●荒涼とした空
寂れた空を、紅い鴉が舞っていた。
まるで廃墟じみた、無機質で生物の営みの感じられない場所だった。結界の青白い光が、薄く輝いている。
此処は戦場跡。
かつては京都と呼ばれ、日本で最も古い人の都だった。
けれどそれは昔の話。今は、天使によって支配され、精神を吸い取る一つの装置となっている。
「……けれど、此処までとはね」
言葉とは裏腹に神喰 朔桜(
ja2099)の顔には余裕の笑みがあった。
感性を尊び、直感型の天才である彼女の思惑は解らない。が、言葉は誰にでも解るものだ。
「本当に、この街は天使のもので、人のものではなくなったんだ」
歩く姿はサーバントばかり。狼が、蜘蛛が、戦乱の爪痕残る地を這い回り、空では紅の鴉が監視の目を光らせている。
それを六階立てのビルから物陰に隠れながら偵察する神喰。双眼鏡で周囲を観察し、地上を行く者達への警告を光信来機で伝える。
建物の中、というのは良い目の付け所だっただろう。
が、行きはよいよい帰りは怖き。偵察を続けるのであれば、彼女は此処に留まる事になる。単独での潜入など、自殺でしかない。
そして、既にもう地上組とは距離が離れて合流出来ない。
帰りも無事かは解らない。が、笑みを浮かべつつ、神喰は仲間へと情報を伝える。
誰一人欠けぬように。それが彼女の願いだった。
そして地をいくのは四名。
置き去りにされた八名の救助者を思い、見捨てるぐらいならば死をも選ぶと決意を固めるのはアスハ=タツヒラ(
ja8432)。
冷たい雰囲気とは裏腹に、いや、だからか。氷のような鋭くも冷たい決意を纏っている。
……だが、一方として現実の選択は必要だった。
感情の有無ではない。優しい、冷たい、残酷ではない。
選ばなければいけない時はある。選択に対して時間は待ってくれない。
水無月 蒼依(
ja3389)の見捨てる事も視野に入れたものは、決して非常ではないだろう。ただ、現実の残酷さを、彼女は知っているだけの事。
――嘆く事は、後で幾らでも出来るから。
躊躇いで零す命がないように。
「ファイアレーベンが離れたみたいだね。行くよ」
そんな二人を先導するのは雨野 挫斬(
ja0919)。神喰と光通機で連絡を取り合い、周囲の状況を把握し、指示に従っている。
そして進むのは、可能な限り建物の中。確かに見張りのサーバント達はわざわざ建物の中へと入りはしないだろう。
雨野も、そして神喰の予想はほぼ当たっている。京都の結界内にいるサーバントは、外からの敵を警戒し、内側へは意識を向けていない。ならば建物の中へ居続ける意味も、そして建物の中に敵がいるかもしれないという可能性を配慮する知能もないのだ。
「……よし、行こう」
偵察の結果を聞いても、建物と建物の隙間や物陰などを三次元的に観察していたアスハも口にする。鴉や蜘蛛のサーバントが、建物の影に隠れている可能性とてあるのだ。
千葉 真一(
ja0070)も手鏡を利用して曲がり角などの死角となる周囲を警戒していたが、サーバントに影は見当たらない。
赤いマフラーが揺れる。千葉が五感での感知に優れるといっても、消耗はある。
何時、何処に敵が伏せているか。曲り角、或いは、高低差などの影に隠れているか。
それは偵察を行っている神喰にも解らないだろう。現場で、物陰にいないか確認するのは千葉達が担当するしかない。
「…………」
こくこくと頷くと、水無月は目覚まし時計を放置車両の下、燐量タンクにテープで結びつける。
これが帰りの陽動となれば良い。少なくとも、音に釣られるサーバントは出るだろう。
僅かでも、時間と余裕を稼ぐ為に。
三人は、建物から建物へと、移動していく。途中どうしても路地に出なければいけない時は、神喰の偵察の指示に従い、周囲を警戒しながら。
●下水と暗い道
攻撃は一斉に。
それこそ祈るような電光石化の連撃だった。
夏野 雪(
ja6883)の斧槍が刺突の一閃を繰り出し、叶 心理(
ja0625)がグレイウルフの喉へとアサシンダガーの刃を滑らせる。
相棒の危機に、パートナトーだったもう一匹が遠吠えを行うとした所へフランシスカ・フランクリン(
ja0163)は己が肘に全体重とアウルを集中させ、飛びかかりながら肘撃ちを繰り出す。
喉の潰れた二匹。掠れた鳴き声。
それに冷や汗を描きながらも、重傷を負った最初の一体に夏雪がトドメを刺せば、フランシスカと心理がもう一体を速やかに屠る。
「いきなり、ですか」
驚愕で激しく脈打つ鼓動の音を聞きながら、夏野は呟く。
結界外からの下水道へと侵入したのだが、いきなり二体とのグレイウルフとの遭遇戦となってしまったのだ。
「音は聞こえませんでしたわ」
「俺もだ。という事は、こいつらは此処で待ち構えていたのか?」
それはあり得ると、言葉にしながら心理は思う。
結界内部に侵入しよういうのなら、地上より下水の方が容易いだろう。よって、その周辺を重点的にサーバントに警備させるというのはあり得る話だ。
先のは相手も想定していなかった遭遇戦であり、心理とフランシスカが喉を狙って遠吠えを阻止出来たから『発見』はされずにすんだ。
けれど、紙一重。
二度、同じ事は出来ないだろう。
「……他人の命を背負う、ですか」
それは撃退士ならば日常的で当たり前の事。
けれど突きつけられた現実は、酷く重い。一つのミスで、救える筈だった命が潰える可能性があるのだ。フランシスカは力持つもの。故に使命があり責任があれど、必ず救える程の力はない。
「限界はあっても、諦めねぇぜ」
心理の言葉は、全員の代弁だったのかもしれない。
警備が厳重だと知り、即座に潜水の準備をしながら呟き続ける心理。
「1%でも可能性があるなら、絶対に最後までやってやる」
「その通りですわ」
夜目を発動させる心理に、くすりと笑って応じるフランシスカ。
まだ、始まったばかりなのだ。
「必ず、助ける」
淡々と話す夏野も、その声には決意の響きがあった。
ロープを頼りに、三人は下水を移動していく。
下水、地下の為、空から紅鴉の目を気にする必要はない。また暗闇である為、相手も視認は難しいだろう。
心理の鋭敏感覚に、音に注意するフランシスカ。遭遇戦を避けるのであれば、その二人のように音へと注意すべきだ。
そしてこちらの移動音は、流れる水のないに紛れてある程度は消えている。サーバントがこちらへ移動してくれなら、潜水して身を隠せば大丈夫だろう。
水の流れと暗闇に身を隠しながら、三人は進んでいく。
●助けと救いと
「……っ……」
息を呑むアスハの近くで、蜘蛛の足音。
建物の中を移動していたのだが、その建物の外壁に蜘蛛がへばり付いていたのだろう。
窓を叩く蜘蛛の八つ脚。まだ発見はされていないが、透過能力を使われればどうしようもないだろう。
千葉も最後の手段であるクロスファイアに手を掛ける。
迅速な撃破か、それとも息を潜めるか。
悩む時間は長く感じられた。
一瞬で撃破すれば、或いは仲間を呼ばれる前に。けれど、その物音を聞きつけたら。ファイアレーベンの目は空にあり、騒ぎは容易に見つけられるだろう。
ごくりと、水無月の喉が音を立てた。
そして……ごとごとと、音を立てて離れていく蜘蛛の足音。
「行ったか?」
念の為にしばらくの時間を置いた後に、アスハが呟いた。
「もう、少しだね。もう少しで目的のビルの筈だよ」
下手に路地を移動してれば発見されていただろう。アスファルトの、放置された車両の横で寝そべっているケルベロスを窓の下から見下ろす雨野。
後はビルの入り口へと、どのタイミングで入るか。紅の鴉がこの周辺から離れたという神喰の通信を待つだけ。
その間に雨野も自分の声を吹き込んだ目覚ましを物陰へとセットし、待機する。
そして、遠方偵察をしている神喰からの一言。
それを合図に、一気に目標のビルへと駆け込む。
ビルの中では、小さな声が響いていた。
か細く、寂しく、孤独な声。それに釣られるように、千葉と雨野が近づいていく。念の為の警戒として、アスハと水無月が周囲を警戒する中、歌声の元である会議室の扉を開けた。
そこにいたのは、一人の少女と倒れた間々の七人の人間。
意識を失わずにいた少女は唖然とした表情を浮かべたが、次の瞬間にはくしゃりと表情を歪める。
助けが来たという安心感。けれど今だある恐怖は消えず、涙を流す事を許していない。
千葉と雨野が用意していたお菓子と激励の声を投げかけるが、口に含む事すらしない。文字通り緊張の糸が途切れて、泣くような、それでいて茫然とするような表情を浮かべる間々だ。
なんとか二人が元気づけようと言葉を掛けるが、上手くはいかない。時間をかけて、少しずつショックが抜けてきているが、もう少し時間が必要だろう。
けれど、そこに近づく、足音。
サーバントに気づかれたのだろうか。それとも、下水道を通ってた来た味方だろうか。
「…………」
拳銃を手にして壁に身を付けるアスハ。その隣では魔力を氷として変性させ、術式を放つ準備をしている水無月がこくこくと頷く。
もしもサブラヒナイトだったのなら、建物の中に入ってくるのも可笑しくはない。あの大規模作戦でサーバントの指揮を執っていたものが、いないとは限らないのだから。
或いは、物音を嗅ぎつけられたのか。
不安。そして焦燥。合図を決めてなかった為に、下水班が無事に到着出来たかもわからない。
一瞬の沈黙。
そうして、現れたのは。
「すみません……遅れました」
夏野達、下水道班の三人だった。
下水を通る際に水路をいった為に行軍が遅かったのと、夏野の行ったマンホールから出る直前の生命探知で時間がかかってしまったのだ。
とはいっても、最初のマンホールから出ようとした時に使った生命探知でサーバントの反応を察知したのだ。そのまま出ていれば、不用意な遭遇戦になったか、その時点で発見されて到達出来なかっただろう。
マンホールから上へ登る際は無防備かつ隠れる事が出来ない為に、必要な事だった。
その為、安全な離脱場所を探し時間がかかってしまったのだが。
「さて、全員を救助する為に、行こうか」
心理の声を合図に、全員が一人ずつ救助者を背中に背負う。
危険では、ある。
けれど、全員を助けると心に決めているから。
「さあ、走るよ?」
雨野が、少女の手を取る。
●はらはらと儚く散る
設置した時計が鳴り響く。
雨野の録音していた声のものと、水無月が車の燃料タンクにセットされていたアラームが作動したのだ。
録音された声に、そして設置されたアラームへと知能のないサーバント達は殺到していく。それが何であるかを判断する前に、反射で攻撃を繰り出してしまうのだ。
それらを仕込んだもの達が下水道にいるとは知らずに、音に攪乱されるサーバント。そして車の燃料タンクへと牙を突き立て、金属と牙の摩擦熱とで飛び散った火花で引火。
爆発した衝撃と音、そして光は更にサーバントを引き寄せる。
地下にいたものも地上へと透過能力を使用して飛び出していく。
「さて、上手くいくかな」
一瞬で騒がしくなった地上を眺めると、手作りのテルミット弾を手に取ると、神喰は遠くへと投擲する。
アルミニウムと酸化鉄を利用した燃焼反応は爆発と閃光を伴い、更にサーバントを引き寄せる陽動となる。もっとも、これで神喰の離脱も危険になるのだが。
「さて……全員を救う為に、私もいこうか」
純粋でありながら傲岸不遜。何処か矛盾しているような笑みを浮かべて、神喰はサーバント達が騒ぎ出した地上を用いて離脱していく。
無傷での帰還は、当然のように出来ないけれど。
少しでも、それが救いとなれば、と。
そうして、本隊である七人は下水道を疾走していた。
阻霊符を使用し、咄嗟の不意打ちを防ぎながら全力で下水道を駆け抜ける。
照明として用意していたのは、千葉のペンライトだけという頼りない中、それでも速度を重視して。
地上から時折響くのは、振動音。
サーバント達が暴れ、放置車両を粉砕して爆発させているのだろう。
だが、下水道に響くのはそれだけではない。陽動に引っかからなかった他のサーバント達が下水道内を走り回っている。
「全くもって、何事も完全に上手く行くという訳ではありませんわね……!」
「けれど、此処まで来たんだ。誰一人とて見捨てられるか!」
フランシスカと千葉の言う通り。人背負っている為に移動力は低下しているが、誰一人として見捨てる訳にはいかない。
誇りがある。願いがある。祈りがある。決意があった。
故に挑んだこの場、この依頼。
「こっちだ、急げ!」
夜目と鋭敏感覚を使って先導する心理。
暗闇に強くなり、物音を聞き取れるようになるスキルは便利。
だが、はっきりと物音が聞き取れたとしても、騒がしい状況、そして全力で移動している状態では効果が薄い。
壁が崩壊した。
そう気づいた時には既に遅い。先行偵察として前に出ていた心理は、横手から体当たりを繰り出した何かに吹き飛ばされて、向かい側の壁へと叩きつけられる。陥没し、蜘蛛の巣状に広がる罅。
粉塵と共に現れたのは三つ首のサーバント、ケルベロス。
透過能力を使用しようとして阻霊符に阻まれ、暴れまわっていた化け物。
「……ぁ……」
雨野に手を引かれる少女が声を上げたのは、その姿に恐怖したからではない。
心理の背に背負われた少年の首が、先の体当たりでありえない方向へと曲がっていて……。
「……千葉さん…っ…!」
「今は、この相手を!」
驚愕と後悔の念に囚われかけたメンバーを、夏野と水無月の声が叱咤する。
場所は下水道。水の気は過ぎる程ある。水無月の生み出した巨大な水の槍がケルベロスを貫く。最初から選ぶ事は決めていた。
だから、水無月は躊躇いや後悔で動きが鈍らない。それが二人目の命は救う。
僅かに怯んでいる間に夏野がナイフで背負っていた老人を千葉へと投げ、ケルベロスの前へと踊り出ると、注意を引く為に斧槍で刺突を繰り出す。
全員を助けたかった。けれどそれが叶わい以上、夏野は殿として護り抜く。
「急いで、みんな」
救助対象を背負いながらの先行偵察は無謀だとか。
そもそも全員を救うのはこの人数では無理だったとか。
後悔は、後で幾らでも出来るから。
「何者も通しはしない! 私を見ろ!」
三つの顎で身を貫かれながら、祝福で身体を癒しつつ後退する夏野。
彼をおいて、残る六人は逃げる。ただ逃げるしかなかった。
これ以上、命を零さない為に。
「…忘れない…それが重要…」
己の未熟さ、無力さを噛みしめて水無月が呟くが、彼女の視線は前へと注がれている。
結界の終わりが見えていた。
七人の生存者を連れ、一人の遺体を抱えて、彼らは結界の外へと辿り着いたのだ。
それはとても苦くて。
背負う命が、重たかった。