●銀氷の地
一面の銀世界だった。
風の流れに従い、氷の粒は煌めき流れていく。
全てが凍て付いた、美しき世界。
混じり気のない静寂が広がっており、その中にでは生命の息吹はなかった。
綺麗過ぎた殺戮場。血の一滴も逃さす事なく氷結させている。
何故、人々の感情を糧とする天界のものが此処まで徹底した虐殺を。そう神月 熾弦(
ja0358)が敵へと疑問を持つ程に、この場所には死が満ちていた。
「遺体は綺麗なままに遺族へ帰したいんだけれど」
氷像と化した人々を見つめて、染 舘羽(
ja3692)は呟いた。
だが、これ程の規模の能力を発揮するサーバント相手に、他の事に気を取られながら戦い続ける事は出来るのだろうか。
まず無理だ。ただの余波だけで、これらは硝子のように砕け散る。
「どれだけの命が、この氷の中で潰えたのでしょうか」
アイリス・ルナクルス(
ja1078)は白銀の髪を手で押さえつけながら、この場所の不気味さを言葉にする。
表は美麗で、裏は残酷。容赦のない生命の断絶。
「氷の遊園地か。不愉快な場所だ」
淡々とした口調の中に嫌悪感を交えて、獅童 絃也 (
ja0694)は口にする。
手にした地図から、遮蔽物が多く、出来るだけ狭い場所を探し出していたのだが、遊園地という事もあり、条件に見合う場所は複数見つかっている。
「此処に誘き寄せれば良いんだな?」
若杉 英斗(
ja4230)も獅童と同じく地図を持ち、地形を頭に入れている。
「何もかもが敵に有利な状況でやる必要もなし、場所ぐらいは此方で抑え状況を好転させたい」
「何も末真正面からからぶつかる必要はない、か」
遊園地を氷の地獄へと変えたサーバントへの敵意を燃やしながら、若杉は頷く。
「なんでこんな殺戮をしたのか、解らないけれど」
戦闘経験が極端に少ないと自覚している滅炎 雷(
ja4615)。
それでも撃退士としての意思は確かなものだ。氷像と化した人が並ぶ惨劇を眼にして、それでも彼は怯む事なく言葉を作っていく。
「これ以上、殺戮をさせない為に、絶対に蛟を倒そう!」
「まあ、大分ファンタジーな敵のようで」
親子連れらしい氷像に目を奪われながら、ジェイニー・サックストン(
ja3784)は皮肉げな声を出した。
「幻想というのは、夢っつーんです。光に当ればなくなる夢と同じ。このファンタジーな氷のサーバントも、日差しの下に溶けてもらうっつてんです」
途中から乱雑になったのは、隠しきれない苛立ちと敵意によるものか。建物を遮蔽物として身を隠しながら、ジェイニーはショットガンへと弾丸を込める。
何故、どうして。
憎しみと敵意はもはや必要ない。
倒さなければいけない。そう切に思う程、冷たい風。
「せめて犠牲になった人々が安らかに眠れるように…参りましょう!」
黙祷は一瞬。弔いに十字を切り、ファティナ・V・アイゼンブルク(
ja0454)が呼び掛ける。
蛟を誘き出す為の人員は魔法防御に優れるファティナ、神月、滅炎、若杉の四名。
全員で生きて帰る。
必ずだと強く胸の中に誓いを落とし、氷の世界へと踏み込んでいく。
●天の災い
蛟は、その身をうねらせて誘い出す四人を待ち構えていた。
遠くからでも解る巨大な蛇のサーバント。
赤い瞳を瞬かせ、生存者を見つけたと暴虐と残虐の気配をまき散らす。
氷の地面を滑る速度は、驚く程に速い。遠くにいた筈が、もう一気に迫ってきていた。まだ距離があると油断していた。
どの程度、どのようにして蛟を誘い出すか。彼らはそれを決めていなかった。
近くにあった氷像を砕いて迫る蛟。
「は、速いですっ!」
虚を突かれた形となり、滅炎が悲鳴を上げる。それに反応するように、蛟の口から吐き出されるのは、巨大の氷の飛礫。後衛のダアトが警戒する一撃が、真っ直ぐに滅炎へと飛んでいた。
迫る氷塊。が、滅炎との間に割り込む影。
「やらせるかっ、俺がみんなの盾になる!」
盾を掲げ、飛来した氷を受け止めて叫ぶ若杉。着弾の衝撃と飛び散った欠片で、また人だった像が粉砕された。
胸の奥が焼ける。怒り、憎悪、敵意。一撃を受けた痛みより、絶対に仇は取るとの思いが脳裏に走る。
繰り返させはしない。
「一気に引いて誘き出しましょう、この段階で氷嵐を使われたら危険すぎます!」
「ええ、予定の場所まで走りましょう。急いで」
ファティナの呼びかけに神月が賛同し、滅炎と若杉も疾走する。
予定の場所まではそう遠くないが、動き易いようにと万が一の為の滑り止めに靴へと装着したスパイク金具が心強い。
もしも氷の上で滑り、転倒するものがいたら、そこで作戦は途絶えていただろう。
が、蛟も追撃をしている。こちらは逆に氷の上を滑るように移動して、氷の飛礫を吐き出し、それを燃え上がるような白銀のオーラを纏った若杉が受け止める。
幸いは、蛟がまだ氷嵐を使用しない事。移動した後では、巨大なそれを放つ事が出来ないのかもしれない。
神月のライトヒールも飛んだお蔭で、皆を殿で庇う盾役である若杉の負傷も最小限に留められ、ついに目的の場所へと辿り着く。
「此処です。止まって!」
神月の制止の声に、急制動をかける四人。
物陰に隠れた阿修羅の三人とジェイニーの姿は見えない。だが、いる筈だと信じての停止。作戦からまだ逸れてはいない筈だと。
「霧…っ……来る!」
止まった為か、背後の蛟へと膨大な霊力と冷気が圧縮されていくのを感じる。周囲を漂う霧は、天の災いの前触れか。
星屑のような金色の粒子のアウルを纏い、魔力による障壁を展開して受けて耐えようと身構えるファティナと、白銀のアウルで防御を整える若杉。
一瞬の静寂。そして、打ち破る氷嵐の轟音と冷気の波動。
金と白銀と、氷の青白さがぶつかりあい、全てが凍てついていく。氷の欠片が嵐のように舞い、傷口から飛んだ血は落ちる前に凍結していた。
「か……っ……」
「くぅ……!」
この蛟が誇る、最強の技。それに対応して受け止めるメンバーは厳選していた。
それでもこの冷気は厳し過ぎた。地獄と思うような冷気の本流に晒され、体温が一気になくなる。過ぎ去った後に四人とも立っていられたものの、魔力による防御障壁を展開が意識から抜けていた滅炎と、先に氷の礫に晒されていた若杉の生命力は半分以下に削られている。
一撃でこの威力。
広範囲殺戮の為の技。
「ですが、耐えました。だから、みなさん、お願いします!」
熱を失いがくがくと震える身体で、それでもと叫ぶ滅炎。
天の禍津。氷の嵐は消え去り、それを耐えてこちらに勝機を託した仲間に応えるべく、物陰に隠れていた三つの武が走る。
●禍津の戦
「I desert the ideal」
一番槍に駆け抜けたのはアイリスだ。冷気が残る大気を突き抜けながら、自己暗示の一節を唱え、大剣を構える。
振るう武は得意なものではない為に、活性するのに手間取り回数の減っている薙ぎ払い。
だが血の赤黒さを帯びた剛の斬撃は、豪快に蛟の鱗を切り裂いて頭部を薙ぎ払う。
蛟の防御の姿勢がその一撃で崩れる。ダメージを最小限に抑えるべく身をうねらせる事も出来なくなったその身へ、さらなる追撃。
「災いを成す禍津日神にしても、災いが殺戮とは笑えんな」
錬気によって丹田へと武気を集中。練り上げたそれを、震脚からの双掌打として繰り出す獅童。
壊れる地面。圧力によって炸裂する大気の壁。
両腕による打撃で体内を破砕され、蛟はのたうつ。準備に時間がかかる分、恐ろしい程の威力を秘めた一撃だった。
眼鏡を外した獅童の顔は戦士のそれ。与えた負傷の度合を見誤る事はない。
そして最後の阿修羅、染は空へと飛んでいた。
段差を利用し、その身軽な身体で宙へ。完全な死角を取り、かつ彼も染も必殺を期した武術を行使する。
鬼神一閃。紫焔を武器に収束させて燃え上がらせ、絶大な破壊力を得る技。純粋な破壊力を増した剛撃が、乱れ狂う斧刃として繰り出される。
乱撃連閃。この一瞬に懸け、ズタズタに切り裂こうと振るわれた刃。鱗を割り肉を裂いて、着地までに数えきれない攻撃が繰り出されていた。
「堕ちた神様、ねぇ」
蛟、夜刀。伝承の通りなら、天の使いに使役される神とはなんと皮肉なので笑みを浮かべる染。
「伏せて下さい! 死にたかねーんでしたら!」
更にジェイニーがショットガンを発砲。スキルこそないものの、ショットシェルによる散弾が蛟へと食い込む。
狙うのは速攻戦。出し惜しみをしているとの判断。捨て身すら含む阿修羅の猛攻に怯む蛟。
けれども、それでは終わらない。
怒りに見開かれた真紅の瞳が、自らを傷つけた三人の阿修羅を睨みつける。
霊力によって生み出されたのは、溶解性を持つ蒼い水渦。高速の刃として蛟の周りを巡り、接近している三人を等しく切り裂き、魔具をも溶かす。
更には渦と同時に自らの身体をぶつけ、接敵して移動を阻むものを弾き飛ばそうとしていた。此処でも金具のスパイクが役に立った。
金属が氷の地面を噛み、転倒、或いは吹き飛ばされるのを耐える事を可能にしている。そうでなければ滑る氷の上で弾かれ、氷嵐を受けた後衛へと追撃が走ったかもしれない。
それを承知の上でも、苦しい。
「ふざけた威力だねぇ、これは!」
カオスレートを変動させた染は、その一撃で自分の生命力を半減させられたのを知る。他の二人も似たようなものであり、なんとか後一撃耐える事が出来る程度。
「……それで十分」
二発、身が持つ。それで作戦は成功し継続できると、息を吐き出した獅童。
「今、癒しますから」
凍えた身を押し、後衛の治癒も前衛への星晶雪華での支援も捨て、最も火力の高いアイリスへとヒールを送り込む神月。
傷を休息に治癒させる彼女の存在が、前衛が倒れるのを留め、命を繋ぐ。他に手を回す余裕がない。その事に焦りを覚え、震える指。
「でも、攻めないと」
「これで動きを止めて、攻撃を続けさせるよ!」
ギリギリまで蛟に近付いて、ファティナと滅炎が雷撃の魔術を編み出す。気を削ぎ、防御をさせないと繰り出したスタンエッジは蛟に直撃するものの、魔力と霊力のぶつかり合いで、電撃による気失はなかった。
若杉は至近距離まで接近しなければ魔法による攻撃も届かないが、今接近するのは危険と何も出来ずにいる。
拙いと思った中、奔る黒き刃。
戦況の有利不利など知らない。戦いに狂う修羅であるアイリスは、己の刃で勝利を切り開いて得ようとする。
Regina a moartea。アウルの影が柄から刀身を包み込み、破壊力を上昇させ天を滅する漆黒の一撃と変生させる。
繰り出された斬撃の軌道は、まるで死神の鎌だ。
天に属するものでも、その命を刈り取るという黒刃の宣告に、けれど耐える蛟。
「これでも、か」
それともこれ程と言うべきか。錬気に時間を割く事は出来ないと、獅童は再び震脚からの肘撃を繰り出す。
撃退士としての術を使っていない為、威力としては劣るものの、それでもカオスレートの関係上、確かな一撃となっていた。
「後退も撤退も御免だよ」
振りおろされる染の斧刃に、遮蔽物に隠れながらのジェイニーのショットガン。
初撃に懸けた攻勢だった為、威力は一段程劣る。アイリスの活性化してなかった薙ぎ払い、獅童の時間を要する錬気を選択したのは痛い失敗でもある。
それでもと言えるのは、怒涛の攻勢と武威だ。
断じて火力敗けなどしていない。削られているのはお互い様だと、戦意を高めてぶつかり合う。
再び宙で渦巻く蒼き溶解水。
肝心とも言える二撃目。肉が溶けて血が飛び散り、意識が薄くなる。叩きつけられる水渦はまるで滝のようであり、衝撃で骨まで砕けそうな程。
「…Eu nu va fi lasat sa moara…」
ぼそりと呟かれるアイリスの声。
戦意は折れていない。
「痛いのは怖くないさ。冷たいのも同じ。何も出来ずに下がる事だけが、嫌だった」
けれど、耐えきった。二発目を。
「交替だ!」
見れば蛟の負傷も激しい。血が止めどなく傷口から溢れて、どぼどぼと零れていく。
押す。押せ。
その意思の元、阿修羅の三人の後退を支えるべく前へと出たのは――四人。
「……え?」
魔炎の矢を放っていたファティナの声が、正真正銘凍りつく。至近距離で弾けた雷撃が、滅炎も前へと出たのを知らせていた。
三人で抑える筈の氷嵐。だが、生命力が半減以下の滅炎も加わり、四人。
既に遅かった。戦線を維持していた染へとヒールで治癒を行った神月はもうこの瞬間誰も癒せない。若杉が庇おうにも、水渦をどう庇う。
初撃の氷嵐を受け、消耗しきった滅炎が、蛟の産み出す溶水渦に耐えきれる筈がなかった。ジェイニーが回避射撃で逸らそうとしたが焼石に水。温度障害で魔防も下げられていた滅炎が、地に倒れる。
咄嗟に若杉が倒れた滅炎を抱えて後ろへと飛ぶ。
そこへ追撃をさせない為に。
「させ……ない!」
「トドメをささせるな!」
代わりに飛び込んだのは、薙ぎ払いの残っていたアイリスと、ギリギリの生命力で立っていた獅童。
薙ぎ払われた大剣の剛斬。震脚による開拳。ここで必殺を逃せば、また更に倒れると願った二連撃。
「頼んだよ!」
武技の構えを薙ぎ払いへと変じようとした染は、その背を声で押すしか出来ず、その後に見えたのは。
倒れない蛟。
高速で再生していく傷。
そして再び空奔る、蒼き水の渦。
ヒールの優先順位で治癒が間に合わなかった獅童が地面を転がる。
だが、傷は完全に癒えていない。蛟も後一押しだった。
声を出す暇もない。高速で紡ぐ魔の術式に脳が焼き切れる錯覚を覚えながら、ファティナの魔火矢が飛び爆ぜ、傷口を焼いて再生の速度を止める。
ジェイニーのショットガンが火を噴いた。
凍えた大地を滑るように走る、染。
斧刃が目指すのは、首の付け根。蛟の揺らいだ瞬間を狙い、渾身を以て薙ぎ払われる。
「倒れろ!」
願いの乗せられた刃。
勝敗を決める一閃。
鮮血が赤く地を染め、ついに終わりを迎える。
蛟が、その身を氷の大地へ、落としたのだ。
「……終わり、ましたか」
面々が負傷しきっている中、神月が吐息をついた。
●幻想の痕
ジェイニーが周囲にサーバントの主がいないかと探索するが、この氷の地には誰も見つからない。
捨て駒か。いや、捨てるような程度の力ではなかった筈だ。
結論は出ない間々、空を見上げると。
「……赤い、鴉です?」
三本脚の巨大な鴉が、今までの戦いを見届けていたかのように、旋回して去っていく。
「この殺戮に、何か理由があるのか……これだけの事をするという事は」
若杉が呟き、理由は何だと調べようとするが、そんな余力は残されていない。今だ凍てつく地であるこの遊園地は、傷ついた身ではいるだけで体力を奪われていく。
ただ今は犠牲者に黙祷を捧げ、この幻想から去るのみ。
命は、尽きていない。
そして強い感情をサーバントを放った天使勢へ抱きつつ。
禍津の一柱、此処に討たれる。