ごうっ、と篝火が燃え始めた。
先ほどまで浮かんでいた夕日を思わせる、赤い灯火。
それは揺らめきながら勢いを増していき、紫の夕闇を駆逐していく。冬の夜の脚は速い。撃退士達は急ぎ手に取れるものを持って駆け付け、神社の篝火をつけたのだが、日が落ちるのと準備が整うのはほぼ同時だった。
「これで良いだろう」
そう口にしたのは、山崎康平(
ja0216)だ。手に装着した鉤爪の具合を確かめるように腕を動かしている。これから来るもの、打ち倒す為の武器。
「地図も照明も諦めなくてはいけなかったが、これだけあれぱ確かに照明としては十分だな」
「けれど、本当にギリギリでしたね。私達が駆け付けた時には、もう日が落ちかけていましたし」
そう語り合うのは、小田切ルビィ(
ja0841)と鮫島 玄徳(
ja4793)。
彼らが駆け付けた時にはもう太陽は地平線に触れていて、もしも照明を学園で準備しようとていたら、完全に日没の後に到着していただろう。そうなれば篝火を付けるにも手間取り、結果として蛇のサーバントを放置する時間が長くなってしまっていたかもしれない。
誘導役として今は鳥居に向かった三神 美佳(
ja1395)が、境内に住む神主に篝火の場所や、使えるものを聞いたのも迅速な準備として役に立った。出入り口などの構図も、ルビィは神主から聞く事が出来た。
「後は、サーバントをこちらに誘導出来れば‥‥」
ルビィが確認した限り、この境内に誘導出来れば逃走経路はない。後は討つだけだ。
「頼みます、皆様」
表情こそ伺えないが、鮫島の呟きは真摯なものだった。
みしみし、と。
鳥居が軋む音を聞いて、青空・アルベール(
ja0732)は背に冷たいものを感じた。
鳥居が大蛇に巻き付かれ、圧迫され、潰されていく悲鳴音。薄暗がりの中でははっきりとは分からないが、実際既に鳥居には罅や亀裂が入っているかもしれない。
「もしも、来るのが遅れて鳥居が壊れていたら、コイツはどうしていたんだ?」
天羽 流司(
ja0366)はスクロールを広げながら呟き、もしものケースを思い浮かべる。もしも、照明を用意して持参する事に拘っていたら、鳥居が壊されるだけではなく、このサーバントは街へと降りていたのでは‥‥?
そうなっていれば、境内に誘き出す作戦は崩壊するどころか、街の住民に被害が出ていただろう。
ただ、今は。
「急ぎましょう、これが動き出す前に。照明は、もう大丈夫ですから」
青い眼の頭は広げられたスクロールと自分に向けられた銃口に反応し、怒るように舌を動かしている。が、紫の目の頭は興味が無さそうに鳥居を見つめていた。どうやら、三神が予想していた性別で反応していたのではなく、単に別々の意識を持っているだけのようだ。
青は非常に凶暴で攻撃的だが、紫はそうでもない。意識を共有しているのではなくて、個別で異なる意識を持って動いている。
なら、作戦はきっと上手くいく筈。
青空は準備が整い、今から誘導すると携帯のメールで隠れて待機している二階堂 かざね(
ja0536)とアイリス・ルナクルス(
ja1078)に知らせると、ピストルを前へと向けた。
「残念だけど、それは君のものじゃないからね?」
「大人しく型に嵌ってくれよ‥‥」
二人の声が重なり、三つの弾丸がサーバントへと向かう。暗がりの中、ペンライトだけが頼りの威嚇射撃ではあったが、効果は十分だった。スクロールから放たれた光の弾は鱗を焦がして弾き飛ばし、ピストルのそれは肉を浅くだが確実に穿つ。びくっと二つの頭が揺れ、鳥居に巻き付いたいた身体が地に落ちる。
瞬間。
ぞぞぞっ、と無数の鱗同士を擦らせる不気味な音を立て、蛇が直進する。その動きは先ほどまでの緩いものではなく、俊敏そのもの。二つの意識が共通した敵と認識したのだろう。
この牙で噛み砕くのだと、青と紫の眼が爛々と暴力に燃えている。
「ひ、引きましょうっ!?」
小さな身体をびくりと震わせて、三神が叫ぶ。異論などない。青空も天羽も一目散に駆け出す。もしも追いつかれ、紫の眼の牙に噛まれた場合、動きは鈍って、もしかすると逃げ切れなくなるかもしれない。あれの毒は神経を麻痺させ、敏捷性を奪うものなのだ。
けれど、恐れる必要はない。ただ駆け抜ける。
明かりの灯る方へ。
そこに彼らの仲間はいるのだ。三人では勝てないと直感しても、八人ならと。
仲間を信じて。
怒り狂い、うねりながら双頭のサーバントは三人を追いかける。
篝火によって付いた照明など気にしない。身を傷つけられた事で元々サーバントの持つ凶暴性が刺激され、前へと駆ける三人を追いかけるのみだ。そう、もう少しで彼らへと蛇の牙が届く。
誰を狙おうかと、青い目が三人の背に喰らいつこうとした時、その身が横手からの衝撃に揺れた。
「気にくわないねっ、双頭の白蛇って! 私のマネかっ、でもツインテールの方が同じ二つでもずっと良いんだよ!」
その正体は物陰に隠れていたかざねの奇襲突撃。
突進する勢いを乗せながら、身を回転させて繰り出したトンファーの一撃が青い目の首を強かに殴りつけ、その動きを崩したのだ。
反射的に青い眼がかざねを捉え、口を開けてかざねへと襲い掛かった。片割れである紫眼は急に反対側に動いた青眼に引っ張られ、動きを止められたが、そんな事は知らぬと毒牙を繰り出す。
かざねの腕を穿ち、毒を血に注入するサーバントの牙。
そのまま顎の力で骨まで砕こうとした動きを止めたのは、最上段から振り下ろされたアイリスの大剣だった。
「白蛇は、神様として祭られることもあるそうですが‥敵‥なら‥倒して‥しまって、も‥構わ‥ない、でしょう‥‥?」
瞳を細めながら、意識を戦いのものへと切り替えようとしているアイリス。首を跳ね飛ばすつもりだった剛剣の一閃は、けれど鱗と強靭な筋肉で守られ、思うように深く切り込む事が出来なかった。
「I desert the ideal」
それは一瞬の自己催眠を促すのか、アイリスは刃を引き抜きながらら祝詞のように唱える。
「飛んで火に入る何とやら。――行くぜ、鮫島…ッ!」
それに続くのはルビィのレイピア。空を穿って滑る一刺しは、激痛で硬直したサーバントの鱗を貫く。それに並ぶ形で鮫島の打刀が逆袈裟に振り上げられ、蛇を切り裂いた。
「壁役ですからね。耐えてみせなければなりません。動き出しが遅くなって申し訳ありません、かざね様」
後方からの突撃要因と壁役が出揃い、更に横手から山崎が鉤爪でサーバントの鱗を削り取った。軽やかなステップと共に血が飛び散る。ようやく『囲まれた』と認識した紫の頭が山崎を狙って噛みつこうとしたものの、鮫島が割って入り、打刀で牙を受け止める。金属同士がぶつかるような、甲高い音が空に響き渡った。
そして誘導の為に疾走していた射撃班も、接近組が敵を止めたのだと音で知り、停止して振り返る。
そこにあったのは、炎の陰影に照らされ、仲間達に動きを止められている双頭の蛇。即座に天羽は光の弾を放った。
狙いは紫の眼。青と紫で接近組の一人へ同時攻撃が来ないようにとした作戦だ。型にはまれば、なるほど確かに強いだろう。頭は二つでも身体は一つで、しかも相手は意志の疎通が出来ていないのだから。
「こっちに来い」
天羽の呟きに続いて、三神も光の弾を生み出し、青空のピストルが閃光を放つ。援護射撃だが、注意を引くには十分な火力。
三人の射撃を受けた紫の眼は標的を射撃攻撃班へと移し、青い眼の頭は何度も斬り、穿ち、殴ってくる接近攻撃班へと対象を定める。だが一方で。
「って、あれっ!?」
再び青の蛇が狙ったのは、かざねだ。毒を受け、体力を蝕まれながらトンファーを振りかざそうとしいた所への追撃。知性や作戦ではなく、単純に弱り、血を流しているものから倒していくという動物の本能だった。
それを鮫島が庇おうとするもの、立ち位置が悪い。味方と対極線上にいようとした為、カバー出来る位置にいない。そもそも、神社側に立つ鮫島では、街側にいるかざねとアイリスを庇うのは困難だ。
そして、この布陣での最大の危険は、街側への包囲が阿修羅二人であるという事。
二度目の噛み付き、それもカオスレートで相性の悪い攻撃を受け、一瞬膝を崩すかざね。それでも戦意は失わなかった。身体の外には血を流し、中では毒が回っているが、まだ倒れない。
「このっ、私には負けられない理由があるんだっ!」
ツインテールを揺らしながら、かざねは毒が解けるまでと一度後退する。蛇が追うのを阻止する為、身の丈もある大剣をアイリスが袈裟に振い、鱗を破壊して深く肉を断ち斬る。
サーバントに阿修羅の攻撃は強烈に効くのだ。
「俺が街側をフォローする」
だからこそ、かざねを狙ったのかもしれない。そう思いながら、ルビィがするりと蛇の横を通り抜け、アイリスの横に立つ。盾役が片方にしかいない、という歪な状況はこれでなくなり、繰り出されたレイピアとダガーが、舞うような動きでサーバントの鱗に突き刺さる。
鮫島は踏み込むと同時に袈裟に太刀を振って、青い眼の注意を引こうとしていた。山崎もまた、小刻みにステップを踏みながら鉤爪を振って、文字通り相手の身を削っていく。
「ふん‥…蛇だろうがなんだろうが、暴れるなら倒すだけだ。覚悟しろ」
どの相手を狙うべきか戸惑う青の眼の頭に対して、睨みつけ、吐き捨てる山崎。ステップの方向をかざねの位置とは逆の方向に踏み続けて、サーバントの攻撃がかざねへと向かないようにしている。
一方、射撃班の方では、紫の毒牙が猛威を振るっていた。
紫の瞳の頭が持つ毒の性質は、神経毒。痺れさせて動きを鈍らせるものの為、一度受けると二度目からはより避け辛い。更に、後衛という武装の性質上、攻撃を受けるのが苦手なタイプでもある。
「ほ、本当に頑丈ですね‥‥っ‥」
青空の肩に牙を喰い込ませたサーバントに、三神が再び光の弾を放つ。これで合計何発目だろうか。こちらの攻撃を鱗で受け止めたり、逸らしているのだろうが、体中に傷がある状態で双頭の蛇は今だ衰えを見せない暴威を振う。
「もともと、蛇は生命力が強くて、神社とかでも生命の象徴とか扱われてきたんだ。解りやすいね。『神の使い』という敵だよ」
一度後ろに下がろうとした紫の頭に光を叩き込みつつ、天羽。
対して青空は、一撃を受けた事で逆に緊張が解けたのか、蛇を正面から見つめる。
「そうだね、こんな『化け物』に見つめられた女の子は怖かっただろうね」
片腕で握るピストルのトリガーを連続して絞り、マガジンに残る弾薬を一気に吐き出させながら、冷静な口調で告げる。
「神に祈ろうとして、神の使者に襲われる。そんな事、なかった事にしないといけない」
身体を痺れさせられても、止まらず、耐え続けながら三人は攻撃を続ける。
そして。
双頭の蛇が、その身体を震わせる。今まで耐えてきたが、アイリスの斬撃でその耐える意志ごと断たれたように。首を震わせ、視線を空へと向ける。下ろした時に見つけたのは、レイピアもダガーも下へと向けた、ノーガード状態のルビィ。
この機を逃すまいと、毒の牙で襲いかかる。それが誘いであるかなどという疑問、抱く知性も余裕もなかった。
「『Alber(愚者)』――これで最後だ」
瞬時にレイピアを構え、突撃に対してカウンターで突き出すルビィ。大気の抵抗ごと貫き通すような鋭い一刺は、サーバントの胴、その芯、何処かの内臓を確かに貫いた。代償として左肩を大きく毒牙で削り取られたが、まだ問題という程ではない。
深く臓腑を穿たれた青眼の頭はもがき苦しむように、地面へと頭を叩きつける。それを見逃さないのは、一旦後退していたかざねだ。彼女は、彼女なりの負けられない理由があって、消耗した身体を奮い立たせてと突撃する。
一撃に気合いを入れて。スキルもまだ覚えていない、ただの気合いと根性と、意地の一撃。
「いくぞー! ひっさーつ! かざねこぷたーアターック!」
そして、身体を回転させながら突進し、武器で殴るだけという技と呼べるかさえ怪しいもの。けれど、確かに手に持つトンファーごしに、頭を打撃した時のインパクトで何かをかち割った事を感じる。場所からして頭蓋骨。
痙攣する双頭の蛇。死に瀕したように不規則に暴れる身体。トドメを刺せる、その隙をかざねが作ったのだと確信した山崎と鮫島。けれども、ここで蛇は執念の深さを見せた。
「なっ!?」
今まで射撃班を狙っていた紫が反転、強烈な一打を見舞ったかざねへ、突如として突進する。死に瀕した為か、逃亡するならこの一点だと最も弱っている敵を狙ったのだ。
「させるか!」
「‥‥っ‥!」
反応したのはルビィとアイリス。
咄嗟にルビィは片手に持っていたダガーを投擲し、アイリスは大剣を盾のように構えて紫の眼の蛇の前へと躍り出る。
飛来したダガーは紫の眼球を掠めた為に、蛇の突撃の勢いが衰える。アイリスはその瞬間を逃さない。盾のように構えた大剣を横に握り直し、開いた口の中へと繰り出したのは横薙ぎの一閃。
噴き出る血潮。口を横に真一文字に切裂かれた蛇。
それでも、それでもと青と紫の眼がカッ、と見開かれて。
「そろそろ、消えな」
「さすがに、これ以上は辛いですからね」
それぞれの頭部へと、山崎と鮫島が獲物を振り下ろす。文字通り、息の根を止めようとした一撃。傷口を大きく抉り開く鉤爪と、一直線に頭へ刺し込まれる太刀。
一度大きく身体が震えると、双頭の蛇は、ゆっくりと瞼を落とし、動きを止めた。
戦闘が終わるのを確信すると、毒の影響か、かざねが膝をつく。それを見て、鮫島も大きく息を吐いた。街側への配置が阿修羅二人というのが拙かったが、それでも無事に倒す事が出来たという安心が強い。
実際に強敵だった。特にサーバントへの攻撃は得意でも、防御に難のある阿修羅だけで一つの前線を構築するのは辛いのだろう。
「あー‥‥うー‥…」
「おい、流石に辛いのか? なんなら、帰りに肩をかそうか?」
山崎の言葉に、かざねが答える。
「ううん、元気がないだけだよ。甘いもの、お菓子を食べれば元気になると思うよー」
甘いものは生命の源だと言い張るかざねに、山崎はぶっきらぼうに、そうかと答えた。
「そういえば山崎も、かざねを庇うような動きをしていたな」
「ああ、そういえば。となると、今の反応はいわゆるツンデ‥‥」
「お、おい、良いから終わったら帰るぞ!」
ルビィの言葉を継ごうとして青空の台詞を断ち切って、山崎が先んじて帰ろうとする。
それを見つめて、くすくすと三神が笑う。
戦いの為に起こした篝火が、冬の夜には優しい暖かさと色を漂わせていた。
その安堵が、冬の寒さよりも強く、胸に残っている。