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朝日の訪れは余りにも静かだった。
廃墟と瓦礫ばかりが残る街で、薄暗がりが広がる。
夜明けの瑠璃の空も、少しずつ、そして音もなく消えていった。
金鞍 馬頭鬼(
ja2735)がスナイパーライフルのスコープから覗けば、報告された通りの場所に二体のサーバント。
動こうとはしない。
が、既に動きは察知されているのだろう。狙撃手はこちらへと弓を構えている。
スマートフォンによる音による攪乱作戦。
だが、音で敵の反響定位を乱すのであれば、その効果範囲内に設置しなければならない。
結果、設置して回った八人は観測手に動くものとして捕捉され、後は狙撃の範囲内に入れば即座に撃たれる。
後は囮となるスマートフォンがどれだけ効果を発揮してくれるかだが。
「出たこと勝負だけど、やってやるわ」
ノーリスクの作戦などありえない。
荻乃 杏(
ja8936)はふん、と鼻で笑うと淡い緑色の瞳をターゲットのいるビルへと向ける。
「ほな、よろしゅうね……」
宇田川 千鶴(
ja1613)も忍刀・雀蜂の柄を握り、腕時計を見た。時間が迫っている。
やれる事をやるだけ。込めた力、思いは何処までも真っ直ぐに。
助けらずにはいられない。だから助けるのだ、絶対に。
この狙撃者の殺戮場を駆け抜け、制圧して。
「……必ず成功させないといけないな」
学園の仲間がこの旧支配エリアから帰還できず、その命が危機にある。理不尽で残酷な現実に静かな怒りを滲ませながら南雲 輝瑠(
ja1738)が呟いた。
大切な人を失うという事。それは、南雲には痛い程に刻まれている過去。
だが、あの時のように何も出来ない訳ではない。
この三人が先行メンバーとして赴く。
それは危険な事。だが、それは支援する他のメンバーも同じ事だ。
「ま、今はやれる事に集中するかね」
この一連の依頼の裏で動いているのが悪ならば、それを殺す。己が悪殺しだと自負するからの金鞍の怒りと激情。
それらを静め、純化してただ敵へと向ける。
「始めるぞ……」
荒い言葉使いで、光信機へと告げる金鞍。
そして。
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一斉に鳴り響くスマートフォン。
その音に背を押されるように真っ先に駆け出したのは桜木 真里(
ja5827)だ。
金鞍に掛けられた縮地によって移動距離を伸ばし、先陣を切る。
桜木がするべきことは可能な限り敵の狙撃を受け止め、引き付ける事。直撃すれば危険な先行組を可能な限り無傷で送るのだ。その為に。
「やらせないよ……絶対に」
呟きと同時、後方へと奔る閃光と、遅れて爆発音。囮であるスマートフォンを巻き込んで炸裂した咆哮矢だ。
どれだけの威力があったのかと後方を確かめる余裕もない。今はただ、前へと出るしかないのだ。
炸裂した爆音が恐ろしい音量であり、背筋を冷たいものが走ったとしても。
「いずれ全ての人が救えるように」
距離を離して併走する大炊御門 菫(
ja0436)が呟く通りに。
「今は誰であろうが、目の前の者を全て救う。守る事、救う事が私達の使命だ」
力がある。それをどう使うか。
人を殺すのではなく、守り助ける為に。菫はそう思い、迷わなかった。この手にある力は、その為にあるのだと。
一陣の風と化して駆ける姿に、狙撃への恐れはない。
「大丈夫、参りましょう。癒し手は此処に」
そして仲間を癒すべく、献身の祈りを身に宿して駆ける柊 朔哉(
ja2302)。
残された仲間を、その癒しの御手で救う為に。
加護と救いを主に祈り、そして齎すのだ。
走る八人の姿に迷いや躊躇いはなく、そして迎え撃つ光の矢もまた止まらなかった。
遠くで光が瞬く。
それに対応して桜木は魔法障壁を展開。矢と障壁がぶつかり拮抗し、吠え猛るような音が響き、そして炸裂。
「……っ……」
炸裂した光の矢によって裂けた腕を気にせず、更に全身する桜木。魔術に対して高い抵抗力を持つ彼だからこの程度で済んでいるが、そう何度も耐えられるものではない。
「無理はするな。倒れたらそこで終わりだ」
注意を促す白虎 直紹(
ja0604)。
爆裂の範囲に収まらないようにばらけて、瓦礫や建物に身を隠しての進行。だが、僅かに冷や汗が走る。
囮のスマートフォンが役に立ったのは初手のみ。後は接近するように動くこちらへと対象を切り替え、狙撃が行われていた。
「一手使わせた。それがどれだけの効果が出るか」
白虎の呟きに応えられるものはいない。
代わり、再び桜木へと迫る光の一矢。
飲み込み、塗りつぶすような強烈な閃光。爆ぜて乱れ、障壁の展開の間に合わなかった桜木が建物の壁へと吹き飛ばされる。
桜木は魔への耐久力は高くとも、元々の生命力が低い。出来る限り引き付けたくとも、高火力の狙撃は二発耐えるのが限界だった。
「桜木様!」
生命力が激減している桜木へと朔哉が手を向ける。
近づけば範囲攻撃である咆哮矢の餌食だ。故に投擲する形で癒しのアウルが放たれ、その傷口を癒していく。
聖譚曲の祝福。
それを受け、呻きながらも傷の癒えた身体を起こし、前へと向かう桜木。
「まだだ……簡単に倒れるわけにはいかないんだ」
衣服は裂け、血が滲む。怪我とて全て癒えた訳ではないのに。
「やらせない……」
静かに。けれど己の負傷に頓着せず、再び一歩を踏み出す。
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囮となり壁となり、咆哮矢をその身で受ける。
その姿に荻乃の瞳が揺れ、唇を噛み絞めた。
声を掛けたい。大丈夫か、そこまでしなくても良いのにと。
だが、堪えるしかないのだ。自分達は、自分がすべき事をするのみ。
『金鞍さん、頼むで』
焦りを隠す宇田川の声が光信機から漏れる。
「任せろ」
リボルバーから狙撃銃へと武器を持ち変える金鞍。そのまま廃墟の中から狙うのは、光矢を放つ狙撃手だ。
射程はギリギリ。だが、届くのなら問題はない。
敵の放つ狙撃の威力も恐ろしい。が、撃退士の放つ弾丸はアウルによるもの。攻撃的な阿修羅の気を持ち、冥魔に近い属性を持つ金鞍の狙撃も、やはり絶大な威力を秘めていた。
空を裂き、飛翔する弾丸。長距離狙撃は狙いを外さず、狙撃手を撃ち抜いた。けれど、それだけで止まるようなら天魔とは言われない。
「ちっ、やっぱ一撃じゃ沈まねぇよな……」
そのまま位置を変えようとするが、手に握る狙撃銃が金鞍の移動力を奪っている。加え、狙撃可能距離まで接近した為、メンバーの中で最も狙撃手に近い。
狙われる。
「させるか」
仲間の危機。それを感じ、ただ直進したのは菫だ。
彼女の意志、決断には迷いはない。
全力移動で疾走し、狙撃手の存在する建物の前まで踊り出る。
当然、それは観測手に察知され、狙撃手の弓が狙いを変えた。かなりの距離まで接近された以上、此処で仕留めるしかないと煌めく矢。
「私は、私と仲間を信じている。誰一人欠ける事なく、お前達を打ち倒して帰らせて貰うぞ」
飛来する咆哮矢。轟音と光の一閃に対し、全てを受け止めてみせるという菫の強靭な精神力が、アウルによる靄を生み出す。
それは朧月のような光となり、彼女を護る盾となる。
「ああ、お前の矢如きでは私達は欠けない、貫けない」
そして激突。爆裂する光の後に、鮮血が舞う。
天魔の牙は確かに菫の肉を貫き、烈風で数歩後退させる。
だが、彼女の意志は折れず、膝もつかせられない。
「行け。人の世を絶望で塗り潰す光など、消してしまうんだ」
全ての信を言葉に込める菫。
死線を潜り抜け、そして、今も共に戦う仲間へ。
「さんざんやってくれたわね! 今度はこっちの番、よっ」
駆け抜ける影は三つ。
只管、ただ真っ直ぐに建物へと目指す。
穿ち、貫く矢は何も天のものだけではない。人の意志もまた、強き鏃となって向かうのだ。
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建物に突入し、階段を上る南雲に対して、宇田川と萩野は壁走りを使用して駆け上がる。
垂直に壁を駆け上がる二人。
そのまま観測手を止めようと屋上へと宇田川が昇った瞬間、走る刃の音。
「……ちっ……!?」
アームブレードの刀身が僅かに煌めいたのを見て、宇田川は軸足を切り返して横へと飛ぶ。不意打ちでの迎撃の一撃への対応は勘。
「せやけど、避けられたんら問題ないわ!」
そのまま高く跳躍し、忍刀の峰に手を添える。狙うは一撃での行動不能。
自由に動く事を許すには、厄介過ぎる相手。故に。
「去ねや!」
落下の勢いと体重を乗せ、振るわれる宇田川の鋭利なる一閃。
衝撃は頭部の一点へと集められ、両断は出来ずとも膝を付かせる事に成功した。
そのまま立ち上がれずにいる観測手。ならばと。
「次はアンタよ!」
同じように高く跳躍している荻乃。体重を乗せた左足が翻り、狙撃手の頭部へと踵による一撃が放たれる。
が、首を振った狙撃手は肩でその蹴撃を受け、意識を刈り取られる事を拒む。
「流石に、そううまくはいかないか……」
空中で身を畳み、着地する荻乃。
後は後続の班が来るまでこの狙撃手を抑えるだけ。観測手がいない以上、遠距離狙撃の制度も下がり、範囲攻撃を使えば自分も巻き込まれるだろう。
が、弓の弦を引く狙撃手。
今までのような太い矢ではなく、糸のように細い一閃。
ステップを踏んだ宇田川の髪を掠め、過ぎ行く細い一矢。
接近されたとしても、それ相応の対応は出来るのだろう。逃げようとせず、弓引くサーバント。
「ええよ。私に当てられるものなら、あててみ」
忍刀を逆手に持ち、左右へと動く宇田川。そして弦を引き、的を絞ろうとする狙撃手。
一瞬の静寂。互いの隙を狙い合い、摺り足で間合いを調整する三人。
二人で狙撃手を挟んでいる形だが、このサーバントの攻撃力は軽視できない。故に隙が産まれるのを待つのだ。
そして……その機を制したのは、屋上へと走り込んで来た南雲。
「待たせた!」
闘志を解き放ち、纏う気によって身体能力を上昇させた南雲。そのままパルチザンを構えると狙撃手へと一気に攻め掛かる。
出来ない道理などないと己に言い聞かせる。
自分が未熟でも仲間がいる。彼ら彼女らが作ってくれたチャンスがある。だからこそ、それを貫き通すのだ。
「行くぞ!」
燃焼する莫大なアウルは武威と化して槍の穂先に集う。
それは純粋な剛の破壊力を載せた、俊速の一閃。黒の太刀筋を伸ばし、絶大な一撃が刺突として突き出される。
大気の壁を烈断し、音すら置き去りにした南雲の一撃。よろめくサーバント。
その背へと、更に追撃が刺さる。
響いたのは銃声。
そこには建物の下から銃口を凝らした白虎の姿。鋭利な弾丸は狙撃手の背を打ち抜いていた。
「ああ、俺も全力で挑むさ」
救助を待つ四人のうち一人はクラスメイトなのだから。
だれかが欠けた教室で、明日の授業を受けたくない。
「さて、逃がさないぞ。此処で討たせて貰う」
「ええ、先ほどのお返しをさせて貰います」
極限の精神集中により、威力と射程を延ばした桜木の雷撃が飛ぶ。身を焼く魔の稲妻は、サーバントの動きを止める。
「主よ、憐みを」
口にするのは祈りの一節。
それは本来、眠りに付く魂が安らぐようにと送るもの。だが、彼女たちの魂は未だ自分達と共に地を歩くのだ。その邪魔はさせないと、朔哉の願いは十字架の刃と成って狙撃手に突き刺さる。
膝を付くサーバント。その額へと、今までのお返しとばかりに飛翔して来たのは金鞍の狙撃銃の弾丸。
頭部を破砕され、崩れ落ちる狙撃手。
最も厄介な個体が排除された瞬間だった。
だが、その隙にとビルから飛び降りる影。観測手は朦朧から解放されるや否や、相棒が死んだ確認するや否や、撤退を選んでいたのだ。萩乃の発動させた阻霊符によって透過能力では逃げられない故の飛び降り。
着地は凄まじい衝撃を脚部へと与え、硬直する観測手。
だが、そのまま一気に逃げようと前を向いた時、そこには十字槍を振り翳した菫の姿がはあった。
「させるか!」
脚へと鉤の部分をひっかけ、払って転倒させる菫。
起き上がり、放った返しのアームブレードは朧月のような護りのヴェールに阻まれ、槍の柄で払われて大きく姿勢を崩す。
そして勿論、撃退士がサーバントを逃がす訳がなく。
「逃がさないよ」
回り込んで来た白虎が、拳銃のトリガーを引く。
胸部を穿たれ、観測手もついに倒れる。
退路の安全の確保された瞬間だった。
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救助部隊が、四人を連れて退路を来ていた。
周囲を警戒していた萩乃や、金鞍も集まる。即座の撤退が望ましいのは解っていたが、それでも声を掛けずにはいられない。
「よかったなぁ、ユウ(ja0591)さん……」
「優希(ja3762)も無事で何より……よく耐えた、お疲れ様」
宇田川は知り合いであり、心配していたユウの安否を確認して安堵の溜息を。朔哉は怪我でボロボロな少女の蒼い髪を撫でる。
「…………」
白虎もまた、クラスメイトであるユウに視線を向けていた。
怪我は酷いものだ。酷い負傷。意識を保っているだけで僥倖。喋る事すら四人にとっては苦痛だろう。
「……ありが、とう」
それでも、なんとか言葉にして返した。
この四人は、此処にいる者だけではなく、作戦に参加せずとも協力しようと、助けようとした学園の仲間の思いと行動があって命を繋ぎ、拾ったのだ。
包帯や食べ物、飲み物を渡され、激励や安心させる為の言葉が飛び交う。
「皆、待ってるだろうし。かえろっか、私たちのガッコへさ」
そう言い、戦闘に立つ萩乃。絶対にこのまま帰すのだと、周囲の警戒を怠らない。
「出来ればこういうことは最後にしたいな」
誰一人欠けずに救助出来た。そして、今回は菫の知人ではなかった。
けれど、次がないと、次はそうではないと誰が言えるのか?
「……させはしない」
自分のいる場所にいる命は全て救い、守るのだと眦を決する菫。
それは絶対の誓い。己へと立てる制約の祈り。
「私は、私の意志で誰も失わない道を行く」
それがどれほどの茨の道か、理解した上で呟くのだ。
「しかし……不明な点が多い依頼ですね。これからどうなるのでしょうか」
そして、これからどう『相手』は出るのか。
朔哉にも金鞍にもそれらは解らない。けれど。
「知るかよ。だが、生徒が危機に晒されても知らぬ存ざぬを通して何も教えない奴は何だ。……仮に悪だとしたら、絶対に許さねぇよ」
仲間を思う故の義憤を立ち上らせ、空を見上げる。
「正義でもヒーローでも俺はない。ただ、守りたいだけだ」
だから守った。そして、救った。
言葉にすればそれだけの、そして切実な思いが、青い空に映っていた。
良かったと、桜木が呟く。
力を抜き、さあ、戻ろう。
あの学園へ。
日常であり、幸せな日々の世界へ。
廃墟となった旧支配エリア。もう此処には何もようはない。
取り残した大切なものは、全てこの腕の中にあるのだから。