●狼が来る
人の気配がない街。
ディアボロの登場と共にこの街は混乱し、そして今、人は生きる場を追われ逃げている。
バリケードを築いた防衛線の向こうでは、今も避難の準備が進められているようだった。
念の為の、街からの撤退。
ここに集った撃退士達が敗ければ、彼らは生活の場を追われる事になる。
……いや、それはもしかしたら、唐突にゲートが顕れるよりはマシな事かもしれないが。
「安心して生活できる…そんな場所はないのでしょうか…」
バリケードの裏に隠れた道明寺 詩愛(
ja3388)の呟きも、何処か不安の色が混じっている。
何時、何処が天魔との戦いの場になるか解らない。常に侵略を受けているのが、今の人の世だ。
「だからこそ、俺達がいるんだろう」
そう返したのは、諸葛 翔(
ja0352)。
阻霊陣を展開させて透過能力を無効化させるのが彼の役目だ。
直接攻撃する訳ではないが、バリケードの実用化と回復。どちらも今回においては重要な役割となる。
討つべきディアボロを待つように、諸葛はバリケードの向こうへと視線を流す。
両側に店の並ぶ広い通りだった。
その広さが逆に寂れた感覚を覚えさせる程に。
そんな中、バリケードの前に立つのは二人の囮役。小田切ルビィ(
ja0841)とジェーン・ドゥ(
ja1442)。
「正に『血に飢えた狼』、ってヤツだな。…まぁ、赤頭巾みたくアッサリ喰われてやる気は毛頭無ぇが」
「さてさて、吸血殺しと洒落込もう。鬼じゃないのは残念だけれど、紛いものなのは残念だけれど」
――こんな幻想に触れえるから、ええ、ええ、世界は愛おしい。
そう芝居がかった様子で口にするジェーン。
親指に付けた傷口から、血の雫が、ぽたりぽたりと落ち続けている。
この匂いに惹き付けられた時が、吸血狼の最後だと。
「初撃は任せたぞ」
「ああ。天魔がどうかは知らないけれど、伝承の怪物が好む乙女の血だ。きっと、きっと来るだろうさ」
そう言いあう二人に緊張は見えない。
来たる強敵。それでも自分達なら勝てるのだと自負に満ちていて……。
「来た、か」
バリケードの裏、遁甲の術で気配を殺していたアレクシア・エンフィールド(
ja3291)も思わず呟いた。
鼻が曲がってしまいそうな程の腐敗臭。
視認しなくとも解る。あれが来たのだと。
そして、そこに紛れている暴力、飢餓、凶の気配も同時に肌で感じられる程だった。
いや、だからこそジェーンは笑う。芝居がかった抑揚で、けれど真摯に、こちらへと駆け始めた黒い影。吸血の狼へと。
「おいで、ワンちゃん。さあ、さあ、躾けてあげよう」
その声が、引き金となる。
●交差する血と血
黒い狼の影は、ジェーンの血の匂いに引き寄せられ、矢のように道路を駆け抜ける。
その姿は速く、そして強靭。
アスファルトは太い脚に踏み抜かれて砕け散り、欠片は腐敗の匂いによって液体へと化していく。
魔の速度、力、そして能力。
少なくとも、防御力を下げる腐敗だけは止めなければ危険過ぎる。
「……出たとこ勝負になるかな」
「久しぶりの戦闘なのに、ずいぶんハードな事で!」
高峰 彩香(
ja5000)と月詠 神削(
ja5265)が一番槍にとバリケードから飛び出した。
囮役に腐敗の効果が及べば、一撃で戦闘不能へと陥る危険性があるのだから。
腐敗の効果の及ぶ空間へと飛び込む二人。防具が少しずつ朽ちていく。けれど、それを気にする余裕などない。
突然の乱入者に、咄嗟に吸血狼は反応出来ない。
直進するその黒い身へと、交差法で鋭い弧を描き、滑り奔る高峰と神削の刃。前脚の付け根から、二輪の血の華が咲く。
同時、腐敗の匂いが止まった。
それでも吸血狼の突撃自体は止まらない。勢いが衰えるどころか、自分の血の匂いで更に狂乱したように加速し、ジェーンへと飛び掛る吸血狼。
伸びる影。牙は飢餓に震えている。
直進した狼。紙一重でその牙から逃れた道化の魔女。
衣服の一部を食い破られたが、ジェーンは見事その直撃を回避していた。勢いを殺し切れず、バリケードへと衝突した吸血狼。
「おや、おや。甘い甘い、血の匂いで酔ってしまったのかな?」
諸葛の張った阻霊陣のせいで、透過能力は失われている。本来ならぶつかる筈のない物に衝突し、一瞬、気が散った直後。
「合わせますよっ」
バリケードの奥に配置した狙撃位置から、ブーツに巻いたスクロールで光弾を産み出す道明寺。回し蹴りの勢いを乗せて放たれた光弾は、その頭部へと着弾して毛と肌を焼く。
奪われた視界。その瞬間を狙って、更に二人がバリケードから飛び出す。
先んじたのはアレクシア。連閃を繰り出すファルシオンは硬い皮膚に弾かれ、金属の悲鳴と火花を散らす。
肉へも届いているが、手数を重視する彼女の剣では深手には至らない。
「剣の業がどれ程であろうと、如何せん力が足りぬ故な。余り期待してくれるなよ」
それでも黒いアウルを纏わせた剣を止めず、語るアレクシア。
「卿の腕、頼りにさせて貰うよ」
「ええ」
短く応えたのは、反対側から狼へと一撃を放とうとしていた戸次 隆道(
ja0550)だ。
アレクシアの連撃で気が逸れた瞬間を狙い、逆の側面へと回り込んで、一撃の為の溜めを終えていた。
膨大なアウルを練り上げ、純粋な破壊力へと変成させてメタルレガースの一点へと集める戸次。
この一撃で、流れをこちらへと引き寄せる為に。
「守りきって見せますよ、全部ね。強敵との戦いも、私としては嬉しい」
放たれたのは山をも砕かんばかりの強烈な蹴撃。爆砕に等しい轟音と共に吸血狼の身体が折れ曲がる。腹部へと刺さり、反対側まで抜けていった衝撃。骨は折れていないが、確実に罅と、内臓へのダメージがいった筈。
それ程に重い一撃。だが、吸血狼は倒れない。
更に小田切が背後からメタルレガースで一撃を加えても、むしろ戦意は増している。
狂乱の本能を眼に浮かべ、ジェーンへと。彼女の血液へと標的を定めていた。
「…………」
流れは撃退士達の方にある筈。だが、ひっかかりを覚えて諸葛は阻霊陣を展開しつつ、バリケードの奥から戦況を見渡す。
「長引けば長引くだけ不利になるんだから、確実に決めていかないとね」
覚えたての技であり、使用回数に限界がある。高峰の声に、自分は後何回放たれるかを再確認する皆。
そんな中、神削のショートソードが振るわれた。単調に見えた軌道は、けれどフェイントのそれだ。途中で軌道を変えた一撃が横腹へと刺さる。
追撃は高峰。フェイントに引っかかった狼へと、苦無が投擲される。
確実に削っている。電撃作戦として成立している筈だ。
だが、諸葛の不安は消えず、そして、それは形となって現れる。
身を裂かれる痛みなど頓着しない吸血狼。身を撓め、そして再び影のように疾走する。
「……っ…」
反応が遅れた訳ではない。あるのはただ単純に、回避に長けたジェーンでも避けるのは五分であるという事実だ。
ジェーンの肩口へと突き刺さった牙が血を吸い上げ、同時に左の鎖骨を噛み砕く。
生命力の高い訳ではないジェーンはその一撃で膝をついた。大量の血を奪われ、視界が一瞬暗くなる。逆に血液を得た事で傷口から赤い霧を立て、急速に再生していく吸血狼。
「獣風情が、調子に乗ってくれるなよ……!」
「ジェーンさん!」
追撃はさせまいとアレクシアと戸次が攻撃をしかける。連続して繰り出されるアレクシオの刃に、獣としての隙を突こうとする戸次の蹴撃。だが、逆に獣ゆえの隙の無さ、感覚の鋭さというのもある。直撃を避け、掠り傷で留められてしまう。
だが、その間に。
「すぐに治療します」
道明寺と諸葛のライトヒールによって霊気が送り込まれ、ジェーンの傷口を癒していく。失った血も取り戻され、頬に赤みが戻る。
だが、一度流れた血は戻らない。
よく濃くなった血の匂いに狂乱する吸血狼。今の一撃は耐えられたが、次はどうか解らない。
膝へと力を入れなおし、ケーンを剣のように地面に突き立てて立ち上がるジェーン。引くべきか、それとも継続して戦うべきか。作戦を考える思考に波紋が起きる。
諸葛の引っかかったという点は、つまりここだ。電撃戦を仕掛けるという事は、攻撃力は確かに増すだろう。だが、同時にこちらの防御性は下がるという事で。
「ちっ。ジェーンじゃないとマトモに避けられなくて、ジェーンだと一撃で倒れる可能性が出てくるのか」
防御面の作戦や、交代要員を決めていたのなら消耗は抑えられただろう。だが、それが足りない。攻撃力の高い相手との真っ向勝負。狂している相手は、攻撃しか考えていないのだから。
「大丈夫、大丈夫。まだ持つさ。小田切君に変わってもらうのも一つの手だ」
「無理はするなよ」
バリケードに隠れながら、一撃離脱を繰り返す小田切。防御力、生命力、共に高い彼なら一撃で倒れる事はまずないだろう。
問題は、避けきれない事によって、相手が生命力を略奪して回復してしまう事か。だからこそ、この電撃作戦ではジェーンがどれだけ回避するかにかかっていた。
「私たちが支えますから」
治癒を行える二人のうち道明寺が声を上げる。
「ここを越えさせるわけにはいかないんです!」
肯定するように、小田切のレイピアが刺突を繰り出す。
血の塗れた戦場で、けれど彼らは戦い続ける。
●激突と破砕
「少しは、こっちを向いてくれないものか!」
円を描くように踏み込み、間接へとショートソードを滑らせる神削。皮膚の硬い部分で受けられたが、その硬直を見逃さず、続く高峰が駆け寄り様にスピンブレイドを繰り出した。
曲線を描く白刃は確かに間接を捉え切り裂く。元より当てる事に長けた技だ。フェイントや連撃で繰り出せば、部位を狙っても的確に当たる。
だが、最初に腐敗の匂いを止める為に突撃した二人の防具は脆くなり始めている上に、吸血狼は異常なまでの執着でジェーンを狙っている。
全ては血への飢餓。幾ら傷を受けようと、血を吞めればそれでいい。
生物として壊れた本能を持つ、ディアボロ。その為に作られた殺戮の為の生物。
故に。
「……っ…」
ジェーンの太腿へと吸血の牙が突き刺さる。骨へと入る罅、生命力の略奪。
「ジェーン」
「これは、また。これは、また」
自分の生命力が危険な域にあり、かつ機動力である脚への一撃を受けた。これ以上の回避は不能。ならばと。
「その首を落としたかったんだけれどね」
無傷な片足へと注ぎ込まれるジェーンのアウル。爆発的に燃焼させて、驚異的な脚力を高めて速度を得たジェーン。ケーンから魔法の衝撃を放ちつつその場から離れるその姿は迅雷そのもの。
その後を追おうとする狼の追撃を断ったのは、小田切のレイピアだ。
「――?Ochs?!!」
血への匂いへ引き付けられた狼へと、雄牛の構えからカウンターで突き刺さる切っ先。その威に怯み、ディアボロの動きが止まった。
更にアクレシオが刃を振り上げ、戸次が蹴撃を放つ。
避ける為、大きく後退した吸血狼。
そのまま小田切が正面役を引き受け、撃退士達は改めて四方を囲んだ。
だが、ライトヒールの使用回数も半分を切っている。バリケードの裏側へと避難したジェーンに治癒を施す余裕はない。道明寺が最後の一度でジェーンを癒すが、諸葛としては万が一を考えるとライトヒールを使い切るわけにはいかなかった。
けれど、吸血狼とてそうだ。いかに生命力を略奪しようと、明らかに負っているダメージの方が大きい。癒しきれず、無数の傷を負っている。
後一手。押し切る為に必要なのだ。
どちらが、相手の喉首を掻き切るか。その一押しが。伏せている札は、確かにあって。
「一気に、仕留めよう」
高峰の言葉に頷き、アウルを纏い、燃焼させ、或いは練り上げていく撃退士達。
これ以上戦闘を継続しては、確実に戦闘不能者が出るから。
そして、今だ血を流しているジェーンから注意を逸らす必要があり。
「…おいおい。余所見してんなよ? 手前ェの相手は俺がするぜ…!」
レイピアで自らの掌を切り、標的を自分へと引き付ける小田切。血の匂いがあれば、この狼にとっては全てが餌。囮になる。
全ては、一瞬の判断。
小田切へと飛び掛る為に撓めた吸血狼。
その瞬間を見逃さず踏み込む高峰と神削。
力を溜める為に止まった所へ、高峰の苦無は下段から切上げられ、神削のショートソードは上段から振り下ろされた。
双刃は血飛沫を飛ばし、狼の胴を斜めへと裂いて、飛び掛かる力を削る。
よって突撃の姿勢は崩され、吸血狼の攻撃は不完全。小田切はシールドによって緊急活性化させた盾で狼の顔面を横から叩き、弾き飛ばす。
だから着地も不完全。乱された攻撃は、その後の隙も大きくなる。
「卿、好機を作るぞ」
アレクシアのアウルを纏った黒い刃が乱れ狂う。
一撃の重さではなく、手数の太刀筋。呼吸するより早く振るわれ、重ねられるファルシオンの刃。
吸血狼には引っ掻かれたようなものだが、連続して繰り出された攻撃のせいで、戸次への警戒の意識が薄れた。
「ええ、信頼には応えますよ」
命を任せられる相手から信頼された事を嬉しく思い、眼前のディアボロへと向き合う。
脚には再び収束されたアウル。練り上げ、質量を増した錯覚させる程の気。
山を砕く一撃を、もう一度。最後の一撃だと振り上げられる膝。そのまま胴回し蹴りとして狼の後頭部へと繰り出された戸次の山砕。
文字通りの必殺を狙う一撃。自身の出させる最大の威力を以て。
大気の壁を破った音が遅れて木霊す中、頭部を打ち砕かれた吸血狼が、ぐらりと身を倒す。
血への飢餓で狂乱した狼は、血の海の中で沈む。
●そうして赤は消えて
全てが終わった後。
バリケードは多く損害を受けており、諸葛が阻霊陣を使用してなければ、後ろで避難していた回復手の二人と、ジェーンへも被害はいっていたかもしれない。
そして、寂れた街を歩く、諸葛と道明寺。
一人でも生存者がいないか。そして治療を必要としている人がいないか、探そうとしたのだ。
けれど、何も見つからない。破壊された痕が続き、そして渇いた血がこびりついた壁があるだけ。
何の店だったのだろうか。再開が難しいと思える程、壊されていて。
「血にまみれた分だけ人の生活を守れるのなら…喜んで」
それが撃退士である自分の役割だと、強く道明寺は胸に思う。
「……ディアボロか。今回のは厄介なやつだったか」
諸葛にとっては、ディアボロは復讐する為の存在。過去を踏みにじられ、そして今も、こうして踏み躙られている。だが。
「ま、そんなに思い詰めるなよ。……俺達は、ちゃんと守れたんだから」
防衛線から一歩たりとも先に、狼を入れなかったのだと、諸葛は笑う。
「行こうぜ、まだまだ、これからだ」