遅咲きの梅が辺り咲いている。
赤と、白。二色が交互に並んでいる道。まだ肌寒いが、その感触が梅をより美しく思わせていた。
冬の終わりを、眼と肌で感じるのだ。
それは、もしかすると筑城 菫という少女によく似ているのかもしれない。
紫ノ宮 莉音(
ja6473)は楽しそうに笑顔を浮かべながら、何度も梅の花へとカメラを向け、シャッターを切っていた。
「柊一くん、誘ってくれて、ありがとーございます♪」
にこやかに告げると、再びカメラを構える彼。寒いですけれど、綺麗ですねーと口にしながら、皆で輪となるきっかけを作ろうとしている。
そんな無邪気な姿に、筑城も薄く笑みを浮かべていた。そこへ。
「ピアノ、好きなんですか?」
そう聞いたのは、浅間・咲耶(
ja0247)だ。
彼も音楽が好きで、自分がヴァイオリンを弾いているのだと告げる。ただの趣味かもしれない。それでも、糸口になればいいと思って。
「ええ。小さい頃から、少しずつ、ね。習慣になってしまうと、辞められなくて」
筑城は笑みを仕舞うと、そう応えた。
まだ笑いながら話す程には、その心は開いていないのかもしれない。
なら、と。
「何時も夕暮れで弾いているピアノは、誰かに聞いて貰いたい、心、だったりしますか?」
言葉に出来ない想いがあって、けれどそれを確かに形にしたい。誰かに伝えたいと思う時、浅間はヴァイオリンの音に想いを乗せる。
楽譜に、音階に、響きに、想い連ねるように。
言葉に出来ない感情は、とても多いから。
「ボクがそうなだけ、だけどね」
そう苦笑して、浅間は言った。
「どうかしら。私は違うかもね」
「それでも構いません。……今度、ボクにも貴女のピアノ、聴かせて貰えますか?」
少しずつで、ゆっくりでいいから、触れる人が多くなれば……。
「と言うわけです。忘れないようにして下さいね」
「え、ええ」
そしてこの梅見の発端となった日田 柊一へと、重箱を持っていた道明寺 詩愛(
ja3388)が何やらこそこそと話している。
が、それは暗いものや物騒なものではなく、明るく、些細な仕掛けを楽しむようなものだ。
三月の風はまだ肌寒いけれど、此処は確かに暖かかった。
「……本当に、どうして呪いなんて信じられたのでしょうね」
そんなものはないのだと、詩愛は素直に思ってしまう。この暖かい、散策の中で。
雪が解けたように、もうすぐ、噂も消えるのだと信じて。
「会いたいっていってくれて、ありがとうね」
雀原 麦子(
ja1553)は普段通りに、明るく朗らかに筑城と日田へと笑いかける。
腫物に触るような態度など、したくない。それは筑城という少女を傷つけるだろう。
なら、花見らしく、楽しく明るく。
「いえ、私の方こそ付き合って貰って有難う御座います。ただ、そう、ですね。本当は『もしかしたら』という鎌かけのつもりだったのですけれど、こんなに来てもらえるとは」
微かに笑ったのだろうか。それにしては、筑城には少し陰りがあって。
「重ねて、有難う」
それを危うく感じるのは、何故だろう。
「白い梅と紅い梅と、どっちが好きですか?」
それを解きほぐすように、紫ノ宮がカメラのシャッター音と楽しそうな声を上げる。
一方。
伊那 璃音(
ja0686)と、月臣 朔羅(
ja0820)は、筑城が前に所属していた部活の部員の居場所を調べ、彼女たちの元へと訪れていた。
本来なら当日ではなく前日に調べておきたかった事のだが、そんな時間の余裕は、今回はなかった。顧問の教師は兎も角として、相手の時間の都合もある。
水泳部を覗くにしても、その口実がなければ怪しまれるだけで、下手をすれば相手を刺激する事になるだろう。見るという事は、見られるという事。過激な行動は止めたいのが、璃音の心情でもあった。
新しい仲間と環境があれば、やり直す事も出来る。そう璃音は信じていた。
その為のきっかけを、掴む為にも。
「音楽関係の、結構好きにしている部活だったんですね」
どちらかというと、クラシック寄りな音楽活動を好きにするという、同好会に近いものだったらしい。
クラブが容認され易いこの学園ならではの、という事だろうか。
ピアノ、ヴァイオリン、チェロにフルート。楽器を好むメンバーが集まって出来た、昔あった部活。
噂が緩和されているせいもあったのだろう。
昔の雰囲気や出来事を聞けば、他愛もない、けれど、楽しかった日々の事を語ってくる。別段コンクールや発表はなくとも、自分達だけで、自分達の友人を招いて演奏会をした事。昔いた先輩の歌が上手かったなど。
けれど、どんなに楽しそうに語っていても、それは過去の事。
「良いなぁ…また機会があったら復活はしないんですか?」
璃音のその一言で、空気は凍り付いた。
気まずそうに視線を逸らす、元部員達。一人の視線が一瞬、持っていたチェロの側面へと流れた。そこには、今は塞がれているけれど、確かに傷跡のようなものがあって。
「い、いや、ほらさ。今は、別の部活を立ち上げてしまったわけだし、ね。当時のメンバーが全員残っているわけでもないんだ」
自分自身に言い訳をするような声色。
否定、拒否。それより、恐怖と不安の方が強く残っていた。
それは不幸の噂の為か、それともその背後にいる存在のせいか。
でも、ですねと。
「都城さん今もピアノを弾いているみたいですけど 聞きに来た人は、何も起こってないですよ? 当たり前ですよね」
さらりと噂を流す璃音。
苦しそうに顔をゆがませる、元部活仲間。
やがてぽつりと、声が漏れた。
「私たちは、また『誰か』に、『何か』をされたくないから……」
「……」
恐らく、部活仲間達は不幸の元凶者達を知らないのだろう。
筑城自身は知っていたのだろうか。そう思った所に、言葉が続けられた。
「筑城さんも『誰か』がいるとは、言ってくれなかったから……」
――これは、私の起こしている不幸だ、とだけ。
免罪符のような、言葉。
月臣は唇を硬く結ぶ。
それ以上を聞く事は出来ずに、璃音と月臣は外へと出る。
まだするべき事、出来る事はあるのだと。
璃音は『何か』をされる前にと音楽室へ、月臣は水泳部の後輩を尾行しようと。
そしてその音楽室では、鈴代 征治(
ja1305)と宮野の二人が向かいあっていた。
「ここ、知っていますか?」
なるべく穏便にと鈴代が口を開く。
問い詰めるのでも怒らせるのでもなく、自分はお願いをする立場なのだと、丁寧に。
知らない教室に唐突に呼び出されて、宮野は不審がっている。
きっと知らないのだろう。ここで一人、筑城がピアノを弾いていたという事も。その音がどれだけ孤独だったのかも。
「貴女はきっと知らない、でも少しだけ関係があるお話です」
そう前置きをして、鈴代はゆっくりと説明を始める。
諦めるつもりなんて、なかった。
救うのだと心に決めている。もう一度心の底から笑って欲しいと願っている。だから宮野の眉が何度か吊り上り、息が止まりかけても、続けるのだ。
日田という少年から依頼を受けて、調査を始めた事。
その内容であった、不幸を呼び込む筑城という少女の事。
けれど、その不幸を呼び込むという噂は嘘で、裏で手を引いている人間がいる。
そして、それが宮野と、その部活の後輩達に関連があるのだと。
そこに差し掛かると、我慢が切れたように宮野が熱い息を吐いた。
「気分を害したらすみません。けれど、最後まで聞いて下さい。……この一連の騒動で、貴女の後輩が事件の後ろに見え隠れしているんです」
「…………」
「完全に証拠がなくて、それで断罪しろ、なんていいません。けれど、出来ればお願いしたいんです。筑城さんと、日田という少年の為にも、後輩達に目を光らせて貰えませんか?」
張りつめた空気の中で、鈴代は言葉を紡ぎ切った。
触れれば切れるような。壊れて、激しさをまき散らすような、そんな無言の圧力。
その中で、けれど絶対に折れない意思を胸に秘め、鈴代は宮野を見つめる。
ぽつりと。
「じゃあ、確実な証拠もなしに、私に、私を慕って信じてくれている後輩を『裏切れ』と、鈴代クンだったけ、貴方はそういうの?」
呟きは、堪えきれない怒りに満ちていた。
「確実な証拠があれば、私も含めて全員に筑城さんに謝るわ。いえ、謝ってすむ問題ではない。でも償えるだけは償ってみせる。けれど、私を慕って信じてくれている後輩達へ、貴女達が『こんな陰惨な事を』やったのねと、疑いの目を向けるのは裏切りよ」
自分を信じてくれている存在へ疑いを向ける。
それは裏切りであり、やってはいけない事だと、静かな怒りをもって宮野は告げる。
「そして、確実な証拠もなく、私の後輩をそんな陰湿な行為をする生徒だと、鈴代クン、君は侮辱している」
「…………」
証拠を前にしたからといって、決定的な何かを掴めている訳ではない。
この証拠は生徒が集まって調べた、いわば素人のものだ。確実性なんて、ない。
「……でも、それを確かめないで拒絶するのも、癪ね。出来る限りだけれど、私も後輩の事は見ておくわ」
「……っ」
怒りを表しながら、それでも鈴代の願いを聞いた宮野。ただし、調べた結果が間違いであれば、と言外に、目で訴えている。
「なら、もう一つお願いがあります。筑城さんと、交流を持って貰えませんか」
そうすれば、不幸の噂は、完全に消える筈だと。
「いいわ」
そう思う願いも、即答で。
どう転ぶか解らない天秤が揺れる。
そして、それは珠真 緑(
ja2428)の行動もそう。
不幸になるだなんて、子供の信じる噂だと珠真は断て、純粋そのものの笑みを浮かべ、周りに否と言い触らしていた。
確かに子供の噂と言えばそうだ。
けれど、それで被害が出たのも確実。不審火が上がって廃部になったものもあったのでは?
沈静化し始めていた噂は、それで一気に燃え上がる。
天魔という異界の存在を間近で見る事の多い撃退士にとって、それは受け入れやすい事であり。
天魔の仕業であれば、解決しなければと、動き出そうとするものもいた。
そして、月臣の追っていた水泳部の少女たちも、焦りを強くしていた。
波紋が波打つ。
「さ、休憩にしましょう?」
詩愛の提案で、ベンチでの休憩を取る事となった面々。
水筒に入れていた紫ノ宮が紅茶を、浅間が緑茶を配り、詩愛は持ってきていた重箱の包みを広げ始める。
にこやかに笑い、和菓子を作ってきたと詩愛。言葉通りに、三色の花見団子と、二種類の桜餅が重箱から取り出されていく。
「梅…ではないですけど春の和菓子ということで桜餅も作ってきました」
私の姓はこれからなんですよ、と筑城に桜餅を渡す詩愛。和菓子職人の娘というだけあって、繊細で綺麗な形。そして、舌の上で溶けていく甘い味。
見とれ、そして口にするみなの中で、詩愛はこっそりと筑城に耳打ちする。
「日田くんって良い人ですね。あんなに、貴女だけを見ていて羨ましいです」
「…………」
「私は友人として、彼の願いをかなえてあげたい。あなたも少しだけ協力してくれませんか?」
桜餅を小さく口に含み、しばらく沈黙する筑城。
詩愛の言葉は真剣で、嬉しそうで。それでいて筑城を心配していると解っているから。
「私は、何をすればいいの?」
問い返してしまう筑城。本当に、何をすればいいのか、解らなかったから。
「簡単です、とても簡単。今、彼が望んでいるのは、貴女に沢山の人と触れあって欲しいという事だから」
そう口にすると、自分の携帯の番号とメールアドレスの書いた紙を、詩愛は筑城に渡す。
「私と、友達になって下さい」
優しく笑う、詩愛に、釣られるように筑城を微かに微笑んで紙を渡す。
ただの紙なのに、まるで宝石のように、硝子細工の宝物のように。表情はまだ硬くとも、その指の動きは確かだった。
ピアノを弾くと時と同じで、ありのままの心。
「じゃあ、友人として、ピアノの演奏を聞かせて貰っても良いでしょうか?」
それが聞こえたのか、浅間も入ってくる。
釣られるように紫ノ宮も近寄り、携帯を差し出した。
「此処にこれなかった人達からも、伝言があるんです」
そうやって、メールの内容を見せる紫ノ宮。
『助けが必要ならいくらでも。でもその扉はいつだって内側からしか開けられないんだ』
『汝、思うままを告げよ』
そういったものに始まる、激励、応援の言葉。
想いは連ねられて、ここにあった。
受け止め、瞼を閉じる筑城。そして、宣言するように、彼女は口にした。
優しさがあった。
嬉しかった。
傷ついた人を放っておけない温もりが、傷に沁みたから。
一滴の涙と共に、彼女の願いを。
「仮に、私の不幸が人が起こしたものなら、その人達の仕業だと暴かないで」
「……え?」
訳が分からない。そんな顔を浮かべる皆を置いて、続ける筑城。
「『例えば』私の不幸が誰かが起こしていたとして、その嘘と噂を広げた人がいる。許されない事をしたかもしれないわね。でも、今、その噂が嘘だったと知れ渡ったら?」
「……」
「人に意思を持って不幸と被害を与えていたと知られ、暴露されたら、今度はその人達が、いえ、その人達は二度とこの学校に来られなくなるじゃないかしら」
それが正しいかどうかは解らない。
けれど、罪を暴くというのは、罰する事である。そして、当然のように、それは他人を傷つける事。
――それは、不幸を与えるという事なのでは、と。
傷つけるという、不幸。
「誰も傷つけないで。それが、私の願い。聞き届けて貰う必要は、ないけれど」
今更、過去にやった事を暴いて、断罪して欲しい訳ではないのだと。
「…………」
「…………」
沈黙。
だが、それを破ったのは雀原だった。
突然、ぷにぷにと筑城の頬を突くと、にししと明るく笑う。
「おねーさんとしては、動き出して、手探りでももう一度掴もうとしてくれると、嬉しいよ」
それは、きっと全員の想いで。
「何をしているの?」
夕暮れの音楽室に、隠れていた璃音の声が響く。
尾行していた月臣が出口を固め、ピアノに触ろうとして『水泳部』の女子へと警告を発する。
「何をするつもりだったんですか?」
「……何も」
「良いでしょう、いきなさい。何もしなければ、私たちも何もしませんから」
きっ、と逆上したように璃音を睨む少女。そのまま、月臣の横をすり抜けて消えていく。
「……良いのですか?」
「ええ、ピアノに細工しようとした写真は取れたので」
そういうと、隠し持っていたカメラを月臣に見せる。完全な証拠にはならないが、それでもピアノに何かしようとしたのは取れていた。
「本当に大事なのは、『お帰りなさい』と言ってくれる人達のいる場所、ですよね」
呟き、夕焼けの空を見上げる。
澄んだ橙色の空は、綺麗で、そしてよく音が響き渡りそうだった。
そっとピアノへ触れる璃音と月臣。
もう、独りではないよと。今まで一人で弾いてきた少女に語りかけるように。