全ては来ては失せる波のよう。
幾つもの想いを連ねて漣に。けれど、それが夢のように崩れてなくならい為に。
叶えたいのは何。結末は何処に求める。
それぞれの願いを胸に、彼ら彼女らは動き出す。
願わくばと、誰も傷つかない結末を望んで。
皆がバラバラに足掻いたって、出口は見つからないんだよ。
そう胸の中で呟くのは桐原 雅(
ja1822)。
人が一人で出来る事には限りがある。それを知っていた。だから、一度この事件を解決したい全員で集まり、『不幸の噂』と向き合う必要があるのだと。
その為の事前会議の場。筑城 菫、日田 柊一と宮野 巳緒も集っている。だが、その中で難色を示す人もいた。
被害者である筈の宮野だ。後輩を疑う、という事は彼女にとってあってはならない事だったのかもしれない。
自分を慕ってくれていた後輩たちへの裏切りになるのでは。信頼への背信だと感じしまう辺り、ある意味で情の深い彼女。後輩を疑う捜査に対して協力を頼む、という事だけは難しかった。
だからとまずは彼女を会議に耳を傾けさせる説得する事から始めなければならない。
「貴女には面白くない話だと思います。申し訳ありません」
「……ん」
まず口を開いたのは 鈴代 征治(
ja1305)。面識のある鈴代の前置きに、僅かに眉を潜めて応じる宮野。
「確かに、これだけの人数の前に引っ張り出されたら、面白くないわね。それも後輩を疑っている人達に呼び出されたら、さ」
棘を含んだ抗議の言葉。けれど、そこにはもしかしたら、とい葛藤もあった。宮野自身、揺れているのだろう。
そこへ繋げたのは、佐藤 としお(
ja2489)の謝罪の言葉だ。
「……ですね。部活の仲間を、後輩を疑う事に巻き込んでしまって申し訳ありません」
言葉の上だけの謝罪ではない佐藤の声に、宮野は口を噤んだ。
真摯な声。相手にも事情があり、この宮野という少女は、今だに後輩を信じていると判断した上でのものだった。
他人の考えを否定しているだけでは、何も進まない。
「協力をお願いするにあたって、一つ、こちらから約束させて欲しい事があります」
僅かな場の静寂を突いて、伊那 璃音(
ja0686)が切り出した。
テーブルの上を滑らせたのは、一枚の写真。かつて夕暮れの音楽室で取られた、水泳部の一年生がピアノを傷つけようとしているものだ。
「この一件の決着がついたら、データを含めて全て削除します。いえ、宮野先輩自身の手で消して貰っても良いので……お願いします」
願いだした声は柔らかで、けれど切実な響きを伴っている。
何が誰にとって良い事なのか伊那には解らない。けれど、放っておくなんて彼女には出来なかった。
「彼女達と、話をさせて下さい」
決してこの写真は断罪の為じゃない。
深く広まった不安はある。けれど、このままではいけない。
変わる為に。変える為に。一歩足を踏み出す。それはまず言葉を交わす事だと、伊那は信じるから。
「そう、ね」
折れたように。そこから我慢していた不安や恐怖が零れるように、宮野は吐息をついた。
「私に出来る事ならするわ。それが、解決の為になるなら」
こうして、一つ、架け橋が出来る。
宮野自身被害にあっているのだから、不安ではあるのだろう。
何処か疲れたような、物悲しそうな表情を浮かべていた。
●明日への方向
そうして、話はこの『不幸の噂』を終わらせる為のモノへと変わる。
本来なら最初の被害者であり、依頼主という形となる筑城の意に沿う形になるべきなのだろう。
誰かの罪を暴くのではなく、事を荒げずに収める。それが筑城という少女の望みだったが。
「出来る限り筑城を尊重したいが、今回も含めてなかった事にするのは事が大きすぎる」
そう切り出したのは佐倉 葵(
ja7804)。筑城の望みに反し、別の方向性で行こうと彼は口にした。
それが会議の最初の議題。
二人が大きな怪我を負った以上、もうこれは有耶無耶に出来るような事ではない。
「こうなっては欲しくなかったんだけれどね」
此処に集まっている人達全員での共通の想いだろうと、浅間・咲耶(
ja0247)は呟いた。
それこそ流れて消えゆく。それだけで、よかったのに。
それでも現実は容赦なかった。知らぬうちに闇は絡め捕るように蠢いて、大きくなっていっていた。
「悲しいし、辛い事だけれど、もう起きてしまって、筑城さんだけの問題じゃなくなっているんだ」
おっとりとしながらも、悲しみの感情を隠さずに口にするcicero・catfield(
ja6953)。
ちらりと視線を泳がせた先には、椅子に座った日田と宮野の姿もある。今まで被害者は筑城一人で、彼女さえ守れば良かったのだが、今はもう違う。
二人が怪我をした事。それによって悲しむ人が出た事。
思う事はあっても、望む結末の為に浅間は言葉を作っていく。
「あのね、筑城さん。ボクは犯人がいるなら、それを明らかにしないといけないと思うんだ。それは学校とかで公表しようって意味じゃないよ」
そうしなければ、別の呪いに囚われると浅間は思うから。
後悔という名の、重い鎖に。
きっと、ただなかった事にする訳には、いかないのだ。
沈黙して耳を傾ける筑城へ、道明寺 詩愛(
ja3388)が言葉を重ねるように続ける。
「私は、筑城さん達に、この事件の『真実』と分かり合って欲しいんです」
それが詩愛の願い。口にした後、深呼吸をして、筑城へと投げかけた。
「筑城さんは本当に強いですよね。孤独は辛いからそれを『誰か』に味わってくないと思える…でも、日田くんはそんな貴方にも孤独でいてほしくないんです」
犯人とは言わない。誰かと言う詩愛。
「誰も傷ついて欲しくない。孤独という影に縛られて欲しくない。……それが筑城さんの理想で夢、なのかもしれませんね」
「……ええ」
「でも、実際、筑城さんは一人ぼっちにはなりませんでした。日田くんという存在がいて、支えてくれて、彼がきっかけでみんなで集まって、こうして支えている」
最初は本当に小さな事だったのだろうけれど。
「誰も、本当に一人ぼっちになんてなりません。私の勝手な思い込みかもしりませんが、『誰か』に影が付き纏っても、それを払ってくれる人がいると思います」
そして、言葉の外。瞳の奥で、自分たちがどう転んでも支える。『誰か』を闇に突き落とす事はないのだと、視線を持って伝える詩愛。
「やった側は、すぐ忘れるって言うんですけれど……そうじゃないなら、もうそんな事はしなくて良いんですよね。断罪だとか、贖いだとか、人が傷つけあうような事は」
伊那もまた、彼女なりの思いを言葉にして、筑城の説得をしていた。
「必要なのは、お互いに許しあえる場を作る事で」
「それを、認め合う事、じゃないでしょうか?」
伊那の言葉に、頷くように詩愛。
本当はとても単純な事。拗れて、絡まって、難しくなっているけれど、本当は話し合って許しあえば、解決出来た筈。
「そう、ね。黙っていて、蹲った間々じゃ、何も変わらない、ものね」
ぽつりと、零れる筑城の声。
「その誰かと……『犯人』と、話し合わなければ、いけないわよね。許す、為にも。終わらせる為にも」
誰かがやっていたと、筑城は此処で初めて認めた。
全ては不幸の呪いだと、無言で肯定して悪意ある人を隠していた彼女が。
「さて、日田先輩。今聞いた通りですけれど、筑城先輩は許す事を望んでいて……断罪する事は、望んでいません」
桐原は淡々と、けれど凛々しく語ると、青味がかった瞳を滑らせる。
思いに、一瞬だけ浸るように。
「筑城先輩の為に頑張ってたんだよね。でも、それで怪我をしたら筑城先輩は悲しむんだよ。何かしたい気持ちは分かるけれど、ボク達を呼ぶ位に、筑城先輩は日田先輩を心配している。なら……」
「ああ……怪我は、しないようにする。危険な事は、しないよ」
桐原の言葉が終わらないうちに、日田が頷いた。
これで、宮野、筑城、日田を説得して、三人とも調査に協力してくれる事になるだろう。歩調を合わせて、一つの方向へ。
「犯人側も、謝罪の場っていう精神的な区切りがなければ、終わりがつかないだろうしな」
「やった事は戻りませんけれど、悔いる気持ちがあるなら。水に流して、新しく踏み出した方が良いでしょうしね。お互いに」
葵の言葉に鈴代も同意を示す。
誰かを助けたい、救いたいという気持ちは痛いほどに鈴代にはわかる。
だからこそ、今回で絶対に終わらせたい。解決への入り口へと踏み込みたいのだ。
「途中からだけれど、可愛い女の子が二人も傷ついているんだ。首突っ込ませて貰うぜ」
自分の携帯の番号を渡しながら、葵が彼なりの動機を語る。
「だったら、この中の女性が誰か一人でも傷ついたら、佐倉さんは駆けつけてくれるって事ですよね?」
固くなった場をほぐすような佐藤の言葉。それに葵は軽く陽気な笑顔で応じる。
「当たり前だろ。何かあれば、すぐに駆けつけるぜ。野郎は勘弁、だけれどな」
真面目なのか、それとも葵なりの冗談なのか。それでも確かに漏れたくすりという笑みを聞き届けて、それぞれが調査を開始しようとする。
そうして分かれる直前に。
筑城が詩愛に語りかけた。
「メールは有難うね。助けに応じてくれて、ありがとう」
「いえいえ。友達でしょう? 力になれる事があったら、言って下さいね」
言葉に明るさが戻ったのは、救いと終わりが見えた為、なのかもしれない。
●自分のいる場所
もしも水泳部の後輩たちが事件の関与を否定したら?
更に、もしも場を整えて呼んだのに、違う人間が本当の犯人だったら?
それだけは避けなければならない。だからこそ、万が一の為に葵は事件の調査を担当していた。
「可愛い子もいるんだがねぇ」
宮野から預かった水泳部の集合写真を見ながら呟く。
二つの事件。その情報、物証を集めているのだが、核心に触れる事は出来ない。何しろ現行犯ではなく、その後に残ったものを集めている状態なのだから。
「それでも、何もしないよりはマシか」
そう言いながら向かったのは、日田へと窓硝子が落下した教室。
目撃証言は得られなかったが、代わりに借りた集合写真を見せる事で得られた情報がある。
「この子、うちのクラスメイトですけれど……何か、ありましたか?」
放課後に教室で残って談笑をしていた学生が問い返す。
どうやらこのクラスに水泳部の後輩の一人がいる。ただの偶然ではないだろう。更に踏み込む葵。
「いや、何もないんだけれどさ。最近、この子の周辺で変わった事とかなかったか?」
「んー……この間まで、よく最後まで教室に乗っていましたけれど。部活は、と聞いたら任された事があるからって。それぐらい、でしょうか」
「ふーん」
葵は他も調べていたが、窓落下の事件は此処だけだった。けれど、自分の教室で、少しずつ細工をしていっていたのならどうだろう。
窓はそう簡単に外れるようには設置されていない。けれど、少しずつ時間をかけ、調整して外れるよう細工をしていったのなら話は別だ。自分の教室なら、細工の為に居残っていても怪しまれる事はないだろう。
確実な証拠は、やはりない。
それでも状況としては、限りなく黒に近い。
「さて、どうするか」
女の子達が傷つかない為に、どう動くか。
守る為に。出来るなら、笑顔での事件の解決を目指したいと葵とて思う。
ほぼ黒となった情報をファイルに纏め上げながら、葵は夕暮れの廊下を歩いていく。
「止まれるように、してやらねぇとな」
したくて、こんな事をしている訳じゃないだろう。
「さて、この辺りに人はいませんね」
生命探知を使い、人の気配を探していた詩愛が口にする。
場所は屋上。聞き耳を立てている存在はいない、安全を確保しているとアピールして、この場にいる残りの二人に視線を向ける。
一人は仲間である浅間。もう一人は、先日の写真に捉えられた少女だ。
この三人だけがいる屋上に、風が吹き抜けていく。
水泳部の先輩後輩という関係に呼び出された、写真の少女。ある程度事態を理解しているのか、青ざめた顔で唇を強く噛みしめていた。
不安と恐怖。それがありありと浮かんでいる。
だから浅間は、安心させる為に言葉を作った。
「別に、糾弾しようとか、そういうつもりで呼んだんじゃないよ。人がいないのを確認したのも、『誰か』に見られて、君が危なくなったりしないように、と思ったからだよ」
あくまで穏やかな口調で。浅間は責め立てる気など一切ないのだから。
事を荒げたくない。全てはその一心で。
筑城のピアノを聞きたいという心に嘘はなく、また聞きたいと思っている。言葉に出来ない感情を乗せたそれを。少なくとも、梅を見に行ったときの彼女は、それを否定はしなかった。
それは、肯定だったのかもしれないと、今は思うから。
「そうだね、否定とか、傷つけるとかじゃなくて……ボク達は聞きたいんだ。どうしてこんな事をしたのかって」
「…………」
誤魔化すような言葉はなかった。
先に宮野に釘を刺されていたのかもしれない。
寒空の下に放り出されたように、ふるふると震える、写真の少女。何か喋ろうとして、けれど言葉にならずにいる。
安心させなければ、と、詩愛は思った。
誰も傷つかない結末。ただ無言を貫くだけでも、彼女は罪の意識で潰れてしまう。そんな気がしたから。
「本当は、筑城さんも呼ぶ予定だったんですよ」
「……え?」
文字通り、虚を突かれたような、少女の反応。
「もちろん、責め立てるとかそういう意味じゃなくて……それだったら、学校に『この問題』は出して、提出して、それで終わりです。けれど、筑城さんはそういうのを望みませんでした」
続ける詩愛。最初から否定をせず、誰かが傷つくぐらいならという姿勢を貫いた筑城の事を思いつつ。
「筑城さんが来なかったのは、『自分がいたら、言えない事もあるだろう』……って、また音楽室にいるんですよ。私たちを信じてくれて。絶対、自分の力になってくれる人は、誰かを傷つけて終わらせはしないって」
それは信頼だったのだろう。
独りである事を良しとした筈の、少女の。
「ねぇ、ボクは思うんだ。やっぱり、全てを話して欲しいって。言いたくない事、言い難い事はたくさんあると思う。……けれど、逃げてもこれ以上は辛いだけだ。何よりも君たちが」
もう解っているよねと、穏やかな顔で告げる浅間。
「こんな今は、誰も望んでいなかった筈なんだ。けれど、まだやり直せるよ。だからお願い。望む明日の為に、ボク達に話をして。……悪いようには絶対にしないから」
信じている。筑城も宮野も、この少女の事も。
傍から見て理想主義だとか夢を見ていると言われたとしても、信じたいから。
「憤りは、あるよ。でも、ボクは何より、笑っている明日が、欲しいから」
「筑城さんも、いえ、宮野さんも……許してくれます。誰も罰せられる人が欲しいんじゃなくて、友達が欲しいんです」
震える少女に、続けていく浅間と詩愛。追い詰めないように、刺激しないように。
「だから、友達になれませんか? それが、私たちの望むこの『不幸』の終わりです。最後には多くの友達と、花見に出かけられるような」
二人の声は優しくて、それこそ陰湿な暗い感情に揺らされていた少女は、崩れるように膝をついた。今まで我慢していた恐怖が噴き出て、後悔が溶かれたように。
そういう優しさ、明るい感情と、この少女は久しぶりに出会えたのかもしれない。
今まで彼女を縛っていたものが、壊れた瞬間。
「ご……めんなさい……っ…」
掠れた声を、絞り出す少女。涙と、嗚咽を混じらせて、それでも必死に謝罪を述べるように、言葉を作っていく。
許されたくて。赦されたくて。
安心出来る場所が、欲しくて。
「宮野先輩は……憧れの、人で……っ……。あの人が、失敗の原因になるとか笑われたくなくて……!」
憧れが、最初の動機。暴走が始めの動き。
でも、詩愛が指摘するまでもなく、彼女は目的と手段が入れ替わっているのに気づいていた。
「……でも、やり始めてていたら戻れなく、なって……いました。私たちが……『不幸』を、作っていただなんて……知られたら、絶対に、もう部活にも学校にも、いられなくなるから……っ…」
だから、自分達を守る為に憧れである宮野さえも階段から突き落とした。
そんな事をして、救われる筈もないのに。
闇は深くなるだけと、きっと解っていただろうに。
「ごめん……なさい……」
膝をついて、謝罪を述べ続ける少女。
けれど、その声が出たときから既に、彼女が許されるのは決まったのかもしれない。
初夏の風が、優しく三人を包んで、走り抜けていく。
鳴き声と涙は、少女の気が済むまで続けられた。
少しの安堵と、希望のようなものを感じながら。
●行くべき場所
写真に撮られた少女の話は、携帯のメールを伝って全員へと送られていた。
曰く、リーダー格の存在はおらず、みんなで始めた為に暴走して、収集のつかなくなってしまった集団なのだと。
勿論、それに付き合えなくなる子達もいた。
退部してまで、関わりから抜け出そうとした少女達も。
その一人一人へと、ciceroと桐原は声をかけようとしていた。
例え部を抜けたとしても、罪悪感は消えないだろう。なら、終わらせる為の場には、一人も欠けてはいけないと思うから。
後悔に縛られる必要はない筈だから。そのままの人が一人でもいれば、本当の意味で終わったにはならない。
「こんにちは、ちょっと良いかな」
桐原が警戒されないよう、同性である自分から会話を切り出していく。
何処に誰がいる、どういう人だ、というのは先輩である宮野から聞いていた。
が、ある意味追い詰められて退部した少女は、それだけでびくりと身を震わせた。
知らない人間。それが、どうしてと。恐怖に染まった心では、ネガテイブな想像ばかりが膨れ上がるのだろう。
Ciceroは不信感や不安感を与えないようにと考えていたが、具体的にどうすればいいのか解らず、困ったように笑みを浮かべる。
知らない相手でこの反応なら、と。
「俺たちは、宮野先輩の紹介で来た」
おっとりとしたCiceroの声。
知り合いの名前が出て、退部した少女の動揺が少し収まった。
意図した訳ではなかっただろうが、それを見て続けるCicero。
「うん、出来れば落ち付いて聞いて欲しい。悪い話じゃないから」
そう、自分達は話が出来る場所を作る為に来たのだ。
少しの迷いの後、けれど桐原ははっきりと言葉にしていく。
「ボク達は、筑城先輩の頼みで来たんだ。それに日田先輩に、先に言った宮野先輩かららもね」
明確に言葉にしていく桐原。
その口調に害意らしきものは全く感じ取れない。桐原は誠意を持って話に臨もうとしている。
同時に、真実に向き合うという覚悟も抱いて。
「筑城先輩が誰で、何をした人、というのは言わなくても解るよね。そんな筑城先輩からのお願いはね、『誰もこれ以上傷つく事なく終わらせて欲しい』……って事なんだ」
それこそ真っ直ぐに言葉を作っていく桐原。
感情の誤魔化しや言葉をはぐらかすよりも、直線的に思いを伝えようと。それも、一つの誠意の形だ。
「それが筑城先輩の気持ち。誰も傷つかない、この学校で居場所を失う事がないように。……うん、それを言ったら、今のキミには悪いかもしれないね。でも、手遅れになる前に、許す事で終わらせる場を作りたいんだ」
感情表現は乏しくとも、真摯な想いは伝わる。方法、表現の上手い下手ではなく、真剣に相手に向かう事が、気持ちを伝える事への一番大切な事なのだから。
けれど。
「……何の、事でしょうか」
視線を逸らして応じる少女。
これ以上は関わりたくない。関与したくない。抜けてきたのだから、もうそれで終わりにしたいとその強張った横顔が語っている。
だけれど、引けないのはこちらも同じ。
「……お願い。公にしようか、そういうのじゃないんだ」
頭を下げ、願い出る桐原。
それは一方的に告発出来る側がする行動しては、ありえないものだっただろう。
だから、こそ、目を大きく開いて驚く少女。
「謝罪の場を作って、話し合って、許しをもって、この全てを終わらせたいんだ。虚力して欲しい」
桐原の言葉にたじろぐ。誤魔化そうにも桐原という少女は真っ直ぐで、そこに嘘があるとは思えない。それこそ、退部しても抜け出せなかった暗がりが、終わる気さえ感じさせて。
「同意を得られたら、それだけで良い。ただ、一人でも『不幸の噂』に囚われた間々の人が出ないように、他の退部した人達に連絡を取ってもらえるか」
一人でも漏れが出ないようにとcicero。
周囲への警戒も気がけているが、これといった視線も感じない。
「本当に、ね」
下げた頭を戻しながら、呟く桐原。
「望む未来の為に、『不幸の噂』は、完全になくさないといけないとそう思うんだ」
そうしないと、本当の意味では救われない。
そう信じる桐原の瞳は、何処まで澄んでいた。
嘘偽りのない、清き感情だけが浮かんでいる。
そうやって、退部した少女達にも伝えられる、終わりの場の話。
不幸の噂、呪いの連鎖。
それを解く為の場が、開かれる。
●悪意あった物語
「すみません」
「君は、さ。謝ってばかりだね」
水泳部の部室はさすがに男子を招く場所として不適切だった為、公園へと案内されているのは鈴代と佐藤だ。
「それでも、宮野さんには良い思いをさせてないでしょう」
「それは勿論」
すっぱりと切り捨てるように言い放つ宮野だが、続く言葉は違っている。
「謝らせるとも、約束したでしょう。謝ってすむような問題ではないけれど、それで終わらせてくれるのなら……」
協力は惜しまない。言葉にこそしなかったが、宮野の思いがそうである事に間違いはないだろう。
「謝れって言われても、お互いに思いとか考えがあってだから、『はい、そうですか』にはいかないよね」
そう口にする佐藤だが、そう持っていく為の準備や心構えは用意しているつもりだ。
温厚な性格の佐藤。ただ、自分の外見が威圧感を与えないかと、伊達眼鏡を一度かけなおす。
「さて、征治君。行きますか。ゆっくりでいいから、お互いを理解していく為に」
「ええ。後輩さん達を悪意から救う為にも、いきましょう。そして宮野さん、見届けて下さい」
宮野が見届けて、認めて、終わらせてくれない限り終わらないと思うから。
佐藤と鈴代。この二人の少年は外見は全く違えど、その心の在り方はよく似ている。
誰かを救いたい。一人でも助けたい。守りたい。
少年なら持つであろう、その思い、願いの特に強い二人が、前へと踏み出す。
終わりは、もうすぐそこだと自分に言い聞かせて。
鼓動が、胸の中で煩く響いている。
糾弾でも断罪でもなく、此処に来たという自負が鈴代にあった。
けれど、それは受け入れられるだろうか。
拒絶される可能性は。
わかって欲しい、ただそれだけの事が、どれだけ難しくて、この一件を複雑にしただろう。
緊張で喉が渇く、それでもと、唇を動かして、言葉を紡いだ。
「自分のちょっとした気分でやった事が、もしかしたら相手を傷つけているかもしれないと思った事はありますか? ……僕はあります。今も、そう思っています」
もしかすれば、今言っている言葉自体が、ここに集まった人たちを傷つけているかもしれないと、そんな不安がないと言えば嘘になってしまう。
「後で気が付いて謝って、傷ついて傷つけられて、その繰り返し。今もそうじゃなかいと思うと、やりきれなくなります」
それが、鈴代の、最初のセリフだった。
最も深くこの件にかかわった鈴代の心情を表すもの。それを受けて、集められた少女の一人が、声を上げる。
「……それで、私たちに何をして欲しいんですか?」
怯えと怒りを混ぜたような、複雑な声色。
けれど怯む事は出来ない。首を振って、鈴代は続ける。
「もう終わりにしたいんです。筑城さんもそう思っています。公にして暴いて、みなさんの居場所を亡くすんじゃなくて、許しあって全てを終わりにさせたいと」
「それを、どう信じればいいんですか?」
追い詰められた少女達。他者を信じる事が難しくて、糾弾と暴露が怖く、目的と手段まで入れ替わっている。
息を吸い込んで、佐藤が口を開いた。
「少なくとも、宮野さんは許して、終わらせると言って、約束してくれましたよ」
憧れの存在であって、被害者でもある宮野。閉じていた瞼を開けて、小さくつぶやいた。
「ええ、私は謝罪しなさいと貴女達に言いたい。私には良い。けれど、何をしていたのか、それをしっかり理解して、筑城さんに謝罪して欲しい。私も、それで終わらせるようなのは馬鹿じゃないとできないと思うけれど」
そこで一度溜息をついて、宮野は吐き出した。
「そこにいる二人の少年と同じで、筑城さんも馬鹿みたいだから。信じられないなら私を信じなさい。私と同程度には、彼も彼女らも、信じられるわ」
「…………」
実際、自分達で突き落とした相手に、謝罪があれば許すと言われて、困惑が広がる。
自分達ならどうだろう。きっとできない。今だって、どう助かろうかと考えたりしている。
「……罰するとか、必要ないじゃないですか」
そう、佐藤は言葉にしていた。
「それで誰かが助かるならいいでしょう。でも、今回はそれで誰も助らない。筑城さんはそれでまた嫌な思いをして、みなさんは居場所がなくなる。そんなバッドエンドはいやですからね」
佐藤が目指すのは物語のようなヒーロー。多くを助けたい。今やつているのは裏方のようなものだけれど、同時に沢山の心を助けられる筈だと信じている。
「嫌な思いをさせたくない。誰かを助けたいって……みなさんも、最初、そう思ったんじやありませんか?」
続けるのは鈴代だ。整理しきれない思いを持て余しながら、もがくように言葉を作っていく
「尊敬する親しい人が窮地に追い込まれたら『なんとかしたい』と言う気持ち。僕だって、友達が困っていたら助けてあげたいと思いますから」
憧れを穢されない為に、なんとかしようとしたのでは、と。
「でもそれは誰かを傷つけることでしか成し得ないものでしょうか? 僕は、違うと思います」
誰かを傷つけなければ助けられない。そんな筈はないのだと、硬く、硬く信じるのだ。
それを証明する為にも、絶対に説得を成功させなければいけない。
胸の中で暴れる鼓動を、抑え付けて。
「僕たちが目指しているのは、誰も傷つかずに、全員がなんとか助かる事です。それだけは信じて欲しい。現に、今だってこうした証拠があっても、表に出していない。いいえ」
ばさりと、地面に投げ捨てられる数々の証拠。
写真に書類が風に舞い、何処に消えていく。
「こういうものなんて、本当は元からいらないんだ。断罪するのが目的じゃないなら、こんなものは要らない」
そして、思いの丈をぶつけるように、強く前を見据えた鈴代。
声に力を込めて。祈りにも似た声色。
ただ、ただ願う。
「人間は誰かを傷つけて、平気で簡単に逃げていい訳でもない。そんな事が出来るわけがない。そんな風にはなりたくないんです。だから、どうか聞いて欲しい。本当だと信じて欲しいんです」
許すという筑城の意思。それこそ信じられないほどの善意を。
誰かが裁かれて終わるなんて事はない。ハッピーエンドは、確かにそこにあるのだから。
その為の道筋は、用意したのだと。
沈黙。ぱらぱらと証拠の紙が舞い上げられていく無機質な音だけが、しばらく響いて。
「本当に」
一人の少女が、口を開いた。
「謝る言葉だけで、許してもらえて、終わるんです、よね?」
目を伏せながら、けれど声には縋るものがあった。
「こんな苦しい日々が、本当に……終わる、ん、ですよね?」
罪は消えないけれど。
他者から罰せられる必要があるだなんて、誰も決めてはいない。
●夕暮れの、音に釣られて
「本当に筑城先輩は、ピアノが好きなんだね」
日田の護衛として出来るだけ彼に付き添っていた桐原は、彼と筑城のいる、何時もの音楽室に来ていた。
こんなときだというのに、日田は筑城の傍を離れたくないらしく、また、筑城は待っている間、ピアノを弾いていたという。
流れるピアノの音。
過ぎていく、ゆったりとした時間。
本当はそれこそが、筑城という少女の周囲にあるべきものだったのかもしれない。
それに耳を傾けながら、もしかしたらと音楽室で待機していた伊那もぽつりと呟いた。
「……私、歌うのが好きで…凄い上手いとかじゃないですけど」
音楽に任せるように、口調をリズムに合わせて。
「また部活作れたら良いですね」
「そうね。そういう日が来るのを、祈るわ」
くすりと笑う、筑城。その為に、みんなは頑張ってくれているじやない、と。
それを見て、伊那はふと思うのだ。
前にここで写真を撮った少女。
クラスも名前も知らないけれど、あの写真は断罪の為に撮ったものではない。救って守る為にとったのだと、伝えたい。
それはもしかしたら、別の誰かがやってくれているかもしれない。
けれど、胸の中で呟く。
信じて貰えないかもしれない。けれど、一歩踏み出して欲しい。
このままじゃ、きっといろんなものがダメになるから。
闇ばかりの場所から、抜け出す為に。
――貴女は……どうしたい?
信じるという本当は簡単な事を選択してくれる事を祈りながら。
今日もまた、夕暮れの音楽室ではピアノの音が連なっていく。
そう出来るのも、彼ら彼女らのお蔭で。
安らげる日々を守ってくれた感謝のように、ピアノは優しく音を奏でていた。
終わりが、来る。
そんな予感を、伊那は感じていた。
伝える事は、出来るだろうか。もう一度、彼女がこの音楽室に来る事を、願いながら。