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これは語り継がれる物語。
禍津の幻想。
火は煌めいて、全てを飲み込む。
その跡は灰が降り注ぎ、凄惨な出来事を覆い隠す。
けれど、惨劇は起きた。その現実は覆らない。
だから、人は語り継ぐだろう。
禍津の意には、従うべきと。
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赤々とした火が辺り一帯を包む。
燃え盛る炎は天の威。逆らう者は皆焼き尽くすのみと、紅蓮の海となって波打っていた。
弾ける火花と、吹き上がる熱風。
尋常ではない熱量と火炎の奥、翼をはためかせるものがいる。
八咫鴉。炎で編まれた真紅のサーバント。
それを睨み付け、千堂 騏(
ja8900)は吐き捨てる。
「良い根性しているじゃねぇか。守る気があるってんなら、くだんねぇことせずに自分の敵だけ見てろよ」
言うが早いが、風となり炎の中を全力で走り抜ける千堂。
炎が肌と髪を焼き、途端に呼吸が苦しくなるが構わない。
仲間が背後に控え、攻撃は受け持ってくれる。
そう信じるからの初手からの全力の攻勢。余計な時間は掛けられない。電光石化の撃破を狙った。
けれど。
「止まれ、千堂!」
呼び止めの声は御影 蓮也(
ja0709)のものだったが、もう遅い。
疾走の勢いを載せて打ち込まれるパイルバンカー。意識を刈り取ろうと振るわれた一閃は、けれど空しく空を切る。
高い機動力を誇る八咫鴉。全力移動での攻撃では当たる筈がない。
反撃は、空中から放たれる炎球。炸裂の吐息。
後を追っていた御影も巻き込む霊力の炎。
全てを浄化せんと燃え盛り、弾ける爆風。
魔に全く耐性のない千堂は、その一撃で生命力が半減する。
顔面を庇った腕が焼け爛れ、筋肉が引き攣り、炸裂で身が千切られていた。
「な……っ……!」
振り帰れば、ある程度攻撃を引き受ける手筈だった後衛は完全に散開しており、爆裂の息には二人以上は入らない布陣。
被害を抑えるならそれでいいかもしれない。
だが、優先すべき対象が複数いる八咫鴉は、故に焼き尽し易いものを狙う。知能はなくとも、殺戮において愚鈍ではないのだ。
近づいたものを放っておく道理もない。
「拙い……!」
千堂は後一撃で倒れる。
負傷の度合いから、僅か一瞬で危機に陥った仲間を救う為、ソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)が雷撃を紡ぎ出した。
紅蓮を青白く染める稲妻。翼に当たり、動きが鈍った所へと御影の飛燕翔扇が飛来する。胸部を打ち据えた一撃。
「常時効果の範囲攻撃に、一撃一撃の重さも半端ではないか!」
狙うは速攻戦。辺りを飲み込むような猛火の勢いに、御影もそれしかないと眦を決す。
「まずは様子見……なんて暇もないのか」
八人で当っても、このサーバントは『危険』と判断された個体。
その意味を肌で感じ、唇を噛み締める久遠 栄(
ja2400)。だが、相手がどんな強力なのもでも退けない。後ろにある村を守る為に。
「森野菖蒲か……気に入らないな!」
破滅の炎を撒き散らすサーバントへと光を纏う矢を放つ久遠。カオスレートの調整目的の一矢は、その翼を掠るに留まる。有効打にはならない。
それでも、吠えるのだ。
この意志は砕けないと。
「絶対に、何度でも止めてみせる!」
残身を整え、炎に焼かれながらも久遠はその意志を止めない。
そして続くのはナタリア・シルフィード(
ja8997)。
「ええ、無茶なのは承知しているわ。でも、足手纏いにはならない。今はやれる事をやる、だから……」
ナタリアの白銀の髪の端が火で炙られて燃える。それを気にする余裕もない。
翳された手の元に生み出されたのは、煌めく氷の桐。炎の鳥を貫く刃だ。
天の災い。消し去る為に。
今も燃え盛り、範囲を広げ始めている火の海。
時は待ってくれない。
「こちらも長くは持たないが……ならば、確実に当てればいい!」
飛翔する氷柱に重ねられたのは新田原 護(
ja0410)の拳銃による早撃ちだ。目にも止まらぬ速度で照準され、三連発砲。
が、空を切るそれら。二対の翼をはためかせ、禍津の炎鳥は襲い掛かる。
己もが燃え尽きても構わないかというような劫火を纏うその姿。
鮮烈であり、凄烈であり、恐ろしいのに何処か悲しかった。
「何となく、彼女に似ているんだよね」
このサーバントは、あの使徒に似ている気がする。
根拠はない。だが、神喰 朔桜(
ja2099)はそう思わずにはいられなかった。
溢れ出す金色の魔力。神喰の瞳と髪は揺らめき、魔の波動で火の粉が押し返される。
だが、これは敵。どうしようもなく、倒すべき敵。
片膝を付いた状態から狙撃銃のスコープを覗きこむ石田 神楽(
ja4485)。微笑みを崩さぬまま、その瞳だけが赤く染まり、血の色に輝く。
「この八咫鴉、以前も目撃されていましたね……。無駄に神々しい事で」
火に炙られる身。八咫の結界からは狙撃銃の射程を持ってしても脱する事は出来ない。武器に注ぐアウルのせいで、足りなくなった生命力が危険を知らせている。
けれど、何だ。
「……打ち貫きますよ」
確実に当てると、構える石田。
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後一撃、千堂は持たない。
だからこそ、ソフィアは神喰とナタリアの間に滑り込む。
これで爆裂の息に三人が入った。ならば、確実にこちらに来る。
「御免、耐えて!」
直後、真紅の光が閃き、三人を包み込む。爆裂する浄化の炎は等しく三人を包み込んで焼き焦がしていた。
攻撃が収まった後も、服の端々に残った赤い火がちらちらと躍っている。
けれど。
「何とか、耐えられましたか……」
防げない程ではない。火傷による引き攣るような痛みに顔を顰めながら、ナタリアが呟く。魔術に系統する攻撃ならば、阿修羅やルインズが受けるより、ダアトの三人が固まって耐えた方が良い。
これは戦術のミス。
そして今さらそれをしようとも、八咫の結界は防御を無視して八人を焼き、その命を蝕んでいく。
「障壁を持ってこなかったのが失敗、かな」
無い物強請りは意味はない。今はスキルの変更をしている余裕もない。そして、戦場では弱音を吐く余裕もありはしないのだ。
「止まれ!」
苦痛を堪えるソフィアが繰り出す魔力の奔流は、まるで花吹雪。
火の粉を吹き飛ばしながら華麗な螺旋を描いて八咫へと飛翔して身を刻むが、その意識は奪えない。
「ですが……」
後方からの声と、銃声。
八咫の嘴を狙った狙撃が見事に命中し、一瞬、八咫鴉の視界が横へと流れる。
「一気にいくぜ」
「そのまま灰となって消えろ!」
好機と見た千堂が再びパイルバンカーを持って突貫し、身体を旋回させてパイルバンカーを打ち込む。
怯んだ一瞬を見逃さず、奔ったのは御影の朱の斬糸。神速で振われる極細の刃は翼を絡め取ろうと滑るが、翼に食い込むに留まる。
散る炎の欠片。
美麗にして、凄絶な破片。
火炎の羽根。
「けど、これは見とれる程でもないよね?」
神喰の言葉に反応し、空間から生み出された幾多もの闇焔の鎖。八咫鴉を捕えようと射出され、その身を拘束しようとするが、するりとその間を羽ばたいて抜けるサーバント。
高機動力を持つ相手に、束縛の効果を狙うのは難しい。まず当てるという事が困難な相手な、格上の相手なのだ。
そして、速攻戦を狙った筈が、攻撃ではない手を使ってしまった神喰。自己の強化と妨害で、二手攻めが遅れている。
「…っく……!」
後退しつつ、再び氷の錐を打ち出すナタリア。その後退と、カオスレートの維持の為に新田原が光を纏う弾丸を放つ。
当たる。或いは掠める程度に留まる攻撃。
そして波打つ炎の海。八咫の結界。そこにいるもの全てを焼き付く霊力が放たれ、石田が膝を付く。
生命力が元から乏しい彼では、10秒の戦闘で既に危険域に到達していた。
「……です、が」
そこにあるのなら打ち抜くのだ。
例えそれが『神』だとしても。
居るのなら当てる。
決して崩れぬ微笑みのまま、スコープを覗く。当てて、射抜く。ただその意志のみで動く。
だが、崩れる時は来た。
「…っ……ま、待て!」
後退しつつ応戦していた千堂、御影の上空を飛び越え、八咫鴉が向かった先は神喰の目前。翼から、炎の風が産み出される。
束縛の鎖、引き摺り下ろすという願望。それを焼き尽くすべきだというかのように。
だが、黄金の瞳で神喰は笑う。危機など己にはありはしないというかのように。
あるのは、ただ、ただ不快という感情。
「神喰!」
指動でカーマインが走り、ついに八咫鴉の翼を捕えた。拘束は一瞬。同時に最後の薙ぎ払いを繰り出す千堂。
そして。
「…誰が、誰を、見下ろしてるの?」
言葉と共に八咫鴉へと手を翳し、握り締める神喰。
炎風と縛鎖は同時。闇焔の鎖は八咫鴉を空中で絡め取り、その動きを封じる。空を飛ぶ翼があれ、捕まったのなら逃げられない暗闇の鎖。
だが、その代償は余りにも大きかった。
前衛である御影、千堂、そして瞬間的に後退が出来なかった神喰を包み、飲み込む炎の烈風。
肉を、血を、骨を髪を。肉体を焼いて己のものに変換する暴威が荒れ狂う。
千堂は言葉も発せず、炎に飲まれて地を這う。また、それは神喰も同じ。忌むべき光、闇の輝き。眼を焼くような黄金の魔力は、浄炎に飲まれて消える。
そして、その炎を吸収し負った傷を癒した八咫鴉がそこに立つ。
鎖に縛られて動けない。だが、その炎の威は減じていない。
むしろ、三人目がこの時倒れていた。
がらんと狙撃銃を落とし、八咫の結界の齎す炎に蝕まれていた神楽が意識を失ったのだ。
ちらちらと、火の粉が散る静寂の中。
残り五人。
動けずとも、まだ湛える八咫鴉。
絶望が始まった瞬間だった。
爆裂の息は応急手当へと走った久遠とナタリアを巻き込んで、二人を同時に薙ぎ払って吹き飛ばす。魔に強いのは確か。が、カオスレートのゼロによるダメージは、ダアトとインフィルトレイターの元から少ない生命力を削っていた。
この耐久力に欠けるメンバーで、カオスレートをゼロに保つのは失策。
もしもそれをやるならば、瞬間で大火力を叩き込む。それもカオスレートを調整するもの以外全員で攻める猛攻が必須。
だが、時既に遅い。自分達の特性、長所と短所。自分だけはなく仲間も含めたそれらを見逃していた。
故に再び吹き荒れる火風。御影の生命力を増やしつくし、己のものへと変える八咫鴉。
残るは、新田原とソフィアだけ。火の海で、瀕死の二人が残されていた。
「遅延戦闘も……住民の撤退も無理か」
そのライン、撤退基準を決めていないうちに残るは二人。それも八咫の結界は重圧へと変化し、逃げ切る事は出来ない。
炸裂する火に飲まれる新田原。無駄と知りつつ放った弾丸は、奇跡的にも八咫鴉へと当たっている。
「結構……削っている筈なんだけれど」
輪郭が乱れている気がした。ソフィアにはそう見える。
ただ束縛されているだけではなく、この鳥もまた生命力は低い。後一押しだったのかもしれない。
いや、だったではすまされない。それに。
「個人的なことだと、太陽と花をシンボルとする魔女として負けたくないっていうのもあるかな」
花の魔術は切れ、雷撃を放つソフィァ。着弾と共に揺らぐ輪郭。
だが、消えなかった。
変わりに吐き出される猛火の息吹。身を焼かれ、熱風に息も出来ず、その意識を失う。
そして、翼ははためく。
八人の撃退士を打ち倒した火鳥が、約束を違えた村を焼き滅ぼしに。
もう、止められない。
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気が付けば、黒い雪が降っていた。
まるで後悔と敗北を塗り固めたような色。触れると崩れる。それは灰だった。
夜明け。それを感じ、石田は視線を横へと向ける。
村から黒い煙が上がっていた。
守れなかった。自分達の力は十分だと信じ、戦っている間に先に逃げてとも伝えなかったせいで。
みんな、死んだ。
「……は……はは……」
乾いた声が漏れる。
意識を取り戻した久遠も、御影も、言葉を出せなかった。
問うまでもない。無様で、自嘲しか出ない。
けれど。
「何が、可笑しいの?」
響いたのは、泣き腫らした少女の声。
抑揚はない。感情は擦り切れ、もう何もない。
「お父さんとお母さんが焼けちゃった」
煤塗れの衣服は、逃げ切れた証だ。
何度も転び、泥と血と、灰で汚れた身体。
小さな身が、絶望を紡ぐ。
それは、魂切る絶叫。
「ねぇ、なんで貴方達が来たの? 貴方達は半端な力で、サーバントにも勝てない癖に天使様に逆らって……貴方達が戦わなければ、お父さんもお母さんも死なずに済んだのに!」
救えなかった。村一つ、百人、二百人、或いはもっと死んだ。
死を数えるように、黒い灰が降り注ぐ。
当然のようにそれは数えられない。数えていいものではない。
「それは……」
「貴方達撃退士がいなければ、天使様に従っていれば、世界は平和だったんだよ! お父さんとお母さんは死ななかった。貴方達がいなければよかった!」
「そうね」
ぞっとするような冷たい声。
振り返れば、そこにいたのは黒い和服に身を包んだ使徒、森野菖蒲がいた。
和傘を刺し、何故だか落胆と失望の感情を滲ませながら、彼女は紡ぐ。
「結局、戦いたかったんでしょう? 救って助けて、英雄になりたかった。私は俺は僕は憂国の烈士、壬生の狼……ただ戦いを広げるだけの、昔、昔からいた『人間』ね」
その言葉に、残っていた力が発火した。
怒りであり憎悪であり、激情。それらに突き動かされて、久遠は叫ぶ。
「何故だ! なんでこんな脅しを、虐殺をする!」
「貴方達が、屈せずに私達に刃向うからよ。でも安心して、多分もう殺戮はしないわ。貴方達の敗北が、完全な証になった。撃退士では、人を護れないと」
「……っ……!」
理由を問う事も出来ない。怒りが沸騰し、けれど僅かしかない体力が言葉を紡ぐ事さえ許してくれない。
「俺は、例え争いを産むとしても、それを奪われ家畜となるのは拒むよ。こんな理不尽に負けないように」
御影の呟きに、息も絶え絶えな千堂が続けた。
「…そっち……こそ、悪魔に勝ててもいねぇ……くせに威張ってんなよ。それに、悪魔に勝て……ないからって…て、めぇは諦めんのか?」
「この菖蒲さんは、悪魔に勝ったよ」
嘆きの余りに感情を失った少女の声に、意識を取り戻していた撃退士達は息を呑む。
「天使様に逆らうのは悪魔だよね? だからこんな『惨劇』を起こすんだよ。天使様に立て付く『撃退士』は……『悪魔』だよ」
「まっ……!」
手を伸ばし欠ける久遠。
だが、腕が上がらない。
「そうね、何時か、貴方達とは、手を取り合える事を願うわ。人を家畜なんかに私はしない、誰もが幸せに満ちた世界の為に」
菖蒲は呟き、少女の手を握り、連れ去っていく。
今回の件、悪魔はどちらだろう。
天界の起こした惨劇。そして、止められなかった人の無力さ。
勝者が正義と言われる歴史の中においては、まだその論は出ない。
ただ、この地で、撃退士の信は消え去ったのは事実。
黒い灰が降り積もる。
救いの声は、もう聞こえない。