深い霧が広がっていた。
森の中で生まれた濃霧は視界を白く染め、遠くを伺う事が出来ない。
朝日と共に少しずつ掠れて消えていくが、完全な視界の確保は無理だろう。
だからこそ、威力偵察の敢行が計画されたのだろう。
少数で奇襲を仕掛け、ある程度の情報が集まれれば即時撤退する。
相手の軍、そして率いるものの情報が圧倒的に不足している為に。このままでは、後手に回り続けている間に相手の切っ先が、人間の喉へと突きつけられてしまう。
何処かで止めなければいけない。天界の進行を。
「ふ〜ん、偵察中心ねえ。まあ情報少ない状態で、やるのは、さすがになあ」
呟き、黒の手袋を嵌めるのは神楽坂 紫苑(
ja0526)。
弓を片手に持ち、周囲へと耳を澄ます。
漏れるようにして聞こえるのは、獣の唸り声。
それも無数に、だ。一体何体いるのか、気配が多すぎて逆に把握する事が出来ない。
「これだけの数を率いて、一体何をするつもりなのでしょうか」
霧のせいで役に立たない双眼鏡を降ろしてグラン(
ja1111)も思う。
天界の次の一手は何か。
それを判断する為の材料に欠けている以上、やるしかないのだろう。
例え危険でも、踏み込み、自らの眼で確かめるしかないのだ。
「二度の失敗に、片腕を奪われている……か」
子供のような幼い容貌をしていても、鴉乃宮 歌音(
ja0427)は冷たく、そして冷徹な思考をしていた。
淡々とした表情からは伺い知れないが、敵手である前田走矢が何を考えているのかと、そして何を目的にしているのかと推測する。
復讐心がない訳がない。
戦いに身を置くのであれば、敵は倒すもの。
そして片腕を切り落とした相手を狙うのなら、その目的は殲滅ではないのか。
全ては推論だが、外れであるとは言えない。最悪を想定しながら、断定する為の情報を持ち帰るのが今回の任務だ。
左右に分かれた撃退士。先陣を切る事となる左側の撃退士達は物陰や障害物に身を隠しながら、するすると急な斜面を下りていく。
近づいてくる気配。凶暴性ばかりが含まれる、餓獣のそれ。
数はやはり把握できず。けれど、村に近づくにあたって、ついにその姿を捉える。
「やはり、獣型……狼のそれはいますか」
左側の前衛として、そして味方達の盾であろうと御堂・玲獅(
ja0388)はランタンシールドを構え、配置に付く。
最も警戒していたファイアレーベンの姿はない。あくまで今の所でしかないが。
識別出来たのはグレイウルフ。歩哨や警戒を担当するに当って、味方を呼ぶこのタイプのサーバントは便利なのだろう。
五体の獣につき、それらを指揮するように獣人のサーバントがいる。得物は刀か弓かのどちらかを持っており、近距離と遠距離担当に分かれているのだろう。
それ以上を探るには危険だった。
霧が姿を隠してくれているが、匂いや音、気配まではそうはいかない。
先手を取れる有利を自ら潰す訳にはいかないのだ。加え、隠密行動を得意とする者が多い訳でもない。
情報を得るならば刃を交え、戦いの中で。
相手の隠しているものを出す為にも。
「さて、お手並み拝見といきましょうか」
大太刀を八相に構える雀原 麦子(
ja1553)。
数こそあれど、決して恐れる必要のある相手ではないと強く信じるのだ。
横に並ぶ仲間、後ろから援護する仲間。全てを信じ、刃を振るうだけ。
「いくよ、叩ける分は叩いておきたいね」
ソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)は口にすると、召炎霊符へと魔力を送り込む。
練り上げるのは炎。日差しの届かない霧の中、魔術による太陽のような輝きが灯る。
霧を払い、打ち貫き、切り裂く襲撃が始まるのだ。
●
開戦を告げたのは荻乃 杏(
ja8936)の狙撃。
霧を貫いて飛来した弾丸は、狼を率いる獣人の肩に着弾。
衝撃に獣人が片膝を付き、それに率いられていた狼達の動きに動揺と乱れが産まれた。
遅れて響く銃声。それに続かんと放たれる魔術。
ソフィアの放つ火炎球が片膝を付いた獣人へと直撃し、間髪を入れずにグランの雷撃が獣人の胸板へと向かい、その身を焼く。
苦痛に吠えながら武器である刀を抜き放ったがもう遅い。
産まれた混乱を切り裂くよう、霧の中に上がった血を喜ぶよう、黒い影が駆けていた。
黒い髪を靡かせ、金色の瞳には殺戮への喜びを浮かべる少女、黒百合(
ja0422)だ。
「さあ、おいでぇ」
此処はもう戦場。殺し殺される場であり、そこに異など挟ませない。
「熱烈歓迎、ぶち殺しだわァ…♪」
此処は殺戮場。みな殺すのだと殺意と愉悦を滾らせ、闇色の指輪を振るう黒百合。そこから産み出されたのは汚泥と血液の入り混じって作られた、巨大な左腕だった。
薙ぎ払うように振り下ろされた一撃は直線状にいた三体を叩き潰し、撒き散らされた泥と血は強烈な悪寒でサーバントの動きを縛る。
そして前へと躍り出たのは黒百合だけではない。
「さて、いこうか、玲獅ちゃん」
追撃の刃は同じく駆け寄った雀原のものだ。
袈裟に振り抜かれた刃は剛の斬撃。耐える事も出来ず、一刀の元に両断される狼。断末魔の悲鳴を上げる暇すらなかった。
そのまま遺体を蹴り飛ばし、再び八相へと構えを戻す雀原。
後方にはいかせないと視線を滑らせ、動きの乱れた狼達へと戦意を送る。
その横ではランタンシールドの刃で狼を深く突き刺した御堂が横へと並び、後衛への壁となる。
「どうも、これは思った以上に数がいそうですね……」
仲間を護るべく前へと立つ御堂。異界認識による不意打ちへの警戒も数の差があり過ぎれば意味をなさない。今の物音を聞きつけたのか、こちらへと迫ってくる足音。そして、残った狼が遠吠えを上げる。
気配は文字通り、四方八方から。三人の前衛はなるべく多数に囲まれないようにと並んだ。
数はまだ十を超えた所だが、襲撃に気付けば更に増えるだろう。この霧に包まれた廃村の中、一体どれだけの数がいるのか。
「全く、難しい注文を……。ま、やるだけやってみるわよ」
物陰から岩の隙間へと移動し、再び狙撃銃を構える荻乃。そのまま弓を持つ獣人へと発砲。
一撃で倒れる事はないが、霧の中、位置を変え続ける長距離の狙撃手は相手からしてみれば厄介に過ぎる相手だろう。
萩乃だけではなく、前衛である三人の後方からはソフィアとグランの魔術が飛び、神楽坂の矢が相手の動きを止めれば、鴉乃宮の二丁拳銃がトドメにと連続して弾丸を放つ。
だが。
「警戒に当たっている敵は、雑魚ばかり……?」
鴉乃宮の発した疑問の通り、武器を持つ獣人こそ混じっているが、殆どが雑魚といっていい。
恐らくは使い捨ての数合わせであり、斥候や警戒を目的とした者達。本隊というべき敵は、恐らく村の中央でまだ控えている。
「まずは、この者達を削らなければいけませんか……っ…」
飛び掛かってきた狼を盾で迎え撃ち、弾き飛ばす御堂。一度に相手出する数が少ないのが救いではあるが、それでも次々と攻勢にかかるサーバント達。
爪と牙を受けた盾の表面で火花が散り、肩口に飛来した矢が刺さる。
体勢の崩れた御堂へ、追撃にと迫る獣人の刀。
「……っ……玲獅ちゃん!」
それを見た雀原が、獣人へと迎撃の平突きを繰り出した。
飢獣の牙の如く獰猛でありながらも、仲間を護ると決めた烈士の刃だ。
大気の壁を突き破るような高速の一閃は裂帛の気迫を載せて獣人へと突き刺さり、衝撃で後方へと吹き飛ばす。
舞い上がる血潮。苦鳴の唸り声。
それらは重なり合い、敵意となり殺意となり、八人の撃退士へと波のように向かう。
「いいわぁ、歓迎ゆよぉ?」
麻痺したまま動きを止めていた狼へと蛍丸を一閃させ、喉を掻き切る黒百合。
返り血も気にせず、次の相手を探す刃。
数は十を超え、二十に達しようとしている。
撃退士もサーバントを倒してはいるが、それ以上の速度で増援が来ているのだ。
「だったら……!」
魔力を練り上げ、高純度の炎の塊と変えるソフィア。
巨大にして強烈な火炎球。ごうと燃え盛る音を立て飛来し、強烈な光を放って炸裂する様はまるで太陽の火だった。
多くを巻き込んだ炎の爆裂は赤々とした残り火を散らしながら、前衛が息を整える一瞬の余裕を与えた。
既に無傷ではなく、多少なりの負傷をしている。酷い火傷を受けながらも追い縋ろうとした狼を大太刀で切り伏せ、返す刃で薙ぎ払って相手をも後退させる。
「ほら、威力は当てに出来ないだろうが、援護はしてやるよ」
その三人を包み込むのは、神楽坂の癒しの風。
巻き上がった風に触れた傷口が急速に癒え、前線を支える三人を立て直させる力となる。
得た活力。再び切り結ぼうと武器を構えた処へ、重い音が響いた。
「ようやく、本命登場か」
それは足音。巨大な魔獣の姿が、霧の奥から影として現れる。
その数は三体。
不条理の塊のような何かが、現れようとしている。
地響きのような音は、これこそが本隊であると、これからが本番だと告げるように。
そして、霧の向こうから、蒼き鬼火を灯した矢が飛来する。
●
今さら引き返す事など出来ない。
それは左側の奇襲を待ち、混乱した所へと更に切り込んだ右側も同じ事。
久遠 仁刀(
ja2464)の繰り出した一閃は月の映る水面の如く、静謐そのもの。
風切りの音さえ起こさない静の刃は、けれど一振りにて三体のサーバントを斬り捨てている。
ともすれば僅かにも動いていないかのような一太刀。
だが、その実は始点から終点までが早すぎて、見えていないだけ。
威力より正確さと速さを求めた神速にして静寂の一閃だ。それを以て、近寄っていたサーバントを切り崩す久遠。
同様に切り込み役として鳳 静矢(
ja3856)も柳一文字を右脇に構えた。
「先へは抜かせん!」
刀身が紫色に煌めいたかと思った次の刹那には、二体の狼と一体の獣人が斬り裂かれている。残像すら見せぬ超高速の斬撃だった。
久遠と鳳。二人が正面へと切り込み、一瞬して複数の敵を切り裂く剣技で敵陣を斬り崩していた。
数の不利はある。負傷もしている。だからと言って、止まる訳にはいかないのだ。
此処に集まっているのは、数こそあれど雑魚。前田の率いる本隊ではなく、その梅雨払いの為の雑兵だと解ってしまう。この程度の質で戦いを挑む筈がないと、感じてしまうのだ。
「……ま、バンバン戦えばいいんだよね〜、がんばるしーっ」
が、難しい事は捨ておき、ミシェル・ギルバート(
ja0205)が獣人を護るようにして立つ狼へと滑るようにして迫る。構えは刺突。気を一点に集めた忍刀の切っ先を、直線に並んだ二体へと叩き込むようにして突き出した。
刃と、それの纏う衝撃。切り刻まれ、吹き飛ばされる狼。
そして指令を取る獣人までの道が作られる。
出来たのは一瞬の隙。それを知で理解するより、本能と直感で駆け抜ける姿があった。
並木坂・マオ(
ja0317)だ。姿勢を低くして走りながら呟く。
「……良いよ、戦おう」
マオはこちらが偵察しているつもりで、逆に見られている気がしていた。
だが、だから何だ。どの道戦わないといけない相手。
だったら戦い抜いてみせるのみ。
「まずは君だ!」
刀に頬を裂かれながらも、マオの胴回し蹴りが獣人の腹部に突き刺さる。
衝撃でよろめく獣人。手負いの司令官を見逃す筈もない。
「さ、死なないようにいきましょう」
そう、誰もこんな所で死ぬ訳にはいかない。
字見 与一(
ja6541)の放つ稲妻がよろめいた獣人を貫き、月臣 朔羅(
ja0820)の起こした烈風がその腹部を深く切り裂く。
どちらも魔術のそれであり、通常の刃で斬り付けるよりも魔術による攻撃の方が獣と獣人には効果が強い。
連撃に耐えきれずに、獣人が倒れ込むとその指揮化にいた狼達の士気が低下する。
「物理型でそろえているのかしら……」
月臣はそう判断し、戦況を再び見つめなおす。
右側は既に三十を超えたサーバントと、十七名の撃退士が入り乱れる戦場となっていた。
徐々に激しくなっていく戦場。約二倍の敵と戦い合う撃退士達に負傷が重なっていく。浅いものばかりでも、多くの傷を負えばそれだけ生命力は零れていく。
数の差に飲まれそうになる乱戦。それでも意志を捨てず、敵の情報を探ろうとする撃退士達。
「……ま、後ろにいますか」
言うべき事は行った筈と苦笑して、アーレイ・バーグ(
ja0276)は後方へと下がり、魔法書から雷撃の球を繰り出して狼を焼く。
「ファイアレーベンや飛行型はいない? なら……」
これを好機とグラルス・ガリアクルーズ(
ja0505)は魔力から、大型の薄紅色の結晶を生み出す。宝石のような輝きを持つそれは狼達の密集している場所へと飛翔する。
「今のうちに、少しでも数を減らさないとね。……押し流せ、太陽の炎よ。ヘリオライト・ウェーブ!」
呪言に反応し、緋色に煌めく結晶。次の瞬間には内部から炸裂し、秘められていた魔の炎が周囲一帯を飲み込み、爆風は全てを薙ぎ払う。
美麗な技だが、その殺傷力は確か。三体が倒れ、二体が深手を負うグラルスの魔術。
「さて、魔術に弱いようですね。では、これはどうでしょう?」
同様に多数を相手取る為、範囲攻撃を繰り出すのは東城 夜刀彦(
ja6047)だ。
冷静な表情。けれど、影の書を持ち術を発動させた瞬間、仄かに見えたのは激情の念。胸にある、決して消えない想いと天界への敵意。
それが形を成し、土と岩が弓持ちの獣人の周囲に浮かぶ。咄嗟の判断をさせる暇も与えず、そのまま落下させ、取り巻きごと押し潰していく土塊達。
それらが消えるより早く、十字槍を手に弓使いへと踏み込むのは榊 十朗太(
ja0984)。
数で不利な以上、確実に倒せるものから。魔術の一撃で消耗した弓使いへと、気迫を載せて刺突を繰り出す。
狙いは違わず穂先は喉を貫く。そのまま抉るように返して、槍を引き抜く榊。
「戦力的にこちらが劣勢な以上、生き残る為に確実な手段を取らせて貰おう」
そう、確実な手段を取るしかないのだ。
数で不利。そして押されつつある。けれど、前田も、そして本隊も未だ現れてはいない。
それらを知る為にも、まだ引けない。
「とにかく、これだけ数がいる状態で前田に来られては……」
範囲魔法で深手を負った狼へと弓を射る君田 夢野(
ja0561)。前田を対応する者の一人の予定であり、前衛から数歩下がった位置から弓を射続けている。
同様に龍崎海(
ja0565)も飛び出す絵本から様々な魔術を放ち、最前線で戦う久遠と鳳にアウルの鎧を施し、負傷し過ぎればライトヒールでの癒しを送っている。
「お二人は余り負傷し過ぎないようにですよー!」
くるくると回転し、ツインテールを靡かせながら二階堂 かざね(
ja0536)もまた前線で戦い続けていた相手は不明。そんな状態で誰かが孤立するのは避ける為、前衛と後衛の間に割り込もうとする相手を白の騎士双剣で切り裂き、周囲を見渡す。誰か危険ではないか。また、誰か孤立していはいないか。
苦しい戦いではある。まだ相手の本隊すら見えていないのだ。
けれ
「この難関が終わった時……食べるお菓子は格別のはず!」
だから皆でその美味しいお菓子を食べよう。誰に誓うでもなく、自分自身を応援するようにかざねは廻り、白刃を振るう。
そんなかざねを狙った狼を縫い止めた弾丸を放ったのはカーディス=キャットフィールド(
ja7927)。戦場を見渡し、相手の動向を読もうとしている。
規模は、果たして。
「……五十じゃなくて、これ、七十はいますよね?」
倒したものも含めてだが、既に右側だけで三十を超えているサーバント。そこに左側も約倍とするなら、六十、そして主力となる敵も控えているとなると。
「流石に、正面から、或いは一方から攻めていたら負けていましたか……」
奇襲と、時間をおいての挟撃。混乱のある内に、そして右か左か、どう戦力を割り振るか迷っているうちに削れるだけ削り、敵の情報を集める。
それは成功していたといっても良いかもしれない。
此処までは。
そして、此処からが……戦場は激化していくのだ。
「……っ…何か、来ます!」
敵の流れが変わった。
相手はこちらの左右に回り込もうとするのを押し止めていたのだが、急に正面へとサーバントの戦力が雌雄中し始めた。同時、乱れていた統率が戻り、組織だった反撃が始まりつつある。
バラバラの攻撃から時間差の連携攻撃へ。前衛である七人がじりじりと押されて後退し始め、霧の奥から指示を飛ばす何かが近づいて来る。
そして、弓の弦の放たれる音。
飛翔する矢は、蒼い鬼火を灯した強烈な一撃だった。
「……っ……」
「く……!」
数は合計で四本。魔の炎を灯した矢はずぶりと肉を貫き、内部から身を焼く。
「サブラヒイナト……?」
鬼火の弓矢という攻撃は、まさに知っているそれだ。
だが、霧の奥から現れたそれは似て異なるもの。呪印の描かれた包帯で目を隠されているのなどは似ているが、物理攻撃を半減させるあの鎧がない。
その分身軽であり、穿いている太刀も大きい。
それらが弓矢を射かけると、群れのリーダーを失い、混乱していた狼へと手で信号を送る。指揮系統の最上位に位置しているのか、それに従って突撃を仕掛ける狼の群れ。
数による突撃。牙と爪が絶え間なく襲い掛かり、肉を裂き血飛沫が上がる。苦痛を上げそうになったかざねを支えたのは、ジーナ・アンドレーエフ(
ja7885)の癒しだった。
「うちの子等に汚い手でお触れで無いよ!」
ライトヒールでかざねを癒し、更に襲い掛かる狼達の牙に臆す事なくその身でかざねを庇う。肉を抉られる激痛はあれど、ジーナは皆で帰るのだと誓っている。
肉体の痛みなど、耐えればいいのだから。
「どうも、あの鎧来てないサブラヒが指揮を出しているねぇ。獣人は、中間管理職って奴だねぇ」
ランタンシールドを構え、反撃の隙を伺う為、防御に徹するジーナ。
その間に竜崎や、退路の確保に走っていた権現堂 幸桜(
ja3264)もライトヒールと癒しの風で前衛を癒して反撃のチャンスを待つ。
長距離にも届く鬼火の矢は厄介で危険。だが、削られつつも耐え、そして体制を整えなおす事は出来ていた。
「こちらは退路、大丈夫のようです。霧のある森には、相手も入りたくないみたいですからね」
癒しの風を巻き上げ、固まった前衛を纏めて癒す幸桜。退路に憂いがなければ、全力でぶつかれる。
「幸桜様、参ります」
同様に退路の確保へと回っていた氷雨 静(
ja4221)が攻勢へと転じる。
祈るように練り上げられた魔力は赤い帯となって空へと昇る。
そこで形を成していくのは、超高熱の雲。朱色の雲はその熱を解き放つのを待つかのように、ゆっくりとその姿を巨大化させていく。
「汝、朱なる者。其は滅びをもたらせし力。我が敵は汝が敵なり。バーミリオンフレアレイン!」
静の呪文を待っていたかのように、一斉に振り出したのは灼熱の雨。溶岩のような雨粒は狼達の肉を焼き、骨までを炭化させていく。
これが反撃の狼煙となる、紅の雨。
「いくぞ!」
「薙ぎ払わせて貰う!」
久遠と鳳。放った技は、奇しくも同系列のものだ。
白いオーラを武器に纏わせ、刀身の延長として爆発的に伸びた気刃で正面に立つものを薙ぎ払う久遠の一刀。
薄虹の如き残像が揺らめく中、更に振り抜かれる鳳の一閃。
紫色の大鳥型のアウルが久遠の一撃に耐えたものを薙ぎ払って吹き飛ばし、全てを壊していく。
紅の雨と二振りの技の後に残ったのは、負傷した二体のサブラヒ。
推すならこの瞬間しか、ない。
「数で劣るなら、将の首を獲るまで!」
「全力でいきますよ!」
駆け抜ける榊と、自信の周りに白炎と雷の如き武気を纏うかざね。
薙ぎ払う十字槍を避けられず受け、太腿も裂かれた一体へと、超高速で回転してその勢いのままに斬撃を放つかざね。
白き騎士剣が閃き、目視困難な程の速度で旋回。横なぎの連斬が鎧なしのサブラヒの腹部へと叩き込まれ、鮮血を散らして一体が倒れる。
「さあて、前の借りは返させて貰うよ!」
闘気を解放し、負傷したもう一体へと迫るマオ。
大技を放った後のかざねを狙い、上段からの唐竹割りを狙った個体へと黄金の筋を残しつつ、超高速の飛び膝蹴りを叩き込む。
爆発じみた衝撃と音。ぐらつくサーバントの身体。鎧がない分、やはり防御力は落ちているし、物理攻撃も普通に、そして十分に効く。
そこへ字見の放電による追撃。魔力により感電し、そのまま崩れ落ちる。
「これで逆に魔法に強かったらどうしようと思ったけれど、それはないみたいだね」
が、そこで終る筈がない。
残る二体が動いた。
かざねへと振り下ろされる袈裟斬りの一閃と、マオへの刺突。鮮血が盛大に飛び散り、ふらつくかざねと、後方へと吹き飛ばされたマオ。
防御力が落ちている分、攻撃力は上がっているかもしれない。
そして。
「……随分楽しそうだな」
喉の奥で、くつくつと笑う声。
それは何時の間に近づいていたのか。中央に突撃させていた狼に混じっていたのだろうか。
久遠のすぐ傍まで近づいていた、隻腕の青年がいた。
刃には光が湛えられ、瞳には静かな戦意と闘志。
「俺はお前達、撃退士を冥魔に劣らない敵手と認めた」
するりと、刃の動く気配。
「買い被りだと思わせてくれるな。失望させてくれるな、退屈させるな。俺を楽しませろ。刃を交え、さあ、戦え」
眩い程の輝きが刃に宿り、久遠へと迫る。
神速――人の域を超えた、隻腕の一閃。
●
それは魔獣としか言い様がなかった。
首は二つ。獅子と、そして鮫のそれがついていた。
胴体は獅子のものだが、尾は鮫のそれ。文字通り獅子と鮫を掛け合わせたキュマイラだった。
尾鰭や脚にある水掻きは、水中戦闘も計算しているのだろうか。
そして、これが前田の部隊の隠し駒なのだろうか。
だが、推測する暇もなく……三匹のキュマイラが咆哮を上げる。
「な……っ…!」
突撃する二体を支援するように、鮫の口から巨大な水塊を吐き出す一体。
それは爆裂する水。着弾すると同時に御堂、黒百合、雀原を巻き込んで炸裂し、水弾の飛沫で三人を打ちのめす。ただの水ではない。威力が半端ではなかった。
避けられなかった黒百合へと更に迫ったのは、獅子の巨大な咢。牙の一つ一つが剣のようなものが襲い掛かる。
受ければ、ただではすまない。
狂乱と死に近しい身だから感じた直感。空蝉の術を使用したのは決して間違いではなかった。
「……洒落にならないのが、でてきたわねぇ」
身代わりとして牙に貫かれ、引き裂かれた戦闘用男子制服は一瞬で原型を失っている。受けていれば、ただでは済まないと感じさせる恐ろしい顎の一撃。
そして、祝福を受けた障壁で謀議よした御堂ですらその肩を深く切り裂かれ、鮮血が噴出し続けている。
「…っ……下がてっ!」
警鐘が鳴り響く。雀原の頭の中では危機を告げる本能が鳴り響いて止まらない。
故に繰り出すのは渾身の一刀。平突き。魔獣すら退けるのだと武威を燃やし、渾身の刺突を繰り出す。
御堂が盾なら、雀原は矛。全てを貫く最強の矛でありたいのだ。
そんな想いから、全身に残っている力を振り絞るようにして繰り出せれた、雀原の最大最強にして渾身の一撃。
吹き飛ばされ、キュマイラは意識を刈り取られて動きを止める。
だが、まだ二体いる。
「引くぞ、無理は危険だ」
神楽坂が再び癒しの術を発動させ、御堂を癒す。同時に前衛も後退を始める。
だが、せめてこの魔獣の能力だけでもと黒百合と鴉乃宮が二丁拳銃を乱射する。確かにその巨体には当たった。だが、分厚く強靭な筋肉に阻まれ、弾丸が深くは通らない。
「タンカーみたいな防御力と攻撃力……反則でしょう。高速型ではなくても、水陸両用のようですし」
「何、港とか海でも襲う気?」
笑えない。撃退士は海中で戦う能力は持っていないのだ。
「向こうに前田が現れたみたい。ここらで潮時ね。さって、ずらかるとしますか……!」
狙撃銃を仕舞い、身軽になった萩乃が告げ、そのまま霧の中へと身を躍らせる。まだ残っている濃霧の残滓は、姿を隠してくれるだろう。
「追撃禁止!」
言い捨てる萩乃。追撃が来れば危険だと、理解してしまうのだ。
同様に撤退のタイミングを計っていたソフィア。炎の珠をぶつけ、キュマイラにはまだこちらが通ると把握した上で身を翻した。
「欲を出すのは禁物、だね」
此処で一体倒せていればこれからは違うだろう。だが、ソフィアを狙って飛来してくる鬼火の矢を緊急障壁で撃ち落しながらも、身体がもう限界だと知らせていた。
「これだけ情報があれば、次につなげられる筈……!」
「次の機会に熱烈に殺してあげるわねぇ」
霧に追加するように投げられた発煙筒。
目晦ましとしては本来不十分な筈だが、霧と相まって視界をほぼなくしてくれる。
少なくとも、そう。
この情報を持ち帰らなければ、いけないのだ。
●
光纏う神速の斬撃。
視認不可能。刃による一閃は、恐らく耐える事の出来るものはいない。
故に、久遠が凌いだのは気合であり根性、そしてそれを可能にするアウルの肉体活性。致命傷に近い一撃で右肩から右肺まで裂かれたが、踏み留まる。
けれど、二度は、ない。
喀血し、ゆらめく視界でよろよろと後退するのが精一杯。それでも、剣からは手を離さない。
「ほう……」
そう呟く前田。楽しげに唇を歪ませる姿に、戦場が凍りつく。
けれど、一度は撃退に成功している相手。何も出来ない訳ではないと、一斉に遠距離攻撃が叩き込まる。魔術に弾丸、そして弓矢。一斉攻撃に参加出来るものは皆、前田に向けてその力を合わせた。
だと、いうのに。
「……退屈させるな、といった筈だ」
前田の刀身から広がった光の幕。
それらが遠距離から飛来した攻撃の殆どを減衰させ、前田の身に届いたのは掠り傷ばかり。撃退士の攻撃は魔も物理もアウルによるものだ。
ならば、恐らくこれは持ち主から離れたアウルを減衰させる光の結界。
「二度、三度と同じ手は効かない。舐めているのは、そちらの方ではないのか?」
くつくつと喉の奥で笑い、一歩踏み出す前田。が、それに合わせて、疾風のように背後へと回り込む影。
「止まれ!」
声は切実な祈りに近い。背後へと気配を消して回り込んだカーディスが、影縛の術でその動きを縫い止めようとしたのだ。リボルバーの弾丸を前田の影へと、杭を縫い付けるように叩き込むカーディス。
黒い影が縛った……そう見えたのは、希望だったのかもしれない。
「刃は、目の前にあるものを斬るから刃だ。この程度で太刀筋が止まるなら、俺は天界の刃ではない」
ただ前田が無造作に半身を捻っただけで、弾かれる縛影。
止まらない。だが、撤退の為には、その時間を稼ぐ為には。
「前田、それならお前の剣を俺の盾で止めてみせる!」
「動きを止める位なら、俺達にだって出来る。天界の使徒だろうが刃だろうが、止まらない道理はない!」
先んじたのは盾を掲げた竜崎.続いたのは炎の如き刀身を持つ君田。
前田の刀を止めようと、守りの姿勢でその間合いに飛び込む二人。前田の静かだった瞳が、闘争への熱で燃える。
攻防は一瞬にして、限界と死力を尽くしていた。
鍔競りにて前田の刀を封じようと二人が攻め掛かるが、火花が散り、血の飛沫が舞うだけ。目に見えない速度で繰り広げられる戦いは、ただ勘だけが頼りだった。
見えない刃が君田の首筋を撫で、赤い閃が走る。受けようとした何かかが、竜崎の瞳のすぐ傍を過ぎて行った。
文字通り、紙一重での防衛。
そんな二人がかりの中も出来たのは、一瞬の隙。
「……全力でいくぞ!」
前田は左腕を亡くしている。言わば左が死角だと鳳は判断し、天に仇名す武気を刃に乗せる。
狙うは、一太刀。全身全霊、全力の一撃を叩き込む。
下段から跳ね上がる一閃。
「……ほぅ」
肩口から血の花が咲く。鳳の刀が前田の肉を捉えたのだ。
「いいぞ、よく一太刀与えた。返しだ、受け取れ」
切り結ぶ事こそ己の至上の喜びであるように、敵手を称え、刃にて返礼する前田。
光刃乱舞。
そうとしか言えなかった。
光の線が幾重にも、数えきれない程に空を奔る。それは静にして苛烈な連閃。接近していた三人を纏めて切払い、斬撃の後、敵手の身体から盛大な血の華を咲かせる。
その様はまるで彼岸花。
無数の刀傷を負い、吹き飛ばされる鳳。限界ギリギリで耐えた君田と竜崎も自分へ治癒の技を施す。
「三手は、止める」
だが、今の威力なら回復の支援があれば後二手は止めるられると、竜崎は信じていた。
けれど、それを断ち切る非常な冷たい光。
希望のない、死の刃の間合い。
「いや、この一刀で終わりだ」
それは構えだったのだろうか。
左腕を失い、体重の重心の崩れた前田の構えは、剣術のそれとは到底言えない。
重心を整え、かつ失った腕が弱点とならないように。
人体構造では正統とは言えない、構えになっていない構え。
無の行。
「無構え……」
隻腕故に辿り着いた、刀術の一つの極致。
構えになっていない故に、その太刀筋は読めない。
それは斬り下ろされたのか、それとも薙ぎ払われたのか。竜崎にも解らなかった。
故に受け避けも間に合わない。光纏う刃が奔り抜け、後方へと吹き飛ばされる竜崎。
「下がる、ぞ……!」
静の先導を受け、撤退を始めていた皆。最後まで残ろうとしていた久遠が月のように白い長大な刃を振りおろし、前田の追撃を止める。
「いくわよ、貴方たち!」
戦闘不能となった鳳、竜崎を抱えてジーナが走る。
殿には何時でも庇えるようにと幸桜が付く。
けれど、追撃はなかった。
霧の中の追撃は不可能だと判断したのかもしれない。それだけの濃霧だった。
或いは、する必要を感じなかったのかもしれない。
ただ、まだ終わってはいない。
これは、ただの前哨戦に過ぎないのだから。