●天の櫻、京の都
ひらひら、ひらひらと。
白い桜の花びらが、光を孕んで散っている。
絶え間なく降り続ける桜は、風が止めども一向に止まる気配がなかった。
人の世の桜ではない。夜を白く染め抜くような量と、それ自体が光を放つ花弁。
天界の、桜。
異界の花たち。
京都に現れたこの異質な白い森を眺めて、雨下 鄭理(
ja4779)は思う。
美しい。けれど、それが何だというのだろうか。
そこに何の意味があろうとなかろうと、聖であれ邪であれ、敵である事には変わりはない。
現にこの京都を包み込み、人の生きる場を奪おうとしている天使達は絶対的な敵だ。
「京都の街中に白い森……そして、花弁で翻弄するサーバントか。大規模作戦の支障になりかねないな」
だからこそ絶対に排除するのだと、神凪 宗(
ja0435)は言葉に力を込める。
この世界は人のものだ。天使だからと言って、渡せるものではない。
その横で大太刀の柄に指をかける水無月 神奈(
ja0914)に至っては、この京都は故郷である。
「まだ戻るつもりはなかったのだが、な」
本当の意味で戻る時の為に、奪われる訳にはいかない。
忘れる事のなかった故郷。一族の眠る土地。それさえまでをも失わない為に。
「京都を荒らしておいていい身分だな、天魔とやらも。……調子に乗っているようなら、斬り伏せるまでだ」
久遠 仁刀(
ja2464)は敵意を隠しもせず、白い森の奥を睨みつける。
この森となった場所の奥にサーバント達はいる。自ら踏み込む事になるが、誰も気後れした様子はない。
スローテンポな音楽を流していたウォークマンを止め、寿 はねみ(
ja0499)も桜の森を眺めた。
光る夜桜というのは確かに綺麗な光景なのだが、それも過ぎれば違和感を覚える。清すぎる水に魚が住めないのと同様だ。
「嫌いじゃないけれど、消えて貰わないとね」
「京都の桜、白拍子に武士か。風情はあるこっちゃけれど、それとは別やしなぁ」
宇田川 千鶴(
ja1613)も桜を見上げつつ、呟いた。
「見知った地が変わる、奪われる、失われる。それは、嫌な事や」
「だからこそ、僕達がいくのでしょう。京都を解放する為の戦いを、少しでも楽にする為に」
一体でも逃せば、その分、大きな戦局となった時に苦戦してしまう。ネコノミロクン(
ja0229)は気を引き締め、前を見据える。
彼の占いでこの戦いがどう出たのかは、誰も知らない。
ただ、最善を尽くすだけだ。
「いざ、尋常にしょうぶ、だね」
白き森の中へと、何処か嬉しそうに進んでいく御子柴 天花(
ja7025)。
彼らはすぐに目にする事になる。
満開の桜の森の下、白拍子が踊るその姿を。
●桜の下で
戦いは、あまりにも静かに始まった。
はらりはらりと落ちる桜の下を駆け抜けて、舞い続ける白拍子へと向かう撃退士達と、それを迎え撃つ三体の獣人。
踏み抜く花弁は足音を消していた。呼吸の音だけが、はっきりと伝わる。誰かが戦闘の開始を告げる訳でも、銃声や爆音が皮切りになるわけでもなかった。
倒す。その意思を込めて、撃退士達は走る。
何も言わなくとも、その戦意は十分。
それぞれが予め決めておいた相手へと接近していく。
一番槍となったのは忍刀を持った宇田川だ。白銀と黒の混ざったオーラを後ろへと靡かせ、一気に刀持ちへと距離を詰める。
「さぁって、どっちが早いか、お手合わせ願おうか!」
文字通りの迅速。獣人が反応するより早く振り抜かれた忍刀は、擦れ違い様に脇腹を斬りつける。
初撃を制し、桜を血の赤で染めた。
続くのは大太刀を構えた御子柴。何処か嬉しそうに、放たれた矢の如く一直線に突き進む。
「けっとーを申し込む!」
応答はない。が、ゆらりと向けられた切っ先こそが答えだと、大太刀を振り上げる御子柴。彼女の狙いも先手必勝。構えに隙がなくとも、この刃はそれごと断てるのだと信じて。
奔る二振りの刃。斬と刺として共に互いを捉え、傷口を抉って血を噴き出させる。
「カウンターを狙ったんだけれど、難しいねぇ。けど、次の一太刀は本気で行くよ!」
肩と首の付け根をごっそりと削られながらも、再び大太刀を青眼へと構える御子柴。肉は切り裂かれても、むしろ戦意は増している。
「私も、負けられません!」
寿の胡蝶扇が炎を纏って飛翔し、刀持ちの腕を打ち払う。
初めての依頼だからこそ、足を引く訳にはいかない。無茶も覚悟の上で、戻ってきた扇を握りしめる寿。
そして、刀持ちの背後から続く宇田川の追撃。
「派手な攻撃する相手ばかりに目向けていたら、私に殺られるで!」
背後から袈裟に降り下ろされる忍刀。が、思うような斬撃とはならない。一撃目も二撃目も、着込まれた鎖帷子のせいで深い一撃にはならなかった。
それでも刃に血は染みついている。確かに肉を斬った手応えはある。ならば倒れるまで繰り返すのみ。
妖しき桜の光へと注意を払いつつ、刃の応酬が始まる。
そして、その桜の主たる白拍子へ駆けるのは雨下。
「─『自分』は人形。戦乱の中で生まれし、武器を持ち立つ無葬の人形」
言葉は自己暗示。意識を深く潜らせ、戦の為の精神を作り上げる。
纏うアウルは血のようで鮮やかでありながら、闇のように深く不吉な色。対峙したもの全て斬り、血に染め上げるという意思の発露のよう。
疾走の勢いを斬撃へと変え、雨下の打刀の一閃。血が刃の走った跡を追い、ぼたぼたと血の雫を落とす。
だが、その痛みに動じないかのように、すっと雨下の胸へと向けられた指先。
「……っ…!?」
桜吹雪が巻き上がる。ほぼ密着した状態から受けた雨下、そしてその直線状にいた水無月へと直線上に走る桜花の群れ。
雨下は単独で突撃した為、庇い合う仲間もいなければ、纏わりつく花弁のせいで移動力までもが低下して、桜吹雪の射程の外へと逃げられない。
雨下としては相手の気を引ければよかったのかもしれない。
だが、相手の気を引いて、その後は。単独突撃の後にあるのはただの危険だけ。
「……それでも、引かないさ」
●剛刀
「白拍子の桜に注意して! できるだけ一直線に並んじゃダメだ」
野太刀持ちの獣人を相手取る水無月と神凪へと聖なる刻印を施しながら、ネコノミロクンが声を張り上げる。
が、完全に直線状に並ばないというのもまた難しい。目の前で切り結ぶ相手だけではなく遠方の相手にも同時にも意識に納めるのは困難だ。
「だが、やるしかないか」
忍刀を構え、神凪が呟くと間接を狙って刺突を繰り出す。が、避けるのではなく、狙われた部位を武者鎧の装甲で受けて弾き、消耗を最低限に抑える野太刀。
そして反撃。八双構えから、正面へと立つ水無月へと大振りな斬撃を繰り出す。
水無月はサイドステップを踏み避けようとするが、巨大な刀身の間合いからは完全に逃げる事は出来ない。刀を斜めに構え、斬撃を受け流す。
飛び散る火花。斬撃の重圧で軋む骨と肉。
直撃を受けなくとも、一撃一撃で身体が壊れいくような感覚。防御の構えを取っているが、それさえもいずれ壊される気がして。
「だが、私は倒れないよ。絶対に」
無力なあの頃とは違うのだ。気迫を込めると、受け流した野太刀を大きく弾いて、返しの刃を繰り出す水無月。
緩やかな弧を描いて鎧に守られていない腹部を切り裂くスピンブレイド。
血の華を咲かせる一閃に続いて、神凪の忍刀が滑る。刃が向かったのは、武器を持つ腕。
「武器を振るう時、振るった後は隙だらけだな。そこを攻めさせて貰うぞ」
巨大な武器故に、攻撃の終わりは大きな隙となる。攻撃の出を討つという、いわば後の先を取るのは難し過ぎるが、力任せの斬撃であればその後に幾らでも隙はあった。
唸り、声。
面の奥から、獣人が怒りの声を洩らし始めていた。
花弁の散る空間を貫く槍の一閃。
左右に動き続ける久遠を邪魔な敵と認識したのか、槍持ちは彼を優先して攻撃を開始し始めていた。
「狙い通り、だな」
二の腕を切り裂いていった穂先の冷たさを覚えながら、けれど久遠は笑みを浮かべる。元より抑えが目的であり、遠距離技を持つ槍に自分を狙わせ続けるのが後衛の為にも必要だと久遠は考えていたのだ。
故に、高速で動く。返し技を撃たせず、かつ自分を狙わせ続ける為、風花を使用し続ける久遠。
足元に集めたオーラを練り上げて爆発させ、急加速。桜に混じって光の粒子が宙を舞ったかと思えば、槍持ちの胸に裂傷が走る。
眼にも止まらぬ斬撃であり挙動。これでは返しの一突きも放てまい。
それでも止まらず繰り出される槍の刺突。
互いの肉を斬り、血を散らしていく戦場の姿。周囲の桜を赤く染め、はらりと落ちる花弁を刃が断つ。
この戦況、どう転がるか。
その最初の転機は、野太刀持ちを包んで癒す、櫻の華だった。
治癒量は微量。が、野太刀に治癒が必要になったという事、そして付与され増強された、ただでさえ威力の高かった野太刀の力。
その一撃をいなせるかどうか。
或いは、これが戦局を左右する一手とも言える。
重の斬撃を放とうと、大きく振り被られる野太刀。
怒りの気迫。剛の気質。込められたそれを僅かにでも削ろうと、神凪が辻風を繰り出す。
「その状況、黙って見ていると思うか!」
薄らと輝くアウルの刃は飛翔し、鎧ごと胸部を一文字に裂く。
それでも削れた勢いは僅かだ。圧縮し、撓めていた全身の力を爆発させるように、野太刀に豪快な唸りを上げさせて、重の斬撃が放たれる。
獣人にとっては乾坤一擲のそれ。最上段から振り抜かれた一撃を水無月は刀身で受けるが、押し切られて頭部へ衝撃。
視界が赤く染まり、意識が激しく揺さぶれて途切れそうになる。
刈り取られて、意識を失いかけた瞬間。だが、そこで見えたのは一筋の光明。ネコノミロクンの刻んだ刻印が光を放って水無月の意識を繋ぎ、彼女を踏み耐えたせた。
「無力な様など、見せられないからな……っ…」
倒れる訳にはいかない。無力な呪いの言葉などもう要らない。
後ろには退かない。むしろ、大技の後で出来た隙を穿つ為、前へと出る水無月。
大太刀に纏うのは天を滅する影の力。闇のアウルを纏い、水無月の刃が刺突として繰り出された。
鮮血の飛沫。喉を貫いた刀身を翻し、そのまま斬首へと変化させて頭部を跳ね飛ばす。
「水無月さん、気をつけて」
ネコノミロクンは消耗の激しい水無月へとTemperanceを発動させる。節制を意味する術は羽の舞う祝福として顕れ、傷を癒す。
彼がいなければ意識を失っていたかもしれない。それ以前に、負傷の度合が大きすぎて、耐えきれない者が出たかもしれない。
「気を引き締めていこう。後少しだ!」
一体も逃さないと、ネコノミロクンが声を張り上げる。
ほぼ同時。
かちゃり、と鍔が鳴った。
平正眼の構えを取り、肉体を修復させ、攻撃に備える刀持ち。
けれども。
「何や、攻撃の手を止めて大丈夫なんか!?」
「これで、どうだっ!」
挟撃の刀を取る御子柴と宇田川に対応しきれない。
正面からの御子柴の斬撃を受け止めたと安心した所に、背後から宇田川の忍刀が突き刺さる。
一連の追撃の最後には、飛翔する炎を纏う寿の扇。
回復をした分だけ、再び削られているという状況。仮に桜の華による祝福と、構えが同時に使われていたら、頑丈過ぎる壁となっていたかもしれない。
空を斬る獣人の刺突。再び御子柴へと突き刺さるが、間髪を入れずにネコノミロクンのTemperance。羽が舞い踊り、正面から戦い続けた少女を癒す。
「よしっ、来たっ!」
傷口が高速で修復され、熱を帯びる身体。
これで更に無茶が出来ると、こちらも青眼で獣人を相手取る御子柴。
一瞬の停滞。そして、繰り出された刺突は同時。
狙いは互いに喉。此処に来て一撃必殺を狙い合った一撃。
空を斬る刀と、喉の芯を貫く大太刀。
それを決めたのは力量の差ではなく、味方の援護だった。
「全く、危ういなぁ。あんたも」
「私も怪我は当然だと思っていましたけれど、流石に……」
横手から忍刀で獣人の手首を斬りつけた宇田川と、飛翔する扇で刺突の軌道を逸らさせた寿が苦笑する。
「でも、あたいの勝ちだよっ。よっし、気合を入れていくよっ!」
残す敵は半分。闘志を燃やし、武器を握り直す。
●限界と終わり
だが、当然のように限界が来る。
槍の抑えである久遠は剣魂という自己治癒があり、ネコノミロクンの治癒も届く範囲にいた。
だが、一人突出した形となった雨下にはどちらもない。
三度目の花吹雪。雨下と御子柴を巻き込んだそれに、ついに雨下が膝を付く。三度、白拍子に斬り込み消耗させたのは見事だが、それが今の彼の、一人で出来る限界でもあった。
倒れる仲間の姿。
目に入ったその光景に、久遠の戦意が膨れ上がる。
もう二度と目の前で倒れる人のいないようにと、そう願った筈なのに。
折れそうな心は、けれど想いを産み、アウルとなって武器に纏う。
「これ以上はさせるか!」
武器に纏わせた白い斬刃のオーラが爆発的に伸び、武器の延長として巨大な一閃を繰り出す。
白虹。正真正銘、久遠の切り札。
揺らめくオーラの弧に捕らわれたのは、槍持ちと白拍子。桜が盛大に散り、巨大な刃で斬り付けられて、血が周囲に飛び散る。
「続けていかせて貰うぞ!」
追撃は神凪。疾走しながら産み出したのは影の棒手裏剣。接近しきる直前、それを放つ。
投擲された闇の刃は白拍子の顔面へと突き刺さり、他の仲間達の攻撃の隙を作り出していた。
続いたのは御子柴の大太刀と、寿のエナジーアロー。出来た隙を攻め立てて、逆袈裟に斬り上げ、紫の光の矢が白拍子の胸を射抜く。
雨下の決死の攻撃によって生命力を減らされていた白拍子はそれに耐えきれず、地へと伏せる。
ざわ、と桜が鳴る。
主の命が尽き、陽炎のように掻き消えていく幻の桜。
残る槍使いもそれを察し、逃げようと身を翻した。けれど、それより早く、その退路を防いでいた迅速の忍びが一人。
「逃がさんよ…鬼ごっこは得意やでぇ!」
身を旋回させ、下段、脚を斬り付ける宇田川。
一瞬、機動力を削がれて動きが止まる。
それを見逃す筈はなかった。
久遠の大太刀が振り抜かれ、槍を持った腕が飛ぶ。
「この街は、渡さない」
再び水無月に集まる闇のアウル。この京都を覆う光の結界を崩す一閃にならんと、漆黒の刃が胴薙ぎに繰り出された。
「そう、この街は人のものだ。この世界も、ね」
久遠へと最後の治癒を飛ばしつつ、ネコノミロクンが呟いた。
そうして、桜の森は消えていく。
霊的な力で作られた、偽物の仇花。
「所詮は偽りの花か」
何を思うのか、水無月がぽつり零し、遠くを見据える。
今のこの街を、どう思うのか。
「折角のえぇ季節なんや…。はよ元の京都に戻さんとなぁ…」
春の夜に、ただ穏やかに桜を観れるように。
そんな日常を護りたくて、取り戻したくて。
消えた桜の残滓を、眺める。