑丈な防具に身を包んだ二人には深くは刺さらない牙。だが、浅くとも肉を抉っていく無数の獣の殺意。白銀のオーラに身を包んで弾き返しても、数が違い過ぎた。二人だけではフォローし合う事など出来ず、横を擦り抜けられ背後を取られ、文字通り、一瞬にして包囲されてしまう。
御堂が癒しの風を使用したくとも、この状態で放てば敵ごと治癒させてしまう。正面を受け持つには、二人では少なすぎた。
けれど、だから何だ。
「……黄昏の魔女を、舐めるんじゃないわよ!」
とても怖い、そして強く、優しい人の笑顔を守るのが黄昏の魔女。
「一撃で倒れるなんて、思わない事ね!」
肩には矢傷。夥しい血液で身体を濡らしながら、けれど振上げられた掌には紅の球。
宝珠のように輝くそれは波打つ炎となり、巨大化していく。
これからが本番。負けはしないのだと、強く輝き投じられる魔の炎。
爆裂は二度目の紅蓮の華の形を成した。
御堂と若杉の二人を包囲していた九体を纏めて焼いて薙ぎ払う暴威の焔。
一気に六体もの灰色狼が荒れ狂う炎に呑まれ、そして立ち上がらない。一瞬にして灰色狼はその半数以下となる。
故に、踵を返そうとするシュラキ。フレイヤへと放った鬼火の矢が、己が身を盾とした御堂に防がれても気にしない。
あくまで彼らは偵察部隊であり、徹底抗戦をする必要などないのだから。
透過能力は失われている。けれど、隣にあるビルの入り口からそのまま逃走しようするシュラキ。建物の中から中へと移動されれば追撃は不可能だ。
だが。
「その退路、断たせて貰う」
背後から跳躍してきた月詠の言葉と刃がぶつかり、その動きを止めた。
●
残る敵は灰色狼三体に、獣人二体、そしてシュラキ。
既に目標である半数の撃破に成功している。後は殲滅を目標と掲げる以上、時間との勝負だ。
正面を担当した若杉、御堂、そして矢を射られたフレイヤの負傷も軽いものではない。けれど、先を見越せば此処で全て討つべきなのだから。
「一気にいくぞ!」
背後から追いつき、挟撃の形を取れた四人。全力跳躍でシュラキの前へと躍り出た月詠に続くよう、鳳の声と一閃が振るわれる。
白刃から放たれたのは紫のアウルの塊。鳥の翼を広げるように飛翔し、シュラキと蛇の獣人を打ち据えて薙ぎ払う。が、距離があり過ぎて灰色狼達までは巻き込めない。
「三体だけ……けど、十分!」
己の業で巻き込める数を把握し、けれど十分と断じるのはソフィア。灰色狼は全て前衛として若杉と御堂を囲んでいる。それらを巻き込めなくとも。
「指示を出す相手を倒せれば、それで構わないわ!」
ソフィアの指が複雑な魔法陣を描く。太陽と花をシンボルとする彼女が黄金のオーラと共に産み出すのは、やはり鮮烈にして強烈な光を放つ火弾。
目を晦ませるような輝きを放ちながら巨大化し、送り出された魔球。
そして閃光。太陽の如き炎と光が乱れ、波打ち、轟という爆炎と共に三体を飲み込んでいく。
けれど、その火すら意に介さない。
毛皮を焼き続ける炎を気にせず、ソフィアへと突貫して来たのは虎の獣人だ。己の負傷より、危険な敵手の斬殺を狙って煌めく刃と、瞳。
「させへんよ!」
それは横手から疾風のように駆けつけた鳥丸の一閃がなければ、ソフィアを断ち切っていただろう。
脇腹を深々と切り裂く大鎌。血に塗れた黒い刃。彼女の持つ速度故に反応出来ず斬り裂かれた獣人は、けれどその鳥丸へと切っ先を変えた。
踏み込み、薙ぎ払われる剛の一刀。
「こ……っ…この……!」
柄を滑り込ませ、額を両断しようとした刃こそ防いだが、衝撃で膝が崩れかかる。実力云々で言えば鳥丸も低いものではない。ただ、これはどうしようもない相性の問題。
シュラキを倒すまでに、敵が挟撃班へと向かう場合を想定していない落ち度。
けれど。
「舐めんなや! あたいがこの程度で倒れてたまるか!」
疾風の如く、漆黒の大鎌を振い、気炎を吐く鳥丸。此処で倒れたくなど、ないのだ。
返しの一閃は冴え冴えと弧を描き、月詠を切り裂く。
飛び散る鮮血。一撃二撃で沈む程深くはないが、けれど軽視出は来ない負傷。鬼火の矢の方が危険と接近戦を挑んだのだが、こちらも軽視は出来ない。
「だが、お前が倒れたら、そこでこの部隊も終わりだろう……!」
シュラキは言葉で返さない。が、この個体が敵を統括しているという事だけは確か。故に狙うはこの首。首級を上げるのは戦場で最も効果があるのだから。
そして月詠が張り付かねば、このシュラキは絶対に逃走する。
踏まれるサイドステップ。そして月詠の体内で練り上げられたアウルが霧として噴出された。
直線状に捉えたのはシュラキと、そして虎の獣人。月詠の破軍でも灰色狼には届かない。それほど距離をあけて戦われていた。
故に巻き込めるのはその二体。霧と化してしたアウルへと一閃。衝撃で爆砕し、無数の刃となって二体を切り刻む。
巻き上がる粉塵。白く染まる視界の中、けれど動く影。
「良い加減に倒れろ!」
再び横薙ぎに放たれる鳳の紫鳳翔。紫の翼は全てを打ち砕かんと猛り、こちらも二体を巻き込む。
それでも動く気配は止まらない。白く染まった中を裂いて飛来する毒の矢は正面を受け持つ若杉に、袈裟に斬り上げられたシュラキの刃は月詠の肉を再び斬り裂く。
「ぐ……っ……!」
「早くっ!」
増援が来る前に、この個体を。
ソフィアの魔力によって紡がれた花びらの螺旋。意識を霞ませる誘いの流れはシュラキの刃では断てず、防げない。白い花びらを血で赤く染め、後ろへと跳躍するシュラキ。
その身のこなしに隙はなく、朦朧に陥らせる事は出来なかったのだろう。
だが、そりよりも問題なのは此処まで来てシュラキを倒す事が出来ていないという現実。複数を巻き込む範囲攻撃は確かに強力。が、速攻戦を狙うのであれば、防御を捨ててでも先鋭化させた攻撃で一気に倒すべきだっただろう。
故にシュラキは生き残っていた。
視界の横で乱舞する漆黒の刃。鳥丸の攻めもあれば、即座の撃破も可能だったかもしれないが、意志の不一致を嘆く暇もない。
そして。
後方で炸裂音と雷撃が紡がれる。
●
「これで……!」
「終わって下さいです〜……っ…!」
フレイヤの紡いだ魔術は地面から石と土で出来た無数の槍を産み出し、残っていた狼を下から串刺しにしていた。
奇跡的に紙一重で土槍を避けた狼も一匹いたが、忍の放った稲妻で焼かれてその身を横たえる。
「や、やりましたか〜……」
今の彼らでは強敵とは言えないだろう灰色狼。だが、僅か四人で十体を相手取るという苦戦を終え、忍は今まで呼吸を忘れていたかのように荒く息を吸い込んだ。
「これは、ちょっと洒落じゃないわね……」
身に刺さった矢を抜くフレイヤ。その顔から血の気は引き、けれど不敵な笑みは崩せない。
何故なら、まだ終わってはいないのだから。
「……くっ……」
「若杉様、今癒しを」
ようやく周囲に敵がいなくなり、癒しの風を発動させ自分と若杉を治癒する御堂。
そして、使用回数の尽きた絶対防御を別のものに切り替えながら、若杉は前を見ている。
シュラキの撃破を掲げ、けれど、それを達成できずにいる戦場を。
差し込まれるように突き出された白刃。
「なっ……!」
驚愕の声を漏らし腕を裂かれながらも、そのまま手首を断とうと滑る刀を斑鳩の鍔で止めて競り合う月詠。その相手は今まで戦ってきたシュラキではなく、今まで毒の矢を射続けていた蛇の獣人だった。
体当たりし、肩を触れ合わせて強引に月詠の動きを止める獣人。その隙に、ビルの入り口へと身を翻すシュラキ。
「待ちなさい!」
ソフィアの花吹雪がその背を切り裂くが、意に課さずそのまま建物の中へと逃げ込むシュラキ。あの身は傷だらけであり、後数手あれば押し切れる。
だが、咄嗟に追えるものがいない。若杉と御堂は癒しとスキルの変更で意識を裂いていた上に距離があり過ぎた。鳥丸は襲い掛かる虎の獣人の豪剣に対応するので手一杯で、もはや限界で、鳳は……。
「一人も、倒させはしないぞ!」
そのまま見捨てれば確実に斬り捨てられていただろう鳥丸と獣人の間に割って入る。護法によって獣人の斬撃を受け止め、弾き返しながら苦笑を浮かべる。
電撃戦で司令官を落とすというのに、その司令官の強さが想定外であり、整えた火力が足りなかった事。前後で挟めば逃亡は無理だろうという甘い計算。
今追えば、あの目的は達せられただろう。後々に楽にはなるだろう。
それでも、今、この瞬間を助けられる仲間を見捨てるという選択は有り得なくて。
「残りを一気に倒すぞ!」
残る二体へと、この場にいる八人が一斉に攻撃を仕掛ける。
まるでそれは一本の矢のように。そして、折られる事がないよう、束ねられた矢のように。
シュラキを逃したとしても、この成果は誇るべき事なのだから。
撤退の報告を入れ、その場を後にする。
此処で彼らに出来る事は、もうないのだから。
此処ではなく、次があるのだから。