●救う為に
肌を撫で、血を凍らせるような、冷たい風が吹き抜けていく。
この北の地では、春はまだ遠いらしい。加えて、人の気配は完全に失せて、荒れた景色が広がっていた。
路上で捨てられた車は衝突を起こして、道路を防ぐ壁となっている。灯りを消す余裕もなかったのだろう。飲食店からは電灯の光と、そしてテレビのノイズが流れてきていた。
寒々しく、荒れた街。
そこをするりと抜けていくのは、先行偵察組である七尾 みつね(
ja0616)とフェリーナ・シーグラム(
ja6845)。
フェリーナが観測手を務める中、建物や捨てられた車などの物陰を利用して音もなく前進する七尾は、顔を出さずに手鏡で先を確認する。
そこにいたのは、灰色狼が三匹。放たれたサーバントの一部だろう。
(「無言……というのは辛いですねー」)
気負いこそしていないが、周囲を警戒し偵察するというのは疲れを伴う。せめて、バディを組むフェリーナと会話出来れば気は紛れるかもしれないが、隠れるのであれば無言は当然だ。
ハンドサインで、隠れて止まれと後方へと送るフェリーナの精神は、だが逆に昂ぶっている。元士官学校の生徒というだけではなく、母の祖国を守りたい、悲劇は繰り返さないという願いが彼女を焦がしていた。
この程度の寒さでは、フェリーナは止まらない。
続く本隊は四人。七海 マナ(
ja3521)を先頭に、栗原 ひなこ(
ja3001)と諸葛 翔(
ja0352)、神崎・倭子(
ja0063)だ。
思い思いの迷彩や防寒道具を用意している。偵察や警戒の担当のみに任せていれば、サイドアタックを受けていたかもしれないが、彼らに油断はなかった。
生命探知がもっと使えればと栗原は思うのだが、警戒に使うには効果範囲が狭い。隠れている相手や隠されている相手には十分なのだろうが、こういった広い街中での探索としては十分な範囲をカバーしきれない。
ただし、そのお蔭で上空にもサーバントがいるのだと気付け、警戒出来たのだが。
「後少しの筈、なんだけれど」
物陰に隠れながら、七海が呟き、諸葛が応じる。
「隠れながら素早く移動、というのは少し矛盾するか」
1ブロックごとに偵察して、という移動ではやはり時間がかかるのも当然だ。そして今のように敵をやり過ごそうとする、或いは迂回するという方法を取るのなら更に時間がかかる。
「とはいっても、かなりの数がいるよね。正面突破は、現実的ではないし……」
栗原も僅かに焦れているのだろう。つい声を用いて案を出してしまう。
一瞬の逡巡。急ぎたいのに停滞してしまう。見つかりたくない、けれど助けたい。
「と、合図だよ。急ごう!」
ハンドサインを受け、神崎が告げて皆が前進する。そして、先行偵察と殿での後方警戒役が入れ替わる。
「この歳だと寒いのは辛いねぇ」
そう言う綿貫 由太郎(
ja3564)に、南條 唯(
ja0313)が答えて前に出る。
「そうも言ってはられないだろう。取り残された三人の心細さに比べれば、な」
二人とも、迷いはない。助ける為に動くのだと、綿貫もまた先行して偵察を行おうと前へと動く。そして七尾、フェリーナは後方の警戒へ。
このローテーションの為に時間を取られてはいるが、お蔭で後方からの襲撃を受ける事もなく、一度の交戦もせずにここまで辿り着けていた。
綿貫の通路の間を摺り抜ける、諸葛の建物の中を移動するという提案で、相手が一か所に固まって動かない場面でも対応する事は出来ていた。
無傷での敵陣潜入。ここまでは大成功と言っても良いだろう。
「見えた、か」
しなやかに物陰から物陰へと移る南條。角を曲がった所には病院らしき建物があり、その周囲を白い狼が回っている。
「さて、子供はちゃんと、助けないとね」
懐からピストルを取り出す綿貫。これからは、本当の時間との闘いになると覚悟しながら。
下手をすれば、今まで避けてきた相手も、遠吠えで呼ばれる可能性もあるのだから。
●駆け抜けて
先陣を切ったのは、神崎だった。
「行くよ、みんなを必ず助けてみせるんだ」
それを運命だと強く信じるからこそ、最も早く駆けた神崎。ショートソードで地面を削りながら疾走し、その音で白狼の意識を自分へと向けさせる。
数は三体。病院の周囲に散っているのだろう。ボスである銀色の狼の姿も見えない。
「ああ、助けを求める人は救ってみせるよ。例え自分が傷ついてもね」
並走するのは七海。自分の魂を懸け、救うのだとファルシオンを構えるながら、七尾も一拍遅れて続く。
数が少なく、そしてリーダー格がいないという好機。それを逃すまいと迫る。
だが、接近しきるより早く、三体の白狼が遠吠えを上げた。
「流石に距離があると、ね」
「けれど、次からは吠えさせません!」
遠吠えを阻止しようとしていた南條とフェリーナ。喉や頭部を狙って弾丸を撃ち込むつもりだったのが、照準を合わせている間に離れている味方を呼ばれてしまっていた。
それでも放れた二人の弾丸は白狼の毛皮を赤く染める。
「ま、救出で隠密行動しつつ、更に奇襲っていうのは難しいよねぇ。おじさんもそう思うよ」
続けて綿貫もピストルを発砲。三つの銃口に狙われて、一気に消耗する白狼。
そこへトドメと突き刺さったのは栗原のケーンと、諸葛のトンファー。打と魔の攻撃に晒され、倒れ込む白狼。
「まずは一匹目だね!」
「とはいっても、更に三匹来るか」
支援は必要なく、今は数を減らすべきだと前へ出た諸葛と栗原は、左手から銀狼が走ってくるのを視認する。
そして迎撃しようと、襲い掛かる二匹の白狼。同胞が殺された事に対して怒ったのか、遠吠えよりも攻撃を優先する。七尾へと襲い掛かる冷気を帯びた爪牙。
だが、身を捻り、跳躍した七尾の身体には届かない。
「私も鬼道忍軍だしねっ」
素早さなら負けないと、着地と同時に再び踏み込んで白狼の胸部を掻き切る苦無。
痛みに怯む身体。そこへ続くのは七海のファルシオン。右腕で持たれた曲刀が閃き、白狼の前足から血飛沫が上がる。
「今だ、畳み掛けるよ!」
「ふふっ、流石は私の同士、七海君」
南条とフエリーナの弾丸で身を貫き、神崎のショートソードが喉を切り裂いて二匹目を地に這わせる。
「同士というより、僕がなりたいのは、困った人がいたら助ける…そんな海賊に僕はなりたいんだ」
義の心を唱える海賊志望の少年。それが眩しいものであるように綿貫は笑みを浮かべると、銃口を銀狼へと向ける。
二匹が倒れ、それでも乱れる事のない群れの統制。
それはリーダーがいるからこそ乱れが起きないのだと確信して。
「どーも、あいつが起点になって狼どもは動いてるっポイからな、あいつの動きを制限すれば群れ全体の動きを抑えられそうだ」
連続して絞れるトリガー。ばら撒かれた弾丸は横へと跳躍する銀狼に避けられてしまうが、それで構わない。牽制射撃で少しでも動きを止められるのなら。
その効果は、白狼達の攻撃がばらけるという形で現れた。一匹が七尾、二匹が剣を地面に叩き付け、音で注意を引いていた神崎へと向かう。
噛み切られ、引き裂かれる七尾と神崎。流れる血も凍えるような冷気が身体を襲う。確実に、身体能力が体温の低下で下がった。
その隙を突き進もうとする銀狼。自分へ射撃を行った綿貫から潰そうと、突撃を仕掛ける。
「させないよっ!」
その進行上へと飛び出した栗原は爪によって深く脇腹を裂かれたが、盾として後衛を庇うのには成功する。冷気で身が震える。血液が落ちる。だから何だ。自分達は何の為に来た。救いに来たのなら、絶対に引かないと眦を決し、ケーンを握り締める。
「っと……ほらよ、回復だ」
諸葛は治癒の霊力を練り上げた光弾を神崎へと放る。冷気による身体能力の低下は戻らないが、急速に閉じていく傷口。同じように銀狼と退治する栗原も七海へとライトヒールを。
劣性だと知り、更に仲間を呼ぼうとした二匹の白狼。だが、その声が張り上げられる前に二人の射手はトリガーを絞っていた。
共にスキルを使用しての鋭い軌跡を見せた射撃。アウルを込めて加速した弾丸はそれぞれの頭部を打ち抜き、一種だけ怯ませる。
「選抜射手は冷静に、そして確実に。これが基本」
繰り返し呟くフェリーナは冷静な機械のように。軍人とはかくあるべしと、冷気の中でも乱れがない。
対して初依頼となる南条も、また別種の形と揺らがなかった。
その眼差し、引き金にかけた指、そして銃を構える姿勢。緊張や迷いは一切なく、力みもない。相手の挙動に合わせ、その全て撃ち落とすとその瞳が語っている。
隙の大きな援軍を呼ぶ事は、もう許さない。
「……理不尽は、全て撃ち抜くだけだ」
そうして、勝敗の天秤が大きく傾く。
七尾が苦無を投擲し、それを避けた白狼。だが、その動きで三匹の位置が直線に並ぶ。
「…っ……ここだ!」
繰り出されたのは、七海の封砲だ。ファルシオンに膨大なオーラを纏わせ、それをエネルギーへと変換。
渾身の力と共に振るわれれば、空を奔る黒き刃となって三体の白狼を切り刻む。うち一体は最早耐え切れず、そのまま地面へと転がった。
「来るねっ!」
半数を失った完全な劣勢。それを見た銀狼が力を練り上げるのを感じ、神崎はシルバルリーでアウルを鎧のように纏い、防御を固める。
だが、荒れ狂ったのは霊力によって巻き上げられる氷の嵐。物理の防御を高めても意味はなく、氷の刃が前衛と中衛の五人を纏めて切り裂いていく。
「い、痛いですね……」
即座に諸葛と栗原のライトヒールが飛ぶが、手数も足りず完全な治癒にはならない。加えて、回復手である二人も中衛として範囲に収まってしまっている。
更に続く二匹の白狼の牙。穿たれ、切り裂かれる肉の痛み。
それでも。
「俺が助ける側、だからな」
後退せず、前へ留まり支援を完遂しようとする諸葛。
栗原もケーンを構え、銀狼を抑え、壁となっている。後衛にいかれ、先の氷嵐を放たれるよりはマシだと。
「ここが押し時だよ。それだけ相手も必至って事なんだから、さ」
飄々とした態度は崩さず、しかし綿貫のピストルが閃いた。構え、照準、発砲を一瞬で行った早打ちには銀狼も対応出来ず、初めて傷を負う。
ここに来て出し惜しみをする必要はない。アウルを注ぎ込んだ鋭い射撃、空間を走り斬る黒刃に晒されて一匹が倒れれば、神崎のショートソードと七尾の苦無が左右から斬撃を放ち、その後を追わせる。
そして――再び、氷の嵐。
「くっ……」
五人を攻撃する嵐。回復出来るのは二人だけ。
此処で決めるしかない。
「言っただろう、撃ち抜くと」
南条の最後のストライクショットが放たれる。脚へと着弾し、動きが鈍った所へと重ねられる神崎と七尾の一閃。神崎の刃は紙一重で避けられてしまったが、それでも確実に削っている。
「これ以上は……させないっ」
再び霊力で引き起こされる嵐を予感して、続けたフェリーナの射撃。そこへ綿貫のクイックショットが続き、一瞬、銀狼の動きが止まる。
だが、最後にもう一度と練り上げられていく冷たい霊力。
前衛を癒す為に自分の傷は放置し、そして後衛の壁となっていた栗原には危険なそれを――。
「っ……させるか!」
味方の危機を感じ、諸葛のトンファーが銀狼の頭部へと降り下ろされる。
出来たのは一瞬の隙。本来なら活性化させるスキルを変更しようとしてい七海だが、これが機だと攻撃を選択する。
外したら危険。だが、それよりも仲間の危機を捨てられず。
「仲間を見捨てる海賊なんか、いないからね!」
ファルシオンの一閃。それが銀狼の頸を斬り飛ばした。
●守り、帰る為に
残っていたライトヒールを使用して治療すると、そのまま病院へと入る皆。
時間はかけられないと、栗原の生命探知で救援者を探し出す。
少年二人に、少女が一人。酷い怪我はしていない。けれど、外であった戦闘で不安の色を隠せずにいる。
「もう大丈夫だ。心配しなくて良い、私が…私達が絶対に守り抜く」
「よく頑張ったな」
その不安を拭い去るように、南条が誓いの言葉を告げ、諸葛が二人の少年の頭を撫でる。七尾も怯えていた少女が落ち着くようにと、ぎゅっと抱きしめていた。
「無事でよかった。大丈夫? お腹すいてない?」
そう言って版やお菓子を配る栗原。確かに心細い時に何か食べるものがあるというのは、それだけで安心するものだ。
「さて、これだけかな。他にいなければ撤退になるんだけれど……強行突破は出来るだけ避けたいね」
「とはいっても、少し可笑しいんだよな……」
綿貫の言葉に、諸葛がぽつりと呟いた。
「確かに天使の奴らは来て、この旭川を占拠した。けれど、この地域の奴らは攻める意思はなくて、むしろ守るような動きをしている……気がする」
だからここまで隠密行動をし、ここまで潜入するのが大変だったのではと思う。加えて、あれだけの数がいるなら、纏まって攻勢に出て、支配地域を拡大した方が良いような。そもそも、指揮官らしきものもいなくて。
「んー……でも、まずはこの子達を公園まで連れていかないと」
「そうだね。安心して、僕たちが絶対に守るから」
最優先は救助だと、それが出来なくて何が撃退士だと切り替える。違和感に囚われているわけにはいかない。
騒ぎを聞き付けサーバントが集まっているようだが、他の地域への進行も行われており、戦闘音があちらこそで響いている。
その音に引き寄せられたのか、病院を出た直後に群れから離れたサーヴァントに襲われるものの、七海と神崎が盾と武器で受け止めると即座に反撃が出され、一瞬で倒す事に成功する。
そう、後は守るだけなのだ。三人の子供を囲み庇うように連れ、移動を開始する。
出来る限り建物の中を、通路と通路の隙間を移動し、サーバント達に見つからないように。
行きと同じく、忍ぶ偵察こそ自分の役割で、メンバーを支えるのだと傷を負った身を押し七尾は先行偵察して前へ出て、周囲の観測手としてフェリーナがサポートする。
そのお蔭で、遭遇戦に発展する事はなく、回避して公園へと迂回するだけですんでいた。
後ろを警戒する綿貫と南條は、周囲を撃退士達が進行しているのを感じつつ、追って来る敵はいないかと警戒し続けている。
しかし、不思議な程に敵がいない。来る時の半分以下ではないのかと思う程に。それでも気を抜かず、神崎、栗原、七海、諸葛は子供たちを囲んでいる。
そうして見えた公園。それは確かなゴール地点だ。
「走れる?」
神崎が口にした言葉に、少女がおずおずと、囲んで守ってくれた撃退士達に応えた。
「あり……がとう」
助けのない、あの凍えた街から、救ってくれてと。
それが撃退士の任務で、願いだから、あまりにも当然で。
「こんなに寒いと嫌だもんね。暖か所で、ゆっくり落ち着いて、みんなに言ってね。守ってくれた、二人の男の子にも」
栗原もまた、彼女にとっての普通で返したのだ。