●暴虐の宴
悲鳴と絶叫。
そして破砕される何か。
肉と骨の潰される鈍い音に、血が飛び散る小さな音。
響き渡る轟音は、人の命が壊れた証だった。
撃退士達がどんなに急いでも、ディアボロ達が暴れまわり、人を殺しまわっていた現実は覆らない。
「中に、人が……」
道明寺 詩愛(
ja3388)の呟き。
時間がないのではない。もう既に始まっている。これからだれだけ救えるかが問題なのだ。
救えなかった命を思うと、胸が張り裂けそうでも。
「行きましょう」
苦い思いを胸に落として、詩愛は口にする。
「殺戮の為に作られた兵器、か」
各々が武器を取り出して突入の準備をする中、御巫 黎那(
ja6230)が呟いた。
それしかないのだろう。殺す為のものしか中に詰まっていない存在。
冷淡な思考は、ならばと答えを出す。
それはようするにがらんどう。中には何も入っていない。自分の事さえ解っていないだろうディアボロスは、空っぽの存在だ。
知能がどうこうではない。心も感情も、魂と言えるようなものが一切ない。
「……話にならない存在だな。疾く、潰す事にしよう」
その言葉に頷き合い、突入の瞬間を待つ撃退士達。
そんな中で、細見の大太刀を携える唐沢 完子(
ja8347)は、その柄を強く握りしめた。
初めての実戦。ついに来たのだと待ち焦がれ、脈打つ鼓動は止まらない。
心乱れぬようにと指を柄に這わせ、握りを確かめる。瞼の裏にあるのは、憧れではなく、なりたくない姿。あの時の撃退士と自分は違うのだと、自分に言い聞かせる。
ミスは犯せない。無様な姿など晒せない。
張り詰めた完子の精神がとらえたのは、小田切ルビィ(
ja0841)の声。
「――随分とふざけたエテ公だ。準備は良いな?」
「ああ。撃退より、人の命を救うのがまずは先決だね。その為の支援は任せて」
応えたのはジネット・ブランシャール(
ja0119)。白猫を名乗る彼女は祖霊符を発動させると、銀と黒の二丁拳銃を握りしめた。
狂乱の音は途絶えてはいない。ならば、後は速やかに進み、任務を遂行するだけだ。
「突き進むぞ。あのエテ公共を、あの世に叩き込んでやる」
その小田切の声を合図に、入口へと突入する。
●救う為か、倒す為か
入口を潜り、中に突入した途端に目に入ったのは殺戮場だった。
人のパーツが転がり、叩き潰された肉と骨が四散している。
人の原型すら留めない破壊。血に汚れた壁と床は真っ赤で、少なくない数の人が既に犠牲になっているのだと告げている。
惨劇では生ぬるい。
此処はただの一方的な、殺戮の場。
それを理解した戸次 隆道(
ja0550)は歯を噛みしめ、怒りで赤く染まる思考のまま言葉を吐き出す。
「猿ども…ここがお前達の墓場と知れ!」
まずはもっとも近くにいたお前からだと、一番槍に飛び出す戸次。
激昂する感情を込めて繰り出した掌底はディアボロの腹部を打ち抜き、衝撃でそのまま後方へと吹き飛ばす。
「これ以上させるか。お前達を全て打ち倒し、全員を救ってみせる!」
出入口付近で待機したディアボロが吹き飛ばされた事によって出来た隙間を縫い、内部へと突入していく撃退士達。
救いの姿を見て、作業員たちの混乱が僅かに落ち着く。
「出入口のディアボロは僕たちが抑え、退路は確保し続けます。その間に、そこから逃げて下さい!」
作業員に向けて叫ぶ鈴代 征治(
ja1305)。この大猿に相手出来るものが現れたのだと示す為、莫大な気をナックルダスターに込め、黒き衝撃波と化して拳を繰り出す。
漆黒の打は威力を減ずる事なく飛翔し、大猿の胸部を打ち抜く。
遠当てに近いが、アウルによって繰り出された技はディアボロの動きを止めるのに十分な威力を持つ。
だが、それも一瞬。衝撃で身を止めても、痛覚は感じないのだろう。
振り上げられる大猿の槌。
狙いは、偶然近くにいた作業員。
「やれやれ……無視か。余り私を無視すると潰してしまうぞ」
御巫の呆れたような声と共に飛来したのは岩の礫。
石版が生み出された魔の石弾はディアボロの顔面を打ち据え、槌の軌道を逸らす。作業員には当たらず、地面へと炸裂する槌。爆砕の音と共に粉塵が舞うが、狙われた作業員は無事だ。
「殺戮の衝動に駆られたディアボロか。いいね、面白い」
その隙にと猿の懐の内側へと入り込むのは鐘田将太郎(
ja0114)だ。
「研究のテーマにはもってこいだ。どう動くか拝見させて貰うぜ。……動ければな!」
杭も槌も振るえない至近距離へと持ち込み、肉薄する。
自由に腕と武器を振るえないように阻害しつつ、その右足へとメタルレガースで蹴撃を放つ鐘田。
このディアボロが自らの負傷を気にしないとしても、殺戮の衝動に突き動かされている身からしてみれば、邪魔な障害物。真っ先に排除すべきだと、足りない知能でも気づく。
身を捻り、体当たりをするようにして鐘田を突き飛ばそうとする大猿。だがそれでもしつこく鐘田は付き纏って離れない。
「お前の狂気と俺の狂喜、どっちが上か勝負しようぜ」
大猿の目から、自分が攻撃の対象として絞られた事を知りつつ、不敵に笑う鐘田。
その横手から滑るように接近する闇色の影。戸次だ。
疾走の勢いと、身体を捻る柔の円運動の力を乗せ、再び戸次が大猿の胸部へと掌底を放つ。
撃ち込まれた衝撃に再び吹き飛ばされれば、背にぶつかる壁。
周囲に作業員はおらず、出入口の確保もなった。後はこのまま抑え続け、出来るのなら早急に撃破するのみだ。
最も危険な正面は鐘田が。少しでも通り抜けようとすれば戸次が阻める位置に。更には遠距離には御巫が控えている。
「今のうちに、早く出入口から脱出を!」
唸る大猿を捨て置き、残りのディアボロへと鈴代は跳躍する。
まだ逃げ惑い、ディアボロの脅威に晒されている人々がいるのだ。
大猿の前で転び、小さな悲鳴を上げる少女。
作業所という場所には似つかわしくなく不自然な存在だが、その身体の小ささと仕草、行動でディアボロの注意を引き付ければと思っての詩愛の動きだった。
囮。果たして引っかかっただろうか。
そう疑問を浮かべた直後、詩愛へと叩きつける巨大な槌。咄嗟に腕で急所である頭部を庇うが、突き抜けた衝撃は脳を揺さぶり、詩愛の身体の自由を奪う。
今の一撃、ただの人間ならば受けた腕ごと頭も粉砕されて当然な威力を持っていた。
揺らめく視界。動こうにも動けない。片膝を付き、胸に溜まっていた息を吐き出すが、朦朧した意識では治癒の術式を発動させる所か、敵の攻撃を的確に受けるのも難しい。
それでも。
「少しでも長く耐える、事が」
切れ切れの言葉。額が切れて、血がつぅと頬に流れる。
「皆が敵を倒して、逃げ遅れた人々が避難するまで、耐えるのが私の役目ですから」
黒の大猿に対して、正面に立つ詩愛。
そんな少女の姿を見て駆け寄ろうとする作業員に静止の声を掛け、敵であるディアボロを見据える。
「良いから逃げて下さい! 此処は、私が食い止めます!」
生命の守り手として、叫ぶ詩愛。
無防備な相手だと、再び叩き落される槌。
肉が打たれ骨が軋む打撃音。それでなお耐える詩愛を援護すべく、全力跳躍で駆けつけた鈴代が最後の封砲を放つ。
背後から脚を狙った漆黒の打撃。尾を引く輝きは翼のようでありながら、その威力は確かだ。
打撃に耐えられずにディアボロの肉が爆ぜ、血が舞う。
それでも大猿は詩愛から意識を切り替えない。
殺戮と暴力に酔い、槌の左腕を叩きつけ続ける。
迫る大杭。右腕と一体化した異形の武器が、挑発した小田切へ迫り、守りの隙間を貫いて脇腹を削り取る。
貫通を警戒して直線には並ばず、側面を取るように心がけているが、杭による攻撃を絶対に受けられるという保証はなかった。
小田切の顔が歪むが、それは痛みによるものではない。
「……道明寺が拙いか……っ…」
内部突入のもう片方の班の囮役の詩愛。本来なら鈴代と共にだった筈だが、彼は入口の大猿に一発を繰り出し、更にスキルによる移動で二手消費して遅れた状態。
その間に大猿のターゲットは詩愛に固定されてしまっていた。
朦朧とした意識では治癒の術を紡げない。加え、続けられる槌の乱撃。
「アンタに構っている暇はないの!」
一般人を助けるのは大事。だが、危機に陥った仲間を放っておけない。完子が取った攻勢は、特攻に近かった。
蛍丸を構え、正面から高速の刺突。ともすればカウンターを受けかねない危うい攻撃だが、完子は己の危険より、味方の安全を。
大振りな腕に髪の毛を数本持っていかれながらも、絶対に貫くと意思を込めた白刃は大猿の腹部へと吸い込まれるように突き刺さった。
腹部を刺して抉り、内臓を裂く激痛で相手の動きを止める完子。
そこに追撃を繰り出すのは、ジネットの銀と黒の二丁拳銃。
「本当に守りは疎かだね」
猫のようにしなやかな足取り背後へりと回り込み、アウルで鋭利さを増した銃撃を繰り出す。
狙いは全て頭部。二つの銃口から吐き出された弾丸は、頬の肉と耳を吹き飛ばし、左目を破損させる。
「けれど、これでもまだ動くだけじゃなくて、戦おうとするんだね」
完子の痛打で守りが手薄にはなった。だが、元から自衛本能がない身には効果が薄く、頑強な身体には弾丸だけでは致命傷に至らない。
「ま、トドメは任せたよ。これで左は見えない筈だから」
ジネットは後ろへと飛び退きながら告げる。支援は果たしたのだと。元から狙撃の観測手だった彼女。火力は低くとも好機を読む事、作る事には人一倍長けている。
故に応えるべく、小田切が漆黒の大鎌を構えて視界の潰えた側面へと走る。
その姿を、左の視界の潰れた大猿は捉えられない。標的が消えた事に驚き、動きが硬直している。
「エテ公一匹に時間は掛けられ無ぇ。一気にキメるぜ…!」
この世にあらざる異形。狂った殺戮の化け物。そんなものに負ける己ではないとの自負を込め、小田切は大鎌を振り抜いた。
封砲。刃は空を切れど、獲物に込められた武威が黒の飛翔刃として放たれる。大鎌としての真価を発揮するように、命を刈り取る穂先として黒猿の首へと届く。肉を裂いて骨を両断して、突き抜ける斬撃。
大猿の首が飛ぶ。ただ殺戮の衝動に付き動かれたディアボロが、まず一体。
ほぼ同時。
右へと跳躍し、大槌を振り翳し鐘田へと叩きつける出入口の大猿。回避を狙ったつもののタイミングが合わず、側頭部へと叩きつけられた。
爆薬が炸裂したかのような衝撃。意識を失いかけて片膝を付く。鐘田が正面を担当する以上、何時かは来る可能性のあった出来事。
フォローを戸次が動こうとする。が。
「決めろ!」
朦朧とする意識。だが、今の一撃で殺戮の喜び、破壊する愉悦を思い出したディアボロは明らかに隙を晒している。
今がチャンスなのだと。
「我々は危険なしに、危険へと打ち勝つことは決してないだろう」
それはラテン語の格言だったか。諳んじるように呟き、前へと躍り出る御巫。手にした石版へと魔力が注がれ、石の礫を繰り出す準備は出来ている。
そのまますれ違うように大猿の側面へと出れば、膝を狙って繰り出される石弾。側面から膝の関節を叩き潰すような一撃に、痛みでは怯まなかったディアボロが崩れ落ちる。生物としての本能はなくとも、構造としての限界はあるのだ。
「決め時ですね!」
仲間のフォローを得て、戸次の赤い瞳に静寂が宿る。
この機会、この一瞬、逃してはならない。繰り出された動きは静かで無駄が一切見受けられない。外的要素を取り除く程の集中力と、鍛え続けて来た身体操作による技は、驚異的な冴えを見せた。
神速果断。時が止まったかのような錯覚を覚える程に鋭い一撃。
鍛錬の果てに得た技量の前には、ただ暴力を振るうだけのディアボロスは対応できない。打撃をいなす事も出来ず、拳で頭部を爆砕される大猿。
「急いで。出入口のディアボロは倒れたからもう安全よ!」
半ばパニックを起こしかけていた作業員たちにも、確かにジネットの声は届いていた。
我先にという恐慌は防げなかったものの、確保された出入口へと殺到していく作業員。
残るは、耐え続けた詩愛と、一匹の大猿。
詩愛へと狂ったように槌を振り翳す大猿の足元へと、ジネットが連続した速射を打ち出す。弾丸を避けるという思考はなくとも、足元で何かが弾けたと意識が逸れた瞬間。
「それ以上、させません!」
大猿へと張り付き、動きを止めようとしていた鈴代が詩愛との間に割って入る。
邪魔だと繰り出された杭をなんとか盾で受け止め、その間にと小田切が詩愛を後方へと引っ張り上げ、連れ出す。
「待たせたな。大丈夫か?」
「な、なんとか……」
頬を打たれ、意識を取り戻す詩愛。守り手であるアストラルヴァンガードである彼女でギリギリ耐えられる負傷。ヒールを発動させ、傷を癒していく。
リボンが自分の流した血で染まっている。けれど、と。
「でも……他の、普通の人の血を浴びなくて良かった」
予想以上の負傷と治癒の術の使用不可能は彼女の生命力を削っていたが、それ故に一人の犠牲者も出さずにすんでいた。
「俺としては、仲間が傷つけられて良いって事はないがな!」
再び空奔る、小田切の黒き斬気の刃。
胸部を裂いて血を噴出させるその威力は決して低くない。同じ技を鈴代も放っており、目に見えて消耗している。
後、一押し。だが、近づこうとすれば両腕を振るい、威嚇するディアボロ。
そう思った所へ、飛来したのは御巫の魔の投石。
「『招かれないのに来た客は、帰るときにいちばん歓迎される』。天魔の場合、消える時ほど喜ばれる事はないだろうね」
再び諳んじられる格言。が、それを聞き届けるより早く駆け抜ける少女が一人。
蛍丸を下段に構え、疾走するのは完子。爆発しかける感情とアウルを体内で燃焼させ、爆発的な速度を産み出す。
迎撃に繰り出された杭に肩に肉を持って行かれるが、気にしない。
彼女は初陣となるこの戦いで何を思ったのだろうか。
なりたくないものではなく、なりたいものは見えただろうか。
ただ、一瞬の隙を見逃さず、一陣の風と化して刃を切り上げた。
大猿の首へと走る朱線。半ばまで切断した切っ先が翻ると、黒き大猿は大きな音を立て、その身を横たえる。
熱い息を一つ。
どれだけの人を、自分達は救えただろうか?
自らの傷をある程度治癒させると、詩愛はその場で黙祷を捧げる。
撃退士はその性質上、後手に回る。何時も遅い。未来は見えないのだから仕方ない。
そう言い切れず、胸の中でごめんなさいと言葉を重ねる詩愛。
血と、破壊の後の残る場。
「…この借りはいつか返すぜ 悪魔さんよ」
今は無理でも、決して許さない。
倒すと決め、守ると誓い、小田切は静かに怒りを燃やす。
命の尊さを知るものの、怒りだった。
眼球に刻み込むように、小田切はこの殺戮現場を見つめている。