●鬼女の森
ゆらゆらと、森の奥で青白い火が揺らめいている。
それは冷たい輝き。触れた者の命を刈り取る、鬼の火だった。
人の居なくなった夜の森は暗く、闇も深い。凍えるような鬼火は遠くからでも、ははっきりと見えていた。
あの青い火の揺れる場所で、惨劇は起きたのだ。
切り刻まれた人々。彼に罪科などあったのだろうか。
ただ普通に生きて、幸せを求めていただけの筈。
天魔に脅かされる日常だからこそ、一夜の夢を見ていた。
そんな祈りと夢を斬り捨てた冥魔の鬼女達。
そして、間に合わなかった護り手。
「……無念は、果たさないとね」
天魔への怒りと憎悪を堪えて呟くのは君田 夢野(
ja0561)。
胸の中で燃え盛る憤怒は暴発させてはならないと自分に言い聞かせる。
それはあの少年の父親を斬り殺した鬼女へと、刃に乗せて討つべく力に変えるべきものなのだから。
人が君田に望む限り、人の夢と日々を守るのだと彼は誓っている。
そして双城 燈真(
ja3216)も強い口調で呟いていた。
「絶対に倒さないと」
今まで双城が戦ってきた比較的弱い天魔ではない。だが、だから何だというのだろうか。
大事な人を目の前で殺される。そんな想い、記憶を刻まれる存在は、もう作らせない。
「外道ね」
インニェラ=F=エヌムクライル(
ja7000)の呟きは、果たして何に向けられたのか。
「斬るなら、死にたがりの集まる地域にでもいけばいいのにねぇ。それとも、そんな外道だからこその鬼女、かしら」
希望。祝福の喜び。
そういったものを憎むからこその鬼女。いや、冥魔のディアボロなのかもしれない。
一瞬だけインニェラの眼に、彼女の本質である冷徹さが宿った。瞬きと共に消え去る薄いものだったが、彼女も倒すべき敵と認識したのだろう。
惜しむのなら、人が殺される前に倒したかった。
けれど、現実は覆らないし、時は戻らないのだから。
「知った時には終わっていたものを悔やんでも仕方ないね」
その時、自分達は知らなかったし、その場に居なかったのだから何も出来ないのは当然。そんな現実を見据えて、アニエス・ブランネージュ(
ja8264)はぽつりと漏らす。
――仕方ないけれど、やりきれないよね。
後悔するのは後で良い。少なくとも、自分達には悔やむ後がある。
だから、自ら望んだ訳ではなくても先に進まなければとアニエスは思うのだ。
やるべき事をやって、これ以上悔やまない為にも。
「撃退士として任務の遂行が最優先ですが……気にはなりますね」
その鬼女達の振るった武術とは。魔女でありながらも、格闘術を行使するエリス・K・マクミラン(
ja0016)はその敵手を思う。
それは殺戮の為の術なのだろうか。
それとも、本来は護る為の武術を、冥魔が歪めてディアボロに与えたのか。
「何にしても、骨のあ奴らが相手だ。気を引き締めていこう」
思うもよいが、それに囚われないようにと向坂 玲治(
ja6214)。
「そうねぇ。全ては、倒してからよね」
そう口にしてインニェラは手を翳す。集められた魔力が魔法陣となり、その上で形を成したのは、黄昏に似た色を放つ光の球だ。
橙の光に照らされる夜の森。
「背後をとられるのはまずいからねぇ」
Del sole di Crepuscoloで光源を確保したインニェラ。
対してアニエスは夜目を発動させて、暗がりの中へと後退して狙撃銃を構える。
同様に双城もナイトビジョンを装着して横手へと回るように暗闇の中へと。「さて、流石に奴らも気づいたか」
揺れていた青い鬼火。それがぴたりと止まり、光源を灯した撃退士へと寒気を覚えるような殺意が叩きつけられる。
応える向坂はにやりと笑って、戦槌を肩に担ぐ。
「さて、鬼退治というこか」
●火と血と刃に
灯りをつければ、もう準備する暇はない。
命ある者を見つけたのだ。死体から作られたディアボロである三体の鬼女はその身を翻し、生命の輝きを奪うべく撃退士達へと疾走する。
手にした刃に灯るのは、凍えるような蒼き鬼火。
魂を羨望し渇望する、鬼の欲望。
奪われて失ったその命を求めて、鬼女は駆ける。
だが、奪われて良い命などない。鬼女の執念を断つべく、撃退士達も疾走して迎え撃つ。
先手を取ったのは、苦無を投擲した君田だ。
「まずは序奏をつけて!」
機先を制し牽制の一投となるべく放たれた苦無は、大太刀を持つ鬼女の肩口を捉える。
だが、その程度で鬼女は怯まない。
滑るように接近すると、鬼火を滾らせ大太刀を振るう鬼女。
その太刀筋は俊速。青い光が閃いたかと思えば、エリスと君田の二人が切り裂かれていた。
加え、大型の得物を振るったというのに殆ど隙というものが見当たらない。本能に赴く間々にではなく、武術を習得したものの動きだ。
「武術を操ると言うだけ合って…なかなかやりますね。ですが、私も武術では負けるわけには行きません…!」
大振りであればその隙を突くと狙っていたエリスだったが、そんなものは見受けられない。
だが、ならば抉じ開けるまでだと小さな魔法陣を掌に展開。周囲から気を集め、己の身に練り上げていくエリス。
圧縮して練り上げられ、赤く輝き始めた気は、次に繰り出す一撃は生半可なものではないと告げているかのよう。
「ふうん。格闘技の魔女、ねぇ」
同じ魔女でありながら、ある意味対極的なエリスの姿を見て興味気に呟いたインニェラ。
接近して戦う者と、距離を取って戦う者。
魔術の行使の仕方も違うのかと、薄く笑って掲げた掌の先に浮かぶのは、重なり合う無数の魔法陣。
「さて、一気にいくわよ」
放たれたのは闇色の稲妻。直進する魔の雷撃は大太刀の鬼女を貫くように捉えて、その身を灼く。
狙うのは速攻での撃破。それこそ反撃の間を与えない程に迅速に倒す。
それは共通の意見であり、故に攻めは連携と化していた。
暗がりの中から銃声が轟き、黒の雷撃で動きを止めていた鬼女の腹部を弾丸が打ち抜く。
身を潜めているアニエスの狙撃だ。闇の中、それも長距離からの不意打ちの銃撃は鬼女にとって予想外であり、隙なく構えられていた大太刀の切っ先がぐらりと迷うように落ちる。
「今です!」
出来た隙を穿つべく叫ぶエリス。
早く、早く。一秒でも早く。
抑え役の二人が耐えている間にと。
「よそ見するんじゃねェぜ。お前の相手は俺だ!」
挑発するように戦槌を振るうのは向坂だ。
相手を苛立たせるオーラを纏い、薙刀の眼前を掠めるように戦槌を振るう。完全な挑発であり、自分へと意識をひきつける為のものだ。
そのまま相手の側面へとするりと回り込んで、鬼女の視界内に味方が入らないように。
あくまで自分だけを敵として視るように。他の仲間が対象として捉えられないようにと。
故に繰り出される薙刀の一閃。
鬼火を纏う薙刀は身を旋回させる勢いと遠心力を載せて薙ぎ払われる。咄嗟にシールドを用いて受けようとするが、直撃して吹き飛ばされる向坂。同時に防具に鬼火が纏わりついて、その防御力を低下させた。
けれど、ニヤリと笑い、再び即座に接近しようとする向坂。
彼の目論見通り、薙刀使いは大太刀を相手取る三人に背を向け、向坂だけを見ていた。
「けど、流石に痛ぇな……」
剛の一打。加え、防御力を低下させる技だ。
耐えきれるだろうか。一瞬、不安が過る。
薙刀の攻撃に吹き飛ばされた向坂へと走る影。
小太刀を持った鬼女だ。元より薙刀の吹き飛ばしで陣形が崩れ、孤立したものへと追撃で刃を突き立てる算段だったのだろう。
庇うものがおらず、防御力は低下している。それは確かに集中攻撃の的になる条件は満たしている。
だからこそ、止めるのだ。
「させるか……っ…!」
ナイトビジョンを装着し、暗がりから躍り出たのは双城。
大太刀を狙っていたものの、回り込んでいる間に戦闘は始まり、一瞬出遅れてしまったが、元より双城の目的は小太刀の抑えなのだから。
「お前の相手はこっちだ!」
虚空に振るわれる打刀。生まれたのは飛燕双爆刃。
高速で振り抜かれた刃は衝撃波を作り出し、鬼女の背を切り裂く。衝突の音、衝撃は二重。一瞬で二つの飛燕が放たれたかのような多重浸透撃だ。
真空刃の不意打ちを背に受け、転身する小太刀持ち。
そして素早い動きで双城へと駆け寄る。
小太刀故にその間合いは短い。が、小太刀で双城の刀身を抑えたかと思うとそのまま滑らせて間合いに踏み込み、喉へと刺突を繰り出す。
「……っ…」
一連の動作は滑らかで、かつ早い。
踏み込まれれば首を狙われると警戒していた双城の首と肩の肉を削ぎ、飛び散った鮮血は蒼い火が吸い取って鬼女の傷を癒す。
後退しながら、呟く双城。それを追う鬼女。小太刀の間合いを維持し、双城の打刀を振るわせないつもりなのだ。
「流石に、一筋縄ではいかない、か」
再び繰り出された刺突を鍔元で受け止め、鍔競りから押し飛ばして強引に間合いを取る。
「けれど、絶対に倒すんだ」
●転刃
エリスの一声と共に、姿勢を崩した大太刀使いを屠るべく四人が攻撃へと移る。
その、直前。
刃に帯びた鬼火が燃え盛る。
それは怨念の一刀。痛みを、報復をと叫ぶかのように音を立てる鬼火の大太刀。崩れた姿勢の間々、けれど反撃の一閃が繰り出される。
己が負傷を攻撃力へと変換させる烈刺。その狙いは、鬼女を最初に傷付けた君田だ。
避ける間もなく身を貫く刃。燃え盛る冥魔の炎。たったの一撃で君田の生命力を半分以下へと落とす。
だが、此処で止まる訳にはいかないのだ。
刃の冷たさ、鬼火の生み出す激痛。それらに歯を食い縛りながら、君田はフランベルジュへと武器を持ち変え、吠え立てる。
「お前みたいに人々のささやかな夢を奪い尽くすディアボロ……俺はそういうのが一番嫌いでね。あの子の為にも、全力で撃ち退ける!」
此処で立ち止まってはいられない。全力で打ち抜き、切り裂くのだと振上げられるフランベルジュ。
纏うのは白き輝きと讃美歌の如き祝福の響き。聖なる音の刃は、冥界の魔を払う力を帯びている。
「最終楽章は聖者の歌声だ!耳を塞ぐなよ、悪魔の手先ッ!」
上段から振り抜かれた白き一閃。大太刀使いの肩口から胸部までを切り裂いて抜ける。
「畳み掛けます」
そこに追撃と重なるはエリスの拳だ。圧縮した気を黒炎と化し纏い、胸部、心臓の上へと打ち込まれる剛の拳撃。
練気法陣で集めた気は、衝突と共に爆発。
直撃を受けた鬼女の胸部はその衝撃で爆散したかのように破砕していた。
鋭い呼吸と共に、残身を整えるエリス。彼女の前で大太刀使いの鬼女は崩れ落ちる。
「まずは一匹、ね」
それを肯定するかのように、闇の中からの再びアニエスの狙撃。
双城へと刃を振るっていた小太刀使いの腹部を射抜き、動きを止める。
長距離、それも暗闇からの予測不可能な狙撃は回避する為の予測を許さない。常に警戒したとしても虚を突いて打ち出される弾丸。僅かな隙があれば、そこを射抜く射手。
そして一度着弾すれば動きが止まる程の衝撃だ。
「さて、追撃を行くわよ」
インニェラの足元に展開された魔法陣から放たれる雷撃。高速で走る稲妻を避けられず、小太刀使いがその魔力に焼かれる。
「増援、だね」
小手を小太刀で切り裂かれた双城が反撃へと転じようと打刀を振るう。が、ひらりと身を翻して避ける小太刀使い。
怒涛の連携で一体を倒せたとしても、流石に鬼女達は強敵だ。双城は首筋と利き手から血を流しており、向坂もまた腹部に深い斬撃が刻まれている。
「けど、負けるか!」
薙ぎ払われる薙刀。蒼い軌跡を残して奔るそれをシールドで受けながらも吹き飛ばされる向坂。
だが、だから何だと叫び、再び駆け寄りながら勢いを載せて戦槌を振るう。
豪快な一撃だ。武術、武道というよりは、乱雑な喧嘩殺法。だが、それ故の重さがある。打撃音には、薙刀使いの骨の砕ける乾いた音も含まれていた。
君田もミュージックセラピーで生命力を回復させる音を制御しながら、薙刀の抑えへと入る。
「さて、次はこの小太刀が相手ですが……」
再び練気法陣で気を集めるエリス。挙動に何か予兆や癖はないかと見るが、そういったものは見えない。
となれば、相手の動きに合わせるのみ。浅く息を吐き、小太刀の出方を待つ。
勝負は一瞬。
インニェラの放った雷撃を受けてもものともせず、エリスの間合いへと踏み込む小太刀使い。狙いは手首。断って攻めを止めるのだと繰り出された疾風の刃。
上がる血飛沫。エリスの小手が裂かれ、けれど、交差方で叩き込まれた蹴撃が小太刀使いの腹部0を打ち抜き、黒炎の爆音と共に後方へと吹き飛ばす。
攻める瞬間、その一瞬ならば確実に隙が出来る。
苦痛に表情を歪ませながらも、勝利を確信したエリス。
「トドメだ!」
袈裟に振るわれる双城の打刀。バックステップと共に避けられた筈の斬撃は、けれど飛燕双爆刃の発生させた衝撃波でその射程を延ばしている。
二重の爆音と衝撃。完全に動きを止めた所へ、アニエスの狙撃が再び飛ぶ。
小手断ちによる回避の低下、更に双城の斬撃の衝撃で身体の制御を失っているその瞬間。狙い撃たれた弾丸は、小太刀使いの頭部を打ち抜く。
「……もう少し我慢してくれ」
闇の中から、アニエスの声が響いた。
けれど、待つ間でもないと優勢を決した戦場では君田と向坂がその武器を振るう。
撃ち込まれる戦槌と、波打つ大剣。打ち伏せ、切り伏せる攻撃。
返しにと薙ぎ払われた一閃で吹き飛ばされ、二人ともかなりの消耗が見えているが、立ち上がりながら向坂は、やはり笑う。
「早く来ないと俺が倒しちまうぜ?」
「そうだな、決着をつけるとするか」
援護の来る気配を背に感じ、一気に攻勢へと仕掛ける二人。
余裕がある訳ではない。むしろギリギリだ。けれど、それは残る薙刀使いの鬼女も同じ事とアウルを燃焼させ、武威と化す。
初撃は向坂。傷から鮮血を散らしながら、それでも大気ごと押し叩き潰す豪快なる一撃。
肩を砕く勢いで衝突させ、片膝を付かせる。
「アンコールだ!」
再び讃美歌を響かせる君田の白き剣閃。鬼女の左腕を斬り飛ばし、炸裂する福音の響き。
それでも尽きぬ鬼女の執念。怨念を糧にぎらぎらと青白く輝く鬼火へと。
「幕引きよ」
インニェラの繰り出す魔術の雷撃が、闇を払い鬼を断つ閃光として落ちた。
夜明け近くの森に、君田の吹く横笛の音色が流れていた。
それは鎮魂の曲。死者を弔い、犠牲者に捧げる悲しい響き。
どうか、届いてくれと。寂しい祭囃子であるだろうけれどと。
アニエスもまた、弔いの為に手を合わせる。
森は応えない。ただ静かに、朝日を迎える。
ただ、もうこの森には鬼はいない。
惨劇の悪夢も、醒めるのだ。