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刹那の間隙を突くしかなかった。
動き出せば猶予など消し飛んでなくなる。
一秒、一瞬さえをも見逃さず、高速の連携で出来た隙を貫く。
それだけが、恐らく使徒の少女から命を救える、唯一の手段だったのたろう。
だからこそ、行くのだ。
神凪 宗(
ja0435)が合図を送る。
天の暴虐は止まらない。尚も続くというのならば。
「行くぞ」
神凪と共に、壁走りと無音歩行を用いて撃退署の二階の壁に張り付いていたカーディス=キャットフィールド(
ja7927)も頷いた。
窓から覗いて見えるのは鮮血に塗れた床に、倒れ伏している三人の撃退士。
殺戮を止め、救うのだ。消え去りそうな、あの命を。
「助けられる命、今度は救ってみせます……絶対に」
その一言と共に、窓を突き破る。
割れた硝子の立てる甲高い音が、開戦を告げ響き渡る。
気配を殺し、物音を消し、更には垂直の壁を登っての鬼道忍軍の奇襲。
それは見事に成功していた。突き破る硝子の音でようやく敵襲を知り、白狼だけではなく使徒の少女ですら咄嗟には動けない。
少人数、そして自らの能力の特性を利用したからの成功だ。
着地するより早く、神凪の手から放たれるのは忍苦無の一投。
「使徒たる少女、先輩方を返して貰う」
飛燕の如き鋭さで向かったのは、己の負傷で血で赤く染まった狼の頭部――恐らく、署員の撃退士と戦闘した際に深手を負っていたのだろう。
「命が奪われるのを、黙ってみていられませんからね!」
着地と同時に白と黒の拳銃のトリガーを絞るカーディス。額に忍苦無が刺さり、連射された弾丸に胴を撃ち抜かれて、一匹の狼が早々に倒れる。
署員の撃退士も無抵抗にやられた訳ではないのだ。立ち位置や状態を窓から確認し、負傷している個体を見つけられたからの速攻。
だからこそ、いけるかと思ったのだ。
一拍遅れて襲い掛かる四匹の雪狼をそれぞれその持前の身軽さで避ける二人。カーディスが腕に牙を突きたてられたが、負傷としては軽微。
迫る狼を打ち払い、下がろうとする神凪。が、そこにぞっとするような冷たい戦意が向けられる。
「……増援、ね」
何時の間にと言う間もない。
荒んだ黒い瞳が、すぐそこにあった。
恐ろしい程の速さで踏み込み、血で塗れた刃を振り翳す使徒の少女。
凍えるような蒼き刀身が、神凪へと袈裟に斬りつけられる。
「……っ…!?」
蒼刃は深く神凪の肩口を切り裂き、首近くの動脈から凄まじい勢いで鮮血が吹き上がる。
纏う冷気は体温を、鋭い一刀は生命力を急激に奪い去る。
二刀目を耐えられる自信はない。
これが使徒の剣。身に受けて実感する。これは自分達とは違う存在だと。
震える身体。崩れそうになる膝。
目の前にあるのは、想定以上の脅威。
「引きますよ!」
カーディスが深手を負った神凪の首を捕まえ、窓から飛び出す。
二人で相手出来るような存在ではない。
鬼道忍軍はその身軽さこそが武器だが、纏うアウルは冥の気質。天の存在であるシュトラッサーとは正面から戦うには相性が悪いのだ。
文字通りの電光石化。一匹を倒せた事を成果としつつ、撤退する二人へと少女が雪狼へと追撃を命じる。
「行きなさい……人に敗北を刻む為に」
主の命令はサーバントにとって絶対。二体の狼が二人を追うように窓から飛び出していく。
その数を、神凪が仲間に告げる。
負傷で震える身体。まだ持ってくれと祈りながら。
「……残るは二体だ。頼む」
●
二体の雪狼に囲まれた黒き使徒の少女。
血に染まった部屋で、一人呟く。
「そうね……これだけいるもの。その上増援だというのなら、一つくらい死体を作っておこうかしら」
ゆらりと泳ぐ刀。漏れ出した殺意。
次の瞬間には倒れた青年の首を跳ねていたであろう刃。
それを止めたのは、漆黒の黄金。巨大な黒き雷撃の槍だ。
放ったのは不遜な笑みを浮かべる魔術師、神喰 朔桜(
ja2099)。忌むべき黄金の色彩を纏う魔術師だ。
迅雷の魔術。直撃し、その身と着物を焦がす少女。
痛みを堪え、身を翻すと鍔を鳴らして納刀し、雷の槍の飛来した方向を見る。
そこには、階段を駆け上がってこちらへと迫る五人の姿。
「天は自らを助ける者を助く。…参りましょう」
白い修道女服とフードを着込み、斧槍を構えて先頭に立つのは柊 朔哉(
ja2302)。
どうして心を持つ者同士が戦うのだと、悲しむような朔哉の表情。けれど、命を助ける為と眦を決して前へと進む。
「迷っている暇はないな」
夥しい血の流れる部屋を見て、久遠 栄(
ja2400)も表情を引き締める。一歩間違えれば命を失うこの状況。だが何より、目の前にいる少女の放つ武威が恐ろしい。
凍えるような、それでいて触れれば切れるような……。
だが、屈する訳にはいかないと弓の弦を引き、精密な矢を放つ久遠。狙いは違わず、雪狼の喉へと突き刺さる。
「『二重の奇襲』は成功だね。相手も動揺している、そのまま行こう」
そう言ってリボルバーから弾丸を放つアニエス・ブランネージュ(
ja8264)。作戦は此処までは順調であり、攻め手が有利な状態だ。
攻められたら脆いのだろうか。守るという事は大変で、簡単に壊れてしまうのかもしれない。
使徒の少女も、もしかしたらそんな事を考えたのではと、一瞬思考が過る。けれど。
「京都では戦果を上げたんだ。ボク達は無力じゃない」
久遠の矢の刺さった一体を穿ちながら、アニエスは言い切る。アイスブルーの瞳が迷いに揺れたのは一瞬だけだった。
そして、弱った雪狼を一気に倒すべく黒の狙撃手が笑う。
全くどうしてみな、こんなに強いのだろうか。使徒を前にして己の意志を曲げない。屈しない。
その強さに敬意を抱く。だからこそ。
「救いに行きましょう」
にこにこと、この場でも崩れぬ微笑みを浮かべて放たれる石田の銃撃。銃身に絡まった蔦から一斉に漆黒の華が咲き、叫びに似た銃声が響き渡る。
続いたのは雪狼の断末魔。
出し惜しみのない怒涛の強襲に、消耗していた雪狼は沈む。
前へと躍り出た朔哉へと残る一匹が襲いかかるが、アニエスと石田の回避射撃によって身を叩かれ、姿勢を崩れた所を朔哉が斧槍で迎え撃つ。
「止まって下さい」
そして使徒の少女へと牽制のヴァルキリーナイフ。アウルの刃が飛びゆく。
けれど。
「遅いわね」
身を屈めた少女は紙一重でそれを避けると朔哉へと接近。
ぴたりと、時が止まるような感覚。空間自体が凍結しそうな程の冷たい圧力が刃に宿り、空間を奔った。
居合一閃。
鞘走りの音も遅れる神速の剣閃だった。
逆袈裟に斬り上げられた朔哉の胴。内臓に到達した鋭利な刃はただでさえ深手。血が噴き出て、臓腑を蝕む冷気が身体中に走る。
「朔哉っ!」
回避射撃を放ったつもりが、間に合っていない。アニエスと石田の発砲は空を滑っただけだ。
「……後退するしかありませんか」
文字通り、一撃で生命力の半分以上を斬り飛ばされた朔哉。
前衛となるのは彼女一人だけで、雪狼も朔哉一人に攻撃の的を絞っているようだった。
だが、変われるものはいない。前線に立つ適性、そして少女と切り結べるだけの頑丈さがある者がいないのだ。
「こっちが本隊かしら。でも、ちょっとお粗末ね」
「……そういう、ものでしょうか」
斧刃を旋回させ、少女の蒼き刃と打ち鳴らし火花を散らせて、朔哉は悲しげだった。
痛みよりも苦しみよりも、ただ。
「どうして、相容れないのでしょうか」
「……っ…!?」
その言葉で出来た一瞬の隙で後ろへと跳躍。癒しの御手である自分の手を傷口へと押し当て、治癒を。
それでも完治するものではない。自己の治癒と守りに専念しなければ、即座に切り伏せられる可能性がある程に。
じりじりと下がる撃退士達。そして、先の言葉を気にするよう、間合いを保ちながら少女も続く。
二階から一階へと階段を下りる際。
「君が使徒かぁ。結構、若いんだね」
気さくな笑みを浮かべて、神喰は続ける。
「あ、因みに私は神喰朔桜。所で、さ。その人達、帰して貰っても良いかな。別に戦いに来た訳でもなければ、戦いたい訳でもなくてさ」
「……白々しい、嘘を」
神喰の言葉を切るように、駆ける少女。構えた切っ先は、首を穿つ刺突のそれだ。
「それとも、殺さないと気が済まない? そんな風には見えないけどね」
対する神喰は五つの黒の雷槍を周囲に展開。手を翳せば、その掌に雷撃が集まり、巨大な雷槍を紡ぐ。
「どう、かしらね」
蒼き刃を、黒の稲妻が迎え撃つ。
●
奇襲の二人を追いすがる二匹の雪狼。
逃がさないし許さない。獰猛な殺意を持った追跡劇は、けれど唐突に終わりを告げる。
「さて、行くよ。僕の出番だ」
黒焔を纏う身が上空から舞い降りる。
その手には竜を凝らした拳銃。
放った弾丸さえも黒焔を纏う姿は柊 夜鈴(
ja1014)のものだ。
待ち伏せによる伏兵の連射に一匹が縫い止められ、動きを止める。
「……ちっ…」
負傷の残る身で、追い縋るもう一匹へと忍苦無を投擲する神凪。再度の接敵が危険な程の消耗だが、此処で終れない。
「……何とかしないね」
その神凪の前に立ち、アウルを練るカーディス。繰り出した二丁拳銃の乱射は肉体だけではなく、影をも縫い止める。
呪縛であり束縛。動きをとめざるを得ない雪狼。
「敵はかなりやる、か」
浴びたのは一太刀。それだけで深手を負った神凪を見て、夜鈴は呟いた。
「だからこそ、僕は僕の出来ることを。それ以上を」
無表情に、けれど凄烈に告げる夜鈴。戦意に呼応するかのように身に纏う黒焔は盛大に燃え上がる。
「援軍は呼ばせないよ」
持ち変えたハイランダーの一閃。
黒の太刀筋を描く長い刃は、一太刀で雪狼を斬首していた。
「任せましたよ」
残るは動きを止めた一体。
ならばと、鬼道忍軍の二人は再び無音歩行と壁走りを使用して、元来た道を戻っていく。
「ああ、この程度なら問題ない。問題は使徒の少女か」
消え去る黒焔・解。だがと再び武器全体に黒の焔が発現する。
破壊の為の力。
天を焼く焔。
戻る二人は追わせないと夜鈴は切りかかる。
本命は彼ら二人。
三人を救う為の選択。
その為に、凍えた天の刀が乱舞し、削れていく。
それでも、救う為に。
これが最良の選択だと、誇りを持つ為に。
●
一階の入り口付近。
既に治癒の術は底を尽き、気力だけで朔哉は立っていた。
抜けば紅き珠散る氷刃。斬られた傍から流血が凍え、魂ごと斬る極寒の武気。
それでも……朔哉に天魔へ、この少女への憎悪はなかった。
「分かり合えないのですか? 私達は共存は出来ないと、貴女はそう思っているのですか?」
ローブを血で染めて、それでもなお少女の前に立つ。
残っていた雪狼は久遠と神楽、そしてアニエスの連携で倒した。
が、少女にダメージを与えているのは神喰の魔術のみ。消耗はまだ浅い。
だというのに。
「……そうね、無理ではないと、私は思うわ」
ちん、と刀が収められた。
戦意が薄れる。なくなった訳ではなく、一つの拍子で、むしろ爆発するかのような勢いで増すだろう。
だが、天の使徒と撃退士の語らいの場が、此処にはあった。
例えそれが、時間稼ぎだったとしても。
それは事実。
故に。
「貴方達、殺し合いの大好きな人間が天界の導きに従えば、ね」
糧となれと、少女は真摯に言うのだ。
「争いが好きでしょう? 誰かを攻撃して、さげずんで、悪者にする。それが人よ」
未来永劫、人は殺し合い喰らい合う。
「戦争が絶えないのがその証。でも、天界に属すれば、憎悪も敵意もなくなるわ。同族で殺し合って、その肉を食べて血を飲むような事はなくなる。……それが救いで共存だと、私は思うのだけれど」
だから、ねぇ。
どうして。
「どうして拒むの。それが、平和への唯一の道だというのに」
抜き身の一刀。居合は連続して使う事は出来ないのか、交互にしか少女は使っていない。
それでも、満身創痍の朔哉を倒すには十分だった。
これで前衛はいない。
脆いとさえ言える後衛のみの構成。
刃は止まらないし、止められない。
けれど。
「拒むのは至極当然の事ですよ。私たちは自ら考え、動く事が出来ます。それがどんなに醜く、悲惨な結果を生むとしても」
銀と黒の二丁拳銃を構える石田は、むしろ前へと。
「人は争う。けれど、天使もそれは同じで確かです。ただ、守りたいものがあるだけ。それが譲れないだけ」
臆病だから、微笑むしか出来ないけれど。
前には、進む。
「想いを大切にしたい。護る為なら、私は『殺戮者』にでもなりましょう。その覚悟は既に出来ていますので」
その先にあるのが地獄でも――それは、絶対の決別の一言。
蒼の軌跡は無慈悲に石田を切り裂いた。
逆袈裟の斬撃。それは肺に達する程深い傷。
口から吐く血は、朱の氷。
石田も地に倒れた。それでも、微笑みを浮かべた間々に。
「人はまだ、発展途上だ!」
迎え撃つべく、残る三人が攻撃を放つ。矢を弾丸を、魔の雷撃を。残る気力を振り絞る。
そして何より、想いを言葉にする為。
「お前達天使みたいな膠着した世界で何が望めるんだ。俺達は、お前達を、人として越えてやる!」
「その思考こそが……私を殺そうとしたニンゲンのそれよ」
居合の一太刀。胴薙ぎの刃に晒されて、久遠は片膝を付く。
「良いわ。望み通り、全滅させてあげる」
少女は刃を翳す。
極寒の殺気。吸う息が凍えたかのような錯覚。
そして。
ごうっ、
と、火の蛇が二人の間を走り抜ける。
「……っ!?」
唐突な火に少女が建物の上まで跳躍して距離を取る。
その間に負傷者を抱えて走るのは夜鈴とカーディス。
後方で鮮血を流しながら、神凪が荒い息をついて気刃を持つ。
「天使の理想郷に付き合うつもりはない。……自分の道は自分の信念によって導き出す」
自らが放った炎の術が避けられつつも、意を察したアニエスが久遠の首元を掴み、引きずって後退する。
「撤退だよ。救出はなった!」
だからこそ、救出係だった二人がいるのだ。
これ以上の交戦は不可能。今度こそ死人が出る。
そう判断し、即座に散っていく撃退達。
けれど、与えられた傷口をなぞり、神凪は言葉を投げる。
「神凪 宗だ。貴公の名は?」
「……森野 菖蒲よ」
少女、菖蒲は落胆しようにその戦意を収め、散る撃退士達を見ていた。
まるで、元から目的は果たしていたと言わんばかりに。
「逃げて、良いわよ?」
負傷した身で、けれど『勝った』のは私だと、菖蒲は宣言していた。
だが、その中で不敵に、不遜に、黄金のアウルを湛えて神喰が菖蒲に問う。
「あぁ、それと個人的に聞きたいんだけど――君は何で、使徒になったの?」
「……昔、人に殺されかけた命を、天使に救ってもらったからよ」
燃え盛る火。
木霊す、微笑を含んだ声。
救った命と、救われた命。
凍ええた天の刃と、撃退士の会合は、かくして果たされた。
禍津の使徒、その意図は何処に?